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ひっそりと一人で続けていた英詩翻訳マラソンです。二日にいっぺん二、三行ほど牛歩の歩みで細々と。人さまにお見せするのは訳のみで! と意気込み、二年来匿名でやっていましたがだんだんさみしくなりました。勇気をだして世の中? とつながってみよう。ので、あまりにも目に余る誤訳が目につきましたらぜひともご指摘ください。ちなみに私は英文学は素人に毛が三本生えた程度です。

ブログタイトル
私的海潮音 英米詩訳選
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kozakana_2009/
ブログ紹介文
主に十七から二十世紀初頭の英語詩の訳を試みています。多いのはT・S・エリオット。
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41回 / 365日(平均0.8回/週)

ブログ村参加:2011/06/04

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私的海潮音 英米詩訳選
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私的海潮音 英米詩訳選

コザカナさんの新着記事

1件〜30件

  • ディラン・トマス その善き夜に粛として赴くことなかれ

    ★久しぶりに更新いたします。ウェールズの詩人ディラン・トマスのDonotgogentleintothegoodnightです。Rage,rageのリフレインに高村光太郎の「冬が来た」の一節、「冬よ、僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」を思い出しました。定めに抗う人間の傲慢なる悲哀。これこそが悲劇です。ディラン・トマス〔1914~1953〕その善き夜に粛として赴くことなかれその善き夜に粛として赴くことなかれ老いたる者は日の終わりに腹立ち喚くべきだ怒れ怒れよ光の死に抗して賢い者らがその末に闇こそ義だと知ろうとも彼らの言葉は如何なる明かりもかき立てない故に賢者らがその善き夜に粛として赴くことはない善き者たちは今際の波で何と輝かしいかと叫ぶ彼らの儚い行いが瑞々しい日に踊ったならばと怒れ怒れよ光の死に抗して飛...ディラン・トマスその善き夜に粛として赴くことなかれ

  • S・T・コールリッジ「老いたる水夫の賦」第二部

    第二部陽は今や右手から昇った海から昇り来たって霧に隠れたまま左手だった海へと沈むときにはそして善き南風が後ろから吹きつけていたが優しい鳥は随わず如何なる日にも餌にも戯れのためにも来たらなかった水夫らの呼び声には俺のした忌むべき行いが水夫らを嘆かせた皆が断じていたのだ俺はあの風を吹かせてくれた鳥を殺したのだと悪党が!皆がそう云った風を吹かせてくれた鳥を屠るなどと朧でもなく赤らみもせず神ご自身の頭のように輝かしい陽が昇ってくると皆は断じた俺は靄と霧とをもたらした鳥を殺したのだと正しいことさ皆がそう云った靄と霧をもたらすような鳥どもを殺すのは晴れやかな風が吹いて白い泡が舞い散り船の跡が自在に随ってきた俺たちが初めてあの凪いだ海を切り裂いたのだ風が落ちこみ船足が落ちるのは能うかぎりの悲しみだった話すのはただこの海の凪を...S・T・コールリッジ「老いたる水夫の賦」第二部

  • S.T.コールリッジ「老いたる水夫の賦」第一部

    *久々に更新いたします。半端なところで止まっている「ミルトンⅡ」の続きを、と思いつつ、Twitterで無料の朗読が公開されていたコールリッジのTheRimeofAncientMarinerの第一部を訳してみました。後半に出てくる「信天翁」はアホウドリです。この日本名もう少し何とかならないものか……S.T.コールリッジ老いたる水夫の賦梗概航路を渡る船が如何にして嵐のために南極へ至る凍てついた域へと運ばれ、そこから大いなる太平洋の熱帯地方へと針路を向けて、如何なる奇妙な事柄が降りかかったかと、そのようなやり方で老いたる水夫が如何にして自らの国へと帰り着いたか。第一部老いたる水夫が三人の内の一人を呼び止めた「汝の長い灰色の髭ときらきら輝く目によって今なぜ汝はこの俺を呼び止めたのか?花婿の扉は広く開けられ俺は近しい身内...S.T.コールリッジ「老いたる水夫の賦」第一部

