縄文時代のゆるしの神・・・(8/10 心理学の世界と縄文)
日本にはキリスト教の十字架の贖罪のような強烈なゆるしの思想がないように感じる時があるが、よく考えてみれば「穢れと禊ぎ」といった、もう確実に文化の一部になったかたちでのゆるしの思想が存在するのだと思う。奈良のお水とり、地元でも大国魂神社のくらやみ祭りは品川で海水を取るところから始まる。伊勢神宮の五十鈴川。奈良の室生寺や長谷寺。千手観音を何故か思い出したりもする。穢れを洗い清める。もっと昔の縄文時代のゆるしはどうだったか。当然あるに違いないが、よく分からないできた。しかし縄文中期の図像に関する文献を教えて貰い読んでいると、何となく浮かんでくる。水に関する神、千手観音の原型といった神ではなかったかと妄想している。記紀が出来た7世紀のころは政治的な課題のもと神のゆるしはどうも薄弱になったように感じてならない。本来...縄文時代のゆるしの神・・・(8/10心理学の世界と縄文)
2022/09/28 01:35