海外に長くいるなら、携帯は今や必需品とも言っていいでしょう。特に私なんかインターネット中毒なので、ないと死んでしまいます(‐‐;)今回は趣を変えて海外でのインターネット環境(携帯)について書こうかと思います。
つかまえたリキシャは、タージの近くで私たちを下した。朝食を食べたあたりだ。その朝食で訪れた
おひさしぶりです、わさびです。なんの書置きも残さずにここを去って一か月以上たってしまいました。書けなかった、とかいうたいそうな理由でもなく、忘れていたとか書きたくなかったとかいうことでもなく、単純に、また、旅行に出ていました。中国横断・一か
適当に歩き回った後、リキシャを捕まえてアーグラカント駅に向かった。アーグラカント駅の表、つまり城側を少し歩いたが、露天以外には何もないようだったので、裏側、つまり観光地とは離れた方を探検してみようということになった。踏切でも何でもない、ただ
アーグラ周辺を散歩したのは良かった。
以前も述べたように、タージマハルの中には一つだけ左右対象ではない場所がある。それが霊廟である。
マリオのおじさんは適当な額が支払われると、 「明日は早く行って朝やけをタージで見たらいいよ、あ、ファテープルシークリーを見に行く時は宿の主人に言ってくれたら迎えに来るから〜」 「じゃ、今日は楽しかったよ!アデュ〜」とかなんとか言いながら去っ
おまけ・載せられなかった写真
ここから読みはじめる方は右のカテゴリからインド・ハイライトを選んで読んでいただくと早いです。アーグラ城は確かに見ものだった。デリーの赤い城、ラールキラーに見劣りしない(といっても、ラールキラーを見たのは外観だけだが)美しい赤岩の城壁をさらし
朝5時の電車だったので、来たのは寝台だった。なかなかどの座席かわからずさまよったが、なんとか自分の座席にたどり着く。一応、一緒に行動してるだけで電車などはバラバラにとったので、アキコちゃんの席は別なところだったようだ。アキコちゃん、私の席こ
そういえば、カーンから逃げなくては、と、思っていたんだった…はたと気づくがしかし、シティパレスを出るとそこにはカーン。にこっと笑って彼に手を振った私の顔は引きつっていたかもしれない。
翌朝は10時にカーンと待ち合わせた。また同じ屋上のレストランでだ。私たちは8時半頃起きて、朝食を食べにレストランへ行った。ヨーグルトとサモーサー。それからチャイ。寝ぼけ眼で食べる。「ねえねえ…」とアキコちゃんに小突かれて、ふとすぐ横に視線を
戻るとやはりカーンが待っていた。「買わなかったの?」「うん、この先もまだ長いしね」「そうか、アキコ、カーマスートラ—!だもんね!」「だーかーらー!」「アキコ、エッチな気分になってくれないもんかねえ…」「…」「…元気がないね。ほら
「ところでわさび、さっき象タクシーに乗りたいって言ってたな」「う、うん」「象は高いからやめとけ、と言ったが…ラクダに乗ってみないか?」「おお!」「じゃあ次、水の宮殿に行って、ラクダに乗って、そのあとファクトリーに行くのでいいかな!」「ちょ、
カーンが歌う日本の童謡をBGMに、ジャイプルの街をリキシャで駆け抜けていく。彼は陽気な男だった。歌い終わると、「ジャイプルには何日いて、どういうふうにインドを周るんだい?」「えっと、ジャイプルに二泊したあと、二人でアーグラに行って、そのあと
「絶対カタギのひとじゃないでしょう…」「ぼったくられそう…ぼったくられそう…!」そんなことを言いながらも、真面目な私たちは、その男に指定された時間に屋上のレストランに向かった。
登場人物を書いたほうがいい、とのアドバイスをいただいたので、右に簡単ですが出てくる人をまとめてみました。わからなくなったらどうぞご覧ください。*Twitterで「見てるよ!」との声をいただきました!とてもありがたいです。やる気がわいてきます
朝だ…ジャイプルへと出発しよう。まだ暗いうちに、人通りのないメインバザールを通って、デリー駅にたどり着いた。昨日は、日の出まえの散歩をしていたミエさんを尊敬していたものだが…できるだけ前だけを見て、歩いた。朝5時半であるが、駅は大勢の人でご
さて、このブログを読んでいる人は誰も覚えていなさそうだが、私は前日の夜、シゲタトラベルのラジェンダさんに列車のチケットを頼んでいた。そしてそれが今日の夕方5時までには届くことになっている。また、CYPに出向かなくてはならない。私は、これから
今日の宿、HOTEL ANOOPまで帰ってくるなり、一人のインド人と目があった。あ、あう、あう、ときょどっていると、彼は声をかけてきた。「雨に降られたのか!大変だったね…。今日はどこを回ったんだい?」は、は、話しかけられた。「えっと…まずラ
さてすっかり体力回復したことだしラールキラーへ向かおう!交差点を渡ればすぐだ。もう、目の前に見えている。
チャンドニー・チョウクはガイドブックにも掲載されている名物通りで、観光資源としても価値がある。いったいどんな通りなのか想像してほしい。
台座をあとにし、公園の中を一周するころには、すっかりのどが渇いていた。最寄りの出口から出ると、もうすっかり博物館側の入り口は遠くなっていたので、背中を向けて歩いていくことにする。↑公園の出入り口から、ジャマー・マスジットの頭が見えた。これは
ブログ村ランキング「インド旅行」にて一位になりました!ランキングに協力してくださった皆さん、読んでくださっているみなさん、ありがとうございます!今日は少し硬派な記事になります。
ガンジー(1869−1948)は言わずと知れたインド独立の父である。弁護士として南アフリカで活躍した後、インドで不服従の運動を展開し、そのように呼ばれるようになった。詳しくは映画「ガンジー」を見てほしい。長い映画ではあるが、だいたいこれを見
ボったくられてしまったが、気を取り直して今度は私の心から尊敬するガンジーが火葬された、という「ラージ・ガート」と、そのすぐ近くにあるガンジー博物館へ移動することにする。店を出ると先ほどのドライバーが待っていた。さながらイギリス王室とパパラッ
さて、今日まず一番にしなければならないことは、宿探しだ。ミエさんのお友達が今日デリーに到着するので、私は宿を失ってしまう。ガイドブックを片手にメインバザールをてくてく歩いていくと、目星をつけていたうちの一つが見つかった。HOTEL ANOO
朝早く起きると、すでに隣のベッドに寝ていたミエさんはいなかった。わしゃわしゃっと歯を磨いて顔を洗い、外に出る。 これがまさにホテル前。インドの街並みである。昨日ついたのは夕方過ぎだったので、日のもとでしっかりその姿を見るのは初めてだ。そこま
Cottage Yes Pleaseホテル(以下CYP)に到着!
ここでまず最初の問題が発生した。実はこのフライト、1時間以上も早くデリーに到着してしまっていたのだ。遅れるということはよくあるけれども、一体どうしてそんなことになったのかまったくわからない。おそらく、頼んでおいた送迎はまだまだ来ないだろう。
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