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イキイキと生きる! https://blog.goo.ne.jp/hiroyuki-mori051201/

「生き甲斐の心理学」の知恵を活かし、イキイキと毎日を生きましょう。私は縄文小説も楽しんでます!

東京生まれ。7才のときに米国アラスカで暮らす経験をもつ。外資系コンピュータ会社に勤め、52歳で円満退職。その後、生き甲斐の心理学を学び特定非営利活動法人CULLカリタスカウンセリング学会理事兼講師。縄文小説を2017年に上梓し縄文文化の研究もしている。

マリオ
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八王子市
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新宿区
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2011/07/25

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  • 縄文時代のゆるしの神・・・(8/10 心理学の世界と縄文)

    日本にはキリスト教の十字架の贖罪のような強烈なゆるしの思想がないように感じる時があるが、よく考えてみれば「穢れと禊ぎ」といった、もう確実に文化の一部になったかたちでのゆるしの思想が存在するのだと思う。奈良のお水とり、地元でも大国魂神社のくらやみ祭りは品川で海水を取るところから始まる。伊勢神宮の五十鈴川。奈良の室生寺や長谷寺。千手観音を何故か思い出したりもする。穢れを洗い清める。もっと昔の縄文時代のゆるしはどうだったか。当然あるに違いないが、よく分からないできた。しかし縄文中期の図像に関する文献を教えて貰い読んでいると、何となく浮かんでくる。水に関する神、千手観音の原型といった神ではなかったかと妄想している。記紀が出来た7世紀のころは政治的な課題のもと神のゆるしはどうも薄弱になったように感じてならない。本来...縄文時代のゆるしの神・・・(8/10心理学の世界と縄文)

  • 情報過多は五感の力を弱める?・・・縄文から学ぶ (7/10 心理学の世界と縄文)

    人間にとって理性は大事ではあるが、感情もそれに劣らず大事である。そして、感情・喜怒哀楽の世界と切っても切れないのが視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚といった五感。さらに五感は不思議なことに真善美の世界とも深く繋がるようだ・・・さて、その大事な五感であるが、縄文時代の文化に親しんでいる私は、豊かな縄文時代の土器に触れたり遺跡に行ったりする中で、彼らの五感の確かさに感動することが多々ある。彼らの温もりを5000年とかの時の流れを越えて感じることすらある。そんな経験の中から、私達は五感の使い方で本当に健全なのかと時々気になるようになってきた。特に、自分の五感からよりも与えられた情報を大切にしすぎているのでは、と。美術展や音楽会に行っても、絵画や楽曲より先に説明書きやプログラムに触れ、それは良いかもしれないが、過度とな...情報過多は五感の力を弱める?・・・縄文から学ぶ(7/10心理学の世界と縄文)

  • 神仏と親密になる・・今も縄文時代も (6/10 心理学の世界と縄文)

    まだ、銀杏が色づく季節ではないが、真っ黄色な銀杏を見ると、校庭の大銀杏が黄葉し美しかった高校生の時の幸せ感を思い出す。入学し、校風に触れ秋には文化祭などを堪能したりした。祖父も同じ高校に通っていたこともあり入学を喜んでくれたが、美しい秋が過ぎ冬になると老衰で亡くなった。それから卒業までの2年間は良い意味でも悪い意味でも激動の時期だった。当時は学生運動の盛んな時であり、高校でもバリケードが築かれたり、ロックアウトが長期間行われた。高校の印象はあの幸せ感から手のひら返しで、冷たい無力感となってしまった。あれから、半世紀がたつがこの出来事は、私の場合はアイデンティティの問題にも影響したようだ。その一つとし、高校に入ったころは信じていた神仏との関係が変わった。神仏(人によっては哲学)は人のバックボーンして大事なの...神仏と親密になる・・今も縄文時代も(6/10心理学の世界と縄文)

  • 親密になるのを恐れるのは・・今も縄文時代も(5/10 心理学の世界と縄文)

    「生き甲斐の心理学」を20年くらい学んできたが、私と貴方の関係のしかたに過去の心の傷というか、そういったことが原因となり親密になりそうになると避けたりする現象を学んだ。関係は、親子、友人、男女、神仏・・・いろいろあるように思う。また、心の傷?となるような過去の出来事と背後の感情・・疑惑感、罪悪感、劣等感・・もある。年をとってからの傷は、年齢を重ねるうちに思い出して簡単に大人の解釈で、「それも自分の成長の糧になったな」などと思い返したりするが、幼いころのことは、無意識の中で残るものも多いと思う。しかし、記憶に上るものの中には無理のない範囲でのんびり自分と対話をする中で、幼いころに缶詰のように当時の解釈で固定化されイメージを解放することも出来るようであった。今思い出しているのは劣等感に関するものであるが、劣等...親密になるのを恐れるのは・・今も縄文時代も(5/10心理学の世界と縄文)

