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  • まんだら堂やぐら群~2024初夏の限定公開~

    まんだら堂やぐら群初夏のまんだら堂やぐら群の限定公開は、以下のとおり予定されています。公開期間令和6年4月20日(土) ~6月2日(日)※土・日・月・祝…

  • 光る君へ 越前 大河ドラマ館

    「光る君へ 越前 大河ドラマ館」は、武生中央公園にある屋内催事場「しきぶきぶんミュージアム」内に開設されています。まひろが裳着の儀式で着た衣裳為時の居室と書道…

  • 鎌倉ビーチフェスタ2024

    鎌倉ビーチフェスタは、由比ヶ浜海岸で開催される海の楽しさを体験する祭。2024年は5月25日(土)・26日(日)。☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  • 越前和紙で作られた紫式部の越前下向行列~紫ゆかりの館~

    「紫ゆかりの館」は、 紫式部が青春時代を過ごした越前武生に2021年オープンした資料館。館内には、紫式部の越前下向行列の模型が置かれています。 模型の人形・…

  • 紫式部が詠んだ越前富士

    「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」越前富士とも呼ばれる日野山は、越前で暮らした紫式部が眺めていたという山。紫式部公園の紫式部像の…

  • 紫式部像のレリーフ~越前武生:紫式部公園~

    藤原為時と紫式部996年(長徳2年)、越前守として武生の国府に赴任する父藤原為時に同行した紫式部。この情景は武生に向かう国司の一行が木ノ芽峠あたりで休息してい…

  • 紙の神を祀る岡太神社~紫式部が下向した越前~

    岡太神社は、紙祖神の川上御前を祀る神社。川上御前は里人に紙漉きの技術を伝えたという女神。紫式部が下向した越前は和紙の産地。日本初の全国通用紙幣「太政官札」…

  • 石山寺の源氏の間~紫式部が源氏物語を書き始めた部屋~

    源氏の間1004年(寛弘元年)、紫式部は石山寺に参籠。琵琶湖に映る月を眺め『源氏物語』の着想を得たのだといいます。本堂にある源氏の間で書き始めたのは「須磨・明…

  • 源雅信・源倫子が葬られた仁和寺

    仁和寺は、宇多天皇・祖父の敦実親王ゆかりの寺院。敦実親王の三男源雅信、その娘源倫子は仁和寺に葬られました。紫式部の『源氏物語』~若菜上~で光源氏の兄・朱雀院が…

  • 八重姫の梯子供養~伊豆の国市:真珠院~

    父の伊東祐親が大番役で在京している間に、流人だった源頼朝と恋仲となった八重姫。千鶴丸という男児も授かりますが・・・それを知った父祐親は許さず、千鶴丸を殺害し、…

  • 賀茂神社の斎王(斎院)~葵祭~

    斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。嵯峨天皇(桓武天皇の第二皇子)が即位した翌年の810年(弘仁元…

  • 2024春:かまくら長谷の市

    2024年から春の長谷の市は4月に行われることになりました。開催日は4月21日(日)。メイン会場は長谷寺。9:00~16:00朝市は光則寺。8:00~11:0…

  • 賀茂斎院歴代斎王神霊社~葵祭・下鴨神社~

    賀茂斎院歴代斎王神霊社下鴨神社の賀茂斎院歴代斎王神霊社は、2018年(平成30年)、式年遷宮事業の一環として再興されました。斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨…

  • 唐人を見に行くと言っていた藤原宣孝

    「春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな」越前国へ下向した紫式部に「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」言っていた藤原宣孝(のちの…

  • 琵琶湖の鮒を下鴨神社に献上する祭事~葵祭~

    平安時代、琵琶湖の西岸・堅田の地は下鴨神社の御厨でした。堅田の人々は、琵琶湖の鮮魚を献上するかわりに雑役の賦課が免除されていたのだといいます。葵祭の前日(5月…

  • 雪深い越前から都へ帰りたい・・・紫式部

    紫式部歌碑(越前市 蔵の辻)「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」父・藤原為時とともに越前武生で暮らした紫式部が「早く都へ戻りたい…

  • 唐崎社紅葉橋遙拝所~斎王の禊の社・下鴨神社~

    紅葉橋遥拝所唐崎社は、賀茂斎王が退下した際、解齋(お祓い)のために参拝していた社。現在は井上社に合祀されています。賀茂斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神…

