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  • ブログ「備忘録2022」移転のお知らせ

    ブログ「備忘録2022」は下記に移転します。https://saab0204.comまだ半完成の状態ですが、概ね運用可能な基本的な枠組みができましたので運用しながら完成形を目指します。gooブログには2006年5月から長きにわたりお世話になりました。今後もサイトは閉鎖しないで維持していく方針です。過去記事はこちらからご参照いただけます。今後とも宜しくお願い致します。ブログ「備忘録2022」移転のお知らせ

  • 一時休止します

    長らく断続的に続けてきたこのブログですが一時休止します。更新せずにいるのもだらしなさそうです。さして健康上の理由があるわけでもありません。ブログを始めSNSの世界も様変わりしてきました。多少、仕事のPRを兼ねていた時期もありました。遠方の友人との接点でもありました。素直に言えば外部に発信すべき情報を持ち得なくなりつつあります。とはいえまだまだしぶとく生きながらえるつもりです。またの機会に投稿します。暫時休憩!一時休止します

  • たぬき亭、高橋廣美さん逝く

    30年から建築設計に携わり多くの建築に立ち会ってきたが「たぬき亭」の仕事は記憶に深く残るものの一つだ。https://www.tanukitei.com/急なお知らせ、本当に驚きともに悲しみが湧き上がってまいります。2002年に前橋の初日総本店の昨年亡くなった鈴木社長のお引き合わせでお目にかかって以来長いご厚情を賜りましたことに改めて感謝の年でいっぱいです。仕事を離れても、なぜか仕事に行き詰まったときに元気が欲しくて丸子のご自宅を訪問していたような気がします。同じ経営者として背中を押してほしい、そのような気持ちからでした。奥様にも大変良くしていただきました。いつもご夫婦仲良く応対していただき、ありがとうございました。さぞお気き落ちのことと存じますがどうぞご自愛のほどお祈り申し上げます。飲食店のこと、また趣...たぬき亭、高橋廣美さん逝く

  • 最後の授業

    最後の授業小学生の頃だったろうか、国語の教科書に「最後の授業」と言うくだりがあり今でもおぼろげながら覚えている。アルザスのストラスブールを訪ねたときこの場所が改めて独仏国境であることを感じた。国の支配が変わるたびに言語まで変わる。欧州という地域に沢山の国家が存在し、その数だけ母国語が存在する。いままさにウクライナとロシアの間で国境を巡って戦争が続いているのだが改めて島国と大陸の違いを感じる。そして言葉へのこだわりがすなわち文化であり国を支えているとも感じる。最近、外来語を翻訳せずに使われることが多くなった。若者言葉はもはや翻訳機が必要のような有様。明治期西欧文化を取り入れようとやっ気になっていた時代さえ日本語になんとか翻訳し、現在に至るものも多い。安易なカタカナ言葉は日本文化の後退現象ではないかと少し心配...最後の授業

  • 欧米が正義か

    ロシアの暴挙に対して「欧米」が協調してウクライナを支援していることになっている。この「欧米」の正体について最近考えさせられることが多い。国連が常任理事国の仲間割れで機能不全になっているようだ。第二次世界大戦の戦勝国5カ国が中心となって作られた組織、当然日本、ドイツ、イタリアは敵国条項が当てはめられてきた。敗戦国も国力を持ち替えし、経済力で、つまり金の力で国際政治の舞台に復帰した。このことが国連という組織の根底にあることは忘れないほうが良い。先の大戦はABCD、すなわちアメリカ、イギリス、中国、オランダによる中国での利権争いから発しした経済封鎖が引き金になった。なんだかそのことと今回のウクライナ侵略には通じるものを感じる。この侵略戦争はユーラシア大陸の西部の国々の利権争いの一つである。多くの国際的システムは...欧米が正義か

  • ロシア

    昔聞いた「・・ロシヤ、野蛮国、クロバトキン・・・」妙なしりとり歌のこの部分だけが蘇る昨今。終戦時の満州侵入、シベリア抑留、南樺太侵入、などこの国の指導者は全く違う価値観を持っているようだ。一方、敗戦時に日本の弱体化を計ったGHQによる財閥解体や農地開放、民主化という旗印で一時は社会主義も同居した昭和20年代初期に日本共産党系のうたごえ運動によって広く知られるようになったロシア民謡の数々、は歌声喫茶などとともに今では知っている世代は60歳台以上と思われる。ロシア革命による亡命者の中には洋菓子や料理など現在に至る文化を持ち込んでくれた人たちもおり、良い意味では繋がりが意外と深い国なのだ。ロシア

  • ブログ始めて16年

    2006年5月6日にmixiにブログを始め、まもなくgooに移転、本日に至る。その間、facebookやInstagramなどもっと手軽に投稿できる仕組みが広がり、最近ではやや肩身が狭いのかもしれないが、たっぷり文章や画像で社会に某かのメッセージを送り続けている方も多い。何となくはじめ、そこそこの反応も面白かったし、思わぬ遠方の友人とも繋がって面白かったのだが、社会の第一線から退きつつある身としては今更なにを書いたら良いか思案するところだ。特に両親の介護という問題に直面し、両親の尊厳を守りつつ日々の記録を公表するのにも抵抗のあるところ。JIAの役職もほとんど降りメールの本数も極端に減った。あれほど鬱陶しかったものが来なければこないで寂しさもある。勝手なものだ。社会との関わりも適度に保っていたいという願望から肩の...ブログ始めて16年

  • ループで名高い清水トンネル

    ループで名高い清水トンネルは上毛かるたの一札。県外の人には馴染みが薄いだろうが群馬県民であれば殆ど知っている。上越新幹線が開通した今、旅客輸送においてはたんなるローカル線に成り下がってしまったがかつては青森と上野を結んだ「あけぼの」をはじめ「とき」「いなほ」「はくたか」「北陸」など錚々たる優等列車が行き交った路線である。清水峠越えため水上、石打間は補機が付く山岳路線であったが今は貨物列車が補機なく駆け上っていく。雪がなかなか里まで降りてこないのでちょっと土合まで雪景色の上越線を撮りに谷川岳は沢までぎっしりと雪を積み上げていた。2月12日、春の気候に変わる頃、しかしもう少し雪景色を楽しみたい。ループで名高い清水トンネル

  • 70歳を迎える

    昨年の2月3日のブログを顧みる。この頃は毎日無理やりブログを書き連ねていたがこのころ母のが悪化し始めその後の手術や老人ホームや老健施設への入居とブログを書くどころではなくというか外部公開できない内容が多くなり、最近はご無沙汰気味である。母が帰宅し一段落したところでいよいよ介護生活の方針も定まり、次に自分がこれからどう生きるかを考える時が来た。未知の分野へいよいよ乗り出す。70歳を迎える

  • 015 兵庫県南部地震を反芻して思い出すこと

    阪神淡路大震災の起きた日を思い起こし、自らの存在の小ささを謙虚に受け入れよう。記憶が薄れていくので過去のブログ記事「備忘録」を振り返る。兵庫県南部地震2018年01月17日 建築今日は兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災の有った日。あの日の朝TVの画像を現実感無く呆然と見つめた。何が起きているのかさっぱりわからない。TV映像の威力をまざまざと感じてもいた。人間の尊厳に関わることもふくめ赤裸々に映し出す。少し落ち着いてきた3月にJIAとして生活再建のための支援の一環として相談業務に群馬在住の会員の一人として現地に向かった。京都駅前のホテルに前泊し、住吉までしか開通していない神戸線で現地入り。近づくに従って民家の屋根がブルーシートで包まれている。駅前には仮設WCがならび街に入ると消毒薬の匂いと静寂が出迎えてくれた。...015兵庫県南部地震を反芻して思い出すこと

