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自分のなかに光があることを忘れないでただひたすら神をしたいなさい神をしたいなさい
やさしい心になり朗らかな気持ちになるおだやかな気持ちになりしずかな気持ちになるこういうとき人間は光にみちています光にみちた人間
自由になるために人間は生きているのでありますそれはどういう自由かというとこの世の一切のとらわれ不安恐怖それらから脱して明るく朗らかな神の生命(いのち)へと合流し遂に一体になるために生きているのでありますもともと私どもは神から分かれてきた存在分生命(わけいのち)分霊(わけみたま)でありますからこうした永遠の生命の流れのなかに入るということはつまりはふるさとにかえることに他ならないのでありますけれども私どもは本来自由であり朗らかであった自分自身というものをこの世に生活している間にすっかり忘れてしまっているのでありますそれをとりもどすことすなわち明るく朗らかな本来のいのちにかえるには何よりも先ず祈りによらなければなりません祈りというものはこの世とあの世をつなぐ光のエレベーターなのですすべて真心からの祈りは光を放ってお...祈りはこの世とあの世をつなぐ光のエレベーター
〇祈りというものはすべてをひらいてゆきます私たちの本心も私たちのいのちもそうして私たちを一人のこらず神へとつないでゆくのです祈りは私たちを神へとつなぐ
(前日からの続き)霊界にはまた神界には数え切れないほどの階層がありますそれはこの地上における上下関係のようなものではなくひたすら心の相(すがた)心境の高さ低さによるのでありますいつも申しておりますように私どもの修行といいますのは自分を赦し人を赦し自分を愛し人を愛しそして神にどこまでもすなおになってゆくということでありますむこうにおりますとこの地上以上にさまざまな縁者肉身の波がかかって参りますまた自分自身の過去が想念を走らせると同時にあらわれて参りますそれ等一切を消えてゆく姿とみて世界平和の祈りのなかに投げ込んで神の愛と光によって消していただく守護霊守護神の愛念によって消していただくということがもっとも大事なことになってゆくのでありますそして心が澄まされたと判断されたとき一瞬のうちに私どもは修行の場をうつされるの...私たちは神にむかって歩きつづけている(2)
祈ってゆくと自分のなかに光があり自分自身が光なのだということがわかってくるんですそれは守護霊や守護神や守護の神霊のみちびきのなかでわかってくるんです自分のなかに本心があり本心の座がありそこに働いている光そのものの自分は何一つ迷わずにスーッと神様の方にむかって歩いてるんです光にむかって歩き愛にむかって歩いているんです祈りは神にむかって歩きつづけている事実を知らしめてくれるものなのでありますあるいは本心の自分と肉体の自分この世に生きている私どもとあの世に生きている私どもをつないでゆくものなのですこの二つはさながらにひとつのいのちなんだずっと私どもは神の愛と智慧によって生かされている生命なんだということを統一のなかで祈りのなかで教えられてゆくのでありますそしてそのとき私どもは本当に自由になってゆくのであります生き生き...私たちは神にむかって歩きつづけている(1)
霊界というところを一口でいうのはとてもむずかしいけれど一口でいうとその人の心境がそのままあらわれてくる世界だということがいえます思いやりの深い人はそういう世界に行くし怒りっぽい人は怒りっぽい人で集まっていたりするそういうものなんですだから心をみがいてゆくといいますか心を澄ましてゆくことが第一なのですそれにはとにかく祈ること統一することですでも統一といっても何もかたちにとらわれることはありません歩きながら電車にのりながらお風呂のなかで世界人類が平和でありますようにとやればいいんですいつかも申しましたように本来人間というものは身体中で祈っているものですからどんな人だって本当はずっと祈りづめなんですそれなら宗教はいらないようなものですが何度も説いておりますように私どもはこの地球で生活するうちに業半分光半分というような...祈りを唱えると天地に光の柱ができる
