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戦国武将にまつわる史跡と近代建築をテーマに全国各地色々巡っているブログです。

旅行ブログ / 国内一人旅

歴史ブログ / 戦国時代

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けん
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兵庫県
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明石市
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2010/08/22

1件〜100件

  • 旧名鉄八神駅跡(岐阜県羽島市)

              名鉄竹鼻線は笠松駅から分岐し大須駅まで走っていた路線ですが江吉良駅から先大須駅までの区間が平成13(2001)年に廃線となりました。新幹線岐阜羽島駅に近接しており現在竹鼻線の終着駅状態となっている新羽島駅は実は江吉良駅から分岐する羽島線という別路線だそうで、この記事を書くにあたりひとつ勉強になりました。          不法投棄されたゴミ?が目につきましたが廃線となったのが2000年に入...

  • 金宝寺 八神毛利家墓所(岐阜県羽島市)

              慶長元(1596)年にこの地の領主毛利広次開基、松堂大和尚開山の臨済宗妙心寺派の寺院で八神毛利氏の菩提寺です。           本堂明治24年に発生した濃尾地震で全壊し後に建て替えられたものだそうです。          八神毛利家墓所八神毛利氏は河内源氏の流れを汲み鎌倉時代から八神村や石田村などこの付近一帯の地頭など務めていた国人領主です。関ケ原の戦いでは当初毛利広盛が竹ケ鼻城に...

  • 八神城(岐阜県羽島市)

              八神村などを治めた尾張藩重臣八神毛利家の居城で、築城年次は鎌倉時代から江戸時代初期までの諸説ありますが鎌倉時代からこの地一帯の領主だった毛利氏により築城されました。江戸時代に入り一国一城令により表向き廃城となりましたが江戸時代を通して毛利氏がこの地に屋敷を構え城としての最低限の機能は備えていたとされます。         現在も敷地内の一画には毛利家御当主の御宅があり、毛利氏が...

  • 本覚寺(岐阜県羽島市)

              創建当時は天台宗の寺院でしたが永禄年間に曹洞宗に改宗。戦国時代の戦乱の中衰微の時代が続きましたが天正8(1580)年に信長の家臣不破源六広綱が竹鼻城主となると父綱村のために寺を再興し、以後杉浦重勝ら歴代竹鼻城主の菩提寺となります。          本堂天井の雲龍画は江戸後期の絵師浮田一蕙によるもので岐阜県の文化財指定を受けています。                     ★当ブロ...

  • 竹ケ鼻城(岐阜県羽島市)

              応仁年間(1467~1469)に竹腰尚隆により築城されたとされ、以後国主の変遷とともに城主も何度か変わり関ケ原の戦いの時点では岐阜城主織田秀信の重臣杉浦重勝が城主を務めていました。          その関ケ原の戦いでは前哨戦のひとつとして激しい戦いが繰り広げられます。福島正則など家康に付いた武将たちの大軍を前に二の丸・三の丸に籠っていた援将の毛利広盛らは降伏するも本丸に籠る重勝は降伏...

  • 永勝寺跡 旗本藤掛家墓所(京都府綾部市)

              永勝寺は上林領主の旗本藤懸(藤掛)永重が父永勝の菩提を弔うため寛永5(1628)年に創建した臨済宗の寺院で藤懸氏の菩提寺でしたが過疎化により檀家が減少し寺の維持が厳しくなったため、昭和42年に同じ臨済宗妙心寺派の大龍寺と合併し現在は上林禅寺となっており(大龍寺に永勝寺本堂を移築)、藤懸氏の菩提も引き継がれていますが藤懸氏や家臣団の墓はそのまま永勝寺跡に残されています。...

  • 藤懸陣屋(京都府綾部市)

              上林城の麓に関ヶ原の戦いの後に領主となった旗本藤掛氏が新たに築いた陣屋ですが、遺構はおろか駒札など案内板も見る限りありません。藤掛(正式には藤懸)氏は織田家一族で藤懸永勝はお市の方付きとして小谷城落城の際にはお市の方と三姉妹を救出したとされます。秀吉の時代には1万5千石と大名の地位でしたが関ヶ原の戦いで西軍に属したため6千石と半分以下に減らされここ上林の領主となります。藤懸氏は大身...

  • 上林城(京都府綾部市)

              地名の通りお茶で有名な上林氏の居城。丹波と若狭との国境に近い上林谷の単独丘陵を利用した城で上林川を利用しつつ周辺の山々には複数の城跡も確認できます。                           訪れるとよく分かりますが土豪クラスの城にしてはかなりの規模を誇ります。                  公園というか広場となっている本丸跡南側が一段高くなっていますがこの高台が...

  • 旧長寿會細菌研究所(奈良県奈良市)

              東大寺の北側にあるヨーグルトなど発酵食品を製造していた工場施設・倉庫及び創業者喜多芳治郎氏が大正時代に建てた和洋折衷建築の住居でそれぞれ国の登録有形文化財となっており、現在そのうちの工場跡事務室は週末にカフェとして営業しているので機を見て行ったのですがまさかの臨時休業の貼り紙が…、残念。東大寺旧境内西部にある元乳酸菌製品の研究及び製造所。工場は切妻造の4棟をコの字形に連ね、外壁...

  • 小川又兵衛商店(奈良県奈良市)

              こちらは現役バリバリの酒屋さんなんですがまだ営業時間前のためシャッターは下りたまま。こちらも外観こそ手が加えられていますが明治時代に建てられたもので国の登録有形文化財なんですが、以前も触れましたが現役のお店は営業時間帯でなければやっぱり建物の光景はいまいち絵になりませんねぇ。荷物運搬用のトロッコもあるそうです。元興寺の東向かいの細長い敷地に建つ。間口8.8mの木造2階建、切妻造...

  • 正木家住宅(奈良県奈良市)

                       こちらは現在は奈良女子大学のセミナーハウスとして活用されています。奈良町の一角に西面して建つ切妻造桟瓦葺平入で、南端に土間を通し、床上部は二列七室で、南列に四室、北列は落棟とし、三室を並べる。北西側には坪庭を設ける。土間は吹き抜けとして架構を見せ、竈も残るなど、往時の町家の姿を良く残す(文化庁文化遺産オンラインより)★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は...

