きょう、ノルディックスキーを楽しんだ帰路、歩いて自宅への中間地点にある東川文化ギャラリーに立ち寄った。齋藤康一写真展 「昭和の肖像」を鑑賞させていただくためだった。
島(地方)からの視点で大陸(中央)と自分自身を見据え、心に国境を設けない「アジア群島人」の日々。
大阪に生まれて24歳から北海道へ。海外暮らしはソウル、シンガポール、モンゴルで計8年半。2013年10月、自伝的エッセイ集「アジア群島人、生きる」を亜璃西社から出版。元新聞記者。
きょう、ノルディックスキーを楽しんだ帰路、歩いて自宅への中間地点にある東川文化ギャラリーに立ち寄った。齋藤康一写真展 「昭和の肖像」を鑑賞させていただくためだった。
米メジャーリーグの大谷翔平選手が、ついに日本人初の本塁打王に輝いた、と今日の夕刊各紙が報じた。それだけでも大変な偉業であるが、打率3割4厘、さらに投手として10勝5敗。みごとな二刀流の完成ぶりを示した。彼がまだ日本にいるころ、私は「二刀流は非現実的すぎる。投打のどちらかにすべきだ」と、えらそうな批判をし続けた。結果がすべてを語る。まことに申し訳ないことでした…
一9月18日、ネット詐欺で20万円の被害に遭いかけた。その顛末を記します。 ❶18日昼過ぎ、パソコンを開いて、何年か前から時々立ち寄るサイトにアクセスすると「このパソコンはトロイの木馬に侵入されました」との表示。「すぐにWindows のサポートデスクに電話してください。シャットダウンは絶対にしてはいけない」と書かれている。電話番号は050ー5539-9371。 ❷ちょっと考えた末、1…
4月15日、大阪堺市のみなと堺グリーン広場公式野球場で開かれたマスターズ甲子園2032一回戦に1イニング、正確にいうと0回2/3投させてもらいました。相手は枚方津田高校。硬式のマウンドに上がるのは1967年春以来じつに56年ぶり。
3月21日に北海道の北部、上川郡東川町にプチ移住しました。同町立東川日本語学校に地域おこし協力隊員として4月から勤務するためです。そこでひがしかわ生活に特化したブログを立ち上げました。タイトルは「好奇高齢者のひがしかわ暮らし」。この「感謝カンレキ」の姉妹(兄弟?)ブログとして立ち寄っていただければ嬉しいです。
お前100まではわしゃ99まで、とか偕老同穴とかいうが、若い頃の行状によって、呉越同舟、同床異夢の最晩年に成り果てることだってあることを想定覚悟しておこう。それでも穏やかな日々を送りたい。
昨日、冷たい小雨と強風の中、電動アシスト自転車飛ばして約20分、北海道自動車学校に行ってきた。5月に切れる自動車免許の更新の前提となる認知テストと講習を受けるため。結果、「認知症の恐れがある」基準には該当せず、のお墨付きをもらった。自分では100点満点の出来栄えだったが点数は教えぬらしい。なあんだ。 ひと組16枚の絵を見せ、別のダミーの問題を挟んで何の絵が書い…
北海道余市の公立中学校で、修学旅行で配る旅行支援クーポンを、就学支援認定世帯の生徒だけに配っていなかったことがわかった。校長が「旅行代金を払わぬ家庭の生徒には配る必要なし」と決定したという。母子家庭に育ち、中学時代この種の支援を受けたことのあるぼくは、心が痛んだ。
作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。 1969年2月5日。(注・20歳) 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本対韓国に先発登板したダルビッシュ有投手。あまりよい成績ではなかったが、日本チーム登録選手の最年長36歳。後輩たちに技術、メンタル面で適切なアドバイスする「ダルビッシュ塾」が高い評価を受けている。2005年の北海道に日本ハム入団当初から見守っていたぼくとしてもその成長ぶりがとてもうれしいし、僕も心からリスペ…
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。 昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都…