生死一如生もない死もない生も死も実はひとつにとけ合っているという言葉がありますがこれは本当です生も死もただねむって覚めるそれほどのちがいでしかないのです人間というものは神の愛をうけながら永遠に進化をかさねてゆく存在なのです自らの光をもっともっと世界平和の祈りのなかでかがやかせてゆくそういう存在なのですですからこの世に生きることもあの世に生きることも本当はおなじなんですちっともかわったところなんてない筈なのですただね地球というこの星を開発するために私たちが地上におりて一生懸命働いている間に我々は我々自身が光なんだということを忘れちゃったんですよねだから本来の生命の姿っていうものにかえっていかないといけないかえれば本当に自由になるんですでそのかえり方を教えるために釈迦とかキリストとか法然さんだとかいろいろな人が今ま...祈りによって本来の生命の姿にかえる
生命(いのち)はこの肉の身をつらぬき霊身をつらぬき宇宙をつらぬいてずっと神のみこころへとつづいているそのみこころは何かといえば慈愛でありゆるしであり平和であるいのちはすでに愛とゆるしと平和の光に抱きとられて神とともに永遠にむかって流れているのであるいのちは永遠にむかって流れている
この地球上にはさまざまの国があり民族があり言葉があってそれぞれ国境を持っていますしかしその世界も宇宙から眺めたときには何の区切りも存在しませんガガーリンが宇宙から地球をながめたその感動を「地球は青かった」と表現しましたがこの言葉のなかには宇宙にうかぶ美しい星地球への愛と感動とが込められていますそこには生命(いのち)の本源というものをみつめているガガーリンの大いなる智慧に対する畏れがあるのであります国家とか民族を超えた一つの生命を互いに持った世界人類というものに対して思いを馳せている一人の人間の魂が私たちのこころを打つのであります一切区切りのない世界そして生命というものの不思議さについてこの言葉をおもいおこすたびに私どももまた思いを馳せてゆくのであります生命というものは久遠の光へとつづいてゆく大河であってはじまり...生命は変幻自在
━━序━━五井昌久人間というものは生きとおしのいのちでありまして、あの世もこの世も、ひとつづきにつづいているというのが、真実の姿なのであります。ですから、この世で死をむかえるということは肉体身にとどまっていた光(生命)が、霊界へと移行して、神の光の一筋として祈り一念に生きるための修行を、新たにはじめるということであり区切りというものは、実際には存在しないということなのであります。本巻では、こうした人間の生命のありようについて述べたつもりであります。祈りによって生きるとき、私どもの生命はいきいきといかされているのだということを覚えながら、生きてゆきたいものであります。平成2年2月20日この世に生きることあの世に帰ること序
(前日からの続き)今現在、私たちがこの世界の中に生きていて、人類の一人なんだし、そして、人類が我々が平和であるように、平和に生きて行けるようにというのは、我々人間の念願なんだし、本願なんだし、しかし、その本願をつくったもの、念願を生み育てたもの、それが何かというと、それは神様なんですね。やっぱり。神様の根っこに我々は深く入って行って、そして、そこから生命の声を出して行かないと、祈りの声を出して行かないとだめなんです。そういう意味で、私は、世界人類が平和でありますようにという、あの世界平和の祈りの中にも、五井先生と言う唱名ランニングの中にも、それは全部一つであって、どれを唱えようと唱えまいと、五井先生というのは、どこをどうとっても五井先生に辿り着くんだということを、この際覚えていただいて置いたら、大変良かろうと思...世界平和の祈りと五井先生の唱名(8)
(前日からの続き)だから、往相も還相も一つ。円環なんですよ。円環の印ってやったでしょう。円環の印なんですよ。だから、本当に宇宙をぐるぐる廻っている。印の結びなんです。だから、どういう印だろうと、どういう形をとろうとね、人間は形をとらないとなかなか人間というのは弱いんで。何かの形をとらないと、何かの名前を呼ばないと、何か対象を持たないとやっていけないというのがありましてね。無目的では何も出来ない。ね、平和のピース塔だってそうだし、いろんな事を目的を持ってやらなければ集まって来ない。だから、〇〇がピースポールを何本買ったとかどうとかという話だって、そういう事をしないと行動が出来ないという、人間の弱さがあるし、また可愛いさもあって、そういう事をこっちは見抜いているから、そういう風な形にして流してゆくんだけれども。しか...世界平和の祈りと五井先生の唱名(7)