  • しばらく休みます。

    「失楽園」および「ミルトン1」の拙訳をお目通し下さっていた方へ。このとこれ少々忙しないため、趣味の翻訳をしばらくやめておこうと思い立ちました。とくに「ミルトン1」のほうは中途半端はところで止めてしまって恐縮の限りです。4月を過ぎたらまた少しずつ再開しようと思っております。そのときはどうかまた宜しくお付き合い下さいm(__)mしばらく休みます。

  • T・S・エリオット「ミルトン」 第四段落〔翻訳〕

    SelectedProseofT.S.Elliot[ed.ByFrankKermode]pp.258-264T・S・エリオット「ミルトンI」〔1936年〕第四段落〔259頁〕ミルトンについて、私の論点にとってもっとも重要な事実はその失明である。人生の半ばで視力を失うことがある者の詩作の性質全体を決定するに足るというつもりはない。失明はミルトンの個性と性格や、彼の受けた固有の教育と合わせて考えられるべきである。それは、また、彼の音楽の技術への傾倒と熟練伴結び付けられるべきである。もしミルトンが鋭い諸感覚――つまり五感すべてについて――の持ち主であったなら、失明はさしたる問題ではなかっただろう。しかし、かつてはそうであったその感性の鋭さを、書物を読むことによって早くに萎れさせたものの、生来の天与の才は聴覚にあったよ...T・S・エリオット「ミルトン」第四段落〔翻訳〕

  • 永遠の春〔自作小説〕第二章

    第二章撫子山上の前司は口約を護った。父の死に二年遅れて前司の死んだ後に、数多い息子の一人が『類聚歌林』の一から六までを櫃に納めて石城へと届けに来た。煌びやかな拵えの巻七と異なり、薄茶の穀紙にびっしりと文字の並んだ巻子で、帳簿の裏に書きつけた紙片が糊で継いであったり、あちこちに直しが入っていたりした。乱れた筆の但し書きを小声で読み上げるたびに、別れ際の前司の愛しげ〔カナしげ〕な声音が思い出された。この前司の死んだ年に、古麻呂が遣唐大使とともに留学生として唐土に遣わされたのだった。大使が私たち兄妹には母方の祖父の同母弟にあたる多治比大成だったため、坂上の叔母が采配を振るって石城でもなかなか賑やかな見送りの宴が開かれた。一行は二年を唐土で過ごし、天平七年の夏の初めに都へ帰ってきた。この折の帰朝のことはよく覚えている。...永遠の春〔自作小説〕第二章

  • T・S・エリオット「ミルトンⅠ]第三段落〔翻訳〕

    SelectedProseofT.S.Elliot[ed.ByFrankKermode]pp.258-264T・S・エリオット「ミルトンI」〔1936年〕第三段落〔p.259〕印刷物の上に批評家として現れる幾らかの者を含む諸個人の大きな集団が、「偉大な」詩人に対するいかなる酷評をも平和に対する違反のように看做している。理不尽な偶像破壊行為か、あるいは単なるやくざ者のやり方のように。私がミルトンに対して加えねばならない尊厳を傷つける類の批評は、ある種の致命的な面において善き詩人であることは偉大な詩人であることよりも重要なのだということを理解できない類の諸個人に向けたものではない。それについては、私が、我々自身の時代においてはただ裁判の陪審団だけが最も能力のある試作の従事者なのだと考えていることを述べておくべきであ...T・S・エリオット「ミルトンⅠ]第三段落〔翻訳〕

