chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
みくら さんさんか
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2010/08/09

arrow_drop_down
  • 第3766日目 〈桜木町で、人混みのなかで、気づけばあなたを探している。〉

    ぼくはいちどもマスクをはずしたあなたの顔をみたことが、ない。それでも今日、すれちがい様にあなたとわかったのは、なんども夢のなかで素顔のあなたに逢っていたから。 入院中、パソコンの不要なファイルやフォルダを、自分でもそら恐ろしくなるくらいのいきおいで削除した。ゴミ箱のなかみがすべてなくなるのに二分もかかったなんて、はじめてのことだ。 そのあいだにかんがえたこと──自分の記憶を任意に削除することができたとして、最後まで手をつけない領域は、なにか? 家族との思い出、あなたといっしょに仕事した一年とその後の偶然のすれちがいの想い出。これだけは……。 ホームであなたとすぐわかったのは、髪型と着ている外套の印象が当時のあなたとかわりなかったこと、なによりも涼やかな目許。……身長? んんん、それは否定できない。 すぐわかったけれど、すこし行きすぎてから振りかえったのは、声をかけたらあな..

  • 第3765日目 〈入院、退院、帰宅、それ以後。03月07日までの記録。〉

    2024年── 01月01日(月)午前5時、救急を要請。午前6時、かかりつけのみなとみらいの病院に搬送。 同日午前8時入院。 03月01日(金)午前11時に退院、夕刻帰宅。 03月04日(月)、初外来。8時30分、採血、入院中の採血注射跡、内出血、アザ等目立ち満身創痍。→10時頃から赤血球と血小板の輸血。15時頃会計済ませて買い物して帰宅。 03月07日(木)、外来。スケジュール、及び輸血内容、上に変わらず。早くも内科治療室の常連と化す。主治医曰く、わずかずつながら回復傾向の由。悩み事の相談、主治医でも見当つかずとぞ。→会計終えて、丸善にて必要資料の『孟子』購い、そのままみなとみらい線で馬車道。スタバにて懐かしき人たちと再会、コーヒー二杯、ピザトーストとドーナツを食す。だんだん常態に復すようこれ努めなくては。 →17時40分頃、市役所のなかを通り、市役所側改札から桜..

  • 第3764日目 〈病床からのレポート──2024年02月25-26日「白峯」下訳進捗篇〉

    退院までに「白峯」の下訳を終わらせたい。たとえ不十分なものであったとしても。 それは現実になった。 本篇最後までどうにかたどり着いたのだ。02月11日からまだ「なんちゃって」レヴェルに過ぎぬ筆を執り始めて、毎日1時間から2時間をこの作業に費やして、今日02月25日午前に終いの一文、「かの国にかよふ人は、必幣をさゝげて斎ひまつるべき御神なりけらし」へ至った。 化学療法が始まるまでに少しでも作業を進めておきたい。その一心から、修正テープと茶色のペンを片手に読み返しを行いながら、細かな字句修正やまるまる一文の手直しを始めたのだ。 でも、本当の意味では、下訳は完了していなかった。冒頭、東国歌枕の道行と崇徳院の荒れ果てた行在所での描写は、ほぼ手抜き状態の訳と最初からわかっていたけれど、……まさか読み進めるうちに同様の箇所が幾つも見つかるとはおもわなんだ。 仮訳もできぬ状態だった..

  • 第3763日目 〈病床からのレポート──2024年02月17日「おはらななかへの大嘘と「白峯」翻訳」篇〉

    おはらななかへの想いを未練がましいものにしない為、居もしない奥さんと子供の話をでっちあげて、自分のまわりを〈大嘘〉という名の壁と濠を張りめぐらして整理して、そろそろ3年が経つ。「敵を騙すには味方から」を実践しなければならなかったのは些か慚愧に堪えるけれど。 このお陰で、さいわいとおはらななかは自分の求める幸せを摑み、いまは子供も生まれて静穏無事に暮らしていると想像したい。これぞわたくしが望んだ彼女の未来、おはらななかにもわたくしにもWin-Winな世界の訪れである──そう思おう。幸あれ。 考えてもみろ、おれが幸せに家庭を持てる立場であるわけないだろ。 さて、話題を変えて。 春一番の吹く少し前、化学療法の副作用期を脱する頃。気分の安定する日が目立ってきた。その頃から始めたのが、『雨月物語』巻頭を飾る「白峯」の翻訳である。 ポツリポツリと好みの怪談を見附けては気儘..

  • 第3762日目 〈病床からのレポート──2024年02月09日「夜明け前のみなとみらいを脇目にしながら」篇〉

    諸君、おはよう。おはようとしか言い様のない時間に、これを書いている。 只今午前6時12分、まだ外は暗い。闇夜である。先刻ブラインドを開けた。マンション屋上の公園や道端のイルミネーション、生活臭が感じられない海の向こうの白銀灯、ちらほら混じる小さな灯りの群れ群れ群れ、港湾の埠頭の突端を示す橙色の灯し火。それだけである、みなとみらいの街をどうにか彩るのは。 目が覚めて窓のブラインドを開けたり洗顔したり、この時間の病棟の様子を知りたい一心も手伝ってロビーへアクエリアスを買いに行った。戻ると、疲れが一斉に出た。ベッドでぐったりしているところへ看護師さんが来て、点滴の仕度を始めてゆく。起床時間05時から1時間以上経過してこれを書いているのは、そんな夜明けの散歩とMac Book Airの準備に手間取ったからである。 それにしても病院って、本当に24時間稼働の現場なのだね。故あって個室に..

  • 第3761日目 〈病床からのレポート──2024年02月07日「初めての洋古書」篇〉

    平井呈一の愛撫してやまぬ小説があるとすれば、それはホレス・ウォルポール『オトラント城綺談』であったろう。入院中に読んでいる(何度目かの読み直しをしている)荒俣宏『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』と『平井呈一 その生涯と業績』を通してひしひしとわかってくる。 擬古文と現代語の両方で翻訳を残したと云うばかりでなく、手彩色の図版が入った19世紀だか18世紀だかの版本を、殊の外大事にされて誰彼に見せるときは胸に抱えて隣の書庫から大事そうに持ってきたそうだ。このあたり、荒俣氏の『稀書自慢紙の極楽』や『ブックライフ自由自在』等の記憶と重なっているところがあるので、自伝と師の年譜に載るところとはくれぐれも信じこまないで欲しい。 そんな事を思うているとプルーストのプチ・マドレーヌと紅茶の挿話の如く、記憶がじんわりと甦ってきて、モルヒネや多量の内服で朦朧となったこの脳ミソでも思い出せる一冊があるのに..

  • 第3760日目 〈病床からのレポート──2024年01月25日篇〉

    なんだかずいぶんとおひさしぶりの更新になった。パソコンを立ちあげるだけの体力も気力も失われて、伸ばし伸ばしになってしまっていた。外に特に意味や理由はない。幸か不幸か。 脱毛、食欲不振、排尿量の激減、37度台後半から39度台前半を行き来する体温、その他諸々。これまで経験したことのないような出来事が、時間差でわたくしを襲う。体力と気力をどんどん奪ってゆく。悪夢にうなされる。これまでの人生のツケを払わされているような錯覚さえ抱く。いや、警察のお世話になるような悪さをしでかした過去があるわけじゃあ、ないけれど。 最近、死者の夢を見る。これは、悪夢ではない。身内だけでなく親戚や友人、知人が、訪れたことのないような場所で、わたくしと朗らかに談笑し、逍遙したりゴルフや釣りに興じたりして、刹那の幸せの時間を過ごす。愛しい死者と夢のなかで出逢うのは、高熱に魘されてではあるまい。心の奥底で無意識に、..

  • 第3759日目 〈病床からのレポート──2024年01月16日篇〉

    化学療法の負の側面と、点滴にまつわる不安と恐怖で過ごした一日であった。絶望を一瞬でも感じた日は、入院以来正直なところ無かった。今日はそれを感じた点で、稀少なる一日にもなった……前向きに言っているつもりだが、心中穏やかならざることはお察しいただけまいか? 負の側面とは? 不安と恐怖とは? あまりに生々しく、打ちのめされるような現実である。告白療法は無効であろう。斯く判断する。逃げているのではなく、もうすこしだけ、向き合う時間が欲しいのである。ただうっすらとした過去の記憶が、二冊の本の内容を呼び起こしてくる。〈チャーリー・ブラウンとビーグル犬スヌーピー〉シリーズのスピンオフと、アメリカのティーンエイジャーをメイン層にした安手のロマンス小説だ。……咨、確かにいまの自分と似通った部分はある。ぼんやりとした意識であっても首肯できる程には。退院できたら、さっそく書架を漁って探してみよう..

  • 第3758日目 〈病床からのレポート──2024年01月15日篇〉

    題材;案 本稿で、中原さん(おはらななか)について書く。 本稿で、近江の大人(実話怪談作家)について書く。 共に顕彰。出会えたことの感謝と、その後のわたくしの人生に与えられた潤い。 生あるうちに。◆ 2024年01月14日 19時37分

  • 第3757日目 〈病床からのレポート──2024年01月11日篇。〉

    退院日がどんどん遠くなっている。個室に閉じこめられて窓の外を見ていると、ラプンツェルやクラリスは、或いはアナスタシアはどうやって日々の憂さをやり過ごしていたか、疑問が浮かぶ。見えぬ所に侍従や監視役を置かれている彼女たちは、視点を換えればいまのわたくしと同じでないか。 入院して十日以上になる。症状は一進一退、痛む部位も痛みのレヴェルも、時々刻々と変化する。これから自分は、いったいどうなってしまうのか。不安は尽きぬ。 とはいえ、悪いことばかりでもない。支えてくれる人たちにはこちらの都合が優先するゆえに甚だご迷惑をお掛けしている部分もあるが、これもまた視点を変えれば、これまで取り掛かることのできなかった積み残したあれやこれやを片附けていく機会にもなるのに気がついた。 なにより喜ばしいのは、末端神経にまで喰いこんでなかなかその全部を払拭できなかった腫瘍……毒素を完全追放する好機が得ら..

  • 第3756日目 〈病床からのレポート──2024年1月5日編〉

    元日以来のお目通りとなります。みくらさんさんかです。 本日入院計画書が作成されました。 原因は、持病の一つである「慢性リンパ性白血病」の「急性憎悪」と診断。 化学療法が金曜日から始まりました。 さいわいと余命宣告が出る程では、ない(誰だ、舌打ちしたの?)。 当面の間、体調優先で暮らすため、本ブログは不定期連載となります。ご承知置きの程を。 それでも暇な時間はできてしまうので、特にテレビを視る趣味もないわたくしは、消灯までの二時間弱を使って、並木浩一『「ヨブ記註解』と井上神父のペトロ伝を読みます。◆

  • 第3755日目 〈病床からのレポート ──2024年01月01日篇。〉

    そうはいうても「レポート」の体は成さないことだけは、いまからはっきりわかっている。 みくらさんさんかは令和6/2024年01月01日午前6時頃、かかりつけの病院へ緊急搬送された。例の、首の腫れから腰に至る背中の各部位に、これまでに記憶がない程尋常でない痛みを覚えたからだ。数時間は我慢したものの遂にそれも限界に達して、救急を頼ることにしたのである。午前05時20分頃か、119番通報をしたのは。 10分くらいで地域救急が到着した。車内ではかかりつけの病院が受け入れできない場合、他へ行く可能性もあるといわれた。仕方のない話だ。時期が時期だからね。が、かかりつけの病院へ運んでほしかった。いちばん話がスムースに進み、自分のカルテもあり、なにより三が日明けには診察の予定が入っていたから。 結論を述べればかかりつけの病院に上記の時間に到着して、しばらくは痛み止めの点滴をした。その間も痛..

  • 第3754日目 〈令和5/2023年 よかった本、がっかりな本、だめな本。 〉

    喪中のため新年の挨拶や「本年もどうぞ……」なんて元日のテンプレ文言は一切差し控える。 タイムリミットが迫っている。買い物帰りに体を休めんと寄ったカフェ、今日は閉店時間が十七時と云々。執筆を企んでいた短文は、果たして残り三十分で書けるだろうか? 時間はない。go ahead. 手帳に書き留めて可視化した所以もあるのか、顧みて2023年はやたらと本を読んでいた一年だった。その数はせいぜい二百冊(作)を少々超えるという程度だが、「今年の読書量は三六〇余冊でした、ぜんぶ(現代の軽い)小説です!」なんてTwitter(現X)の腐乱死体が臆面もなく述べ立てるものよりは中身で勝負できる書物ばかりであった、と自負できる。……咨、勿論このなかに仕事で必要になって目を通した本は一冊もない。お断りしておく。そんなもの、読書の筈あるか。 で、そのなかから「よかった本」「がっかりな本」「だめ..

