日本最古の古事記を現代文に直してみました。
今、世の中は不透明な時代と言われています。国際化時代と云われる中で、自分の所属している日本のこころを失った若者は目にも自信が無く、精彩を欠いているように思われませんか。
そこに現れましたのがワタツミノカミの女(みむすめ)トヨタマヒメの使いの娘達が玉器(たまもひ)を抱えて水を酌(く)もうとする時、井戸に光りが射し、仰ぎ見ますと麗しい壮夫(をとこ)が見えました。 甚異奇(いとあや
ホヲリノミコトは兄のホデリノミコトに大切な十挙剣(とつかのつるぎ)を潰して五百針(いほはり)をこしらえて償いました。 しかし、代わりの針では受け取って貰えませんでした。亦、一千針(ちばり)をこしらえて償いま
いよいよご出産の時には、その産屋に火を放ってご出産なさいました。 その火の盛んに燃える時に生(あ)れませる子(みこ)の名(みな)は、ホデリノミコト、ハヤビトアタノキミの祖(おや)。次に生(あ)れませる子(みこ)の
アマツヒダカヒコホノニニギノミコトは、笠沙御前に、麗き(かおよき)美人(おとめ)にお会いなさいました。貴女は誰が女ぞ(たがむすめぞ/どちらのお嬢さんですか) と、お問いに成られました。すると女(むすめ)はオオ
アマテラスオオミカミはおっしゃいました。 次に、いずれの神を遣(つか)わすべきで有ろうか。思金神(おもいかねのかみ)他様々な神がおっしゃいました。 天安河(あめのやすのかわ)の河上(かわかみ)の天石屋(あめの
私は下界に降る支度をしていましたが、その間に子(みこ)が生まれました。 その名をアメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコトと申します。此の子を降したら宜しいと思います。 とおっしゃいました。
その船を踏み傾けて、天逆手を、青柴垣に打ち付けて隠されました。 そこでオオクニヌシノカミに、お問いに成られました。 「貴方の子コトシロヌシノカミ、他に、代弁者と云うべき子は居ますか。」 すると「我が子
アマテラスオオミカミが仰せられました。 豊葦原(とよあしはら)の、千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあき)の水穂國(みずほのくに)は、我が御子マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコトの治める國である。と
さて、その後スクナビコナの神様は常世の国に渡られました。 ヤマダノソホドと云う神様は歩く事は出来ませんが天下(あめのした)の事は、ことごとくご存知でいらっしゃいました。オオクニヌシノカミは憂いに為られま
ハヤスサノヲノミコトは、これより宮を建てるべき永住の地を求められて、出雲國に至りました。 須賀と云う土地にお出でに成られ申されました。 「我が御心すがすがし」 とおっしゃいました。 そこにお宮をお建て
ミコトは、クシナダヒメを妻として、お二人の間にお生まれに成られたのが、ヤシマジヌミノカミでした。またの名をオオクニヌシノカミ、オオナムヂノカミとおっしゃいます。 またの名をアシハラシコヲノカミ、そして
門毎に八つのさづき(仮床/さじき(桟敷))を結び付け、 そのさづき毎に酒船を置き、 船毎に八塩折酒を置いて待つ様に命じられました。 二人は云われるままに仕度をして時を待つと、 八俣遠呂智がやって来た。
ハヤスサノヲノミコトは、高天原を追われて、 出雲國(いずものくに)の肥河上(ひのかわかみ) 鳥髪(とりかみ)と云う所に降り立ちました。 近くに川が流れていました。ミコトが気づくと、 一本の箸が流れてきます。
そしてすき間からお顔を覗かせに成られた拍子に、石屋戸の陰に身を潜んで居たアメノタヂカラヲノカミはアマテラスオオミカミの御手(みて)を、お取りになり、さっと石屋戸の中より連れ出されました。 この時とばかり
上枝(はつえ)に八尺勾玉を飾り、中枝(なかつえ)には、八尺鏡を飾り、下枝(しつえ)には、白丹寸手青丹寸手(しらにぎてあをにぎて)を飾り付けました。アメノコヤネノミコトの祝詞と共にアメノタヂカラヲノカミは岩戸の
すると高天原は、まっ暗闇になり葦原中國(あしはらのなかつくに/地上世界)も闇夜の様に暗くなりました。ここに萬神(よろずのかみ/たくさんの神霊)の叫び声は狭蠅なす(さばえなす/蠅や蚊の羽音の様な煩い)萬の妖(
「ブログリーダー」を活用して、hihumi33さんをフォローしませんか?