「離婚体験記」学生結婚から12年後妻が子供を置いて出て行くまでを振り返り、学びを得るためのブログ
離婚率は、年々高くなっている。僕も2年前に離婚したばかりだ。離婚の精神的ダメージは相当なものだ。離婚で苦しんでいる人たちも増えていることだろう。時間は心の傷を癒してくれるが、その間、やけにならず、離婚から学びを得なければ、同じことを繰り返すだろう。
妻は、友達もできたらしく、楽しく学校に通っている。 しかし、宿題(レポートの作成)なども大変らしく、 夜遅くまで、リビングで勉強していた。 ある時、友達について話してくれた。 特に仲のいい2人
私は、妻が看護師になりたいという気持ちを尊重した。 本当になりたいのなら、夢は必ず叶う。 そう信じて、方法を探した。 働きながら、看護学校に通い2年で准看護師の資格が取れる学校があった。 授業
新築一戸建てを購入し、引っ越しをした。 私の両親の実家近くに、家を建てたので、 たまには、私の両親が、子供達の面倒をみてくれることもあり、 妻は、近くの介護事業所にパートに出た。 デイサービス
外資系の損害保険会社の営業は厳しい・・・ 半年を過ぎれば、同期入社は、半分は辞めていた。 1年を過ぎることには、4分の1・・・・。 しかし、私は、飛び込み営業・TELアポ・DMを 休まず続けて
またまた、転職。(当時26歳) 保険代理店の独立制度に挑戦することにした。 外資系の損害保険会社で、まずは研修2カ月間 商品知識の学習と飛び込み営業の日々だった。 飛び込み営業では、2か月間の
住宅営業で、展示場でお客様を待っていても、先輩が接客。 なかなか、自分の担当客がもらえない・・・・。 そのうち、店長が、なにもすることなかったら、 「このアンケートのお客さんを訪問したら・・・」
大学卒業後の1社目は、不動産屋での独立を目指し、 就職したものの、総務部配属で、結局4カ月で辞めていた。 ハローワークで、地元の住宅営業マンの募集を目にした。 住宅営業は、歩合給で厳しいと思ってい
カレー屋の辞め、軽貨物での独立準備をしていたころ、 派遣スタッフ(日雇い)に登録していた。 1日7000円ぐらいの現場や、交通費がなく、 1日6000円の現場もあった。 また、年末年始のため、
カレー屋での修業は、かなりきつかった。 体重は、7キロ減・・・・。 しかし、結婚して10キロは太っていたので、元にもどった。 つらい時は、午前1時閉店後、他店で朝の午前6時まで深夜の掃除。 その
僕が、カレー屋で独立を目指している頃、 妻は、整形外科の診療所にパートとして働いていた。 僕の勤務は、午前10時頃~夜中の1時頃までの勤務だった。 妻は、たまに、整形外科の院長の話をしていた。
この頃の家計は・・・ 手取り、20万円そこそこだった。 家のローンと食費で精一杯。 食費を定額、妻に渡し、家計は実質、私が握っていた。 妻も家計のやりくりは、食費以外に望まなかったからである。
結婚2年して、妻が成人式を迎えることになった。 地元(大阪)に帰って、久しぶりに中学生の同級生に会うとのこと。 妻は、朝から美容院に行って、着物に着替えた。 僕がいうのも、なんだが・・ 妻は目
長男が1歳を過ぎると、妻は、働きに出てみたいといった。 賛成だった。 私の考えは、女性も積極的に社会に出るべきだと思っている。 子育てに関しても、世間を知らない専業主婦の感覚で、 子供の教育を
税理士試験の模擬試験の難しさに挫折・・・・。 しかし、独立への夢は捨てられなかった。 そこで、ココ一番屋カレーの2年後、のれんわけ独立制度の 募集に目が止まった。 ケーブルテレビ会社を退職し、
僕が、独立を夢みて、社会経験もなく、 だだ、根拠のない自信だけで、もがいているころ・・・。 妻は、何を考えていたのだろう。 ケーブルテレビ会社で働いている頃、ボーナスが出たので 妻に自動車教
社宅を引き払い、地元の滋賀県に戻った。 駅前の小さな中古マンションを親の名義で購入。 僕がそのローンを払うことになった。 仕事は、地元のケーブルテレビ会社。 営業志望だったが、ここでも、簿記の
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