  • 岡田家住宅(奈良県奈良市)

              元興寺東側の街路に西面して建ち、切妻造桟瓦葺で、正面の下屋に格子を設ける。右土間で、上手に表からミセノマ、ブツマ、ザシキの三室を並べ、ザシキに置ドコと平書院を備える。ミセノマ北半は昭和前期に洋間とした。建ちが低く古式をとどめる奈良町の町家(文化庁文化遺産オンラインより)★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完する...

  • 元興寺塔跡(奈良県奈良市)

              元興寺は南都七大寺のひとつに数えられ元は蘇我馬子によって飛鳥の地で創建され日本初の本格寺院とされる法興寺をルーツに持つ寺院ですが、中世以降衰退し広大な敷地内にあった3つの塔頭などが分裂しそれぞれ元興寺として現在へと至っています。現在一般的に元興寺と言われる極楽坊と小塔院は真言律宗のお寺ですが、五重塔・観音堂があったここ元興寺塔跡は東大寺を本寺とする華厳宗のお寺になります。   ...

  • 木奥家住宅(奈良県奈良市)

              街路に東面し、当初部である古座敷に、中央のつし二階建の表屋、表屋北突出部、北西の二階建座敷を順次増築したため複雑な屋根を呈するが、正面下屋を通して一体感のある表構えとする。正面に出格子四所を設け、壁は黒漆喰塗で虫籠窓を穿つ。風格ある大型町家(文化庁文化遺産オンラインより)★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完...

  • 吉田蚊帳店(奈良県奈良市)

                       大正10年創業の奈良蚊帳を製造販売するお店ですが、現在は蚊帳生地を使って様々な商品も展開しています。建物も国の登録有形文化財になっています。主屋の北に並び、切妻造桟瓦葺とする。漆喰大壁造の土蔵風外観で、正面一階は洗出し、北側面は竪板張とする。一階北半は床と間仕切を撤去し、南半はもと土間で、東寄りに床を張る。二階北東の六畳は裏庭側に縁を設ける。奈良町の歴史的景観に...

  • 奈良町にぎわいの家(奈良県奈良市)

                       大正6(1917)年に美術商により建てられた表屋造りの町家で、現在は奈良町にぎわいの家として一般にも公開されています。奈良旧市街の中心部、中新屋町の街路南端に東面して建つ。表屋造の二階建、切妻造瓦葺で表屋の北側面を入母屋とする。背面に入母屋造の別棟を突出し、各階に座敷を構えて北面に眺望を取る独特の構成をもち、近代における表屋造の展開をよく示す(文化庁文化遺産オンライ...

  • 田村青芳園(奈良県奈良市)

                         まだ開店前の時間で閉まっていますが、こちらはお茶屋さん。登録有形文化財のプレートが控えめながら輝いています。奈良町の通りに東面して建つ平入町家。木造二階建、切妻造桟瓦葺、間口八メートル奥行一四・一メートルで、背面に下屋を付ける。正面は軒を出桁とし、両側に卯建を設け、二階に大きな虫籠窓を設けるなど特徴あるつくりとする。奈良の伝統的町家の一例を示す(文化庁文化...

  • 坂本家住宅(奈良県奈良市)

    昨年夏に奈良国立博物館で開催されていた特別展を観に行ってきたついでに奈良町界隈をうろうろして国の登録有形文化財となっている建物を中心に撮影してきました。民家が中心のため文化庁の文化遺産オンラインの説明引用となりますがご紹介していきます。東西敷地の西端で通りに面して建つ平入町家。桁行7.4m梁間9.9m、木造つし2階建、切妻造桟瓦葺である。正面北側に出格子をたて、入口は格子戸引違い、南端に出格子窓を...

  • 甘春堂東店(京都市東山区)

              甘春堂と言えば茶壽器などで知られる京都では有名な和菓子屋ですが、徳川家が豊臣家に難癖を付けた鐘銘のある方広寺や豊国神社の門前にある東店はきれいにされ一見そこまでの古さを感じないもよく見れば虫籠窓や煙り出しなど歴史がありそうな建物。こちらも“京都を彩る建物や庭園”に選定されています。         豊国神社の近くにある慶応元年創業の和菓子店。当建物はその東店で、出格子、虫籠窓、軒...

  • 阪本商店(京都市東山区)

                        前回のオダ薬局と同じ古川町商店街内にある店舗でこちらも京都を彩る建物や庭園に選定されていますが、見過ごさないようグーグルマイマップに登録して行ったのですがシャッターが閉まっていたこともあって京都市のサイトで見た建物の写真とは合致せず、最初気付かず通りすぎやっぱりあれかと再び戻る始末。シャッターが開いていると雰囲気あるだけに残念な写真となってしまいました。古川...

  • オダ薬局(京都市東山区)

              商店街のアーケード内にあるため建物の全景が掴めずパッと見た限りそこまで古いようには見えませんが京都市が選定する“京都を彩る建物や庭園”に認定されています。昭和の雰囲気漂うアーケード街にさりげなくある薬局の創業が寛政8年というのは古都京都らしいです。寛政8年(1796)開業の薬局。建物は典型的な町家形式を残し、奥の光天井がある吹き抜けは光と影がつくりだす幻想的な空間を作っている。   ...

  • 明智光秀の首塚(京都市東山区)

    山崎の戦いで秀吉に敗れ居城である坂本城へ戻る途中落武者狩りに遭い命を落とした明智光秀の首塚と伝わるところは畿内に数ヶ所ありますが位置的にこちらが一番可能性があるのかなと思います。当初秀吉により晒された光秀の首を埋めた塚は蹴上にあり祟りを恐れていた住民たちは一切手を触れず荒廃していたそうです。それを江戸時代中期の明和8(1771)年に光秀の末裔を称する能楽師明田利右衛門が塚の石塔を自宅に移し、明治維新後に...

  • あれから27年

    今日で阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)から27年となります。さすがに四半世紀も過ぎるとあの揺れを経験した世代は減少し今や震災後に生まれた世代が学校を卒業し社会人としても経験を積む時代となっています。風化は残念ながらある意味致し方ないのかもしれません。戦争体験にも当てはまりますが記憶にない世代との決定的違いは五感で体感したかだと思います。紙資料や写真・映像を記憶にない世代に見せたとして、果たしてどこま...

