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狂電関人の写真庫 https://blog.goo.ne.jp/ef5831shimonoseki

狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。

小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。

狂電関人
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住所
蕨市
出身
春日市
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2011/05/08

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  • 鴎が啼いた日

    その時は、突然やってくる人生の第三コーナーを経て第四コーナーへ進みつつある電関人そんな自分に不意にやって来たお別れ最愛の妻を亡くした間もなく最初の月命日がくるそろそろくよくよもしてられないからブログを再開しようと・・・かもめの命日は9日家内の命日は12日だ1975年3月9日山陽本線下関駅にてその走りを終えた最終1Ⅾ下関で運転打ち切り車両は食堂車抜きで12両編成明日からは特急おきとして山口線・山陰本線に活躍の場をかえるOLYMPUSPENFサクラカラーⅡ鴎が啼いた日

  • 炭都の余韻

    筑豊地区から蒸機が消えて約五年炭鉱はまだ稼働してしているものもあり白い鉱石輸送も盛んになっていたころ筑豊の象徴だった北九州入り口の複複々線は消えさったものの未だその輸送力には余韻が感じられた折尾の地上ホームに到着する香月線からの直通列車2月の底冷えする中でしっかりとDE10が蒸気発生装置から出されたスチームが心地よい炭鉱と一大工業地帯で四六時中はたらく戦士たちをピストン輸送した名残だろう二両目には特急鴎で使用されたナハ10軽量客車も見える行き先は確か若松今もどうして若松機関区を覗きにいかなっかのは何故かという問いが頭を巡る1979年2月筑豊本線折尾地上駅NikonF2photomicSBKR炭都の余韻

  • 氷雨降る大晦日の和田山にて

    高校入学後電関人の山陰愛はいよいよ強まり冬はもちろん春や夏も山陰本線に通う始末今回はその山陰の雄DD51の話周知のとおり大半の蒸機ファンから死神の異名を付けられ忌み嫌われる機関車蒸機世代殿の電関人にとってはD51同様にDD51は親しい存在であるこの冬は確か初めての試みとして岩国始発広島まで各駅停車扱い芸備線・木次線廻りの夜行急行ちどり3号で山陰本線入りした数あるルートの中で中国山地を縦断するこの入り方はその後お気に入りとなったというか電関人の短所でもあるが、気に入るとサルがラッキョウの皮をむき続けるが如く・・・福知山に向かう道中播但線の分岐駅による折からの生憎の雨に艶めかしく濡れる播但線列車の先頭に立つDD511126(福)1977年12月大晦日山陰本線和田山駅OLYMPUSOM-1zuiko28㎜F3....氷雨降る大晦日の和田山にて

  • 春まだ浅き安曇野のハハハハシロロハハ

    急行アルプスと言えば名門急行のひとつ撮り専でもなくモケテツでもある電関人は地元の鉄道ダイニングバーにも通うオールランダー大学には一年遊んで遅れて入学した年の長ーい春休みは東北から始まって中部を経由して瀬野八から下関ゴハチバルブとやりたい放題の東北ワイド周遊券の旅プラスアルファだった磐越西線五泉から蒲原鉄道で上越線に抜け相棒と土樽待ち合わせ土樽YHの変態ペアレント歓待?の翌朝は腰までのラッセルでループ橋へそのまま高崎・長野経由でその日は浅間温泉YH泊翌日は生憎の春の曇天と手荒いながらも後ろ立山は薄ら笑顔こんな写真が旅の記念カットとなる1981年3月大糸南線安曇沓掛付近急行アルプス回送NikonF2photomicSBnikkor50mmf2YOfilterTX春まだ浅き安曇野のハハハハシロロハハ

  • 始発駅に住まう

    電関人がまだ電車通勤していたころ混んでいる電車で少し我慢するのと必ず座れる郊外奥地から遠距離通勤はどっちがいいのか真剣に悩んだことがあったそんな悩みを解決してくれる秘策は・・・最寄り駅が始発駅であること。少し早めに並べば確実に座れるし逆は終着だから乗り過ごしもない或る意味理想的な最寄り駅だと思う1977(?)年5月国鉄甘木線甘木駅(現甘木鉄道甘木駅)OLYMPUSOM-1Zuiko50㎜f1.8TX始発駅に住まう

  • 炭都 筑豊の記憶

    電関人が中坊になってすぐの頃だから74年前半でいわゆる蒸機の最晩年のこと博多から篠栗線経由で直方に出て日田彦山線下りで後藤寺へ乗換列車を待っている寸暇に9600が給炭設備の下で出区の準備をしていた炭都の空はどんよりと9600の煙で霞んでいた1974年夏筑豊本線直方駅OLYMPUSPENFzuiko100mmサクラカラー炭都筑豊の記憶