  • 2022年を迎えて

    昨年の母の骨折、入院から始まり老人ホームに世話になっている母と自宅で一人でいる父の身の回りの世話といわゆる介護生活がいきなり始まり、現在も介護ということを中心に毎日がまわっている。TVのCMのように介護ということは突然やってくる。介護認定を受けるための様々な手続きや施設との折衝、母の帰宅に備えての自宅改造、父のための食料品の買い出しや医療機関への付添など初めての事だらけ。90歳になるまで両親が自活してきたことでつい介護ということを目をそらしていたことが一気にツケが回ってきたという感じもある。備忘録に日々の出来事を綴っておいたほうが後時なにか役に立つかもしれないが両親の尊厳を犯すようなことをネット上にばらまくわけにもいかないので自然と筆(マウス)が止まってしまった。今は息子としてどこまでできるのか、できることをと...2022年を迎えて

  • 014メモ ビフォー・アフターのアフター

    今日BS5でまた再放送があったようです。2014年の放映ですから映像に映る私自身も今良いだいぶ若く見えました。友人から「いま出てるよ」と連絡をいただきました。もちろんDVDに保存はしてあるのですが改めて見る機会はありませんね。現地スタッフとのミーティング不思議な気分です。保存してある画像も改めて見てみました。特異な経験でしたから今でも鮮明にその時々を思い出します。現地の方々を巻き込んでの撮影、猛吹雪のなかの現場通い、また驚異的に粘るディレクター等、そして瓢湖の白鳥、湖畔の桜、蓮の開花、ウシガエルの鳴き声。猛吹雪の中の現場通い。夜中の小出のラーメン五頭連峰を望む瓢湖の桜瓢湖の蓮現地のご家族、皆さんお元気だろうかと思いましたがここ二年はコロナ禍のため現地を訪問するのをためらっていました。白鳥の頃また行って見たいもの...014メモビフォー・アフターのアフター

  • 013メモ 盃・庶民の戦争

    今日は太平洋上で連合国との戦争が始まった日。ハワイ、フィリピン、マレー半島から始まった戦争は大きな傷跡を残して終結した。開戦に至る過程での意思決定が現代にも通じるものを感じ、一向に進歩していないとの思いを持つ。台所を整理していたら古い酒器が出てきた。いずれも徴兵され任期が終わり除隊時のお祝いに配られたもののようで高台の中に苗字が記されている。陸軍のものは京都にあった第16師団野砲第22連隊の所属で満州派遣除隊記念とあるのでWikpediaによれば昭和14年8月1日に宇品(広島県)に上陸と記録にあるのでそれ以降のものと思われる。同師団は昭和20年7月にはフィリピンのレイテ島にて玉砕状態とあるのでどのような運命をたどったかは不明である。海軍のものは満期除隊とあるので再招集がかかったかどうかは不明だが、これらの盃の出...013メモ盃・庶民の戦争

  • 012メモ 令和3年度建築物省エネ法の説明義務に使える手法

    令和3年度建築物省エネ法の説明義務に使える手法が簡易に学べる動画説明会、省エネ相談会に講師として参加しました。簡易に省エネ法の適合がわかる点で事務処理が苦手な方でも省エネ適合の説明義務を果たせるようになると思います。一方、仕様規定ではモデル解析で安全側を採っているので温熱環境負荷計算によって求めた仕様よりむしろ重装備である可能性があリます。また全般的に多数使用されている建材、設備についてのみ適合とみなされるため設計の多様性を損なう可能性もあります。そして一次消費エネルギー量の想定ができないなど設計者としてはさらに前向きに捉えて詳細計算に取り組む必要を感じます。建築設計者に求められる環境負荷低減について真摯に受け止め長所短所を設計者はよく見極めて使用することが望まれます。とはいえ建築主も含めコストと環境負荷の釣り...012メモ令和3年度建築物省エネ法の説明義務に使える手法

  • 011メモ 「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。

    「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール受賞作品発表になりました。群馬県WEBサイトhttps://www.pref.gunma.jp/04/bi01_00102.html米田横堀建築研究所の作品「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。米田横堀建築研究所WEBサイトhttps://www.y-archi.co.jp/housing/detail/post-95.html011メモ「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。

  • 包丁研ぎ

    今日は父が包丁を研いでくれた。母が骨折の養生で家を開けてから5ヶ月がたった。未だ帰宅の目処が立たない。その間、食事の世話をすることになり父の台所に立て怪しい手付きで包丁を握っている。使い放しの包丁は流石に切れが悪い。林檎の皮を向いていても皮が滑ることも。後で見ていて包丁を研ぐと言い出す。父の横で包丁を研ぐ様を注視する。こんな時間、いつ以来だろうか。91歳になり体こそ頑強そのものだがほとんどのことが息子のほうがまさることになった。しかし自分にはできないこともある。包丁研ぎは一度もやったことはない。ちょっと得意そうな父を見ていてホッとする気分になる。包丁研ぎ

  • メモ010 卵焼き器を落とす

    造作キッチンの例朝、昼の弁当のための卵焼きを作っていて蓋をかけ火を止めていたしばらくして粗熱のとれたので弁当箱に詰めようとして蓋を開けたら卵焼き器がバランスを崩し落下、キッチンの床に飛び散る。最近ドロップインガスコンロはIH機のまっ平らな表面に刺激され五徳が小さすぎる。五徳がつながったタイプであれば中身を入れたまま引いて移動もできるし、とにかく鍋の直径よりも五徳のほうが小さいなどデザイン不在だ。これはとんでもない改悪であるし、ガラストップだけ真似をしてもガスバーナーの構造上の違いは解消できないのだ。であればIHに移行したくなるのだが裸火を制御できないのはなんだか人間をやめるようでさびしい。少なくともリンナイのドロップインコンロhttps://rinnai.jp/products/kitchen/gas_conr...メモ010卵焼き器を落とす

  • メモ009 ロードバイクと建築計画原論

    建築計画原論とは少々古い言葉で現在では「建築環境工学」といったほうが一般的だ。地球温暖化への建築生産のあり方が問われている今、いかに環境負荷を小さくすることができるか、建築においては行き詰まったデザイン論より遥かに重要な意味を持つ。ロードバイクと建築環境工学がどのような接点を持ったか、これは全くの私的な事情ではある。高血圧、高脂血症、肥満と不摂生の積み重ねがのしかかってきた50歳代中盤、ついに胆石により胆嚢摘出手術を受けることになった。術後は良好でああったものの所員が自転車通勤を始めたのを横目で見ていて自分もやってみるかと久しぶりに自転車を購入、半年で物足りなくなり、ロードバイクに手を出し、更に還暦の時に現在のバイクを記念に購入した。半年足らずで10kgの減量に成功したが現在はまた半分くらい戻ってしまった。自転...メモ009ロードバイクと建築計画原論

