chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
7/2旅人 https://blog.goo.ne.jp/tabibitoalp

山と旅が好きです。その他日々の出来事書いていきます、 あっ猫達や動物達の事も

くわ
フォロー
住所
葵区
出身
葵区
ブログ村参加

2011/07/13

くわさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 04/19 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,222サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
アウトドアブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 13,490サイト
登山 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 2,435サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/19 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,222サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
アウトドアブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 13,490サイト
登山 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 2,435サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/19 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,222サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
アウトドアブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 13,490サイト
登山 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 2,435サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • 五円玉

    五円玉

    今は昔年末年始の日記に書いたが、牧場の仕事を終え。僕は最北端、利尻島、礼文島へ旅立った・・・そしてまた南下、お気に入りの大雪山黒岳へ!紅葉と新雪の大雪山を見て、また感動した。家を出てから、はや4ヶ月そろそろ里心が帰りは小樽から敦賀へフェリーに乗った。もう持ち金は殆ど無い・・・船の切符を買うとお金は、どんどん減っていった。夜敦賀に着いた腹ペコのまま、敦賀の駅まで歩いた。普通乗車券を静岡まで買うと。持ち金は、五円玉一つあ~あ~~敦賀からの終電に間に合った。南へ、そして西へ、静岡に近づくのだ。時刻表も見ずに乗り込んだ。腹がへった_  ̄ ○もう寝るしかないな。電車は誰も乗っていない旅も終わりか腹減ったなあ腹ペコで眠れないはらへったはらへったこころのなかで呟く、なんか楽しくなってきた。そして、まだ二十歳そこそこの僕は涙が...五円玉

  • 尚歯会

    尚歯会

    尚歯会とは?尚歯・・・(歯を大切に)する会。これは、表向き、語学、医学、政治、海防などを議論した頭脳集団だった。メンバーは高野長英、小関三英、川路聖謨、江川英龍etc。その中で、渡辺崋山(登)のお話。日本でも有数の貧乏藩、田原藩1万二千石の家老の長男に生まれた。8人兄弟、あまりの貧乏のため一家は離散状態その責任を幼少の頃から受け止め、苦労を苦労としておもわずに頑張ってきた人だ。渡辺登、貧乏だけど絵が上手かったそれがきっかけでその頃の江戸南画界の最高峰谷文晁の弟子となるその後、絵で少しは生活に潤いが訪れた。彼は勉強家で時代を憂い、長崎留学を試みるが(この頃シーボルトが来ていた)、しかし親族また藩の親戚から止められ断念した。絵で稼いだ金は、自分の家を潤わせ、お酒を飲むことを覚えた。尚歯会と親交を持つ、この頃、海防論...尚歯会

  • キューピット

    キューピット

    さて東アルプスの続き。第二ラウンドのチャンスは、意外と早く訪れた。僕がついた定職は、公休日が少ない職場だった。年末年始も、大晦日まで仕事、当番が回ってくると年始も仕事だったりした。しかし、この年の年末は珍しく30日から年始4日まで休みになった。よし、リベンジだ!大弛峠まで一泊、稜線で一泊、下山まで一泊、予備日を一日。三泊四日の日程で登山口に立った。ところがありゃ、前回あれほどあった雪が、ガクンと少なっていた。拍子抜けだが、兎も角、大弛峠へ。午後、峠に着いた。テント場に一張テントがあった。小屋に受け付けに行くと。爺と若い娘がいた。水を汲みに行くと先程見たテントの住人に逢った。若いお兄ちゃんだった。日も落ちかけてきた・・・隣のテントに声をかけた。よっかたら、飲むかい?あ、はい。良いですね^ー^小屋の自炊場でお兄ちゃ...キューピット