  • 第3753日目 〈読み続けていれば。読み続けるには。〉

    英語の多読と同じで読書体験を重ねれば、だんだんと上のレヴェルの本が読めるようになってゆく。内容が手に余るとか支障はあるだろうけれど、ずっと読んでいれば、これまでよりすこしだけ専門的な本を手にしても、どうにか読める、まったくわからないわけじゃぁない。 実体験だ。日本の古典文学についても、聖書/キリスト教についても。 ただ大事なのは、英語多読の入門書でもいわれているが、ときどき易しいレヴェルの本へ立ち返って自分の興味を「そこ」へつなぎとめる、難しめの本ばかりで凝り固まった脳ミソと心を休ませ回復させる、という二点。 怠ると、たちまち知的硬化を招いて読書がイヤになります。本当のことである。◆

  • 第3752日目 〈親しき人、ヨブ。〉

    旧約聖書に収まる「ヨブ記」とは身に覚えのない罪によって肉体的苦痛精神的苦痛を味わわされた男の、神を呪詛する物語である。友ならざる友が好き放題に喚く身勝手ステレオ・タイプの主張に悩まされる男の話でもある。信仰が本物かどうかを試される男の話、というのが一般的にいわれるところ。 最初に読んだとき、なんて難解な書物だろう、と何度頭を抱えたことか。いまでも難解という印象に変わりはない。繰り返し本文へ目を通しても、幾種かの註解や研究書を読んでみても、肝心の部分は未だ濃い霧のなかにある。 斯様な状況にありながらもちか頃は、突破口となりそうなものを見附けた気がしている。「ヨブ記」に抱く難しさにかわりはないが、その内容・思想へ迫る取っ掛かりを、得たように思う。 突破口とは、いまわたくしが味わっている肉体的苦痛である。それが生み出す不安と絶望である。空想の力によって創られた、快癒への希望である。..

  • 第3751日目 〈「マルコ」の再発見──『バークレーの新約聖書案内』を読んでいます。〉

    咨、ウィリアム・バークレーとの出会いは、新約聖書の読書を始める直前と記憶する。頼りとすべき註解書を探す一方で、新約聖書全体を見渡す一冊の、自分にとって最適な一冊の本を見附けるべくあれこれ漁っていた──市の中央図書館の棚の前を行ったり来たり、背伸びしたりしゃがみこんだりしながら。 そうやって見附けたのが、『バークレーの新約聖書案内』だった。いちばん下の、いちばん端っこにあった。スコットランド協会の雑誌に連載された、新約聖書を構成する二十五の書物について、各巻の中心になる思想、各巻がいわんとする大事な一点に絞って書かれたエッセイ群プラス序文と結語から成る『バークレーの新約聖書案内』は、本文二〇〇ページにもならぬ本である。この、一巻一点集中の姿勢が、新約聖書へこれからアプローチしようとしているわたくしにとって、いちばん身の丈が合うようだった。その予感は現実となり、九年が経とうとしている現在..

  • 第3750日目 〈お詫びと現状報告。……わたくしは挫けない、前を見てその果てに進む。〉

    右耳の後ろだけでなく、ちょうど右襟足にあたる首の箇所にまで腫れができて、痛みに耐えかねている。知己がそれを見て、はっきりと視認できる程の大きさだと教えてくれた。写真を撮ってもらったが、これまで見たことのないような大きさの腫れだった。 痛みは右耳の後ろの腫れからズキンズキンと絶えることなく続いているが、首の後ろの腫れからも鈍痛がときおり起こっているように感じられる。そうして昨日(12月26日)の診察のあとで生じた左襟足にあたる首の箇所も、右側ほどではないが細長く腫れあがっている。 帰りはなかなかタクシーが摑まえられず、配車を頼んでもすべて出払ってしまっていた。店を出てから40分くらい経ったあと、桜木町でようやくタクシーを停められたときは、既に右脇腹は痛みと突っ張りで悲鳴をあげていた。 帰宅してすぐお腹に食べ物を入れて空腹を満たしたあと、脳梗塞の経過観察で処方された薬と、白血病の..

  • 第3749日目 〈山本芳久『キリスト教の核心をよむ』を読みました。〉

    きょうばかりは暗い話はなるべくしたくないので、読んだ本のことを話そう。 山本芳久『キリスト教の核心をよむ』(NHK出版 2021/10)を読み終わった。ずっと鈍く続く痛みをわずかの間でも忘れられたら……という思いから手にした一冊だったが、ゆっくり読み進めるうちジワジワと、旅する人々を束ねる同伴者イエスの優しさが染みこんできて、すこぶる感銘深い読書となったことをまずは報告したい。 なにより心に残ったのは最後の第四章、「橋をつくる──キリスト教と現代」だった。教皇フランシスコとヘンリ・ナウエンの著書を紹介しながら、〈周縁の神学〉を踏み台にして自分と他者の間に「橋をつくる」、架橋することが、世界が断裂されているこんにちにこそ必要と説く。 キモとなるのは、ナウエンの代表的著作『傷ついた癒し人』にある、自らの傷を(他人への)癒やしの源泉とする、という箇所。この発想は、「『十字架で苦..

  • 第3748日目 〈病気と闘いながら、今年よりは良い来年を迎えたい。〉

    体調不良に伴って読書が遅れていた杉原泰雄『憲法読本 第4版』について、年内の再読終了を目論んでいたがそれはどうやら水泡と帰すことになりそうだ。というのも二週間程前から呻き続けて罵詈を叫んでいた腰と背中、両脇腹、左股間(鼠径部)の断続的かつ移動する痛み、そうして右耳後ろの腫れと痛みの原因、今後の治療方法等がわかってきたからだ。 クリスマスの昼、救急車を呼んで運ばれたかかりつけ病院の緊急医療室での検査に拠れば、すべてはリンパの腫れによるものの可能性が高いという。 最近はCT撮影をしていなかったので「いつから」とは判然としないが、前回撮影した2022年秋と、今年夏の脳梗塞を発症した際に撮影された(別病院での)写真を並べてみるとリンパがいまのように拡大して神経を圧迫、痛みや腫れをもたらしたのはここ三、四ヶ月のことである様子。これとて明日の診察を経ないと正確な原因などわかりかねる部分が大き..

  • 第3747日目 〈徴税人、マタイのこと。〉

    福音書に登場する徴税人マタイ、レビはユダヤ人だった。エルサレムの一角で仕事をしていた。かれらは同胞から忌み嫌われる存在だった。にもかかわらず、イエスはかれらを召して弟子とした。 エルサレムを含むユダヤ、その北にあるサマリヤ、イエスの故郷ナザレを服むガリラヤ。その周辺地域。そこは当時ローマ帝国の属州だった。小規模の抵抗運動、大きな反乱はあったと雖もそのたび、ローマ軍によって鎮圧された。 人々は内心でローマを憎んだ。よい感情は持っていなかった。矛先はローマの代理人のようになって働く同胞へも向けられた。マタイ、レビがユダヤ人でありながら忌まれたのは、徴税人というのが、ユダヤ人がローマへ納める税金の取り立て役だったからだ。 「マタイによる福音書」に曰く、「イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人..

  • 第3746日目 〈それって本当に幸せなの?〉

    酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。 (ロマ13:13-14) マニ教徒であったアウグスティヌスは、たまたま読んだ「ローマの信徒への手紙」の上の一節によって安心の光ともいうべきものが心のなかに降り注いできて、それまで自分のなかにあった迷いや疑いというものが消えていったのを、感じたそうであります。 では、自分はどうか。聖書読書に用いた新共同訳にあたり、ブログ原稿を検めると、こんな風に言葉すくなに述べている。曰く、「ともすれば、意思が一時の情念と欲望に敗北を喫することしばしばであるわたくしにとって、この言葉は強烈です。そうして、鮮烈です」(第2090日目)と。 酒宴酩酊からは病を患ったことでなかば強制的に縁切りできたが、まだまだ現世の欲望情欲と縁を切ること能わず。アウグスティ..

  • 第3745日目 〈ハズレの年?〉

    『古書ミステリー倶楽部』全三巻をそれなりに楽しく読んで以後も何冊かの小説を読んだけれど、感想文を書くのもTwitterに読了ツイートを流すのもヤメにする程ハズレを引き続けた不運を嘆きたい。 以後に読み終えた小説四冊の著者とタイトルを列記する非道はしないが、うち二人がベテラン作家で過去には好んで読んだけれど此度の三冊は「徒労」としか言い様のない、スランプなのか耄碌なのか判断しかねる、呆れ果てたる愚作と断を下すより仕方のない代物だった。なかには「良いな」「好きだな」と目次に丸をつけた短編もあったが、それは読後間もない感情であって維持継続される気持ではない。 唯一読んでよかった、と感じるのは、芥川龍之介の短編をモティーフにした短編を二人のベテラン作家が書いていて、その短編が架蔵する芥川の作品集には入っていないので偶々売りに出ていた文庫版全集揃を購い、「カルメン」「沼地」を読むことができ..

  • 第3744日目 〈その場のノリで「石を投げる」側に立たないようにするには。〉

    「ヨハネによる福音書」にある挿話です。不義密通の罪を犯した女性に投石しようとしている群衆にイエスが曰く、あなた方のうちで罪を犯したことのない者から(この女性に)石を投げよ、と(ヨハ8:7)。誰も、誰ひとりとして石を投げられなかった。群衆は散り散りになって、イエスとその女性だけが残された。彼女に、誰もあなたを罪に定めなかった、わたしもあなたを罪に定めない、行きなさい、そうして二度と罪を犯してはならない、といった(ヨハ8:10-11)。 とても良い話だ。不倫は赦されない不貞行為でありますが、イエスはそれについて頭ごなしに説教したり、律法を持ち出して群衆と同じように裁こうとはしなかった。むしろ群衆を婉曲な物言いで諫めることでその場の危機を一旦やり過ごし、群衆一人ひとりに己の罪を思い起こさせた。人間誰しも規範に背く行為をしでかしている。それが大きいものであれ小さいものであれ、律法に抵触しよう..

  • 第3743日目 〈そんなに意外かなぁ。〉

    なにが意外かって、Kindleを持っていないことです。発売当初から「Kindle気になるんだ」「Kindle買おうかな」「Kindle貸して、買うときの参考にしたいから」といい続けていたせいかもしれません。でも、まだ持っていないのです。だって、買おうと決意するとほぼ9割の確率で新機種が出るんだもん。決めようにも決められませんや。 けれどね、もう諦めたんです。Kindleは買わない。少なくとも当分の間は。諦めた、というよりは先延ばしにすることに踏ん切りがついた、というた方がよい。 どうしてか? 以前iPadにどうした理由でかDLしたKindleアプリがあるのを見附けたから。それを使えるようにして済ませればいいじゃん、って気が付いたから。どの道、電子書籍に鞍替えするつもりも依存するつもりもない。だったら手持ちのタブレットにアプリが入っていれば、それでじゅうぶん。 勇み足で買わなく..

  • 第3742日目 〈「エステル記」〈前夜〉、ようやく書き了んぬ。〉

    二年程前から手を着けて、昨年の11月に一旦書きあげていた「エステル記」〈前夜〉。昨日久しぶりに読み直しました。聖書や参考文献を引っ張り出して机の上に山を築いて一部を直し、「これで良し」としました。つまり、書き終わった、のです。 こんな長期にわたって手が掛かろうとは……書き始めた当初は、たぶん想像していなかった。次の「ヨブ記」が思いやられます。これと「詩篇」、「コヘレトの言葉(伝道者の書)」が終われば、〈前夜〉の新稿は概ね書き終わったも同然ですから楽になるのですが。 「ヨブ記」については聖書の本文を、ここ一日、二日は体調も良いので合間合間に読んでいますが、中盤は流石にすらすら読めるには至らぬ。ヨブと三人の友人(後半で一人増える)の間で応酬される信仰の問題は、非キリスト者にはハードルが高い。並行して註解書を繙いていますが、これもなんだか雲を摑むようなところが多くて、小首を傾げることも..