若い記者時代から公私ともにつきあいの深かった1年先輩の秦豊(はた・ゆたか)さんが5日、逝去された。昨日の北海道新聞おくやみ欄を見落とし、通夜も今朝の告別式も行けず仕舞いだった。慙愧に堪えない。
映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」〜おかえりお母さん〜
90歳代両親の老老介護の生活を娘が撮り続けたドキュメンタリー「ぼけますから…」(2018年)。「おかえりお母さん」とサブタイトルのついた続編をきのう、道新ホールで見た。夫婦の一人娘で映画監督の信友直子さんが第一作同様、小型カメラをもって夫婦に話しかけながらナレーションも手掛けた。
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカ…
韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。
先週土曜(2月25日)毎日新聞読書面で、「作家の証言」(中央公論新社刊、3960円)の書評(評者は池澤夏樹氏)を読んだ。わたくしごとながら、キタが新聞記者になった年の1972年に「四畳半襖の下張」わいせつ文書事件が起きた。作家丸谷才一氏が裁判で被告側の特別弁護人を務めた。「作家の証言」は証人席に立った著名文学者たちの陳述など裁判記録を再現した。表現の自由をめぐる裁判と…
沖縄返還秘密協定の存在をスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さんが逝去された。91歳。この問題が浮上した1972年4月、ぼくは新聞社に入社したばかりで、稚内支局で生活をスタートさせることをまだ知らない段階。札幌本社で新人記者研修を受けていた。スクープの結果、国家機密漏洩の罪にすり替えられ、逮捕されたことを知り、衝撃を受けた記憶がいまも生々しい。 下に今朝の毎日…
このブログのフロント面左側に6つの「おすすめサイト」が表示されています。北海道新聞サイトを除けば、個人による優れたブログサイトです。当サイトに立ち寄ったついでに、ぜひ読んでいただきたいと思っています。
Facebookの母校、大阪池田高校野球部のページに2023年マスターズ甲子園のメンバー表が載った。去年のGW、一回戦を大阪まで観に行ったが、登録はコーチ。「野球するアホウに観るアホウ、おなじアホならやらなやきゃそんそん」というわけで、チーム有力者に選手登録を陳情。メンバー表を見るとシニアの35人目に名前があった、あった。背番号69。内野手登録だが、できれば1イニング投げ…
2月13日、尊敬する稚内支局の一期先輩、本間至能富氏と、同じくらい尊敬する一期後輩の髙橋雅博氏と大通の小料理屋で3年ぶりの懇親会を開いた。3人とも1948年生まれ。元気で何より。 ひととき、一気に半世紀前に滑り落ちる思いだった。当時の小田島支局長とは1972年4月から75年5月まで丸3年、2人の大型若手記者とは前後半1年半ずつ、目眩く稚内生活は、のちの自分作りになんと大きな…
自宅5.7畳の書庫(物置)は今年75歳になるぼくの思い出の玉手箱と化している。いまも、昨年没後30年だった芥川賞作家、李良枝関連資料を探していたら、美術関連2冊の図録の間からハラリとコンサートのプログラムとチラシが落ちた。
正月2日、一昨年秋に他界した母、キヨヱがインターネットを使って会いに来てくれた。いい加減なことをいうな、と言われるかもしれないが、本当にそんな気がしたのだ。すぐにブログに書こうかとも思ったが、三が日の話題としては避けたほうが良いかと思って日延べした。
新年のご挨拶が遅くなりました。特に忙しかったわけでも、健康を害したわけでもありません。念頭にあたりブログに何を書いたらよいのか、まとまらぬまま1…
愛用の薩摩焼きコーヒーカップが帰ってきた。けさ早速ドリップして一服。旨い。一年前、誤って文鎮をぶつけて、把手がもげてしまった。新聞社時代からの友人、今堀恵さんがそれを知って、趣味の金(きん)継ぎ細工で復元してくれた。