  • T・S・エリオット「ミルトンI」第二段落〔翻訳〕

    SelectedProseofT.S.Elliot[ed.ByFrankKermode]pp.258-264T・S・エリオット「ミルトンI」〔1936年〕第二段落〔258~159頁〕ある者が偉大な芸術家なのかもしれないにせよ、やはり悪しき影響力を具えることには、多くの人々が同意するだろう。十八世紀の悪しき韻文における悪さは他の何人よりもミルトンの影響が大きい。彼は間違いなくドライデンやポープよりも大きな害を与えたし、おそらくこの二人の詩人に、とりわけその影響力のために後者へと注がれた相当の量の悪口は、ミルトンへと移されるべきである。しかし、事を単に「悪しき影響力」という用語で表すのは必ずしも由々しい咎めをもたらすことにはならない。というのも、我々が問題をこれらの用語で言明するときには、相当の量の責任が、邪なもの...T・S・エリオット「ミルトンI」第二段落〔翻訳〕

  • T・S・エリオット「ミルトンⅠ」第一段落〔翻訳〕

    *失楽園には相変わらず行き詰り続けている上、自作小説の加筆にも案外手間がかかるため、困ったときのエリオット頼みで再び論考を訳してみます。題名は「ミルトンⅠ]。しかし、どうもエリオットという方はミルトンがお嫌いだったらしい……SelectedProseofT.S.Elliot[ed.ByFrankKermode]pp.258-264T・S・エリオット「ミルトンI」〔1936年〕第一段落〔p.258〕なるほどミルトンが極めて偉大な詩人であることは認められて然るべきだが、何がその偉大さを成り立たせているかを定めるのは一種の難問である。分析するに、彼の不利となる評点は数と重要さの双方で彼の信用を高める評点を凌いで現れる。一人の人間としての彼は反感を持たれがちである。倫理主義者の観点からしても、神学者の観点からしても、政...T・S・エリオット「ミルトンⅠ」第一段落〔翻訳〕

  • 〔自作小説〕永遠の春 第一章

    *ミルトンが再び行き詰ったためしばらく自作の小説でお茶を濁します。遅ればせながら流行り〔?〕に乗って万葉集題材、語り手は大伴家持。以前このブログでお目にかけていた同タイトルのものを加筆修正しております。英文学はまだしも古代日本については全く門外漢なので、誤字脱字はむろん、時代考証上の誤りや詩歌の解釈の間違いなど、お気づきの誤謬がありましたら是非是非ご指摘ください。永遠の春Nota,mortuumviverepergloriam――死びとらよ誉れに拠りて生きよ第一章土牛故郷――という言葉を想うとき、初めに浮かんでくるのは、うらうらと白く鮮やかな筑紫の春の陽射しだ。唐渡りの白梅が薫り高く開き、空は高く晴れて、風がみな仄かに潮の香を含んだ南の春の様だ。冬永い因幡の国府で水を含んだ重い雪が音もなく積もる気色を感じながら...〔自作小説〕永遠の春第一章

  • 失楽園 178~191行目

    *177行目から引き続きサタンの一人称の語りです。192行目からいわゆる「地の文」に戻ります。楽園の喪失ジョン・ミルトン巻一178~191行目178我らをして好機を逃させるな蔑みかあるいは179満ちたりた怒りが我らの仇から生じさせたものを180見るがよい彼方のもの寂びた野を打ち棄てられて181荒んだ野の朽ちた座と光の裂け目を182何がこの蒼ざめた焔の燦めきが183衰え荒んでゆくのを護る?其方へと我らを向かわせよ184この燃え盛る大波のうねりから離れて185そこでもし幾何の安らぎが潜むなら安らぎ186傷めつけられた力を集め直して187語らうのだ如何にしてこれより最もよく188我らの敵を害し如何にして己らの損失を償い189この悍ましい災いを覆すかを190もし絶望からくる不屈の意志がなければ191希望〔ノゾミ〕からど...失楽園178~191行目

  • 失楽園 169~177行目 

    *引き続き「大いなる悪霊」すなわちサタンのベルゼブブへの返答です。楽園の喪失ジョン・ミルトン巻一169~170行目169しかし見よ怒れる勝利者が170報復と追撃の下僕〔シモベ〕らを171天の門へと呼び戻した硫黄の如く燃え盛る歓呼が172嵐のなかで我らの後ろにあがって過ぎたのちには173焔の如きうねりがのべられて天の絶壁から174墜ちる我らを受けとめた赤光と激烈な175憤怒によって飛び来たる雷は176おそらくはその矢を費やし尽くしたのだろう今や177漠たる果てない深みを貫いて轟くのをやめてしまった169ButseetheangryVictorhathrecalled170Hisministersofvengeanceandpursuit171BacktothegatesofHeav’n:thesulphurous...失楽園169~177行目

