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  • さっぽろ紙まつりを拝見

    “祭り”をコンセプトとして、「紙」を主人公にしたさまざまな展示や遊びがホールいっぱいに展開されていた。紙まつりは「hokKAMIdo(北紙道)」と称する札幌市内外の紙の加工メーカー4社が会場の大丸藤井セントラルと共催するものだった。※紙つまりを告知するポスター(?)がユニークだった。人型のポスターです。下紙の橙色の紙はポスターを目立たせるために、私が用意したものです。特に予定のなかった本日は、少し遠ざかってしまった「パークゴルフ場巡り」を計画していた。ところが生憎の雨天となってしまった。そこでブログの話題に取り上げるためにちょっと気になっていた「さっぽろ紙まつり」を取材することにした。会場は上記したように大丸藤井セントラルの7階スカイホールだった。エントランスから紙をモチーフにしたデコレーションが施されて...さっぽろ紙まつりを拝見

  • NHK札幌放送局の新放送会館を見学しました

    これまでNHK札幌放送局が主催する数々の企画で何度か訪れていたNHK札幌放送局の新放送会館だが、本日改めて放送局の企画による見学会に参加した。私自身は新しいところに足を踏み入れたわけではないが、改めて新放送会館の魅力に触れた思いだった。※NHK札幌放送局の新放送会館の全容です。(ウェブ上からお借りしました)本日午後、「北海道生涯学習協会」の「賛助会員のつどい」が開催された。北海道生涯学習協会の賛助会員とは、公益財団法人である北海道生涯学習協会の運営資金確保のために少しでも寄与しようとする人たちの集まりである。(個人会員の他、法人会員もいるようだ)そうした会員の研修と親睦を深めるために年一回実施されているのが「賛助会員の集い」である。その集いが本日(8月30日・火)NHK札幌放送局を会場にして、新放送会館を...NHK札幌放送局の新放送会館を見学しました

  • 編作オペラ「中山晋平物語」を楽しむ

    「あゝ、このようなオペラを楽しむのもいいなぁ」という思いを抱かせてくれた今回のオペラ公演だった。日本の代表的音楽家・中山晋平の創り出した曲を織り込み、彼の生涯をオペラ風に創り上げた一作は、構成の巧みさや出演者たちの好演もあって心から楽しめた午後のひと時だった…。昨日午後、札幌市教育文化会館大ホールにおいて、NPO法人「札幌室内歌劇場」が主催する編作オペラ「中山晋平物語~カチューシャの唄~」が公演され、観劇した。私は本公演について大して予備知識もなく観劇を決めたのだが、それは中山晋平が作曲した数々の親しみやすい曲が披露されるのだろうという思いと、「いったい日本のオペラってどのようなものだろう?」という好奇心、加えて観劇料がリーズナブル(1,800円)なこともあり観劇を決めたのだった。中山晋平というと明治から...編作オペラ「中山晋平物語」を楽しむ

  • 札幌市制100年 歴史の脇道を覗く

    今年は札幌市が市制を敷いてから100周年の年だという。その100年の歴史の中には市史などでは触れられない数々のエピソードが眠っているという。講師はそうしたエピソードの数々を興味深く紹介してくれた。8月27日(土)午後、札幌市資料館において市制100周年記念講演と銘打ってある講演会が開催され参加した。その講演は「札幌できごと史~歴史の脇道にはまる~」と題して街歩き研究家を標榜する和田哲氏が講師を務めた。※開会前、講演の準備をする講師の和田哲氏です。和田氏はNHKのテレビ番組「ブラタモリ」の札幌版に登場し、札幌の歴史に関する蘊蓄を披露したことにちなみ「ブラサトル」と自ら名乗り、札幌の街に関するあれこれをメディアや講演を通して市民に伝えている方である。※「ブラタモリ」に出演した時の和田哲氏です。アシスタントが今...札幌市制100年歴史の脇道を覗く

  • 我が家のハイビスカスが満開です!

    我が家のベランダで育てているハイビスカスが次から次へと開花していたが毎日一輪ずつの開花だった。それが昨日は一度に7~8輪が一斉に開花した。これは珍しい!満開のハイビスカスを眺めながら、私は一昔前のことを想い出していた…。昔のことを語るようになるのは歳をとった証拠とよく言われるが、私も例外ではないようだ。少し昔のことを語ってみたい。ハイビスカスにまつわるサイドストーリーである。私は退職し、札幌へ居を移して第二の職場で一年を経過した2008年3月に妻と沖縄へ4泊5日の旅に出た。プランはレンターカー付きのフリープランだった。その旅で、私は沖縄本島の全26市町村全てを訪れることを自分に課した。(妻からは不評だったが…)さらに私は次の3条件を自分に課した。その3条件とは…、①市町村庁舎前で写真を撮ること。②当該市町...我が家のハイビスカスが満開です!

