きょう、ノルディックスキーを楽しんだ帰路、歩いて自宅への中間地点にある東川文化ギャラリーに立ち寄った。齋藤康一写真展 「昭和の肖像」を鑑賞させていただくためだった。
島(地方)からの視点で大陸(中央)と自分自身を見据え、心に国境を設けない「アジア群島人」の日々。
大阪に生まれて24歳から北海道へ。海外暮らしはソウル、シンガポール、モンゴルで計8年半。2013年10月、自伝的エッセイ集「アジア群島人、生きる」を亜璃西社から出版。元新聞記者。
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きょう、ノルディックスキーを楽しんだ帰路、歩いて自宅への中間地点にある東川文化ギャラリーに立ち寄った。齋藤康一写真展 「昭和の肖像」を鑑賞させていただくためだった。
米メジャーリーグの大谷翔平選手が、ついに日本人初の本塁打王に輝いた、と今日の夕刊各紙が報じた。それだけでも大変な偉業であるが、打率3割4厘、さらに投手として10勝5敗。みごとな二刀流の完成ぶりを示した。彼がまだ日本にいるころ、私は「二刀流は非現実的すぎる。投打のどちらかにすべきだ」と、えらそうな批判をし続けた。結果がすべてを語る。まことに申し訳ないことでした…
一9月18日、ネット詐欺で20万円の被害に遭いかけた。その顛末を記します。 ❶18日昼過ぎ、パソコンを開いて、何年か前から時々立ち寄るサイトにアクセスすると「このパソコンはトロイの木馬に侵入されました」との表示。「すぐにWindows のサポートデスクに電話してください。シャットダウンは絶対にしてはいけない」と書かれている。電話番号は050ー5539-9371。 ❷ちょっと考えた末、1…
4月15日、大阪堺市のみなと堺グリーン広場公式野球場で開かれたマスターズ甲子園2032一回戦に1イニング、正確にいうと0回2/3投させてもらいました。相手は枚方津田高校。硬式のマウンドに上がるのは1967年春以来じつに56年ぶり。
3月21日に北海道の北部、上川郡東川町にプチ移住しました。同町立東川日本語学校に地域おこし協力隊員として4月から勤務するためです。そこでひがしかわ生活に特化したブログを立ち上げました。タイトルは「好奇高齢者のひがしかわ暮らし」。この「感謝カンレキ」の姉妹(兄弟?)ブログとして立ち寄っていただければ嬉しいです。
お前100まではわしゃ99まで、とか偕老同穴とかいうが、若い頃の行状によって、呉越同舟、同床異夢の最晩年に成り果てることだってあることを想定覚悟しておこう。それでも穏やかな日々を送りたい。
昨日、冷たい小雨と強風の中、電動アシスト自転車飛ばして約20分、北海道自動車学校に行ってきた。5月に切れる自動車免許の更新の前提となる認知テストと講習を受けるため。結果、「認知症の恐れがある」基準には該当せず、のお墨付きをもらった。自分では100点満点の出来栄えだったが点数は教えぬらしい。なあんだ。 ひと組16枚の絵を見せ、別のダミーの問題を挟んで何の絵が書い…
北海道余市の公立中学校で、修学旅行で配る旅行支援クーポンを、就学支援認定世帯の生徒だけに配っていなかったことがわかった。校長が「旅行代金を払わぬ家庭の生徒には配る必要なし」と決定したという。母子家庭に育ち、中学時代この種の支援を受けたことのあるぼくは、心が痛んだ。
作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。 1969年2月5日。(注・20歳) 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本対韓国に先発登板したダルビッシュ有投手。あまりよい成績ではなかったが、日本チーム登録選手の最年長36歳。後輩たちに技術、メンタル面で適切なアドバイスする「ダルビッシュ塾」が高い評価を受けている。2005年の北海道に日本ハム入団当初から見守っていたぼくとしてもその成長ぶりがとてもうれしいし、僕も心からリスペ…
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。 昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都…
若い記者時代から公私ともにつきあいの深かった1年先輩の秦豊(はた・ゆたか)さんが5日、逝去された。昨日の北海道新聞おくやみ欄を見落とし、通夜も今朝の告別式も行けず仕舞いだった。慙愧に堪えない。
映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」〜おかえりお母さん〜
90歳代両親の老老介護の生活を娘が撮り続けたドキュメンタリー「ぼけますから…」(2018年)。「おかえりお母さん」とサブタイトルのついた続編をきのう、道新ホールで見た。夫婦の一人娘で映画監督の信友直子さんが第一作同様、小型カメラをもって夫婦に話しかけながらナレーションも手掛けた。
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカ…
韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。
先週土曜(2月25日)毎日新聞読書面で、「作家の証言」(中央公論新社刊、3960円)の書評(評者は池澤夏樹氏)を読んだ。わたくしごとながら、キタが新聞記者になった年の1972年に「四畳半襖の下張」わいせつ文書事件が起きた。作家丸谷才一氏が裁判で被告側の特別弁護人を務めた。「作家の証言」は証人席に立った著名文学者たちの陳述など裁判記録を再現した。表現の自由をめぐる裁判と…
