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2010/05/17

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  • 大江戸爛柯英傑伝 ~Legend of the Go~ ‐四‐

    1640年名人中村道碩が亡くなって10年、その間「名人」は空位のままで碁打ち衆のまとめ役を行う人間がいなかった。そこで幕府が当代の一流棋士を集めて「名人」を決める会議を行った、これが史上初めて「名人碁所」を決めるために行われた会議、世に言う「碁所

  • 大江戸爛柯英傑伝 ~Legend of the Go~ ‐参‐

    本因坊算砂亡き後、「名人」を譲られ、算悦(算砂の実子?)の後見を託された中村道碩は、算悦をしっかりと育て上げ、後に幕府に願い出て本因坊の名を継がせている。この時代はまだ世襲制が確立されていなかったため、算砂が亡くなった後算悦が継ぐまで一時本因坊家は

  • 大江戸爛柯英傑伝 ~Legend of the Go~ ‐弐‐

    1603年 算砂は江戸開府と同時に家康に招かれ京都より移住する、この時より「本因坊算砂」を名乗る。(うんちく:「本因坊」とは算砂が住んでいた京都 寂光寺内の塔頭(たっちゅう=住居)の名前)下の画像は現在の寂光寺。記念碑も建てられている。

  • 大江戸爛柯英傑伝 ~Legend of the Go~ ‐壱‐

    一世本因坊算砂1559年初代「名人」となる算砂は京都にて生をうける。8歳の時に出家し本行院日海と名乗る。僧としての修行と平行して碁も学び、師に恵まれたのもあって碁の腕はめきめきと上達していった。時は戦国の世。碁は僧や位の高い人たちが

  • 大江戸爛柯英傑伝 ~Legend of the Go~ ‐序‐

    碁にハマって夢中になるうちに、碁の歴史にも興味が出てきていろいろと調べたりするようになった、知れば知るほど碁の歴史はとても面白くさらに碁が好きになっていった。歴史を知った上で過去の名手達の棋譜を並べると、その時の情景、雰囲気、感情などを想像

  • 富士通杯終了 棋戦存続の危機!!!!!

    ビッグタイトルから遠ざかってるシンジが棋聖戦に登場!ウっくんと七番勝負を争うことになった。このシリーズ、俺は断然シンジを応援する!最近ビッグタイトル取れてないし、四天王の中では一歩遅れてる感じ、、、俺的にはもっともっと活躍してほしい!第

  • 本因坊の名を継ぐ者 - 本因坊戦の歴史 7 -

    ・四天王の台頭2003年第58期張栩が再び挑戦者となり、4-2で加藤から本因坊を奪取。これ以後、平成四天王たちが本因坊位を奪取・連覇するようになる。張栩翌2004年の第59期張栩は依田紀基の挑戦を退け連覇。さらに同年、依田から名人位を奪取し、史上5

  • 本因坊の名を継ぐ者 - 本因坊戦の歴史 6 -

    ・10連覇第44期 5連覇がかかった武宮の前に、天敵・趙治勲が登場、趙4-0のストレートで武宮を破り本因坊を奪取した。翌年からは小林光一が3年連続で挑戦権を握るが、趙はそれぞれ1-3、0-2、0-3からの大逆転勝利で防衛を果たし、小林の大三冠達成を寸前で阻止し

  • 本因坊の名を継ぐ者 - 本因坊戦の歴史 5 -

    ・木谷門の台頭1969年 第24期坂田に替わって第一人者となった林の前に、木谷門下第一の刺客『殺し屋』加藤正夫が現れる。加藤のニックネーム『殺し屋』は力ずくで大石を仕留める豪腕から付けられた。加藤正夫加藤は予選を勝ち抜いてリーグ入りを果たし、

  • 本因坊の名を継ぐ者 - 本因坊戦の歴史 4 -

    ・坂田一強1961年 第16期 10年前に橋本に逆転負けを喫して以来挑戦権に縁のなかった坂田栄男が満を持して本因坊戦の舞台に登場。10連覇を目指す高川相手に、41歳、脂の乗りきった坂田は積年の鬱憤を晴らすように4-1と高川を圧倒し本因坊を奪取、ここに坂田一

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