夏の余韻を楽しませる余裕もなきごとく、季節はさっさとうつりかわって早々に秋はやってきた。巷間では早くもマツタケが売られ、クリまでもが出まわっている。クリ拾いができるのは秋祭りの前後と相場が決まっているのだが、聞けば今年は八月のうちにできた
おまえには“びゃーっこかき”をたのむ、と言われた。「かき」は「欠き」で、“折る”とか“取り除く”を意味することは容易に予測できたが、「びゃーっこ」とは、はて・・・・・・。 この町の訛りの大きな特徴なのだが、「ai」の発音が「○ゃー」に変化
ただなんとなく、つらつらとまた駄文を書きつらねようと思う。つらつら、つらつら、紀貫之である。 おそらくこれはスクープに違いない。 僕は今日、ある動物の生きた姿を写真に収めることに成功したのである。 なにを見たのか、なにを写真に収めたのか。
みなさま、新年おめでとうございます。 遅ればせながら新年のごあいさつを申し上げます。どうも最近サボリぐせがついてしまって、このブログもほとんど放置状態。今年はせめて週一程度の更新を目標に掲げたいものです。 何かを読むことと同じく、こんな駄
百円未満の端数が出たら小銭入れからジャラジャラを出そうかと思ったけれど、三冊分の合計代金はちょうど二千四百円だった。 僕は手にしていた漱石三枚を、レジに立つ店主と思われる初老の男に差し出した。 その男の「ありがとうございます」はいつもより
なんで僕はこんなところで暮らしているんだろう、とこの時期になるといつも思う。 冬が厳しすぎるからだ。雪こそ少ないものの、僕が感じるにこの町を含む岩手県北部は、本州一寒い地域だと思う。嘘だと思うなら一度ここに住んでみればいい。 今年はその冬
歯医者に通いだした。 以前つめてもらった「銀色のヤツ」がことごとく取れてしまったのだ。一つ取れ、二つ取れ、ついにほとんど全部が取れてしまった。 僕が前回歯を治してもらったのは五年前のこと。奥歯の激痛に耐えかねて「お願いですからなんとかして
牡蠣に“あたった”ことはないのだが、柿にあたったことがあるのは僕ぐらいだと思う。 ひさかたぶりのブログ更新。 最後の更新が九月二十七日のことらしいから、だいたい一ヶ月半ぶりということになる。 その間、「生きているか」みたいなメールを何通か
脳みその底の部分に不快な澱のようなものがたまりはじめていて、頭蓋骨に穴を開けて新鮮なエアーをプシューッと注入したいような気分だった。 作家の浅田次郎さんは、気分を切り替えたいときはふらりとラスベガスに飛んでギャンブルに興じるのだと、エッセ
「ブンセイジュウイチネン、ですか?」と、なにか不思議なものを発見したかのような口調で背後から訊ねてきたのは上品そうなご婦人だった。 還暦は過ぎているだろうか。訛りがなく、着ているもののセンスやきれいに施された化粧からは、地元に住んでいる人間
早朝三時半、外はまだ暗かった。 毎、日曜に八戸市の館鼻漁港というところで開かれる朝市は、日の出とともに始まるということらしい。ずいぶん混みあうと聞いていたのでできるだけ早く家を出ようと思案する。 車を飛ばして約四十分。着くころには明るくな
「秋茄子は嫁に食わすな」の意味には、ナスには体を冷やす作用があるから嫁に食べさせるのは好ましくない、みたいな説もあるらしい。 秋に育つナスは太く長く、立派においしく育つから、それに夢中になった嫁が旦那の“ナス”をかまわなくなってしまったら困
僕の心と身体の中でいま、劇的な変化が起きている。 お盆の中日、十五日の朝の一服を最後にはじめた禁煙が、いまだに続いているのだ。今日でちょうど一週間ということになる。“なんとなく”強い信念のようなものがあったことは事実だけれど、それは突然“
野球大会にでてくれないか、と神楽仲間の若者にいわれたのは一昨日のことだった。 今月の二十四日に町内の地域対抗野球大会があって、四十歳代のメンバーが見つからないのだと、困り果てた顔でいってきた。 この若者は地域の“体育振興会”みたいなものの
ビールが飲めればそれでいい。 そう思ってただで手に入れたチケットを握りしめ、僕は夏祭りのビアガーデン会場に一人向かったのだった。強く降った朝からの雨は上がり、午後になってそれは強烈な熱気に変わって体に纏わりついた。 ビールを飲むにはちょう
