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日本の常識は世界の非常識? もしそうならその原因は、この国が体験してきたユニークな歴史にあるのかもしれません。 そんな「日本史」を軽い目線でヤジ馬しています。

ブログタイトル
ヤジ馬の日本史
ブログURL
https://nagoya301.at.webry.info/
ブログ紹介文
日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!
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74回 / 365日(平均1.4回/週)

ブログ村参加:2011/08/28

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住兵衛さんの新着記事

1件〜30件

  • 日本史の「事始め」21 鉛筆は鉄砲より強しか?

    江戸時代を舞台にしたTV時代劇の劇中に登場した文字を書くシーンでは、 筆記ツールとして毛筆が使われていました。 その数日後、今度は幕末維新を描いたTVドラマです。 ここにも同様のシーンが登場しましたが、筆記ツールはやはり毛筆でした。 さて、こんなプチ体験から、個人的にちょっとした素朴な疑問を持つことに なりました。 ~するってぃと、日本人が…

  • 日本史の「大雑把」05 名乗り数多の戦国生涯

    たとえば、この戦国武将は諸事情も重なって、一生のうちに数多の名前を 持つことになりました。 もちろん数だけでいえば、もっと多かった人物もいるのかもしれませんが、 それにしても現代人の感覚からすれば、やはりこんな印象になるところです。 ~こんなに多くの名前を持って、逆に不自由はなかったのかしら~ せっかくですから、その例に挙げた戦…

  • 日本史の「トンデモ」05 江戸政界フィクサーの奔放

    第10代将軍・徳川家治(1737-1786年)には、後継第11代将軍となるべく 嫡男・家基(1762-1779年)がいました。 幼年期より聡明であった家基は、文武両道の才能備えていたばかりか、 政治に対しても次第に関心を示すほどの人物でした。 また、その名には徳川宗家の通字である「家」が授けられています。 要するに…

  • 日本史の「発明発見」26 季節限定戦では埒が明かぬ

    戦国三英傑の一人である尾張国・織田信長(1534-1582年)は、当時の大名の 誰もが思いつかなかった「兵農分離」という新政策を打ち出し、これを実行に 移しています。 これ、文字通りに「兵士と農民を分ける」ことを意味する政策でした。 逆に言えば、それまでは基本的に「兵農一致」<…

  • 日本史の「ライバル」06 公務?川中島の戦い

    数多の戦が繰り広げられた戦国時代の中でも、とりわけ知名度の高い戦闘の 一つに、甲斐・武田信玄(1521-1573年)と越後・上杉謙信(1530-1578年) による激突「川中島の戦い」を挙げることができそうです。 両軍の激突は、実は一回に留まらず、意外なことに前後五回にわたっ…

  • 日本史の「例外」04 天才武将暗黙のお約束

    天才武将、天才軍人、あるいはそれに似たイメージで語られる人物は 日本史の中にも少ならからず登場しています。 具体的な名を挙げるなら、平安時代末期の源義経(1159-1189年)もその一人 でしょう。 殊に平家相手の「一の谷の戦い」(1184年)、「屋島の戦い」(1185年)、…

  • 日本史の「陰謀」30 正義はいつもサジ加減

    国政の根幹に関わる問題であり、またそこに外国事情までが重なっていたこと もあって、その後の展開にいささかの複雑さを呈したのが、対馬藩による 国書偽造事件「柳川一件」でした。 第三代将軍・徳川家光(1604-1651年)の治世において告発されました。 これよりはるか昔のこと、聖徳太子(574-622年)が送った国書に対する 隋・煬帝の返書を遣隋使…

  • 日本史の「言葉」30 どちりいな・きりしたん

    日本人初の「キリスト教徒」はどなたか? 史料で確認できる範囲に限れば、それは「ヤジロウ(弥次郎)/ 洗礼名アンジロー?」(1511年頃?-1550年頃?)だとされています。 あの有名な宣教師フランシスコ・ザビエル(1506年頃?-1552年)の 通訳も務めた人物です。 宣教師と通訳、この二人の関りはこのように説…

  • 日本史の「数字」04 三明治人って誰のこと

    戦国乱世を終焉に導いた以下の三人を、筆者の生息地(名古屋)では、 「郷土の三英傑/戦国の三英傑」として地元・名古屋祭りの主役に迎えて います。 そのパレード「英傑行列」(10月)は例年人気を集めていますが、ただし、 本年は新型コロナのせいで早々に中止が決定されてしまいました。 さて「郷土の三英傑…

