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  • 秀吉の中国大返しのカラクリと本能寺の変義昭黒幕説(2)

    ◆秀吉が毛利氏に提示した当初の和睦条件本能寺の変後、急遽毛利勢と和睦をまとめて畿内に取って返し、主君信長の仇を討った秀吉だが、この時点で毛利方との和睦条件が完全にまとまっていたわけではない。中国大返しにあたっての停戦交渉の段階では、・五カ国および備中高松

  • 秀吉の中国大返しのカラクリと本能寺の変義昭黒幕説(1)

    前回記事にした『秀吉と海賊大名』の中に、過去に書いた記事で触れた疑問に関する答えになるかもしれない話が書かれていたので、繰り返しにはなるが書いておきたい。◆秀吉の中国大返しの謎天正十年(1582年)六月二日、すでに実質的な天下人とみなされていた織田信長は、明

  • 敗者の視点に挑む書~藤田達生著『秀吉と海賊大名』

    ちょっとだけ休むつもりが、気がつけばもう4月。またぼちぼちブログも再開したいと思う。ただ、足利義昭については、春からちょっと真面目に勉強する予定なので、本当にぼちぼちになってしまうかも・・・秀吉と海賊大名 - 海から見た戦国終焉 (中公新書)リハビリに、『秀吉と

  • 徳川家光妾腹疑惑~その答えは竹生島にある(かも?)

    久しぶりにブログを再開しようと書き始めたら、丁度、以前に書いた『徳川家光は侍妾の生んだ子?「江の生涯」』にコメントをいただいた。この話題は「家光は江の実子ではない」というとにかくセンセーショナルな内容だけに、私の記事の中では一番コメントが多い。コメントを

  • BS時代劇 『塚原卜伝』最終回

    最終回とは言え、続編アリな気配満々の終わり方。タイトルも『卜伝見参!』。これからが新当流流祖としての卜伝の活躍だ。一度目の廻国修行は腕を磨くため、二度目の廻国修行は、諸国に新当流の剣をひろめるため。せっかくの一粒で二度おいしい素材、続編をやらないテはない

  • BS時代劇 『塚原卜伝』第六話

    新右衛門鹿島へ帰る。の巻。10年前、京へやって来た新右衛門と、将軍義尹を供奉して周防から上洛してきた大内義興が、ともに京を去ることになった。新右衛門は東へ、大内一行は西へ。新右衛門と鹿乃も、別れの時を迎える。「わたくしを、鹿島へお連れくださいませ」こらえき

  • BS時代劇 『塚原卜伝』第五話

    新右衛門が廻国修行の旅に出てはや五年経った永正十年。今回は、最強の敵は己れ自身・・・がテーマであるらしい。奥津源三郎(榎木武揚)と新右衛門との殺陣は、これぞ時代劇!という緊迫感が画面にみなぎっていて魅せられたが、鏡の中の自分のような敵が現れ、敵の中に新右

  • 足利義昭が見た戦国乱世(8) 興福寺脱出

    ◆物語にならなかった覚慶の大逃亡劇兄に弟、そして母親まで、肉親を一度に殺されたことを知った一乗院覚慶(義昭)が、その瞬間にどんな言葉を発したのか。本能寺で死を覚悟した信長の「是非に及ばず」という短い一言(実際に本人の言葉かどうかは別として)が多くの人の胸

  • BS時代劇 『塚原卜伝』第四話

    今回はどうも納得がいかないことが多かったので、あまり多くを語りたくない。しかし、日本人として、何だか哀しくなってしまった回だった。どうして、日本人は、日本の歴史をこうまで情けなく描かなければならないんだろうか。「儂は死ぬのか。死にとうない」と家臣にすがっ

  • 足利義昭が見た戦国乱世(7) 弔い合戦を謙信に押し付ける管領家

    いろいろと所用が立て込んでいたので間が空いてしまったが、ひさびさに永禄八年に戻って来た。今回はちょっと(私の)リハビリっぽい内容で。五月に将軍が殺されたというのに、その後、誰も将軍殺しの逆賊を討つ気配がない。それどころか、張本人の一人である三好長逸は堂々

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