かみさんが亡くなったばかりのことだった。俺は自分の人生も終わったな…と思った。かみさんが亡くなって一周忌を迎える前だった。俺の余生はロクなものにならないな…と思った。かみさんが亡くなって1年3か月が経った時期だった。俺も早く死のう…と思い、それ以前からあ
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
突然、心の糸が切れてしまう。やらなくてはならないことがありながら、緊張感が途切れてしまい、行動に移せなくなってしまう。出勤しなければならないのに、突然、サボりたくなってしまう。歯医者に予約を入れてあるのに、突然、行くのが面倒になって、予約を取り消してしま
午前3時半から4時半の間に目が覚める。それから寝床を出るまでの1~2時間は、俺にとって「魔の時間帯」だ。いったん目覚めてしまったら、もう深く眠ることはできない。深く眠るどころか、全く眠れないことも少なくない。その間、俺の頭の中には様々なものが浮かんでは消
身体がダルい。全身のあちこちが痛む。頭の中がボンヤリしている。いつだって憂鬱だ。かみさんを亡くした悲嘆もあるんだろう。だが、多分それだけではない。恐らく老化も原因のひとつだ。生まれてから今日までの間、使い込んできた精神と肉体とにガタが来ているのだろう。無
仕事の合間に部下たちと雑談をする。彼らや彼女らの話を聞いていると、仕事がキツいのは俺だけではないことに改めて気づかされる。仕事がキツくても、部下たちは誰一人として会社を辞めたいとは思っていない。やりがいがあるんだそうだ。キツいのは事実だが、それでも仕事が
毎日がつまらない。何にも楽しいことがない。何にも面白いことがない。そんな俺に人々は言う。お酒以外に夢中になれるものを探したほうがいいよ…だが、楽しいことを見つける気力が湧かないのだ。面白いことを探す気力も湧かないのだ。そうだ。かみさんの死によって俺が失っ
いつも同じことを言ってるが、いくら何でもやらなきゃならないことが多すぎる。それらは以前の記事に書いた「一時間に一回のコーヒーブレイクを楽しみながら、理想だけを語っている奴ら」に押し付けられた仕事のせいだ。おかげで俺たち現場の管理職だけでなく、その部下たち
俺の周囲には、生命力に満ちあふれた人々がいる。それは俺の部下たちのことではない。また、俺の友人たちのことでもない。そもそも名前も知らないし、どこに住んでいるのかも分からない。だが、いつでも”あの連中”は、俺の傍らに現れる。あの連中の生命力が眩しい。羨まし
毎朝4時半には目が覚める。もう朝が来ちゃったのか…と思うと鬱になる。気分は最悪だ。起床するには早すぎる。俺は布団の中で目を閉じて、再び眠りに落ちようとする。浅い眠りの中で、俺は夢を見る。いつだって不快な夢だ。午前5時半には起床する。悪夢を見ていたせいで、
月に1回、必ず心療内科に通院している。かみさんが亡くなってから、ずっと世話になっている病院だ。診察が済むと、いつも主治医は同じ質問をする。最後に言いたいことはありませんか?俺は応える。特にありません。だが…本当は言いたいことがある。義母や2人の義弟にも言
伴侶や子どもを亡くしてしまった。それ以来、ひとりぼっちになってしまった人も少なくない。かみさんを喪ってから、俺もひとりぼっちになってしまった。だが、ひとりぼっちなのは俺だけではない…と自分に言い聞かせてみた。そうだ。この世界には、ひとりぼっちがたくさんい
激しい「悲しみ」が影を潜めているとき。深い「哀しみ」からも目を反らしているとき。何かに集中していたけれど、ふとした瞬間、息を抜いたときだ。見えてはいるけど観てはいない。聞こえてはいるけど聴いていない。まるで魂が抜けてしまったかのようになってしまう。まるで
かみさんが亡くなって以来。俺は哀しい。俺は淋しい。そして心はいつでもザワザワしている。ザワザワって、いったい何?と聞かれたことがある。だが、俺は答えられなかった。不安と言えばいいのだろうか。恐怖と言えばいいのだろうか。適当な表現が見つからない。いつでもザ
やらなきゃならないことが多すぎる。おかげで身体はガタガタだ。おかげで心はズタズタだ。息をつく暇もありはしない。じっくり物事を考える時間もない。スケジュールはいっぱいだ。いつでも俺は(俺たちは)仕事に追われているのだ。それでも「奴ら」は「じっくり物事を考え