  • 東アルプス

    東アルプス

    日本アルプス北アルプス、中央アルプス、南アルプス。そして東アルプス、いわゆる奥秩父主脈の事である。ここでは、雲取山~金峰山までの主脈縦走路とする。今は昔くわは、冬季にこの主脈縦走を繋げていた。この頃には定職についていたので区切りうちで・・・そして、最後に残ったのは大弛峠から甲武信岳の間だった。甲武信岳~大弛峠。一番アプローチが楽なのは甲武信岳への登山道を登ることなのだが、大弛峠からの下山がどうにもこうにも、悪い。だから僕は冬季閉鎖になっている林道経由で大弛峠を目指した。第一ラウンド、冬季といえるか微妙だが3月の終わり僕は、リングに立った。どうせ林道歩き、一日で大弛峠に着くだろうと思っていた。最初はツボ足・・・・そして、膝上の雪、ワカンを履く。標高が上がるにつれ、雪はどんどん深くなっていく。ワカンを履きで膝上、傾...東アルプス

  • PL107

    PL107

    極地世界最高峰エベレスト世界で一番高い第三の極地だ。そして天体としての極地は、北極と南極だ。登山家達はエベレスト第三の極地を踏むと。次は天体としての極地を目指す。植村直己、ラインホルト・メスナーしかり。日本は1957年。南極観測隊が船で向かった。宗谷PL1071938年進水した老朽船だった。国際地球観測年に合わせ南極観測船として改造。戦争後国を上げてのプロジェクトになった。隊員は殆どは登山家が選ばれた。やっぱり、極地には(過酷な所には、山屋か^ー^)民間企業もその技術を惜しまず、協力した。発電機オイルが凍らない工夫した、風力発電機本田宗一郎(HONDA)寒さの中バッテリーの持ちがいい小型受信機井深大、盛田昭夫(SONY)すべて、無償だった。南極観測隊において頭を悩ませたのは住居だった。命に係る住居、マイナス50...PL107

  • ドッペルゲンガー

    ドッペルゲンガー

    世の中には自分とそっくりな人が存在するという。怖いのは何故か、その相手は自分のことを知っているという事だ・・・今は昔僕は東北の山々を彷徨していた。食料も尽き、疲れ果て日本海沿いの駅にたどりついた。駅に置いてあった姿見の鏡には一人の浮浪者が写っていた。何週間も歩いていたので髪は伸び放題、髭もじゃの凄まじい姿だった。一人のオッチャンが僕を見て話しかけてきた。「あれれ~山いつ降りてきたの~」「今さっきですけど。」「作次郎とこのババは達者かな?」「はあ?よく解らないんだけど。」「なにい、気取っちゃってえ、なに街言葉つかってるの?。」「・・・・・・・・」「・・・・・・・・」「あんちゃん上村の太郎兵衛じゃないのけ?」「いやあ~そっくりだべ・・・・いやあまいった、まいった。」ふふfふ、どうも上村の太郎兵衛さんが僕とそっくりだ...ドッペルゲンガー

  • 声

    僕は声が小さいと思っていた。おだっくい静岡の方言かな、おだてに乗りやすい、ひょうきんそんな意味か。小学校の遠足、今は知らないが、バスガイドのおねえさん、オバハンがいて。目的地の由来の歌なんぞを歌っていた。そして、席を半分に分けて、しりとり歌合戦なんかやったりして。(おだっくい)の僕はマイクを握りしめ先頭になり歌っていた。僕の叔母はスナックをやっていた。時々遊びに行きカラオケをやったりした。酔っ払った客が、まだガキンチョの僕を囃し立て、お兄ちゃんは声が良いね!なんて言ってくれた。そう、そうなの、声が良いの・・・・なんか、それから声がだんだんデカくなった気がする。グレートトラバース3、田中陽希君のファンだ。純真でいい人だと思う。いつも、登山口で彼は言う「よろしくおねがいしますう!」始めてみた時、感動した!忘れていた...声

