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  • 平成最後の日

    まもなく改元で「令和」の時代となる。平成3年3月に開業し、後継に平成29年に引き継いだ身にはまさに平成の時代とともに有ったとの実感が強い。昭和天皇崩御から今上天皇の時代31年。現皇太子殿下は自分より年下でありいわば次の世代の君主である。今上天皇陛下にはUIA東京大会2011で初めて身近にお姿を拝見できる機会があった。各国の建築家の代表が天皇陛下に対する最大限の礼をもって接していたのは日本国民として誇らしい気持ちにさせるものだった。日本の近現代での大きな変節点はやはり昭和20年の敗戦によって歴史上初めて他国の占領下に5年間置かれたことであろう。占領側は当然懲罰的施策を打ち出し日本を物心に渡って弱体化させようとした。一方で本国でもできなかった理想を実現させようともした。昭和、平成時代はこれらをいかに乗り越えようとし...平成最後の日

  • 日帰り電車の旅

    休日に付きのんびり新幹線や有料特急は使わないで横浜へ。横浜といっても田園都市線の「たまプラーザ」から徒歩15分の「2つのアトリエ展中村高淑(建築)中村直子」に拝見に伺う。中村さんは現JIA支部住宅部会長。先般のこちらのオープンハウスにご夫婦で愛車ビートル改で遠路来ていただいた。円熟した破綻のないディテールに支えられたキリッとした中にも楽しい生活ぶりも伺える良いアトリエだ。たまプラーザ周辺の住宅地は古い一戸建てから最近建てられた住宅、マンション、アパートと複数の種類の住宅から成り立っている。丘陵地の高低差が町並みに変化を与えこの時期新緑とツツジが成熟した環境を一層豊かなものにしている。ここから長津田経由町田、鶴川と移動。休日なのか、休日にもかかわらずなのかわからないがとにかく大勢の人出。都心に出ることは有っても郊...日帰り電車の旅

  • 桜もそろそろ終わり

    上発知の枝垂れ桜になんとか間に合う。途中染井吉野はすでに葉桜。山吹の黄色い花が目立つ。いよいよ桜の頃ともお別れ。桜もそろそろ終わり

  • 寒い週末

    昨日に引き続き寒い。風も強い。榛名がくっきり見える。相馬原あたりの緑がくっきり見えるようになった。その上の黒い杉林、更にその上の落葉樹の森の新芽で明るい色に変わりつつある山麓。空気が透明なだけが春らしくない。土曜日は高崎から水上まで旧型客車を牽引するSL列車が通る。汽笛の音につられ川畔に降りて通過を見守る。D51498はさすが幹線用大型機ならではの迫力で大井川鐵道の小型機より役者が上である。石炭の煙の匂いがときより舞い込むこの場所の楽しみの一つだ。寒い週末

  • 花冷え

    町中ではもう葉桜になってしまったから花冷えというには似つかわしくないが今日は寒い。しかしこの雨で畦畔の緑は一層鮮やかになってきたようだ。埃っぽかった周囲ももはや野草でどんどん覆われていく。井野川河畔に仕事場が変わってからもうじき4ヶ月。自然の移ろいをこんなに間近で見られるのははじめてのことである。あるいはそのような変化を感じられるようになったということか。花冷え

  • 帝都医科大学附属病院

    ドクターXではないので群馬県庁の昭和庁舎。結構ロケに使われている。今日は群馬インテリアコーディネーター協会の通常総会がここで開かれた。もう会歴は28年に及ぶ。友人のすすめで当時の群馬インテリアコーディネータークラブの勉強会に顔を出させていただいて以来のことである。開業直後のことで勢いよく始めてしまった住宅設計の世界で住宅設備のことや窓装飾のを始め実に多くのこと学んだ。この歳になってひょんなことから役員になり事務局まで引き受ける羽目になってしまった。最後のご奉公と言ったところ。少しでも恩返しができればと思う。帝都医科大学附属病院