経済知識をあまり持たない記者だった僕は、今も日経新聞を購読しながら本筋の経済記事は難しくてそれほど詳細に読まない。大好きなのは最終面の私の履歴書と小説。特に今の作曲家リッカルドムーティの巻は大変面白い。
けさ、朝ごはんが終わり、ほぼ私の日課になっている、茶碗洗いとコーヒー淹れをしながら、姐さん(注・妻)と大声で怒鳴りあう喧嘩をした。些細なことに目くじらを立てる夫と、事実関係の思い違いをする妻。これは認知症時代突入直前の夫婦の姿かもしれない。 台所の流し台横を見ると、姐さんのコーヒーマグに冷めた日本茶がなみなみと満たしてある。「あんたはいつも飲みもしないお茶を容れたまま、ほったらかして…
12月1日の胆振(いぶり)地方バス日帰りツアー〓の訪問地に石狩川水系千歳川のインディアン水車があった。秋鮭遡上の最終盤。水車で採捕した毎日一定量のオスとメス(メス1対オス2の割合)を10キロ上流の孵化場に運び受精させている。 インディアン水車に夕刻に来てみると、この日の孵化用採捕がすでにおわり、剰余分を水産加工業者のトラックに引き渡す作業が続いていた。
うちの姐さん(妻)のお供で昨日、胆振方面日帰りバスツアーに行ってきた。朝9時に地下鉄新さっぽろ駅前で大型観光委バスに拾ってもらって、夕刻5時、JJR札幌駅前につくまで、ほとんどバスに乗りっぱなし、トイレタイムに合わせて時々、道の駅やお土産品店で下車するだけ。別料金なしで毛ガニなど海産物をやお菓子をもらったり、自腹で買ったり。同行の約50人はほとんど僕らの同世代、つまりお年寄りたち。
陸奥の旅2日目(11月11日)の朝、「鳴子温泉から鈍行JR陸羽東線経由、奥羽本線で秋田に行く切符を札幌駅で買っていた。ああそれなのに、それなのに、鳴子温泉駅に来てみると、途中の約10キロの区間が部分運休になっていることがわかった。代替バスも無い。さあどうしよう。
陸奥の旅2日目(11月11日)の朝、「鳴子温泉から鈍行JR陸羽東線経由、奥羽本線で秋田に行く切符を札幌駅で買っていた。ああそれなのに、それなのに、鳴子温泉駅に来てみると、途中の約10キロの区間が部分運休になっていることがわかった。代替バスも無い。さあどうしよう。
「トラブル続出でもみちのくの旅満喫」。おとといだったか、このタイトルで、ブログを書き始めたけれど、なにかの拍子に書いた部分が白黒反転、反射的にどこかのキーを押したら全部消えてしまった。このブログには「アンドゥ―」元に戻るシステムがないので、いやになってやめてしまった。きょうもあまり気力がわかないが。がんばってみよう。 11月10日(木)新千歳9時30分発PEACH機で仙台へ。JR駅で牛タン定食(…
29日、ソウル・梨泰院の路地で起きた155人死亡の惨事。その痛ましいニュースに接して、思い出す光景がある。1987年秋の韓国。軍事政権から民主化へ、時代が移る象徴のような直選制大統領選挙戦を取材していた時のことだ。 盧泰愚、金大中、金泳三、金鍾泌の1盧3金の4候補らがつばぜり合い。それぞれが100万人集会、50万人集会と銘打って全国主要都市で立会演説会を開…
もう4日前のことだが、難関、日本語教育能力検定を受けた。朝7時半に家を出で会場の恵庭の北海道文教大へ。3部門計240分の長丁場が終わって帰宅するととっぷり日が暮れていた。
8月25日から我が家で飼っていた雌雄4匹ずつの鈴虫のうち、最後のオス、鈴四郎が昨日死んだ。残るはメス2匹になった。とりわけ鈴四郎の最後の日々を観察していると、人間のオスの一生の縮図のようでもある。つくづく「見習わなあかんなあ」と思うことがあった。 The last day, 20th October of 鈴虫鈴四郎。 06:08 最後の完全演奏 午前中 驚くほど素早く鈴虫ハウス内を散…
ちょうど1週間後の日本語教育検定を受験する。それはぼくにとって、昨年10月末から続けてきた日本語教師になる勉強の、区切りのイベントになることは間違いない。日本語教員を目指す者たちがよき職場を得るため、あるいは自己の能力を再点検するため、などいろんな目的をもって年1回の「戦場」に臨む。ただし合格者は受験者の4人に1人という難関だ。 法務省が告示する日本語学校の…
