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  • 北条義時打倒を企てた泉親衡と祇園祭の長刀鉾

    長刀鉾は、祇園祭の「前祭巡行」の先頭を行く鉾。三条宗近が愛娘の病気平癒を願って祇園社(八坂神社)に奉納した長刀を立てたことから「長刀鉾」と呼ばれているのだとい…

  • 園城寺を復興させた源実朝

    園城寺『吾妻鏡』によると、園城寺と源氏の関係は・・・源頼義の子・快誉は開山の智証大師円珍の弟子。三男の義光は鎮守の新羅明神で元服。嫡男の義家は行観に帰依。娘の…

  • 2022道灌まつり~太田道灌と北条政子の行列~

    「道灌まつり」は伊勢原市の観光イベント。伊勢原市で生涯を閉じた戦国武将・太田道灌にちなんで付けられた名称です。「太田道灌公鷹狩り行列」、「北条政子日向薬師参詣…

  • 鎌倉に下向した園城寺の公胤と源実朝

    園城寺1209年(承元3年)9月29日、源実朝の招きによって園城寺の公胤が鎌倉に下向します。宿は二階堂行光邸。宿直は、佐々木広綱が担当しました。10月10日、…

  • 和田義盛の菩提寺~三浦:来福寺~

    来福寺は、和田義盛が鎌倉の名越に創建した寺院。和田合戦後、義盛ゆかりの和田の里に移され、さらに現在地に移されたのだといいます。本堂には、室町時代の作と伝えられ…

  • 源頼朝像と源実朝像が伝えられる甲斐善光寺

    甲斐善光寺は、武田信玄が上杉謙信との川中島の戦いで信濃善光寺が焼失してしまうことをおそれ、信濃善光寺の本尊(善光寺如来)を甲斐国に移してきたことに始まります(…

  • 石和八幡宮~武田信光が鶴岡八幡宮を勧請した弓馬術の聖地~

    笛吹市の石和八幡宮は、武田信光が鶴岡八幡宮を勧請した社。武田信光は、甲斐源氏五代当主。甲斐武田氏の二代当主。石和荘に館を構え、甲斐武田氏の礎を築きました。石和…

  • 源実朝の前でアオサギを射て許された吾妻四郎助光

    吾妻四郎助光は、『吾妻鏡』に弓の名手として登場する人物。1204年(元久元年)正月の御弓始めに和田胤長・榛谷重朝・諏方盛澄・海野幸氏・望月重隆とともに射手に選…

  • 梶原家茂を殺害した土屋宗遠

    『吾妻鏡』によると・・・1209年(承元3年)5月20日、源頼朝の法華堂で梶原景時とその一族のための仏事が営まれました。その理由は・・・御所内で怪異な現象が起…

  • 重忠節~鎌倉武士の鑑:畠山重忠~

    国は武蔵の 畠山武者と生まれて 描く虹剛勇かおる 重忠にいざ鎌倉の ときいたる平家追い討つ 一の谷愛馬三日月 背に負えばそのやさしさに 馬も泣くひよどり越えの…

  • 誅殺された畠山重忠の末子・重慶

    慈光寺(埼玉県ときがわ町)畠山重忠の末子・重慶は、1205年(元久2年)、父の重忠が北条時政の謀略により武蔵国二俣川で討死すると、慈光寺に登って別当を勤めたの…

  • 畠山重忠終焉の地

    畠山重忠公碑1205年(元久2年)6月22日、畠山重忠は北条時政の謀略により二俣川で討たれました。横浜市旭区内には、重忠ゆかりの史跡が多く残されています。首塚…

  • 源実朝の勘気を解いた東重胤の和歌~北条義時に相談したら・・・~

    東重胤(とうしげたね)は、千葉氏の一族・東胤頼の子(千葉常胤の孫)。和歌に優れ、源実朝の寵愛を受けた武将。☆ ☆ ☆ ☆ ☆『吾妻鏡』によると・・・1206年…

  • 大江広元の館跡という噂!八王子市:廣園寺

    廣園寺(こうえんじ)は、1389年(康応元年)に創建された臨済宗南禅寺派の寺院。創建者は大江広元の子孫大江師親。1213年(建暦3年)の和田合戦後に横山荘を手…

  • 八王子の総鎮守:八幡八雲神社