  • 第3741日目 〈パウロの言葉はストア派、ビーダーマイヤーにもつながる。〉

    みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲に溺れてはならないのです。(一テサ4:3-5) 落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。(一テサ4:11-12) 新約聖書から好きな文言を十個あげろ、といわれたらノミネート間違いなしの、パウロ書簡からの一節であります。こんなに地に足つけた言葉が聖書のなかにあるなんて、素敵です。 ここに引いた「テサロニケの信徒への手紙 一」からの言葉は、ストア派の哲学や、ピーダーマイヤーの思潮にも通じると、わたくしは考えています。 じっくり時間をかけてこの点を考察してみましょう。◆

  • 第3740日目 〈平井呈一・生田耕作の対談から。〉

    最初から引っかかるところがあったにもかかわらず、優先順位が低いせいで調べるのがどんどん後回しになり、あげく何十年も経ってしまっている、ということが、わたくしにはよくある。 たとえば表題の件もその一つ。『牧神』創刊号(牧神社 1980/01)を初出とする生田耕作と平井呈一の対談「恐怖小説夜話」はその後、生田耕作名義では『黒い文学館』に載り『生田耕作評論集成Ⅲ 異端の群像』に再掲、平井呈一名義になると『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』が初めてとなった。「第3082日目 〈生田耕作『黒い文学館』を読む。〉」(2021/07/08)でも触れたが、『幽霊島』に載るヴァージョンには、前述生田の著書からは削除された『牧神』編集部の前書きが復活した。本稿では『生田耕作評論集成Ⅲ 異端の群像』(奢灞都館 1993/08)を引用元とする。 「恐怖小説夜話」の中盤、『牧神』編集部が、生田と歌人・塚本邦雄..

  • 第3739日目 〈ふたりの「放蕩息子」、親を想ふ。〉

    「ルカによる福音書」第15章に〈「放蕩息子」のたとえ〉と小見出しを持つエピソードがある(新共同訳)。 生前の父に財産分与を請うた息子二人の弟の方は、それをすべて現金に換えて遠方の地で放蕩三昧に暮らした。が、その地が飢饉に見舞われると食うものに困り、紆余曲折あって故郷に還るのを決めた。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」(ルカ15:18-19) 父は遠くからこちらへ歩いてくる息子の姿を認めると駆け寄り、上等の着物と食事を用意させると近隣の知己を呼び招いて祝宴を催した。 これが〈「放蕩息子」のたとえ〉の前半である。このあと故郷に留まって家作に従事した兄が父を詰り、諫められる場面が続くがそれは省く。 本ブログで聖書読書ノートを連載(……?)していた時分には気附いていなかったが、この父はた..

  • 第3738日目 〈今年程「趣味:読書(ガチ)」で良かったと思う年も、そうなかなか無いだろう。〉

    腰の痛みに耐えかねて臥せったり朦朧としていたら、曜日の感覚がすっかり失せているのです。 ……はて、今日はいったい何曜日であったろうか? 状況が状況ゆえ新聞を読むのも億劫で、テレビの報道番組とも御無沙汰していると、そんな風になる。 え、スマホでネットニュース見ろ、ですって。見ていたさ、勿論。が、見ることと今日が何曜日か、何日なのか、は決して等号で結びつきはしない。テレビの報道番組でそれが可能なのは、キャスターが「何月何日何曜日……」とちゃんと伝えてくれるからだ──お察しと思うがみくらさんさんか、民放の報道番組は殆ど視聴しないのである(同じ地上波でも朝や昼間の情報番組[……嘆かわしい顔触れである]をよもや報道番組と曰う阿呆は居るまい)。 そんな不毛で誰の得にもならないお話はさておき。 曜日の感覚が狂うなんて時代劇の楽隠居じゃあるまいし、ね。なんだか世間の流れに取り残された感がい..

  • 第3737日目 〈ああ、やっぱりだめだ!〉

    なんとか午前2時の更新に間に合わせようと試みたのですが、頭がぼんやりしてまるで集中できないため、また腰の痛みも強くなって坐っているのが苦痛なこともあり、今日はお休みさせていただきます。 なかなか体調が元に戻らないことが、くやしくてなりません。ひとりとはつらいものです。 明日からはふたたび毎日書けるようにしたい!!!◆

  • 第3736日目 〈病床からのレポート──これが「病より癒えたる者の神への感謝の歌」とならんことを。〉

    月曜日の夜から始まった腰痛も、いまはだいぶ落ち着いてきたようである。いまは、そう思いたい。 左腰部を震源とする今回の腰痛は次第に、時間を経るに従って背中全体へ広がって最終的には右肩甲骨のあたりまで最大勢力圏に置き、ゆっくりとその力を衰えさせながら昨夜は腰部とそのすぐ上の部位(専門用語で此所、なんて呼ぶんでしょうね)に痛感を覚えさせるに留まり、今朝は……そうしてこれを書いている木曜日の宵刻はどうにかこうやって椅子に坐りMacへ向かうことができるまでに回復してきている(よかった、ブログに穴を開けずに済んだ)。 ……うん、回復と捉えたいね! すくなくとも夜、多少の痛みは感じると雖も床に横へなっても耐えられるくらいになったのだから、回復、と考えてよいのではないか。睡眠誘導剤を枕元に置いてある、それを服んで小一時間もすれば眠りに落ちることができる。経験に基づくそんな安心感も手伝っての「回復..

  • 第3735日目 〈腰痛、再び。〉

    昨夜一晩、激しい腰痛に苦悶の汗を流し、ろくに睡眠できなかった。原因がなにか、自分でもわからない。坐り方か、重い荷物を背負っているせいか、その両方か。 痛みは腰の左側、脇腹の少し後ろのあたりが中心のようだ。そこから腰全体、背中へと広がっていった。仰向けになっても横向きになっても痛みは一瞬たりと治まらず、外用鎮痛消炎薬……アンメルツのような塗布式、サロンパスに代表される貼るタイプ、等ですね……もどれだけ効能があったかは不明で、救急車を呼ぶことも考えたけれど数ヶ月前と同じ症状にも思えたのでそれは一旦退け、寝る場所も変えてみたが改善の様子は見られぬためまた元の寝場所に戻り、朝刊が投函される音を聞き、ゴミを出したらそこで安心したのか眠ることがようやく出来た。途中、宅配便の受け取りで起きたけれど、それも終えたらまた寝てしまい──起床は15時52分! 腰と背中の痛みは落ち着いた。むろん、これを..

  • 第3734日目 〈これの読書ノートも作るんかい。〉

    杉原『憲法読本 第4版』再読は、予定通り年内の了がほぼ確定して安堵している。或る程度の期間、一つの書物に拘泥して様々書込みして向き合ったのは、いったいどれくらいぶりだろう。聖書を終わってから以後は……正直なところ思い出せるものが余りない。強いて挙げれば昨年いま頃の『恋愛名歌集』だろうけれど、こちらが或る程度の期間を要したのは外的要因が専らだから、聖書と『憲法読本』と同列に並べるのは無理がある。 『憲法読本』の再読が終わったら次はノート──抜き書き、自分のコメント等々の作成になるわけだが、そこでふと、過去の読書を省みた。感想文を書いたりしてきたなかで別個にノートを作っておいた方がよいと考えたものが、たしかあったはずなのだけれど、と。太宰? ノン。ドストエフスキー? ノン。『古事記』と六国史? ノン、ノン。『源氏物語』? 断じてノンですぞ、モナミ! 今後引用しそうな文章を写す? それはよ..

  • 第3733日目 〈ぼんやりしている時間があるなら、〈前夜〉を書け!〉

    聖書についていえば、テキストと註釈書は揃えられたのではないか。むろんそのすべてを購うなんてのはあらゆる意味で不可能だ。ここでいうのはあくまでも自分が必要とする、また過去にお世話になって手許にあれば有益だ心強いと感じる、そんな限定された範囲での「揃えられた」である。 懐に資金の余裕が生まれたら、あと二、三種類の注釈書は買いたいが、それはもはや来年の話だ。当面は、まずは手許にあるものでよい。 さて、このような状態にあるいま、(それに全力で取り掛かりさえすれば)以前こうしたものを書きたい、と表明したエッセイ案の半分くらいは一ヵ月に一篇程度のペースであげてゆけるのだろう。が、生来の天邪鬼も手伝って現実的にはなかなか難しい。二十代の頃のように一つの分野へのめり込み、本妻がきちんといてそちらへちゃんと帰って愉しみ悦ぶことある一方で、その時々の興味思考関心に(素直に)従って、あっちに手を出しこ..

  • 第3732日目 〈「〜と思います」はいらない。〉

    改めて哲学に関心が向き、倫理の参考書や学生時代に読まされたヤスパースやハイデガーを開く気になったその源を辿れば、平山美希『「自分の意見」ってどうつくるの?』(WAVE出版 2023/04)に行き当たる。別ルートで憲法があるが、これはさておき。 例のリュックへ詰めこんでいつも運搬しているうちの一冊だが、後半にとても突き刺さる指摘があった。実はその指摘こそ、面陳されていた本書をぱらぱら繰っていたら目に飛びこんできた一節でもあったのだ。その一節を以下に引く。曰く、── 結論を述べるとき、ぜひみなさんに心掛けてほしいことがあります。 それは断言すること。 できるだけ、言い切る形で主張してみてください。 これは、前述したような安易な〝決めつけ〟とは、まったく違います。 自分がじっくりと考えて出した結論に自信を持つということです。(P203) ──と。「前述したよう..

  • 第3731日目 〈心情告白──今年の秋冬も、本を買いすぎた。〉

    今年は……ちょっと本を買い過ぎました。否、今年は、ではなく秋から今月に掛けては、というのが正解。それこそ反省を深くしなくてはならない程に。 歯止めが効かなくなった? いえ、それは違う。 己の興味関心趣味勉強に関する書籍が昨年までとは比べものにならぬくらい多く、それまでよりも安価で市場に供給されたからに他ならない。 その核の一つとなるのが、既に本ブログでも話題にしたことがあるフラウィウス・ヨセフスの著作群。単行本と文庫版のすべてとヨセフス伝、ヨセフス研究所の基礎文献を、それぞれバラで購入できたことで(振込手数料と送料を含めたとしても)件の全巻揃いよりもぐっと安価に買い揃えられた。また、一ヵ月程思案した挙げ句にその後、死海文書の既刊全巻揃いも清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入。先程まで、別の所で買った死海文書解説書二冊と併せて一通り目を通していたところである。ヨセフスと死海文書だ..

  • 第3730日目 〈みくらさんさんか運営ブログ「Let's be Friends,」休日に関する私法」、公布の告知。〉

    令和5/2023年12月8日(金)午前2時00分 公布 令和6/2024年1月1日(月)午前0時00分 施行 【前文】 整理しておきたい。明文化して一覧にすることがなかったからこの機会に、だ。みくらさんさんか運営ブログ「Let's be Friends,」(以下「本ブログ」)の休日について、以下のように定める。 【通常休日】 以下のように定める。 1月に計二日間、 4月に計二日間、 5月に計一日間、 6月に計二日間、 7月に計一日間、 10月に計二日間、 11月に計一日間、 12月に計一日間、 以上、年間合計十二日間の休日(これを「安息日」と称することがある)を設ける。但し特定の日附を定めてこれを固定しない。 上記の如く通常休日の日数を定めて、本日令和5/2023年12月8日(金)午前2時00分に是を公布した。令和6/2..

  • 第3729日目 〈『憲法読本』のあとは、なにを読もうか?〉

    毎度の登場で申し訳ないが呆れず笑って済ませてほしい。 杉原泰雄『憲法読本 第4版』の再読はいよいよ最終コーナーへさしかかり、夢想としか考えられなかった年内読了も現実になってきた。これを基にしたノートは年初から取り掛かる。そんな現在、心の片隅に生まれてわたくしをワクワクさせるのは、次はなにを読もうかな、っていう企みに外ならない。 ざっと目を通したのみながら芦辺信喜『憲法 第六版』(最新の第八版、『ポケット六法』令和六年版と一緒に買いました!)と、高見勝彦・編『あたらしい憲法のはなし 他二篇』のあとに手を着けたこの『憲法読本』は、とても読み応えのある一冊だった。 で、次はなにを……なのだが、ここまで岩波書店の刊行物が偶然とはいえ並んだので、井上ひさし・樋口洋一『「日本国憲法」を読み直す』、小関彰一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』、鵜飼信成『憲法』のどれかを……と調子附いたがすぐ反..

  • 第3728日目 〈きょう買った本──ルソー『社会契約論』。〉

    憲法の勉強をしていれば否応なく「国民主権」について考えることになる。 日本国憲法は第一章第一条「天皇の地位・国民主権」で「(天皇の地位は)主権の存する日本国民の総意に基く」と定める。 「総意」とは「人民の意思」。日本国憲法に於いて人民とは、「政治に参加できる年齢に達した成年者の集まり」((杉原泰雄『憲法読本 第4版』P185)を指す。「政治に参加できる年齢に達した成年者一人ひとりのことを市民(citizen, citoyen〔仏〕)とか公民とかよぶこともありますが、主権者のとしての国民はその市民の集まりとしての人民を」(同P186)いう。 では「総意」を「人民の意思」と定義したのが誰かというと、フランスの教育学者で思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)である。政治哲学の著書に『人間不平等起源論』と『社会契約論』がある。 この『社会契約論』でルソーは、「総意..