朝起きて、「今日は会社に行きたくないな…」と思うことが少なくない。平日でありながら、「今日は家でのんびりしていたいな…」と思うことが少なくない。かみさんが元気だったころには無かったことだ。かみさんがいた頃は、ずっと会社の中枢部門にいたせいか、(ある意味で
たとえ失ったとしても、取り戻せるものがある。だが、どうしても取り戻せないものだってある。取り戻せないからと言って、悲しいとは限らない。我々は「失ったって、どうでもいいもの」に囲まれているのだ。だからこそ俺たちは生きていける。何かを失うたびに人生が狂ってし
現在5月15日の午前7時13分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。夜中に目が覚めてしまったからだろうか。それとも天候が悪いせいだろうか。あるいは、かみさんが闘病していた時期だからだろうか。朝から鬱がひどい。身体を動かす気力が出ない。今朝
自宅から最寄り駅までの道すがら。俺の目の前を老夫婦が歩いていた。すでに80歳に近いだろうと思われる二人だ。二人は朝の散歩をしている様子だ。寄り添いながら、ゆっくりと歩いている。俺が後方から眺めているかぎり、二人の仲は睦まじい。ご主人が奥さまに何かを話しかけ
ここ最近、熟睡できない日が少なくない。今朝も午前4時20分に目が覚めてしまった。原因は分からない。だが、毎年この時期になると、いつにも増して心が乱れてしまう。ひょっとすると、かみさんが癌だと診断されて、闘病していた時期だからかもしれない。眠れない日々が続くと
かみさんが亡くなってから1か月。俺はほとんど眠ることができなかった。朝まで泣き明かしたことも多かった。朝まで叫んでいたことも多かった。眠れないことに耐えられず、俺は心療内科で睡眠導入剤を処方してもらった。その日の夜、俺はようやく眠りに落ちることができた。
通勤途中や買い物などで、街を歩いているときのことだ。それは、いつでも突然にやってくる。かみさんと暮らしていた日々の記憶が、突然、頭に浮かんでくるのだ。何らかの「きっかけ」があるわけではない。想い出そうとして想い出すわけでもない。俺の意思に関わらず、かみさ
朝7時に目覚まし時計が鳴った。俺たち夫婦は寝起きが良かった。かみさんと俺は、ほぼ同時に目を覚まし、ベッドの上にムックリと起き上がった。お互いの目が合った。その瞬間、二人は意味もなくニンマリと笑った。どちらからともなく「おはよう」と言うと、もう一方も「おは
毎日がとても辛い。起床するのも辛いし、洗顔をするのも辛い。歯を磨くのも辛いし、シャワーを浴びるのも辛い。そもそも身体を動かすことが辛いのだ。会社に行きたくないな…と思う。酒を飲みながらノンビリしていたいな…と思う。だが、そういうわけにはいくまい。俺は深い
5月3日の水曜日。俺はかみさんの墓参りに行った。菩提寺に着いたのは午前11時ごろだった。俺は広い墓地を見回した。俺以外には誰もいなかった。そりゃあそうだろう。誰がゴールデンウィークに墓参りなんか行くものか。周囲に人影が無かったせいで、心静かにかみさんを想う
伴侶や子どもを亡くした悲しみには「重さ」がある。世界でいちばん大切な人を喪った悲しみには「質量」がある。悲しみの質量は、あまりにも大きい。そのため巨大な「重力」を持っている。その重力が強すぎて、悲しみは自分自身を支えていることができなくなる。自らの質量に
戦争や災害によって、たくさんの人々の命が同時に奪われることがある。それらの人々の死は、いつまで経っても悼まれ続け、語り継がれ、決して忘れられることはない。その人々が亡くなった日は、毎年必ずやってくる。すると、亡くなった人々の遺族はもちろんのこと、国中の多
最愛の人との死別ほど辛いことはない。たぶん人間にとって、これ以上に辛い体験はない。自分も死んじゃおう…と想う。後を追って死んでしまいたい…と想う。そんなことを言うと、「だったら死んじゃえば?(笑)」という人も少なくない。事実、そういうコメントも数多く書き
かみさんが亡くなってから。俺は自分の命を縮めようとしてきた。自分を破壊しようとしてきたのだ。だからこそ酒に溺れてきた。だからこそ体調が悪くても、病院には行かなくなった。あれほど好きだった運動もしなくなった。食生活はメチャクチャだ。しかし…俺はなぜ死にたい
ゴールデンウィークに入ったからだろうか。世間の空気が浮き足だって見える。そういう空気に触れていると、あの頃は楽しかったな…と思う。ここでいう「あの頃」というのは、言うまでもない。かみさんが元気だった頃だ。毎年のゴールデンウィーク。かみさんと俺は、北海道に
