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「たっくん、めめない」 https://blog.goo.ne.jp/ats29ko26/

長男、匠の闘病記です。 生後まもなくできた血管腫と、戦っています。

匠の左目にできた血管腫との戦いは6年かかりました。 でも、血管腫の影響でほぼ失明状態の左目とは一生戦っていくことになりました。 匠はいつも元気! いまではとても病気だったとは思えないくらい、明るく元気です!!!! 更新が遅れていますが、同じ病気の子を持つ親御さんたちの力になれればと思っています。

たくはやまま
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住所
由利本荘市
出身
由利本荘市
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2011/06/08

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  • なんと、一年以上放置してしまった!

    こんにちわ。お元気ですか?なんと、一年以上放置してしまった!!!!実はその放置期間内にもいろんなことが有りました。今日はそのことを語ろうかな。(笑)まず!!!!!!去年の今頃。すっかり家族の一員だったリスのチップちゃんが急死。((´;ω;`))そして、新しい家族、シマリスのピップをお迎え。その後もリス熱は続き、今度は同じくシマリスのはなちゃん、ロボロフスキーのしろちゃん、キンクマのきんちゃんをお迎えし、エキゾチックアニマル天国になる。(笑)そして、去年。次男颯くんが自閉症で有ることが判明。正確に言うと「自閉症スペクトラム」というらしい。そのことを聞いて思った第一のこと。「やっぱり」かえって踏ん切りがついてスッキリした。なんで?なんでこの子はできない?なんでこういうことばかりする?の連続で、保育園や学校からもしつ...なんと、一年以上放置してしまった!

  • 斜視の手術を受けるかどうか

    匠の手術が終わって2年が経った頃。斜視の手術のお話がありました。匠も小学校へ通って女の子の視線が気になるのか?「俺の目、なんでいっつもこっち向いてるんだ?」などと聞いてきたりします。このことを主治医の先生に聞いた時です。「どうしても気になるようでしたら斜視の矯正も手術で出来ますが・・・。」「え?本当?一回で治ります?」ちょっと興奮して聞くと、「・・・・どうでしょう。一度検査を受けてみますか?筋肉とかいろいろ見てみるとわかることも多いので。」改めて匠の目の検査がありました。検査が終わった匠は普通に戻ってきて、「あ~、疲れた。お腹すいたし。」と、ケロッとしていました。再び先生に呼ばれ、検査の結果を聞きました。「結論から言うと、矯正手術は可能です。でも、見えている目の矯正なら問題ないのですが、見えていない目を矯正手術...斜視の手術を受けるかどうか

  • 「そうか。たっくん見えないんだ」

    匠の友達はほとんど野球をやっています。お友達が遊びに来ると、外で野球の真似事が始まります。匠はいつもピッチャーをやりたがります。「いつもたっくんピッチャーじゃん!俺もやりたいよ~」他のこと言い合いになることもしばしば。私は黙ってみています。「今度はたっくんバッターやって。」そしてバッターをやります。でも、この2つ以外は絶対にやりたがらない時がありました。「なんでいつもたっくんやらないの?」「ぼくだってやりたいのに!」この言い合いも黙って観ていました。すると、一人の子が言いました。「そっか、たっくん、見えないんだ。」すると、他の子も「あ、そうか。じゃあ仕方ないね。」と、また匠にピッチャーをやらせ始めました。匠は「サンキュー♪」と、また投げ始めました。「たっくんが休憩の時に僕ピッチャーやらせて。」と、他の子が言うと...「そうか。たっくん見えないんだ」

  • 二度目の手術の後

    手術が終わって、10日後くらいの写真です。腫れが引けて、縫い目が見えています。一度もいたがったことのない匠。本当に、今の今まで「痛い」という言葉を発しませんでした。注射の時も。血液検査の時も。点滴の時も。手術の直後も。強い匠を心から誇りに思います。二度目の手術の後

  • 視力がない

    匠が一年生になる頃、二週間に一度くらいのペースで新しく紹介してもらった眼科に通っていました。毎回視力検査や斜視の検査が行われました。そして、検査の結果。匠の左目はほぼ失明状態であるということがわかりました。そして、片目でモノを見ることから、右目にも明らかに負担がかかっているので、家でもトレーニングが必要だと言われました。完全に失明ではないらしいのですが、明るい、暗い、なにか・・・あるかな?くらいは、わかるようです。あれほど、まぶたを開けて光を入れるようにと言われたのに。もちろん、手が空く限り、努力しました。でも、かなわなかった・・・・。結果を聞いた時、涙が出て、診察室で泣きました。「なに?お母ちゃん?なに?」匠の言葉で我に返りました。ああ、自分一人で来なければよかった・・・。運転なんかできない・・・。夫がいてく...視力がない