  • メモ008 日本美の再発見

    日本美の再発見とはドイツの建築家「ブルーノ・タウト」が遺した文章の訳文集である。拙い記憶では桂離宮も彼が評価しなければ今ほど知られなかった言われている。戦前、ドイツから亡命し、群馬県高崎市の少林山達磨寺に身を寄せ工芸について指導したという記録がある。今年、日本建築家協会関東甲信越支部群馬地域会ではブルーノ・タウトにちなむ研究者やタウトのデザインした椅子が出てくる小説を書いた横山秀夫氏を少林山達磨寺に招き講演会をオンラインで開催する。JIA群馬クラブ建築学校2021テーマ「エリカ&タウトとノースライトの建築」【開催日時】2021年11月6日(土)10:00~16:30(少林山達磨寺からリモートでの公開セミナー)【開催場所】Zoomによるオンライン配信【参加費】無料【定員】300名(申込先着順)詳細はJIA群馬地域...メモ008日本美の再発見

  • メモ007 建築デザイナーと建築家

    偏った意見であることを承知の上で自分へのメモです。ひところ「デザイーズXX」などというのが流行り、建築でもデザイナーズマンションなるものが登場した。居住空間の設計をする人を建築デザイナーと呼ぶとして建築士という称号もあるし、建築家という呼称もある。法規上建築設計監理業務を許可されているのは建築士なのだがこれは建築技術者の資格であってデザイン行為までは評価されていない。また「建築家」というのも本来尊敬の念を伴って使われるべき言葉だがこちらもその定義が極めて曖昧だ。住宅分野の限って建築家の有り様を考えたい。住宅は産業施設や医療福祉施設、また行政施設とは異なり個人、少数の同居する家族のためのものであり所有者と使用者が一致するとうことも他の建築と大きく違うところだ。そして建築に関して専門的知識を持たないものと海千山千の...メモ007建築デザイナーと建築家

  • 建築士のこと 006

    建築士、この場合一級建築士のみで考えてみよう一級建築士は専門業務型裁量労働制が認められる高度専門職として個人に建築設計の独占資格、また建築士という名称独占を認められまた応分の個人責任を負わされているものである。不正をした場合は懲役刑までの処罰が対象となる。昭和22年、荒廃した国土はようやく復興の途についたものの無秩序な危険な建築も横行し将来が危ぶまれる中、集団規定と単体規定により建築基準法および建築士法が誕生した。その過程で欧米並みの建築設計者資格も検討されたが時期尚早とされまたこれが現在に至っている。当時建築士は建築の基本技術を持てば本来の設計能力はなくとも試験に合格すれば付与される。実務経験も2年以上(受験コースにより異なるが)必要とされるがかつては建設関連企業に所属すれば設計経験がなくとも受験することがで...建築士のこと006

  • 秋の夜長につき 005

    このブログは私的な備忘録。身の回りのことを書いてきたがふと自分の足跡をたどりたくなることもある。50年前と比べる建築設計を巡る環境は随分変わった。当時は「公庫代願」という看板を掲げた建築士事務所が町のあちこちにあった。公庫とは言うまでもなく住宅金融公庫のことである。建築確認申請と住宅金融公庫融資工事が建築士事務所の大きな仕事であった。つまり建築士としての本来の仕事ではない。代願という事務手続きだけでそこにはデザイン行為はなかった。一方1970年代になると鹿島出版会から「都市住宅」という雑誌が発刊され一般市民も住宅設計を建築家に依頼されるということがわかり始めた。ニューハウス、モダンリビング、新しい住宅の設計といった雑誌でも建築家が紹介されるようになった。東京地方ではいち早く建築家が一般住宅を手掛けるようになった...秋の夜長につき005

  • 秋の夜長の暇つぶし 004

    コンクリートは建築では身近な材料。歴史も古い。セメントと石と砂と水と添加物の混合物で水和反応と呼ばれる化学反応で固まる。化学反応が始まって1時間ほどで凝固しはじめ約1ヶ月で所定の強度が発現する。もっとも外気温に左右されるし、実際には現場では早期型枠解体のために配合するセメント量増やしたりして1週間で80%くらいい強度が出ることも少なくない。外気温に関しても冬期に強度の発現が遅れるので温度補正と称しわざわざ強度を上げ工期に間に合わせるきらいがある。じっと待っていればよほどの寒さでない以上はいつかは強度は出る。弊害としては高強度ほど施工に注意しないと亀裂が多くなる。(と思う)。うっかりしていると防凍剤(塩化物)などを散布する監督がいるがコンクリートのアルカリ性を損なうので厳禁である。(塩化物出ないものも存在する)大...秋の夜長の暇つぶし004

  • 秋の夜長の暇つぶし 003

    JBLの50年前のスピーカを直しながら使っている。当時のオーディオ機器やTVのキャビネットはラッカー仕上げが殆どでパイオニアの機器がようやくオイル仕上げになってきた。JBLはパラゴンから小型機までオイル仕上げ。50年経ってもオイルの匂いがかすかに残る。JBLL26DECADEhttps://audio-heritage.jp/JBL/speaker/l26decade.htmlそんな記憶から建築の木部仕上げもオイル仕上げにしようとしていたがなかなか良いものがなく、リボスの亜麻仁油系の塗料と出会い、その後標準仕様としてきた。今回自宅の両親のための部屋の改装の木部に自ら施工することにした。今回は内装材に杉板を使用し塗料には「クノス」を選んだ。針葉樹はもともと油分を含んでいるから広葉樹のように油を吸いにくい。刷毛では...秋の夜長の暇つぶし003

  • 秋の夜長の暇つぶし 002

    住宅支援機構のWEBサイトに昭和26年度版木造新築工事共通仕様書が公開されている。https://www.sumai-info.com/spec/wooden.htmlすでに使用されたものからスキャンしたようで記入された文字も在り生々しい。ちなみに自分の生まれた前年。初期の公庫融資住宅の遺構「昭和のくらし博物館」東京都大田区南久が原2丁目26−19住宅支援機構の前身である住宅金融公庫は文字とおり住宅金融のための組織であったが勤労者層が土地建物を担保に家を建てることを支援する、つまり持ち家制度を推進するための政策組織であった。銀行金利が今よりずっと高かった時代、低利、長期で借り入れできるとあって戦後の地方出身者を含め首都圏の住宅不足解消に貢献した。ただし公庫で言うところの仕様書は必ずしも高級住宅の仕様でないことは...秋の夜長の暇つぶし002

  • 秋の夜長の愚考-001 住宅生産

    日本の木造を主体とする住宅は技術者であり技能者であった「大工」職によって室町期に完成したグリッドプランで作られてきた。この辺が組積造(石造やレンガ造を主体とする西欧の建築家と技能者との間の大きな違いと思われる)この間洗練を重ねてきた技術体系があっという間に大壁構造、つまり柱梁が見えない工法により2x4も鉄骨プレハブも見分けのつかない状況に飲み込まれていった。新建材と言われる合板建材や石膏ボードの登場も後押しをしたのであろう。大工もこれらの安直なものにすっかり慣らされてしまい、住宅メーカーの下請けの大工はかんなも飲みもいらないとまで言われている。(誤解があったら失礼)大工は可能性からすればデザイナーにもなり得たし、とにかく建築に直接触れる仕事をしているリアリティーは当然設計図を書いて現場でチェックしているだけの建...秋の夜長の愚考-001住宅生産