現在5月2日の午前7時05分。いつものとおり、通勤途上でブログの記事を書いている。今日の仕事が終われば5連休に入る。だが、連休が終わったら、これまで以上に忙しい毎日がやってくる。いつまで経ったら息をつけるのだろう。いつまで経ったら本当にマッタリできるのだろう。
世間はゴールデンウィークに入った。街中は人が少ない。公共交通機関も空いている。みんな家族と一緒に旅行にでも行ったのだろう。あるいは家族に会うために帰省をしたのだろう。それなのに、俺は会社に向かっている。馬鹿みたいだな…と思う。・・・今朝(月曜日)はいつに
かみさんが元気だった頃。こんな俺にも「何でも話せる人」がいた。それは言うまでもない。かみさんだ。自分の弱い部分や醜い部分も含め、何でも話せる人の存在は、とても貴重だ。そんな人は、せいぜい家族のうちの誰かくらいしかいないからだ。ひょっとしたら家族にさえ何で
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かみさんが亡くなったばかりのことだった。俺は自分の人生も終わったな…と思った。かみさんが亡くなって一周忌を迎える前だった。俺の余生はロクなものにならないな…と思った。かみさんが亡くなって1年3か月が経った時期だった。俺も早く死のう…と思い、それ以前からあ
俺と妹は「親ガチャ」に外れた。両親から虐待されて育ってきた。父親は酔っ払うと俺を殴った。母親は言葉の暴力で俺たちの自尊心を破壊した。おかげで俺は、人間が大嫌いになった。人間に対する不信感と恐怖が、俺の言動に大きな悪影響を与えた。父親は俺が高校生のときに死
3連休が近づいている。どうやら猛暑日の3連休になるらしい。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は連休が大好きだった。連休が迫ってくると、かみさんと俺の気分は高揚した。連休中は、夫婦二人で旅行をしたり、散歩をしたり、映画を観に行ったりして過ごしていた。本当に
かみさんが亡くなった。俺はたった一人の大切な家族を喪った。俺は“ひとりぼっち”になった。俺は孤独になった。最近、孤独死する人が増えている。高齢者ばかりではなく、40~50歳代でも孤独死する人が多くなっているそうだ。失業して社会から孤立してしまった人々。もとも
俺はかみさんに愛されていた。かみさんは俺を精一杯、愛してくれた。そこに疑いを挟む余地はない。だが一方で…かみさんは俺に愛されていると感じていただろうか。俺のかみさんへの想いを疑ったことはないだろうか。時折かみさんに聞いてみたくなる。しかし…かみさんは俺の
全国的に見ると、お盆の行事は旧盆の8月に行われることが多い。一方で、新盆の7月に行われる地域もある。東京では、7月にお盆の法要を行うお寺が多いらしい。7月13日の日曜日。俺は菩提寺に向かった。盂蘭盆会の法要に参加するためだ。20日ほど前にも墓参りに行ったので、
なぜだか疲れてしまった。とりわけ「心」というか、「精神」が疲れてしまった。仕事が忙しく、やらなきゃならないことが沢山あるからだ。また、気温も湿度もあまりに高く、不快な日々が続いているからだ。新型コロナウイルス感染症が収束したにも関わらず、少子化だの、人口
俺は先日、部下の一人(女性)から言われた。課長って生活感がないですよね~俺は忙しかったので、「あ~、そう?」と応えただけだった。だが、その瞬間、違和感を覚えたことも事実だ。生活感がないなんて、生まれて初めて言われたからかもしれない。しかし、それだけではな
毎朝5時半くらいに目が覚める。俺はかみさんの仏前に座る。お供えをして、線香をあげる。しばしの間、俺はかみさんの遺影を見つめる。哀しいような、淋しいような気持ちになる。俺はバルコニーに出て日光を浴びる。それでも交感神経のスイッチが入らない。あきらめてリビン
7月8日の夜から7月9日の朝にかけてのこと。俺はかみさんの夢を見た。決して幸せな夢ではない。癒されるような夢でもない。とても切なくなるような、とても不安になるような夢だった。俺は自宅にいた。かみさんは友だちの家に遊びに行っていた。夜遅くになったが、かみさんは
俺がかみさんと出会ってから、かみさんが癌だと診断される日までの約20年間のことだ。俺たち夫婦は無敵だった。かみさんと俺とは全知全能だった。二人にとって、この世はコントロール可能な世界だった。何もかもが思いどおり、願いどおりに動いていった。もちろんツラいこ