もう、おとといのことになるが、高橋さんと紅葉シーズンだけの渓流釣りに出かけた。3年連続、彼とはこのシーズンだけのご一緒。そして、ぼくの釣果はいつも通りゼロ。それでも楽しかった。
昨日、自作の「時代錯語」を披瀝したが、超弩級の時代錯語を忘れてた。国賊、非国民、売国奴。
きょうは新聞休刊日だと、10階から1階のポストに下りてから気づく。昨日の毎日を切り抜きながら2面コラム「「風知草」を読む。立憲民主党の泉氏が代表質問で、細田衆院議長を何度も振り返り、無通告で旧統一教会との関係を質したり、にらみつけたのは「国会の伝統に従えば無作法である」と筆者は断じた。
「時代錯語」というカテゴリーをぼくは設定してみた。「時代錯誤的日本語」をダジャレ的につづめてみた。「21世紀だせ、もう使うなよ」といいたい。つまりぼくにとっては大嫌いな表現だ。 例➀内地=北海道と対比して、沖縄を除く国内地域を指す。台湾、満洲、朝鮮を版図に持ったダイニッポンテーコクを連想してしまう。言い換えは「道外」でよい。民族的アイデンティティから「ヤマ…
アメリカのプロ野球界で、破天荒の進化を遂げた大谷翔平君のレギュラーシーズンが終わった。たとえ62HRのジャッジがアメリカンリーグのMVPに推されることがあっても、それを理由に大谷に同じ最高峰栄誉を差し上げない理由にはならないだろう。昨年に引き続き、MVPだ。それはともかく、もう「二刀流」という陳腐な代名詞で彼を呼ぶのは止めませんか。 下は今朝の北海道新聞。
今朝のNHKラジオ深夜便「きょうの花言葉」はイタドリだった。花言葉は「回復」だそう。イタドリは東南アジアが原産で日本ではこの北海道でもところを選ばず自生している。渓流釣りのすきなぼくがいく山奥にも、自宅から徒歩5分の豊平河川敷にも、冬を除いてびっしり生い茂っている。
過日、道北、層雲峡にちょっと早い紅葉鑑賞に出かけたとき、休憩先のホテル売店で、尊敬する政治家、五十嵐広三さんゆかりの和菓子に出会った。一も二もなく、自分へのお土産にひと折購った。帰宅後さっそく、薄皮でたっぷりのあんこを包んだおいしいお饅頭を家人といただいた。五十嵐さんの笑顔を思い浮かべながら。
きょう午前中、家人の宗教仲間が数人いらっしゃって我が家で集会を開くというので、朝食後にもてなしの花を摘みに出た。豊平河川敷の汀近くにいくと、菊に似た紫の花をいっぱいつけた株が転々とあった。コスモスも一株。河川敷花壇を自主管理する花咲おじさんが雑草と一緒に根からむしった栽培品種が崖下OBゾーンで元気に花をつけていることをぼくはよく知っている。
きのう(9月22日)夜8時前、iPhoneのSMS(ショートメッセージ)に国税庁を名乗る何者から詐欺メールがきた。はじめはは「国税庁」を疑わず、何かの間違いだろう。応答して抗弁しなければ」と思った。だから相手の指定したURLをクリックしてこちらの連絡先を入力しようかと思った。「いや、まてよ、臭いな!」
一昨日、札幌・大丸セントラルで開かれていた藤根凱風展を見た。2017年2月、84歳で逝去。少字数作品に、古典や甲骨文の臨書を交えた計20数点。いずれも静謐で上品、紙の白地に厳しく働きかける、生前の書風をよく表す作品群が選ばれていた。
昨年10月末から受けていたHuman Academyの日本語教員養成講座が昨日修了した。修了証、成績記録などの発行が1か月〜1か月半かかるというのは困ったもんだ。これから本格的な就活をはじめようというのに。
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きょう、ノルディックスキーを楽しんだ帰路、歩いて自宅への中間地点にある東川文化ギャラリーに立ち寄った。齋藤康一写真展 「昭和の肖像」を鑑賞させていただくためだった。
米メジャーリーグの大谷翔平選手が、ついに日本人初の本塁打王に輝いた、と今日の夕刊各紙が報じた。それだけでも大変な偉業であるが、打率3割4厘、さらに投手として10勝5敗。みごとな二刀流の完成ぶりを示した。彼がまだ日本にいるころ、私は「二刀流は非現実的すぎる。投打のどちらかにすべきだ」と、えらそうな批判をし続けた。結果がすべてを語る。まことに申し訳ないことでした…