  • 越前での初雪~都を思い出す紫式部~

    紫式部公園歌碑「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が初めて迎えた冬・・・初雪が降った…

  • 東大寺の大仏造立と石山寺の如意輪観音

    東大寺の大仏743年(天平15年)、聖武天皇は「大仏造顕の詔」を発しますが・・・東大寺の大仏造立にあたっては表面に金を施すため大量の黄金が必要でした。聖武天皇…

  • 藤原為時が一条天皇に奏上した漢詩~越前守となった為時~

    996年(長徳2年)正月の除目で淡路守となった藤原為時。しかし、為時は越前守を望んでいたため一条天皇に申文を奏上します。その中にあったのが「苦学寒夜、紅涙霑襟…

  • 石山寺と紫式部展~紫式部をめぐる人々~

    紫式部は石山寺で『源氏物語』を書き始めたと伝えられています。「紫式部をめぐる人々」では、『石山寺縁起絵巻』の石山詣や紫式部の肖像画、同時代に活躍した人々の和歌…

  • 鎌倉で舞った静御前

    静先ず歌を吟じ出して云はく吉野山峯ノ白雪フミ分テ、入ニシ人ノ跡ゾコヒシキ次に別物の曲を歌う之後、又和歌を吟じて云はく、シヅヤシヅ~ノヲダマキクリカヘシ昔ヲ今ニ…

  • 石山寺~清少納言・紫式部が詣でた観音霊場~

    石山寺は、聖武天皇の勅願で良弁によって開かれた観音霊場。平安時代には石山詣が盛んに行われました。紫式部が『源氏物語』を書き始めた寺として知られ、藤原道綱母の『…

  • 松原客館~越前国敦賀と紫式部~

    気比の松原松原客館は、平安時代前期に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。気比の松原付近にあったといわれています。気比神宮…

  • 賀茂祭(葵祭)で選子内親王に孫を見せた道長

    1010(寛弘7年)4月の賀茂祭でのこと。一条大路の桟敷で斎王の行列を見物していた藤原道長は・・・桟敷の前を過ぎる選子内親王に二人の孫(のちの後一条天皇と後朱…

  • 越前国武生~紫式部が行った遠くの国~

    紫式部公園996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国へ。紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。紫式部公園のある武…

  • 賀茂祭の斎王や藤原道長が祓で出かけた唐崎神社

    琵琶湖の西岸に鎮座する唐崎神社は、賀茂祭(葵祭)を主宰した斎王が退下したときに参拝したともいわれている社。古くから祓の霊場として知られ、平安時代には「七瀬…

  • 京都:葵祭~清少納言が紫式部が、大江広元が九条頼経が・・・~

    葵祭(あおいまつり)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼。清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』にも描かれた王朝行事。古くは賀茂…

  • 木ノ芽峠を越えて~紫式部、越前への旅~

    996年(長徳2年)、藤原為時とともに越前国への旅に出た紫式部。都から近江国に入り琵琶湖を渡って深坂峠を越えて敦賀に達しました。敦賀からは木ノ芽峠を越えて武生…

  • 鎌倉の桜

    段葛段葛は鶴岡八幡宮の参道。源頼朝が平安京の朱雀大路を模して造った若宮大路中央の一段高い道。源氏池鶴岡八幡宮の源氏池は、源頼朝が放生池として造営。春ぼたん源氏…

  • 源範頼の蒲ザクラPRイベント

    東光寺にある石戸蒲ザクラは、源範頼の杖が根付いたものといわれ、国の天然記念物に指定されている古木。石戸蒲ザクラ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆~桜の次はア…

  • 義高の鯉のぼり2024~大姫が恋した木曽義高の供養~

    1183年(寿永2年)3月、11歳の時に人質として鎌倉に送られた木曽義仲の嫡男義高。源頼朝の娘大姫の許嫁として鎌倉で過ごしていましたが、翌年1月、父の義仲が粟…

  • 越前国一宮・気比神宮~紫式部、越前への旅~

    気比神宮は北陸道の総鎮守。越前国の一宮。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。気比神宮は、1945年…

  • 深坂峠を越える時に詠んだ歌~紫式部、越前への旅~

    996年(長徳2年)、越前へ下向するため塩津山(深坂峠)を越えていったといわれる紫式部。そのときに詠んだのが・・・「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふ…