  • 西光寺(兵庫県明石市)

              創建は奈良時代と伝わり報恩寺というお寺の塔頭のひとつだったそうですが三木合戦の際に羽柴軍の焼き討ちに遭い焼失、文禄元年に大久保の光触寺にいた了法上人によって再興されます。了法上人については興味深い話があります。というのも上人は武田家の軍師として名高い山本勘助の実弟彦太夫経清と伝わっているのです。経清は武田家が滅亡後流浪の末大久保の地に流れ着き光触寺にて出家したのだそうです。  ...

  • 西林寺(兵庫県明石市)

              寺伝によれば二階堂出羽守三代の孫の空円上人により康安2(1361)年に天台宗の寺院として創建し、江戸時代に入り真宗東本願寺派に改宗し現在に至ります。...

  • 高丘古窯跡群(兵庫県明石市)

                                           高丘古窯跡群は須恵器とともに瓦が焼かれていた奈良時代の登り窯跡で現在は写真の3基と高丘東小学校横の公園内の2基が保存され兵庫県の文化財に指定されています。明石は以前にも触れましたが粘土質の焼き物に適した土が採掘される土地であることと、高丘のある大久保から魚住にかけては山林資源が豊富であることから丘陵地帯である高丘の地形を利...

  • 安達家住宅(兵庫県明石市)

                                            市内隅々まで隈無く歩いたわけではないので断定はできませんが明石市内で生まれて初めて茅葺き屋根のある御宅を見ました。明石市都市景観形成重要建造物に指定されていますが、建てられたのは寛政だと伝わっているそうで日本史の教科書で言うと老中松平定信が寛政の改革を行っていた時代になります。周辺の景観形成にも寄与している存在感は明石...

  • 林崎三本松瓦窯跡遺跡(兵庫県明石市)

                        貴崎神社とは道を挟んだ北側にある特養ホーム脇にひっそりと文化財を示す案内板、それも市指定文化財とあります。自分は知らなかったのですが、昭和に入ってからこの地一帯から複数の形の瓦が出土しており平成の時代に入りこの場所に特養ホームなどが建つ前に大規模な発掘調査が行われ全体像が見えてきたそうです。12世紀から13世紀にかけて印南野台地の端にあたるこの地の海に向かう斜面...

  • 貴崎神社(兵庫県明石市)

              3回前に紹介した林神社の御旅社で播磨灘や淡路島が眼前に広がる海沿いの場所にあります。祭神は男狭磯というあまり聞いたこともない人物ですが日本書紀に記述の見える阿波の海人だそうです。允恭天皇14年9月12日、天皇は淡路島で狩猟をするも一匹も獲物を捕らえることが出来なかったので占ってもらうと赤石の海底に真珠があるのでそれを取って島の神に祀ると獣が捕れるというご神託が出た。そのため天皇は各地...

  • 山伏塚(兵庫県明石市)

                        立石の井の岩となった大タコが海岸から逃れ山伏に化けたのがこの松江付近だといわれ、その場所には今も山伏塚という大タコの霊を静めるため小さなお社が建てられています。ただこの山伏塚にはもうひとつ全く違う話が伝わっており教覚さんというこの土地に居着いた山伏の墓だという話もあります。教覚さんはたいそうな子供好きで自身が流行り病に罹り亡くなる際にこの土地に埋葬してくれれ...

  • 立石の井(兵庫県明石市)

                        林神社の東側にある住宅街の行き当たり藪に文化財の案内板が唐突に建っています。これが立石の井と呼ばれる湧き水が湧いていた場所でこの地区の地名立石の由来となっています。昔明石の海に足の長さが8~12mもある巨大なタコが住んでおり岸崎(現在の貴崎 山陽電車林崎松江海岸駅の北西地区)に住む二人のお后を狙っていることを知った武士が蛸壺を仕掛けそのタコを退治することにしました...

  • 林神社(兵庫県明石市)

              林神社は延喜式神名帳にも名が記載されている古い神社で明治時代には県社に列せられています。社伝によると林崎の海岸にあった赤石(明石の語源とされる現在松江沖に沈む赤く輝く石)が風雨で海に沈んだため翌年に祀るために建てられた神社だそう。紀元2世紀の時代の話ですが赤石が古くより神聖化されていたことが分かります。         延喜22(922)年の大干魃の際に朝廷が勅使を出し神社で祈ると大雨が...

  • 浄蓮寺(兵庫県明石市)

              慶長2(1597)年創建の浄土宗の寺院で、お寺の前の道はクランク(鍵の手)状になっていますが、これはお寺が船上城下の西端に辺り有事の際には寺の建物が櫓代わりに活用されるよう配置されたものです。         観音堂に安置されている聖観世音菩薩は船上城の前身である林ノ城を築いた別所山城守吉親の守り本尊と伝わる鎌倉時代のものだそうです。         境内には林の沖合いで遭難し亡くなっ...

  • 老舗西谷(山形県山形市)

    安政2(1855)年創業の老舗で以前のお店の建物は近代建築だったのですが、道路拡張工事だったかに伴い店を建て替えられ現在の建物となりました。このお店で有名なのがアップルパイです。このブログでもどこかで書いたと思いますが、私幼少時からアップルパイ大好きなもので以前から山形で時間が合えば買いたいと思っていた一品。夏なので冷やしアップルパイとやらをを購入しましたが特に冷やし専用ではなく通常のアップルパイをただ...

  • 丸八やたら漬本店(山形県山形市)

    米沢の予定を切り上げて山形に戻った理由が老舗のお漬けもの屋さんであった丸八やたら漬の建物を撮影するがためでした。昨年4月に廃業を発表し5月末に閉店、国の登録有形文化財である建物や蔵の取り壊しも発表されていたため山形に行くなら撮影しておきたく行ったのでした。計画通り取り壊され現在これらの建物はもうありません。 丸八やたら漬本店店舗兼主屋通りに西面して建つ。切妻造妻入鉄板葺で、間口5間半奥行9間規模...

  • 岩城人形店(山形県山形市)

              安政年間に京より山形に移り住んだ仏師渋江長四郎は嵯峨人形の製作も行っていた経験を生かし山形でも人形作りを始めました。その後渋江家は人形の製作を止めたので明治時代に長四郎に弟子入りし製作法を学んだ岩城徳次郎の岩城家が製作を引き継ぐ形で今日まで続いています。その岩城人形店を山形城から七日町方面を歩いていく途中にたまたま見つけました。                    山形張子で...