沖縄返還秘密協定の存在をスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さんが逝去された。91歳。この問題が浮上した1972年4月、ぼくは新聞社に入社したばかりで、稚内支局で生活をスタートさせることをまだ知らない段階。札幌本社で新人記者研修を受けていた。スクープの結果、国家機密漏洩の罪にすり替えられ、逮捕されたことを知り、衝撃を受けた記憶がいまも生々しい。 下に今朝の毎日…
このブログのフロント面左側に6つの「おすすめサイト」が表示されています。北海道新聞サイトを除けば、個人による優れたブログサイトです。当サイトに立ち寄ったついでに、ぜひ読んでいただきたいと思っています。
Facebookの母校、大阪池田高校野球部のページに2023年マスターズ甲子園のメンバー表が載った。去年のGW、一回戦を大阪まで観に行ったが、登録はコーチ。「野球するアホウに観るアホウ、おなじアホならやらなやきゃそんそん」というわけで、チーム有力者に選手登録を陳情。メンバー表を見るとシニアの35人目に名前があった、あった。背番号69。内野手登録だが、できれば1イニング投げ…
2月13日、尊敬する稚内支局の一期先輩、本間至能富氏と、同じくらい尊敬する一期後輩の髙橋雅博氏と大通の小料理屋で3年ぶりの懇親会を開いた。3人とも1948年生まれ。元気で何より。 ひととき、一気に半世紀前に滑り落ちる思いだった。当時の小田島支局長とは1972年4月から75年5月まで丸3年、2人の大型若手記者とは前後半1年半ずつ、目眩く稚内生活は、のちの自分作りになんと大きな…
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きょう、ノルディックスキーを楽しんだ帰路、歩いて自宅への中間地点にある東川文化ギャラリーに立ち寄った。齋藤康一写真展 「昭和の肖像」を鑑賞させていただくためだった。
米メジャーリーグの大谷翔平選手が、ついに日本人初の本塁打王に輝いた、と今日の夕刊各紙が報じた。それだけでも大変な偉業であるが、打率3割4厘、さらに投手として10勝5敗。みごとな二刀流の完成ぶりを示した。彼がまだ日本にいるころ、私は「二刀流は非現実的すぎる。投打のどちらかにすべきだ」と、えらそうな批判をし続けた。結果がすべてを語る。まことに申し訳ないことでした…
一9月18日、ネット詐欺で20万円の被害に遭いかけた。その顛末を記します。 ❶18日昼過ぎ、パソコンを開いて、何年か前から時々立ち寄るサイトにアクセスすると「このパソコンはトロイの木馬に侵入されました」との表示。「すぐにWindows のサポートデスクに電話してください。シャットダウンは絶対にしてはいけない」と書かれている。電話番号は050ー5539-9371。 ❷ちょっと考えた末、1…
4月15日、大阪堺市のみなと堺グリーン広場公式野球場で開かれたマスターズ甲子園2032一回戦に1イニング、正確にいうと0回2/3投させてもらいました。相手は枚方津田高校。硬式のマウンドに上がるのは1967年春以来じつに56年ぶり。
3月21日に北海道の北部、上川郡東川町にプチ移住しました。同町立東川日本語学校に地域おこし協力隊員として4月から勤務するためです。そこでひがしかわ生活に特化したブログを立ち上げました。タイトルは「好奇高齢者のひがしかわ暮らし」。この「感謝カンレキ」の姉妹(兄弟?)ブログとして立ち寄っていただければ嬉しいです。
お前100まではわしゃ99まで、とか偕老同穴とかいうが、若い頃の行状によって、呉越同舟、同床異夢の最晩年に成り果てることだってあることを想定覚悟しておこう。それでも穏やかな日々を送りたい。
昨日、冷たい小雨と強風の中、電動アシスト自転車飛ばして約20分、北海道自動車学校に行ってきた。5月に切れる自動車免許の更新の前提となる認知テストと講習を受けるため。結果、「認知症の恐れがある」基準には該当せず、のお墨付きをもらった。自分では100点満点の出来栄えだったが点数は教えぬらしい。なあんだ。 ひと組16枚の絵を見せ、別のダミーの問題を挟んで何の絵が書い…
北海道余市の公立中学校で、修学旅行で配る旅行支援クーポンを、就学支援認定世帯の生徒だけに配っていなかったことがわかった。校長が「旅行代金を払わぬ家庭の生徒には配る必要なし」と決定したという。母子家庭に育ち、中学時代この種の支援を受けたことのあるぼくは、心が痛んだ。
作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。 1969年2月5日。(注・20歳) 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本対韓国に先発登板したダルビッシュ有投手。あまりよい成績ではなかったが、日本チーム登録選手の最年長36歳。後輩たちに技術、メンタル面で適切なアドバイスする「ダルビッシュ塾」が高い評価を受けている。2005年の北海道に日本ハム入団当初から見守っていたぼくとしてもその成長ぶりがとてもうれしいし、僕も心からリスペ…
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。 昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都…
若い記者時代から公私ともにつきあいの深かった1年先輩の秦豊(はた・ゆたか)さんが5日、逝去された。昨日の北海道新聞おくやみ欄を見落とし、通夜も今朝の告別式も行けず仕舞いだった。慙愧に堪えない。