  • 羽釜

    羽釜

    今は昔僕は、中央アルプス大田切本谷を、仲間二人と空木岳を目指し登っていた。山頂まで小滝がいくつもいくつも、延々と続いた。そして空木岳頂上へ。ここで、仲間二人は下山、僕はそのまま南下し縦走を続ける予定だった。登攀具は下山する彼らに任せ、炊事用具と一泊二日分の食料を背負い。別れを告げた・・・天気は下り坂で、百間ナギの避難小屋に着いた頃にはずぶ濡れになった。入り口に雨水を貯めるためか、お釜が置いてあった。寒い寒い・・・さあ、バーナーを付けてラーメンを作ろう!ザックを開けて中身を出す。ありゃあれえバーナーはあるのだが鍋がない。荷物を分けた時に、確認しなかったのだ。困った。食料はラーメンを一袋。それと僅かばかり行動食だけだ。雨で体が濡れて、寒い。温かいラーメンが食べたい!しかし、鍋は無し_  ̄ ○寒さに体が震えてきた。ラ...羽釜

  • 追悼 矢口高雄さん

    追悼 矢口高雄さん

    今は昔僕は鶴岡市大鳥にいた。大鳥池を経て以東岳へ登るためだ。本来の計画は新潟県側から登るつもりだったが・・・通行止め。仕切り直しで山形県側から大鳥池を目指し登った。今日の泊まり場は大鳥池。そうタキタロウ伝説。矢口高雄さんの「釣りキチ三平の舞台」にもなった大鳥池だ。矢口高雄(漫画家)秋田県出身。前職は、銀行員だった。しかし、漫画家の夢は捨てきれず上京。水木しげるなどに評価される。釣りキチ三平が釣りブームの火付け役となり一躍人気作家となった。2020年11月20日、永眠・・・・僕は、中学校までは釣りが好きだった。でも、それ以降たまに沢で釣りをするぐらいで・・・矢口高雄さんの作品は釣りだけではなく。野生動物、自然を題材とした作品が多い。個人的には「マタギ列伝」が一番好きだ。そうだ!ツツガムシの怖さを知ったのは矢口高雄...追悼矢口高雄さん

  • ささみ

    ささみ

    山へお泊まり。食料は、背負ってきたものだけだ。コンビニやスーパーがあるわけでないので、持ってきたものを食べるしか無い。ある日一泊二日の予定で山に入った。途中コンビニで食料を買い足したビールを買い、おつまみを少々。ミックスナッツともう一品。陳列棚を覗きながら、鳥のささ身の文字が目に入った。そうそう、タンパク質が大事なんだよ~買い物かごに入れた。そして、泊まり場に着いた。テントを張って、ビールを飲む。ミックスナッツを頬張りながら、ビールを飲む。そして、買ってきた。鳥のささ身を食べた・・・うん?さっぱり味、というか味がしない。まあいい、あっさり過ぎて美味いとは言えない。そして、メインディッシュは、ウルトラランチ、ビバークレーションお茶漬け味だ。初めて食べる。アルファ米は出来上がりまで20分、ビバークレーションはたった...ささみ

  • 藪

    藪こぎは、辛いものだ。どんな登山形態でも適期があって。藪こぎは、暑い時期、春の虫が増える時期はやめたほうが良い。真冬の時期は藪こぎ向きなのかな^ー^しかし、地図読みとコンパスは必須!最初は登山道から、5mか、10m離れて歩いてみるのも良いかもしれない。安全第一だけど・・・藪こぎグレード。面白いものを拾ったので引用させて頂きます。m(__)m『群馬の山歩き130選』の藪漕ぎグレード1級:腰から胸までの薮で、周囲の見通しは良好、楽しむ感じ。2級:普通の薮。手でかきわけて進める。見通しも悪くなく、不安はほとんど感じられない。行く手も良く見渡せる。3級:手だけでは漕げず、足の力も借りないとかきわけられない。手足に傷が出来うっとうしさを感じる。4級:前方視界2、3m。グループで行っても頼れるのは自分だけ、顔にも傷が出来、...藪