    八幡八雲神社は、武蔵七党の一つ横山党の本拠地だった多摩郡横山荘(現在の八王子市)に創建された神社。横山党は、武蔵国や相模国に割拠した同族的武士団で秩父氏・梶原…

  • 畠山重忠の菅谷館~嵐山町~

    武蔵国男衾郡畠山(現在の深谷市)で生まれた畠山重忠は、やがて、鎌倉街道の要衝にあたる菅谷(現在の比企郡嵐山町)の地に移ります。国の史跡に指定されている菅谷館跡…

  • 畠山重忠の生誕地~深谷市畠山~

    畠山館跡畠山重忠は、1164年(長寛2年)、武蔵国男衾郡畠山の地で誕生。畠山氏は秩父一族で、重忠の父重能がこの地に進出して畠山を名乗りました。館跡は、北条時政…

  • 源実朝が暗殺されたのは大石段の13段目?~鶴岡八幡宮~

    三代将軍源実朝は、1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式の後、甥の公暁に暗殺されました。その場所が、大石段の13段目(下から数えて)とい…

  • 秩父武綱と源氏の白旗と畠山重忠

    畠山重忠の高祖父・秩父武綱は、武蔵国秩父郡吉田郷に吉田城を構えて秩父牧を支配した武将。源頼義・義家父子にい、1051年(永承6年)の前九年の役では頼義から源氏…

  • 2022小出川彼岸花まつり

    藤沢市、寒川町、茅ヶ崎市を流れる小出川沿いには、約3㎞にわたって彼岸花が咲きます。2022年の彼岸花まつりは9月24日(土)。小出川沿いには多くの寺社が多くあ…

  • 畠山重忠の乱と足立遠元

    『吾妻鏡』によると・・・足立遠元は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に参じ、最初に所領を安堵された武将。遠元の所領は武蔵国足立郡。☆ ☆ ☆ ☆ ☆120…

  • 咳の病気を治す六郎さま~畠山重保の墓~

    鶴岡八幡宮の一の鳥居の横にある大きな宝篋印塔は、畠山重保の墓と伝えられています。高さ3.4メートルを超えるもので、塔の基礎に「明徳第四 癸酉霜月三 日大願…

  • 潔く戦うことが武士の本懐~畠山重忠の乱~

    1205年(元久2年)6月22日、北条時政の策謀により、本拠地の武蔵国の菅谷館から鎌倉へ向かう途中で幕府軍に攻められた畠山重忠は、郎従から本拠地に退くよう進言…

  • 盟友安達景盛との戦い~畠山重忠の乱~

    『吾妻鏡』によると・・・1205年(元久元年)6月22日、畠山重忠討伐のため、北条義時・葛西清重・千葉常秀・大須賀胤信・国分胤通・相馬義胤・東重胤・足利義氏・…

  • 武蔵国留守所惣検校職と畠山重忠の乱

    畠山重忠像(深谷市:畠山重忠史跡公園)武蔵国留守所総検校職は、武蔵国の武士団の統率権・動員権を持った在庁官人のトップ。秩父重綱が就いて以後、秩父重隆・河越重頼…

  • 鶴岡八幡宮例大祭:9月14日~16日

    1187年(文治3年)8月15日に、源頼朝が催した放生会を起源としているという鶴岡八幡宮の例大祭。現在は、新暦に換算して9月14日から16日に行われています。…

  • 畠山重忠の先祖・秩父氏の本拠地に鎮座する椋神社

    椋神社は、畠山重忠の先祖秩父氏が本拠とした秩父市下吉田に鎮座する神社。深谷市の重忠の生誕地にある井椋神社は、この神社が勧請されました。境内の八幡宮は秩父氏館の…

  • 畠山重忠の先祖・秩父氏の館跡

    武蔵国秩父郡吉田郷を本拠とした秩父氏の館跡。秩父氏は重綱がの「武蔵国留守所惣検校職」に就き、武蔵国内の武士を統率・動員する権限を持って勢力を伸ばします。やがて…

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