  • 失楽園 156~168行目

    156するとすぐさま大いなる悪霊が応えた157墜ちたる智天使よ弱るのは惨めな158振舞いか苦難だがこれだけは確かだ159何であれ善を行うことは我らの任ではない160邪〔ヨコシマ〕に振舞うことだけが我らの歓びなのだ161我らの抗うかの者の気高い意志に162叛く者としてもしかの者の摂理が163我らの悪から善を生み出そうと求めるなら164我らの骨折りはその結びを貶めるべく努めて165善から更に悪の手立てを捜し出さねばならぬ166それがしばしば巧く運べばあるいは167かの者を嘆かせるやもしれぬもし俺がしくじらず168定めのままの意図からなるかの者の内奥の弁護者たちをかき乱せるならば156Wheretowithspeedywordsth’Arch-Fiendreplied.157Fall’nCherub,tobeweak...失楽園156~168行目

  • 失楽園 143~155行目

    *128行目から引き続きサタンの呼びかけに対するベルゼブブの返答です。楽園の喪失ジョン・ミルトン143しかしもしかの者すなわち我らの征服者が(今や144かの者が武力において全能であると信じるのは145我らほどの武力を圧倒し得たからに他ならない)146我らの精神〔ココロ〕と強さとを痛みを忍んで147耐え得るほどにも欠けなく強いまま残すことで148己が憤怒を充たしていたり149さらに力ある奉仕を己が奴どもに150戦の権利としてその務めのあたう限り負わせて151此処にて地獄の中心で焔のなかで働かせたり152仄暗い淵で己の使い走りを務めさせたりするなら153一体何の役に立とう?たとえ我らが154己らの強さは減じられぬと非時〔トクジク〕の155処罰に耐えうる非時の存在だと感じていようと143ButwhatifheourC...失楽園143~155行目

  • 失楽園 125~142行目

    楽園の喪失ジョン・ミルトン125導きの天使はそのように語った痛みのうちにあろうとも126声高に自賛してだが深い絶望に苦しみながら127すぐさま応えを返したのは大胆なる同輩だった128おお公〔キミ〕よ座につく多くの能天使の首長〔オビト〕よ129戦仕度を調えたセラフの群れを闘いへと導き130汝の指揮のもとで怖れを知らぬ凄まじい行い131によって天の恒なる王を脅かして132かの者の至高の優越を強さや133機会や定めによって覆せるかを試みた方よ134余りにも私は眺めて悔やみすぎたこの悍ましい出来事が135嘆くべき転覆と穢れた挫折とともに136我らをして天を失わせしめた様をかの遍く力ある敵が137恐るべき破壊によって神々と天なる精粋を138消し得るかぎりの低みに我らを139横たえたことを精神〔ココロ〕と気概は140不屈の...失楽園125~142行目

  • 失楽園 110~124行目

    楽園の喪失巻一ジョン・ミルトン110その誉れをかの者の瞋恚も権勢を決して111俺から騙し取れはしまい頭を低めて恩寵を求め112嘆願して跪いてこの武力への怖れから己が帝国を113疑うにはあまりに遅すぎたかの者の114御稜威を崇めるのは実は賎しいことであり115この転落よりもさえ不名誉で116恥ずべきことだ定めによって神々の強さと117この至高の天の実在は衰え得ぬうえに118この大いなる出来事を通じて119武力においては劣らなければ先見では優っていたのだから120我らはもっと上首尾な希望をもって心を定め121力か策によって決して譲らぬ非時〔トキジク〕の122闘いを執り行うのがよいのだ我らの大敵に対して123今や勝ち誇ってただ独り君臨する歓びに124浸りすぎて天の専制を保ちづづける者に対して110Thatgloryn...失楽園110~124行目

