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El Bohemioのガルデル物語:不滅のタンゴ歌手の人生) http://gotanchamuyo.blogspot.com

ガルデル物語:“ガルデル全コレクションCD−50枚組シリーズ”を解説する。

ガルデルの人生の謎を明かして行く、ガルデルのcdレコードリスト、ガルデルの恋愛遍歴、ガルデルと映画、ホセ・アギラールの回想から。ガルデルとフォルクローレ。など...

El Bohemio
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2010/04/11

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  • ガルデルの遺作

    タンゴ「エボカシオン」 エボカシォンとは回想と訳すのだが. 若き日の苦き失恋の回想。 ... 暖炉の炎のゆれと共に思い出した痛恨。 それを生々しく回想したタンゴ“エボカシオン”。 EVOCACION(回想) La lama alientas e...

  • ガルデルを助け様と

    1935年6月21日、 ボゴタにて、 ガルデルへ旅立ちの前に カリ行を止めろと忠告した 人物がいた。 ... 運命の預言者現れる。 (もう一人居たのだが) では映像の説明に入ろう。 「この工場は ナリーニョ劇場の後だが、 ガルデルが事故に巻き込まれる 3日...

  • タンゴの日とカルロス・ガルデル

    タンゴの日とカルロス・ガルデル 今日12月11日は「タンゴの日」 この日はタンゴ歌手界の最高峰人物である カルロス・ガルデルの名誉を讃える日である。 ... 「タンゴの日」は足で表現していた古きブエノスアイレスの タンゴ時代に彗星のごとく現れた カルロス・ガルデル...

  • ガルデルの遺体の行方

    前編では悲惨な事故の経過とその一年後にアギラールの告白によった真相を明かしたが、ガルデルの遺体の行方を追う事にしよう。 カルロス・ガルデルの遺体はメデジン市内のサン・ペドロ墓地北側の回廊 2 番墓地に埋葬された。 そうこうするうちにカルロス・ガルデルの財産管...

  • Enigmaの真相

    「ガルデル一行が興行先のコロンビア、メデジンの飛行場で事故死した事件は多く語られているがほとんどが結末をぼかしている。小生は推理小説並みのとんでもない真相を見つけたのである」   『 事故原因の真相は』 『フオードF-31機の搭乗は後ろの席からセレドニオ・パラシオ氏(...

  • 謎の侵入者

    時は 1935 年 6 月 23 日深夜のボゴタ: カルロス・ガルデル一行はコロンビア諸都市のバランキージャ、カルタヘナ、メデジン、ボゴタ公演を盛況な成功を飾り、その夜コロンビア映画会社社主二コラス・ディアスの招待による晩餐会のフレンチ料理のメインデッシュが終り、給仕が...

  • カルロス・ガルデル、ボゴタの公演

    【1935 年 6 月カルロス・ガルデルはボゴタにいた】 1935 年のボゴタ市は 33 万の人口を満たし、アルホンソ・ロペス・プマレホ大統領とホルへ・メルチャン市長の下に 4 百年誕生記念の用意に追われていた。 当時は世界...

  • カルロス・ガルデルの愛の物語 【イボンヌとガルデル】

     夜の眠れないひと時にガルデルのCDに聞き入る中、突然“ノ・メ・アブレ・デ・アモール(愛の話をしないでおくれ)”(1)との歌声に一瞬,彼に叱られた気持ちに落ち込んだが。 このシリーズの途中なので無視する事にして次のロマンスへ移るとする。 ガルデルはフランスのパリ郊外にある...

  • ガルデルは生きていた(3)

    タンゴバー「エル・アバスト」の出来事 前章のフリィンの証言による“ガルデル生存説”を読み,スクラップしてあった古い新聞のコラム記事を思い出した。 その記事は都市計画により公園化されたメデジン市庁舎脇のグアジャキル街のタンゴバー「エル・アバスト」に現われた「謎の...

  • http://gotanchamuyo.blogspot.com/2014/06/blog-post.html

    小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。

  • ガルデルの写真集

    小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。

  • ガルデル、日本に登場する

    日本国内のタンゴフアン界にカルロス・ガルデルが登場したデータを探したのだが不思議な事に余り詳しいデータを発見できないのである。小生がタンゴを知った時期、昭和 35 年頃であるが、当時のベテラン・タンゴフアンの間ではガルデルはタンゴの歌唱スタイルの創立者で神様扱いされていた。又、...