  • 山形城(山形県山形市)

              山形城は羽州探題となった最上家初代斯波兼頼が延文2(1357)年に築城したことに始まり最上氏11代(初代山形藩主)最上義光によって近代城郭としての大規模整備が行われ奥州では最大、全国でも5番目の規模を誇った城でした。現在の二ノ丸の堀や石垣は、最上氏の改易後に山形藩主となった鳥居忠政によって改修されたものと伝わり城跡一帯は国の史跡指定を受けています。...

  • 法泉寺 来次出雲守氏秀の墓(山形県米沢市)

              元和4(1618)年直江山城守兼続開基、九山和尚開山の臨済宗のお寺で当初は禅林寺という寺名で兼続らが集めた書物を備えた米沢藩士のための学問所という役割を果たしていました。後の元禄3(1690)年に2代藩主定勝の三女亀姫の法名から法泉寺と名を改めています。          ...

  • 米沢聖ヨハネ教会(山形県米沢市)

                        米沢聖ヨハネ教会の建物は昭和5(1930)年に建てられたもので現時点では特に文化財などになっていませんが申請すれば登録文化財になりんじゃないかなぁと外観だけ見る限りですが雰囲気のある教会です。             ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完するFacebookページを始めました。よろしけ...

  • 上杉神社稽照殿(山形県米沢市)

              上杉神社稽照殿は大正8年に発生した火災で上杉神社の建物が焼失したため米沢出身の建築家伊東忠太の設計で本殿などとともに新たに宝物館として建てられました。上杉謙信の遺品を中心に上杉景勝や直江兼続の甲冑、上杉鷹山の遺墨など国重文を含む上杉家関連の文化財・・資料を所蔵しています。また建物も国登録有形文化財になったいます。          上杉神社再興時に建築された宝物殿で,設計は伊東...

  • 米沢城(山形県米沢市)

             続日本100名城に選定されている米沢城は江戸時代は米沢藩上杉家の居城としてしられていますいますが、それ以前は伊達家の居城であり伊達政宗はここ米沢城で生まれています。...

  • 岡崎写真館(山形県米沢市)

              丸窓と四角窓、縦書きに岡崎写真館の文字と配置が面白い岡崎写真館の建物も昭和初期に建てられたもの。こちらは残念ながら廃業されているようですが米沢を訪れたら撮影したかった物件のひとつでした。★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完するFacebookページを始めました。よろしければご覧ください!→ぶらり歴史旅一期一会(fb版)...

  • 相馬写真館(山形県米沢市)

                        2階の窓回りなどが個性的な相馬写真館は昭和初期に建てられた(細かい年数は諸説あるよう)近代建築の建物で今も現役の写真館。近代建築の写真館は各地にありますがお店が営業していると嬉しくなってきます。           ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完するFacebookページを始めました。よろし...

  • 一花院跡(山形県米沢市)

    一花院は上杉家家老千坂対馬守景親が千坂氏の祖とされる那須与一の念持仏であった虚空蔵菩薩像を安置する為に一宇を設け菩提寺としたのが始まりとされます。前田慶次の墓がこの寺にあったという記録が残っていますが江戸時代末期にはすでに廃寺となっており、現在は虚空蔵菩薩堂と開基千坂景親及び那須与一の供養塔だけが残されています。                 千坂景親の供養塔対馬守 千坂氏は上杉家四家老の家柄で...

  • 関興庵 大国実頼の墓(山形県米沢市)

              越後国に応永17(1410)年に創建された臨済宗の寺院で、直江兼続の実家樋口家の菩提寺になります。関ヶ原の戦いの後に上杉家が米沢に移される際に兼続により米沢城を守護するべく鬼門の位置に配置されるように建立されています。                           大国家墓所 米沢藩士大国家の初代は直江兼続の実弟大国但馬守実頼(大河ドラマ『天地人』では小泉孝太郎が演じてたのでピンと...

  • 慶福寺 安田能元の墓(山形県米沢市)

              越後時代から安田毛利家の菩提寺である曹洞宗の寺ですが火災などで過去帳は失われているそうで詳しい創建年次などは不明です。         安田家墓所この家は鎌倉幕府別当大江広元を初代とした毛利氏の流れを汲んでおり(長州藩主毛利家も初代は広元としている)、上杉家家中には安田長秀らを排出した大見安田氏もあり区別する意味でこの家は毛利安田氏とも称されます。        安田能元の墓上総...

  • 桃源院(山形県米沢市)

              天文13(1544)年に伊達家家臣鬼庭良直開基の曹洞宗のお寺。鬼庭良直と言えば大河ドラマ『独眼竜政宗』で故いかりや長介が演じた政宗を逃すため殿軍を務めた老将と言えば頭に浮かぶ方多いと思います。この時代、伊達家はまだ仙台ではなく米沢城が本拠地でした。                  鬼庭(茂庭)氏の菩提寺としての桃源院は伊達家の所領替えに伴い良直の跡を継いだ良元の新たな所領である松山(宮...

  • 慶次清水(山形県米沢市)

                                  堂森にある前田慶次関連の史跡のひとつでこの地に居を構えた慶次が飲料水として湧き水の出るこの場所の清水を利用していたそうで現在は慶次清水の名がついています。茶道にも通じていた慶次ですからこちらで汲んできた水でお茶を点てたりしていたかもとしていたかも、と想像力が涌いてきます。が訪れたのは7月後半と夏場だけに草ぼうぼうで清水までたどり着けず遠く...

  • 堂森善光寺 前田慶次供養塔(山形県米沢市)

                           大同2(807)年に善光寺阿弥陀堂の別当として創建されたと伝わりますが火災などで記録が失われており詳細は分かりません。米沢市街地から少し離れた場所にある真言宗豊山派のお寺です。           本堂          阿弥陀堂          ‎前田利益供養塔私が中学生の頃に少年キャンプに連載されていた『花の慶次』の主人公で、信長の野望など戦国時代を題...

  • 光禅寺 最上家墓所(山形県山形市)

             最上家の菩提寺である曹洞宗の寺院で慶長年間に最上義光が自らの菩提寺とするべく春林禅冬禅師を招いて創建、最上家が1万石と大幅に減らされ近江へ移されると代わりに山形へ入った鳥居家によって現在地へと移転させられていますが最上家より与えられた250石の朱印状は幕府により引き続き認められかなりの大寺院でした。...