  • 失楽園 84~109行目

    *昨年十一月から滞っていたParadiseLostの訳を再開いたします。毎日は厳しいかもしれませんが、少なくとも巻一は終わらせられるよう努力いたします。念のため、前回既に訳した84~91行目ももう一度お目にかけます。状況としては、神に弓引いて、同じく叛いた堕天使の群れとともに地獄の最下層に落とされたサタンが、業火に悶えるナンバー2のベルセブブを眼にして呼びかけている……というシーンです。「俺」=サタン。「汝」=ベルセブブ。「かの者」はGodです。楽園の喪失巻一ジョン・ミルトン84汝〔ナレ〕がもし彼奴〔キャツ〕であるならおおだが何という堕落か!何と85変わり果てたか幸ある光の王国にあってさえ86抜きんでた輝きを身に帯びて照り映え87光ある者どもの万〔ヨロズ〕に勝っていた様とはもし彼奴がともに心を合わせて88思いと...失楽園84~109行目

  • T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:最終段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturep.106T・S・エリオット「宗教と文学」106頁今のところ、これがある種の倫理性であって諸制限の内では偉大な善を為し得ることを否みはしない。しかし、思うに、我々は皆それよりも高い理想を提示しない倫理性は拒むべきである。それは勿論我々の目撃している、共同体はひとえに諸個人の利益のためにあるという見解に反する暴力的な反発を表している。しかし、それは同じほどこの世界の福音であって、この世界にはそれしかないのだ。現代の文学に対する私の不満も同じ類のものである。現代の文学が通常の意味で「非倫理的」だったり、あるいはいっそ「倫理に叶って」いたりして、どちらの場合でも責任が充分ではないと思いたがっているわけではない。単にそれ〔*訳注:現代文学〕が我々の最も基本的...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:最終段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第二十段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturep.106T・S・エリオット「宗教と文学」106頁今日、世界の極めて多くの人々がすべての害悪は根本的に経済上のものだと信じている。種々の特別な経済上の変化が世界を正すにも足ると信じる者もいれば、その上に多かれ少なかれ猛烈な社会上の変化を求める者もいる。主として相反する二つのタイプの変化である。求められたり時には執り行われたりするこれらの変化はある一つの面で似通っている。私の呼ぶところの世俗性という考え方を有しているのだ。彼らは時間的な、物質的な、現象的な性質の変化にのみ関心を向け、集団の倫理にのみ関心を向ける。この新たな信仰の掲示を私は次のような物言いに読む。「我々の倫理性において論理を問うただ一つの検めは、それが個人の国家に奉仕する力を何であれ妨げ...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第二十段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」第十九段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.105-106T・S・エリオット「宗教と文学」105~106頁何を好むかを知ることは文学の読み手としての我々の務めである。何を好むべきかを知ることは、文学の読み手であるのと同様にキリスト教徒としての我々の務めである。何であれ我々の好むものこそが我々の好むべきものだと仮定しないことが誠実な人間としての我々の務めである。そして我々の現に好んでいるものが我々の好むべきものだと仮定しないことが誠実なキリスト教徒としての我々の務めである。最後のものは私が望むに二つの文学として存在するだろう。一つはキリスト教徒の消費のためであり、もう一つは異教徒の世界のためである。すべてのキリスト教徒に責務として課されていると私が信じるのは、世界の残りの部分によって適用さ...T・S・エリオット「宗教と文学」第十九段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十八段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturep.105T・S・エリオット「宗教と文学」105頁私は文学に対するリベラルな態度は働かないだろうと示唆してきた。もし仮に「人生観」を我々に押し付けがちな書き手たちが本当に別個の諸個人であって、もし仮に読み手としての我々が別個の諸個人であったとしても、その結果は何になるのか?まずもって確かに各々の読み手は、その読書によって、己が前もって感銘を受けようと支度してきたものによってのみ感銘を受けるばかりだろう。彼は「最小抵抗線」に従うはずだ。それが彼をより良い者にするという保証はないだろう。文学的な判断のために、我々は直ちに二つのことに鋭く気付く必要がある。「我々は何を好むか」と「何を好むべきか」に。どちらか一方でも知っているほど誠実な人々は殆どいない。一つ...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十八段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」第十六・十七段落