90歳代両親の老老介護の生活を娘が撮り続けたドキュメンタリー「ぼけますから…」(2018年)。「おかえりお母さん」とサブタイトルのついた続編をきのう、道新ホールで見た。夫婦の一人娘で映画監督の信友直子さんが第一作同様、小型カメラをもって夫婦に話しかけながらナレーションも手掛けた。
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカ…
韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。
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4月15日、大阪堺市のみなと堺グリーン広場公式野球場で開かれたマスターズ甲子園2032一回戦に1イニング、正確にいうと0回2/3投させてもらいました。相手は枚方津田高校。硬式のマウンドに上がるのは1967年春以来じつに56年ぶり。
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北海道余市の公立中学校で、修学旅行で配る旅行支援クーポンを、就学支援認定世帯の生徒だけに配っていなかったことがわかった。校長が「旅行代金を払わぬ家庭の生徒には配る必要なし」と決定したという。母子家庭に育ち、中学時代この種の支援を受けたことのあるぼくは、心が痛んだ。
作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。 1969年2月5日。(注・20歳) 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本対韓国に先発登板したダルビッシュ有投手。あまりよい成績ではなかったが、日本チーム登録選手の最年長36歳。後輩たちに技術、メンタル面で適切なアドバイスする「ダルビッシュ塾」が高い評価を受けている。2005年の北海道に日本ハム入団当初から見守っていたぼくとしてもその成長ぶりがとてもうれしいし、僕も心からリスペ…
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。 昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都…
若い記者時代から公私ともにつきあいの深かった1年先輩の秦豊(はた・ゆたか)さんが5日、逝去された。昨日の北海道新聞おくやみ欄を見落とし、通夜も今朝の告別式も行けず仕舞いだった。慙愧に堪えない。
90歳代両親の老老介護の生活を娘が撮り続けたドキュメンタリー「ぼけますから…」(2018年)。「おかえりお母さん」とサブタイトルのついた続編をきのう、道新ホールで見た。夫婦の一人娘で映画監督の信友直子さんが第一作同様、小型カメラをもって夫婦に話しかけながらナレーションも手掛けた。
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカ…
韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。
先週土曜(2月25日)毎日新聞読書面で、「作家の証言」(中央公論新社刊、3960円)の書評(評者は池澤夏樹氏)を読んだ。わたくしごとながら、キタが新聞記者になった年の1972年に「四畳半襖の下張」わいせつ文書事件が起きた。作家丸谷才一氏が裁判で被告側の特別弁護人を務めた。「作家の証言」は証人席に立った著名文学者たちの陳述など裁判記録を再現した。表現の自由をめぐる裁判と…
沖縄返還秘密協定の存在をスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さんが逝去された。91歳。この問題が浮上した1972年4月、ぼくは新聞社に入社したばかりで、稚内支局で生活をスタートさせることをまだ知らない段階。札幌本社で新人記者研修を受けていた。スクープの結果、国家機密漏洩の罪にすり替えられ、逮捕されたことを知り、衝撃を受けた記憶がいまも生々しい。 下に今朝の毎日…
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Facebookの母校、大阪池田高校野球部のページに2023年マスターズ甲子園のメンバー表が載った。去年のGW、一回戦を大阪まで観に行ったが、登録はコーチ。「野球するアホウに観るアホウ、おなじアホならやらなやきゃそんそん」というわけで、チーム有力者に選手登録を陳情。メンバー表を見るとシニアの35人目に名前があった、あった。背番号69。内野手登録だが、できれば1イニング投げ…
2月13日、尊敬する稚内支局の一期先輩、本間至能富氏と、同じくらい尊敬する一期後輩の髙橋雅博氏と大通の小料理屋で3年ぶりの懇親会を開いた。3人とも1948年生まれ。元気で何より。 ひととき、一気に半世紀前に滑り落ちる思いだった。当時の小田島支局長とは1972年4月から75年5月まで丸3年、2人の大型若手記者とは前後半1年半ずつ、目眩く稚内生活は、のちの自分作りになんと大きな…
自宅5.7畳の書庫(物置)は今年75歳になるぼくの思い出の玉手箱と化している。いまも、昨年没後30年だった芥川賞作家、李良枝関連資料を探していたら、美術関連2冊の図録の間からハラリとコンサートのプログラムとチラシが落ちた。
正月2日、一昨年秋に他界した母、キヨヱがインターネットを使って会いに来てくれた。いい加減なことをいうな、と言われるかもしれないが、本当にそんな気がしたのだ。すぐにブログに書こうかとも思ったが、三が日の話題としては避けたほうが良いかと思って日延べした。
新年のご挨拶が遅くなりました。特に忙しかったわけでも、健康を害したわけでもありません。念頭にあたりブログに何を書いたらよいのか、まとまらぬまま1…