  • うかうかしていたらもう月末

    9月があっという間に終わりそう。8月同様ぱっとしないままだ。せめてもの楽しみは山の中へのドライブと撮影行。同じようでまた新たな発見。おおよそ植物というのは定まった形がない。人間もそうだったのだが。大量生産の規格品の毒に当てられ感覚が鈍くなっている。製図もすっかり3DCADの時代。その弊害も多い。立体を作るところまでは流石といったところだがテクスチャーをつける段になるといただけないことも起きる。本来非常に重たい石もCGの世界ではかんたんに貼り付ける。レンガもそうだ。先人が苦労して積み上げた苦労も水の泡。それが現代風と言ってしまえばそれまでだが古城の石垣の圧倒的な重量感からくる迫力はない。新国立競技場の木目フィルムを巻いた鉄柱しかり、角川武蔵野ミュージアムしかり。前橋の街にもそんな輩が増えてきているような気がする。うかうかしていたらもう月末

  • E4系引退

    ダブルデッカーE4系の引退。上京のたびに利用した。JR東海の全く面白みのない700系にくらべJR東日本はなんと多種類のことか。その中でもE1,E4と2階建ては際立っている。せっかく2階建てなのにいつも下のフロアが定席だった。もっとも平屋席も捨てがたいがやや窮屈。吉乃川の広告がいつも気にある車内。東京から新潟まで高崎を起点に移動。1997年デビューとあるから自分の現役時代と重なる。また一つ時代が変わっていく。E4系引退

  • 政治屋と政治家

    菅義偉自民党総裁が事実上の辞任。昨日のネット情報でも出ていた。とかく独善的な行動が目立った首相だったがむしろ不器用さがそうさせたのかもしれない。権力の中枢の座をえたといっても呉越同舟、魑魅魍魎の自民党の中にあって孤独だったのではと思う。自民党も合同以来半世紀以上が経ち、世襲議員が多すぎる現状である。3代に渡る家柄の議員も少なくない。企業に目を移せば資本金の保有は別にして創業家がそのまま経営にあたっている例は少ない。サラリーマン社長がほとんど。新興勢力には元気な人達がいるが成熟した歴史のある企業ではトヨタぐらいしか自分の知識にはない。地盤看板といわれ利権を引き継ぐ器として周囲も手放さない。そういった環境が富に強くなっている。家柄が良くとも苦労知らずのボンボンには先を見通す知力など保証の限りにあらずだ。その点地方の...政治屋と政治家

  • 9月に入る

    コロナ禍と介護に翻弄されるさえない8月が終わった。もっとも9月も状況は。好転しそうもない。海外では政治状況がますます混迷喉を深めている。こんな田舎まで及ぶのではと不安が募る。ただ悲観的になっていても時間の浪費。今できることをやろう。9月に入る

  • 長年デスクワークが多かったので自分の机がないというのはなんとも落ち着かないものだ。自宅改造中で荷物は縛ったままか手提げ袋に分散、かろうじてパソコンシステムは動いていると言っても畳の上にキーボードを置いたのではどうも気分が乗らない。なんとなく机に向かっていたほうが落ち着くというのもなんだかなーといったところ机

  • 級友、旧友、鈴木憲保さん逝く

    今朝(8月21日)訃報があり家族葬にするのでその前によかったら合って欲しいとのことだったので店にお伺いし、対面したがまるで眠っているようで死ということが信じられない思いだった。今日も店は営業中。コロナ禍でもなければ盛大に見送るところだろうが少々寂しいお別れになってしまった。飲食店経営に様々なアイディアで挑戦して良くも悪くも玄人だった。同じ町内で生まれ同じ小学校に上がったのが62年前、以来長い付き合いになった。社会に出てからは疎遠になっていたが1999年に彼が経営する「初日総本店」の移転新築の仕事の依頼を同じく同級生の紹介で受け設計監理を手がけさせていただいた。その後も前橋でも繁盛店として現在に至っている。JIA北関東甲信越の学生作品コンクールの前夜祭はいつもこちらを利用させていただいていた。ずっと以前から体調が...級友、旧友、鈴木憲保さん逝く

  • 齋藤孝彦さん逝く

    病のことを淡々と客観的にお話されていたのが真新しい記憶の中にあります。この冷静さこそが建築家の資質と表裏一体のものであったのでしょう。残念です。建築家という職能は欧米のキリスト教を背景とする文化によって育まれてきたものであり、明治期に導入されたといっても日本古来の文化との整合性が真剣に問われないまま現在に続き「建築デザイナー」「建築士」と周辺の職業と混同ないしは誤認されたままになっています。はたして日本における建築家の必要性、あり方、生き方を深く考える機会を持つことを忘れてはいけないと考え、齋藤孝彦に教えを請う機会に参加してきましたが、これからは自らがもっと深く考えていく時が来たようです。改めて衷心よりご冥福をお祈りいたします。齋藤孝彦さん逝く

  • 小樽のひとよ

    画像は撮りたてのものだけでなく古い画像も同様、それ以上楽しみがあります。TVの懐メロ番組を見ていてふと自分の旅先でのことを思い出してしまいます。2017年に北海道を駆け足で旅行しました。帯広から札幌経由で小樽まで。最終目的地は余市でした。「マッサン」のおかげで原酒の補充がままならなくなったシングルモルトウイスキー「余市」の工場に行きたかったのです。札幌を出発した車内はそこそこ混んでいてしばらくして日本海の海岸線に沿って小樽に入りました。上野駅を小さくしたような小樽駅から海に向かった坂道を下ると小樽運河に差し掛かります。運河にほど近い「リタ・バー」というニッカ公認の名前のバーでシングルモルトの試し飲み。フラフラとホテルに帰りました。小樽のひとよ

  • C56144

    C56144富岡のSL愛好家が小海線のC56の画像をFBに上げていたのでいたずらごころでこちらもC56144の画像をアップしました。1973年1月10日に中込区で廃車になり現在は小諸市の懐古園で静態保存されているようです。1938年6月4日日立製作所笠戸工場(現在は新幹線の製作工場)で竣工し、北海道に新製配置、走行距離1,624,047kmに及んだと記録されています。1972年8月のお盆休みを使って自転車で野辺山を目指しました。新軽井沢峠と言われた現在の上信越道や和美峠を登り荒船山荘を目指したのだが道に迷い中込に降りることに。林業会社のランクルに便乗させてもらいましたが急なことでとにかく駅前旅館に投宿。素性のわからないものを快く泊めていただいて長山藍子似の女性に給仕していただき翌日は佐久海ノ口に泊まる筈が一日間...C56144

  • 先輩からの応援

    「先輩」と書くにも失礼とは思うが、ただの知り合いとは次元が全く違うSさんからこのブログ記事に「応援」を頂いた。Sさんはご自身の体調と向き合いつつ、義理のご両人の食事まで作り、スーパー老人として尊敬してやまないのだ。このブログを毎日書こうと思ったのもSさんの影響であるが内容は全く追いつかないもののなんとか回数を重ねてきた。駄文を目を通されていたかともうと赤面の至りである。ただすごく嬉しい。親の面倒をみると宣言してみたものの口でいうより遥かに面倒なことだと早くも実感。まだ入り口に立ったばかりだが、これは解決される事象ではなくますます増幅していくことだろう。弱音を吐けず、時にため息もでるが周囲の心配してくださる人たちの応援に応えるべく頑張ろう。先輩からの応援

