ヤジ馬の日本史
住所
熱田区
出身
熱田区
ハンドル名
住兵衛さん
ブログタイトル
ヤジ馬の日本史
ブログURL
https://nagoya301.at.webry.info/
ブログ紹介文
日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!
自由文
日本の常識は世界の非常識? もしそうならその原因は、この国が体験してきたユニークな歴史にあるのかもしれません。 そんな「日本史」を軽い目線でヤジ馬しています。
更新頻度(1年)

72回 / 365日(平均1.4回/週)

ブログ村参加:2011/08/28

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住兵衛さんのブログ記事

  • 日本史の「信仰」16 名もなく儚く墓も無く

    お盆の折ひょっこり親戚と話をする機会に恵まれましたが、時期的な雰囲気 もあってか、なんとはなしに「お墓」の話題に。 昨今、それなりの注目が集まっているとされるいわゆる「墓じまい」です。 しかし、その辺の事情にとんと疎い筆者は、ついつい初歩的な疑問を投げ かけてしまったのです。  ~そもそも「墓じまい」ってなにさ?~ 一瞬呆れ顔を向けられたものの、そこは親戚の…

  • 日本史の「微妙」11 将軍トライアル評判記

    立派な君主、すぐれた君主のことを「名君」と言います。 また、長い歴史の中で一度衰えたり途絶えたりしてしまった事や物を復興 させることを「中興」といい、そうした「中興」を成し遂げた祖先に対して は「中興の祖」という呼び方も用意されています。 ちなみに、「中興の祖」をもう少し深追いしてみると、この程度の意味合い になるようです…

  • 日本史の「災難」13 金縛り系?の不如意感覚

    筆者が望んだことではなかったのですが、顔見知りのオジサンからこんな話を 聞かされるハメになりました。 ~えぇか、自分の意識はしっかりしているのに、身体のほうが思うように  動かない状況ってのは、ありゃホントに恐怖だぞ~ オジサン族による薬・医者・検査・症状・入院・手術など己の非健康に 対する自慢話?はそれこそ耳にタコということもあって、筆者の気持ちは 逃げの…

  • 日本史の「異国」06 鉄砲伝来って訪問販売?

    ~一隻のポルトガル船が種子島に漂着して、日本に鉄砲を伝えました~ また、あるいは、 ~種子島に流れ着いた一隻の中国船に乗っていたポルトガル人が、  2丁の鉄砲を持っていました~ 上はいずれもいわゆる「鉄砲伝来」(1543年)についての説明文ですが、 漂着したのがポルトガル船だったのか、あるいは…

  • 日本史の「落胆」04 大御心と幕末婚約の命運

    黒船来航(1853年)に直面した幕府が見せたドタバタぶりは、こんな ふうにも揶揄されました。 ~泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず~ 事態に泡を食った日本側の雰囲気がよく伝わってきます。 しかしアメリカ・黒船が来ることは、オランダ国王からの報せを通じて じつは幕府も事前に承知していたのです。 にも関わらず、この為体を露呈したのですからこんな疑心が生…

  • 日本史の「誤算」12 長州流?公金処理の御作法

    幕府体制が終焉し、世が「明治」を迎えた頃の世情には混沌としたもの がありました。 諸外国がつけ入ることのないだけの短期間のうちに、それまでの 「ほとんど なにもかも」を作り替えてしまおうとするのですから、 そうした状況があるのは、ある意味ではやむを得ないことかもしれません。 事実、この時期には明治新政府の要人が絡んだ事件がいくつか起こって います。 そんな中で、事件の規模からしても、また新政府…

  • 日本史の「微妙」11 征夷大将軍そのウワサ話

    武家政権(鎌倉幕府/1185年?-1333年)が樹立されて以降、その トップの座を「征夷大将軍」という称号?で呼ぶことにしました。 その座に就いた人物の数は鎌倉幕府9代、室町幕府15代、江戸幕府15代、 という内訳で、合計では39人になります。 では、この他には金輪際誰も「征夷大将軍」にならなかったかと言えば じつは必ずしもそうとは言い切れない…

  • 日本史の「ツッパリ」05 地の果ての孤立文明圏

    昔学校の授業で学んだ「世界四大文明」の記憶がひょっこり蘇って きました。 ひょっとしたら、トラウマ体験による「フラッシュバック」現象 なのかもしれませんが、似て非なる「八つの文明圏」なんて言葉に でくわしたせいです。 さて、人類最初の文明として確かこの四つを挙げ「世界四大文明」 と説明されたように記憶しています。 ○黄河文明     (前7000年頃~) 現在の…

