俺と妹は「親ガチャ」に外れた。両親から虐待されて育ってきた。父親は酔っ払うと俺を殴った。母親は言葉の暴力で俺たちの自尊心を破壊した。おかげで俺は、人間が大嫌いになった。人間に対する不信感と恐怖が、俺の言動に大きな悪影響を与えた。父親は俺が高校生のときに死
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
かみさんが亡くなってからの数年間。俺は自分の喪失感を表現するための言葉を持ち合わせていなかった。悲しみがあまりにも激しくて、それを伝えられるだけの適切な語彙が見当たらなかったのだ。悲しい。寂しい。周囲の世界に現実感がない。離人感が苦しい。さまざまな言葉を
かみさんの夢を見た。毎晩のように夢は見るのだが、かみさんの夢を見るのは久しぶりだった。俺はかみさんと待ち合わせをしていた。どこかの空港の中だった。二人が落ち合って、同じ飛行機に乗って、どこかに行く様子だった。だが、待ち合わせの場所に行ったのに、かみさんの
先日、ブログに書いたとおり、義母や二人の義弟から、「ゴールデンウィークは北海道に遊びにおいで」、「ひとりぼっちで家にいないで北海道においで」と声を掛けてもらった。だが、仕事がクソ忙しくて心身ともに疲労が溜まっており、俺は6~7時間も掛けて北海道に行くこと
心が重たい。情けなくて涙が出そうになる。身体がダルい。立っているのも辛いぐらいだ。たっぷり眠ったはずなのに、心身の疲れが取れていないのだ。寝床に就く直前。俺は時計を見る。すると「今日は6時間は眠れるな…」だとか、「今晩は7時間も眠れるのか…」と考える。眠
今日は令和5年4月26日だ。4月26日は、かみさんが癌だと診断された日だ。あの日以来、4月26日は俺にとって忘れることのできない日付になった。それはそうだろう。かみさんと俺が、地獄の井戸の底を覗いた日なのだ。毎年4月26日には、フラッシュバックに苦しめられる。かみさん
朝目覚める直前だった。いつものように、俺は悪夢を見ていた。仕事がクソ忙しいせいだ。毎朝見るのは仕事に追い詰められている夢なのだ。4月24日の月曜日。目覚めた後の気分は最悪だ。会社に行きたくないと思った。かみさんの仏壇の前に座り込み、朝から酒を飲んで現実逃避し
熟睡することができない。眠っている間は意識がないにも関わらず、心のどこかがザワザワしている。目覚めた直後の気分は、いつだって最悪だ。イヤな夢を見ていたようだが、どんな夢だったのかは思い出すことができない。かみさんが亡くなってから。俺は安心して眠ることがで
何度でも同じことを言う。俺は目が覚める瞬間が大嫌いだ。かみさんが亡くなってから最初の数年間。朝目覚めると、俺は周囲を見回してかみさんを探した。あれ? なんで容ちゃんがいないんだろう…疑問を抱いた次の瞬間だった。俺は気がついた。あぁ、そうだっけ…容ちゃんは死
昨晩は少しばかり早く帰宅できた。溜まった疲れを取るために、俺は早めに寝床に就いた。時間は夜の10時頃だった。朝までグッスリ眠れたら、少しは元気を取り戻すことができるだろう。だが、夜中に何度も目が覚めてしまった。睡眠導入剤を飲んだのに、2時間ほどで目覚めてし
ここ数日。ブログの記事が、愚痴ばかりになっている。仕事が忙しすぎて、ストレスが溜まっているせいだろう。身体には疲労が蓄積している。全身が重たい。呼吸が荒い。しかも、今朝からは胃が痛む。精神にも疲労が蓄積している。いつでも緊張感が抜けない。気が重い。数ヶ月
昨日の記事に書いたとおり、アフターコロナに入ったからだろうか。いくらなんでも、やらなきゃならないことが多すぎる。目の前に大きな山があり、それを越えなければならない。精神を磨り減らし、肉体を酷使して、ようやく大きな山を越えることができる。その後は少しばかり
3年間に渡るコロナ禍で、さまざまなモノが停滞していた。自粛だの、休止だの、時短だの、縮小だのという言葉を飽きるほど聞かされた。だが、今年に入って世間の空気が変わった。もはや第9波は来ないと思われている。コロナと共存していく日々が訪れたようだ。しかし、良い
生きていれば、さまざまな環境の変化を経験する。進学したり、クラス替えがあったり、卒業したりするだろう。社会人になって、異動を経験したり、転勤したりもするだろう。新しい友だちができたり、恋人ができたり、あるいは結婚したりもするだろう。これらの大きな変化だけ