(前日からの続き)我々は毎晩毎晩、前に言いましたように、霊界に行って霊要素をとって帰って来て、そうして、また日常のエネルギーにかえて、それで毎日を生きている訳ですね。眠らないと死んじゃうというのは、霊要素とらないと死んじゃう訳だから、そうなる訳だから。そうなるんだけれども、しかし、それというのは、やっぱり真実の自己を本当の意味で養っていく。真実の自己が何処にあるかを、常に常に自分の本心に照らして、そうして祈りの中で覚えてゆく。で、その為にやはり祈りというものがある訳で、そうして、世界人類が平和でありますようにという、世界平和の祈りも、五井先生というのも、みんな連らなって一つであって、何がどうの、こっちが良いとか悪いとか、そういう問題ではない訳なんです。だから、仮に私がね、五井昌久という人間として個性としてね、六...世界平和の祈りと五井先生の唱名(6)
(前日からの続き)決して私を個人崇拝するのではなくて、五井先生という人間が到りついた、一つの極点ですよね。つまり、神界に自分の本当に朗らかな生命が働いている、霊界にも働いている、そして、肉体の奥にも働いている、それが燦然となって合体して、そうして貫いているものが我々をまたつき動かしている。その真理を私は五井先生という中へ入っている。だから、お釈迦様と言うのと、キリストと言うのと、私と言うのと、どれ呼んでも一緒なんですよ。で、五井先生と呼びたくなきゃ、他のものを呼んだって、結局、私の所へ連らなってやって来ます。だから、唱名ランニングの時にね、世界人類が平和でありますようにと言ったって、五井先生五井先生と言ったって、結局一緒なんで、どっちにも私が生きてるしね。私が生きてるということは、神様のみ心の中に私が入ってるし...世界平和の祈りと五井先生の唱名(5)
(前日からの続き)だけれども、私の本当の所というのは、それはもう神様と本当に一つになった、朗らかな生命そのものである自分が、それから以後は働いて行った訳なんです。だから、五井先生と呼びなさいという時には、その五井昌久という、小っちゃいね、こういう個性を持ったね、そういう個人を呼んでどうのこうのじゃなくて、私の真実の自己、誰もがみんな持っている真実の自分自身、光り輝いている迷いようのない疑いようのないね、把われようのない自己自身ですね、神様の愛ですよ、その自分自身を拝みなさいという事なんですよね。だから、それが私という名前、五井先生という名前になる。例えば、クリスチャンの人だったら、それがイエス・キリストになる。キリストはね、神様の言葉を語った時には、やっぱり光そのものになっているんです。あの人の中にはイエスとい...世界平和の祈りと五井先生の唱名(4)
(前日からの続き)いろんな霊修行もしましたでしょう。交差点の車の激しい通りを目をつぶって歩けとか、何とか言われたりして行こうと思ったけれど、行けなくなったりとか。そういう無駄なことは、守護霊さんはね、ささやきでいろんなこと言ってためしてくるけれど、結局、私という人間を死なせないような形でもってね、神様というのは、一人びとりの天命を果たさせるためには、決して生命のある間は死なせない。そういう神様の愛護を、あの時私は知った訳なんですが。つまり、自分の天命を、あの時に思い知らされてですね、そして、私がもう一人の自分、神様の、神界の光り輝いている、自分の生命をつき動かしている、真実の自己というものに出会って、それを肉体の奥から取り出して、肉体をそえものにして、それを主(あるじ)にして出来ていった時にですね、私はみなさん...世界平和の祈りと五井先生の唱名(3)
(前日からの続き)例えば、私は前にも、会に来ているね、統一会に来ている人に、高校生だったかな、その人に尋ねたことがあるけれども、本にもあると思いますよ。今、世界人類が平和でありますようにと言えませんと。それで、五井先生と言えるっと聞いたら、五井先生だったら言えると。じゃあ五井先生と言いなさい。五井先生と世界平和の祈りは一緒なんだからということを言う。これは、私が始めた祈りだから、私の名前を言えば世界平和の祈りと私は同体なんだよ。つまり、五井昌久という個人を高見の所に持って行って、私を拝めば、御利益的なものも現世のものも来世のものも、全部救われると。救われるというのはそういう風なことではないんです。そういうことではなくて、私は、こうして宗教の活動をする前まで、何を考えていたかというと、悟る前は、人類の為に私の生命...世界平和の祈りと五井先生の唱名(2)