毎朝5時半くらいに目が覚める。その瞬間、「あぁそうか… かみさんはいないんだっけ…」と思う。朝が来るたびに、かみさんの不在を再確認している。朝が来るたびに、俺は死別を追体験している。以前よりは慣れたのかもしれない。だがやはり、かみさんの死は哀しい。哀しみ
かみさんが癌で闘病中のことだった。癌とは診断されたけど、まだ入院する前のことだった。彼女は笑顔で俺に言った。私は幸せだよ…この言葉は、今でも俺の宝物になっている。20年間、一緒に暮らしてきた。二人はいつでも寄り添っていた。この言葉は、俺たち夫婦の「絆」の証
俺より2歳年上の男性がいる。同じ会社の先輩で、俺が管理職になってから3年後、その男性も管理職になったと聞いている。彼と俺とは本社ビルの同じフロアで仕事をしていたことがあり、顔と名前くらいは知っている。だが、同じ部署で仕事をしたことはないため、ほとんど接点
人間は、仕事をするために生きているんじゃない。生きるために仕事をせざるを得ないのだ。かみさんが元気だった頃。俺は生きるために仕事をしてきた。だが、かみさんが亡くなってから、目的と手段が逆転してしまった。俺は今、仕事をするために生きている。だからこそ問うの
かみさんが亡くなった後。周囲の人々の一部が、よく言っていた。せめて子どもがいれば良かったのにねぇ…俺がとても悲しんでいること。俺が慟哭していること。俺が心を病んでしまったこと。精神疾患が原因で会社を休職したこと。そして…俺が“ひとりぼっち”になってしまっ
かみさんと俺は、いつも語り合っていた。死ぬときは、二人一緒が良いよね…そうは言うものの、俺は多分、自分が先に死ぬだろう…と思っていた。女性のほうが、男性より平均寿命が長いからだ。だが…かみさんが癌になってしまった。とても進行の速い癌だった。かみさんは俺を
かみさんが元気だった頃。毎年の夏休み、俺たち夫婦は海外を旅行した。会社からは5日間の夏季休暇が与えられる。7月から9月までの間のどこかの週で、月曜日から金曜日までを休みにすると、土日を入れて9連休になる。その9連休を海外でゆったり過ごすのだ。どこの国に行
物心がついたばかりの幼少期。俺の実家の近所に仲の良い夫婦(Kさん夫妻)がいた。俺は不思議だった。Kさん夫妻は、とても似ていたからだ。夫婦である以上、血はつながっていない。それなのに、何故こんなに似ているのだろうか。一方、俺の両親は似ても似つかない。似てい
かみさんと俺は、散歩が大好きだった。俺が休日出勤をしなくてよい土曜日。雨が降っていない土曜日。二人のどちらかの体調が悪くない土曜日。毎週土曜日のたび、俺たち夫婦は散歩ばかりしていた。6時間から7時間もブラブラ歩いていた。目的地も決めずにブラブラ歩いていた
かみさんは、俺の妻だった。かみさんは、俺のいちばんの親友だった。かみさんは、俺の母であり、姉だった。かみさんは、俺の娘であり、妹だった。そうだ。かみさんは、俺のすべてだったのだ。かみさんが死んだ。俺は「すべて」を失った。妻がいなくなり、いちばんの親友もい
頑張れば、どうにかなる…というものではない。どんなに沢山の障害があろうとも、どんなに大きな山があろうとも、頑張れば乗り越えられる…というものではない。だが、この世界には「根性論」だけで全てが解決すると思っている者がいる。数年前のこと。俺は会社でのプレゼン
かみさんが亡くなってから。俺は何度も同じような夢を見ている。全く同じ夢というわけではないのだが、似たようなストーリーの夢を頻繁に見ている。その夢を見て目覚めた朝は、いつだって切なくて、やるせない。心の底から求めているにも関わらず、その希望は絶対にかなわな
7月の3連休。俺は久しぶりに断酒した。自分の健康を気遣ったわけではない。断酒の理由を聞かれても、答えは見つからない。あえて言えば、酒を飲みたくならなかったのだ。いつもとは違い、身体が軽かった。何もやる気がない…という気分にもならなかった。3連休の1日目。
かみさんを亡くして最初の数年。俺に寄り添ってくれる人たちがいた。俺の言葉に耳を傾けてくれる人たちもいた。これ以上、俺を傷つけないように気を配り、選びに選んだ言葉を掛けてくれる人たちもいた。だが、そんな優しい人々ばかりに囲まれていたわけではない。世界はあま
かみさんが元気だった頃。俺と世界との間は、とても滑らかだった。俺は世界を受け入れていた。世界も俺を受け入れてくれた。まるで真綿でくるまれているかのように、世界は俺にとって、居心地の良い場所だったはずなんだ。それなのに…かみさんが死んじゃった。そのとき以来