  • 日本一の静の舞~静御前が源義経と出逢った神泉苑の雨乞い伝説~

    神泉苑は、雨乞いの霊場であり、疫病が流行した際には御霊会が修されてきた霊場。池に架かる朱塗りの橋は法成橋。源義経と静御前が出会った場所と言われています。5月2…

  • 賀茂祭の斎王や藤原道長が祓で出かけた唐崎神社

    琵琶湖の西岸に鎮座する唐崎神社は、賀茂祭(葵祭)を主宰した斎王が退下したときに参拝したともいわれている社。古くから祓の霊場として知られ、平安時代には「七瀬…

  • 琵琶湖北端の塩津神社と祭神の塩土老翁神

    越前へ下向する紫式部が参拝したという塩津神社の主祭神は塩土老翁神。この地域には塩池があって製塩業が行われ、その者たちが塩土老翁神を祀ったことにはじまるのだ…

  • 塩津浜に上陸~紫式部、越前への旅~

    塩津浜996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国武生へ下向します。都を発った一行は逢坂の関を越えて大津へ。大津の打出浜から船出して…

  • 葵祭と斎王と賀茂斎院(紫野斎院)

    葵祭は平安時代から続く祭事。上賀茂神社と下鴨神社の例祭です。祭の見どころは路頭の儀(行列)。特に斎王代の行列が人気のようです。斎王代とは、かつて賀茂神社に奉仕…

  • 三尾崎で見た景色・白鬚神社歌碑~紫式部、越前への旅~

    紫式部歌碑(白鬚神社)996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向するため打出浜から船出した紫式部は・・・三尾崎で網を引く漁師の姿を見ます。そして、…

  • 近江の白鬚神社と倭姫命

    白鬚神社琵琶湖の西岸の白鬚神社は近江国最古の大社。創建者は、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命。『日本書紀』によると・・・倭姫命は、天照大神を伊勢の地に祀ったとされ、…

  • 琵琶湖の打出浜から船出~紫式部、越前への旅~

    打出浜996年(長徳2年)、越前国へ下向するため父の藤原為時とともに都を発った紫式部は、逢坂の関を越えて大津へ。そして、琵琶湖の打出浜から船出し、湖西を渡って…

  • 葵祭~清少納言や紫式部も見た賀茂神社の祭礼!~

    葵祭(あおいまつり)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼。清少納言や紫式部も見た五穀豊穣を祈願する王朝行事。5月15日の路頭の儀では…

  • 近江の海へ~紫式部、越前への旅~

    逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前へ下向するため京を発った紫式部は逢坂の関を越え…

  • 鎌倉一の大きな山門の楼上が特別公開されます。~光明寺~

    3月30日(土)から光明寺の山門楼上が公開されます(5月6日(月)まで。)。釈迦三尊像四天王像十六羅漢光明寺山門光明寺の山門は、鎌倉で一番大きな山門。間口16…

  • 紫式部、海の見える国へ

    996年(長徳2年)正月、紫式部の父藤原為時が越前国司に任命されます。紫式部は、為時に同行して越前国へ下向するため都を発ちます。夏の事だったといわれています。…

  • 新五千円札の顔は津田梅子~藤と梅子と鎌倉~

    2024年(令和6年)7月3日発行予定の新五千円札の肖像画は津田塾大学を創設した津田梅子。裏面は古くから親しまれてきた「藤の花」。清少納言は『枕草子』に「藤の…

  • 長々と声を引いて歌を詠む~鶴岡八幡宮の献詠披講式~

    被講とは、詩歌に曲節をつけて詠み上げること。清少納言は『枕草子』に「長やかに詠み出づ」長々と声を引いて歌を詠む)と記しています。鶴岡八幡宮で行われる「献詠披講…

  • 妙本寺のソメイヨシノが開花を始めています。2024/03/25

    開花宣言はできませんが・・・妙本寺のソメイヨシノが開花を始めました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆3月24日のウェザーニュースのソメイヨシノ開花予想によると・・・源氏山公…

  • 2024源頼朝旗挙げ武者行列~湯河原町~

    2022年の土肥祭2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。「源頼朝旗挙げ武者行列」では、湯河原町出身の船越英一郎さんが源頼朝役、「鎌倉殿の13人」に出演さ…

  • 2024金王八幡宮の金王桜まつり~源頼朝の憂忘桜~

    東京渋谷にある金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸の名がつけられた神社。金王丸は、源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物ともいわれます。そして、社殿前に植えられて…

  • 八重姫の梯子供養~伊豆の国市:真珠院の八重姫まつり

    真珠院の八重姫の梯子供養は、真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を「せめて梯子あったら救うことができたのに」という里人の想いから始められたという祭。毎年、4月第二日曜日…