世界人類が平和でありますようにという言葉で始まる、世界平和の祈りと申しますのは、私が神様のみ心を受けて、そしてまあ人意的に申しますと、私が始めたということになっている、唱導したということになっている、祈りでございますけど。これは、本当に神様のみ心そのものなのであります。つまり、それは一言で言えば、神様というものは愛なのだということ。そうして、その神様の愛であるということを我々に告げ知らせる為に、守護霊さん守護神さんというものが、もう絶えることなく働いている。我々は眠ったり自分を休めたり致しますけど。そういう休息をする暇もなく、我々のこの肉体生命も奥の生命も、向こうの世界へ霊界移行しても、もう本当に最後の最後まで、神様の愛というものを本当に知らせる為に、我々一人一人を支えて、そうして、我々の天命が完うされるように...世界平和の祈りと五井先生の唱名(1)
(前日からの続き)我々に一番大事なのは何かというと、それは祈りなんです。祈るということを離れたら、我々は何にも出来ない。祈りは、神様と我々を結びつける。神様の愛と我々の愛を結びつける。神様からいただいている、我々の中にあるいろいろなおもいやりだとか、肉親への愛情だとか、子どもへの愛情だとか、師弟の愛だとか、いろんな愛がありますよね。それだけじゃなくて、それを世界人類に広げてゆく。そういう神様からいただいてる大きな恵みというものを、もう一度自分の中に、何ていいますか、振り返ってみてね、そうして、暗示だけに終わらないように、今、白光は、勇ましくして、何とか世界人類全体の業といいますか、そういう暗い想いというのをはね飛ばさなきゃいけない為に、いろいろ行進をしています。そうすると、砂埃がたってしまって、その砂埃が、弱い...人間神の子論が暗示にならないように(4)
(前日からの続き)私が生きている時に言いましたようにね、守護霊さんを想っていると、守護霊さんの世界に行くと言いましたでしょ。それと同じなんですよ。そこの世界へ行くんです。だからね、苦しいと想ってる時は、その苦しいという流れの世界に行くんですよ。で、あなた方が皆ね、大変だ苦しい、これは困ったどうしようかというのは、それは確かに現実のいろいろなことが迫って来て、苦しいというのがあるんだけれどもねえ、その苦しいなら苦しいの想いの中へ入って、さっきも申しましたけどねえ、その世界へ連れて行かれる訳ですよね。自分の中の本体が行きたくないのにね、光の方へ行かないでそっちの方へ行くから、自分の中のものが詰まっちゃって、もう息苦しくなっちゃって、何とかならないかなあっていう、そういう想いが一杯出てくる訳です。やっぱり人間というの...人間神の子論が暗示にならないように(3)
(前日からの続き)人間神の子、人間神の子、確かにね、そう言ってれば、何か落ち着くようなことを感じる人もいるかもしれないけれども、自分の生活は落ち着いていないし、性格もイライラして良くないし、こんなのどこが神の子なのかなあと思う。でもそれは自覚が足りないからだという。それだけじゃあ駄目なの。それだけじゃあ、やっぱり〇〇さんが言うようにね、暗示になっちゃう。そこが説明が足りないと言ったのは、さっきも申しましたように、世界人類が平和でありますようにという中へ、私たちの想いも願いも、足らないという想いもね、いろいろな苦しみも悲しみも、全部放り投げて、そして光になっていく。光のエレベーターである、世界人類が平和でありますようにというこの祈りを、我々は持ってる訳でしょ。ね、教義も持ってる訳ですよ。で、いざとなったら、五井先...人間神の子論が暗示にならないように(2)
これは、非常に大事なことなので申し上げますけど、人間神の子論ですがねえ、これは、私が生前から言ってますようにね、人間神の子というと、それをお題目のように唱えて、いやそりゃあ本当なんですよ。人間は神の子なんですもの。人間は分霊(わけみたま)で分生命(わけいのち)で来てるんだから、神の子なんだけど。例えば、それだけを追って、ずっと言って、それが出来ないのは、お前の心が悪いんだ、お前の心がけが何とかという風になっちゃうと、それが責めることになる。人間の今の現実の状況といいますか、人間の心の状態、有りのままの自然な状態、それを認めないことになる。だから、私はそこに、人間神の子だけじゃなくて、世界人類が平和でありますようにという、あの世界平和の祈りを出したし、神様のお約束によって、祈りと教義を出した訳ですよ。それでね、〇...人間神の子論が暗示にならないように(1)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(7)