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦には夢があった。目標もあったし、希望もあった。もちろん「今ここ」は幸せだった。だが、未来はもっと明るいと信じていた。明るく楽しい未来を実現するため、かみさんと俺は前向きに生きていた。明るい未来の中には、俺たち二人の「死」
現在4月15日の午前8時13分。いつもとは違い、自宅のリビングでウィスキーを飲みながら、ブログの記事を書いている。身体がダルくて仕方がない。おかげで気分も落ちている。そのうえ頭がボンヤリしている。老化のせいだろうか。それとも肝機能が低下しているせいだろうか。理
俺の部下の中に70歳前後の人が4人いる。いずれも正社員ではなく、非常勤の嘱託さんだ。そのうち3人のAさん、Bさん、Cさんは女性。あと1人は男性のXさんだ。先日、俺が会議で席を外していたときのこと。Xさんは仕事上の間違いをAさんから指摘された。AさんはXさん
何故だろう。ここ最近、いつでも緊張している。目が覚めても光を見るのがイヤで、ジッと目を閉じている。心がいつでもザワザワしている。情けない気持ちになって泣きたくなってしまう。ときおり死にたくなってしまう。何か悪いことが起きるんじゃないだろうか。何か辛い思い
俺はすっかり荒んでしまった。かみさんがいなくなり、“ひとりぼっち”の余生が長引くにつれて、俺はすっかり刺々しくなってしまった。普段は「明るく元気な課長さん」を演じているものの、心の中には疑心暗鬼や人間不信、憎悪や攻撃性が隠れている。それらは次第に密度が高
1日は24時間だ。これを3で割ってみる。すると8時間が3つできる。3つの8時間は、仕事をしている8時間、眠っている8時間、そして、自由に過ごすための8時間に分けられる。これは“おおざっぱ”な分類で、実際には8時間以上、仕事をしていたり、6時間しか眠れない
かみさんが元気だった頃。いちばん落ち着ける場所は自宅の中だった。かみさんが俺の隣にいて、かみさんのおしゃべりを聞き、かみさんが笑っているとき、俺は最も落ち着くことができた。なんの不安や脅威もなかった。とても穏やかで、とてもリラックスしていた。だが、今は違
グリーフワークだとか、グリーフプロセスという言葉がある。そこでは、伴侶やお子さんと死別してから、どのような心理的過程をたどり、どのように悲嘆から立ち直っていくかが示されている。だいたい3年から5年くらいで立ち直るのが「普通」であるとされている。そのせいか
それは確か、「あの日」からだったと記憶している。かみさんが癌だと診断された日だ。あの日から、俺たち夫婦は同じ想いを抱いていた。自分たち二人だけが、世間から「取り残されてしまった…」という感覚だ。空間と時間のいずれもが、かみさんと俺を置き去りにして遠のいて
年度始めの一週間が終わった。環境の変化に緊張しているらしく、疲労感が半端じゃない。まだ新しい部下たちにも慣れていない。だが、部下たちだって俺に慣れてはいないだろう。仕事に関わる報告や連絡、相談は頻繁にあるのだが、この一週間、雑談する機会は少なかった。自宅
身体に障害を持つ人々がいる。あるいは怪我をしていたり、癌などの病気で苦しむ人々がいる。彼らに対し、周囲は優しい。援助をしたり、配慮をしたり、共感や同情をしたりする。彼らが抱えているハンディキャップは、周囲の人々の五感(とりわけ視覚や聴覚)で捉えることがで
この世界は不条理だ。この世界は理不尽だ。運命はあまりに残酷だ。俺は十分に苦しんで生きてきた。妹とともに、両親から虐待を受けて育ったのだ。その結果、自尊心を破壊された。ある時期までは社会に適応できず、いつだって排除される側の人間だった。そうだ。俺はずっと苦
年度末から年度始めに掛けて。ツラい日々が続いている。身体のあちこちがギシギシと痛んでいる。心は折れそうで、逃げ出したくて仕方がない。だが、ギリギリのところでヤセ我慢をしているのだ。この時期にストレスに曝されるのは、俺に限ったことではない。サラリーマンなら
ピアニストで音楽家の坂本龍一さんが亡くなった。死因は直腸ガンだったらしい。ほんの少し前、一緒にYMOで活動していた高橋幸宏さんも亡くなった。かみさんは、お二人の音楽が大好きだった。小学生の頃から好きだったらしい。数年前には、若い女優さん(歌舞伎役者の元奥
仕事が終わって退社をすると、あらゆる人々との関係が切れてしまう。他愛のない会話をする相手は誰もいない。一緒に笑うことのできる相手も誰もいない。これは本物の孤独だ。街中や地下鉄の中には大勢の人がいるけれど、彼らは俺とは無関係だ。俺の歩行を邪魔する障害物にす