  • 2024鎌倉のソメイヨシノ開花予想

    3月21日のウェザーニュースのソメイヨシノの開花予想によると・・・源氏山公園は3月30日段葛(鶴岡八幡宮参道)は3月30日源氏池(鶴岡八幡宮)は4月1日となっ…

  • 小田原おでんサミット2024~花見をしながら・・・~

    全国ふるさとおでん大集合!食べて!遊んで!お花見しましょう!3月21日発表のウェザーニュースによると、小田原城址公園のソメイヨシノの開花は3月27日。花見にち…

  • 開成町あじさいまつり2024

    開成町のあじさいの里は、田植えを終えたばかりの水田とアジサイの風景を楽しむことができる所。農道や水路沿いで約5000株のアジサイが植栽され、毎年「開成町あじさ…

  • 七猿の歌

    つらつらと うき世の中を思うにはまじらざるこそまさるなりけれ見聞かでも いわでもかなわざるものをうき世の中にまじるならいはつれもなく いとわざるこそうかりけれ…

  • 庚申の日の夜は眠らない

    古くからの言い伝えでは、人間の体の中には3種類の悪い虫(三尸)が棲んでいて、庚申の日には、寝ている間にその者の悪事を天帝に報告に行くのだそうです。ならば・・・…

  • 曲水の宴~平安貴族の遊興~

    曲水の宴(きょくすいのえん)は、3月上巳の日(のちに3月3日)に行われていた宮中行事。旧暦の3月は現在の4月上旬から中旬。桜のシーズンでもあることから花見の宴…

  • 鶴岡八幡宮の「漢竹・呉竹」と清少納言の「この君」

    漢竹・呉竹鶴岡八幡宮の漢竹(右)・呉竹(左)は京都御所の清涼殿のものを模したもの源氏池畔の神苑ぼたん庭園に置かれています。漢竹は、府中の大国魂神社の矢竹を株分…

  • 別願寺の一夜菜稲荷~疫病から人々を救った鎌倉の稲荷神~

    伝承によると、名越で疫病が流行った時、ある者の夢の中に佐助稲荷の化身という白髪の老人が現れ、「祠の前に菜種を蒔いて、それを服用すれば必ず効験がある」と告げられ…

  • 桜花盛久~庚申の夜、北条泰時らは洪水なのに和歌会~

    『吾妻鏡』によると・・・1237年(嘉禎3年)3月9日、庚申の日。鎌倉は豪雨。終日降りやまず、亥刻(午後10時頃)には洪水。そんな中、御所では和歌会が催されま…

  • 日本の自生アジサイ展で日本原産の花を愉しむ

    毎年、大船フラワーセンターで開催されている「日本の自生アジサイ展」は・・・5月21日(火)~5月26日(日)の予定。全国に自生するアジサイが展示されます。☆ …

  • 七猿の歌

    つらつらと うき世の中を思うにはまじらざるこそまさるなりけれ見聞かでも いわでもかなわざるものをうき世の中にまじるならいはつれもなく いとわざるこそうかりけれ…

  • 鎌足桜~藤原鎌足と鎌倉と藤原氏~

    鎌足桜「鎌倉」という地名の由来については、いつくかの説があるようですが、浄妙寺の鎌足稲荷社の伝説もその一つにあげられます。藤原鎌足は鹿島神宮に参詣する途中、鎌…

  • 摂政になった藤原兼家

    986年(寛和2年)の寛和の変で花山天皇が退位し、一条天皇が即位したことで藤原兼家は摂政となりました。関白太政大臣だった藤原頼忠は、関白の地位は失いますが、太…

  • もし、この世に桜がなかったら

    世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし在原業平は・・・「桜がなければ、咲いたか?散ったか?と思い煩うことも悩むこともないのに・・・」と詠みました。…

  • 鎌倉と桜:一重と八重の花が混生する鎌倉桜

    極楽寺の本堂前に植えられているのは、一重と八重の花が混生する「八重一重咲分け桜」。室町時代に京都御所の紫宸殿に植えられて「鎌倉桜」といわれた「桐ヶ谷」です。八…

  • 花は桜木、人は武士~義経桜と重忠桜~

    「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」これは、室町時代の禅僧・一休宗純の名言。花は桜がすばらしい。そして、ぱっと咲いてぱっと散る桜…