(前日からの続き)その後というのは、やっぱり皆の想いぐせですよね、いつも私が言う。私なんてどうせとか、私がやったってこんなことはなりっこないとか。ね、それから、変に責任感じたりとかね。いろんなその人の性格のね、個性といいますか、その現われ方によって、何か苦しみがそこへ生まれてきちゃう。それが業になってくる。だから、業というのはね、消すのは大変なんですよ。本当に消すのは大変なんだけども、つくるのは本当にすぐ出来てしまう。だからね、皆そういう弱い自分の、人間の体と、本来の人間の奥深い、神様の光に満たされた神性の体と、両方持っていて、そうして、今はその神性の方の体を自覚せよと言っている。何も現実の部分を軽視する訳じゃないんだけど、そっちの想いの方よりも、むしろ、この世の中の空気を明るくしてゆく為に、あなた方の想いを光...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(7)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(6)
(前日からの続き)人間というのは、そのいろんな所へ光をふりまく、明るい想いをふりまいて、自分も人も尊敬して、生命を尊んで、この世界を平和にしてというのが人間の真性ですから、そっちの方を磨いていく、見つめていくという事が大事なんです。それは何も、現実の苦しみ、悩みだとか、自分の子どものことで死ぬ程私は悩んでいるのに、その悩みを無視するんですかって、そうじゃないんですよ。さっき申しましたように、その悩みであろうと苦しみであろうとね、神様というのは、守護霊さん守護神さんというのは、それを必ず向こうで良いように使って下さるわけ。だから、皆が把われているのを放っておくというのではなく、必ずね、この世の中で使って下さる。この世の中で良いように使って下さる。この世の中で駄目だったら、次の世の中で使って下さる訳なんです。だから...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(6)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(5)
(前日からの続き)私なんか先生、私なんか役に立ちますか、私なんかお役に立ちませんから、どうぞ他の人を求めて下さい。私なんかって、そんな引っ込んじゃあ駄目なんですね。何故かというと、皆平等に公平にそれを持ってるんですよ。あなただけが持ってるんじゃない。皆持ってるんです。肉体の力量というか才能というかね、そういう所だけでみちゃうと、そんなに輝いてるものがあるなんて言ったって、肉体の人間の我から観れば、そんなの私の中にある筈ないと思っちゃうから、否定してしまうけども。否定しきれないというのはね、ほらあなた生きてるじゃないですか。生きているその根元は何かというと、神様からの光ですよ。その光が来て、あなたはその光に養われて生きてるわけ。だから、その光の元をあなたが体の中に持ってるとしか、私は言いようがない訳ね。皆それ持っ...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(5)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(4)
(前日からの続き)人間は、肉体持ってる間はものすごく不自由なのね。肉体持ってる為に、家を建てたり、ここへ住んでとか、土地のこと財産のこと、いろんなしがらみが出てくるし、肉体を養わなきゃならない、家族を養わなきゃと、いろんなことが出て来て、そして動きがとれない。ところが、死んじゃうと、自在身でしょ。何処へでも行ける。だから、本当にいろんな働きが出来る訳ですよ。ところがさっきも言いましたようにね、人間というのは、肉体を持っていても自在に動きまわれる。それは距離だけじゃないんです。いろんな人の心の中に入って、光を燈すことが出来る。そういう体を、深いところで、あなた方みんな持ってるんですよ。(つづく)五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(4)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(3)
(前日からの続き)そこでもう一つ言えば、今、白光が伝えようとしている、つまり、あなた方は神の子なんだよと。これも言い過ぎるとねえ。確かに、講師の性格とかね、いろんな人の性格によって、押しつけに聞こえたり、いろいろに聞こえるんですよ。それで、実際に本当に苦しんでる人とかね、もう本当にそうは思えない状況の中にいる人たちなんかね、ため息ばっかりですから、想えって言う方が無理だ、それは分かるの。だから、想えという方が無理だから、この消えてゆく姿があるんだけれど。今、消えてゆく姿よりも、神の子の方がというのはね、実際に世界そのものが、本当にものすごい勢いで変わっていってるんですね。例えば、あのイランにしてもイラクにしても、国連で平和のセレモニーがあるということにしても、それは何を意味するかといったら、この世界人類というか...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(3)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(2)
