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母を看取る http://hikarutakara.at.webry.info/

ステージ4の腎臓がん1年5か月の闘病後緩和ケアに移りました。せん妄が強くなる母の最期の記録です。

たから
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2011/04/04

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  • 一周忌

    母が旅立ってから1年が過ぎた。 この1年・・・ 色々な事がありすぎて、早かったような長かったような・・・ 1年前緩和ケア病棟に移ってからの日々。 苦しみ哀しみ抜いた日々からもう一周忌を迎えた。 自身うつ状態で未だに通院中、一時は医師に強く何度も入院を勧められた。 今の私はお母さんにはどんな風に見えている? もう1年が過ぎたというのに、あの時に感じた哀しみと苦しみから、 まだどうしても立ち…

  • 半年が過ぎて・・・

    落ち着いてきたと言えるのかな・・・ 母の入院当時からお世話になってる精神科のカウンセリング。 いろんな薬を処方してもらった。 副作用があったり、効果が上がらなかったりだったが、 ようやく合う薬に巡り会えた。 薬が合うと格段に日常がこなせる様になった。 眠る事への嫌悪感と罪悪感で無茶苦茶になった睡眠が、 日常生活に支障をきたさない所まで持ってこれた。 幻覚や幻聴も嘘のように消えた。 で…

  • 夢の中で

    「せめて夢の中で逢えたら・・・」 そんな話もよく聞くけれど、私は必ず母の夢を見る。 母が逝ってしまってから、夢を見ない時は一日たりとも無い。 母が逝ってしまった日。 2日間病室で付き添っていた。 5月の連休中のちょうど真ん中の平日。 その日の朝、喘ぎ続けていた母の呼吸が少し楽そうに見えた。 表情も幾分穏やかに見えた。 朝巡回に来られた先生に 「呼吸が楽そうになりましたね。でももうあまり時間は…

  • 向き合えない事実

    母の最期の瞬間、私はそばにいなかった。 毎日通い、母が旅立つ直前の二晩病室に泊まり込んだ。 なのに私は母の最期の瞬間にいる事が出来なかった。 「今日は出来れば泊まってください。お電話しようかと思っていたんです。」 4月30日、子供達を連れて病室に入るなり言われた。 頭が真っ白になった。 積極的治療をあきらめた頃から常に思っていた事がある。 ゆるやかにだんだんと、私が見てもそれとわかるように…

  • ひとめ 母に

    会いたいと願い続けている。 毎日可愛らしい花束を手向けるよう努めている。 子供達と海岸で拾った貝殻。 母が「可愛い」と言っていた小さなストラップ。 逝ってしまった母へ届く様、 行事のお知らせは祭壇へ供える子供達。 あの日、母が逝ってしまった日。 母は入院の時に新しく買った服に着替え、 娘と二人で母にお化粧を施した。 とても寒く静まり返った霊安室。 結婚式もせず、花嫁衣裳も着た事が無い母…

  • 永眠

    5月2日 子供達の笑い声を最期に確認し、 母は永眠いたしました。 里の兄姉と共に家路を辿った事と思います。 コメント頂きながら個々にお返事申し上げる事が出来ず 申し訳ございません。 感謝いたしております。ありがとうございました。 想う事が入り乱れ上手くまとめる事ができません。 とにかく今はこれしかここで書ける事が見つかりません。 お母さん ごめんよ 本当にありがとう。 …

  • 届いてますか

    荒い呼吸で眠る母。 みんなで手を握ると 必死で眠りから覚めようとしてるかのように、 重たい瞼が数秒開く。 開いた瞬間子供達が顔を覗き込む。 泣きたい気持ちだろうけど、 必死に笑顔で「おばあちゃん」と呼ぶ子供達。 あなた達はエライね。 頑張ってるね。 本当におばあちゃんの事大好きだものね。 閉じた瞼の下の眼球が左右にずっと動いている。 孫達の顔が見たいと思ってくれてるのかな。 目を開…