  • 青源寺 志村光安の墓(山形県酒田市)

                        居城長谷堂城を直江兼続率いる上杉の大軍から守り抜いた功などにより亀ケ崎城主となった最上家の重臣志村伊豆守光安が長谷堂城下にあった菩提寺青源寺から峰岩呑鷲和尚を招き新たに城下に慶長6(1601)年に建立した曹洞宗のお寺です。          志村光安の墓伊豆守 最上家家臣で関ヶ原の戦い時は長谷堂城主として山形へ侵攻する直江兼続率いる2万とも3万とも言われる上杉軍をわ...

  • 本間家旧本邸(山形県酒田市)

                       戦後の農地改革まで日本一の大地主だったことで知られる本間家は佐渡国守護代などを務めた一族ですが永禄の時代には庄内地方に移り住んでいたようで、江戸時代に入り新潟屋の屋号で商いを始め酒田三十六人衆のひとつとして繁栄、後に大名貸しなど金融業にも進出しそれを元手に土地を買い所有地を増やしていき三井家や住友家に匹敵する大豪商となります。三代光丘は庄内藩の財政再建にも参画...

  • 旧鐙屋(山形県酒田市)

                   酒田市役所と道路を挟んで向かい側に建つ旧鐙屋。鐙屋は関ヶ原の戦い後に庄内地方も与えられた山形の最上義光により屋号が与えられ鐙屋惣左衛門を名乗った本間家と並ぶ酒田を代表する豪商です。        ...

  • 相馬楼(山形県酒田市)

              山王くらぶと共に酒田の華やかかりし時代を今に伝える相馬楼。建物は明治27年に建てられたものでこちらも国の登録有形文化財となっていますが訪問時は新型コロナの影響で臨時休館でした。          相馬屋は江戸時代末期から続いた料亭で,主屋は明治27年の地震時の大火によって焼失した直後に,残った土蔵等を取り込んで建設したものである。店,広間,土蔵等を繋いだ複雑な構成は特異で,トコ棚を...

  • 山王くらぶ(山形県酒田市)

                        北前船などで賑わいを見せた酒田でも一・二を争う料亭宇八楼(環翠楼)として建てられ、竹久夢二も数か月間滞在するなどかなり名の知れた料亭だったようです。戦争の間は営業停止となり鉄興社が社員寮として使用するため購入。戦後鉄興社から酒田市議会議長前田良太氏が譲り受け現在の山王くらぶという名称となり昭和28年に大広間に舞台を設け料亭としての営業を続け、現在は料亭文化や酒...

  • 旧白崎医院(山形県酒田市)

             酒田へ戻りレンタサイクルを借りて散策開始。最初に訪れたのは日和山公園にある旧白崎医院。市の文化財である建物は大正8(1919)年に建てられた酒田では唯一の木造洋風建築で酒田市大火後に酒田市に寄贈され昭和55年3月に保存のため現在地日和山公園内へ移転しました。一般公開されており無料で内部を見ることが出来ます。                                         ...

  • 象潟塩越を歩く(秋田県にかほ市)

              蚶満寺を後に道の駅象潟ねむの丘へと向かいます。温泉施設なども備えた大きな道の駅ですがこの地域では最も高い建物で展望室があるため九十九島をもう少し見たいと思い立ち寄ったのでした(ドラクエウォークのお土産ハタハタもここがポイントになっていたり)。6階の展望室へ上がると360度の展望室、九十九島もそれぞれの島に名前が付いておりどれがどの島なのか分かる案内板もあるのでじっくり観察してみます...

  • 象潟公会堂(秋田県にかほ市)

              昭和9(1934)年に北海道に渡り成功を収めた象潟出身の奥山角三(北海道電力の創設などにも関わる)が私財を投じ設計は秋田県職員の田中米太郎が担当、設計にあたり辰野金吾が携わった秋田県記念館(現存せず)を参考にしたと伝わります。竣工時は町役場隣にあり町議会場として使用されましたが役場等移転により公民館兼図書館を経てしばらくは倉庫になっていました。取り壊しの話の浮上していましたが現在は耐...

  • 塩越城(秋田県にかほ市)

              塩越(汐越)城は貞治4(1365)年に池田豊後守茂政が築城したとされますが正確な築城年次はよく分かっていません。以後池田氏の城館として機能します。池田氏は戦国時代は勢力を拡大した仁賀保氏に従いますが関ヶ原の戦い後に仁賀保挙誠が常陸に移る際はこの地に留まっていることから当時は仁賀保氏の家臣というよりは仁賀保氏に寄騎(与力)して独立性を有していた立場だったのかもしれません。新たに由利地方の領...

  • 蚶満寺 仁賀保家墓所(秋田県にかほ市)

              蚶満寺には室町時代から江戸時代初期まで象潟などの領主であった仁賀保氏のうち仁賀保挙誠・良俊・宗俊3名の墓があります。戦国時代の由利地方は由利十二頭という小領主が割拠していました。その中でも現在のにかほ市一帯の領主だった仁賀保挙誠(光誠)は関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、大谷吉継が流した虚報に動揺し逃亡する諸将が多かった中を踏み留まり上杉方の城を攻め落とすなど活躍し家康から感状を賜り...

  • 蚶満寺(秋田県にかほ市)

              仁寿3(853)年に天台座主であった慈覚大師円仁開創と伝わり天正15(1587)年に曹洞宗に宗旨替えし現在へと至ります。江戸時代は僧堂を構え多くの僧侶が集まり、また松尾芭蕉などが訪れたことでも知られているお寺です。...

  • 羽越本線象潟駅(秋田県にかほ市)

             にかほ市は象潟町・仁賀保町・金浦町が合併して誕生した市で市役所本庁舎は旧象潟町役場なので象潟駅が市の代表駅となるでしょうか。駅舎は2012年に改築された新しい駅舎で昨年春から直営から業務委託駅になっています。ただ駅の待合室に併設されている観光案内所は閉まっており、また駅前には店など何もなく(線路挟んで反対側に市役所やマックスバリュなどがあるようです)、客待ちのタクシーもおらずと平日午前...

  • 三日月軒駅東支店(山形県酒田市)

              酒田駅前に戻った頃には先程前までしっかりと降っていた雨は止み空も少し明るくなってきました。地下道を通り駅とは反対側にある三日月軒駅東支店で遅めの昼食にします。2011年にこの地方を訪れた時、大雨で旅の予定がご破算となり仕方ないので酒田ラーメンぐらいはと酒田駅徒歩圏内でピックアップしていた三日月軒でしたがあるはずの場所に店がない。かなり後に改装でその頃休業中だったことを知ったわけです...

