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2010/08/20

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  • 「復活について立てるべき問いは何か」ルカ福音書24:13〜35

    「復活について立てるべき問いは何か」ルカによる福音書 24:13〜35エマオ途上 ルカ福音書において、復活したイエスが初めて、自らの弟子の前に現れたことを記しているのが今日のテキストであるエマオ途上の記事である。二人の弟子たちは、名前からして、一二使徒ではないが、エマオでは宿泊したとあり、恐らく自分たちの村と考えられる。弟子としては、イエスはガリラヤからエルサレムへ南下する形で活動領域を移動させて...

  • 「暴力的な神様は嫌いです」申命記7:1〜5

    『暴力的な神様は嫌いです』(2023/2/26)申命記 7:1~5聖書の言葉をどう読むか 幼い頃は、なかなか神さまの言葉と言われても、違和感を感じなかったのに、成長する中で、とても神さまの言葉とは言えないだろう、という箇所が出ていくことがあります。そんな時に、まっさきに思い浮かぶのが、今日、選びました申命記の直後にあるヨシュアの物語です。エジプトからイスラエルの民を導き出したモーセからリーダーを引き継いだ...

  • 220821「情けは隣人(ひと)のためならず」ルカ福音書10:25-37

    『情けは隣人(ひと)のためならず』(2022/8/21)ルカによる福音書 10:25~37善きサマリア人のたとえのテーマ 今日の聖書箇所は、善きサマリア人のたとえです。律法の専門家がイエスに永遠の命を受け継ぐにはどうしたら?と聴き、イエスは神への愛と隣人への愛を説きました。しかし、その専門家はイエスの答えに納得がいかなかったのか、イエスを試そうとしていたのか、さらに、「では、わたしの隣人とは誰ですか」と、...

  • 「後ろに立つイエス」ヨハネ福音書20:11〜18

    『後ろに立つイエス』(2022/4/17)ヨハネによる福音書 20章 11~18節信頼から懐疑へ 先週、DVDレンタルで『マイ・ダディ』という映画を見ました。主人公は、日本の教会の牧師さんで、ムロツヨシさんが演じています。高校生の娘さんがいるのですが、ある日突然、骨髄性白血病と診断を下されます。そこからドナーを探すお話ですが、とても良い映画であると思います。お話のあらすじには、これ以上触れませんが、ムロツヨシさ...

  • 『安息日の意味を考える』出エジプト記20:8〜11

    『安息日の意味を考える』(2022/3/27)出エジプト記 20章 8~11節戦争と安息日 ウクライナでは、戦闘が続いており、日々、報道で目にしない日、耳にしない日はありません。これが現在の戦争のあり方なのだな、と思わされますが、テレビ番組などでバラエティ番組の一つのコーナーとして、一つの話題として、挟まれた時など、わたしたちが生きている日常とウクライナとの日常との違い、ギャップを実感させられます。また同時...

  • 「神の改心と虹の契約」創世記9:8〜17

    『神の改心と虹の契約』永眠者記念礼拝(2021/11/7)創世記 9章 8~17節神話としての創世記 今日お読みしました箇所に登場するノアという人物。キリスト教徒であろうとなかろうと、神さまの命令に従って、大きな箱船を作ったこと、そこにたくさんの動物のつがいを入れて、神さまの手によって起こされた大洪水から守った人物であります。そして、今日の箇所は、洪水が収まった後、神とノアの間で確認された契約について記され...

  • 「人から出てくるものが人を汚す」マルコ福音書7:14〜23

    『人から出てくるものが人を汚す』(2021/10/31)マルコによる福音書 7章 14~23節あくまで律法の議論として読んでみる 今日の箇所でイエスは、手を洗わなければ律法的に汚れてしまうというファリサイ派の人々に対し、7章14節15節において、このような言葉を語ります。「…「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すので...

