昨晩のこと。また真夜中に目が覚めた。ここ最近、ずっと中途覚醒が続いている。時計を見ると、まだ午前1時半だった。喉がカラカラに渇いていた。俺は布団から起き上がり、水分を補給するためにスポーツドリンクを飲んだ。俺は周囲を見回した。何も聞こえてこない。空気まで
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
現在9月29日の午前6時28分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。昨晩もかみさんの夢を見た。これで2日連続だ。夢の中。俺はどこかの街を1人で歩いていた。すると高級そうな旅館を見つけた。以前に宿泊したことがある旅館ではない。だが、どこか懐か
現在9月28日の午前6時13分。いつもより早い時間だが、すでに通勤電車の中でブログの記事を書いている。ここ最近、かみさんの夢を見ていなかった。亡くなってから時間が経つにつれ、かみさんの夢を見ることが減っていくのだろう。そんなふうに感じて淋しく思っていた矢先のこ
9月26日の日曜日。俺は睡眠導入剤を飲んで、早めに布団に入った。時刻はまだ夜の9時35分だった。30分ほど本を読んでいたが、いつの間にか眠ってしまった。夜中に目が覚めた。目が覚めた瞬間だった。腹の底から強烈な不安感が噴き出してきた。時刻は午前2時半だった。何故こん
たった一人の家族を亡くす。遺された者は、文字どおりの「ひとりぼっち」になってしまう。亡くなった人と遺族との間の一体感が強ければ、死別によって、遺族は自分の半身を削ぎ落とされてしまうだろう。心にポッカリ大きな穴が開いて、茫然と立ち尽くしてしまうだろう。あま
かみさんが亡くなって以来。俺は会社の健康診断を受けていなかった。いつ死んでも構わない。そう思うほど、俺は自暴自棄だったからだ。だが、昨年度、久しぶりに健康診断を受けた。少しばかり生きる気力を取り戻したのかもしれない。検診の結果は悪かった。重度の高血圧と肝
かみさんの闘病中。俺が心の中で、常に考えていたことがある。それは「かみさんに俺の命を半分あげよう」ということだった。命を半分あげる?そんなことを考えても、決して実現することはない。冷静に考えれば、「命を半分あげる」なんてできるはずがない。だが、かみさんが
たぶん生きることに意味なんて無い。俺に限ったことではなく、人間なんて、みんながそうなんだ。産まれてきてしまった以上、生きるしかないだけのことだ。死への恐怖が本能に組み込まれている以上、自ら命を断つことが難しいだけのことだ。この世に「生」を受けてしまった以
かみさんが元気だった頃。俺は自分がかみさんより早く死ぬと思っていた。また、かみさんも自分のほうが長生きすると信じていた。俺が心配だったことがある。そのうちの一つは「俺が死んだあと、かみさんが困窮してしまうのではないか」ということだった。年金なんかアテにな
かみさんが亡くなってから。それなりの時間が経過した。それにも関わらず、俺はいまだに受け入れることができない。かみさんが死んでしまったこと。かみさんのいない余生。ひとりぼっちで生きていること。その他あらゆることを受け入れることができない。だからだろう。俺は
俺はユダヤ教徒ではないし、キリスト教徒でもない。だから「旧約聖書」には興味がない。それにも関わらず、俺は大学生の時、「旧約聖書」の「ヨブ記」を読んだことがある。かみさんと同棲し始めたばかりのことだった。別にユダヤ教徒やキリスト教徒になろうとしたわけじゃな
俺が今の会社に入った直後のことだ。かみさんが「愛妻弁当」を作ってあげると言ってくれた。その翌日以降、かみさんは毎日のように「愛妻弁当」を持たせてくれた。時には「今日は弁当作るのメンドクサイ(笑)」と言う日もあった。そんな日には「作らなくていいよ」と応えた
2010年4月28日のこと。癌研有明病院の医師は、俺にかみさんの余命を告げた。医師は悲痛な表情を浮かべながら「余命は年単位ではない」と言った。この言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。俺の全身の血液が、頭から足元に下がっていくのを感じた。気が遠くなった。全身が凍えて
現在9月17日の午前6時43分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。昨日の記事に書いたとおり、今の俺はクソみたいに忙しい。明日からの3連休も出勤する見通しだ。かみさんが元気だった頃。俺は休日出勤が頻繁にある部署にいた。平日だって、終電が無く