  • 文字とおり備忘録

    5月の母の入院に始まり、残された父の生活支援、また二人の介護に関する諸手続きと仕事以外に多くの時間を割くことになった。朝、ぐっすり眠れず1時間以上早く起床、父の朝食の手伝いから始まり夜は母と電話連絡。手術そのものの経過は良いのだがまだ自宅には戻れない。この備忘録も日々の記録を書き連ねているものの家族の尊厳に関わることが多く、この部分は非公開とした。少し余裕も出てきたのでいつもどおりの記事もあげようかなと思うが毎日は無理かもしれない。そんなところで6月が終わる。文字とおり備忘録

  • 差し入れあり

    父のおかず、コンビニセブンの一人用惣菜セットの差し入れをいただく。賞味期限は7月2日程度、見慣れた惣菜だが不器用な父が手を出してくれるかどうか。明日のお昼に早速食してもらおう。今日は父の方から母へ電話をしたらいい。91歳の父を年寄り扱いするのもひつ例な気もするが立派な老人。家事をすることに抵抗はあまり内容で少しずつ範囲を広げているようだ。もっともこちらも炊飯器のセットを間違って(2回め)炊けていなくて大慌て。お昼に目玉焼きと双生児の炒めものを出す。自分の弁当と一緒だから大して手間はかからないのだが、こちらの料理はまだまだ素人の入り口にも立っていない。ほぼ実験台。差し入れあり

  • 麦秋

    小津安二郎監督の「麦秋」のような穏やかではない今年の麦秋。コロナ禍では面会者と入院患者は直接会えない。リスク管理から言えば当然だが・・それも皆さん大変良くしていただいて安心。つきなみですが感謝の一言に尽きます。麦秋

  • 梅雨間近。鬱陶しいことばかり。

    facebookにはあまり政治的なことは関わらないようにしているのだが今朝つい書き込んでしまった。「言葉のうそに注意。いつから副反応になった。薬害は副作用だった。発出は発令だった。空爆は空襲だった。過去の不都合をごまかしていないか?首長はワクチンの安全性を証明するためにもまず接種をうけるべきだ!」昨日夜に「民王」というTVドラマのビデオを見ていたら漢字が読めないバカ息子が父親の総理と脳波だけ入れ替えられて、原稿の文字が読めず大恥を書くシーンが出てきた。最近も漢字が読めない政府首脳がいたような気がしたが・・・正気のときの遠藤憲一が格好良かったから首長がワクチンを打ったとかでTVが騒がしいので指が動いてしまった。そんなビデオを見ていたらつい最近の言葉使いに違和感を覚えたので考えてみた。副反応:サリドマイド薬害のとき...梅雨間近。鬱陶しいことばかり。

  • 夜のフレッセー

    前橋の中心部のスーパーに行ったらお客さんは3人。中高年の男子の買い物。レジは男子が一人のみ。なんとも不気味な静けさ。夜のフレッセー

  • 車椅子と多目的WC

    車椅子の乗ったことは何度もあるが、車椅子を押したのは未だ3回。最初は旅先で転倒した父を「市立輪島病院」で押した。幸い手のひらの擦過傷で済んだのだが両手が包帯で巻かれていてトイレで用が足せない。排尿の手伝いをするはめに。ここのところ体調の優れない母の付添で前橋日赤に行き、車椅子を押す。多目的WCで車椅子から便器に乗り移るのに一苦労。入り口は自動ドアなのだがスイッチは車椅子を自走できる人には使えても自走できない人は手が届かないから介助者がWCの外に出てしまうと扉を閉めることができないことに気がつく。用を足す間、中にいればよいのだが流石に自分の親と言って女性である。外からドアを締め、用を足すのをドア越しに気配を探る。多目的トイレには便器や手洗器、ベビーベッド、オストメイトなどの設備があるが今までは身障者WCと呼ばれる...車椅子と多目的WC

  • 雪国 井山計一さん亡くなる。

    カクテル「雪国」の考案者の井山計一さんが5月10日亡くなる。享年95歳酒田市の「ケルン」を訪れたのは2019年10月18日、JIA弘前大会の帰路立ち寄った。8月の時点で店に問い合わせたところ体調を崩し、休んでいるとのこと。前橋を出発する前に店に問い合わせたところ、時間はわからないが店に出ているとのことだったで帰路途中下車をすることにした。秋田駅で軽く飲み、ホテルに荷物をおいて7時頃「ケルン」を訪れるとまもなく店に井山さんが降りてくるとのこと。しばらくすると登場し、早速「雪国」を注文する。「雪国」をコンテストに出したときのことなど饒舌に語ってくれた。「マンハッタン」の増田さんもそうだったがカウンターの中の主役を長く務めてこられた洒落た雰囲気は長い時間が醸成されたものであろう。青森・秋田への旅は日常から開放され記憶...雪国井山計一さん亡くなる。

  • 年会費、納める。

    GICCとJIA住宅部会の年会費を納める。今回が最後になるかもしれない。30年にわたるお付き合いだが現役を退きつつある身としてはそろそろこちらも引退か。赤城自然園を散歩。赤城西麓の森は起伏もあり、また人の手が入っているとはいえ森の生気に包まれ心と体をほぐすにはちょうどよい。一周りすると2時間位はかかる。今日は合計8418歩。まずまず。今はシロヤシオや石楠花、ツツジなどが楽しめる。年会費、納める。

  • 母の日

    母の日に電気ポットを送る。火の始末がそろそろ心配になる年頃。かといってIHには慣れそうもないのでまずヤカンから。ガス炊飯器もようやく電気炊飯器にするようだし、炊事の負担を減らしてあげたい。父に付添い、近くのスーパーに買物。母から渡されたメモ通りに買い物かごに入れていきたいところだが店員の数が少なくレジまで言って陳列棚を案内してもらう。なんとか記憶しておこう。にわかに介護という言葉が現実味を帯びてきた。母の日

  • 美麻珈琲を淹れる

    昼休みに美麻珈琲の美麻ブレンドを淹れる。少し煎りが深いかなという印象。珈琲というのはなんとなく同じようでなんとなく違う。美麻珈琲を淹れる

  • 備忘録15周年

    2006年5月5日に万世橋にあった交通博物館を訪れたのを機会にmixiにブログを書き始めて、15年がたった。gooに移動して久しい。その間、仕事中心の記事も後進に事業を譲り、書くことも身の回りのことが殆どとなってきた。もう外部に向け発信することもあまりなさそうなのだが文字通り備忘録として、認知症対策の意味も込めて書き続けていこうと持っている。「いいね」という言葉が独り歩きし、深読みすることを疎んじる風潮の中で自分だけの世界を持つのも悪くはない。中途半端な発言をして炎上しても困るし、そのような発言を読んでも気持ちの良いものではない。映えるだのバズるだのなんとも軽薄、まあ自分も同じようなものなのだが。唯自分の中にしまい込んでいるのであれば卓上写真をとっても良いかな。もっとも天皇陛下にさえ平気で携帯電話を向ける無神経...備忘録15周年

  • ロングディスタンス

    連休最終日、上田のたぬき亭でランチ。2003年の設計。遠方の仕事はやはり印象が濃く残る。こんな時期にも関わらず昼食時は混み合っていた。一人だからカウンターで店主とカウンター越しに近況報告。せっかくここまで着たので更に足を伸ばし諏訪さんのパースが気になる美麻珈琲をのぞく。ロングディスタンス