  • 日本史の「大雑把」02 五十年ワシ掴みの江戸幕府

    ~「江戸時代」とは1603年の幕府樹立から1868年の江戸城明け渡し   までの265年を指す~ 普通この程度の説明がされています。  しかし、始まりから終わりまでの265年はいかにも長い。  もう少しコンパクトに把握できないものだろうか? そこで思いついたのが、江戸時代265年をエイヤッとばかりに、 約半世紀50年単位で睨んでみる少々荒っぽいやり方です。 実際そうしてみると、…

  • 日本史の「列伝」11 御幼帝御用達?の歴史本

    人によっては、その字面はちょくちょく目にするものの、その時代や内容になると、とんと承知しない事柄も、ままあるようです。実はそうした状況が筆者自身にもあって、その一つに「神皇正統記」を挙げることができそうなのです。

  • 日本史の「タブー」11 怨霊封じ渾身プロジェクト

    〜「藤原」姓は天智天皇から亡くなるその前日の中臣鎌足に贈られた〜通説ではそうされているものの、前後の経緯からしても、おそらくは鎌足にではなく、その息子である不比等(659-720年)に下賜されたものでしょう。不比等自身に、現在の権勢は姓を下賜された父親・鎌足による「親の七光り」によるものとする態度を貫くことで、この頃の突出した権力に対する内外の批判をかわす計算が働いていたのかもしれません。

  • 日本史の「例外」02 天皇家好きの将軍家親戚

    〜朝方(午前9時頃)、藩士15名を含めた総勢60名ほどの護衛を従え、  彦根藩邸を出た大老・井伊直弼(1815-1860年)は、江戸城の入口・  桜田門の前で暴漢集団に襲われ絶命(即死)に至った〜

  • 日本史の「災難」12 アウェイ幕府は曇り空

    それまでにはなかった新しい階層「武士」の登場。その経緯を探ってみると、たいていはこのくらいの説明になっています。〜王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。  その上、桓武天皇が軍団を廃止した結果として、地方は治安が悪化し  無政府状態に陥り、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。  国家から土地経営や人民支配の権限を委譲された有力百姓(田堵・名主)  層は、自衛のために武装し、武士へと成長した〜 Wikipedia 「平安時代」...

  • 日本史の「事始め」18 だから不比等はミステリー

    〜「藤原」姓は、中大兄皇子(後の第38第・天智天皇/626-672年)に協力し、  後の国家改造を導くことになった中臣鎌足(614-669年)に下賜された〜 通説ではこのように「藤原氏」の始祖は鎌足と説明されることが多いのですが、しかし、その鎌足の子である「藤原不比等」(659-720年)と事実上の家祖と見る向きもあります。鎌足に下賜されたのがなんと「死の前日」・・・このあまりに劇的なタイミングにいささか眉唾チックな雰囲気を感じてしまうということかもしれません。...

  • 日本史の「謎解き」29 豊前豊後はトヨのくに

    昔々の大昔、戦国の織田信長も源平の源義経も、それどころか飛鳥の聖徳太子すらもまだ生まれていなかった三世紀頃、九州の一角に「豊国(とよのくに)」と呼ばれる地域がありました。九州の東北部に位置し、現在の地名なら福岡県東部および大分県全域に相当する地域です。

  • 日本史の「落胆」03 将軍後継と同時多発テロ

    二度にわたる「大坂の陣」(冬1614年/夏1615年)を制したことによって、かつての主家・豊臣家を滅亡にまで追い込んだ徳川家康(1543-1616年)はその後も諸大名への干渉を怠ることはありませんでした。これには、豊臣家の死に物狂いの抵抗にいささかのトラウマを覚えたことの影響があったかもしれません。

  • 日本史の「ライバル」02 武士政権七百年の夜明け前

    いわゆる「武士政権」を最初に立ち上げた人物として、普通は平安時代末期に活動した平清盛(1118-1181年)の名が挙げられ、その仕組みを所在地の名称から(京の)「六波羅政権」という呼び方もしているようです。

  • 日本史の「怪人」21 素性も政策も虫が好かぬ

    広く武士の教養・規範とすべく「朱子学」に注目したのは江戸幕府創立者・徳川家康(1543-1616年)その人でした。いや、江戸幕府においては人というより、神様に祀り上げられた「神君」と言った方が正しいかもしれません。

  • 日本史の「付録」10 皇位継承の現代風再考

    およそ200年ぶりとされる天皇譲位によって、それまで30年ほど続いた平成時代が幕を閉じ、新たに令和時代を迎えることになりました。このことは、皇室にとっても、また国民にとっても「稀な体験」という位置づけになりそうですが、これとは別に、現在の皇室及びその周辺には別の危機意識があるとされています。

  • 日本史の「トンデモ」03 精神が敵機を撃墜する

    第119代・光格天皇(1771-1840年)以来およそ200年ぶりとなる平成の「譲位」に当たって、天皇陛下(第125代/明仁/満85歳1933年生)は、その心境をこう漏らされました。〜平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵して  います〜その思いによほど強いものがあったのでしょう、いささか涙声にも聞こえたほどでした。