  • 内山峠

    佐久市の現場に出張。上信道は退屈なので内山峠を久しぶりに登る。距離はこちらのほうが短く、時間は少し余分にかかる。ただしわずかな差である。中仙道に並行して走る国道254動線は意外と大型トラックが多い。道はかつてのような悪路ではないからずいぶん楽になった。時々途切れ途切れに旧道の痕跡が見えるが厳しい道だった。今日は生憎の雨模様。峠道は霧も出て深山幽谷といった風情そのまま。紅葉のときはさぞ見事であろう。現場は龍岡城の近く。小さいながらも城下町の面影が残る。高札場のようなものもうかがえた。山間には不釣り合いな大きな寺「大梁山蕃松院」が里山を背にちょうど桜が見頃。帰路車を止めて一休みのパシャ。内山峠

  • 連休前

    連休などと浮かれようと思ったら3日出勤日だとか。事務所は完全週休2日。祭日を休んでいると出勤日数が足りなくなる。そんな仕組みを作っておきながらやはり調子が狂う。10連休、羨ましい。もっとも10連休浮かれている人たちをフォローしている多くのサービス産業の人達の存在を忘れてはならない。交通運輸系、外食産業系、その他面倒を見ているのだ。つまり公務員や大企業の多くの人たちには結構な話でも多くの人たちが働いていることに心を寄せよう。連休前

  • まだまだ桜

    前橋の街では花の主役はアメリカハナミズキに移りつつあるがやはり花といえば桜。信州上田まで桜を追いかける。花吹雪もあり、まだこれからの花もありまだまだ桜の季節は続く。まだまだ桜

  • のんびり日曜日

    二週続いて日曜日仕事だったので今朝は少し朝寝。午前中は生涯学習センターでのプラモデル展示会に知人が出品しているというので覗きに行く。偶然にも中学校の同窓生を紹介される。前橋藩士の末裔である彼の自宅はまちなかでもひときわ目立つ立派な日本家屋。この通りはいまでも独得の雰囲気がある。先方は自分の名前から当時を思い出してくれたがこちらは少々心もとない。50年以上も前の出会いである。12クラス有った学年だから同じクラスにならないとなかなかわからないものだ。午後は弁天通り裏の「ヤギカフェ」から新しく工藤さんが始めた伊勢崎宮子町の「HeartlandCoffee」にお邪魔する。かれはスコッチハウスの常連だったのでそのご縁で知っている。60才定年を期に開業したとのこと。高品質のこだわりの豆を提供していきたいと抱負を語っていた。...のんびり日曜日

  • 週末

    一日穏やかな日だった。ここのところ井野川の河畔では野草が勢いよく伸び始めた。矢車菊もあっという間にあちこちで咲き始めた。なぜか護岸とアスファルト舗装の隙間の隙間などに多く咲く。足元が美しくないので撮影には手こずる。今日は無茶ぶりでILCE-7M2+FE70-200mmF4GOSS0でガードフェンスの隙間から撮影。春がどんどん進んでいく。今週は先週に引き続き日曜日も仕事が入り、水曜にはメンテナンス工事の立会で御前様。そして東京出張と結構体にダメージが。久しぶりにゆっくりPCに向かい画像の整理。ホッとするひとときである。桜の北上も進んでいる便りがあちこちから。うかうかしていられない。週末

  • 満月

    八幡様の桜も一気に葉桜。藤棚には藤の花も開花。平成最後の満月だそうだ。自分の中では平成は永遠に続く。新元号の時代は若い人たちに委ねよう。竹馬の材料を買い求めに祖父と芳町にあった竹材店を訪ねたことが有った。「きさく」もなくなり古い住宅もどんどん空き地にそして新しい住宅に建て替えられ景色がずいぶん殺風景になった。馬場川沿いには今も寺が残る。古い家並みが決してきれいなわけではないが家具られた材料で作られた町並みとやや狭い道路が落ち着いたが色を形成していた。商品住宅が立ち並ぶ町には地域独得の個性といったものは生まれにくいようだ。満月