  • 日本史の「怪人」22 史実彷徨さらさら越え

    本格的な登山シーズンを迎えながらコロナ禍の影響で出かけられないアル ピニストも多かろうという配慮からでしょうか、筆者の生息地(名古屋)の 地元紙・中日新聞(2020・6・5/朝刊)が史的伝説「さらさら越え」を取り 上げました。 歴史好きには少しは知られたお話です。 その見出しには~佐々成政 真冬の北アルプス踏破伝説~とあり、 一回り大き…

  • 日本史の「災難」15 歴史対談コロナに散る

    新型コロナウイルス感染が次第に拡大の方向へ進んでいた時期だったことも あって、その開催に一抹の不安を感じながらも、申し込みだけは早々に 済ませておきました。 歴史研究家という肩書が最適なのかどうかは分かりませんが、ともかく、 二人の先生による対談会形式による講演会です。 ところが、こうしたイベント自体が基本的に密閉・密集・密接のいわゆる 「三密」の環境を構築しやす…

  • 日本史の「アレンジ」22 ローカル風味の士農工商

    孔子(前552?-前479年)に始まった「儒教」を新たな形で体系化・発展させた 「新儒教」ともいうべき思想は、その創始者の名を取って「朱子学」と呼ばれ ました。 中国南宋・朱熹(1130-1200年)、つまり「朱子」(朱先生)による 新学問ということです。 じつはこの思想は…

  • 日本史の「油断」11 乱世終えたら麒麟がくる

    最終回まで一年の長丁場という理由もあって、大河ドラマにはこれまで あまり関心を寄せていませんでした。 ところが本年は放送直前に主要配役の一人を演じる女優さんの不祥事、さらに その後には新型コロナウイルスの影響などがあって、何かとその行方に注目 させられました。 そこで、ついでのことに今回、その大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・ <…

  • 日本史の「ツッパリ」27 事前情報は留め置きに

    代将マシュー・ペリーが率いる蒸気船2隻を含む艦船4隻のアメリカ海軍が 浦賀に姿を現した事件を一般的には「黒船来航」(1853年)と言い、そして またこの事件から明治維新に至る期間を「幕末」と呼んでいます。 ~泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず~ その幕…

  • 日本史の「落胆」07 戦国布教は花咲かず

    未知の宗教であったキリスト教を日本に初めて伝えたのは宣教師 フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)でした。 1549年に鹿児島に到着して以後、平戸、山口、京となどでその布教活動に 努めたとされています。 もっとも、ガチガチの一神教であるキリスト教の教えを日本に広めるには 多くの苦労が伴ったのは事実でした。 元から神仏習合スタイルで数多…

  • 日本史の「微妙」15 江戸出版界の異色仕掛人

    江戸後期の浮世絵師で戯作者である山東京伝(1761-1816年)は 「手鎖50日」の刑(1791年)を申し渡されたことがあります。 牢に収監されるほどの重罪ではないとされたものの、出版統制を破った ことがその理由でした。 じつはこの際に咎めを被ったのは作者・京伝だけでなく、出版元の蔦屋重三郎 (1750-1797年)…

  • 日本史の「信仰」17 初めに東と西があった

    昔々の大和民族は太陽を特別な存在として崇める信仰心を持っていたと 考えられています。 そのことは、民族の長である大王の祖先神の名が「空を照らす神サマ」と いう意味を備えた「天照大神」、つまり太陽神であることも一つの裏付けに できそうな印象です。 東から上って西へ沈む・・・まあ、よほど特殊な事情がない限り、太陽は 日々この運動を繰…

  • 日本史の「トホホ」30 人望なくば戦も勝てず

    ~とりわけ有能な官僚だが、武将としては戦下手~ 戦国時代の武将・石田三成(1560-1600年)に対する現代人の平均的な評価は 概ねのところこのあたりに落ち着きそうです。 戦争戦闘の類が得意ではなかったのは確かなようで、そのことは実質的な 大将デビュー戦となった「忍城の戦い」<…

  • 日本史の「ペテン」02 騙しが築いた和平の価値

    日本史の中には「南北朝時代」という時代区分があります。 念のためですが、言葉は似ているものの「南北朝鮮時代」という隣国の 歴史のことではまったくなく、日本史における以下の時期を指しています。 ~皇統が南朝と北朝に分裂抗争した1336年から両朝が合一した  1392年までの 57年間をいう~ その分裂抗争と…