  • 鎌倉の桜は神の国に咲く神の花。

    桜は「サの神」が降臨すると咲くらしい。桜の「サ」は、サ神の「サ」。「クラ」は、神が座る所。という言い伝えも。サ神は田の神・稲の神。田植えが近くなると山から里へ…

  • 2024極楽寺の仏生会~秘仏本尊開帳・忍性墓公開・花まつり~

    仏生会では、本尊の清凉寺式釈迦如来立像が開扉されます。京都清凉寺の「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもので、扇ヶ谷にあったいう新清凉寺釈迦堂の本尊であったともい…

  • 鎌倉と桜:ビャクシンの代わりのソメイヨシノ

    建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。蘭渓道隆は、宋から持ってきたビャクシンの種を植えたのだといいます。現在、山…

  • 北條五代祭り~2024年は60周年記念~

    「北條五代祭り」は、戦国大名・後北条氏五代を称え偲ぶ祭り。北条氏五代とは、初代早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直。武者行列のパレードが市内を勇壮に練…

  • 鎌倉と桜:源頼朝が造った鎌倉の朱雀大路

    1182年(養和2年)、源頼朝は北条政子の安産祈願のため、鶴岡八幡宮の参道・若宮大路を築きます。若宮大路は、鶴岡八幡宮を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を模して…

  • 源実朝の歌と陸奥国塩竈

    「陸奥は いづくはあれど 塩釜の 浦こぐ舟の 綱手かなしも」『古今和歌集』にあるよみ人しらずの歌。三代将軍源実朝は、この歌を本歌取りしてこう詠みました。「世の…

  • 鎌倉と桜:実朝と坊門姫

    「桜花ちりかひかすむ春の夜のおぼろ月夜のかもの川風」1217年(建保5年)3月10日夕方、源実朝は牛車に坊門姫を乗せて永福寺の桜を見に出かけます。花見の後、二…

  • 藤原道隆は赤染衛門の姉妹と恋仲だった。

    赤染衛門歌碑藤原道隆は、まだ少将だった頃、赤染衛門の姉妹のところに通っていたらしい。やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかなこの歌は、藤原…

  • 鎌倉と桜:源頼朝が造った源平池

    1182年(寿永元年)、源頼朝は鶴岡八幡宮の弦巻田と呼ばれていた水田を池にします。その池が源平池(源氏池と平家池)。源平池の造営を担当したのは、伊豆山権現の専…

  • 帰去来辞~まひろの漢詩と源氏物語:光る君へ第10話~

    既自以心為形役(既に自ら心を以て形の役と爲す)奚惆悵而獨悲(奚ぞ惆悵して獨り悲しむ)「これまで自分の心を犠牲にしてきたのだから、もうくよくよ悲しんでいる場合で…

  • 古今和歌集~光る君へ第10話~

    「光る君へ」第10話では、道長がまひろに『古今和歌集』の和歌を贈っていました。平安貴族にとって『古今和歌集』を暗記することは、教養の一つされていました。☆ ☆…

  • 鎌倉と桜:愛する義経を想う静御前

    1186年(文治2年)4月8日、鶴岡八幡宮で見事な舞を披露した静御前。鎌倉で愛する源義経の子を出産しますが、男児だったため源頼朝の命により由比ヶ浜に捨てられま…

  • 鎌倉と桜:源頼朝の花見

    大倉幕府跡1184年(寿永3年)4月4日、源頼朝の御所の桜が満開となり、鮮やかな風情となりました。頼朝は、姉坊門姫の夫一条能保を誘って花見を楽しみます。平時家…

  • 鎌倉と桜:源頼朝を挙兵に導いた源頼政

    「花咲かば告げよと言ひし山守の来る音すなり馬に鞍おけ」桜の花が咲いたら知らせよと命じていた山守がやって来る音(蹄の音)がする。桜が咲いたらしい。鞍の用意をいた…

  • 梅雨ばかりなどに鎌倉にありく、いとをかし~鎌倉のアジサイ~

    清少納言は『枕草子』に、 「五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし」(五月頃に山里を歩き回るのは、とても趣があると記しています。旧暦の5月は新暦の5月下旬か…

  • 鎌倉と桜:比企邸の花見の宴

    おそらくですが、鎌倉で一番早くソメイヨシノが開花するのは、妙本寺なのかも。ここ数年は、東京や横浜と同じかやや早く開花しています。妙本寺がある比企ヶ谷は、源頼朝…

  • 京都:常徳寺~清少納言・常盤御前ゆかりの知足院~

    常徳寺常徳寺は、賀茂祭で斎王の還御の行列が通る道筋にあった知足院を始まりとする寺。知足院は、清少納言の『枕草子』にも登場。斎王の還御の行列では、知足院や雲林院…

  • 中宮・藤原定子のための枕草子!清少納言の桜はいつも満開!