  • ガルデルの歌う“ツバメ”

    小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。

  • ガルデルと映画

    2010年5月6日木曜日 ガルデルと映画 ニューヨークのエル・モローチョ (ブロードウエイのタンゴー2) 1935年1月に“エル・ディア・ケ・メ・キエラス(思いの届く日)”が新しい監督、北米人ジョン・リチャ―ルドにより撮影が遂行さ...

  • 映画『タンゴ・バー』

    小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。

  • 読者の皆さん、新年おめでとう。

    一月も半端になり新年おめでとうとは大変失礼ですが。 自分のブログに投稿できず、悪戦苦闘の末に書き込み ができました。このブログの読者の皆さん方には改めて お詫び申し上げます。

  • ガルデル、カラカスに着く

    ガルデルはプエルト・リコ公演中から模索していたキューバ公演行きを諦めて、急遽旅先を南米べネゼーラとする。77年前の4月25日の事である。プエルト・リコから汽船“ララ”号に乗船したガルデル一行はべネゼーラ国の首都カラカス市近郊プエルト・ガ...

  • ガルデルの銅像

    ガルデルのモニュメント 2年ほど前のある日、ボゴタ市のチコノルテ街区の住宅地の名も無い小さな公園の中を通り抜け様とした時ある銅像に目が向いた。普通銅像は大抵英雄か政治家に相場が決まっていて、対外注意して見ようとしないものだが、、、その銅像はカルロス・ガルデルであったのだ。...

  • 躍進する”歌い手”(3)

    ガルデルは都会や場末に宿している社会的不条理の問題テーマを描いたタンゴも広いレパートリの中で少なからず取り上げている。それらは労働法に縛られた男の老いた妻が祈るイエスキリスト“アル・ピエ・デ・ラ・サンタクルス(サンタクルスの足元で)”又、たった一つのパンを盗んだ挙句の判決は、、...

  • 躍進する”歌い手”(2)

    ガルデルが一世紀前にタジーニ商会所持の“コロンビア”レーベルにアコースティク録音した14曲がレコード化されたのがプロ歌手としての第一段階のデビュ-である。少年期からパンパを放浪した頃にレパートリとしていた牧場の情景を歌った田園風あふれる“ジョ・セ・アセール”、“ポーブレ・フロール...

  • 躍進する”歌い手”

    ガルデルが円熟且つ熟練した年代に入り、彼独特のスタイルは次の時期を開めるにあたってラプラタ流域都市住民達から芸能的には多大な賛同をすでに獲得していた。それは主観性ナルシストから逃避できない華々しい表情の豊かさを演出する俳優的能力とつつしみ深いフレージングを手段に装飾する達越した声...

  • 場末の”歌い手”

    >前章に引き続き、タンゴが現れた当時の前世紀のブエノス・アイレス場末に活躍した歌い手達を描いて行くとしよう。その下町の場末には二つのタイプの“歌手”,すなわちミロンゲーロ(ミロンガを歌う人)、あるいはパジャドール(即興詩人)と、すでに言明した本来の場末の“歌い手”が存在した。まず...

  • ボルヘの描いた世界

    “ハシント・チクラーナのミロンガ”はホルへ・ルイス・ボルヘが 1900 年代をモチーフにした詩にアストル・ピアソラが作曲した作品で、あの太く低い歌声のエドムンド・リべーロがブエノス・アイレスの昔 , ある夜の下町情景を歌つた詩である。遠く過ぎたバルバネーラのあるカフェテ...

  • ホセ・アギラールの回想(1 )

    ガルデルの思い出(1)ホセ・アギラールの回想から 1935年6月のメデジンの惨事から奇跡的に生存したガルデルのギタリストの一人、ホセ・マリア・アギラールは度重なる不運で16年後の1951年12月21日、ブエノス市中心地の繁華街のビリヤード場から出たところで、前の車道を横...

  • 77年前の飛行機事故

    当時の新聞記事【事故の見出し】 不運な事故の発生: 1935年6月の時は過ぎ去って行く...その夏の24日,アントケーニャのアブラー渓谷に囲まれた丘陵に位置した都市メデジンは涼しい春が終り告げ,夏の季節に入り,むっとする風が南から北へと時折流れ込むラス・プラジャ...

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