  • さえない連休

    毎年のように長野の飯山までの長距離ポタリングが今年もできず。来年こそはと思うがすっかりサボって筋力が落ちているのでどうかな。さえない連休

  • 珍客

    仕事場は井野川のほとり、今日はまだ幼い感じのアオダイショウの訪問を受ける。利根川サイクリングロードでは3回ほどアオダイショウを踏んでいるがすぐ近くで見るのは初めて。新型コロナウイルスは勢いを増すばかり。先が見えない不安感と閉塞感にまいる。明日にはワクチンの予約情報が出るようだ。陰謀論もふくめ、素人には不安なことだらけだがとりあえず受けておこうか。新年度4月はあっという間に終わる。早い。珍客

  • 買い物

    母からの要請で買い物の運転手。二軒廻る。体が弱ったとはいえ主婦としてのプライドか自分で買いに行きたいらしい。何軒か行きつけの店があるらしく、同じ商品については良く値段まで覚えている。トイレットペーパーが一人2組限定の安売りらしい。新しくできたツルヤに連れて行った目当ては惣菜とパンだったのだが野菜も買いたかったらしいので野菜売り場ものぞく。声だけ聞いていると90歳近い老人とは思えない。はたから見れば老人と老人の組み合わせ。買い物

  • KYまたは場をわきまえる。

    昼食に寄った店は席数こそあるものの親父さんが一人で切り盛りしている店。会社の同僚と思われる4人組、背広姿も3名、食事、飲み物すべて違うものを注文した。昼食時間を大切にするならもう少し注文をまとめても良かったのではないか。おまけに大声で会話。先日寄った店でも中年の女性がマスク無しで店中に聞こえるような大声で談笑。どこにいるかわからないウイルスなどどこ吹く風。いい大人が困ったものだ。平時ではない有事なのだ。KYまたは場をわきまえる。

  • zoom会議だあ

    今週はZOOM会議2回、が、今日に集中。今更といった感じだが引き受けてしまったものはしょうがない。更に任期4年のJIA委員の打診があったが流石にこちらはお断りする。73歳にもなってZOOMはどうもご勘弁と言ったところ。明日は携帯電話をAHAMOに変更する手続き。ポケットベルから自動車電話に変えたのが29年前。車のトランクに受信機を収め受話器は前席シートの間。田村正和がジャガーを運転しながら片手運転が格好良かった。ところが車から離れると電話がかけられない、受けられない。店舗などの小規模現場ではショルダーフォンを持ち込んでいる一人親方も多かった。平野ノラの「シモシモ」バブル時代の最後の頃。携帯電話に取り替えたがバッテリーが20分も持たない。最も今より料金がずっと高かったと思う。P社から一度だけF社に変えたものの不具...zoom会議だあ

  • 少し肌寒い月曜日

    快晴ながら風もありやや肌寒い月曜日長野の山に入る。県をまたぐと行っても基本山の中。新芽と遅咲きの桜で柔らかい春色。山の上はまだ残雪も。一年で一番爽やかな季節。少し肌寒い月曜日

  • ぱっとしない日曜日

    朝、久しぶりに町内の廃品回収に参加。町内は敬老会、自治会、成(青)年会はほとんど兼務。街なかの過疎地である。廃品もだいぶ少なくなってきた。季節柄教科書の廃棄も多い。野茨にうどんこ病発生。重曹希釈水を作り噴霧。せっかく伸びてきたのに不安。細かい枝をとって風通しを良くする。庭の他の植物にもうどん粉病が発生。これらを刈り取る。さすがどくだみにはつかない。ぱっとしない日曜日

  • 朝草刈り

    井野川河畔の野草もだいぶ背が高い種類が増えてきた。いくら刈ってもまた生えてくるのだがとりあえず草刈り。人の手が入る植生も変わる。去年イネ科の雑草を駆除したら今年はナズナが大量発生。矢車菊の増えてきた。昼間の爽やかなブルーも良いが夕方の夕日に照らされた矢車菊もきれいだ。朝草刈り

  • 山の藤

    街なかで見かける藤棚の藤も見事だが山に自生する藤も野趣があって良い。花札の藤はこちらであろう。桐生梅田の山に入る。昨年は緊急事態宣言化で外出がはばかられたので見過ごしてしまったが今年はまだ少し早かった。緑紅葉の渓谷沿いはまだこれから。また盛の頃に見たい。山の藤

  • 来訪者の多かった一日

    来訪者の多かった一日、あっという間に一日すぎる。夕方はJIAのZOOM会議。夜、散歩に出かける。本当の散歩。ウオーキングもどき。夜寝る前にの血圧が高い。パソコンで遊んでいるせいか。付け刃ながら運動。やはり血流は良くなるようだ。一休みしてから就寝前の測定。今日はどうかな。来訪者の多かった一日

  • あたふたと仕事

    2日休んで仕事。軌道に乗れず。断片的には進む。陽気のせいか。あたふたと仕事

  • 内科の定期検診

    内科の定期検診。考えてみるとコロナのせいで自分本来の持病に関心が低くなっている。体重を下げることを真剣に考えよう。肥満は万病の元。一方コロナ、東京オリンピックはどうなるのだろう。じわじわ中止論が湧いてきた。8月15日の終戦間際のようにメンツにこだわり中止発言ができない。メンバーの顔色をうかがって動けなくなっているのだろうか。おそらく中止を言い出したほうが後世になお残すだろう。4年に一度の晴れ舞台と頑張ってきた運動関係者には気の毒だが今はまさに戦時下。危機にひんしているのは運動選手ばかりではない。内科の定期検診

  • DVD研修

    住宅紛争関係の専門家相談員を引き受けているので年1回の研修会が東京で行われていたのだが今年はDVDのオンライン研修。主な内容はタイル剥離事故と新民法の対応事例。マンションの仕事はしてはいないものの前職では随分RC造にタイル張りという仕様の設計をしていたので懐かしい。分譲マンションのように分譲業者から購入して区分所有というと自己処理がかなり複雑のようだ。第三者障害、所有者、使用者、管理者、販売者、施工者、設計者とその争点は整理するだけでも大変だ。仕上げ材の固定不良と、構造欠陥によるタイルの剥離では時効期間までことらる点も要注意。オンラインの良いところは聞き漏らしたことも反復して確認できること。これも新しい時代の形か。DVD研修

  • 週末

    冷たい雨の一日。ストーブの厄介になる。少々バテ気味。ゆっくり休んでまた仕事をするか。週末

  • 二酸化炭素中毒

    使い方を間違うと大変不幸なことになる。残念なことだ。火災のときに水を使うと危険なこともある。電気火災やボイラー事故など二次災害を招く。人の出入りが管理されるところであれば二酸化炭素の消火も有効だが今回の事故のように人の出入りが管理が曖昧なことが人身事故につながった。地下の駐車場は入居者に限定されると言ってもやはり危険な方法だった。消防のOBが解説していたがすっと心に入ってこない。この使い方は禁止すべきだと思う。法律は言葉が独り歩きする。条文を守りさえすれば法規を守ったことになるが、人命を守れるとは限らない。建築基準法に排煙設備というのがある。1972年の千日前デパート火災事故があった。煙に巻かれた118名の人命が失われた。そのため煙を外に出せばよいということで煙を出すための開口、排煙開口部の設置が一定以上の規模...二酸化炭素中毒

  • まだ浅い春

    信州の山はまだ浅い春。これからが楽しみ。まだ浅い春

  • 少々疲れた。

    ここのところルーチンワークの仕事が続く成果せいか、疲労感が残る。いつの土曜日で明日は休みのような気がしている。パソコン作業もコマンドを途中で忘れる始末。困ったものだ。若い人たちと同じスピードで仕事を進めようとするがそれも限界のようだ。ミスをしないよう丁寧な仕事を心がけよう。少々疲れた。