かみさんが元気だった頃。毎週土曜日には夫婦二人で散歩に行った。健康のためというのではない。体力づくりのためというのでもない。かみさんと俺は、他愛のない会話を交わしつつ、周囲の風景を眺めながら、気ままな散歩をしていたのだ。あの頃、俺たち夫婦は「ゆっくり、の
かみさんが元気だった頃。俺は基本的に楽観的な人間だった。辛いことは沢山あった。苦しいことも沢山あった。悔しいことも沢山あった。だが、いつだって「どうにかなるさ」と希望を失うことはなかった。事実、いつだって「どうにかなっていた」のだ。俺が「どうにかなるさ」
朝、目が覚める。まだ目を開けてはいないが、意識はハッキリしつつある。そんな瞬間、眠っている間に忘れていたことが、意識の中に上ってくる。あ、そうだっけ。容ちゃんは死んじゃったんだっけ…もう俺の家族はいないんだ。俺は“ひとりぼっち”になっちゃったんだ。思い出
7月2日以降、毎晩ほとんど眠れない。もともと睡眠障害はあるのだが、それが悪化しているらしい。睡眠導入剤を飲んでから布団に入る。だが、まったく寝付ける気配がない。日付が変わった頃にはウトウトするのだが、30分程度で目が覚めてしまう。しばらくすると、眠りに落ちる
伴侶を亡くしてしまえば、誰だって悲しかろう。伴侶のいない余生を過ごしていかざるを得ないとすれば、誰だって哀しかろう。体力が尽きていようと、意識が朦朧としていようと、死別直後の数年間、遺族たちは悲しくて慟哭する。自分の意思とは無関係に、悲しみが内側から噴き
身体がダルい。歩くことはもちろん、立ち上がることさえシンドイことも少なくない。全身が痛む。あちこちの骨と筋肉とが悲鳴をあげている。俺の身体が徐々に崩れていく。それは「あの日」から、ある程度は予想していたことだ。死ぬこと自体は怖くない。かみさんの生前は怖か
かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。俺の中に希死念慮が生まれた。そこには、いくつもの理由があった。強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。
週末はずっと布団の中にいた。身体が半端じゃなくダルかったからだ。さらには鬱がひどかったからだ。死にたいと強烈に思った。眠っている間に心臓が止まってしまえばいいと思った。かみさんが亡くなってから。俺はずっと“ひとりぼっち”で生きてきた。だから分かるんだ。か
明日は今日より良い日だろう。もし明日がダメだとしても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。かみさんと出会って以来。俺はそんなふうに思って生きてきた。かみさんの生前。俺は意外と
今朝も早く目が覚めてしまった。時計を見ると、まだ午前4時過ぎだった。せめて5時半くらいまで眠っていたい。だが、最近は暗いうちに目が覚めてしまう。仕方がないので布団の中にいるのだが、心の底から沸き上がる「不快感」に耐えられない。俺は「死にたい… 死にたい…」と
生きてはいても楽しいことがあるわけじゃない。苦しみに耐えても報われるわけじゃない。死んじゃったっていいのだが、自ら命を絶つ度胸もない。仕方がないから生きている。それはとても虚しくて苦痛な日々だ。面白くもないクソみたいな日々だ。そんな俺に対し、せめて子ども
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。最初で最後の抗癌剤治療が行われた日のことだった。かみさんは病室のベッドで眠っていた。俺はベッドの横に置かれた椅子に座り、かみさんの寝顔を見つめていた。かみさんが目を覚ました。そして、かみさんが言った。プーち
毎週の土曜日と日曜日。俺は自宅の中で“ひとりぼっち”だ。会話をする相手はいない。触れあうことのできる相手もいない。まるで世界には、俺しかいないみたいだ。とても寂しい。とても不安だ。溶けて崩れてしまいそうだ。俺は自分を保つため、ウィスキーに手を伸ばす。ちび
ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。ごく最近のことだ。俺がテレビを見ていたら、出演者が言っていた。夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。俺は愕然とした。言っていることに間違いはない。だが、それが夫や妻を亡くした人に