(前日からの続き)この世の中だって、霊界のつづきなんで、一続きなんで、結局、霊界もこの世も一緒なんですよね。同じ空気とは言わないけれども、霊界の一部がこの世なんですよ。ということになると、その想いの貯金といいますかねえ、どういう想いを自分の中に積み重ねて行くかということによって、それがいわゆる業といいますか、カルマといいますか、そういう悪い方の業になっていくか、そうじゃないかというので、随分と違って来る訳なんです。ところが、そこに人間の弱さもろさというものがあって、さっきも言ったように、そっちの方へ行きたくないんだけれど行っちゃうとか、行かされるとか。とてつもなく苦しい所へ来ちゃったとか。そっちの方へ行かないようにするけれども、ところが、これは非常に難かしいところなんですがね。行かないように努力しているのにとい...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(2)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(1)
まあ一つ言えるのは、私は嘘つきじゃないということですね。五井先生が亡くなった時に、つまり昌美がね、五井先生が全部あなた方の業は持って行きましたと。だから、あと残ってるのは燃えかすみたいなもんで、皆救われますよという風な言い方をしたと。ところが、今の白光真宏会は、そういう言い方よりも、むしろね、あなた方が神の子の自覚が少なすぎるから、いつまで経ってもという言い方をするけれども、それだったら、五井先生は持って行ったというのは、あれ嘘なんですかという質問が確かあったと思いますがねえ。五井先生は嘘は言わないんです。どこかの総理大臣じゃないけどね、五井先生は本当に嘘は言いません。業は持って行ってるんですよ。ところがね、業というのはね、さっきの話じゃないけども、つくろうと思えば、いとも簡単に出来るんですよ。みんな楽な方に行...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(1)
(前日からの続き)光に対して闇は勝たないんです。そういう訳で、我々はすうっと光を通しやすい。光を通すということは、あなたたちの運命修正をしやすいんです。だから、あなたたちがくよくよ考えてね、どうにかして下さい。もうどうなるんだろう。もうそういう嘆きがね、本当に沢山の人のが聞こえて来るけど、やっぱりそれはね、祈れば何とかなる。ご利益みたいだけれど、そうではなくて、本当に真実に預けて祈っていったら、自分が光になっちゃって、そうして、本当に真実の一本のね、光り輝く光体になって、人連らなりの生命になるんです。光明体になるんです。だから、その事だけを素直に無邪気に信じて、そうして、何もかもね、五井先生に文句もいう。文句を言うけども任せもするという生活をしていただいたらね、そうしたら皆が平和になっていくし、子どもが出来る出...前世との関わりで子どもが授かるか否か(13)
(前日からの続き)神様これ何とかして下さいというのは分かりますよ。私も人間だったんだからね。だけども、何とかして下さい、苦しくってたまりませんというのをね、もう本当に大変だろうけれども、その想いを出来るだけ短くしてね、すいません私はもう考えられません。考えられませんから、守護霊さん守護神さん神様よろしく、五井先生よろしくお願いしますと言って、もう想えなきゃあ、それだけを想ってスイッチを切り換えて下さいな。そうでないと、こちら側はね、この人とこの人をこういう風にくっつけて、あるいは別れさせてとか、ね、まあこれは冗談だけども、この辺でこういう商売をさせてとか、こういうコースを歩ませてとか、守護霊さん守護神さんとね、我々の方でちゃんとそのコースをね、神様の方で決定しているのに、何かその辺でぐっとすがられちゃってね、す...前世との関わりで子どもが授かるか否か(12)
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