  • 2020年夏山形+ちょこっと秋田の旅3日目 米沢

              3日目の朝、ようやくスッキリとした青空となりました。ホテルの朝食バイキングが郷土料理を含め品数も多くそれだけ実はそこそこのお値段元取れたかなぁ?と思いながら少し出発まだ時間があるので散歩がてら最上家の菩提寺東禅寺を訪れ最上義光らの墓を参詣してからホテルをチェックアウト、米沢へと行くため山形駅へ向かいます。...

  • 2020年夏山形+ちょこっと秋田の旅2-3 酒田市内を巡る

    陸羽西線の終日運休が決まり今日宿泊予定の山形市内に行く公共交通機関は高速バスのみ。酒田駅の観光案内所でレンタサイクルを借りて酒田市内散策とします。 9年前に来た時は一泊したものの酒田で訪れたのは駅近くにある本間美術館と本間家庭園だけだったので実質街を見るのは今回が始めて。...

  • 2020年夏山形+ちょこっと秋田の旅2-2 象潟を歩く

    蚶満寺を後にし道の駅きさかたへ向かいます。温泉施設や物産館なども併設したかなり大きな施設で、スマホゲームのドラゴンクエストウォークのお土産配布場所だったりします(笑) このエリアでは最も高い建物で展望室があるので九十九島を見るのはやはり高いところからだろうと一足伸ばしてみました。...

  • 2020年山形+ちょこっと秋田の旅2-1 象潟を歩く前編

    2日目の朝、ホテルのカーテンを開けると雨は上がりかなり明るくなってきました。JRも羽越線の秋田方面は通常運転とのこと。この日、私とは入れ替わりでyumeさんが宿泊していた新潟からJRで酒田入りするということで昨日から現地の情報交換をしていたのですが、今日以降は最上川が数ヵ所氾濫したことを地元テレビ局が早朝から伝えるなどまだまだ油断できませんが庄内地方はほぼ雨はもう降らなさそうなので酒田には辿り着けそうな感...

  • 2020年山形+ちょこっと秋田の旅1日目

    昨年の7月下旬に休暇を取得し当初は春先に計画するも新型コロナが流行りだしたため断念した山形の庄内地方と県境を越えた秋田県由利地方をメインにした旅に行ってきました。夏場の史跡巡りは様々な点から不向きのためここ数年は避けてきましたが、あと数年は新型コロナの影響もありウイルスの動きが鈍りそうな夏以外は遠出は厳しいだろうと判断、ここは思い立ったが吉日と予約することに。GOTOトラベルが突如前倒し実施となりその...

  • 青龍神社(兵庫県明石市)

                        青龍神社は明石市の中部に位置する藤江にある神社で建長6(1254)年に厳島神社を奉祀していた当地に社殿を新たに建てる際に主祭神を葺不合命とし青龍神社と名を改めたとあります。藤江は古くから藤江川周辺が拓け漁が盛んであったこと、青龍神社のすぐ東側には古墳時代から江戸時代初期までの長きに渡り水の祭祀場所と考えられている藤江別所遺跡もあることから青龍の名前からしてやはり水...

  • 赤石の碑(兵庫県明石市)

              古事記などにも記載されている明石の地名の由来のひとつとされているのが赤石伝説。赤石川の河口近くの浜の散歩道沿いには赤石の碑が建てられています。“昔神出に住む(既婚の)男が小豆島に住む女性と恋に落ち鹿の背中に跨がり海を泳いで小豆島まで会いに行っていました。浮気をする夫に悲しみに明け暮れていた奥さんはある日夫が死ぬ夢を見て必死に行くのを止めますが、それを振り切り夫はいつものように鹿に...

  • 極楽寺の夜泣きの塔(兵庫県明石市)

                                   西二見にある平安時代創建と歴史のあるお寺ですが現在は阿弥陀堂のみとなっておりすぐ近くにある同じ真言宗の威徳院が管理されておられます。その阿弥陀堂の西北側にある三基の五輪塔は夜泣きの塔という異名があります。大正時代に神戸の豪商が買い上げ庭に移すも毎夜「二見へ帰りたい」と泣き声が聞こえるため戻されたのだとか。 ...

  • 御厨神社(兵庫県明石市)

    御厨神社は火災で文書などが失われているため詳しい歴史などは不明ながら社伝によれば神功皇后の西征の際に二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時に土地の者が食物を奉ったところと伝わるのでかなり古い歴史があると思われます。         拝殿二見は現在も漁師町であり江戸時代などは廻船業者も複数あるなど海を生業をした人たちが多く住む地域を代表する神社ということで拝殿内には古い帆前船の絵馬や模型などが奉...

  • 玉子焼にし尾(兵庫県明石市)

              二見界隈で玉子焼(明石焼)のお店と言えば山陽電車東二見駅前にあるてんしんが真っ先に浮かびますが地元の人などの話を聞いて前から行ってみたかったのがこちらにし尾さん。蛸漁が盛んな二見の漁師町の中にある隠れ家的なお店、というか住宅の一画を改造してお店にした本当に隠れ家なお店でした。店前などに重しなどとして活用されている蛸壺が期待度を高めてくれます。          たこ飯おにぎりも頼...

  • 白沙荘(兵庫県明石市)

    日本画家橋本関雪が建てた別荘のひとつで当時は蟹紅鱸白荘という名でしたが、現在は関雪の別号白沙村人から取られたのか白沙荘という名前になっており播磨灘や二見の港が一望できる絶好のロケーションにあります(内部非公開)。建てたのはまだ二見は明石とは合併していない加古郡二見村の時代でしたが関雪は親の代まで明石藩の儒者の家系であり関雪も神戸生まれと、穏やかな海に面した場所で一時を過ごしたかったのかなとも思えて...

  • カゲユ池古墳(兵庫県明石市)

             前回アップした藤江別所遺跡からカゲユ池古墳へやって来ました。カゲユ池古墳は明石市公設卸売市場の北東にあります(市場の敷地内だそう)。元は江戸時代に灌漑用の溜め池として作られたカゲユ池の中に6基の古墳があり、公設市場建設に伴う埋め立て前に県と市が調査し1号墳は横穴式石室を持つ南北10m・東西16m・高さ1.2mの円墳で6世紀頃に作られたもので2~6号墳はすでにカゲユ池の土堤の一部となっている部分以...