一9月18日、ネット詐欺で20万円の被害に遭いかけた。その顛末を記します。 ❶18日昼過ぎ、パソコンを開いて、何年か前から時々立ち寄るサイトにアクセスすると「このパソコンはトロイの木馬に侵入されました」との表示。「すぐにWindows のサポートデスクに電話してください。シャットダウンは絶対にしてはいけない」と書かれている。電話番号は050ー5539-9371。 ❷ちょっと考えた末、1…
4月15日、大阪堺市のみなと堺グリーン広場公式野球場で開かれたマスターズ甲子園2032一回戦に1イニング、正確にいうと0回2/3投させてもらいました。相手は枚方津田高校。硬式のマウンドに上がるのは1967年春以来じつに56年ぶり。
3月21日に北海道の北部、上川郡東川町にプチ移住しました。同町立東川日本語学校に地域おこし協力隊員として4月から勤務するためです。そこでひがしかわ生活に特化したブログを立ち上げました。タイトルは「好奇高齢者のひがしかわ暮らし」。この「感謝カンレキ」の姉妹(兄弟?)ブログとして立ち寄っていただければ嬉しいです。
お前100まではわしゃ99まで、とか偕老同穴とかいうが、若い頃の行状によって、呉越同舟、同床異夢の最晩年に成り果てることだってあることを想定覚悟しておこう。それでも穏やかな日々を送りたい。
昨日、冷たい小雨と強風の中、電動アシスト自転車飛ばして約20分、北海道自動車学校に行ってきた。5月に切れる自動車免許の更新の前提となる認知テストと講習を受けるため。結果、「認知症の恐れがある」基準には該当せず、のお墨付きをもらった。自分では100点満点の出来栄えだったが点数は教えぬらしい。なあんだ。 ひと組16枚の絵を見せ、別のダミーの問題を挟んで何の絵が書い…
北海道余市の公立中学校で、修学旅行で配る旅行支援クーポンを、就学支援認定世帯の生徒だけに配っていなかったことがわかった。校長が「旅行代金を払わぬ家庭の生徒には配る必要なし」と決定したという。母子家庭に育ち、中学時代この種の支援を受けたことのあるぼくは、心が痛んだ。
作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。 1969年2月5日。(注・20歳) 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本対韓国に先発登板したダルビッシュ有投手。あまりよい成績ではなかったが、日本チーム登録選手の最年長36歳。後輩たちに技術、メンタル面で適切なアドバイスする「ダルビッシュ塾」が高い評価を受けている。2005年の北海道に日本ハム入団当初から見守っていたぼくとしてもその成長ぶりがとてもうれしいし、僕も心からリスペ…
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。 昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都…
若い記者時代から公私ともにつきあいの深かった1年先輩の秦豊(はた・ゆたか)さんが5日、逝去された。昨日の北海道新聞おくやみ欄を見落とし、通夜も今朝の告別式も行けず仕舞いだった。慙愧に堪えない。
90歳代両親の老老介護の生活を娘が撮り続けたドキュメンタリー「ぼけますから…」(2018年)。「おかえりお母さん」とサブタイトルのついた続編をきのう、道新ホールで見た。夫婦の一人娘で映画監督の信友直子さんが第一作同様、小型カメラをもって夫婦に話しかけながらナレーションも手掛けた。
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカ…
韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。