  • 「脱弱肉強食の勧め」創世記4:1〜16

    『脱弱肉強食の勧め』(2021/10/24)創世記 4:1〜16罪という尺度 今日のテキストにおける物語、カインとアベルの出来事は、聖書的に言えば、人類最初の殺人が、兄弟間で起こったという悲劇の物語であります。農耕民(農民)であった兄カイン、そして牧羊民(羊飼い)であった弟アベル。それぞれが、自らの収穫物を神に捧げます。そして、弟の捧げ物が喜ばれ、兄の捧げ物が喜ばれなかったことから、嫉妬した兄カインが弟アベ...

  • 「九十九対一の論理と倫理」(マタイ福音書18:10〜14)

    『九十九対一の論理と倫理』(2021/9/12)マタイによる福音書 18章 10~14節パラリンピックとは 東京オリンピックに続いて、パラリンピックも終わった。パラリンピックの起源は、1948年に開催されたロンドンオリンピックと同日に、イギリスのストーク・マンデベル病院で開催された競技会であり、現在では第一回パラリンピックとされていますが戦争で負傷した負傷兵たちのリハビリテーションの一端として開催された。そして...

  • 「罪人を招くという宣教方法」(マルコによる福音書2:13〜17)

    『罪人を招くという宣教方法』(2021/8/15)マルコによる福音書 2:13~17弟子の召命 イエスは徴税人と思われるレビに対して声をかけます。「わたしに従いなさい」と。レビの召命の直後、イエスに従ったレビの家で会食の準備がなされ、多くの人たちが同席します。多くの徴税人、彼らはレビとの別れを惜しむ彼の仕事仲間たちであったかもしれませんし、たまたまイエスの話を聞きに来た同業者とも考えられます。そんな彼らと...

  • 「過去でも未来でもなく」(マタイ福音書6:25〜34)

    『過去でも未来でもなく』(2021/6/27)マタイによる福音書 6章 25~34節「今」という時に コロナ禍という現実の中で、様々なことを考えます。例えば、私たちの生きている日本において、今日の箇所のように、イエスに「思い悩むな」と言われても、そうはいかない、というのが、私たちの感想ではないでしょうか。また、「思い悩むな」と言われても、「思い悩む」からこそ、イエスの言葉や行動に導きを求めている、とも言えま...

  • 『宣教という愚かな手段』(1コリント)

    『宣教という愚かな手段』コリントの信徒への手紙 一 1:18~31コリント教会について コリントという都市は、ローマ帝国の中で、ローマとアテネに続く、三番目の大きさでした。そうした繁栄は、エーゲ海とアドリア海に面した二つの港を持っていたことが大きな理由でありましょう。そして二つの港があるということは、様々な文化、宗教が乱立する国際都市でありました。多様な民族と宗教と文化がありました。そうした状況は...

  • 「夜明け前のうた」を観てきました

    「夜明け前のうた」を観てきました沖縄で1960年代まで障がい者に対して行われていた私宅監置という隔離。コンクリート製、木製、など、2畳ほどのスペースに何年も監禁される。何のため行われるのか?治療ではない。治安維持のため。危害を加える恐れがあるから…。映画の中で、障がいが先なのか、監禁が先なのか、よくわからない例もあった。また、根拠となる法律が、医療ではなく、警察法から生まれてきていたことも気になった。日...

  • 『ローマ兵の信仰告白』マタイ福音書27:45〜56

    『ローマ兵の信仰告白』(2021/3/28)マタイによる福音書27:45~56福音書という文書の生まれ 今日は福音書という書物をテーマにしてテキストを読み解いてみたい、と思います。私たちは、福音書というものに親しんでおり、イエスという存在を知る上で第一のテキスト、資料として親しんでいます。そして、4つの福音書がありますが、マルコ福音書が最初に書かれて、それを元にして、マタイ福音書とルカ福音書が生まれ、少し...

  • 『鶏鳴を捉える心』(マルコ福音書14:66〜72)

    『鶏鳴を捉える心』(2021/3/14)マルコによる福音書 14:66〜72「罪」に抗う個人 先週、3月11日に起こった東日本大震災から10年を数えました。しかし、福島原子力発電所の状況は、あまり変わっていない、と言えるのではないか、と思います。いわゆる放射能の半減期は、人の人生のサイクルよりもかなり長いものですから、10年という年月であっても、短いものなのだ、と思わされます。 その中で、わたしが感じているのは、...