  • 久しぶりの刑事裁判の傍聴に緊張

    久しぶりに刑事裁判を傍聴した。独特の緊張感の中、審理が進むのを見守ったが、案件が「道路交通法違反」だったためか(?)即日結審となった。裁判を終えた後、裁判長より刑事裁判の基本的なことについての解説も伺うことができた。8月24日(水)午後、札幌市資料館主催の「刑事裁判の傍聴と解説」のイベントに参加した。札幌市資料館では、年間を通して様々なイベントを開催しているが、建物が元「札幌控訴院」であることから「法・司法を学ぶイベント」にも力を入れている。今年度も2回の「刑事裁判の傍聴と解説」イベントを計画しているが、今回はその1回目だった。参加者は希望者の中から選ばれた14名が札幌地方裁判所で13時30分から開廷した刑事事件を傍聴した。裁判の案件は前述したように「道路交通法違反」に関する件だった。その交通違反とは、被...久しぶりの刑事裁判の傍聴に緊張

  • バースディランチ あんど…

    いまさら自分の年齢を公表したくはないのだが…。昨日24日、76歳の誕生日を迎えた。体力の衰えは感じつつも、今のところ特に身体の異常もなくこの日を迎えられたことを、私をとりまく全ての人・モノ・コトに感謝したい思いである。そんな私を妻が細やかに祝ってくれた💛この歳になると「いまさら…」である。老境にいたると誰もがそう思うのではないだろうか?そんなに急いで時間が経過しなくとも良いのに、と…。しかし、そんな願いは通用しない。容赦なく時間は過ぎてゆく…。そして私はいつの間にか76年もの生を与えられ今日を迎えた。私を元気に育ててくれた両親、そして健康を気遣ってくれた妻、さらにはそれとなくいつも気遣ってくれる息子、そして私とお付き合いいただいた多くの方々に感謝したい思いでいっぱいである。※お店のHPから拝借妻は「誕生日...バースディランチあんど…

  • 吉村昭著「プリズンの満月」

    「共苦(ミットライデン)」という言葉を知った。主人公の鶴岡は戦争犯罪人を収容する巣鴨プリズンの刑務官として実直にその職務をまっとうした。しかし、彼の低意は常に「共苦」に苛まれたという。戦犯とは?東京裁判とは?架空の主人公・鶴岡の視点から吉村昭はこの問題に切り込んだ。吉村昭は言う。「江戸時代末期を背景とした歴史小説の執筆が続いたので、別種の空気に触れる必要があると考えた」と…。そうしたときに吉村の中で水泡のように浮かび上がってきたのが、巣鴨プリズンに勤務していた日本人刑務官が、警備の米軍将校と収容されている戦犯との板ばさみで奇妙な時期を過ごしたという話が思い起こされたという。そこで吉村は小説の主人公に彼が創造した“鶴岡”という刑務官を登場させた。そして吉村は言う。「鶴岡以外は全てが事実であり、フィクションと...吉村昭著「プリズンの満月」

  • 朝刊さくらい出張スマホ教室体験記

    スマホを使い始めてすでに10年以上経過しているというのに、私のスマホ活用術は初歩の域にとどまっていることを告白せざるを得ない。そこで一念発起してスマホの初心者教室に参加してみることにした。8月28日(日)、HBCラジオの朝の番組「朝刊さくらい」のパーソナリティ、桜井宏さんと佐藤彩さんがナビゲートする「出張スマホ教室」がTKP札幌駅カンファレンスセンターで開催されると知って応募したところ、無事に招待状が届いたので参加してみた。前述したように私がスマートフォン(私が使用しているのは当初からi-Phoneである)を手にしてすでに10年以上が経過している。しかし、私がスマホを使う場面は、その大半がインターネットに繋いでニュースを読んだり、調べものをしたりすることに利用することが大半である。メールの類はラインは登録...朝刊さくらい出張スマホ教室体験記

  • 「小樽公園」を巡ってみた…

    小樽市のJR小樽駅からそう遠くない市の中心部の高い丘一帯が「小樽公園」だった。公園内には小樽市の文化施設、スポーツ施設が手中している感があった。そんな「小樽公園」を巡ってみた。8月20日(土)、「小樽公園」内にある「小樽市能楽堂」において公演があり、それを観賞するために訪れた機会に、「小樽公園」をざーっと巡ってみることにした。まず、公園の入り口付近に建つ「小樽市文化会館」である。ややくたびれた感じの外観であるが建設が昭和38(1963)年というから、築59年というから無理からぬところか?私は札幌に居を移して間もなく、この会館で開催された「武田鉄矢と海援隊」のコンサートを聴いたことを記憶している。この市民会館で「面白い!」と思ったのは「小樽市民食堂」なるものが入っていることを今回知った。「どんなところだろう...「小樽公園」を巡ってみた…

  • 小樽で能舞台を楽しむ

    能舞台を楽しんだといっても“能”そのものを楽しんだのではない。能舞台で「日本舞踊」と「演劇」を楽しんだのだ。それでもそれぞれの道のプロたちは十分に私たちを楽しませてくれた。このような機会でないと、私が道内唯一という小樽市の能楽堂を訪れる機会はなかったろう。新聞紙上に「小樽市能楽堂」招待公演プログラムという記事が掲載されたのを目にし、早速申し込んだところ幸いにも100名招待の中の一人に選ばれ、招待券が舞い込んだ。その招待公演が昨夜(8月20日)、公演が行われたので観賞してきたというわけです。※建物の入口は「能楽堂」の玄関というよりは、「公会堂」の玄関と称した方が正解かもしれません。能楽堂は「小樽市公会堂」に付属する形で設けられていたが、その公会堂は小樽の中心に位置する「小樽公園」の一角にあった。※開演前、ま...小樽で能舞台を楽しむ