俺は1日に何度も呟いている。帰りたいな…と小声で呟いている。かみさんが亡くなってから、ずっと呟き続けているのだ。もちろん誰かに聞かれてしまったことはない。周囲に人がいないとき。俺が‘ひとりぼっち’になったとき。俺はタメ息をつきながら、「帰りたいな…」と呟
ずっと楽チンに生きてきた人々がいる。ずっと思い通りに生きてきた人々がいる。ずっと自分の「やらなければならないこと」の範囲を限定的に捉えてきた人々がいる。彼らや彼女らは、何もかもが自分の思い通りにならないと気が済まない。当然、何もかもが思い通りになるはずは
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俺と妹は「親ガチャ」に外れた。両親から虐待されて育ってきた。父親は酔っ払うと俺を殴った。母親は言葉の暴力で俺たちの自尊心を破壊した。おかげで俺は、人間が大嫌いになった。人間に対する不信感と恐怖が、俺の言動に大きな悪影響を与えた。父親は俺が高校生のときに死
3連休が近づいている。どうやら猛暑日の3連休になるらしい。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は連休が大好きだった。連休が迫ってくると、かみさんと俺の気分は高揚した。連休中は、夫婦二人で旅行をしたり、散歩をしたり、映画を観に行ったりして過ごしていた。本当に
かみさんが亡くなった。俺はたった一人の大切な家族を喪った。俺は“ひとりぼっち”になった。俺は孤独になった。最近、孤独死する人が増えている。高齢者ばかりではなく、40~50歳代でも孤独死する人が多くなっているそうだ。失業して社会から孤立してしまった人々。もとも
俺はかみさんに愛されていた。かみさんは俺を精一杯、愛してくれた。そこに疑いを挟む余地はない。だが一方で…かみさんは俺に愛されていると感じていただろうか。俺のかみさんへの想いを疑ったことはないだろうか。時折かみさんに聞いてみたくなる。しかし…かみさんは俺の
全国的に見ると、お盆の行事は旧盆の8月に行われることが多い。一方で、新盆の7月に行われる地域もある。東京では、7月にお盆の法要を行うお寺が多いらしい。7月13日の日曜日。俺は菩提寺に向かった。盂蘭盆会の法要に参加するためだ。20日ほど前にも墓参りに行ったので、
なぜだか疲れてしまった。とりわけ「心」というか、「精神」が疲れてしまった。仕事が忙しく、やらなきゃならないことが沢山あるからだ。また、気温も湿度もあまりに高く、不快な日々が続いているからだ。新型コロナウイルス感染症が収束したにも関わらず、少子化だの、人口
俺は先日、部下の一人(女性)から言われた。課長って生活感がないですよね~俺は忙しかったので、「あ~、そう?」と応えただけだった。だが、その瞬間、違和感を覚えたことも事実だ。生活感がないなんて、生まれて初めて言われたからかもしれない。しかし、それだけではな
毎朝5時半くらいに目が覚める。俺はかみさんの仏前に座る。お供えをして、線香をあげる。しばしの間、俺はかみさんの遺影を見つめる。哀しいような、淋しいような気持ちになる。俺はバルコニーに出て日光を浴びる。それでも交感神経のスイッチが入らない。あきらめてリビン
7月8日の夜から7月9日の朝にかけてのこと。俺はかみさんの夢を見た。決して幸せな夢ではない。癒されるような夢でもない。とても切なくなるような、とても不安になるような夢だった。俺は自宅にいた。かみさんは友だちの家に遊びに行っていた。夜遅くになったが、かみさんは
俺がかみさんと出会ってから、かみさんが癌だと診断される日までの約20年間のことだ。俺たち夫婦は無敵だった。かみさんと俺とは全知全能だった。二人にとって、この世はコントロール可能な世界だった。何もかもが思いどおり、願いどおりに動いていった。もちろんツラいこ
毎朝5時半くらいに目が覚める。その瞬間、「あぁそうか… かみさんはいないんだっけ…」と思う。朝が来るたびに、かみさんの不在を再確認している。朝が来るたびに、俺は死別を追体験している。以前よりは慣れたのかもしれない。だがやはり、かみさんの死は哀しい。哀しみ