  • 第3727日目 〈5キロのリュックを背負って、外出先で勉強する。〉

    読み返してみて、やはり半分以上寝ながら書いた原稿には、非道い部分が目立つ。誤字脱字の類は当然、すこぶる文意の通らぬところもあったりして、反省頻りだ。昨日第3276日目はなるべく早く必要最低限の修正を施すことにしよう。 さて、本日の話題だが、── 悪化の一途を辿っていた陥入爪の手術はぶじに終えて、恐る恐る靴下を履くことからも、出掛けにガーゼとテーピングで徹底ガードすることからも、ようやく解放された。まだ痛みを感じたり、化膿止めの薬のお世話になっているけれど、年内に治療は終わりそうなことを喜んでいる。 とはいえ、いきなり行動範囲が広がるわけではなくて、却って自分の行動範囲の狭さと回遊先が固定されていることを実感して、呆れるより外ない。 ついでにいえば、リュックへ詰めこむ荷物も日によって変わるようなことはなく、多少の入れ替えがあるが精々だ。今日は憲法、明日はホームズ、明後..

  • 第3726日目 〈「健康で文化的な最低限度の生活」をこの部屋で営むために。〉

    流石に倒壊しそうな積ん読山が不安になったので、夕食の仕度をする傍ら書架の棚その一部を入れ換える作業に没頭した。それは夕食を終えてその後のルーティン作業を済ませたつい先程(21時58分)まで続いた。 片附けの対象は、部屋のあちこちに置かれてダブりも珍しくない、コミック群である。 一昨年まではどうにか書架の一棚へ収まるようにしていたが、昨年そこからはみ出したのが積ん読山を築いて、年が明けて春も夏も過ぎて師走を迎えた現在、計測してみたらその山の標高は一メートルを疾うに超えていた。 これは、アカン。大型トラックが地鳴りを轟かして行くたび、小刻みに揺れているのも、道理だわさ。ちなみに、標高一メートルの山の中腹あたりに、判型違いのコミックがあり、横置きした幅は三十九センチあった。 なぜこのタイミングで片附けを始めたか。理由はもう一つあって、むかし手放してしまったコミックの全巻揃が安価..

  • 第3725日目 〈日暮雅通『シャーロック・ホームズ・バイブル』を読んでいます。〉

    自分に宿題を課した手前──でもないけれど、けふ、日暮雅通『シャーロック・ホームズ・バイブル』(と、モーリーン・ウィティカー『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』高尾菜つこ・訳/日暮雅通・監修 原書房 2023/11)をL.L.Beanのリュックに詰めこんで、いつものスターバックスなう。 二杯目のコーヒーを飲みながら、セミドライトマトのピザトーストを頬張りながら、『シャーロック・ホームズ・バイブル』(以下、『SHB』)へ目を通す……いつものように適当なページを開いて、蕩けた表情で、鼻の下をすっかり伸ばして。 今日は第一章を、頬杖ついて読んだ。ホームズが生きたヴィクトリア女王の御代(ヴィクトリア朝)の、ロンドンとイギリスの社会情勢やホームズ物に登場するファッション、職業、貨幣価値、飲食、警察、鉄道、郵便、などなどが、当時の出版物からのイラスト、写真、地図を適所に配して、実に..

  • 第3724日目 〈新しい一ページ目に悩む。〉

    いつもと違う心持ちでいる。為、ふだんならしないことをしてみた。背筋を伸ばして歯を喰いしばり、腕を組んで窓外を睨み黙考する。不定期に襲ってくるその時間が、約一年半の時を隔てて到来して、再びわたくしの気持を重くしてまた胸躍らせる。 諸人よ、わがために喝采せよ。新しきモレスキンの始まりである。この処女地に初めて足跡を残す愉悦! なにを書けばよいか迷い、考えあぐねて、結局はお読みいただいているこの文章と相成った次第だが、ノートを跨ぐことなきエッセイなればこその悩みというか、思案といえる。 これが小説ならば? 前のノートの最終ページもしくは表3でその場面が切りよく終わっても、作品それ自体は旧いノートから新しいノートへ跨いで引き継がれる。長編を想定するが、短編であってもじゅうぶん起こり得る事態だ。とまれ、そこに断絶はない。研究論文もこのパターンに含めてよいか。 が、エッセイの場合、「..

  • 第3723日目 〈ガンジーからKipper少年へ。〉

    ラダー・シリーズLV1『ガンジー伝』(The Gandhi Story by Jake Ronaldson)を読み終わった。途中ちょっと日が開いたので一念発起、最初から最後まで、生理現象を除いて中断することもなく半日を費やして。 嘘偽りなく、『ガンジー伝』は面白かった。 世界史や倫理の教科書の記述以上のことは知らなかった〈インド独立の父〉ガンジーの生涯、理念、行動、勇気について識ることができたから。易しく書かれたとはいえそれを英文で吸収することができたから。それによって面白さはより増して、自分のなかにしっかり刻みこむことができたから。 白状すれば、ワードリストに頼ったのは十回や二十回じゃ利かない。いまではそれが却って、良かった、と思うている。「わからなければ飛ばす」が英語多読の原則(の一つ)とはいえ、単語がわからないからとて飛ばす箇所が多ければ、伝記やノンフィクションと雖も内..

  • 第3722日目 〈北村薫「続・二銭銅貨」を読む前に。〉

    その本をパタリ、と閉じた。 なぜか。或る感覚を覚えたのだ。前にもこんなことが、確かにあった。 横濱を舞台にした欠伸が止まらぬくらい退屈な連作小説を読み棄てて、今季二冊目の北村薫、『雪月花』のあと『遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』(角川文庫 2003/09)を読んでいる最中に覚えた、その感覚。 やがて、最近はすっかり働きの鈍くなった灰色の脳細胞が答えを出してくれた。すべては、その感覚を覚えたときに読んでいた、「続・二銭銅貨」に原因していた。 江戸川乱歩の短編「二銭銅貨」に材を取ったのが、「続・二銭銅貨」。「続」とあっても実際のところ、後日談というべきか、真相解明篇と呼ぶのか、よくわからぬ。 乱歩の来訪を「私」が受ける場面で覚えた、前にも抱いた感覚の正体に思い当たったのは、後半へさしかかろうとするあたり──それは、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』所収「D坂の殺人事件」(草..

  • 第3721日目 〈やっておきたいことは? って訊かれても。〉

    かつての同僚(先輩)とランチする約束をして、お店の予約もぶじ終えて気附いたこと──今週からもう12月なんだね。マジか、と口のなかで叫んでしまいました。 そうか、そのせいか。先刻まで一緒にいた人から、今年中にしておきたいことってある? と訊かれたのは。そうか、成る程。合点した。 なんと答えたか、覚えていない。ありきたりの返事だった気がする。未納の税金(4期分)を払っちゃいたい、とか、確定申告の準備を始めたい、とかね。咨、なんて芸がない……。 それはともかく。 改めてこの質問を考え答えるならば──シャープペン片手に(まだまだ)読書中で、例によって例の如くの杉原泰雄『憲法読本 第4版』の再読は終わらせておきたい。ノートは来年になろうとも、再読はなんとしても今年中に。 (昨年のいま頃はなにを読んでいたんだっけ、とモレスキンのノートを繰ってみたら、萩原朔太郎『恋愛名歌集』であっ..

  • 第3720日目 〈フラウィウス、揃う。〉

    幾度も幾度も迷うた果てにフラウィウス・ヨセフスの著作が、想定していたよりも低い価格で揃うたことを報告し、祝い寿ぎ、後の戒めとしたい。 既にちくま学芸文庫版『ユダヤ戦記』と『ユダヤ古代誌』をネットで購入したことをお伝えしてある(第3702日目、第3707日目)。また、その後については第3713日目でさらりと触れた。本稿は、いわば後日談だ。 文庫で読めるヨセフスの著作を、本文ならびに訳者の文章を流し読みしているうち、やっぱり……と考えを改める事態になった。エウセピオス『教会史』と同じく『戦記』も『古代誌』も固有名詞の表記をより一般的なものへ改めてあるのみならず、いろいろな点でやはり元版となる山本書店版『ユダヤ戦記』と『ユダヤ古代誌』を手許に置いておく方がよい、と結論したのである。 ちくま学芸文庫版と同じ時期に購入を迷った山本書店版『ヨセフス全集』全巻揃いはその時点で未だ誰に買われ..

  • 第3719日目 〈英語の多読について。4/4 単語調べ補足とステップラダー・シリーズ、読書ノートのこと。〉

    前項でわたくしは、載っている単語でわからんものは片っ端から巻末のワードリストにあたって調べてしまえ、それくらいまで割り切っちゃえ、と述べた。暴言だなんて思っていない。基礎的単語は何度辞書やワードリストで調べたって過ぎることはないのだ。mustとかdecideとか、shoudとかcouldとか、be afraid ofとかbecause ofとかといった、動詞や助動詞、形容詞、前置詞、代名詞、副詞の類は(作っただけで満足する単語帳と違って)辞書やワードリストを何回も引いた方が確実に脳味噌へ定着する、というのが実体験から導き出した提言である。……leftの例もあるしね。 いまでもボキャビルマラソンの本やコースってあるのかな。でも、ボキャビル(ボキャブラリー・ビルディング)だけやっても、多読にどれだけの効果があるのか、と疑問に思います。単語の蓄積に力を注ぐなら、同じくらいの力を文法にも注が..

  • 第3718日目 〈英語の多読について。3/4 いっそ開き直っちゃえ、ということ。〉

    ラダー・シリーズLV1やLV2を謳うと雖もじゅうぶん難しい作品はある、と聞く。わたくしの失敗を棚にあげるわけではないが、わからない箇所はすっ飛ばし、辞書をなるたけ引かずに一冊読み切るという行為、事情はどうあれ中学英語も怪しくなっている人にはLV1であっても気持の上で曰く言い難い困難・苦痛を伴うはずだ。よーくわかる。わが身を顧みて、これ程共感できる話もない。 辞書をなるたけ引かない、が呪縛になって生じる「内容が理解できない、筋を把握できない」といった「(あらゆる意味での)つまらなさ」が理由で読書が中断されてしまうなら、いつまで経ったって一冊を読了する達成感とも、「どうにか内容がわかった」とか「面白かった・退屈だった」とかの感想とも無縁のまま、多読から離れてしまうのは必至。勿体ない話だ。一度は横の文章を縦に変換する労を要すことなく、横の文章を横のまま読めるようになりたいと望んで原書を手に..

  • 第3717日目 〈英語の多読について。2/4 SSS(Start with Simple Story)について。〉

    「レヴェル」というのが厄介なのだ。出版社それぞれで基準を設けているため、たとえば、A社のLV1は読めるがB社のLV1は歯が立たない、なんてことは間々あるらしい。 その点を解消すべく、英米の出版社が出している英語初心者用の読み物──対象は、なんらかの理由で学習が遅れている人、移民の人たちなどである──を、「読みやすさレベル(YL)」という一定の基準で整理したのが、『英語多読入門』で紹介されている「SSS(Start with Simple Story)」だ。同書から、「YLとは?」「ステップアップの効用は?」を述べた箇所を引用する。 YLとは? 曰く、── SSS英語多読研究会では、本の読みやすさを評価する共通の基準、読みやすさレベル(Yomiyasusa Level, 以下YL)という数値を決めています。実際に多読をしている人の声を集約して、「日本人にとっての本の読みやす..

  • 第3716日目 〈英語の多読について。1/4 「ガンジー伝」での恥ずかしい失敗と多読三原則について。〉

    アインシュタインかエジソンか。モーツァルトかアンネ・フランクか。 迷った末に選んでレジへ運んだのは、ガンジーの伝記であった。どうせなら、世界史の用語事典に載る程度しか知らない人物の伝記を読んでみるか。そんな気持あっての選択だが、実はこれ、例のラダー・シリーズの一冊で、しかもレヴェル(LV)1なのである。 来年は、秋からのシェイクスピア読書を大きな目標とするが、同時に、英語の学び直し・多読によるリーディング・スキルの取り戻しと向上をもう一つの目標にしよう、と思うのだ。そんな意味では理に適ったセレクトだろう。 読む時間にして三十分くらい。寝る前に一章、長ければ途中まで。全単語の意味を網羅したワードリストが巻末にあるとはいえ、不明の単語あればエピソードや文脈から意味を推測して前に進むようにしている。その過程で、思いこみによる弊害も既に経験した。 このガンジー伝、LV1でも総単語..