  • 『敵の敵は敵』(マタイ福音書12:22〜32)

    『敵の敵は敵』(2021/2/21)マタイによる福音書 12章 22~32節神の敵対者としての悪魔 福音書における悪魔は、誘惑する存在として登場します。そして、誘惑といえば、一般に多くの宗教で誘惑といえば、悪いモノとしてとらえ、そこからの解放を教えとして述べることが多いと思います。旧約聖書において、悪魔またサタンという存在は、誘惑との関係、言い換えるならば、人に対する神への試み、試練との関係で登場することが...

  • 『捨てて得る歩み』(マルコ福音書1:16〜20)

    『捨てて得る歩み』(2021/1/17)マルコによる福音書 1章16~20節最初の弟子たち 今日の箇所においても、この箇所においては、シモンと呼ばれているペトロとアンデレの兄弟は「すぐに網を捨てて」(1:18)、ヤコブとヨハネの兄弟は、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して」(1:20)従ったとあります。漁師としての生活を成り立たせる基盤である「網」、また、父親を「舟に残す」ほどの勢いで、4人の弟子たちは、イエ...

  • 『初めに洗礼ありき』マタイ福音書3:13〜17

    『初めに洗礼ありき』(2021/1/10)マタイによる福音書 3:13~17バプテスマのヨハネの洗礼 イエスの旅は、どのように始まったのか、四つの福音書でほぼ一致していますが、イエスはバプテスマのヨハネから洗礼をうけ、悪魔(サタン)の誘惑を受け、いわゆる神の国運動と呼ばれる神の国を宣べ伝える旅を開始します。そして、4人の漁師たちを弟子として、本格的な活動となっていきます。 ちょっと今日の箇所の話から離れます...

  • 越冬活動の炊き出しに行ってきました

    名古屋では、毎冬、越冬活動として、年末年始、テントを建てて、炊き出しを行っています。その期間、夜には、様々な団体、キリスト教会などが担当しているので、昨日は、日本キリスト教団の担当だったので、夜だけでしたが、参加してきました。一つの器で足りるように、ご飯に親子丼をかける、といった形でした。80食分の用意があったのですが、来られたのは、47人ということで、けっこうな量が余ってしまい、お代わりもありました...

  • 『民全体に与えられた希望』(ルカ2:8〜14)

    『民全体に与えられた希望』(2020/12/24) イエスの生まれた場所 イエスさまが生まれた場所とは、どこでしょうか?日本においては、当たり前のように、「馬小屋」と誰もが答えるのではないでしょうか。教会、また幼稚園や保育園などにおける降誕劇には、登場人物としては、生まれたばかりのイエス、マリアとヨセフ、三人の博士と羊飼いたち、羊そしてロバや牛などの動物たち、そして天使などが登場人物として現われるでしょう。...

  • 「人によって隠される神」(マタイ福音書11:2〜19)

    『人によって隠される神』(2020/12/13)マタイによる福音書 11章 2~19節聖書における無神論旧約聖書に、コヘレトの言葉という文書があります。「空の空、一切は空である」という言葉で始まり、豊かさも貧しさも、また幸福や哀しみといった感情も、人生、人の歩みがいずれ終わると考えてみたら、すべて空しい、といった虚無主義の文書と言えます。虚無主義は、善悪もない、正しい生き方も悪に染まった人生も何の価値もない...

  • 『新しさと古さの両天秤』マタイ3:7〜12

    『新しさと古さの両天秤』(2020/11/8)マタイによる福音書 3:7~12約束された存在としてのキリストマタイ福音書は、系図からはじまります。アブラハムから始まる系図ですから、イエスがアブラハムの正統の子孫であることが、イエスのキリスト、救い主であるという信仰において、マタイ福音書の著者が大切なこととして捉えていることを示しています。またルカ福音書にも、系図が収められています。ルカによる福音書3章23...