先日の記事に書いたとおり、俺は断酒を開始した。それ以来、俺は精神的に疲れている。原因は酒を止めたことではないが、断酒を始めたのと同じタイミングで、会社でいろいろ問題が発生したからだ。どんな問題なのかをいちいち書こうとは思わない。ただ、管理職たちは疲弊して
現在9月15日の午前6時28分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。自分を立て直そうとして酒を断ち、10日が経った。おかげで身体が軽い。また、仕事をしていて気づいたが、頭の回転も速くなっている。アルコールがどれほど身体に悪いのか、改めて感じ
1年は、あっという間に過ぎていく。かみさんが亡くなってから今日までの時間も、あっという間に過ぎ去ってしまった。かみさんの死は、遠い過去の出来事ではない。手を伸ばせば届きそうなくらい「ついさっき」のことだ。時間の流れが速すぎるのだ。それなのに、1週間はとて
現在9月13日の午前6時34分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。今朝は午前5時50分に目が覚めた。熱があるわけではない。身体がダルいわけでもない。心が凍えたみたいに寂しいだけだ。誰の姿も見えない。誰の声も聞こえない。そもそも人の気配を感じな
ごく普通の幸せな人々が醸し出している空気。守りたい家族がいて、自分の居場所となる家庭があって、世界は優しく温かいと信じている人々の醸し出している空気。世界はそんな空気で満たされている。その空気は温かくて、柔らかい。それなのに、俺はその空気が疎ましい。刺激
俺は以前、ブログに書いた。一方には、かみさんと暮らした日々の俺の言動がある。もう一方には、かみさんの死という悲しい現実がある。その両者の間に因果関係はない。俺の言動のせいで、かみさんが癌になってしまったわけではないからだ。俺がかみさんを死なせてしまったわ
政治家だとか、企業の経営陣を見ていて気づいたことがある。俺より遥かに年上なのに、将来の夢とか希望を持っているということだ。いずれは総理大臣になりたいだとか、できるだけ長く経営層に留まって、なるべく自分の資産を増やしたいだとか。そういう高齢者たちの「生命力
かみさんが亡くなってしまって悲しいんだ。かみさんがいなくて寂しいんだ。かみさんが死んじゃって可哀想だ。かみさんのことが不憫だ。かみさんがいないのに、生きていても仕方がない。かみさんのいない人生が、虚しくてツマラナイ。こういう暗い感情は、かみさんが亡くなっ
会社で仕事をしていれば、イヤなことやツラいことが山のようにあるものだ。とりわけ入社3年目以降、本社の中枢部門に配属されてからは、ツラいことばっかりだった。また、管理職になってからは、自分の部下たちのツラいことも、俺が背負わなければならないことが少なくない
現在9月7日の午前6時33分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。昨晩のこと。俺は仕事が終わって帰宅した。かみさんに線香をあげて、夜のお供えを済ませた。スーツを脱いで、シャワーを浴びた。その後、夕飯を食った。テレビを見ていたが、つまらない。
かみさんが亡くなってから数か月が経った頃だったと思う。俺の中に希死念慮が生まれた。死にたくなったのだ。かみさんの後を追いたくなったのだ。死ぬこと自体は怖くなかった。だが、痛いのはイヤだったし、苦しいのもイヤだった。だがら俺は酒を飲み続けた。アルコールでジ
眠っている間は目を閉じている。目が覚めれば目を開ける。それらは自然な動作であって、取り立てて話題にするようなことではないだろう。それらの動作を意識したことさえない人が多いに違いない。かみさんが元気だったころ。かみさんは俺の横でスヤスヤと眠っていた。あの頃
土日や祭日であろうとも、俺は早朝5時すぎには起床する。もう少し眠っていたいけど、どうしても目が覚めてしまうのだ。かみさんの仏前に座って線香をあげる。そして、遺影と位牌に視線を落とす。かみさんの表情に変化はない。かみさんの気配を感じるわけでもない。また寂し
明日は今日より良い日だろう。もし明日がダメだとしても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。かみさんと出会って以来。俺はそんなふうに思って生きてきた。かみさんの生前。俺は意外と