  • 第3715日目 〈横田順彌『ヨコジュンの読書ノート』を読みました。〉

    まずお断りしておくと、正式な書名は『ヨコジュンの読書ノート 附:映画鑑賞ノート』である。厳密には「の」が丸で囲まれているのだけれど、そこまでの再現は無理なのでご了承願いたい。書肆盛林堂 2019年12月刊。 北原尚彦の解説に拠れば本書のベースになった読書ノートは、1965(昭和39)年〜1967(昭和42年)、ヨコジュン氏高校三年生(の三学期)から大学在学中の時期に書かれている由。 この時期の日本SF出版は(ミステリと然程変わらずで)黎明期というてしまえばそれまでであるが、とにかく読む選択肢は現在とは雲泥の差。所謂SF小説の古典が翻訳されてそのラインナップが揃い始めた時期でもあった──事実、ヨコジュン少年の読書ノートには、クラーク『幼年期の終わり』、アシモフ『われはロボット』、ハインライン『夏への扉』、シマック『中継ステーション』、シュート『渚にて』、などの書名が並ぶ。脚注の書誌..

  • 第3714日目 〈いまになって法律が面白いということ。〉

    それにしても法律は面白い。馬齢を重ねたとか社会経験の蓄積、っていうのがいちばん大きいんだろうけれど、民法はともかく、刑法や商法なんて学生時代よりも余程よくわかる。不動産会社やコールセンターで仕事していなければ、株主総会・決算に伴うディスクロージャー・IRツールの進行管理やスタッフの労務管理をしていなければ、法律を面白いと感じたりしなかったろう。 法律は、年齢と社会経験を重ねてからの方がずっと面白い。これは実感である。 いまならば、25年前の慶応通信法学部生の平均年齢が他よりも高かった理由を、背景も含めてわかるような気がしている。公私問わず様々な法律に関わってきたためだろう。自分がいた文学部や経済学部は、もうちょっと若かったものなぁ。──木を隠すなら森、現在の自分であれば入りこんでも目立つことはあるまい。延期していた学士入学、本気で考えようかしらん。◆

  • 第3713日目 〈杉原『憲法読本 第4版』、再読の進捗具合。〉

    時刻は14時過ぎ、「魔の刻」というてよい頃。青土社から出版されたヨセフス『自伝/アピオーンへの反論』(秦剛平・訳 2020/05)が届いたその月曜日、みくらさんさんかは杉原泰雄『憲法読本 第4版』精読の続きをせんとて近所のカフェに出掛けた。ようやく買えた新しいリュックにモレスキンのノートと芦辺慶喜、本秀紀・編の憲法の本二冊を放りこんで。 相も変わらずシャープペン片手に、時々巻末の憲法条文を参照しながらゆっくり、丹念に、傍線を引いたり余白に書込みもしながら、読み返す。扉への書き付けを見るとこの再読、今月11月07日から始めて、下旬に差しかかる今日の読了箇所を以て140ページ目に至った。二週間で140ページ、か。本書は、日本国憲法全文や参考文献のページを除いて本文約270ページ。残りが130ページ程だから、読了まで同じくらいの日数を要すると考えて間違いあるまい。前述の通り、毎日読んでいる..

  • 第3712日目 〈あの世界への鍵をなくした男の悲歌。〉

    ラヴクラフトが友人諸氏へ宛てた書簡から、ダンセイニ卿について触れた箇所を適宜訳出した自費出版本を今日、受け取った。巻末底本一覧に拠れば、アーカムハウス刊『Selected Letters』全5巻からではなく宛名人毎に編まれた書簡選から訳出したようだ。 まだぱらぱら目繰った程度に過ぎないが、きちんと読む日の訪れがいまから楽しみである。これだけまとまった形で、ラヴクラフト・トーキング・ロード・ダンセイニが日本語で読める機会はないから、その意味ではとても貴重な一冊といえるはず。感想等は別に認めるが、まさか初っ端から校正ミスに出会うとはおもわなんだ。 ちょうど部屋の片附けをしていて、ダンセイニ卿やラヴクラフト・スクールの作家たちの翻訳や原書、或いは研究書を詰めこんだ棚の整理へ取り掛かろうとしていた矢先これが届いたのは、一種の僥倖だと思うことにしたい。 先日、何年も前に書いた(実際は、..

  • 第3711日目 〈2024年はどんな一年になるんだろう?〉

    来年は──どんな一年になるんでしょうね? 色々あって苦労させられた、悲嘆の今年だったので、来年はその反動で喜ばしい事態が立て続けに出来する一年であってほしい。火事や盗難、事件や事故とは無縁で、お金に不安のない、好きな人が側にいる、健康で文化的な生活が送れれば、それ以外はなにも望まないのだけれど……。 本ブログに関していえば、当初読むと決めていた本を読み、うち幾つかの読書ノートを作ったら、憲法の勉強からは一旦離れる。そのあとはシェイクスピア読書マラソンへ比重を移そう。これは最低でも三年を予定するが、実質的には一ヶ月半程度の作業だ。並行して英語の学び直しもある。従前通り、聖書とその周辺に関しても読書は続け、折に触れて文章も書く。むろん、近世怪談の訳筆も執る。 こう話すと遅滞なく停滞なく順調に元日から大晦日まで進んでゆきそうだが、そんなことがぜったいにないのはブログ主たるわたくしが保証..

  • 第3710日目 〈第4000日目を目指して。〉

    未来が具体的に描けてきたのでようやくこんなことを書けるわけでもあるのだが、来年令和06/2024年09月のどこかで本ブログは第4000日目に到達できそうである。 平成20/2008年秋に開設して、更新を続けてゆくのが極めて困難な事態に幾度か直面し、その度いつ終止符を打つか不明の沈黙を余儀なくされたが、いま読者諸兄にお読みいただいている事実が証明するように、本ブログは16年目にして、いよいよ第4000日目を迎えられるメドが立った──。 勿論、この予定もこれから先、ありとあらゆる可能性に起因する深甚な肉体的精神的ダメージを喰らうことなく、不注意等による「更新(予約投稿)うっかり忘れちゃった、えへ現象」、その他考え得るすべての更新停滞要素が現実にならなければ、という前提あってのことなのは、敢えてお断りする必要もあるまい。 つまり、お前が怠けなければいいわけだな。どこかからそんな声が..

  • 第3709日目 〈鹿島茂『成功する読書日記』を読みました。──読書日記/ノートの作り方。〉2/2

    フランスの学生の挿話を振り出しにした鹿島茂が次に筆を進めるのは、いよいよ具体的な読書日記(読書ノート)の作り方、いわば実践を前にした読者へのアドヴァイス、であります。が、これがまた一筋縄ではゆかぬ、誰もが即座に真似できるものではないのです、とはあらかじめお断りしておきたい。 読者諸兄のためにアドヴァイスの見取り図を作ると、こうなります。①どこを引用したらよいか? ②引用だけから成るレジュメ(要約)を作る ③自分の言葉で要約するコント・ランデュに挑戦する ④批評に挑む 以上。核となるのは②と③で、④はむしろ添え物くらいに思うた方がよい。 では、まず、①読んだ本のどこを引用したらよいのだろうか? です。 これね、本当に迷うところがあると思うんです。ここを引用しようかな、と考えた途端にその前後も引いた方が分かりやすいかと思い始めたり、ここを引用しようと思うんだけどなんか主題や内容に..

  • 第3708日目 〈鹿島茂『成功する読書日記』を読みました。──読書日記/ノートの作り方。〉1/2

    読書ノートや読書日記の作り方、みたいな記事を見附けると、つい手を伸ばして読んでしまいます。なにか自分にフィードバックできる技術はないか、そんなことを期待してであります。 鹿島茂『成功する読書日記』(文藝春秋 2002/10)を読んだのも、最初はそんな期待あってのことでした。読み始めてすぐに打ち砕かるとは、つゆとも思わず。 最初に紹介されるのは、フランス留学中に知り合った学生です。この学生がわたくしには、南方熊楠のような人物と映ります。 「その学生はたいへんなインテリで勉強家、おまけに博引傍証自由自在という恐るべき男」で、「一発でバカロレア(大学入学資格試験)にも合格できたし、エコール・ノルマルというグランド・ゼコール(大学以上の超エリート校)にも入学できた」。 ──ここまではまぁ良しとしよう。外国の大学生の猛勉強ぶりは夙に知られたことでもありますから、これもその一例と..

  • 第3707日目 〈スタバで、フラウィウスに目を通す。〉

    フラウィウスが来たんだぜ。日を置かずして、ちくま学芸文庫で読めるヨセフスの代表的著書二つが揃い、訳者によるヨセフス概説書も届いた(うち一つは店頭引取・支払)。タイミングよく、べらぼうでない価格でそれらすべてが出品されて運良く買うことができたのは、何年も購入を迷うてそのたび諦めた、それでも遂に勇を鼓して購うた男への、ささやかなる福音と思うことにしたい。 なかなか時間の取れぬなかで試しに『ユダヤ古代誌』を、新共同訳聖書を傍らに置きながら開いてみる。ちくま学芸文庫版『ユダヤ古代誌』は前半三巻が旧約時代篇、後半三巻が新約時代篇という構成。時代区分を大まかにすれば、旧約時代篇は天地創造から族長時代・士師時代を経てイスラエル王国建設と王国分裂そうしてそれぞれの滅亡と旧約時代の終焉(列王記/歴代誌)まで、新約時代はセレコウス朝シリアのユダヤ支配とマカバイ戦争・ハスモン朝成立からヘロデ王の時代・「キ..

  • 第3706日目 〈書けない書評、読書感想文。〉

    官能小説の書評、感想文、って、どうやって書けばええんやろか? ここ一ヵ月ばかり、頭を悩ませている。「書くぜっ!」とSNSで、軽い気持で発信したのが徐々に重くのし掛かってきた(誰彼から催促されたわけでもないが)。自業自得? そんなつもりはないんだけどなあ。 大概の書評には、最低限認知された一定のフォーマットが存在して──大なり小なり個人差あると雖も──、官能小説もその例に洩れるものではない。が、その難しさはやはり他に比して格段である。 「この一冊」の感想文のために、(ジャンル、レーベル不問で)「官能小説」と括られる作物群の書評から、ネット上に間々見られる素人感想文まで、目に触れたものを読んでみたが……うぅん、これはわが手に余る作業であるなあ、と嗟嘆するばかりである。 お手本にできるような人が見附かればよいが、残念ながらそうした書き手に出合えない。『ダ・カーポ』誌に連載されていた..

  • 第3705日目 〈クムラン宗団についての備忘録。〉

    最初にお断りしておかなくてはなりません。本日第3705日目はあくまで覚書の域を出ず、今後の執筆に向けたわが備忘録の役目しか持たない。従って引用が9割、自分の文章が残り1割という結果になるでしょう(結果は……以下本文参照──えへ)。読者諸兄はどうかその点を認識の上、本稿にお目通しいただければ幸いであります。 ○ 死海写本は総称であり、クムラン写本はその一部を成す。クムラン写本とは、新約聖書に言及のないエッセネ派の信徒の集団が死海近くのクムランに移り、独自の教義と生活をした一派(クムラン宗団。クムラン教団とも)がパピルス紙に記した旧約聖書の写本である。クムラン宗団の根城たる修道院は死海の近くあった。 エッセネ派は洗礼のヨハネ(バプテスマのヨハネ)が属したとされ、イエスも一時期同宗派の人々と生活を共にしたとされる。この宗派がどうして新約聖書のなかで一度も言及されないのか、理由..

  • 第3704日目 〈趣味の問題、生理の問題。──近松闘争について。〉

    近松闘争は既に幾度も起きている。迎えるか、拒絶か。その争点は、対立双方の生理に求められる。好むか否か、だ。是非にも迎えるを望む男と、断固それを拒んで視界に入れたくない女。 数次にわたる近松闘争は、常に不毛な空気を孕んで、都度両者の表面上の和解で幕を閉じる。歩み寄っても双方の間に火種として燻る以上、闘争は終わらない。おそらくはよくわかっている。 これまでお目にかかったことのないようなお値打ち価格でいま、『近松秋江全集』全十三巻(八木書店)が売られている。秋江にそこはかとない愛着を抱く男と、その作物に生理的嫌悪感を隠さぬ女の、今回で何度目になるかの闘争だ。 置く場所ではなく、趣味の問題である。克服できぬ、妥協点すら見出せぬ、折り合い付くこと至難の生理の問題である。 双方が完全合意する日は来るか。男がすっぱり諦めるにしても、女が三行半をチラつかせて翻意を迫るにしても。 どう..

