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歴史の宝庫、米沢の街を歩く http://yaplog.jp/rekishi-houko/

神武天皇から源平、戦国、江戸時代を通し、素晴らしい日本の歴史をともに語りたい。

神武天皇、神功皇后、源義経、石田三成、直江兼続、赤穂浪士、坂本龍馬など日本歴史上の人物の実像に迫りたいと思います。米沢を基点として歴史を振り返ると、新しい見方ができるように思います。

歴史男
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2010/07/17

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  • 歴史の宝庫米沢の街を歩くー電子書籍に

    本ブログを加筆、修正しこのたび、電子書籍で発刊することになりました。「歴史と人間、歴史の宝庫米沢の街を歩く」アマゾン、kindle本で販売中です。税込み391円。ペンネーム:高井元信(KindleはA…

  • 建築家伊藤忠太と米沢

    明治のなかごろ、東京帝国大学建築科教官の伊藤忠太は悩んでいた。当時、大学教授になるには外国留学の経験が必要であった。同僚、先輩は欧米に留学し、先端の建築額を学んで日本へ導入していた。伊藤忠太は考える。…

  • 池田成彬と米沢ー三井財閥のトップ

    米沢城址池田成彬(いけだなりあき、1867〜1950)は戦前の三井財閥の事実上のトップとして日本の政財界に大きな影響を及ぼした人物である。池田は、米沢藩の江戸留守居役の長男として米沢馬場ノ町(現、城南…

  • 東京空襲

    1945年3月、マリアナ基地の戦略爆撃集団司令部で、新任司令官のルメイ将軍は大きな東京の地図を睨んでいた。ルメイは考える。前任者のハンセン将軍は、重爆撃機B29による、昼間、1万mの高度からの軍需工場…

  • 白村江の戦い-半島の覇権

    紀元660年、朝鮮半島における日本の友好国、百済は、唐と新羅の連合軍の攻撃により、首都が陥落し、国は滅亡した。国王、王族、高官を含む18000人が捕虜として唐の都に連行された。新羅は唐から軍勢、すなわ…

  • 令和元年

    神武天皇 日向の国から瀬戸内海を経て大和へ侵入した神武軍団は、邪馬台国を主力とする大和軍団に敗れて、一旦、海上に引き上げた。神武天皇の兄も戦死するほどの大敗であった。神武天皇は、自分の軍団だけ…

  • 甘粕正彦と大杉栄

    米沢城跡1923年(大正12年)九月一日、関東大震災、東京は焼け野原となり、路上には多くの死体がころがっていた。社会主義者がこの混乱に乗じて社会の転覆を図っているという流言飛語も飛び交っていた。この根…

  • 山下源太郎と日本海海戦

    明治38年5月、奉天会戦は日本軍の勝利で終わり、日露戦争の大陸での戦いは一段落した。しかし、ヨーロッパからウラジオストックを目指して遠征してきたロシアバルチック艦隊は、インドシナ(現ベトナム)のカムラ…

  • 岸信介と我妻栄

    日本国憲法原本戦後まもなく、東大法学部長の我妻栄は日本占領にあたったGHQ(連合国総司令部)に呼び出された。GHQ幹部等の前で我妻は、「My name is my wife(わがつま)]と自己紹介した…

  • 岸信介と米沢

    昭和の妖怪といわれ、昭和史に大きな足跡を残した岸信介(きしのぶすけ)は、米沢と深いつながりがあったことはあまり知られていない。岸は自分の祖先が、源義経の忠臣、佐藤兄弟であることを強く意識し、また誇りに…

  • 満州国境オトポール事件-ユダヤ難民を救え

    樋口季一郎昭和13年(1938年)三月八日、満州国ハルピン市の日本諜報機関のトップである樋口季一郎将軍の部屋へ、顔見知りのハルピンユダヤ人協会会長のカウフマン博士が真っ青な顔で駆け込んできた。「樋口将…

  • 占守島の戦いースターリンの野望

    樋口中将 昭和20年8月18日、札幌にあった軍司令部に、指揮下の千島列島最北端の占守島守備隊から緊急の報告が入った。今朝ソ連軍機が占守島を爆撃するとともに、カムチャッカ半島から砲撃を受けた。さらに、…

  • 幕末の戦いー幕府歩兵隊

    時は幕末、長州(毛利家)や薩摩(島津家)は、江戸幕府の武力の中核と目され諸藩に恐れられていた旗本、御家人、約3万人が実は長年の都会生活で疲れ果てたサラリーマン集団であることを知った。長州は奇兵隊を主力…

  • 陰謀家ー西郷隆盛

    昭和20年7月、日本政府首脳部は、戦争終結にあたり、一人の人物に望みを託していた。「ソ連のスターリンは西郷隆盛のような包容力と慈悲の心にあふれた人だから、彼に頼めば日本と連合国との和平をうまく仲介して…

  • 甘粕正彦の野望ー植民地アジアの開放

    米沢城跡甘粕正彦は、陸軍と組んで満州国を建国した。甘粕の意図は、満州に、満州人、中国人、モンゴル人、ユダヤ人、そして日本人から成る、五族協和の楽園を築くことにあった。本ブログ内、下記の「満州国」を参照…

  • 映画、関ヶ原の感想

    関ヶ原の戦い筆者の知る限りでは、最も迫力のある集団戦闘シーンは、1970年、イタリア・ソ連合作、「ワーテルロー」(ツタヤレンタルDVD有)であろう。ナポレオンの率いる仏軍72000人とウエリントン率い…

  • 米沢の武者道

    米沢城跡JR米沢駅から米沢城大手門までの広い道とは平行に、2〜300mほど右側に直線の細い道がある。米沢城三の丸の壕に沿ったこの道は昔から武者道といわれていた。なぜ武者道と言われてきたのであろうか。城…

  • 保科正之ー世界初の福祉国家、会津

    米沢の上杉家断絶の危機を救った保科正之(1611-1673)はいかなる人物であったか。正之は将軍徳川家光の腹違いの唯一の弟であった。長年、正之は日陰の存在として生きてきたが、家光に会津25万石の当主に…

  • 米沢、上杉家断絶の危機

    米沢城跡江戸初期、1664年春、上杉30万石の城下町、米沢に激震がはしった。主君の上杉綱勝が26歳の若さで急死したのだ。しかも跡継ぎも無しで。大名家は、お家存続のために主君の跡継ぎとして、実子、あるい…

  • 恐怖政治の終焉

    昭和19年、太平洋戦争は日本の敗色が濃厚になってきたが、時の首相、東条英樹陸軍大将はまだ強気だった。彼は国内世論を憲兵政治で抑圧していた。憲兵とは元来、軍人を取り締まる軍隊の警察であるが、東条大将は国…

  • 応仁の乱

    室町時代の多くの歴史書を調べてもよくわからないことがある。応仁の乱は、細川氏と山名氏が共に大軍を都に集めて戦い、そのために京の都は焼け野原になったという。それでは、その間、足利将軍はなにをしていたので…

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