また夜中に目が覚めてしまった。一回目は午前0時すぎ、二回目は午前3時すぎ、三回目は午前4時ごろだった。目覚めるたびに思った。イヤだな…と思った。いつもなら、午前6時半前後に通勤電車の中にいる。そしてブログの記事を書いている。だが、実はそんなに早く出勤しな
早朝4時すぎに目が覚めた。その瞬間、心が折れてしまった。あ~、ダメだ…と思った。時折こういうことがある。かみさんがいた頃は無かったことだ。出勤するには、まだ早い。なので俺は、布団の中に潜っていた。少し眠れたら、気分が変わるかもしれないと思っていた。だが、
人間にとって、伴侶は大切な存在だ。また、子どもも大事な存在だ。伴侶や子どものことならば、自分を犠牲にしても守ろうとするに違いない。だが、人間という生き物は、家族以外の第三者に対してならば、いくらでも残忍になることができる。それもまた、人間という動物の実態
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昨晩のこと。また真夜中に目が覚めた。ここ最近、ずっと中途覚醒が続いている。時計を見ると、まだ午前1時半だった。喉がカラカラに渇いていた。俺は布団から起き上がり、水分を補給するためにスポーツドリンクを飲んだ。俺は周囲を見回した。何も聞こえてこない。空気まで
先週から全く疲れが抜けていない。ダルくてダルくて仕方がない。土日にゆっくり身体を休めれば、疲れも取れるだろう…と思っていた。眠れない日々が続いていたので、土日はたっぷり眠ることができた。それなのに、月曜日の朝になっても疲れは取れていなかった。ここ最近の傾
最愛の人が息を引き取ったあと。遺族の心の中は、カラッポなくせに、混乱してもいる。悲しみや絶望が襲いかかってくるけれど、自ら考えたり行動したりするエネルギーは残されていない。そんな心理状態のときは、ひとりぼっちになって、ひたすら悲しみたいはずだ。すべての責
年度の初めから仕事に追われている。メチャクチャ忙しくて疲れきってしまった。虚しい。馬鹿みたいだ。一生懸命に仕事に勤しむ自分が滑稽だ。いったい俺は、何のために頑張っているんだろう?いったい俺は、誰のために頑張っているんだろう?・・・今の会社に入って最初の2年
昨日の記事にも書いたとおり、ここ最近、疲労が溜まっている。いくら眠っても、疲れが取れない。そもそも、あまり眠ることができない。おかげで身体がダルくて仕方がない。心は深く沈み込んでいる。なぜ熟睡できないのだろうか。なぜ疲れが取れないのだろうか。心も身体も錆
最近、疲労が溜まっている。いくら眠っても、疲れが取れないのだ。どうやら睡眠の質が悪いらしい。かみさんが亡くなって以来。俺は「睡眠障害」になり、毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。そのため寝つきは悪くない。だが、真夜中の2時には目が覚めて、その後はほとんど眠れな
世の中には変な奴がいる。相手を罵倒して脅迫すれば、何でも思いどおりになると思っている奴。しつこく相手に粘着すれば、相手が根負けして自分のワガママが通ると思っている奴。相手が言ってもいないことを、さも言ったかのように装おって、被害者ヅラをする奴。自分が加害
かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなってからと。比べてみれば、どちらにも辛くて苦しいことが多かった。とりわけ仕事に関しては、入社した3年目の4月から、ずっと辛くて苦しかった。だが、かみさんと一緒に暮らしていた頃は、辛いことも「辛い」と感じていなかっ
朝目覚めた瞬間。深い鬱(うつ)を感じることがある。目を開けたくない。布団から出たくない。会社に行きたくない。もう何もかもがイヤになってしまうのだ。ウィスキーでも飲めば、少しは気が晴れるのかもしれない。だが、出勤する前に酒に酔うわけにもいくまい。代わりに抗
何かが足りない。何かが決定的に欠け落ちている。その欠落の正体は、俺にも分からない。正体が不明なくせに、存在感だけはやたらと大きい。真っ黒で、真っ暗な空洞だ。巨大な質量を持ち、巨大な重力を持った穴だ。この穴は、周囲の人々からエネルギーを剥ぎ取り、全てを吸い
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。ある日、かみさんが泣きじゃくりながら叫んだ。「プーちゃんを遺して死ぬのは嫌だ!」かみさんは死にたくないと言ったのではない。死ぬのが怖いと言ったのでもない。俺を遺して死にたくない。そう言ったのだ。・・・かみさ