  • 『土の器として』(コリントの信徒への手紙二 4:1〜10)

    『土の器として』(2020/10/11)コリントの信徒への手紙 二 4:1~10パウロの使徒性と使徒批判 パウロはこの箇所で、土の器という言葉を用いて、イエス・キリストによって伝えられた価値ある良き知らせ、この世の真理、救いへの道しるべである福音が、人間に与えられていることを伝えようとしています。そして、その言葉遣いですが、彼なりのある批判精神が込められていると感じます。ここでコリント教会の人々へ、自らの使...

  • 『人と人の間に』(ルカ福音書17:20〜21)

    『人と人の間に』(2020/9/27)ルカによる福音書17章20〜21節「神の国」のたとえ 「神の国」とは何か?イエスは神の国について非常に多くの言葉を割いて説明しています。そして、それらはあまりに多様であり、「神の国はこういったもの!」と一言で説明するのは、とても出来ない、と思わされます。そして、同時のイエスの活動のことを新約学者は「神の国運動」と表現することもあります。イエスの活動すべてが「神の国」を...

  • 『招いていた客と招くべき客』(ルカ14:15〜24)

    『招いていた客と招くべき客』(2020/9/13)ルカによる福音書 14章15~24節神の国=宴会 イエスさまは数多くの喩え話を語っておられますが、その中でももっとも多いテーマが「神の国」に関するものです。神の国は、ギリシャ語の直訳では、「神の支配」となりますが、神が支配する場所とは、どのような場所であるのか、神の意志に基づいた社会、世界とはどのような世界であるのか、といったことでしょう。そして、「神の国」...

  • 「平和へのイエス的第一歩」(ルカ福音書12:49〜53)

    「平和へのイエス的第一歩」(2020/8/16)ルカによる福音書 12章 49~53節無言館について 以前に、出身神学校の研修会で、長野県上田市にあります無言館という美術館に行ったことがありました。その美術館には、戦没した画学生たちの作品が展示してある美術館でした。コンクリート打ちっ放しの建物で、上から見ると、十字架の形なのでもまるで教会のようにも見えたりする建物ですが、その中には、戦没した画学生たちの絵が...

  • 『道を示すのはイエスのみ』(ヨハネ福音書6:14〜21)

    『道を示すのはイエスのみ』(2020/7/26)ヨハネによる福音書 6:14~21ヨハネ福音書を生まれた状況 今日の聖書箇所が納められているヨハネ福音書は、非常にきびしい迫害状況の中で生まれた、と考えられております。ヨハネ福音書は、紀元後90年頃、イエスが天に昇ってから60年ぐらい経った時に成立した、と考えられています。さらに、教会から離れていった人や自然と亡くなる人もいる中で、より神との繋がり、イエスとの繋...

  • 『世界の中心はここ』(ヨハネ福音書4:5〜26)

    『世界の中心はここ』(2020/6/28)ヨハネによる福音書 4:5~26ユダヤ人とサマリア人(異なる存在との出会い) 今日与えられたヨハネ福音書4章には、イエスさまとサマリアのある女性の出会いが記されております。イエスと弟子たちは、エルサレムからガリラヤ地方に向かうため、サマリアを通りました。そして、シカルという町の井戸のそばにイエスが座っていたときサマリアの女性がそこに水をくみに来ました。 イエスはその...

  • 『約束におけるシンパシーとエンパシー』(申命記6:4〜15)

    『約束におけるシンパシーとエンパシー』(2020/6/14)申命記 6章 4~15節シンパシーとエンパシー 今日の説教題に2つの言葉を引用しました。シンパシーとエンパシーです。最近、知った作家さんで、ブレイディみかこという方がおられます。日本で生まれ育ったのですが、イギリスに渡り、新聞や雑誌の連載をしており、最近、昨年『ボクはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という著作が、本屋大賞2019の「ノンフィクショ...