  • 東武浅草駅

    鉄道は車輌も魅力だが仕事柄駅舎も気になる。途中駅のひなびたのもよいがやはりターミナル駅は駅らしい駅だ。端頭型ホームも数は少ないが風情がある。中央前橋駅もそうだ。都内ではやはり上野駅と東武浅草駅。今日は仕事とJIA行事でその2つを利用。隅田川をゆっくりカーブしながらホームへ入っていくシーン、これはたまらない。そして上野駅の地平ホーム。かつては客車を逆向きに推進で尾久から回送してきたものだ。2時間近くの列車移動。退屈を紛らわすのには充分だ。東武浅草駅

  • 群馬大橋のつくし

    自転車通勤のため群馬大橋を渡ったら今年もいつものプランターボックスに「つくし」を発見。幹線道路沿いのかつ橋の上という悪条件の中頑張っている姿が健気。たんぽぽも咲いて小さな花ばかりでささやかな春といった感じ。先週の人間ドックに引き続き心臓の検査で群馬中央総合病院に受診。人間ドックの結果と合わせて診断。やはり加齢がじわじわ進行している模様。主治医はこともなげに老化ですねの一言。まあ日常生活に支障はないとのことなので今まで通り生活を続ける。群馬大橋のつくし

  • 地植え

    昼休みにハーブの苗を地植えに移植する。シャベルで庭を耕したら結構疲れる。よく眠れそうだ。地植え

  • ラヴュー

    西武鉄道の新しい特急車輌「ラヴュー」に乗る。妹島和世監修とのことで興味津々だった。非常に垢抜けた車輌は先代の「レッドアロー」と比べるとその新しさが際立つ。一方鉄道車両独特のアクの強さがないことも事実。鉄分が足らない物足らなさも感じる。ラヴュー

  • 花の4月の忘れ物

    桜の満開だというのに前橋の桜は日曜日が仕事でふさがり見逃す。すでに花のカーペットになりつつある夕方の前橋八幡宮に出かける。まだ枝には花びらはあるもの葉桜になりつつある。前橋の春の行くのを見届ける。花の4月の忘れ物

  • 内覧会終わる。

    12.13日2日に渡った内覧会終わる。建築主や設計仲間をはじめ多くの多くの来客を得た。評価を聞きながらこの土地を選んで良かったと思う。内覧会を持っていよいよ本格的な稼働だ。これからの事務所の活動が一層実りのあるものであってほしいと思う。内覧会終わる。

  • 夜桜

    慌ただしい一日だった。早朝より「人間ドック」。たくさんのメニューをこなし、結果待ちだが概ね良好の見込み。胃カメラもセーフ。もっともガンは胃にだけにできるものではないから用心、用心。来年は検査項目増やそうか。健康寿命は維持したい。戻って事務所の内覧会の立会。平日にもかかわらず、何組もの建築主の方がお見えになる。また生花やお祝いを頂戴する。建築というものが竣工が終わりではなく始まりだということを実感する。JIA住宅部会の中村部会長も愛車を駆ってわざわざ横浜から駆けつけて頂いた。地元の設計者仲間も何人も来てくださる。すぐ夕方に。夜、少し広瀬川を歩く。桜が少なくなってしまったようだ。撮影は不調。ともあれ充実した一日だった。夜桜

  • 冬に逆戻り

    昨日の降雪に続き、冷えた山から吹く風は冷たい。事務所では明日からの内覧会の準備で大掃除。3ヶ月も経つとすっかり日常が定着する。小さな事務所である。それでも日頃設計している建築と同じ時間軸で生活すると見えてくることも多い。この経験をまた新しい仕事に結びつけていきたい。冬に逆戻り

  • 春の雪

    4月も半ばだというのに前橋地方は朝の牡丹雪から雪に。流石に積もるほどではなかったが充分に寒い。笠の家の引き渡しに立ち会う。ストーブが点火され輻射パネル暖房も運転。冬のようだ。春の雪