先日の記事に書いたとおり、俺はギックリ腰になってしまった。普通は2週間程度で治るらしいが、いまだに痛みが治まらない。会社を休んで安静にしていたい。だが、仕事が忙しくて休むわけにはいかない。仕方がないので、腰にコルセットを巻いて、毎日フラフラになりながら出
かみさんが亡くなってから数日後のことだった。ある親族が、嘆き悲しんでいる俺を見て言っていた。これからだって、生きてれば良いこともあるよ~その親族はヘラヘラと笑っていた。理由は分からない。その親族の予想は大きく外れた。かみさんが亡くなって以来。俺の人生は悪
かみさんと俺は、仲の良い夫婦だったと思う。俺たち二人が思っていただけではない。かみさんの親族、かみさんや俺の友人・知人からも「仲の良い夫婦」と言われていた。かみさんが入院していた時も、看護師さんたちから「仲が良いですね」と言われていた。さらには、かみさん
かみさんが元気だった頃、俺は死ぬのが怖かった。とは言っても、人一倍、死を怖がっていたわけじゃない。誰もが死を恐れている、その程度に怖かっただけ、人並みに死が怖かっただけだ。四六時中、死について考えていたわけではないし、死に怯えていたわけでもない。いつかは
今年に入ってから調子が悪い。それまでも決して良くはなかったが、ますます悪くなっているようだ。先日の記事に書いた通り、ギックリ腰の影響もあるのかもしれない。仕事がうまくいかないというわけではない。大切な人間関係が壊れたというわけでもない。調子が悪いのは、俺
いちばんツラいのは、目が覚めた瞬間だ。最も不快で、最も破壊的な気分になるのは、目が覚めた瞬間だ。もう一度、意識を失いたくなる。意識を無くせば、何も考えずに済むし、何も感じなくて済むからだ。だが、十分に眠ってしまった後だ。もう一度、眠ろうとしても眠れたもん
自分の身体が疎ましい。自分の意識が疎ましい。自分の心が疎ましい。生きてることが苦痛だ。俺の人生、終わってしまった。うまくいかないことばっかりだ。自分の意思や責任と無関係なところで、いろんな問題が発生する。生きてることが、こんなに苦しくて、つらいことだった
世の中は、いつだって不条理で、不合理だ。大罪を犯した人間であっても、その罪が法律に抵触するものでなければ、誰からも罰せられることはない。他人を傷つけ、他人から奪い、他人を踏み台にする罪人たち。しかも、それらの行為に快感や悦楽を感じているような、異常な精神
先日テレビを見ていたら、札幌市北区の「新琴似」にある霊園が映っていた。霊園にやって来たのは4人家族。夫と妻、2人の子どもだ。4人とも笑顔で墓参りをしていた。4人は墓の前で手を合わせていたが、その表情は明るい笑顔だった。・・・かみさんの生前、かみさんと俺は、何
熟睡することができない。眠っている間は意識がないにも関わらず、心のどこかがザワザワしている。目覚めた直後の気分は、いつだって最悪だ。イヤな夢を見ていたようだが、どんな夢だったのかは思い出すことができない。かみさんが亡くなってから。俺は安心して眠ることがで
何度でも同じことを言う。俺は目が覚める瞬間が大嫌いだ。かみさんが亡くなってから最初の数年間。朝目覚めると、俺は周囲を見回してかみさんを探した。あれ? なんで容ちゃんがいないんだろう…疑問を抱いた次の瞬間だった。俺は気がついた。あぁ、そうだっけ…容ちゃんは死
昨晩は少しばかり早く帰宅できた。溜まった疲れを取るために、俺は早めに寝床に就いた。時間は夜の10時頃だった。朝までグッスリ眠れたら、少しは元気を取り戻すことができるだろう。だが、夜中に何度も目が覚めてしまった。睡眠導入剤を飲んだのに、2時間ほどで目覚めてし
ここ数日。ブログの記事が、愚痴ばかりになっている。仕事が忙しすぎて、ストレスが溜まっているせいだろう。身体には疲労が蓄積している。全身が重たい。呼吸が荒い。しかも、今朝からは胃が痛む。精神にも疲労が蓄積している。いつでも緊張感が抜けない。気が重い。数ヶ月
昨日の記事に書いたとおり、アフターコロナに入ったからだろうか。いくらなんでも、やらなきゃならないことが多すぎる。目の前に大きな山があり、それを越えなければならない。精神を磨り減らし、肉体を酷使して、ようやく大きな山を越えることができる。その後は少しばかり
