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居眠りバグの音楽回想 https://blog.goo.ne.jp/yoophy/

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイ専用ブログ。

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2010/11/26

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  • 平均律クラヴィーア曲集

    平均律クラヴィーア曲集鍵盤楽器を演奏する者にとっては、必須科目(!)といっても過言ではないすべての源になる作品群。ある日、ふっと妙なアイディアが降りてきた。この曲集のプレリュードだけ抜きだして24曲、通して弾いてみたらどう聞こえるかしら?まずは第一巻をフォルテピアノでhttps://youtu.be/U7W3inTiO4o第二巻をチェンバロでhttps://youtu.be/VbGvpwRffyAそれぞれのプレリュードのキャラクターが、次々と目まぐるしく変化してまるで長い組曲を聞いているかのようになった。お楽しみいただければ幸いです。平均律クラヴィーア曲集

  • マメーリの賛歌

    1946年以降制定された、イタリアの国歌。今年は、イタリア国家生誕150年の記念の年なのでスポーツの国際試合以外の場でも、国家を聞く機会が多くあります。先日、行ったコンサートでは何故か冒頭で突然の国歌演奏。マメーリの賛歌は、大概、ヴェルディによる編曲版で演奏されるのでカッコイイ!演奏が始まった途端、聴衆が一斉に立ち上がってメロディーを清聴していたのが、印象的でした。国歌に対しては、どの国も様々な問題を抱えているようですが純粋に国を愛するものとしてどんな曲でも、やはり愛して歌うべきものではないかと思います。マメーリの賛歌

  • あぁ、勘違い。

    モーツアルトのヴァリエーション(K.398)を練習していて、おかしなことをやっていたことに気がつきました。図1最後の三小節。私、↓こう、弾いていました。図2スラーのかかった、スタッカート記号。フランスものでは、よく見かけるもので図2のように演奏します。何も考えず、そう弾いてしまい第二ヴァリエーション(図2)に来て「!!!」あぁ、これモーツアルトだったんだ。初見で、演奏会なんて、殆どあり得ないシチュエーションだけど本番じゃなくて、良かった(笑)色んな時代のものを、ごちゃまぜに弾くときは気をつけよう。あぁ、勘違い。

  • おすすめの

    コンサート明日です。おすすめの

  • 「音楽と言葉」

    フルトヴェングラーによる著作「音楽と言葉」。~すべての偉大なものは単純である~という箴言から彼の言葉は始まります。翻訳もとても素晴らしいと思うのですがフルトヴェングラーの発する言葉には、何一つ無駄がなく的確であるばかりでなくたちどころに心を打つ、何か特別な力があると感じます。科学的な検証によって、生命の奇跡や非有機的な世界がより身近になった現代、宗教や芸術の持つ力や意味もそれによって大きく変わってしまいました。その問題を明らかにしながら芸術とは?音楽とは?そして、それにどう関わるべきなのかをフルトヴェングラーは静かに私たちに語りかけています。「様式にふさわしく」だとか「楽譜に忠実に」ということが本質なのではなく過去の偉大な作品が持つ直感的な要素、それが一体なんであるのか「限りを尽くして」探求し、体験し、演奏する...「音楽と言葉」

  • アルマ・マーラー

    アルマ・マーラーに関するエッセイ。主役を支えた女たち~アルマ・マーラー~彼女が語られるときいつもその華麗な男性遍歴がついて回ります。でも、実は作曲家なんですよね。本当はもっと勉強して、音楽家として生きたかった人かもしれません。マーラーは何故、彼女に作曲を禁じたんだろう?女性の運命は、時に残酷なものです。アルマ・マーラー

  • Julius Reubke

    先日、リストの弟子であったJuliusReubkeの作品を聴く機会に恵まれました。聞いたのは、現在残っている彼の作品6曲(と演奏者は言っていた)のうちの三曲。マズルカ、スケルツォ、そしてソナタでした。大変良い曲です。ソナタはリストのロ短調ソナタのモチーフが使われていたり全体的に師匠の影響は否めないけれどもう少し演奏される機会があっても良いな・・・と思いました。今年は、リスト生誕200年の記念の年。彼が取り上げられるチャンスが少し増えるかもしれませんね。JuliusReubke

  • ヘボ批評家たち

    ある芸術の美学は他の芸術にも適応する。ただ材料がちがうにすぎない。フロレスタンロベルト・シューマン著「音楽と音楽家」よりシューマンの演出はユニークで参考になることも沢山書いてあるのですが歯に衣着せぬ痛烈な言葉の数々が面白いです。ヘボ批評家たち

  • バッハ崇拝

    この真の芸術精神があればこそ、バッハが己の偉大にたいして崇高な芸術様式に、大きな全体を構成している個々の部分のきわめて繊細な優雅さと最高の正確さを~この場合普通にはただ美しさだけを狙っているような作品の場合ほどには必要だと考えられていないその優雅さと正確さを~結びつけたのであり、更にまた、その真の芸術精神があれがこそ、彼が、大きな全体の個々の部分に最高の正確さにおいて少しでも欠けるところがあるときには、その全体が完全なものになり得ないと信じたのでありつまりは、その芸術精神があればこそ、偉大さと崇高さを求める彼の天分と基本方向にも拘わらず、時には陽気に、戯れさえしながら作曲し演奏し、しかもその明るさと戯れは賢者の明るさと戯れだったのである。フォルケル著「バッハの生涯」より第11章バッハの精神これで、一文。長いです...バッハ崇拝

  • 5本の指

    「一生懸命練習してごらんなさい。きっと巧くいきます。あなたにだって、私と同様、両手に五本ずつ上部の指があるのですから。」バッハの言葉~フォルケル著「バッハの生涯」より5本の指

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