  • 木香薔薇

    今年もモッコウバラが咲き始めた。この木は仕事場が前橋にあった時代、しかも2階のベランダにあった木を地植えしたものだ。鉢植えだったことから根が回りきっていて弱っていたのだがさすが地面におろしたら勢いを回復した。今となってはどこで買い求めたかも定かではないが2006年の春にはあった。https://blog.goo.ne.jp/feb02041952/e/1b1d2630b082830b378bcf170b383e522018年、前橋での最後のシーズン木香薔薇

  • まだまだ桜

    桜の季節がどんどん進んでいくので長野の山まで追いかける。花吹雪もよいが葉桜には寂しさもまだまだ桜

  • リハビリサイクリング

    2月のコンビニ駐車場の転倒以来、ロードバイクに乗っていなかったが好天に走り出すきっかけを得て軽く上毛大橋まで往復する。ちょっとフラフラしながら足慣らし。サイクリングロードは家族崩れが多くのんびりとした雰囲気。ちょうど諸葛菜が盛り。淡い紫の花が新緑の林に映える。穏やかな春の日差し、鳥の声。少し感覚が戻ってきた。この調子だとチャリ通も復活できるか。前橋の街の花はすでに葉桜となり、すっとアメリカハナミズキが交替に咲き出した。こちらの少し早い気がする。昨年山採りし、地植えした野茨の成長著しい。急に太い幹が現れた。いきなり直径が4mm近い幹が真っ直ぐに上を向いて伸びてきた。昨年来の弱々しい枝とは大違い。開花にはまだ少し時間がかかりそうだがこちらも楽しみ。リハビリサイクリング

  • インスタグラム

    インスタグラムで偶然懐かしい名前を見出し、メッセージを送ったら北海道の花の便りを送ってくれました。大手ゼネコンで国内外の現場を渡り歩いた強者も花に目が行くようになるとは。彼は池袋の東武デパートの増築の現場からインドネシアのホテル、アルファトマムと大きな現場にいた。クラス会であったときは安藤忠雄の設計した現場のことなど話してくれた。まさにオンラインの妙、たまにはオンラインも良いことがある。インスタグラム

  • 久しぶりの夕やけ

    昼間は強風。夕方は夕焼け。穏やかな春の日ではなかった。久しぶりの夕やけ

  • 諸葛菜

    諸葛菜が咲き続けている。桃木川の小川を見に行く。菜花とともに春の野の代表格。前橋宮久保歯科のすぐ近く。半年に一度の点検。なんとか虫歯にならずにいるようだ。諸葛菜

  • 矢車菊

    井野川の河畔は春の野草の花が出揃う。オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ナズナ、タンポポ、そして矢車菊春が過ぎていく。転倒の跡が少し痛む。困ったものだ。矢車菊

  • 週の始まり

    今週、歯の定期検診があり、前橋宮久保歯科からリマインドメールが届く。受診のきっかけは顎が痛くなる症状で悩んでいたのがきっかけだった。最近は痛みが出なくなった。どうも噛む力が強く長年の間には葉の周りの骨が変形してきているのが災いしているとか。事務所経営から身を引いて歯を食いしばることもなくなったのが良いのかも。お気楽なようで少し寂しくもある。週の始まり

  • 休日につき

    LPを引っ張り出して北村英治を聞く。アナログの極地。たまに良いものだ。2日休んでまた2日仕事。休日につき

  • オープン・ハウス2題

    JIA住宅部会会員のオープン・ハウスが2題あった。さすが茅ヶ崎に日曜日に出かけるのは体力に自信がなかったので関越道所沢IC近くの関本竜太さんの現場を訪ねる。デザイン力のみならず材料の吟味と職人の技能をよく引き出した秀作。良い建築はその空間に包まれて幸せな気分になる。建築はそうあるべきだ。オープン・ハウス2題

  • やっと土曜日

    少々お疲れの土曜日。なんとかおわりそう。やっと土曜日

  • 竣工写真撮影

    午後、竣工画像の撮影。たっぷり3時間。趣味の撮影と異なり建築写真は測量に感覚的には近い。画像を固定するのに露出はもちろん傾斜など後処理に負担を極力少なくしたい。三脚を頼りの低速シャッター。カメラの高さも重要。中腰でこれが結構疲れる。天井が高い部屋では逆に背伸びしてやや不安定。設計・監理の成果をじっくり拝見する機会でもある。図面では表しきれない部位も監理段階できちんとフォローできるかどうかで住宅の質が決まる。建築主や施工者との意思疎通も大切なことだ。PCに取り込もうとしてコピー先をマウス片手を離した途端忘れてしまい探すのに一苦労。やれやれ認知障害かと不安にもなる疲労感。現像も後処理が欠かせないので未だ仕事半分といったところ。趣味の画像とは大違い。竣工写真撮影

  • 桜はやはり日本人というか自分にとって特別の花のようである。開花までは姿をくらませているがこの時期一斉に咲き出す。街の色が変わり一年の節目を強く感じる。入学式のおぼろげながらの思い出。桜吹雪の並木道を自転車で走って通った高校。花

  • あちこち桜

    あちこち桜、もう花びらが川面に浮かぶ。始まる春。過ぎていく春。仕事で外出。菜花や諸葛菜、花桃、そして桜。あちこち桜

  • 聖火リレー

    聖火リレーを56年ぶりに見る。残っていた古い画像と対照すると価値観が大きく変わったのがわかる。それにしても県庁に通じる本町通りの寂しいこと。黄色いホテルの照明も一層場末感を煽る。そもそも夜の行列。なんとも言えない違和感。直接関係した人たちの達成感に口を挟むまでもないが電飾架装したトラックに続きスポンサーの名前を掲げた大型バスの行列のあとにゆっくり手を振りながらニコニコとパレード。平和な時代のお祭りと言ったところか。国家の威信をかけた悲壮感すらあった全大会に比べるとまさに平和の祭典。聖火リレー

  • 休日の月曜日

    まだ冬用の下着から離れられないでいたが流石に今日は暑い。桜の花も今が盛り。休日を楽しむ。休日の月曜日

  • 昼の花見

    母を車に乗せて前橋の桜を一回り。未だ満開までは少しある。最近歩行に困難をきたしているので通っている医院の近くの桜しか見られなかったとのこと。父が車を運転できなくなってから外出の少なくなっているから街の桜が懐かしいと言っていた。敷島公園のハクラ並木は渋滞。車の中から花見。午後、タイヤ交換に出かける。ついでにいつもの桃木川と上電の鉄橋近くの桜を見に行く。こちらもまだまだ。河原の菜花が彩りを添える。交換に50分くらいかかるというので街まで徒歩で交通公園から戻る。リバティーでガラス越しにSさんの前をして花見。少し歩きながら過半の桜を間近から見る。昼の花見

  • 静かな土曜日

    お花見で公園はにぎやからしい。やはりさくらが一年の始まりの感が強い。寒く、からっ風に吹かれ乾燥して辛かった冬が終わり桜の花を見られることは新しいことが始まることを予感させるのに十分だ。とはいえ今週は5日連続で仕事。長かったといえば長く、それでもなんとか仕事を続けられてよかったということにしよう。定年とは違うものの事業を譲って3年が過ぎた。今の仕事しか経験がないがまだ少し続けられそう。静かな土曜日