  • 客

    さて前回の続きゲルに落ち着いた、しんしなーと僕は、上席らしき場所に座った。しんしなーは特別な交渉したの様子は無く。自然に此処きてしまった感じなのだ。カザフの人々は遊牧民である。遊牧民は客を手厚くもてなしてくれる。(何の前触れもなく訪れる旅人は神様が使わした贈り物である。)そして旅人は大切な情報源だった。遊牧民は家畜だけで、生活しているわけではない。塩や香辛料、小麦などを、山羊やバターと交換する、交易民族でも有る。そして戦いとなると馬に乗って戦う遊牧民達は、最強の騎馬軍団となる。鉄砲などが無い時代、無敵の機甲軍団だった。夕闇がせまってきた。なにやら動物の断末魔が・・・そして夜、晩餉が始まった。家長が、僕としんしなーに料理をよそってくれた。それは、肝臓だった。レバーが一番のご馳走なのだ。ありがたく頂戴した。カザフの...客

  • 襲歩

    襲歩

    さて前回の続きバスを降りた、湖の先に雪を被った山が見えた。あれがボコダ峰かな天山山脈の東の端だ。あれ、しんしなーが、いない何処行った??すると、しんしなーは馬に乗って戻ってきた。「タッカー馬に乗れよ!はっはh」外国に行って自己紹介すると僕の名字クワバラというのとても発音しづらいらしい。名前のタカユキのうち最初のタカは発音しやすいらしく。たいがい、「こーるみータカ」と言っていた。だから、しんしなーはタカ、いやタッカーと僕を呼んだ。「俺が交渉した、問題ない、馬で行こう」「OK!」って俺、馬乗れないし_  ̄ ○あと2頭の馬が現れた。中学生位の子と小学生低学年の子供が馬に乗っていた。チビのほうが僕に馬に乗れと促した。そうか、おチビが僕、担当なのね。どうせ通詞ないけど言った。「いいかい、僕は馬に乗れない、解る、乗れません...襲歩

  • はおぶはお

    はおぶはお

    今は昔僕はシルクロードにいた・・・そして天山山脈を見てみたかった。天山山脈に近い、一番奥地に向かうバスを待っていた。すると、奴が現れた、人混みの中頭一つ出ている。背が高い外国人だ、奴はなにか叫びながら、こっちに来る。はおぶはおはおぶーはおうん?ハオブハオもしかして、好不好。そう彼は、バスのチケットを見せ「此処で良いのか?」と訪ねているのだ。たぶん?近寄ってきた奴は僕にもチケットを見せ、好不好?と聞いた。僕は何語もろくにしゃべれない、けど旅に使う言葉、心情は解る。一言僕は好!と答えた。みんなは、この背の高い外国人を気味悪がり。僕が初めて答えてくれたのを喜んでいるようだ。奴は自分を指さししんしな~と言った。はい??さっぱり解らない。何処の国の人だかわからないので、聞いてみた。いんぐりしゅ?久しぶりに英語らしきものを...はおぶはお

  • 床屋

    床屋

    現職を辞して、在宅ワークに変わった。現職を辞める時に決めていた事があった。スキンヘッドにすることだ。現職は人と逢う機会が多かったので、最低限の身なりを整えた。一ヶ月おき位に床屋に行った。子供の頃から行っていた床屋だ。ある日その床屋に行って散髪を・・・隣に一人、オッサンがいた。僕は、いつもと同じにしてと言った。そしてもう一人のお客さんが入ってきた。ほとんど毛は無い・・・耳の上と、うなじに少し毛が生えていた。すると、となりのオッサンが。おーよっちゃんかあ、おメエその頭でなにしにきたの~まさか、ちょっとすいてくれ、なんて言わねえだろうな!やめろー嫌がらせは。。。。はははっっは・・・よっちゃんは、激怒した。う、うるせえ~~~と僕に、掛けられた白い布を、僕に被せ出ていってしまった。三秒後、床屋にいた全員は大笑い。床屋の大...床屋