    *十六・十七段落は短いため二つまとめます。……二行目に出てくる「Miss.Mannin」が何者であるかは〔少なくとも広辞苑とウィキペディアでは〕確かめられませんでした。文脈からして「高尚な文学/バーナード・ショーとウルフ夫人」に対する「低俗な文学/ノエル・カワードとマン嬢」となるため、ヴァージニア・ウルフと同時代の大衆的に人気を博した女性の流行作家ではないかと推測されます。しかしエリオット氏は素敵に皮肉で厭味ったらしい。「俺以外は世の中馬鹿ばかりだ」と率直に言ってしまえよ。T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.104-195T・S・エリオット「宗教と文学」104~105頁現代の文学はそれ自体の内に善し悪しの、より善いか悪いかの妥当な区別を完璧に有している。私は自分がバーナード・ショ...T・S・エリオット「宗教と文学」第十六・十七段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十五段落

    ★思いがけず長い寄り道になりましたが、「宗教と文学」はあと六段落ばかりで終了いたします。そろそろ失楽園に手をつけねば……二行目の大文字の「ブレイクたち/Blakes」は、正直これでよいのか自信がありませんが、同じ行の「vision」からの連想でウィリアム・ブレイクではないかということにしておきました。ブレイクの作品についてはカテゴリ「W・ブレイク」でTigerとTheSickRoseを訳しております。以下は雑感になります。今回の第十五段落の後半の'thereneverwasatime'を三回繰り返すリフレインの部分には、理知的な散文作者のなかにふと詩人が顔を出してしまったような、おこがましいながら微笑ましさを感じました。そしてふと「バーント・ノートン」の冒頭を思い出しました。↓今在るときと過ぎたときとはおそらく...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十五段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十四段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.103-104T・S・エリオット「宗教と文学」103~104頁この点について私はリベラルな気質からや、もしあらゆる者が考えたことを語り、好むことを行ったならば、物事はどういうわけか自動的な埋め合わせや調整によって正しい結末へと至ると信じている輩かららの言い返しを予期している。「誰にも試みさせよ」と彼らは語る。「もし誤りであったとしたら、我々は経験から学ぶだろう」と。この主張には幾何の価値があるかもしれない。もし我々がこの世で常に同じ世代であったり、そうでないことは承知のように、人々が恒に年長者の経験から多くを学んだりするのであれば。これらのリベラルな輩は抑制されない個人主義と呼ばれるものによってだけ恒に真実が現れると信じている。彼らの考えでは観...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十四段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」 翻訳:第十三段落