  • 「片手に聖書、片手に○○○○」

    アメリカ大統領トランプさんが、キリスト教会の入り口で撮影した写真がニュースになっていた。なかなかすごいと思わせるのは、この教会の牧師も、このことを承知しておらず、抗議のコメントをよせているということだ。↓マイツイートより。撮影背景に使われた教会を管轄する聖公会マリアン・エドガー・ブッド主教はCNNなどの電話取材を通じて「事前連絡もなく、祈ることもない大統領」と痛烈に批判…。(記事より引用)/米トランプ...

  • 『カラスの勝手でしょ』(ルカ福音書12:22〜34)

    『カラスの勝手でしょ』(2020/5/17)ルカによる福音書 12:22~34カラスのことを考えてみなさい 今日お読みしました聖書の箇所、ルカによる福音書12章22節から24節をお読みします。「12:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 12:23 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。12:24 烏のことを考えてみなさい。種も...

  • 『神が全能であるということは?』(ルカによる福音書12:4〜12)

    『神が全能であるということは?』ルカによる福音書 12章 4〜12節コロナウイルス渦の中で 愛知県が、4月10日午後に、県として独自の緊急事態宣言を出し、さらに4月16日には、国がそれを追認するような話になったと思ったら4月17日夜には、国全体への緊急事態宣言の発令となる運びとなりました。この動き、企業への休業補償と各世帯への生活支援との絡みで出てきているというのが、私の捉え方です。そして動きとしては良いこ...

  • 外出自粛という状況の中で

    コロナウイルス危機における外出自粛という状況が、子どもたちの立場で考えれば、4週間も続いている。こうした状況の中で、友人関係でも会うことが好まれない状況の中で、なんとなく距離が出来てしまう。そんな中で、小沢健二のつぶやき(ツイート)が印象に残っている。言葉として、ソーシャル・ディスタンシングだと「人間関係に距離をとる」の感じもあり、フィジカル・ディスタンシング「体の間に距離をとる」の方が良い、とも...

  • 『もう一度、歩みだそう』(マタイ福音書28:1〜10)

    『もう一度、歩みだそう』(2020/4/12)マタイによる福音書28:1~10イースターとは? —何を受け継いでいくのか— あらためてイースターとは何なのか、ということを考えてみたい。そして、イエスが復活したことを記念するイースターでキリスト者として、何を大切にして、何を語り継いでいけば良いのだろうか。イエスが復活したことを記念するイースターは、キリスト教会の始まりであり、その根拠とも言える。イエスが十字架...

  • 4月、新しい年度に入りました。

    4月に入りました。4月に入って、新しい仕事として、比較的に言って、一般的な教会の牧師として、働くことになりました。そのためのブログも立ち上げ、メールでのやり取りも始め、牧師モードにも時々、入っています。そして本業の障がい者福祉の仕事の方では、1つの目標であった介護福祉士の試験にも通りました。しかし、一方で、本業の障がい者福祉の仕事は、事情があって少しお休みで、家での滞在時間が多めです。が、いろいろと...

  • 2019年のクリスマスおめでとうございます

    クリスマスおめでとうございます。2019年、1999年から20年。20年前の年末、神学校の寮で、2000年問題で鍋の材料を買い込む友人、ワインを1ケース買いだめする友人がいて、新年が明けてから、鍋をしてワインを飲み、3日ぐらいで全部無くなって、「意味ないじゃん」と笑ったことを思い出します。それから20年。自分の身の回りも、ずいぶん変わりましたが、ただ変わらないのは、やっぱり年末というかクリスマス時期は、なんだかんだと...

  • 『神への理由あり反抗』(マルコ福音書12:1〜12)

    『神への理由あり反抗』(2019/11/3)マルコ福音書12:1~12「ぶどう園の農夫」のたとえと天地創造 「ぶどう園と農夫」のたとえ、という小見出しがつけられた、今日の箇所、農民と地主の僕、そして地主の息子が登場します。ぶどうの収穫期が来て、地主が収穫を受け取るために、続けざまに2人の僕をぶどう園へ派遣したが、袋だたきにしてしまった。そして、息子を「大切にしてくれるだろう」と思って派遣したが、殺されてしま...