僕はベジタリアンになりつつあるのだった。 もはや野菜シンパ、野菜マニアといっても過言ではない。とにかく最近の僕は野菜を食べることにとめどなく凝っているのだ。 肉が買えないといえば嘘になる。少なくとも鶏か豚は食ってきたし、牛だって羊だってた
ここにねえ、ネッシーがいたんだよね。 昨日のことなんだけど。 そりゃあ、びっくらこいたさ。 ほら!【ブログランキングに参加しています】人気ブログランキングへにほんブログ村へ
『毒があるからカタツムリはアジサイの葉は食わないんだってよお。だけどな、コンクリートは食うんだぜ』『マジっすか先輩、はっはっは』 みたいな紙兎の会話がずっと頭から離れなかった。 僕はロペが好きだ。あれが終わらないうちは朝の洗顔さえする気にな
「WOOD JOB! 神去なあなあ日常」という映画があってそのことを書こうと思ったら、昨日たまたま目にした地元紙のコラム欄に「その映画を観てきてどーのこーの」との記事。 四月、僕は一ヶ月にもわたる“くまのプーさん生活”をしていたものだから家
別に望んだわけでもなければ、だれかにたのんだわけでもないのだが、いまの時期、“えのぎゃぐり”(家の外周)には食材が「生えて」いる。“じゃっくり”と育つ、青々としたウルイである。 もともとは山菜のようである。流通もあまりしていないのではない
「レノア」に「ファーファ」に「フレア」、「ソフラン」とか「ソフター」っていうのもある。商品名を出すのはいかがなものかと思うけれど、個人のブログだから世間には何の影響も及ぼさないだろう。洗濯用柔軟剤(なんか中国語みたいだ)の名前だ。 尾籠な話
何もすることがなくて暇をもてあます。人がそうしていて正常な精神状態を保てるのはせいぜい二週間だ。実体験からそう思う。 当初のうちは部屋を少していねいに掃除したり、DVD(変なDVDではない)を観たり、ゆっくり読書に勤しんだりするが、やがて
今年は雪が多かったから折爪岳にはまだ雪がたくさん残っているだろうかと久方ぶりに山の方に行ってみれば沢が増水していたのだった。 瀬月内川に注ぎ入る沢が何十本あるのか何百本あるのかわからないけれどもこれだけの水があちらこちらから一気に流れ込む
落胆、不安、ため息……。 こんな思いをこの数年のうちに何度繰り返してきたことか。 四回それとも五回。いや、ざっと数えただけでももっとある。期限付きの日雇いのような仕事を続けては糊口をしのぐ。命をつないでこられたことに感謝はするが、その仕事
どこぞやの国に大きな隕石が落ちてきて、甚大な被害を及ぼすことがあるのが自然界なのだから、この地に数度のドカ雪が降ってもなんら不思議ではない。 むしろ普通のことなのだ、いや隕石じゃなくて幸いだったと思うべきだ、などとわけのわからない屁理屈で
あの日から3年。犠牲になった方々へ哀悼の意を表し、一日も早い復興をお祈りします。
卒業した中学校が今月でなくなる。 僕が中学生だったころは町内に六つの中学があった。それがいつしか五つになり四つになり、いま三つある中学校もついに統合されて一つだけになるのだ。 二十二日に閉校式がある。僕はそれには行く予定はないのだが(カネ
女と猫は呼ばない時にやってくる、とはうまいことを言ったものだと思う。どちらも「おいで」と言ったって絶対に寄りつこうとしない。僕のことを嫌いなわけではないのだろうけれど(女はともかく猫は)、寄りつくどころか呼べば離れていこうとする。 犬なら
不幸だとはぜんぜん思わないのだがそれにしてももう少し稼ぎがあって少しはうまいものも食いたいとは思う。先月の稼ぎは十万円で、分不相応にこんなネットやら携帯電話などを使っているものだから(やめればいいのに)、僕は息をしているだけで月に三万円ほど
爪楊枝がかかせない。家で食事をとった後には必ず“シー”。自宅で無様な格好をするのならまだいいが、職場での昼食後にも“シー”。食事の後に“シーシー”したり、定食屋を出る時に店の爪楊枝をタバコの箱に一本忍ばせて帰るような男には絶対になるまいと誓
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