    T.S.ElliotReligionandliteraturep.103T・S・エリオット「宗教と文学」103頁私の言わんとしてきたことの主題との関わりが今や多少は明らかになるだろう。たとえ我々が「娯楽」であろうと「審美的な享楽」のためであろうとただ歓びのためだけに文学を読むのだとしても、この読書は決して単に特別な意味の種類にだけ効果は及ぼさない。それは我々に全き人間としての効果を及ぼし、道徳的かつ宗教的な存在としての我々に効果を及ぼす。とある傑出した現代の書き手個人が向上し得る一方で、同時代の文学は全体とて堕落しつつあるということだ。そして我々のような時代にあってはそう悪くない書き手の影響さえも幾何の読み手を堕落させるだろう。書き手が人々のためにもたらすものは必ずしも彼が意図したものである必要はないのだから。...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十三段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」 翻訳:第十二段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturep.103T・S・エリオット「宗教と文学」103頁段階的に育つにつれてより多くを読み、より多様な著者について読むようになって手に入るのは様々な人生観である。しかし、私は疑っているのだが、人々は一般に他者の人生観の経験は「進歩的な読書」によってのみ手に入れるものだと見做している。仮定するならば、それを我々がシェイクスピアやダンテやゲーテやエマーソンやカーライルや、その他数ダースの尊敬すべき書き手に専念した報酬としているのだ。愉しみのための他の読書は時間の無駄というわけである。しかし、私は次のような愕くべき結論に至りたい気分に駆られる。すなわち、「愉しみのため」か、「純粋の歓びのため」に読む文学こそがもっとも大きくかつ幾分疑わしい影響を及ぼすだろうと。最...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十二段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」 翻訳:第十一段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.102-103T・S・エリオット「宗教と文学」102~103頁韻文であれ散文であれ創作による作品が、すなわち想像上の人間の行動や思考や熱情を描いた作品が直接に我々の人生の知識へ拡がるというのは単純には真実ではない。直接の人生の知識とは直接に我々自身に関わるものであり、人々が一般にどのように振舞うのか、一般に何に似ているのかといった我々の知識であって、我々が自身を参加させる人生の一部分における限りで一般化のための材料を与えるものである。創作物を通じて獲得する人生の知恵は過剰な自意識の次の段階によってのみ可能となる。すなわち、それは他の人々の人生の知恵であり得るのみであり、人生そのものではありないのだ。我々が何らかの小説のなかで起こった出来事に、眼...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十一段落

  • T・S・エリオット 「宗教と文学」第十段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.101-102T・S・エリオット「宗教と文学」101~102頁我々の読むものは単に「文学的な味わい」と呼ばれる何かに関わるばかりではなく、多くの他の影響のなかのひとつに過ぎなかろうと、我々の存在の総体に直接の影響を与えるという事実は、思うに、我々の個人的な文学教育の来歴の意識的な吟味によってもっともよく引き出される。ある種の文学的な多感さと共にあった何びとかの青春期の読書を鑑みて欲しい。私は信じているのだが、仮初にも詩の魅惑を感ずる者は誰でも、彼あるいは彼女が若い頃にとある詩人の作品によって彼方へ運ばれた瞬間を思い出し得る筈だ。まずもっておそらく彼は種々の詩人たちに次から次へと魅了されただろう。このつかの間の心酔の理由は、単に我らの詩に対する多...T・S・エリオット「宗教と文学」第十段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」 翻訳:第九段落

    T.S.ElliotReligiousandLiteraturep.101T・S・エリオット「宗教と文学」101頁我々は、先入観や確信をわきによけて創作物は創作物として、劇は劇として眺めるために、文学に対して偏見を持たないことを期待されている。この国で不正確に「検閲」と呼ばれているもの――無責任な民主制における諸個人の意見を代表しているために公の検閲よりもさえ対抗するのが難しい――に、私は殆ど全く共感を抱かない。部分的には、それがきわめてしばしば間違った書物を抑圧するからであり、禁酒法よりさして効果的ではないからであり、国家による統制が相応の国内の影響力にとって代わりたいという切望のひとつの明示だからである。そして、総体としては、それがただ習慣や習癖によって働くものであって、確固たる神学的かつ倫理的な信条による...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第九段落

  • T・S・エリオット「宗教と文学」 翻訳:第八段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.100-101T・S・エリオット「宗教と文学」100~101頁今、一般に人々は限定された意見を宗教的なものであれ非宗教的なものであれ抱き、小説や詩をその問題に即して精神の内の分離された仕切りにおいて読んでいるだろうか?宗教と創作物のあいだに共通する基盤は行動である。我々の宗教は後に続く人々に対する我々自身およびその行動への道徳観と判断と批評とを負わせる。我々が作者によって承認され、作者自身が調整するその結果への態度によって祝福を与えられた何某の行動を人がとるのを読むとき、我々は同じ方法による行動へ向かう影響を受け得る。同時代の小説家が孤立して彼自身の思考の内にあるとき、彼は受け取りえる者たちにたいして重要な何かを提供するだろう。しかし、小説家の...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第八段落

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