かみさんが癌で闘病中のことだった。癌とは診断されたけど、まだ入院する前のことだった。彼女は笑顔で俺に言った。私は幸せだよ…この言葉は、今でも俺の宝物になっている。20年間、一緒に暮らしてきた。二人はいつでも寄り添っていた。この言葉は、俺たち夫婦の「絆」の証
俺より2歳年上の男性がいる。同じ会社の先輩で、俺が管理職になってから3年後、その男性も管理職になったと聞いている。彼と俺とは本社ビルの同じフロアで仕事をしていたことがあり、顔と名前くらいは知っている。だが、同じ部署で仕事をしたことはないため、ほとんど接点
人間は、仕事をするために生きているんじゃない。生きるために仕事をせざるを得ないのだ。かみさんが元気だった頃。俺は生きるために仕事をしてきた。だが、かみさんが亡くなってから、目的と手段が逆転してしまった。俺は今、仕事をするために生きている。だからこそ問うの
かみさんが亡くなった後。周囲の人々の一部が、よく言っていた。せめて子どもがいれば良かったのにねぇ…俺がとても悲しんでいること。俺が慟哭していること。俺が心を病んでしまったこと。精神疾患が原因で会社を休職したこと。そして…俺が“ひとりぼっち”になってしまっ
かみさんと俺は、いつも語り合っていた。死ぬときは、二人一緒が良いよね…そうは言うものの、俺は多分、自分が先に死ぬだろう…と思っていた。女性のほうが、男性より平均寿命が長いからだ。だが…かみさんが癌になってしまった。とても進行の速い癌だった。かみさんは俺を
かみさんが元気だった頃。毎年の夏休み、俺たち夫婦は海外を旅行した。会社からは5日間の夏季休暇が与えられる。7月から9月までの間のどこかの週で、月曜日から金曜日までを休みにすると、土日を入れて9連休になる。その9連休を海外でゆったり過ごすのだ。どこの国に行
物心がついたばかりの幼少期。俺の実家の近所に仲の良い夫婦(Kさん夫妻)がいた。俺は不思議だった。Kさん夫妻は、とても似ていたからだ。夫婦である以上、血はつながっていない。それなのに、何故こんなに似ているのだろうか。一方、俺の両親は似ても似つかない。似てい
かみさんと俺は、散歩が大好きだった。俺が休日出勤をしなくてよい土曜日。雨が降っていない土曜日。二人のどちらかの体調が悪くない土曜日。毎週土曜日のたび、俺たち夫婦は散歩ばかりしていた。6時間から7時間もブラブラ歩いていた。目的地も決めずにブラブラ歩いていた
かみさんが亡くなってから。俺は毎日、泣いていた(と言うより“哭いていた”)。あまりにも強烈で激しい悲嘆に、俺の心が耐えられなかったのだ。そんな日々が、2年から2年半ほど続いたと記憶している。それを過ぎた頃、ようやく俺は、毎日泣くことがなくなった。ときおり
頑張れば、どうにかなる…というものではない。どんなに沢山の障害があろうとも、どんなに大きな山があろうとも、頑張れば乗り越えられる…というものではない。だが、この世界には「根性論」だけで全てが解決すると思っている者がいる。数年前のこと。俺は会社でのプレゼン
かみさんが亡くなってから。俺は何度も同じような夢を見ている。全く同じ夢というわけではないのだが、似たようなストーリーの夢を頻繁に見ている。その夢を見て目覚めた朝は、いつだって切なくて、やるせない。心の底から求めているにも関わらず、その希望は絶対にかなわな
7月の3連休。俺は久しぶりに断酒した。自分の健康を気遣ったわけではない。断酒の理由を聞かれても、答えは見つからない。あえて言えば、酒を飲みたくならなかったのだ。いつもとは違い、身体が軽かった。何もやる気がない…という気分にもならなかった。3連休の1日目。
かみさんを亡くして最初の数年。俺に寄り添ってくれる人たちがいた。俺の言葉に耳を傾けてくれる人たちもいた。これ以上、俺を傷つけないように気を配り、選びに選んだ言葉を掛けてくれる人たちもいた。だが、そんな優しい人々ばかりに囲まれていたわけではない。世界はあま
かみさんが元気だった頃。俺と世界との間は、とても滑らかだった。俺は世界を受け入れていた。世界も俺を受け入れてくれた。まるで真綿でくるまれているかのように、世界は俺にとって、居心地の良い場所だったはずなんだ。それなのに…かみさんが死んじゃった。そのとき以来
かみさんが元気だった頃。毎週土曜日には夫婦二人で散歩に行った。健康のためというのではない。体力づくりのためというのでもない。かみさんと俺は、他愛のない会話を交わしつつ、周囲の風景を眺めながら、気ままな散歩をしていたのだ。あの頃、俺たち夫婦は「ゆっくり、の