  • 日本史の「例外」01 歴代以外にも覆面天皇が

    寿命がいつかは尽きてしまうのは「生物」の宿命で、その点は人間もその通りなら、神の子孫とされる「天皇」も例外ではありません。その天皇が至高の存在であることを強調する意味もあるのでしょうか、「崩御(死去)」されると、それまで使っていた名とは別に生前の事績を勘案した名「諡名」(諡号)が奉られます。ごく普通に使っている「○○天皇」という称号がそれです。もっとも業界の大立者の立場にある人などを「××界の天皇」と呼ぶこともありますが、それは俗称・愛称の類のものですから話がち...

  • 日本史の「発明発見」23 小牧山城から天下を見渡す

    筆者の生息地・名古屋から車で30分ほどの「小牧(市)」。用事を早めに済ませ、空いた時間を「小牧山」探訪に充てたのが、数日前(2019・04・27土曜)の午前のことでした。割合近いエリアでありながら、ここを訪れたことがないという事実に、ふと気が付いたからです。

  • 日本史の「ツッパリ」24 幕末老中の御意見募集

    いわゆる「黒船来航」(1853年)によって外国(アメリカ)から開国を求められることになった幕府でしたが、ハナから相手の希望に沿うつもりは持っていませんでした。鎖国政策は権現様、つまり幕府創立者である徳川家康(1543-1616年)も遵守してきた祖法だと強く信じ込んでいたことがその理由です。祖法違反とは、江戸幕府にとっては即ち重大犯罪?を犯すことに他なりませんから、そもそも開国という選択肢自体がなかったことになります。

  • 日本史の「信仰」15 儒教徒はメタボに憧れる

    「儒教」あるいは「儒学者」という言葉は日本史の中にもよく登場しています。では、その「儒教」って、いったいなんなの? なんとなく分かっているようで、その実分かっていないのは、筆者とてその例外ではありません。そこで、手っ取り早く一般的な説明の受け売りに走ると、〜「儒教」は、(紀元前もかなり前の)孔子(前562-前479年)を始祖とした  思考・信仰の体系である〜 

  • 日本史の「タブー」10 神君祖法をシカトする?

    戦国の世の最終勝者・徳川家康(1543-1616年)が、自ら初代将軍に就き、創立を果たしたのが江戸幕府(1603-1867年)でした。その将軍職を2年ほどで辞し、家康はその後継として自分の息子秀忠を第2代将軍に就けました。

  • 日本史の「付録」11 待ちかねたゾ武蔵ッ!

    「史実」をヒントにして後の時代に創作された芝居や小説などが、元の「史実」そのものよりも有名になってしまうことも、ままあるお話です。少し古い時代なら、たとえば史実「元禄赤穂事件」(1701-1703年)をモデルにした創作「忠臣蔵」がそうでしょうし、それよりは新しい時代で探すなら、幕末に活動した土佐藩郷士・坂本龍馬(1836-1867)を題材にした作家・司馬遼太郎(1923-1996年)による創作「竜馬がゆく」を挙げることができそうです。

  • 日本史の「微妙」10 勝者は看板づくりに精を出す

    筆者の生息地・尾張名古屋では、戦国時代に華々しい活躍を見せた織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の御三方を、その死後数百年経った現在でも「郷土の三英傑」と呼んで称えています。

  • 日本史の「異国」05 ♪日曜日に市場へ出かけぇ

    ♪日曜日に 市場へでかけ 糸と麻を 買ってきた  (合いの手?) テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャ            テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャロシア民謡「一週間」の出だし部分ですが、ちなみに月曜日以降は、♪月曜日に おふろをたいて 火曜日は おふろにはいり  テュリャ・・・♪水曜日に ともだちが来て 木曜日は 送っていった    テュリャ・・・♪金曜日は 糸まきもせず  土曜日は おしゃべりばかり テュリャ...

  • 日本史の「誤算」11 狂気の沙汰?領地返上

    戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、江戸幕府を成立(1603年)させ、征夷大将軍として、それまで同格とされていた諸大名の上に君臨することで新しい時代を誕生させました。要するに、それまでの横並びの同僚関係を消滅し、家康率いる徳川家が統治する形に作り変えたということです。

  • 日本史の「世界標準」25 異端宗派は成敗すべし

    現代でこそ(一部を除いて)、こうした意識は幾分薄まってきている印象ですが、宗教というものには、洋の東西を問わずどこもが、少なからず「異端」を嫌う性癖を備えているようです。もっとも、そんな言い方をすれば、原理原則を堅守する一神教の世界から見た日本の神道なぞは、その存在自体がすでに異端ということになりかねませんが。