  • 第3703日目 〈新たなる聖書読書マラソンに備えた、「ほしい本」の願望。〉

    昨日ヨセフスのことを書いたあとで書架に詰まった本(溢れて棚前を塞ぐものを含む)と床から隆起した積ん読山脈を見渡して、さて、自分は聖書読書を今後も続けてゆくにあたって他にどんな本を必要とするか、どんな本を揃えておきたいか、考えてしまった。 幸いなことに邦訳聖書は新共同訳と最新の日本語訳である聖書協会共同訳を始め、新改訳、新改訳2017、フランシスコ会訳、口語訳、岩波訳、文語訳、バルバロ訳、幾つかの個人訳を手許に置くことができている。テキストは当面これで用が足りるはず。読書マラソンのテキストとして携行した新共同訳聖書旧約聖書続編付き(横組み)のように、使い倒してボロボロになれば同じ訳の新しいものを本屋さんで買ってくるだろうが。 見渡して、神学や研究書の類が然程目立たないことに気附いた。考えるまでもない。わたくしは敬虔なるキリスト者ではない。聖職者でもない。ゆえに神学書を読んでも却って..

  • 第3702日目 〈フラウィウスを待ちながら。〉

    遂に意を決してその本を買うことにした。その本、ではなく、文庫で出ているその人の著作と、その人について書かれた一冊、というた方が正確である。決断まで実に一年半を要した。 「日本の古本屋」サイトに出品(登録)されるたびに間もなく売り切れ、しばらくするとまた登録/出品→時絶たず売り切れる、が繰り返される。状態など出品店舗によって異なるけれど、全巻揃が目に触れる機会はゆめ多くなく──。 購入の覚悟を決めるまで一年半もかかったのは、迷っているうちに売り切れてしまったから、それが繰り返されたから、ばかりではない。こちらの求める状態の全巻揃がまったく現れなかったためでもない。お値段、なのである。 具体的な金額は書きたくない。ただ文庫一冊で数千円、全三巻、全六巻の揃となれば必然的に数万円、の計算となる。実際過去にわたくしは、全六巻揃帯一部欠・状態並・書込み破れ濡れ皺等なし、が36,800円で..

  • 第3701日目 〈告知は早いに越したことはないでしょう。〉

    まだブレイクする前のスティーヴン・キングがラジオかなにかに呼ばれて答えた台詞が、その後しばらくの間、かれの執筆スタイルの一部として伝えられてきた。曰く、「誕生日と独立記念日とクリスマスは(書くのを)休む」と。 21世紀になってアーティストハウスから邦訳が出た『小説作法』でキングは、「なにかをいわなくちゃいけない」からそう答えたのだと白状した(P175-6 池央耿・訳)。嘘っぱちさ、本当はそんなのに関係なく、毎日──365日──書いているよ。これが現実であるらしい。 さて、翻って本ブログ。キングの小説とは雲泥の差どころかそれ以上の、比喩さえ思い着かぬ程異なる本ブログだ。心に浮かびゆくよしなしことをただそこはかとなく書きつけるばかりの文章の集まりである。キングとの共通点を無理矢理一つだけ見出すとすれば、読者諸兄の目に触れぬ日が仮にあったとしても、それは毎日書いている、という一点に過ぎ..

  • 第3700日目 〈杉原泰雄『憲法読本 第4版』再読、始め。〉

    杉原泰雄『憲法読本 第4版』の再読を始めた途端、これは腰を据える必要があるゾ、と覚悟した。再読の必要は、最初に読んでいるときから痛感している。シャープペン片手に、じっくり、読み直す。そう望み、今日(昨日ですか)から再読を始めたのだが、── 「Ⅰ 現代社会と立憲主義」、40ページを三時間弱かけて読み返した。定規をあてて傍線と本文上の横線を引き、余白や行間にトピックや所感、疑問等書きこんでいたら、そんな時間が経っていた。前段階として、読みながら考えていた(考えながら読み進めていた)のは勿論である。 そんな風に再読を進めながら、あれ、としばしば思うたのは──俺はずいぶん前にも同じことをやっていた覚えがある。一つの書物を、いつ終わるのかまったくわからぬまま読み進めていたことが、あったよな。 程なく疑問は氷解した。いまなお本ブログの中核を成す、聖書読書ノートを粛々と進めていた頃の記憶が..

  • 第3699日目 〈「《シェイクスピア読書ノート》のためのメモ」のメモランダム。〉

    暇を見附けて耽っているのが、シェイクスピアの戯曲の版本、出版に関するメモ作りであります。何事もなければいまくらいの時季から、一ト月に一作程度の進みでシェイクスピアの戯曲を、ほぼ確定した執筆順に読んで、作品の背景や内容、感想、鑑賞ポイント、基にしたオペラや声楽曲の紹介など何回かに分けて書いていたのですが、障り事慶事などいろいろあって未だに取り掛かれていません。現時点では一年先延ばしての実施(なんだか消費税増税みたいですね)が、可能性としてはかなり濃厚……。 ただ、これを好機と捉えなくてどうするか、という内心の声もある。計画破棄ではなく計画延期なのです。開始は来年の仲秋から晩秋にかけてかしら、ともぼんやり考えている。いずれにせよ、一年の猶予ができた。ならばこの猶予期間を、シェイクスピア作品を読むための準備に充てればよいではないか。そう考えての、暇を見附けてのメモ作りなのであります。 ..

  • 第3698日目 〈トルストイはどこに行った?〉

    ついこの間、ようやく時間が取れたので新刊書店へ久しぶりに行って、長いこと買うを先延ばしにしていた海外小説の残りの巻を、がつっ、と摑んでレジへ運びました。それなりの重さが指先で感じられる。それは一冊出るたびに買うことせず、その時その時の事情で諦めていた(優先順位を下げていた)、気持の重さでもありましたでしょう。 とまれ、光文社古典新訳文庫から出ていて無事完結したトルストイ『戦争と平和』第四〜六巻を購い、帰り道の途中で寄ったスタバでぱらぱら目繰って閉店まで過ごしたのでした。そう、そのときはね、先の三巻は自宅にあると信じて疑わなかったんですよ。だって、数日前に並んだ背表紙を部屋の一角で目にしたばかりだもの。 全六巻が揃った。未読か既読かさておくとしても、せっかく揃ったんだから並べてあげたいじゃないですか。で、後半三巻を摑んで部屋に行き、さて最初の三巻を山の中腹から引っ張り出して並べてみ..

  • 第3697日目 〈三門優祐・小野純一編『アーカム・ハウスの本』を読みました。〉

    アメリカ中部ウィスコンシン州ソーク市に、アーカムハウスという出版社がある。生前殆ど知られぬまま亡くなった怪奇小説作家、H.P.ラヴクラフトの著作を出版することを目的に、親しく文通していたうちの一人、オーガスト・ダーレスによって設立された出版社だ。 少部数限定で、HPLの作品集以外は再版しない方針を貫いていたので、アーカムハウスの出版物は現在でも古書価が高く、その性質ゆえに時々ここの本を題材にした古書ミステリ、古書ホラーを見附けることができる。 三門優祐・小野純一編『アーカム・ハウスの本』(盛林堂ミステリアス文庫 書肆盛林堂 2023/03)は書誌に特化して余計な説明を一切省いた潔い一冊である。購入想定読者にしてみれば、アーカムハウスとはどのような出版社であるか、百も承知のはずだからこの潔さも却って美点となる。 が、もし本稿を目にして興味を持たれた(あまり怪奇幻想小説に関心を持..

  • 第3696日目 〈上林暁『命の家』を読みました。〉

    家族の前では、人目ある所では、読むこと憚られる短編集だった。 上林暁『命の家』(山本善行・編 中公文庫 2023/10)である。 著者の妻は戦前精神を患い戦後すぐに亡くなった。上林は空襲の激しくなる時期にも東京に留まり、入院生活を送る妻を見舞ってそばに居続けた。そんな日々の産物が、代表作「聖ヨハネ病院にて」をはじめとした〈病妻物語〉だ。本書はその病妻物語をまとめた一冊。然れどこのカテゴリーに入る作品はまだまだある、と編者はいう。 いまでこそ伴侶を得、子宝にも恵まれたわたくしだが、十代の後半に婚約者を病気で亡くした。その傷が、その哀しみが、その喪失感が癒やされることも、他のなにか(だれか)によって埋められることはなかった。からっぽの心を抱えて生きていたのだ。 そんなじきに、上林の小説を初めて読んだ。講談社文芸文庫の『聖ヨハネ病院にて・大懺悔』である。あのとき以上に病妻物語の..

  • 第3695日目 〈こんな読書体験も、たまにはある。〉

    本文たかだか300ページにもならぬ連作短編集であっても、やっとの思いで読み終え疲労の溜め息吐き、まさしく時間の浪費に憤慨して、床に叩きつけてあまつさえ踏みにじりたい本って、あるんだよな……。 秋以後に新しく読んだ単著の小説は、みな肩すかし、落胆させられるものばかりだ。どこの出版社からいつ出た、誰のなんという小説なのか、それは伏せよう。武士の情け? 否、諦め──倦厭だ。 このあとは杉原泰雄『憲法読本 第4版』に戻るが、かねてからの予定通り並行して、積ん読山脈のいちばん上でこれ見よがしに待機している北村薫『雪月花 ──謎解き私小説──』(新潮文庫 2023/01)を読む。楽しみである。 あれ、北村薫の小説は、『太宰治の辞書』(創元推理文庫 2017/10)以来? まさか!◆

  • 第3694日目 〈日本人のキリスト教文学・導入部。〉

    小山清の随筆「聖書について」にある。曰く、── 聖書は晦渋な書物ではなく、キリストは難解な人物ではない。「赤と黒」を読めばジュリアン・ソレルが解るように、新約聖書を読めばキリストが解るのである。ジュリアン・ソレルは素晴しい。けれども、それよりもはるかにキリストは素晴しい。聖書をキリストを主人王とした小説として見るならば、古来のどんな小説のどんな劇の主人公も、キリストの前には色褪せてしまうであろう。四福音書の主人公ほど魅力に富んだ、私達の持続的な関心を繋ぐ対象はないのである。(『落穂拾い・雪の宿』P331 旺文社文庫 S50[1975]/12) ──と。 首肯するよりない。四つの福音書と「使徒言行録」、パウロ書簡、公同書簡を読むと、著者の立場、キリストとの距離や関わりの深度、著者の思想等によって把握できるキリスト像に多少のブレはあっても、虚心に無垢に、されど能動的に新約聖..

  • 第3693日目 〈神保町の秋を愛す。〉

    つい数日前、〈東京には行かない。〉と仮にタイトルを付けた一稿を草してまだ内容が記憶に残っているうちから、多摩川を越えて中央線沿線の古本屋まで行ってきた。Webサイトから注文した、その古書店が自費出版及び委託の自費出版物穂を引き取りに、である。 最近は(仕事以外で)滅多に東京へ行くことがないから、引き取りに行く、というのを口実に、帰ってくる途中神保町に寄り道しようかな、という魂胆が実はあった。もうこの十数年、ご無沙汰している神田古本まつりも会期真ん中のウィークデイとあれば人混みも緩和しているだろう、然程不快の目に遭うこともないだろう、と思いながら。 そうして──於神保町。 21世紀になろうとしている頃、三井不動産が神田一丁目南部地域の再開発組合と一緒に大規模造成を行い、現在その地に建つのが神保町三井ビルディングと東京パークタワー。当時販社にいた関係でわたくしも当時プロジェクトに..

  • 第3692日目 〈杉原泰雄『憲法読本 第4版』を読みました。〉

    今年になって読んだ本で、こうも読み終えるのに手こずった一冊はなかった。内容的にも、時間的にも。杉原泰雄『憲法読本 第4版』である。岩波ジュニア新書、2014年03月刊。 銀行の待ち時間に開いて、いつものスターバックスで閉じた。50ページ弱を、2時間ちょっとで読んだ。 岩波ジュニア新書、侮るなかれ。思い知らされた。これはとても中身の詰まった、常に読者へ「考える」「思い出させる」ことを促す一冊だ。 テーマがテーマだけに簡単に流すことを拒む点では、これまで読んだ憲法関連書と同じ。本書の場合、果たして想定ターゲットは、選挙権を持ち、社会に出て種々の条令や法律、社会制度にかかわって生きるようになった「成人」なのだろう。だからというて勿論、本来レーベルが想定する読者層を蔑ろにしているのではない。この年代で(最初に)読んだとしても年齢を重ねるにつれ、社会や法律との関わりを強めてゆくにつれ、..

  • 第3691日目 〈江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(草稿版)を読みました。併、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』読了。〉

    未完、という最大級の難点こそあれ、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』所収江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(草稿版)は、如何に推敲して作品のクオリティを高めるか、を考え実行する格好の材料となる。 あらかじめ新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』で決定稿を読んで、両者の相違を目の当たりにして思わず唸ってしまった。名作の成長過程をわずかならが覗き見した気分である。成る程、ふだんわれらが親しむテキストの前段階はこうなっていたのか。草稿版と決定稿の間にある差異と不変の点……なにを改め(消し)、なにを活かした(残した)か。二つのヴァージョンを読み較べると、よくわかる。 まず、構成が異なる。決定稿では名探偵の登場は数ページを繰ってのことなのだが、こちら草稿版だとのっけから登場しているのだ。しかも、書籍の谷底に埋もれて、崩れてきた本を体の上に乗っけたままよく寝られるな、と感心する寝相で。 同時に、事件現場と死体..