  • 冷水への径

    エネルギー革命が起きるまでこの国を支えてきた石炭産業もちろん蒸気機関車を走らせる動力源鹿児島本線を原田(はるだ)で別れ炭都を抜けて北九州工業地帯を繋ぐ短絡線として機能した幹線であるその炭都への径は原田を出るといきなり山へ分け入り三郡山系の山々をトンネルを穿ち桂川(けいせん)を経て飯塚や直方などの炭都へ通ずるトンネルも峠同様冷水(ひやみず)の名が付き工事には在日朝鮮人労働力が費やされた暗い過去を持つかつてはC55やD60D51に9600が往来し長い石炭列車には後補機が付き急行天草特急かもめあかつき明星も筑豊廻りまで存在したその後エネルギー革命を境にして北海道とともに筑豊の炭都は急速に衰退し閉山後石炭→石灰革命を経て今に至るが冷水へ分け入る細径にはかつての栄華を偲ぶものは何もなく単行のディーゼルカーが日に数往...冷水への径

  • グラマラスシェイプ

    高校時代に芸大出身の美術教師と激論を交わした思い出シュールレアリズム(リアルを超越する表現)は絵画でのみ成立すると主張する教師に写真部所属の電関人が問うた写真にだってリアルは超越できると教師曰く現実忠実に写し出す写真にはリアル(現実)を超えられる訳がないとリアルを写す写真にだって現実超越技法はあるはずだと電関人は唾を飛ばして言い返した話は変わって今だと〇〇ハラスメントなどと罵声を浴びかねないが電関人のエロというかフェチ感をそそる女体のシェイプは鳩胸に僅かに乗るマイクロバストである我々趣味の対象となる乗り物は基本女性名詞である交流汎用機として世に出たパイオニア的存在のED72とED73姉妹彼女たちのフェチ感そそるグラマラスシェイプを敢えてワイドレンズで点流し撮り解るかなぁ解んねぇだろうなぁ。。。↑ED72↑...グラマラスシェイプ

  • 古戦場を行く

    かつてハドソンやヘビパシが通った鹿児島本線中南部の景勝地田原坂ここは蒸機の踏ん張りどころという古戦場である以前に薩摩藩出身の西郷隆盛が政府軍と戦って散った古戦場でもあるハドソンと言ってもここを往来したのはC60型やC61型でヘビーパシフィックのC59型を継承した弟分電関人が物心つく小学校中学年代には古戦場にはその雄姿は無く熊本以南まで活躍の場を後退させており古戦場は線路も勾配緩和のために付け替えられて主役は蒸機から電機に取って代わられる比較的勾配が少ない鹿児島本線北部と比較すると大牟田から熊本の区間は山がちで起伏が多い蒸機時代に喘いだ急勾配はその大半が付け替えられ線形が変わっており蒸機時代の写真を彷彿させる名残は皆無に等しかった夜行急行かいもんを真夜中に熊本で乗り捨て熊本始発の上り一番列車でとって返し田原...古戦場を行く

  • 未明の博多駅ースチームの暖味ー

    ご存知博多は日本海側に位置し冬の冷え込みはそれなりかつて客車を牽く電気機関車は蒸気発生ボイラを積んで客車全車両へ暖房用スチームを供給していた冬の博多は夜明けが遅い心底冷えるホームに濛々と蒸気を吐きながら上り夜行急行かいもんが入線する鹿児島や熊本久留米からのサラリーマン風の乗客が数人下車観光ではなく生活列車としての役務を担いこの時間帯には長崎からの夜行快速(各停ではない)ながさきも並走している1979年早春鹿児島本線博多駅上り急行かいもんNikonphotomicSBTXASA800増感(マイクロドール現像)※この度の能登半島を中心とした大震災に罹災され亡くなられた方々には心から哀悼の意を表すとともに全被害者の方々にはお見舞いを申し上げます。未明の博多駅ースチームの暖味ー

  • 一富士

    謹賀新年正月と言えば初夢初夢と言えば一富士二鷹三茄何で茄?さておいて年賀状を元日に間に合わせるためにせっせと期日までなんてのはナンセンス愚の骨頂な気がする元旦に一年の計を立てて新鮮な気持ちで筆を執るから通信面に2024元旦と認めるのではないのだろうか?郵政の陰謀だと元日のブログで四の五の話は無粋閲覧いただいている方々にいい初夢を・・・2024年元旦2005年4月下関駅下り富士ぶさCanonIXY一富士

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