    清少納言は『枕草子』の「節は五月にしく月はなし」の段にこう書き記しています。「さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある」(毎年のことだからといって、…

  • 道隆が定子のために設えた造花の桜~清少納言『枕草子』~

    994年(正暦5年)2月21日、藤原道隆は積善寺で、一条天皇の生母・藤原詮子や中宮・藤原定子の隣席のもとで一切経供養を行いました。この時、定子は参列のため内裏…

  • 検非違使と放免~光る君へ第9話~

    「光る君へ」第9話で道長が直秀を預けた検非違使は、平安京の治安を維持するために設置された検非違使庁の役人。監視・逮捕・裁判などを行い、別当(長官)・佐(次官)…

  • 花山天皇に出家を勧めた安倍晴明~「光る君へ」第9話~

    「光る君へ」第8話で、兼家が倒れて長く寝込んでいましたが、それは晴明と仕組んだことでした。忯子の怨霊が取りついたというのも二人の策略。それは花山天皇を退位させ…

  • 海の見える遠い国~直秀が殺された鳥辺野:「光る君へ」第9話~

    東三条殿に入った盗賊は、散楽一座の直秀らでした。道長は直秀らを検非違使に引き渡し、その後、流罪とするよう頼んでいました。しかし、直秀らは鳥辺野に連れて行かれ、…

  • 源頼朝と雛まつりの起源となった上巳の節句~鶴岡八幡宮では舞楽や流鏑馬が~

    『吾妻鏡』によると・・・鶴岡八幡宮で行われた上巳の節句の法要には、源頼朝も出席していました。1189年(文治5年)3月3日、頼朝参列。舞楽、流鏑馬、相撲などが…

  • 六道の辻の幽霊子育飴~死後に水飴を買いに来た女~

    昔、六道の辻に一件の飴屋があった。ある夜のこと、表の戸をたたく音がするので主人が外へ声をかけると、かすかな声で「飴をいただきにまいりました」という返事があった…

  • 実朝桜

    「風さわぐをちの外山に雲晴れて桜にくもる春の夜の月」(山に風が吹き、雲を晴らし、桜に曇って、月が浮かぶ)源実朝が詠んだ歌。実朝桜は、1219年(建保7年)、甥…

  • 花山天皇の女御

    984年(永観2年)、花山天皇が即位。同年・・・藤原為光の娘・忯子は弘徽殿に、藤原朝光の娘・姚子は麗景殿に、藤原頼忠の娘・諟子は承香殿に入って女御となりました…

  • 芥川龍之介が描いた死体の捨て場・平安京の羅城門

    芥川龍之介の『羅生門』は、平安京の朱雀大路の南端にあった羅城門を舞台とした小説。ある男が、仕えていた家を解雇され、盗人にでもなろうとしたのだが、その勇気も出ず…

  • 藤原定子の葬送~六波羅蜜寺から鳥辺野~

    六波羅蜜寺一条天皇の皇后宮・藤原定子は、1000年(長保2年)12月15日、平惟仲の屋敷で媄子内親王を出産した後、翌16に崩御。藤原行成の『権記』によると・・…

  • 上巳の節句と雛まつり~平安時代の流し雛+女子の雛遊び=雛人形~

    3月3日は「雛まつり」。「雛まつり」は、3月上旬の巳の日に、「邪気祓い」のために行われていた「上巳の節句」がその起源だといいます。「上巳の節句」は、平安時代に…

  • 京都:六道の辻~冥界の入口~

    六道の辻六道の辻は、平安京三大葬送地の一つ鳥辺野の入口。 西福寺六道の辻にある西福寺は、空海が鳥辺野の入口にあたる地に地蔵堂を建てたことに始まります。 幽…

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    清水の舞台平安時代、野ざらしにされる死体が多かったことから、化野(あだしの)・蓮台野(れんだいの)・鳥辺野(とりべの)・華頂(かちょう)・西院(さいいん)が葬…

  • 高階貴子は伊勢斎宮の恬子内親王と在原業平の子孫?

    藤原道隆の正妻・高階貴子の曾祖父・高階師尚は、伊勢斎宮の恬子内親王と在原業平の密通によって誕生したという噂があります。貴子の孫・敦康親王(藤原定子の子)は、そ…

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