先週土曜(2月25日)毎日新聞読書面で、「作家の証言」(中央公論新社刊、3960円)の書評(評者は池澤夏樹氏)を読んだ。わたくしごとながら、キタが新聞記者になった年の1972年に「四畳半襖の下張」わいせつ文書事件が起きた。作家丸谷才一氏が裁判で被告側の特別弁護人を務めた。「作家の証言」は証人席に立った著名文学者たちの陳述など裁判記録を再現した。表現の自由をめぐる裁判と…
沖縄返還秘密協定の存在をスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さんが逝去された。91歳。この問題が浮上した1972年4月、ぼくは新聞社に入社したばかりで、稚内支局で生活をスタートさせることをまだ知らない段階。札幌本社で新人記者研修を受けていた。スクープの結果、国家機密漏洩の罪にすり替えられ、逮捕されたことを知り、衝撃を受けた記憶がいまも生々しい。 下に今朝の毎日…
このブログのフロント面左側に6つの「おすすめサイト」が表示されています。北海道新聞サイトを除けば、個人による優れたブログサイトです。当サイトに立ち寄ったついでに、ぜひ読んでいただきたいと思っています。
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4月15日、大阪堺市のみなと堺グリーン広場公式野球場で開かれたマスターズ甲子園2032一回戦に1イニング、正確にいうと0回2/3投させてもらいました。相手は枚方津田高校。硬式のマウンドに上がるのは1967年春以来じつに56年ぶり。
3月21日に北海道の北部、上川郡東川町にプチ移住しました。同町立東川日本語学校に地域おこし協力隊員として4月から勤務するためです。そこでひがしかわ生活に特化したブログを立ち上げました。タイトルは「好奇高齢者のひがしかわ暮らし」。この「感謝カンレキ」の姉妹(兄弟?)ブログとして立ち寄っていただければ嬉しいです。
お前100まではわしゃ99まで、とか偕老同穴とかいうが、若い頃の行状によって、呉越同舟、同床異夢の最晩年に成り果てることだってあることを想定覚悟しておこう。それでも穏やかな日々を送りたい。
昨日、冷たい小雨と強風の中、電動アシスト自転車飛ばして約20分、北海道自動車学校に行ってきた。5月に切れる自動車免許の更新の前提となる認知テストと講習を受けるため。結果、「認知症の恐れがある」基準には該当せず、のお墨付きをもらった。自分では100点満点の出来栄えだったが点数は教えぬらしい。なあんだ。 ひと組16枚の絵を見せ、別のダミーの問題を挟んで何の絵が書い…
北海道余市の公立中学校で、修学旅行で配る旅行支援クーポンを、就学支援認定世帯の生徒だけに配っていなかったことがわかった。校長が「旅行代金を払わぬ家庭の生徒には配る必要なし」と決定したという。母子家庭に育ち、中学時代この種の支援を受けたことのあるぼくは、心が痛んだ。
作家大江健三郎さんが逝去された。88歳。大学生の頃からしばらくよく読んでいた。大江のことをどう書いていたか。古い日記を引っ張り出した。 1969年2月5日。(注・20歳) 昨日で期末試験は終わりました。地学落ちたのでレポートを書かねばなりません。テーマは岩波新書「日本列島」or「地球の歴史」の感想文。生物は断念します。
昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本対韓国に先発登板したダルビッシュ有投手。あまりよい成績ではなかったが、日本チーム登録選手の最年長36歳。後輩たちに技術、メンタル面で適切なアドバイスする「ダルビッシュ塾」が高い評価を受けている。2005年の北海道に日本ハム入団当初から見守っていたぼくとしてもその成長ぶりがとてもうれしいし、僕も心からリスペ…
あすで、東日本大地震から12年になる。当時、ぼくはJICAからモンゴルに派遣されるための研修を終えて、JR郡山駅にいた。4分半、震度6の激震に耐えたが、なんの被害も支障もなく、翌日札幌に戻ることができた。だからこそ、毎年、厳粛な心であの日を振り返り、今なお、深い傷を負って生き続ける人たちのことに想像をめぐらすほかない。 昨日の北海道新聞に福島大学 川崎興太教授(都…