  • 山の春

    今年はここに来てやや足踏みの春。赤城山中もちょっとブレーキが掛かっている。それでも春の花がどんどんと咲き始めた。山の春

  • 大井川鐡道の旅

    鉄道好きの巡礼地の一つである「大井川鐵道」についに乗る。この鐡道には熱心なファンが居るからまさに初心者なのだ。早朝、前橋駅を07:17に出発し、上越新幹線、東海道新幹線、東海道線を乗り継ぎJR東海の金谷駅に着く。金谷駅では大井川鐵道の普通列車、旧近鉄特急が出迎えてくれた。初めて奈良に旅行したときの車両形式のような気がする。数分で新金谷駅に着く。車庫にはSNSなどで見かけた車両の数々が止まっている。お目当ての門デフはボイラーが東海汽罐に修理に行っていて見えない。古い車両ばかりである。鉄道博物館と言ってもよいであろう。更に動態保存だ。駅の改札を抜けターンテーブルの方に向かうと試運転であろうか。SLがユッククリ移動しているのが見えた。当日乗り込むSL急行の車両はすでにホームに入線している。牽引はC108で昭和5年製、...大井川鐡道の旅

  • なかなかまとまらない旅行記

    大井川鉄道への旅行後画像処理がなかなかはかどらない。やっと現像が終わる。さて文章は画像を見ながら忘れないうちに書き上げよう。なかなかまとまらない旅行記

  • 忙しい週末

    オープンハウスの立ち会いで昼間は立ちっぱなし。結構腰に来る。夜はバタバタとGICC総会資料の印刷に封筒詰め、あっという間に1日が終わる。要するに遊びに出掛けたつけがまわってちたというところ!なんとかしのぐ。忙しい週末

  • 大井川鐵道の旅

    またまたロードバイク故障。帰路も列車移動になる。のんびり、ただし列車の揺れに身をまかしての少しの窮屈を味わう。画像の整理はこれから。どんな画像になるのか楽しみ。大井川鐵道の旅

  • 桜と鐵道 大井川鐵道

    大井川鐵道に乗った。桜の季節に間に合ってよかった。いろいろ考えさせられたこともあるが帰ってから整理しよう。桜と鐵道大井川鐵道

  • 榛名残照

    今朝は室温13度。冬に逆戻り。午前中は榛名山は雪雲に覆われていて日差しが弱いから仕事場も暖房する。それでも午後には榛名がくっきり見え、やがて夕焼けを残して夜に向かう。明日からの小旅行に備え準備でバタバタ。気温も上がるらしい。いまだ平日を休むことに後ろめたさを少し感じつつそれでも明日からの旅行が楽しみだ。榛名残照

  • 4月、始まる

    風も強く、肌寒い火曜日。日差しだけは強くなった。整地後土がむき出しだった事務所の敷地もだいぶ草が生えてきた。雑草という名の植物はないのだそうだが名前まではなかなかわからない。工事前に朝顔、ヤグルマギク、曼珠沙華、等々が自生していたのは覚えているが今年は工事の影響でどうだろうか。そういえばモグラはどこに行ったのだろう。土の盛り上がりが最近見られない。シャクナゲが咲き始めた。赤い種類だ。ちょっとどぎついのがまだ浅い春にひときわ目立つ。4月、始まる

  • 元号変わる

    元号が変わる。ただし平成3年に起業し、平成29年に事業を後継に引き渡した身には平成は建築人生の最も重要な期間である。どのような元号に変わるにせよ、寂しさのほうが先に立つ。今上天皇陛下は一貫して開戦の最終判断を軍部から押し付けられて裁可した皇室の戦争責任を一身に引き受けられてきたように思う。また天災に苦しむ国民に真に寄り添ってこられた。光明皇后のごとくである。一時代が間もなく終わる。元号変わる

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