かみさんが元気だった頃。俺は基本的に楽観的な人間だった。辛いことは沢山あった。苦しいことも沢山あった。悔しいことも沢山あった。だが、いつだって「どうにかなるさ」と希望を失うことはなかった。事実、いつだって「どうにかなっていた」のだ。俺が「どうにかなるさ」
朝、目が覚める。まだ目を開けてはいないが、意識はハッキリしつつある。そんな瞬間、眠っている間に忘れていたことが、意識の中に上ってくる。あ、そうだっけ。容ちゃんは死んじゃったんだっけ…もう俺の家族はいないんだ。俺は“ひとりぼっち”になっちゃったんだ。思い出
7月2日以降、毎晩ほとんど眠れない。もともと睡眠障害はあるのだが、それが悪化しているらしい。睡眠導入剤を飲んでから布団に入る。だが、まったく寝付ける気配がない。日付が変わった頃にはウトウトするのだが、30分程度で目が覚めてしまう。しばらくすると、眠りに落ちる
伴侶を亡くしてしまえば、誰だって悲しかろう。伴侶のいない余生を過ごしていかざるを得ないとすれば、誰だって哀しかろう。体力が尽きていようと、意識が朦朧としていようと、死別直後の数年間、遺族たちは悲しくて慟哭する。自分の意思とは無関係に、悲しみが内側から噴き
身体がダルい。歩くことはもちろん、立ち上がることさえシンドイことも少なくない。全身が痛む。あちこちの骨と筋肉とが悲鳴をあげている。俺の身体が徐々に崩れていく。それは「あの日」から、ある程度は予想していたことだ。死ぬこと自体は怖くない。かみさんの生前は怖か
かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。俺の中に希死念慮が生まれた。そこには、いくつもの理由があった。強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。
週末はずっと布団の中にいた。身体が半端じゃなくダルかったからだ。さらには鬱がひどかったからだ。死にたいと強烈に思った。眠っている間に心臓が止まってしまえばいいと思った。かみさんが亡くなってから。俺はずっと“ひとりぼっち”で生きてきた。だから分かるんだ。か
明日は今日より良い日だろう。もし明日がダメだとしても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。かみさんと出会って以来。俺はそんなふうに思って生きてきた。かみさんの生前。俺は意外と
今朝も早く目が覚めてしまった。時計を見ると、まだ午前4時過ぎだった。せめて5時半くらいまで眠っていたい。だが、最近は暗いうちに目が覚めてしまう。仕方がないので布団の中にいるのだが、心の底から沸き上がる「不快感」に耐えられない。俺は「死にたい… 死にたい…」と
生きてはいても楽しいことがあるわけじゃない。苦しみに耐えても報われるわけじゃない。死んじゃったっていいのだが、自ら命を絶つ度胸もない。仕方がないから生きている。それはとても虚しくて苦痛な日々だ。面白くもないクソみたいな日々だ。そんな俺に対し、せめて子ども
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。最初で最後の抗癌剤治療が行われた日のことだった。かみさんは病室のベッドで眠っていた。俺はベッドの横に置かれた椅子に座り、かみさんの寝顔を見つめていた。かみさんが目を覚ました。そして、かみさんが言った。プーち
毎週の土曜日と日曜日。俺は自宅の中で“ひとりぼっち”だ。会話をする相手はいない。触れあうことのできる相手もいない。まるで世界には、俺しかいないみたいだ。とても寂しい。とても不安だ。溶けて崩れてしまいそうだ。俺は自分を保つため、ウィスキーに手を伸ばす。ちび
ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。ごく最近のことだ。俺がテレビを見ていたら、出演者が言っていた。夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。俺は愕然とした。言っていることに間違いはない。だが、それが夫や妻を亡くした人に
とっくに諦めていたはずなのに…俺は心の底から思ったのだ。かみさんがいた頃に帰りたい。6月29日の午前3時前。真夜中に目覚めた直後のことだった。哀しかった。淋しかった。心細かった。だが、こればっかりは、どうしようもないのだ。誰かが手を差しのべてくれるわけではな