  • あと4日

    火曜に母が言っていた言葉がまだあったらしい。 私が眠っている間、主人と子供達に母がかけた言葉。 「心配かけたね。あと4日したら歩けるから。 ご迷惑おかけしましたぁ。」 火曜から4日後は土曜日。 土曜は長男の部活が休みの日で、 母の告知以来、長男は朝から母に付き添い続けた。 友達と遊びたい年頃だろうに。。。 それまでは自主練でよく友達と出かけていた。 あまり多くを話さない子だが、気持ちの…

  • 星に願いを

    今日は子供達三人とも連れていった。 母は反応が無く、みんな呼びかける事も諦めてじっと見つめていた。 娘が小学校で作った木箱のオルゴールが枕元にある。 曲は自分で選べ、流行の歌もたくさんあったらしい。 娘はスタンダードナンバーを選んでいた。 最初の手術が終わり、スーテントを始めるまでの休息の時、 かねてから母の念願だった東京ディズニーランドとシーへ旅行へ行った。 父にばれない様に嘘でかためて…

  • 終の棲家

    この病室が母の終の棲家となった今、 出来るだけ私達家族全員で付き添うようにしている。 入院当初に病室の外に名前を出して良いか聞かれた。 母は無言で首を横に振った。 「名前出すの怖い?」と聞いてみた。 父が一度外に出ると、自分の所へ近づいてくるような気がすると母が言った。 父にここは知られていないよと言っても不安は取れなかった。 名前を出さない事で少しでも安心なら・・・と 「在室中」とだけ…

  • 待たせてごめんね

    朝から当たり前の事なのだけれど、洗濯して掃除して、 夕飯の下ごしらえまで出来た。 ところがパタッと動きが取れなくなった。 母の着替えを洗濯するのを忘れていた。 替えは十分あるし、今日持って行けなくても大丈夫なのに・・・ 想定外の事が起きるともうダメだ。 大した事でもないのに・・・ こうなるといつものパターンにはまってしまう。 全く身体が動かなくなってしまう。 息苦しい。耳鳴りがする。手が…

  • 無限の力

    娘が今年、書初めで書いた文字。 「無限の力」 病室で探し物をしていて、母のスーツケースの中から見つけた。 そういえば娘が母に渡していたなと思い出した。 母は入院の度、スーツケースにずっと忍ばせて持ち歩いていたんだな。 娘は恥ずかしそうに照れていたけど、母が一番目につく場所に貼ってみた。 「上手やなぁ・・・」 増えていく写真と書初めを、母はじーっと眺めていた。 もうひとつ見つけた。 私の…

  • 被災された方々へ

    遅ればせながら・・・・ 私の愚痴を綴ったこんなブログへもたくさんのアクセス頂いている。 中には被災された方々もいらっしゃる事と存じます。 母も私も阪神淡路大震災を経験致しました。 比べようも無い被害とお気を悪くされるかもしれませんが、 少なからず苦しみを分かち合えたらと思います。 母は起きていたので難を逃れましたが、 家具がなぎ倒され、寝ていたら圧死していたでしょう。 がれきの街を歩き、…

  • 娘の涙

    今日の私は全くもって情けないの一語につきた。 安定剤も飲んではみるが、だるさがぬけない。 母を守り健気に付き添う。美談だな。。。 本当は違う。違う。違う。 そんな事を考えながらダラダラと過ごしてしまった。 子供達にかなりの負担をかけている。 娘の今日提出期限だった書類に捺印を忘れた。 ハンコ持ってきてと電話をかけてきた。 身体が動かない私は、帰宅してから学校へ持って行ってやると言った。 …

  • 生きてる

    深夜母が目を覚ました。 「死んだ!」 「誰が?」 「わたし」 「生きてるよ!」 「死んだ?」 「生きてる!生きてるよ!」 母の頬をなでて 「ほら 生きてるから!大丈夫」

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