  • 『マルタかマリアかを超えて』(ルカ福音書10:38〜42)

    『マルタかマリアかを超えて』(2019/9/1)ルカによる福音書 10章38~42節ラクに行こうぜ もう亡くなって10年にもなるが、忌野清志郎というロックミュージシャンがいた。彼の世界観や言葉のセンスが好きで、けっこう聴いていた。RCサクセションというバンドでも有名である。派手なパフォーマンスや化粧で目立っていたが、音楽的に何が優れていたか、と言えば、日本語が持つ、そのままのイントネーションで、いわゆるロック...

  • 『神殿権威批判』(マルコ福音書11:27〜33)

    『神殿権威批判』(2019/8/25)マルコ福音書11:27~33神殿の権威を守るため彼らの「何の権威でこのようなことをするのか?」という問いに対し、イエスは逆に「ヨハネの洗礼は、天からのものだったのか。それとも、人からのものだったのか?」と問います。祭司と律法学者たちはその場で論じ合います。この論争の中でおもしろいことに彼らの一番の関心が自分たちの立場を守ることに集中していることがその相談から、明らかに...

  • 『クローズ隣人愛批判』(ルカ福音書10:25〜37)

    『クローズ隣人愛批判』(2019/8/18)ルカによる福音書 10:25~37良きサマリア人のたとえのテーマ 良きサマリア人のたとえ、誰も知っているたとえです。律法の専門家がイエスに永遠の命を受け継ぐにはどうしたら?と聴き、イエスは神への愛と隣人への愛を説きました。しかし、その専門家はイエスの答えに納得がいかなかったのか、イエスを試そうとしていたのか、ぼろをださせようとしたのか、さらに質問をして、その答え...

  • 「日本人の心を踏みにじる」というところが理解できない

    「日本人の心を踏みにじる」というところが理解できない。日本人にも、いろいろな経験、考え方があるのに、感情について、ひとくくりにくくられること自体、本来ありえない。最近、増えている保守政治家の行動パターンは、東北アジア隣国との関係の中で、過去の歴史問題について日本の責任を問うような事例について、強い姿勢または否定的姿勢を取ることで、強い政治家としてのイメージを喧伝させようとしているのであろう。それは...

  • 『カラスのことを考えてみなさい』(ルカ12:22〜27)

    『カラスのことを考えてみなさい』ルカによる福音書 12章 22~27節人の歩み 今日の箇所「思い悩むな」ともうしましても、そんなわけにはいかない、というのが、誰もが持つ率直な感想ではないでしょうか。たとえば、わたしたちは物心がついてから、様々な選択が求められて、それぞれの道を歩んできました。そういった視点で申しますと、誰でも道の選択をする上では、「思い悩んだ」瞬間もあったはずです。また、たとえすべ...

  • 『あの旅路を再び』(マルコ福音書16:1〜8)

    『あの旅路を再び』(2019/4/21)マルコによる福音書 16章 1~8節イースター(復活祭)とは? 今日は、イースターです。イースターとは日本語では、復活祭とも言い、イエス・キリストが十字架刑によって亡くなり、その三日後に、復活した、甦られたことを記念することであります。なぜ、イースターが重要なのか?もっとも解りやすい説明として、一般的な教会では大まかに、このような説明がなされるのではないかなあ、と思い...

  • 『放り出された石の上に』(ルカ福音書20:9ー19)

    『放り出された石の上に』(2019/4/7)ルカによる福音書 20:9〜19仕事の中で感じること 障がい者福祉の仕事をしていますが、その日々の中で、本当に様々な障がいのあり方があり、彼ら、彼女らを理解するには、それなりの知識や根気というものが必要かな、と言うことが出来ますが、もう一つ大事なことは、その人と共にいる、ということ、この人も自分の隣人なんだ、という思いであります。そして、もう一つ、考えさせられる...