3年間に渡るコロナ禍で、さまざまなモノが停滞していた。自粛だの、休止だの、時短だの、縮小だのという言葉を飽きるほど聞かされた。だが、今年に入って世間の空気が変わった。もはや第9波は来ないと思われている。コロナと共存していく日々が訪れたようだ。しかし、良い
生きていれば、さまざまな環境の変化を経験する。進学したり、クラス替えがあったり、卒業したりするだろう。社会人になって、異動を経験したり、転勤したりもするだろう。新しい友だちができたり、恋人ができたり、あるいは結婚したりもするだろう。これらの大きな変化だけ
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦には夢があった。目標もあったし、希望もあった。もちろん「今ここ」は幸せだった。だが、未来はもっと明るいと信じていた。明るく楽しい未来を実現するため、かみさんと俺は前向きに生きていた。明るい未来の中には、俺たち二人の「死」
現在4月15日の午前8時13分。いつもとは違い、自宅のリビングでウィスキーを飲みながら、ブログの記事を書いている。身体がダルくて仕方がない。おかげで気分も落ちている。そのうえ頭がボンヤリしている。老化のせいだろうか。それとも肝機能が低下しているせいだろうか。理
俺の部下の中に70歳前後の人が4人いる。いずれも正社員ではなく、非常勤の嘱託さんだ。そのうち3人のAさん、Bさん、Cさんは女性。あと1人は男性のXさんだ。先日、俺が会議で席を外していたときのこと。Xさんは仕事上の間違いをAさんから指摘された。AさんはXさん
何故だろう。ここ最近、いつでも緊張している。目が覚めても光を見るのがイヤで、ジッと目を閉じている。心がいつでもザワザワしている。情けない気持ちになって泣きたくなってしまう。ときおり死にたくなってしまう。何か悪いことが起きるんじゃないだろうか。何か辛い思い
俺はすっかり荒んでしまった。かみさんがいなくなり、“ひとりぼっち”の余生が長引くにつれて、俺はすっかり刺々しくなってしまった。普段は「明るく元気な課長さん」を演じているものの、心の中には疑心暗鬼や人間不信、憎悪や攻撃性が隠れている。それらは次第に密度が高
1日は24時間だ。これを3で割ってみる。すると8時間が3つできる。3つの8時間は、仕事をしている8時間、眠っている8時間、そして、自由に過ごすための8時間に分けられる。これは“おおざっぱ”な分類で、実際には8時間以上、仕事をしていたり、6時間しか眠れない
かみさんが元気だった頃。いちばん落ち着ける場所は自宅の中だった。かみさんが俺の隣にいて、かみさんのおしゃべりを聞き、かみさんが笑っているとき、俺は最も落ち着くことができた。なんの不安や脅威もなかった。とても穏やかで、とてもリラックスしていた。だが、今は違
グリーフワークだとか、グリーフプロセスという言葉がある。そこでは、伴侶やお子さんと死別してから、どのような心理的過程をたどり、どのように悲嘆から立ち直っていくかが示されている。だいたい3年から5年くらいで立ち直るのが「普通」であるとされている。そのせいか
それは確か、「あの日」からだったと記憶している。かみさんが癌だと診断された日だ。あの日から、俺たち夫婦は同じ想いを抱いていた。自分たち二人だけが、世間から「取り残されてしまった…」という感覚だ。空間と時間のいずれもが、かみさんと俺を置き去りにして遠のいて
年度始めの一週間が終わった。環境の変化に緊張しているらしく、疲労感が半端じゃない。まだ新しい部下たちにも慣れていない。だが、部下たちだって俺に慣れてはいないだろう。仕事に関わる報告や連絡、相談は頻繁にあるのだが、この一週間、雑談する機会は少なかった。自宅
身体に障害を持つ人々がいる。あるいは怪我をしていたり、癌などの病気で苦しむ人々がいる。彼らに対し、周囲は優しい。援助をしたり、配慮をしたり、共感や同情をしたりする。彼らが抱えているハンディキャップは、周囲の人々の五感(とりわけ視覚や聴覚)で捉えることがで
この世界は不条理だ。この世界は理不尽だ。運命はあまりに残酷だ。俺は十分に苦しんで生きてきた。妹とともに、両親から虐待を受けて育ったのだ。その結果、自尊心を破壊された。ある時期までは社会に適応できず、いつだって排除される側の人間だった。そうだ。俺はずっと苦
年度末から年度始めに掛けて。ツラい日々が続いている。身体のあちこちがギシギシと痛んでいる。心は折れそうで、逃げ出したくて仕方がない。だが、ギリギリのところでヤセ我慢をしているのだ。この時期にストレスに曝されるのは、俺に限ったことではない。サラリーマンなら