  • 日本史の「忘れ物」29 先人たちの計算技術

    整理中の古い写真の中に「算額」が写ったものが混じっていました。 どこぞの神社か寺院で撮ったものでしょうが、よく思い出せません。 ところが、そんな折にたまたまこんな説明を目にしたのです。 ~算額(さんがく)とは額や絵馬に数学の問題や解法を記して、神社や  仏閣に奉納したものである~ あぁ、そうすると、ここに写った直線や円弧などの図…

  • 日本史の「微妙」14 朕は五世の孫なるゾ

    ~正統性の根拠は血統にある~ 日本の歴史の中に、こうした場面を見ることも少なくありません。 ~なんでお前が偉いねん?~ その答えがこうなるケースのことです。 ~決まっているではないか、ボクは正統な血統にあるからダ!~  

  • 日本史の「数字」03 ちゅうちゅうたこかいな

    地域主催のイベントで参加してくれた幼な子たちに小さな袋に入った飴玉を 渡すことになりました。 おチビ様お一人につき10個づつの計算です。 そして、その土産を手渡す役を仰せつかったのが、なんと筆者だっだのです。  

  • 日本史の「大雑把」04 外様の朱子学逆手取り

    江戸時代に諸藩が国許と江戸を行き来したいわゆる「参勤交代」の 大名行列は、決して京を通過しなかったし、また京で宿泊することも なかったそうです。 もっともこれは京付近を経由する必要があった西国の大名行列に限ります。 京より東に位置する諸藩がさらに東の江戸を目指すのに、わざわざ西に 戻る形で京を迂回通過する必要はありませんからね。

  • 日本史の「事始め」20 古を推せばトップは女性

    歴代天皇の男女比を眺めれば、一目瞭然で男性天皇の方が多い。 相当な迂闊者でもそれには気が付くほどですが、しかし、いかに少数派の 女性天皇とはいえ、その中の誰か一人には「史上初の女性天皇」という 称号?冠されるはずです。 そして、その「史上初の女性天皇」と冠された方を我々現代人は普通 「推古天皇」とお呼びしています。  

  • 日本史の「列伝」13 戦国諜報員は悠々自適

    「本能寺の変」(1582年)によって、織田家は絶対的な権力を有していた 織田信長(1534-1582年)と、その後継であった嫡男・信忠(1557-1582年) を一挙に失ってしまいました。 ではこの後の織田家をいったい誰が継承したらよいものか?  

  • 日本史の「陰謀」29 女傑は婚家粛清も厭わない

    歴史の劇的変化の時期には、その主役もどきの人物が登場するものです。 例を挙げるなら平家滅亡に至る時期がまさにその通りで、実際ここの局面 では「奇跡の三連戦三連勝」※を成し遂げた源義経(1159-1189年)の活躍 に目を奪われて他のことにはあまり意識が向かないものです。 ※一の谷の戦い 1184年/屋島の戦い 1185年/壇ノ浦の戦い 1185年 …

  • 日本史の「誤算」13 権勢はいつも補佐人に

    日本神話によれば、いわゆる天孫降臨に際し天照大神はこのように宣言した そうです。 ~この地(日本)は私の子孫が王となるべき地であり、またそうする  ことで私の子孫(天皇・皇室)が栄えることは永遠である~  

  • 日本史の「異国」09 先人は手足一致で歩いた?

    ~右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して前に進む歩き方~ これが、いわゆる「ナンバ歩き」と呼ばれる歩行法の説明です。 もっともこの文章だけの説明だけでは分かりにくいでしょうから、 ついでのことに参考画像も補足…

  • 日本史の「冗談?」19 建前揃えの軍事政権

    ~軍隊の力を背景に、軍人が政治権力を掌握して支配する政府の形態~ これが「軍事政権」に対する一般的な説明です。 もしそういうことなら「江戸幕府」(1603-1867年)という存在もまた その「軍事政権」に該当しそうです。 戦を勝ち抜くことで他の存在を屈服させ、その上に樹立された政権だから です。  

  • 日本史の「偶然」02 禍災は不徳がもたらす

    昨2019年12月に中国武漢市に始まり世界中へ拡散した、いわゆる 「新型コロナウイルス感染症」に対して、つい最近、国内外のこんな 動きが伝えられました。 ~首相が、私立を含め全国全ての小中学校・高校・特別支援学校に、  3月2日から春休みに入るまで臨時休校とするよう呼び掛けた~ これが日本国内の動き(2020・2・27)で、さらには世界の動きとし…

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