  • 藤江別所遺跡(兵庫県明石市)

           藤江川河口から上流に300mほど遡った場所付近に藤江別所遺跡があります。昨年奈良県天理市の櫟本チトセ遺跡にある井戸跡から全国で2例目となる銅鏡が発見され話題となりましたが井戸跡から銅鏡が出土した国内最初の例がここ藤江別所遺跡からでした。藤江別所遺跡の井戸跡調査からは井戸一基と2つの溝が確認され出土品から古墳時代から江戸時代初期までのかなり永きに渡って祭祀が行われていたことが分かっており上述...

  • 京作商店(兵庫県明石市)

       魚の棚市場西口から少し南側、ジェノバラインの船着き場に向かう途中にあるこうじや京作商店は初代が越前大野より明石へ転封となった藩主松平直明に従いやって来た御用商人で天和2(1682)年創業となっていますが明石での創業年なので越前時代を考えるともう少し古そうです。名前の通り昔ながらの麹屋で半地下式の室を構え麹や麹を使った味噌や甘酒を製造販売しています。    江戸時代は御用商人だったので苗字帯刀が許さ...

  • 丈六寺②(徳島県徳島市)

    丈六寺の墓所は寺を取り囲むように数区画に分かれ阿波守護細川家の墓や数多くの徳島藩重臣などの墓が現存しています。                      観音堂(国指定重要文化財)細川真之が建立寄進したもので墓所の一区画にあり安置されている聖観音座像とともに国の重要文化財となっています。          里見(東根)家墓所里見(東根)氏は出羽の有力国人領主で最上家の重臣でしたが最上騒動により主家改易...

  • 丈六寺(徳島県徳島市)

              徳島市南部にある曹洞宗のお寺で、白雉元(650)年に関東から来た尼僧が結んだ庵がその始まりと伝わり室町時代に阿波守護細川成之が中興開基となっています。複数の建造物が国の重要文化財に指定されているなど文化財が多いことから阿波の法隆寺の異名を持ち、境内墓地には阿波守護細川家三代のほか多くの徳島藩重臣などの墓がかなりの数現在もあります。        ...

  • 正福寺 新開実綱・実成の墓(徳島県阿南市)

    元久年間に創建された真言宗の寺院で牛牧(牛岐)城主新開氏が中興しています。新開正頼・実成の墓遠江守 牛岐城主 新開氏は阿波南部を拠点とした国人領主で元々は阿波守護細川氏に仕えていましたが実綱(道善)の時代には三好氏の傘下となり勢力を拡大しています。そのため土佐の長宗我部氏とは国境を接することとなり幾度か進攻を退けますが最終的には長宗我部氏に降り以後長宗我部勢として数々の合戦で活躍しますが旧主三好氏との内...

  • 椿泊の街並み(徳島県阿南市)

              椿泊の古い街並みは橘湾に細ながく伸びている半島の狭い平地を活用して1km超300軒ほどの民家が連なるように建てられています。椿泊へは阿南駅や徳島バス阿南の橘営業所から路線バスが出ていますが行くのは途中椿泊漁協や駐在所などがある小吹川原というところまで。ここから先一気に道は路地裏かというぐらい細くなるので地元以外の人で車に行かれる場合は要注意です。...

  • 佐田神社(徳島県阿南市)

              佐田神社は椿泊一帯の領主であった徳島藩重臣森家が勧請したのが始まりで猿田彦命・海津見命・佐田九郎左衛門(初代森元村の父)の三柱を祀っておりこの地区の氏神となっています。          拝殿         森忠村の墓志摩守 森甚五兵衛家3代 森家の菩提寺である道明寺にある森甚五兵衛家墓所に唯一ない忠村の墓は佐田神社拝殿脇に一基ポツンと建っています。2代村春には長らく子供がなく...

  • 26年目の1月17日

    今日で阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)から26年です。あの揺れを発端に我が国は地震の活動期に入って行きました。この日は毎年書いていますがあの日あの揺れを少なくとも経験した者として風化が叫ばれて久しいだけに何か少しでも震災について書いておきたいと思いアップしています。昨年からの新型コロナウイルスにばかり目が行きがちですが東海から西は南海トラフ震源の連動、関東も相模トラフの地震発生率が上がっていると伝わっ...

  • 道明寺 森甚五兵衛家墓所(徳島県阿南市)

    真言宗の寺院で阿波水軍を率い徳島藩中老として3千石を領した森甚五兵衛家の菩提寺。元は森氏の居城土佐泊(鳴門市)にありましたが森氏の領地替えに従い椿泊に移ってきたようです。...

  • 松鶴城(徳島県阿南市)

    松鶴城(椿泊城)は阿波水軍を率い長宗我部元親の侵攻に最後まで屈せず居城阿波土佐泊城を守りきった森氏が新たに阿波国主となった蜂須賀家政に仕え領地替えとなり森志摩守村春が新たに築城しました。江戸時代に入ると引き続き徳島藩中老3千石森甚五兵衛家の居館として使われています。現在は椿泊小学校敷地一帯となっており小学校正門前には石碑が、また石垣の一部が現存しています。 ★当ブログのまとめサイ...

  • みずほ銀行徳島支店

              昭和4年に国枝博が設計を担当し阿波農工銀行本店として竣工、昭和12年に買収により勧業銀行徳島支店となり第一勧銀を経て現在のみずほ銀行へと至っています。建物は正面に6本のコリント式オーダーと建てられた時代の銀行建築に多く見られる様式となっています。             ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村    当ブログを補完する...

  • 2021謹賀新年

    明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今朝初日の出を撮影しに行って来ました。朝5時過ぎからかなりの強風。それでもたくさんの人が集まってきていましたが何故だか陽が昇る場所にだけ厚い雲が…。日の出時間を過ぎても中々顔を見せず、見せても中途半端な御来光になってしまいましたが新たな一年の始まりです。今年も新型コロナなどで多難な一年になりそうですが皆様も体調管理にはくれぐれも留...

  • 一年を振り返る

    今年は新型コロナに世界中が振り回された一年となり、これまでの常識や生活様式が一変する1年となってしまいました。それは旅を趣味とする者にとって正直厳しい1年だったとも言えます。3月豪華クルーズ船内という話から徐々に日本本土に新型コロナの影が忍び寄り始めた頃四国は高松と徳島を旅してきました。徳島だけなら明石海峡大橋経由であっという間なんですがここは乗り鉄らしく岡山経由で高松に入ってから徳島へ。ただすでに...