  • 第3690日目 〈歳月の下に記憶は埋もれる ──ミステリ小説再読のタイミング。〉

    個人差があるのは分かっている。これは君、モナミ、あくまで ”わたくしの場合” なんだ。 一遍読んだミステリ小説は、自分の愉しみとして読んだのなら再読するのは7年後が理想だ。自分を被検体として実証を試みた末の結論である。 どうして7年後? ──うむ、7年、という具体的歳月に支障あるようなら、もっと短いスパンでもよい。要するに、一年単位で間を置け、ということだ。 だから、どうして? って訊いてるんだけど? ──急かすな、モナミ。眉間に皺寄せて迫る程のことじゃあないだろう。じゃあ、さっさと答えなさいよ。 ウィ、マドモアゼル。 理由は単純だ。それだけの歳月が流れるうちに記憶は薄まり埋[ウズ]もれる。粗筋は勿論、真犯人や動機、アリバイ、トリック、ミスディレクション、ちょっとした台詞や表現の煌めき、そんなもの忘れ果てるにじゅうぶんな時間ではないか、7年とか一年単位の経過なんて。 ..

  • 第3689日目 〈ぼくは素直な読者。〉

    思うに、ぼく程素直な読者もいないのではないかしら? 自讃ではなく、本心からの述懐だ。というのも、── しばらく中断を余儀なくされていた、『古書ミステリー倶楽部 Ⅲ』(光文社文庫 2015/05)をふたたび読み始めた。読み挿しの期間がすこぶる長くなると、だんだん読書の意欲は失せてゆくのが、わたくしの常。とはいえ二篇を残すのみなんで、このまま中断して書架へ仕舞いこむのも後味が悪い。二篇は足しても70ページくらい。ならば、憲法やホームズの本を数時間我慢して、こちらに集中しよう……。 そうして先刻、野村胡堂「紅唐紙」を了えた。愉快で気持の良いミステリ短編だった。胡堂の小説といえば《銭形平次シリーズ》しか思い浮かばぬくらい、その光芒は燦然と輝きそれ以外のフィクションの存在を影薄くしてしまっているが、「紅唐紙」もかの名作捕物帖に隠れて目立たずにあった一作。 新保博久の解説に拠れば「紅..

  • 第3688日目 〈松坂健『海外ミステリ作家スケッチノート』を読みました。〉

    髪の毛を乾かしている間に、松坂健『海外ミステリ作家スケッチノート』(書肆盛林堂 2022/05)を拾い読みしている。 昨日一瞬だけ話題に上したジョン・D・マクドナルドが項目立てされていて、嬉しかった。割に好意的に書かれているのが、余計に。 「ペーパーバック・ライターという冠を卑下せず、コツコツやってきて、最後はメジャーライターになった努力の人、それがジョン・Dなのである」──松坂のジョン・D評である(P96)。 なぜかこの結びの一文を読んだとき、無性に涙腺がゆるんで仕方なかった。訳者解説の類を除けば、あまりジョン・Dを温かい眼差しで語る文章に、お目にかかることがなかったから(わたくしの怠惰や見落とし等が原因かもしれない)。なぜだかペーパーバック・ライターという出発点が、最後まで殊日本の評者の目を曇らせてきたように思えるのだ。もっとも翻訳の関係もあるのだろうけれど……。 あ..

  • 第3687日目 〈『野呂邦暢ミステリ集成』から、「推理小説に関するアンケート」を俎上にして。〉

    べ、別にネタが尽きたから苦し紛れでこのような物を書くわけじゃあ、ないんだからね(汗)。前から書いてみよう、乗っかってみよう、と思ってのを実行しただけだもん! ──まァそんなツンデレ台詞はさておき。 ふとした拍子に、新聞や雑誌に載るのと同じテーマでエッセイを書きたいな、と考えます。これまで何度となく、記事を読むうち自分の言葉、文章が浮かんで筆を執ろうとしたけれど、実行に移したのはたぶん、今年のいつだったか、『中央公論』誌の特集記事に便乗した一篇だけだったような気がします。 今回同じことをしようと思い立ったのは勿論、ネタが尽きたからではありません。昨日話題に上した『野呂邦暢ミステリ集成』のエッセイ・パートの最後を飾るアンケートを読んでいて、ふむ自分であれば……とこれまでの読書歴を振り返り考えこんでしまった、その結果を書き残しておこうと思うたからに他ならない。設問三については暫定的..

  • 第3686日目 〈『野呂邦暢ミステリ集成』から。〉

    野呂邦暢のミステリ小説にまつわるエッセイが、『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫 2020/10)に幾つか載っている。 申し訳ないが小説よりもエッセイの方を、ずっと面白く読んだ。一篇の作物としてもそうだけれど、そのなかの一節に惹かれた。時に首肯し、時に懐かしみ、時にクスクス笑いを抑えられなくなり。 たとえば、── ミステリに機械仕掛のトリックは無用なのである。大ざっぱにいって、あちらのミステリには右翼の黒幕とか、不動産業者と結託した通産省の課長補佐は登場しない。犯人は内なる声に命じられて人を殺す。殺人は宿命なのである。彼があるいは彼女がみじめな境遇におちいったのは、他人のせいではなくて、当人の問題である。国産のミステリはごく少数の例外を除いて、犯行は社会が悪いからということになっている。みんな他人のせいということになる。すなわち女々しいのである。(P295-6 「南京豆なん..

  • 第3685日目 〈そういえば、そんな計画もあった。〉

    晩年の平井呈一にはディケンズの小説をまとめて訳す計画があったらしい。荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社 2021/05)には、その準備のために、海外の古書店から大量のディケンズ研究書を購入した旨記述がある(P183)。 この一節を胸に刻んでわたくしは、シェイクスピア研究書を、身の丈に合った範囲で購っている。こちらは専門の研究者でも、演じる側にもない、ただの芝居好きで、いまは一年に一度か二度、舞台を観に行ければ満足している風の者でしかない。それでも、ささやかながら自慢できることがあるとすれば、曲がりなりにもシェイクスピアの全戯曲を読み果せたことである。 本ブログで以前に、シェイクスピアの37の戯曲の感想文じみたエッセイを書いてゆきたい、と述べた覚えがある。志は喪っていないが機を逃したのを感じている。当初はまさしくいまの時季に、その処女作『ヘンリー六世』全三部を読み、聖書のと..

  • 第3684日目 〈わが最嫌の愚者への悲歌。──For K.A.〉

    咨、プルータス、お前もか。今際の台詞だが我未だ臨終とは遠き身なり(たぶん)。ジュリアス終の台詞は、いまのわたくしにとって、嗟嘆の呟きである。 貴方はダメになってしまいました。もういまの貴方からは、昔の自信も栄誉も人望も、失われてしまった、……跡形もなく! それを貴方は他人の所為ばかりにして嘆き、合間に呪詛の台詞を挿し挟む。だが君よ知れ。まわりの評価、まわりからの敬慕なぞ途轍もなく移ろいやすいものであることを。貴方の場合はそれに加えて、身から出た錆でもあるではないか。嘆き、呪う前に来し方を検めよ。 仕事帰りに時々呑みに行くことがあったが、そのときの貴方といまの貴方はまるで違ふ。そんな風にあおるようにしてとめどなくアルコールを喉奥へ流しこむ人だったろうか、貴方は。 それが己のなかで暴れる怒りや不満を宥めるための手段なら……わたくしは止められない。 よしや君、望むのであれば..

  • 第3683日目 〈it’s new!〉

    相次ぐ原稿の差し替えで、落ち着く暇がない。たしか昨日もそうだったね。お披露目前の、まだSo-netブログに予約投稿していない原稿も差し替え対象になっている。 実をいえば本日、第3683日目もその一つで、当初書いてPages入力した原稿はどうにも内容が迷走してしまっており、散漫かつ重複も甚だしいとなっては、流石のわたくしもそれは永久破棄せざるを得ぬ。拠って、他の原稿を急いで書く必要が生じ、その第一稿に取り掛かった。 これが差し替え第一段階。第3683日目お披露目まで、あと五日……。 されどあたらしい内容の第一稿も、ちょっと暗礁に乗りあげてしまった。既に全体のアウトラインはでき、スケッチも含めれば半分くらいは形になっている。白状すれば新稿は小説の感想文なのだが、忘れてしまっている部分もあるので確認も兼ねて読み返している次第。アニメとノヴェライズの記憶、印象がゴッチャになっていまっ..

  • 第3682日目 〈意にそぐわぬままお披露目した「第3672日目」を差し替えること。〉

    みくらさんさんかから、お知らせです。 第3672日目で労働について思うところを述べました。タイトルは、「〈なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。(ルカ9:41)──労働について独り語りする。〉」です。 お披露目前に推敲を終わらせるつもりでしたが間に合わず、推敲前の原稿をお目に掛ける結果となりました。なんともダラダラした文章であった。反省している。 ここ数日、プリントアウトしたA4用紙5枚を携行して、都度朱筆を入れておりました。それがどうにか終わった昨日モレスキンのノートへ書き写し、先程Pagesに入力して暫定決定稿が出来上がりました(いちばん最初にモレスキンのノートにずらずら書き綴った頃から数えれば、一ヶ月半もこの文章は、わたくしを悩ませた)。 よって本稿お披露目と同じタイミングで、第3672日目を旧稿から新稿へ差替えます。タイトルは異なりますが、内容に大きな変化は..

  • 第3681日目 〈ラダー・シリーズでやり直そう。〉

    先日、英語の勉強をやり直すことにした、と書いた。本稿執筆時点で件の原稿はまだ予約投稿していないので、たぶん一昨日なのだろうけれど、まったくもてそのあたり不明である。 それはともかく、前稿のおさらいをすると、部屋の片附け中に出て来たLe Guinの原書を開いたら、当時みたくは読めなくて愕然とした、為に勉強し直すことにしました、てふ内容だった。今回はその続き、といおうか、付け足しというか、オマケっていえばいいのか……である。 ○ いま流行りのリスキリングには該当しないそうだ。スキル・アップというも的外れらしい。厳密なことをいえば両者に、「やり直し」の意味、「かつて持っていた力を取り戻す」意味は含まれないようなのである(知己の談)。なので、ここではその行為をこれまで通り、「勉強のやり直し」と表現させていただこう。 では、本題、──。 ○ 英語の本を再び読める..

  • 第3680日目 〈憂い事、イヤなことから逃れて、回復するための一手段。〉

    相変わらずリュックに忍ばせ、またベッド脇に積んで読むことしばしばなのは、憲法の本である。予定にない中断を挟んで読了までほぼ一ヵ月を要した高見勝利・編『あたらしい憲法のはなし 他二篇』(岩波現代文庫)だったが、途中芦部信喜や池上彰など拾い読みしたり、読書ノートを付けていたこともあってか、収録三篇を読み進め、読み終わる毎に憲法についての理解は深まり、自分の憲法観もすこしずつ固まっていった感を強う持っている。 いま機を見て開くのは、杉原泰雄『憲法読本 第四版』(岩波ジュニア新書)である──09月19日に読み始めてけふ10月03日時点でようやく半分。今月中に読了したいと思うているが、さてどうなることか……。ジュニア新書の一書目ということで正直もうちょっと内容はライトかと思うていたら、とんでもない、舐めてかかると火傷する程の熱量と充実を誇る一冊であった。 どこかで鬼の笑い声がするようだが、..

  • 第3679日目 〈義理と恩に報いて死ぬか。義理と恩に背いて生きるか。 選択すべき時、来たる。〉

    何度でもいう、わたくしは敗けたのだ。見通しが甘かった。始めるタイミングを読み誤った。責は自分にある。その咎、非難嘲笑は一身に引き受けねば。転嫁は、ズルだ。 辛抱強く現在の状況に甘んじておればよかった。時が熟すまで、現在の状況に耐え忍ぶべきだった。目先のニンジンに飛びつく軽率を犯したために、怪我の完治を待つ余裕を失ったばかりに、墓穴を掘って敗残者に落ちぶれたのだ。 完全なる四面楚歌に耐えること能わず。為、わたくしは自死を選ぶことにした。選ばざるを得ないところまで、追いつめられたのだ。誰の助けがあるのか。差し伸べてくれる手の持ち主など、この世にあるはずもない……。 義理と恩に報いて死ぬか。義理と恩に背いて生きるか。 選択すべき時のようである。◆

  • 第3678日目 〈衰えた力を取り戻す為に。──英語、を例にして〉

    英語の勉強をやり直したい。そう思うている。社会に放り出されて以後はご無沙汰な英語。使わぬ筋肉がやがて衰えるように、使わぬ知識も早晩衰える。わたくしの場合、その顕著なるものの一つが英語なのだった。 この前書架の片附けをしていたら、棚の隅っこから薄っぺらいペーパーバッグが出てきた。Ursula K. Le Guinの”VERY FAR AWAY FROM ANYWERE ELSE” 初めて挑んで青色吐息の末一年半がかりで読了したStephen King ”IT” (初体験の相手には余りに大物すぎた!!)のあとに読んだ、『ゲド戦記』の作者によるヤング・アダルト小説である。読了の直後にコバルト文庫から出ていた翻訳を古本屋で手に入れたが、自分の読解があながち間違っていないのを確認できて、ほっ、と胸を撫でおろした記憶がある。 時は流れて、つい先日。Le Guinの、この、薄っぺらい(再々..