  • 天国や極楽のイメージは大事・・今も縄文時代も(4/10 心理学の世界と縄文)

    死のイメージ・・これは信じる宗教や信条、あるいは文化によってかなり違うと思う。最近の経験だがFacebookを私はやっているが、時々訃報が届くことがある。その時Facebookではイイネ、超イイネ、かなしいね、などいろいろ感情をクリックして伝えることができるが、例えば米国の方と、日本人とかを比較すると、日本では考えられないかもしれないが、米国の方は訃報に超イイネで応答する方も結構いらっしゃる。さらに、最近は自分も経験あるがペットの死ということもある。私も幼い頃から愛犬など何回か亡くしたが、一人一人捉え方が違うと思うが時には、人間以上にショックで引きずったりする。ペットと死後会えるだろうか。さて、そんな中、恩師U先生から昔紹介された、「天国に行く前に読むと楽しくなる不思議なフシギな天国ガイド」(アンソニー・...天国や極楽のイメージは大事・・今も縄文時代も(4/10心理学の世界と縄文)

  • 美しい怒りを胸に納める・・今も縄文時代も (3/10 心理学の世界と縄文)

    「怒り」について考えている。特に神聖ともいえる怒り。私はカトリックなのであるが、美しい仏像など日本の宗教芸術を見るのが好きだ。穏やかのお顔の仏像もあるが怒る仏像もある。どこだったか奈良のお寺で曼荼羅図を見たが、その時たとえ怒りであっても、その感情の裏には神聖なものがあるように思った。純粋な怒りは美しいのではないだろうか。表面的な体裁を繕った言い訳がましい怒りなど、私を含めた凡人にある怒りと一線を画した怒り。魂(欧米では愛想のもので死ぬと身体から離れる生命体というような定義が多い)の怒りともいえるような。また、怒りの中には何とも言えぬ自己愛の臭いがするような不健全な怒りもある。今の用の中、どうも美しい怒りが何か隠れてしまい、どうも変な怒りが横行するようにも感じる。アンガーマネジメントという言葉があるが、どこ...美しい怒りを胸に納める・・今も縄文時代も(3/10心理学の世界と縄文)

  • 危機を面白おかしく乗り越える・・今も縄文時代も (2/10 心理学の世界と縄文)

    若い頃の写真だが、当時「カタストロフィーの理論」が流行ったことを思い出した。今の社会もそうだが、或日突然に何かが起こり危機がやってくる。それを数学的に研究したものであるが、その難しい理論はともかく、危機とは何かと考えることは大事なことだったと思う。社会の問題も人間の問題に似ているところがあるが、ある種の大きな問題に対して目をつぶることから始まる。自分の頭で考えない。雰囲気で流される。そして或日大変なこと(決壊と仮に呼ぼう)が起こってくる。話を人間に絞ってみよう。自分の人生を考えると、決壊?の一歩手前で気がついて助かったこともあるし、決壊が始まりかけて気がついたこともある。まあ、何とか生き抜いてきたのは、どのような知恵や働きがあったのだろうか。写真のような青春時代は、のんびりと夏休みを沢山の従兄弟と楽しみな...危機を面白おかしく乗り越える・・今も縄文時代も(2/10心理学の世界と縄文)

  • 問題に振り回されない・・今も縄文時代も (1/10 心理学の世界と縄文)

    毎日様々な問題が持ち上がる。特に最近は気象や疫病、物価、政治など身近な問題が頻発し、その影響もあってストレス(理想と現実のギャップ)にまみれる日もある。そんな中、いろいろな問題とどう取り組み、かつ心の健全性を保つかは重要な問題だと思う。まず、どう取り組むかだが、自分の背骨にあたる基本的な考え方(アイデンティティ)が重要で、しっかりしていればブレず、また枝葉末節な問題から逃れることもできる。これは①何のために生きているか②生き甲斐は何か③自分の身体、心(生育史)、魂(宗教の領域)を大切にしているか。という問いかけの三つと関係があるようだ。のんきに妄想するなと言われそうだが、忙しい(心を亡くすが忙しい)時ほど重要な気がする。特に今の時代は変に科学尊重の時代で宗教など時代遅れといった風潮があるが、私はそれはどう...問題に振り回されない・・今も縄文時代も(1/10心理学の世界と縄文)

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