  • 『ユダヤ人とサマリア人の境界線』(ルカ福音書9:51〜56)

    『ユダヤ人とサマリア人の境界線』(2019/3/17)ルカによる福音書 9:51~56ユダヤ人にとってのサマリア人 ユダヤ人にとってのサマリア人は、どのような存在だったのでしょうか。なぜ、新約聖書において知ることができますが、ユダヤ人たちから嫌われていたのか。それには、歴史的な背景があります。一つ目の要素としては、ダビデ王朝の終わり、ソロモン王が亡くなった後、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂します。分裂...

  • 『イエスが呪ったいちじくの木』(マルコ福音書11:12〜14/20〜25)

    『イエスが呪ったいちじくの木』(2019/3/3)マルコ福音書11:12~14/20〜25木と家系図 木の絵を描いたことがあるでしょうか。わたしの高校時代の美術の先生はちょっと変わった方と言いますか、美術の先生なんですが、本当の芸術家でした。そんな先生の課題で木を描く、という課題がありました。何も教えもせずに、です。今から考えてみますと、その先生は何も教えずにいろいろなことをやらせてみて、生徒の書いた作品...

  • 『イエスのまなざしによって』(ルカ福音書22:54〜62)

    『イエスのまなざしによって』(2019/2/24)ルカによる福音書 22:54〜62ここに至るまでのペトロの歩み ルカ福音書における受難物語において、最後の晩餐の後、「いちばん偉い者」(Lk22:24-30)という小見出しが付いた箇所で、「誰が一番偉いか」という議論が起き、その直後の22章31節32節における、ペトロはイエスの言葉。「「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れ...

  • 『弟子たちの自分ルールとイエスルール」(ルカ福音書9:46〜50)

    『弟子たちの自分ルールとイエスルール』(2019/1/20)ルカによる福音書 9:46~50弟子たち(私たち)の受け取り方 この箇所はマタイにもマルコにも並行箇所が存在しており、それぞれのとらえ方の違いを確認することから、読み解いていきたいと思います。まず最初に記されたと考えられるマルコについて触れてみます。マルコ福音書9章35節から37節。(P.80)「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先にな...

  • 『ヨセフにとってのクリスマス』(マタイ福音書 1:18~25)

    『ヨセフにとってのクリスマス』(マタイによる福音書 1:18~25)正しい人ヨセフ 今日は、ヨセフの視点に立ってイエスの誕生、父ヨセフにとっての子であるイエスについて考えてみたい、と思います。今日の箇所で、このヨセフ、マリアが結婚前であったのにも関わらず、イエスを身ごもっていたことを知り、19節において「正しい人」であったので、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろう」としたと記さ...

  • 『レット・イット・ビー』(ルカ福音書1:26〜38)

    『レット・イット・ビー』(2018/12/16)ルカによる福音書 1:26~38キリスト教の中におけるマリア 来週はクリスマス、アドヴェントの時期、私たちはイエス・キリストが誕生したことを記念して礼拝に集っています。今日お読みしましたルカ福音書1章26節から38節は、イエスの誕生をマリアに宣告される箇所、受胎告知と呼ばれている箇所です。いわゆる処女の状態で、聖霊によって身ごもったとされる箇所です。ところで、...

  • 『信仰を持つことと行うこと』(ルカによる福音書9:37〜43a)

    『信仰を持つことと行うこと』(2018/11/18)ルカによる福音書 9章 37~43a節奇蹟物語の核について 今日の奇蹟物語、癒された人は、イエスのもとにやってきた父親の息子であります。そして、病としての症状は、39節に記されています。「9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。」 そして最初、イエスの弟子たちに頼んだ...

  • 『風立ちぬ、いざ生きめやも』(マルコ福音書6:45〜50)

    『風立ちぬ、いざ生きめやも』マルコ福音書6:45〜50なぜイエスは通り過ぎたのか マルコによる福音書6章45節から50節において、イエスさまに促されてか、弟子たちはイエスさまを残して、ガリラヤ湖という湖に船を出しました。ガリラヤ湖はパレスチナ地域の北部にある湖で周囲50Kmほどの湖です。その周りにはイエスの出身地であるナザレや弟子たちが育った町がありました。弟子たちは、その湖に船を出したのですが、その...

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