  • 夜桜

    前橋の桜もだいぶ開いてきた。夜、一人で夜桜見物。やはりこころなしか寂しい今年の桜。ちょっとレトロな気分で古いレンズを用意しあばれる画像を楽しむ。夜桜

  • 休日出勤

    急に呼び出されて休日出勤。リズムが崩れる。何か土曜日のような錯覚。週休二日にすっかり馴染んでいる。もっとも年相応のくたびれ方か。休日出勤

  • ZOOM,2件

    JIA関連のZOOM会議が2件、内1件は最後の会議。肩の荷が下りる。もう1件は群馬地域会。当然のことながらみんな歳を重ねる。寂しさもある。ZOOM,2件

  • ZOOM,2件

    JIA関連のZOOM会議が2件、内1件は最後の会議。肩の荷が下りる。もう1件は群馬地域会。当然のことながらみんな歳を重ねる。寂しさもある。ZOOM,2件

  • 何事もなく火曜日

    3連休終えて仕事。最も土曜日はシフトの関係で出勤。まあ仕事だけというのも退屈な話。以前であれば坂下に寄り道が日課だったのに。コロナのせいでその習慣が崩れつつある。もっとも徘徊と紙一重になりつつある69歳。何事もなく火曜日

  • 菜の花

    春色ぱっと明るくなる風景。休日のんびり菜の花巡り菜の花

  • 桜雨

    折角の日曜日、雨。前橋の街にも花、ソメイヨシノが咲き始める。夕方、先輩より電話あり。いつまで建築士の定期講習を受けるかと。あと何回・・・3年に1回の更新講習。姉歯事件後のアリバイ作りのように国土交通省が始めた。建築士事務所に所属する建築士にのみ課せられる。国土交通省としては有資格者のうちどのくらい実態として建築設計監理業務に関わっているか掴みたいのだろう。建築士全体の30%くらいと言われてきたが退職や死亡で分母も小さくなってきているからもっと割合は多いと思われる。3年に一度の講習よりCPD制度を活用して日常から技倆維持を続けたほうが有効と思われるがどうだろう。CPDは世界的な動きでJIAが手本とするRIBA(英国王立建築家協会)のWEBサイトにも乗っている。桜雨

  • お彼岸

    お彼岸で土曜日。流石に仕事場には仕事の電話はない。木曜日に墓参りで休んだので今日は仕事。捗るといえば捗るのだが。集中力を切らさないようPC画面とにらめっこ。お彼岸

  • 日常が戻ってきた。

    住宅部会の最後の担当部会の日も終わり、あとは残務整理。年度末に付き入退会者あり。異動の季節ではある。近所のコンビニで昔なじみにあったら彼も職場には出ているらしい。元気が何より。日常が戻ってきた。

  • 雪代

    そろそろ雪解け水で利根川も濁ってきた。渋川の住宅で10年目のメンテナンスの相談を受ける。早いものだ。幸い大したこともなく外壁と木部の再塗装をする。長期優良住宅のメンテナンスを建築主が率先して進めている。幸せな住宅である。午後は両親と墓参り。体の弱った両親を気遣いながら祖父母などが眠る墓地をめぐる。雪代

  • 現場調査

    久しぶりに現場調査。廃屋のとなり。木舞が透けて見える土壁。強い北風。寒々しい景色。現場調査

  • 住宅部会長の交替

    一年間にわたる住宅部会長の人気が3月で終わる。やれやれと言ったところ。住宅部会長の交替

  • ズボンの丈つめ

    ズボンの丈つめにケヤキウオークに出かける。10時開店と同時に行ったがお客さんの年齢層高い。時間つぶしにちょうどよい空間だ。夕方引き取りに行ってついでにメガネの修理。鼻あての交換だが片方だけサービスと言われたが結局両方サービス。最初からそういえば良いのにとも思う。ズボンの丈つめ

  • 快速あかぎ

    この春のダイヤ改正で特急赤城の終着駅は高崎になってしまった。現在の乗車率を考えればまあ妥当なところかもしれないが県都前橋市民としては寂しさは余りある。物心ついた頃から東京に出るときには前橋発07:30前後の赤城と決まっていた。最初の頃はC58牽引の客車列車。高崎でEF58に交代し上野へと向かった。前橋まで電化された後は準急あかぎになり、やがて急行赤城に。高崎を出ると大宮も通過という全盛期だった。上越新幹線ができると並行する在来線はまずときやいなほといった上越特急が全滅。もちろん佐渡や越路といった急行も廃止になりあかぎは新特急となったがかえって停車駅が増える始末。185系が入線し、165系を駆逐したが芯が取れて特急あかぎに。これもインフレ特急でかつての急行あかぎより速達性が下がる。更に常磐特急のお下がりの651系...快速あかぎ

  • オープンハウス

    久しぶりに米田横掘建築研究所のオープンハウスのスタッフとして現場に立つ。現場は富岡駅の北側。線路を挟んで隈研吾と対峙する格好になった。直接の設計者ではないので所長が見学者を案内するのを傍観。時々話を振られるので相手をさせていただく。新型コロナウイルス禍のため1組1時間という制限ながら予約は全て埋まり静かなオープンハウスとなった。生憎の雨。深いひさしが威力を発揮している。鉄板葺きながら長年改良してきた屋根は雨音も聞こえず、静かな室内。ケミカル臭を排除した室内は新築長い空気の質も良い方に保たれていると思う。オープンハウスに8時間も詰めていると気になる箇所もいくつか出てくるが安定して設計の仕事を続けているようで頼もしい。オープンハウス

  • 花の街

    いい年をした爺さんが口にするのも気恥ずかしい「花の街」團伊玖磨の名曲。街にもようやく花が増えてきた。春の歌はやはり明るくて良い。唱歌という分野に好きな曲が多い。曲の名前を写真の題にするなんて言うのも面白いかもしれない。挿画は前橋の料亭「小松」さんの早咲きの桜。花の街ではなく花街の桜なのだが。そうロマンティックなものではない。小松といえば横須賀の小松のほうが有名なのだが近年火災で消失してしまったとか。井上成美ゆかりの料亭で旧海軍関係の貴重な資料も消失してしまったらしい。小松には一度だけなにかの会合で施主に招待され上がったことがある。接待というと何かと後ろめたい現代。ただやはり腹を割った話をする場所の文化として残っていってほしいものだ。ただ公務員には関係ない場所だ。花の街

  • 3.11

    もう10年かという思いと、10年経ったのかという思いが交錯する。東松島市を災害支援で訪れたのは2011年4月19日のことだった。情報が錯綜し、福島第一原発は危機的な状況下、JIAの被災者支援活動に参加。JIA群馬の仲間と乗用車に分乗し、名取市に8時30分に展開できるよう深夜の東北道を走った。線量計は持っていなかったが福島県を通過する際は気持ちの良いものではなかった。名取市役所で東松島市で活動するように指示を受け東松島市役所に移動。すでに一ヶ月以上経ってはいたものの犠牲者捜索は続いていて街中忌中の張り紙がはられている異様な光景を目の当たりにする。農地も宅地も区切りなく泥の海。自家用車が波に漂う如く泥の中から見え隠れしていた。東松島市役所では他の自治体から派遣された事務職の人たちの応援が主となってしまった。現地の職...3.11

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