若い記者時代から公私ともにつきあいの深かった1年先輩の秦豊(はた・ゆたか)さんが5日、逝去された。昨日の北海道新聞おくやみ欄を見落とし、通夜も今朝の告別式も行けず仕舞いだった。慙愧に堪えない。
90歳代両親の老老介護の生活を娘が撮り続けたドキュメンタリー「ぼけますから…」(2018年)。「おかえりお母さん」とサブタイトルのついた続編をきのう、道新ホールで見た。夫婦の一人娘で映画監督の信友直子さんが第一作同様、小型カメラをもって夫婦に話しかけながらナレーションも手掛けた。
昨夜(といっても、日付はきょう3月3日未明だが)、NHKのラジオ深夜便で、俳優の山本学さんが、詩を朗読していた。島崎藤村、中原中也、高村光太郎。ぼくは格別、詩に深い関心があるわけではないが、彼らの代表的な作品は心を込めて鑑賞した時期はあった。高校、大学生だった遠い昔のこと。なかでも、中也の詩集(文庫本だったと思うが)を買って、「汚れつちまつた悲しみに」「サーカ…
韓国仁川から来たという30代の青年に会ったのは、2月28日の朝10時過ぎ。支笏湖ビジターセンターの玄関前風除室だった。ぼくと家人が宿舎の休暇村支笏湖から歩いて20分ほど、まずこの地域の情報を得ようと立ち寄ったら、3月末までの冬季間は火曜が休館と、本館入り口に表示してあった。青年の傍らには大きなキャスター付きスーツケース。一目で遠くからの旅人だとわかる。
先週土曜(2月25日)毎日新聞読書面で、「作家の証言」(中央公論新社刊、3960円)の書評(評者は池澤夏樹氏)を読んだ。わたくしごとながら、キタが新聞記者になった年の1972年に「四畳半襖の下張」わいせつ文書事件が起きた。作家丸谷才一氏が裁判で被告側の特別弁護人を務めた。「作家の証言」は証人席に立った著名文学者たちの陳述など裁判記録を再現した。表現の自由をめぐる裁判と…
沖縄返還秘密協定の存在をスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さんが逝去された。91歳。この問題が浮上した1972年4月、ぼくは新聞社に入社したばかりで、稚内支局で生活をスタートさせることをまだ知らない段階。札幌本社で新人記者研修を受けていた。スクープの結果、国家機密漏洩の罪にすり替えられ、逮捕されたことを知り、衝撃を受けた記憶がいまも生々しい。 下に今朝の毎日…
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Facebookの母校、大阪池田高校野球部のページに2023年マスターズ甲子園のメンバー表が載った。去年のGW、一回戦を大阪まで観に行ったが、登録はコーチ。「野球するアホウに観るアホウ、おなじアホならやらなやきゃそんそん」というわけで、チーム有力者に選手登録を陳情。メンバー表を見るとシニアの35人目に名前があった、あった。背番号69。内野手登録だが、できれば1イニング投げ…
2月13日、尊敬する稚内支局の一期先輩、本間至能富氏と、同じくらい尊敬する一期後輩の髙橋雅博氏と大通の小料理屋で3年ぶりの懇親会を開いた。3人とも1948年生まれ。元気で何より。 ひととき、一気に半世紀前に滑り落ちる思いだった。当時の小田島支局長とは1972年4月から75年5月まで丸3年、2人の大型若手記者とは前後半1年半ずつ、目眩く稚内生活は、のちの自分作りになんと大きな…
自宅5.7畳の書庫(物置)は今年75歳になるぼくの思い出の玉手箱と化している。いまも、昨年没後30年だった芥川賞作家、李良枝関連資料を探していたら、美術関連2冊の図録の間からハラリとコンサートのプログラムとチラシが落ちた。
正月2日、一昨年秋に他界した母、キヨヱがインターネットを使って会いに来てくれた。いい加減なことをいうな、と言われるかもしれないが、本当にそんな気がしたのだ。すぐにブログに書こうかとも思ったが、三が日の話題としては避けたほうが良いかと思って日延べした。
新年のご挨拶が遅くなりました。特に忙しかったわけでも、健康を害したわけでもありません。念頭にあたりブログに何を書いたらよいのか、まとまらぬまま1…