  • 王子神社(徳島県徳島市)

              王子神社は阿波藩で家老などを務める重臣長谷川家の崇敬を受け、現在鎮座する場所は元々は長谷川家の別宅があった場所です。その王子神社が現在阿波の猫神様と呼ばれる背景に阿波の化け猫騒動があります。今から200年ほど前に現在の阿南市の庄屋の娘お松が冤罪により処刑されますが処刑直前に飼い猫のお玉に恨みを晴らすよう言い含めお玉が飼い主を陥れた人物や裁いた奉行などに次々と復讐を行うという事件が...

  • 喫茶びざん(徳島県徳島市)

              元々はアメリカ食堂というのが名でアメリカ滞在経験のある初代が昭和2年に洋食店として創業、アメリカとの関係悪化により店名改称を要請されカフェびざんとなり戦後焼け野原となった徳島で純喫茶として再出発した老舗中の老舗喫茶店です。           入ってすぐの場所で大きなクマがお出迎え          忙しなさ感じるカフェチェーン店では味わえない昔ながらの純喫茶独特の雰囲気での至福...

  • 萬里(徳島県徳島市)

              徳島駅から徒歩圏内にある徳島ラーメンの老舗の一軒ですが地元の人はともかく県外となるとあまり知られていません。かく言う私も実は近代建築の店舗でこの店のことを知りました。          装飾などかなり細かいです。          店はご主人一人で切り盛りされているのかな?          観光客にも分かりやすいように肉玉子入りの横に徳島ラーメンと書いてくれています。    ...

  • 和田乃屋(徳島県徳島市)

                         さだまさし原作の小説で映画にもなった徳島市のシンボル眉山の麓にある徳島藩主への献上菓子だった滝の焼餅を店頭で焼いて売る焼き餅屋さんのうちの一軒。眉山には蜂須賀家の墓所(万年山墓地)があり、また風光明媚な土地柄でもあるので藩主も足を運んだ際に舌鼓を打ったのかなと想像が湧いてきますが和田乃屋さん自体の歴史は戦後すぐの昭和23年創業と決して古くはありませんが建...

  • 還国寺(徳島県徳島市)

    創建年次など詳細は不明ですが寺伝などによれば浄土宗開祖法然が配流先から京へ戻る際に滞在した宿坊が寺の前身とされ、室町時代は三好氏の本拠地であった勝瑞城下にあり蜂須賀家阿波入国後に徳島へ移り、江戸時代は法然ゆかりの浄土宗寺院ということもあり徳川秀忠の廟が建てられ以降歴代将軍の位牌が安置されるようになります(徳川家は浄土宗)。 海部ハナの墓江戸時代末期の人でそれまでの木綿織の製法に改...

  • 本行寺 三好長治の墓(徳島県徳島市)

    元々は別に宗派のお寺だったと思われますが天正元(1573)年頃に三好長治が法華宗に改宗させて三好氏の一族と伝わる本源院日永によって勝瑞城下にて創建し、その後天正13(1585)年の蜂須賀家の阿波入封に伴い現在地へ移転してきています。 三好長治の墓阿波守 三好実休(義賢)の嫡男で三好氏の家督を継ぎますがこのお寺がそうであるように領内のあらゆるものに対して法華宗への改宗を強要したため国人領主はもとより大衆の心...

  • 壽量寺 樋口内蔵助正長の墓(徳島県徳島市)

             元和2(1616)年徳島藩の命で藩家老樋口内蔵助正長が開基した日蓮宗のお寺で、開山は徳島の正長のもとを訪れそのまま滞在していた伊勢桑名壽量寺の日鐃上人。樋口家の菩提寺であるとともに藩主蜂須賀家の公廟も設置されていました。         本堂本堂前の蘇鉄は元々家老蜂須賀喜緝の屋敷の庭にあったものを移植したものだそうで『阿波国名所案内』にも掲載されているそうです。           ...

  • 旧高原ビル(徳島県徳島市)

              石油や食用油の卸売り業を営んでいた旧高原商店が建てたロマネスク調の装飾などが印象的な洋風建築の建物で設計は鈴木禎次が担当し昭和7年に竣工、竣工当初は阿波商工銀行本店として活用され徳島の民間の建物としては初めてのRC造の建物だそうです。通りに面して建つRC造のビル。一部を塔屋風に3階建てとし,他は2階建てとする。スクラッチタイルの外壁,パラペットの装飾,塔屋風の部分の窓廻りの装飾等...

  • 三河家住宅(徳島県徳島市)

              徳島に来たらどうしても見たかったのが三河家住宅。国の重要文化財指定を受けています。                   屋根の上に載っているガーゴイル像の存在感がすごいです。残念ながら内部は通常非公開(年に何度か公開されるみたいです)、常時公開していただきたいなぁと願います。三河家住宅は、産婦人科病院を開院していた医学博士三河義行が、昭和3年頃に建てた自邸で、徳島県立工業学校建...

  • 興源寺 徳島藩主蜂須賀家墓所(徳島県徳島市)

              徳島藩主蜂須賀家の菩提寺である臨済宗妙心寺派のお寺で、伊勢国司北畠具教の実子で蜂須賀小六正勝の養子となった東嶽(蜂須賀長存)が天正14(1586)年に開山した福聚寺をルーツとし、のちに現在地へと移り興源寺と名を改め現在へ至ります。...

  • 旧徳島城表御殿庭園(徳島県徳島市)

              徳島城表御殿庭園は関ケ原の戦い直後に造営されたと伝わる枯山水の庭と池泉回遊式の桃山式庭園で、設計は茶人大名のひとりで関ケ原の戦いで西軍に属し失領し浪人の身であった上田宗箇を蜂須賀家が招き担当しています。宗箇はのちに縁戚である浅野家に招かれ家老として大坂の陣に出陣していますのでいずれにせよ江戸時代初期には完成していることになります。                        ...

  • 徳島城(徳島県徳島市)

              現在の徳島城は秀吉の四国征伐後に阿波一国を拝領した蜂須賀家政が現在地に築城を開始し天正14(1586)年に完成させた平山城で江戸時代を通し徳島藩主蜂須賀家の藩庁として機能しました。          明治維新後は建物の大半は破却され現在敷地内には国の名勝に指定されている表御殿庭園以外は石垣と堀、鷲之門だけが残っていましたがその鷲之門も戦災で焼失、現在の門は復元されたものです。    ...

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