  • 第3677日目 〈自伝の一コマ。〉

    「一つの風景が次の眺めを誘う」──どこで知った文句であったか忘れたが、最初の小説(※)でそれを用いたのだけは覚えている。たしか推敲する前の、初稿の段階でそれはあったはずだから、かの文句を思い着いたかなにかで読んだかしたのは、17-8歳の頃であったろう。 17-8歳! なんと夢見がちで、怖い物知らずで、可能性にあふれ、世間知らずだった年齢! 甘美な揺りかごのなかにいるのを許されるのは、あと数年ということも知らずに呑気に過ごしていられた頃……! わたくしにもそんな時代があったのだ。われながら信じられぬことではあるけれど、そうでなかったら「いま」生きてこうして文章を綴っていないからね。そんな時代があったことを信じてもらうより意外にない。 しかし、なんと途方もない時間を過ごしてきたのだろう。年長者からは「自分より若いお前が、そんな達観したようなことをいうな!」と叱咤されるかもしれない..

  • 第3676日目 〈避難先のスタバにて、あれやこれやと綴ったあとで。〉

    昨日は病院三昧であった。脳梗塞の後遺症の程度を確かめ、併せて今後の治療に役立てるためのエコー検査を、紹介先(=かかりつけ)の病院の生理検査室で行うことは既に決まっていたので、他の病院案件もその日にまとめたのだ、という背景、経緯はあったとしても。 とはいえ、夕刻にはそれも終わってしまった。その日の支払総額から目を背け、寄り道しながら辿り着いた先がいつものスタバ。これは偶然の作用ではない。足の指先が痛み(擦過傷)、腰と脇腹が張ったように痛み(お通じが数日ないことから、わたくしも消化器系の癌なのか、と[正直にいうと]疑っている)、遂にそれに耐えかねて、直近に位置する勝手知ったる”ここ”を避難所とさせていただいた次第である……。 でも、そうはいうてもやることはいつもとあまり変わらない。Macを忘れ、読書ノートと対象本を持ってきていないとは雖も、本を読み、なにかを書く、てふルーチンは維持さ..

  • 第3675日目 〈腰の痛みに苦しめられた夜。〉

    入院から約2ヶ月、退院から約1.5ヶ月を数える。毎日、血液をさらさらにする薬と副作用を抑える胃薬を各1錠、白血病の薬といっしょに服んで欠かした日はまだない。脳梗塞の、退院後にした精密検査は結果がまだ出ていないので、希望に満ちたことも悲嘆に暮れることもできぬ現在[イマ]なれど、目にも明らかなな後遺症は窺えない。しばらくは脳天気にそれを喜んでおくとしよう。 そんな風なこと、再発したときの不安や恐怖、諸々を考えながら予後を過ごすこと約1.5ヶ月。慣らし運転を兼ねた仕事復帰もどうやら軌道に乗ってきたな、そろそろ元々復職を望んでいる業界に履歴書・職務経歴書を送りまくるかor(実入りは不安定極まりない低給与ながら)このまま倉庫のバイトに汗水垂らして好きな人々といっしょに時間を過ごすか、決断せねばならんな、と倩思い始めた矢先の、昨日09月04日月曜日の夜、NHK=BSで再放送されて録画しておいた吉..

  • 第3674日目 〈とても大事な話をしよう。お金と生活の話だ。〉

    赤面を覚悟の上でいえば、昨年までのわたくしは、お金について無頓着だった。日々の収支をしっかりと記録するわけでなく、税金や年金、保険等について熟知するには至っておらず、加えて一ヵ月生活するにあたってどれだけのお金が必要なのか、ちゃんと把握していたわけでなく──。 過月、世帯主であった母が逝去した。それに伴って主要金融機関の、母名義の口座は相続手続き完了まで凍結され。 即ちこれは、生活してゆくに必要な各種支払、引落がされなくなったことを意味する。気附くと気附けぬと引落ができないまま日を経ると、手許へ届けられるのが「督促状」である。或いは、至急指定金融機関口座への振込もしくは振込用紙で支払うようにという催促の書面通知である。今年令和5年は、母みまかって数ヶ月後から今日までの間、この督促状や催促状が新たに届けられない週は、おそらくなかった、と記憶する(均せば、の話だ)。 わたくしは、..

  • 第3673日目 〈自分自身を顧みる作業、その一部。〉

    わたくしは、不完全な人間です。どちらかといえば、虐げられてきた人間です。人生のどん底を経験し、他人の裏表を存分に見てきた人間です。 このような人間が、どれだけ過去に経験があるからといって管理者を務めるのは、身に余る行為でしょうか。過ぎたる職業でしょうか。 否、わたくしはそうは思いません。不完全であるからこそ、見えてくる光景があります。虐げられてきたからこそ、看過されやすい誰かの心の痛みや悩みに寄り添うことができます。どん底を経験し辛酸を舐め、裏表を嫌という程見てきたからこそ膝をつき合わせてその人のことを理解しようと努めます。 わたくしは、たとえば誰かが欠勤の連絡を入れてきて、その人がどこかで目撃されたとしても、その人に事情を訊ねることなく思い込みと偏見で、サボリ、と決めつけて人事評価に影響するようなことは絶対にしません。それは「愚」としか申し上げようがない行為です。 わた..

  • 第3672日目 〈なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。(ルカ9:41)──労働について独り語りする。〉

    自分が何者であるかを知ること。自分が為すべきは何かを知ること。──これを把握するとしないとでは、人生に対する心構え、労働に対する心構えは、かなり違ってくるように思えます。 どういうことか、どうしてそんなことを言い出すのか。それはこのあと追々話して行くことになりますが、あらかじめ読者諸兄にご寛恕願うておきたいのは、現実として自分の人生しかわたくしは知らないから、ここで俎上に上すのもわたくし自身のそれになり、労働に対する心構えの弁になる、と云うことであります。 八月お盆過ぎの或る日の宵刻、仕事が終わるとバスに乗り、終点まで坐っておりました。心地よい疲労が体のなかで横たわっています。時に睡魔が眠らせようと槍で突いてきますが、その仕事で知り合った人と一緒だったお陰で、その餌食にあうことは免れました。 横須賀線の客となり横浜へ帰るすがら、車窓からぼんやり外を眺めていて、自分は変わったな..

  • 第3671日目 〈読書ノート、4冊目が終わり5冊目へ。〉

    たぶん4冊目の読書ノートが終わった。読了した本の感想や粗筋をそのたびに書いているわけではないでもなく、「これは……!」と思うたり必要ありと判断した本の抜き書きと自分のコメントを記しているだけだから、読書ノート、というてよいのか迷うのだが、それはともかく、たぶん4冊目のノートが昨日終わった。 片柳弘史『何を信じて生きるのか』に始まって萩原朔太郎『恋愛名歌集』を経、六法から日本国憲法と芦辺信喜『憲法 第六版』から9条と96条に絞って抜き書き、或いは自分でまとめたところで、ノートは終わった。自2023年1月 日至同年8月10日。 たった4冊? 一冊からの抜き書き量ってどれくらいなの? 疑問はご尤もだ。過去の3冊では平均して10冊程度の書名が簡易的な目次に列挙され、それぞれ数ページの抜き書きとコメントが記されているのに比較したら、4冊目のノートがわずか4冊の本で終わっているのは疑問でしか..

  • 第3670日目 〈みくらさんさんか、憲法について独習を始める──9条と96条を取っ掛かりにして。〉 〈この道はいつか来る道、〉〈憲法に寄り道する。〉 ←タイトルは何れを選ぶ

    けっして唐突な流れではなかった。必然性を充分に伴うものだったのだ。6月に読み終えていた青木理『安倍三代』(朝日文庫)のノートを抜き書きしている最中、憲法九条と九六条について知りたいと思い立った。安倍晋三の章を読んでいれば必然であった、と思うている。 その流れで『ポケット六法 令和四年版』(有斐閣)を繙いて九条と九六条をノートへ書き写し、芦辺信喜『憲法 第六版』(岩波書店)の当該章を読んで抜き書きした。その作業は今日、つい先程終了、いまから30分も経たぬ前。延べ四日にわたる作業で、ノート13ページに及ぶ(最後の1ページは裏表紙の内側、いわゆる表3でだ)。抜き書きというても純粋に引用した(丸々書き写した)箇所もあれば、文章は著者のそれに則りつつ自分なりにまとめた箇所もある。 どこかに書いた記憶があるけれどたぶんブログではないので堂々と申しあげれば、一昨年あたりだ、大日本帝国憲法及び日..

  • 第3669日目 〈隔絶された空間で設計する、実現すべき未来 ──ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』を読んで。〉

    突然の出来事に混乱するなかで、荷物に入れた本のあったことは幸いであった。退屈な病室での午後をやり過ごすに本は最適のアイテムだったから。覚えておくといい、モバイル端末は時に回線速度の遅滞やデータ容量の制限によって要らぬストレスを生み出して症状に障りをもたらす代物に早変わりするが、紙の本に斯様な支障はなんら存在しないことを。Kindleについては一旦無視する。 入院期間約2週間で読書に励むことのできたのは、内10日程であったか。高気圧酸素治療とリハビリ、MRI検査は大概午前中に集中したので昼食の済んだ午後はなんの予定もない時間だ。この長大なる空白の時間を前にして、わたくしは途方に暮れた。今日一日ばかりの話ではない、入院している間はこの状態がずっと続く。午睡も結構、但し夜寝られなくなるのでご注意を。病院で独り眠られぬ夜を過ごすことは普段以上の苦痛を感じさせる。場所が場所だけに思考はどんどん..

  • 第3668日目 〈入院中に見た夢は、記録あるがゆえに残酷座を増す。〉

    入院の間はずっと夢を見ていた。現実ではないのが無念に思われる夢だった。 スマホで入力し、PCで修正補訂をしていた日記を開くと、その折々に見た夢の内容が綴ってある。何日も経ついまでも場面場面を鮮やかに思い出せるのは、そのおかげだ。 とはいえ、それゆえにこそ残酷である。なにもしなければそのまま忘却してゆくか、解像度の低い断片的な映像がしばらく残るのが精々なのに、日記の存在がそれを阻んでいるのだから。 よみがえってくる夢は、生々しい。リアリティがある、を通り越して、現実そのものだ。 皮膚に触れる空気の涼やかさ、肌を撫でてゆく風の感触、鼻腔をくすぐる匂い香り。記録はそんな細部までも精彩によみがえらせる、 誰かとかわした言葉、触れ合い重ね合った肌のぬくもり、どこでなにをしていたのか。記録を媒介にしてあの夢を、書かれていないところまで再現して追体験することができる。 いろいろ..

  • 第3667日目 〈あの人も、脳梗塞だった。〉

    ちょうど2週間前の今日日曜日の今頃14時30分頃、異変に気附いて救急車を呼んだ。 いまは2023年7月16日14時31分。家の裏の道路を、サイレンを鳴らして救急車が走ってゆく。午前中にも1台、いた。近附いてくるサイレンを聞くと、ビクッ、とする。心拍数を図ってみたら、急激な上昇値を示すだろう。家の裏を通り過ぎた途端、徐々に心拍が落ち着いてゆくのがわかる。呼んだ人には申し訳ないが、それが実際だ。もちろん、裏の路地へ入りこんだり、目と鼻の先で停まったら、そんなこともいうておられぬが……。 今日も暑い。日本海側は豪雨で避難指示まで出されている自治体があるのに、太平洋側の此方は暑さでゆだっている。外では元気に蝉が鳴き、室内では汗が首筋を滴り落ちてゆく。 横浜の現在気温は34度、真夏日で、風はそよとも吹かぬ。熱中症警戒アラートは暑さ指数31.3と33以下のせいもあってか発表されていな..

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、みくら さんさんかさんをフォローしませんか?

ハンドル名
みくら さんさんかさん
ブログタイトル
Let's be Friends,
フォロー
Let's be Friends,

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用