  • 顔が変わった

    匠は生まれてからいままで、顔が何度も変わっています。でも、どの写真を見ても言えることはひとつ。「匠かわいい♪」(すいません、親ばか丸出しです)匠の笑顔を見ていると、本当にこちらも笑顔になります。神様がくれた宝物です。二度目の手術の後、先生に、「とりあえず顔の形成手術はこれで終わりになります。あとは、眼科に通って、視力と、斜視の検査を受けてください。」と、いわれ、一安心でした。まず、これ以上人工的には顔が変わらないんだと・・・・。でも、本当の匠の試練はこれからだった・・・・。顔が変わった

  • 二度目の手術(2007年9月12日)

    最初の手術から二年が経った頃、匠の再手術が決まりました。今回は、血管腫で伸びた瞼の皮の切除と、その伸びた皮のために思い一重になっているので、二重にするというものでした。そして、つりあいを持たせるために右のまぶたも二重にするということでした。「すげえ、5歳で二重手術!」なんて夫とふざけていましたが、日にちが近づくにつれ笑うことができなくなってきました。前のような大規模な手術ではないにしろ、やはり全身麻酔は恐怖です。思わなくてもいいことも心配してしまいます。匠は「うん、いいよ、手術。」なんていうけど、どこまでわかってるのか、本当に怖くないのか・・・。とにかく前日、私と匠はお馴染みの日赤に入院しました。匠はすっかり病院内を覚えたので、部屋よりも先におもちゃの部屋に走って行きました。朝から病室は騒がしく、二年前の初めて...二度目の手術(2007年9月12日)

  • はげまされて

    匠のはじめての手術から10日が経ち、腫れもずいぶんひいたころ。ずっとメル友だった血管腫仲間と初めて会いました。匠より一つ下の女の子。ひよちゃん。ひよちゃんも、顔(鼻の脇)に血管腫ができ、手術を頑張って乗り越えた子で、匠よりも治療は先輩になります。お母さんとひよちゃんと、私と匠と、四人で中間の街で待ち合わせをし、一緒に遊びました。そのとき、ひよちゃんのお兄ちゃんが見つけたという四つ葉のクローバーをシオリにしたものを、お母さんにいただきました。ひよちゃんのお母さん、今も大切にしていますよ♪あれから6年経ったけど♪それからさらに一週間後、匠は保育園に復帰しました。皆から、「うわあ!綺麗になったね!」「すごい!匠君にめがある!」なんて、びっくりされました。当時のHPでも、休んでる時の匠の様子を毎日更新していましたので、...はげまされて

  • 匠のこと

    手術が終わって、退院して一週間、匠と私は家にいました。匠が昼寝をして私一人の時間が出来ると考えるのは匠のこと。一歳になったとき、匠のことが広報に載った。そのとき書いた言葉。「強い子になって」匠はその言葉通り、本当に強い子に育ってくれた。まだ小さくてわからないから・・・・と言ってしまえばそれまでだけど、全部一人で乗り越えた匠を、誇りに思った。弟の颯はお兄ちゃんに血管腫があったことを知らないで育つでしょう。写真でしか見ることがないでしょうしね。なんだか不思議でした。いつでもどこでも明るく笑う匠の笑顔に、どれほど助けられたことか。どれほど救われたことか。どれほど元気をもらったことか。この子が私のところに来てくれて、本当にうれしい。匠、私をお母さんに選んでくれて、ありがとう。匠のこと

  • 手術 2004年9月7日~

    いよいよ入院の日が来ました。夫も三日間休みをとってきてくれ、一緒に病院に行きました。家には颯もいたので、おばあちゃんにお願いしました。匠の大好きなものは全部もって入院しました。匠は終始ご機嫌で、こちらも明日は手術だということを忘れてしまいそうでした。前日九時以降から水分を取られなかったので喉が乾いたと泣かれたらと心配していましたが、匠は環境が変わって疲れたのか八時には眠りにつき、朝まで一度も起きることなく熟睡してくれました。朝になっても水飲みたい、とは一言も言わず、朝からひっきりなしに入ってくる看護師さんから与えられる飲み薬や注射を泣き言ひとつ言わずに受け入れていました。そして夫も家族も駆けつけた頃、匠の手術室への移動が始まりました。「お父さんかお母さんがだっこしていきますか?こちらで手術室に連れていきますか?...手術2004年9月7日~

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