  • 学ぶ

    学ぶ

    今は昔1904年日露戦争、開戦。ロシア南下の驚異からの防衛戦争だったと、僕は思っている。この戦いは、小兵と巨人との喧嘩で勝ち目はなかった。今信玄と呼ばれた天才戦略家、田村怡与造は作戦戦略の難しさに過労のため亡くなってしまった。何故、ロシアに勝利したのか?いや、如何に五分の戦いができたのか。それは、前哨戦ともいえる日清戦争で学んだ事を活かし。官民一体となり努力したのだ。政治家達も金融機関も国民も・・・日本人の気質ともいえる勤勉さと従順さ。初めて国家というものを手にした国の総力戦だったからではないかと思う。経験値、RPGドラクエなどではモンスターと戦い経験値が上がりレベルアップしていく。ザコキャラは経験値は低く、たくさん倒してもなかなか、レベルアップしない。そう、強い相手難しいボスキャラと戦わなければ大きな経験値と...学ぶ

  • ヒッチハイク

    ヒッチハイク

    今は昔僕は旅をしていた。最初は勇気がいったがヒッチハイクをして、よく乗せてもらった。ヒッチハイク、日本の場合左側通行なので行きたい方向の左側に立つ。そして、親指をたてる、自分の姿見えるところで。静岡の安倍奥の山に行くと帰りはヒッチハイクで帰った一本道だしね^ー^東北は秋田だった、鳥海山を登りバス路線の無い道を郷までテクテク歩いていた。突然一台の車が止まった。乗っていくかい?はい、ありがとうございます。何処から?静岡です旅をしているの?はい、そしてしばらくの沈黙・・・私も旅をして、たくさんの人に乗せてもらったんだよ。そしてある時こう言われた。車を降りたらもう二度と多分遭わないだろう、お礼はいらない。でも、君も誰かが困っていたら人が通らないような道で人に遭ったら声をかけてよ。う、解りました。それから、ヒッチハイクを...ヒッチハイク

  • 尉鶲

    尉鶲

    近所で、いつも見かける。銀色の帽子を被った、粋なお兄さん^ー^尉鶲(ジョウビタキ)は、チベットから中国東北部あるいはロシア南東部で繁殖して。非繁殖期になると片道2000キロメートルにも及ぶ距離を飛ぶそうな。そして、日本などに渡って来て越冬する。毎年同じ場所に帰って来るらしい。尉鶲

  • 今日

    今日

    今は昔僕は大阪にいた。そこは大阪市の使用していない清掃局の詰め所だった。備品はなにもないロッカーだけは残っていた。ロッカー室に銀マットを敷いてそこが寝室だった。夜昼を問わず、余震がロッカーをガタガタ動かした。思ったのは、余震でロッカーの下敷になるのは御免だった。僕らが担当したのは西宮だった。そこは大火事の跡、経験した事はないが。もしかしたら空襲があるとこうなるのかと思った。そんな焼け跡の街だった。担当したのは避難所のビン・カンを収集する仕事だった。車は普通のパッカー車、ゴミをプレスして回収していく。ゴミは圧倒的にガス缶が多かった、しかも穴も開けていない。パッカー車というのは回収したゴミを押しつぶしプレスする。そしてタンクに入っていく。その圧縮、プレス時に金属があると摩擦で火花が・・・・収集が終わり、圧縮されたガ...今日

  • 八八八、八

    八八八、八

    9/112020YAMAPのほうは、更新しているのですが、こちらがおろそかにm(__)mさて今回の山旅は・・・久しぶりに、欅立山に行ってきた。ここ二、三日、朝は涼しくなった。熱中症の心配も少なくなったし、看板も新しくなったらしい欅立山に行ってみた。少しは距離を歩こうと第二東名の下に車を置いて。出発だあ!今回は久しぶり新道からじゃ^ー^山頂部は派手に伐採しちょるのう。仁義なき戦いを見たので、広島弁がぬけんのお!穂積神社について一服していると、おこちゃまか?キャ~キャー、声がする。現れたのは中年のオバハン達、すこし小さな声でね・・・可愛らしいお地蔵様が並ぶ。毛糸の帽子に苔が生えてる。頭が重いんじゃ~到着。看板が立派。お、ここのお団子標識は珍しくカタカナ。まさか漢字を忘れたんじゃ、あるまいね?^ー^一本。木が折れて富...八八八、八

ブログリーダー」を活用して、くわさんをフォローしませんか?

ハンドル名
くわさん
ブログタイトル
7/2旅人
フォロー
7/2旅人

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用