  • 道東旅物語⑤ 北海道遺産「霧多布湿原 & 国泰寺」

    霧多布湿原は海(太平洋)と湿原が隣り合う珍しい湿原である。琵琶瀬展望台からの眺めは息を飲むほど美しい光景だった。また、厚岸の名刹「国泰寺」は長い歴史を感じさせる重厚な雰囲気に満ちていた。霧多布湿原※「琵琶瀬展望台」から眺めた霧多布湿原の中を悠々と流れる琵琶瀬川の流れです。根室方面から「霧多布湿原」に向かうには、海沿いの「なぎさのドライブウェイ」を走るコースと、「霧多布湿原センター」に立ち寄り、湿原を意味するMarshyGrasslandの頭文字から、「MGロード」の呼称される道路を通って向かうコースがあるが、私は後者を選択し「霧多布湿原」を目ざした。※「霧多布湿原センター」の建物です。「霧多布湿原センター」は湿原が始まる小高い丘の上に位置していた。そこからは湿原が一望できたのだが、それを目にした私には正直...道東旅物語⑤北海道遺産「霧多布湿原&国泰寺」

  • 道東旅物語④ 北海道遺産「野付半島と打瀬舟」

    オホーツク海に伸びる野付半島は特異な半島である。砂が堆積してできた半島は今にもちぎれてしまいそうなほど心細い地形である。その内海の尾岱沼(野付湾)はホッカイシマエビが特産で、それを捕獲するための「打瀬舟」という伝統的な帆船で行われる漁が有名である。野付半島野付半島は本当に特異な地形である。全体像はドローンなどを使って上空からその形状を捉えねば把握できない。そこでウェブ上からその写真を拝借した。野付半島は沿岸流の影響で砂が堆積してできた“砂嘴”であるが、その延長は約28kmと日本最大といわれている。車が通れる道路は根元になる国道244号線から別れ道々950号線の「フラワーロード」と称される道路が17.7km伸びているが、その途中15km地点に「野付半島ネイチャーセンター」がある。私は8月15日午前に訪れたの...道東旅物語④北海道遺産「野付半島と打瀬舟」

  • 道東旅物語③ ワッカ/小清水原生花園

    「原生花園」…、手つかずの自然が残る花園。いかにもオホーツク海沿岸に相応しい光景である。オホーツク海沿岸には海沿いに発達した砂州がいくつか存在するが、その中で代表的な花園として二つの原生花園が北海道遺産に登録された。この二つの原生花園も私にとっては再訪であった。ワッカ原生花園ワッカ原生花園は汽水湖のサロマ湖とオホーツク海に挟まれた細い砂州の東側の付け根に広がる原生花園である。※「サロマ湖ワッカネイチャーセンター」の建物です。※そのネイチャーセンターに展示されていたワッカ原生花園の全体図を表した図です。今回私が訪れたのは8月14日の早朝9時前だった。北見市常呂の栄浦地区からサロマ湖を跨ぐ「栄浦大橋」を渡ると直ぐに「サロマ湖ワッカネイチャーセンター」がある。車はそこまでで、ネイチャーセンターから原生花園を楽し...道東旅物語③ワッカ/小清水原生花園

  • 道東旅物語② 北海道遺産「雨宮21号」&「ピアソン記念館」

    今回取り上げる二つの遺産共に私は以前に体験した遺産である。遠軽町の「雨宮21号」は乗車も体験している。対して北見市の「ピアソン記念館」は市内に現存しているため行きやすく何度か訪れた経験があった。二つの遺産共にオホーツク管内にとっては貴重な遺産である。森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」遠軽町丸瀬布地区に動態保存されている森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」は、国道333号線から約10km山奥に入った「丸瀬布いこいの森」という公園で現役で活躍している。森林鉄道は大正時代から昭和にかけて北海道内の山林から木材を国鉄路線があるところまで運び出す軽便鉄道として北海道内の各所に敷設されたという。その後輸送手段がトラックに代わったことに伴い、その役割を終えて全線が廃止の運命となったが、丸瀬布地区の鉄道だけは地元住民の熱心な保...道東旅物語②北海道遺産「雨宮21号」&「ピアソン記念館」

  • 道東旅物語① 北海道遺産「オホーツク沿岸の古代遺跡群」              

    オホーツク海沿岸に点在する古代遺跡群は、5世紀ころに北方から渡ってきた“海の民”がもたらした、オホーツク海沿いだけに栄えた特異な文化だと言われている。しかし、それだけに止まらず旧石器時代を含めてさまざまな時代の遺跡が点在しているのがオホーツク沿岸の古代遺跡群である。私はその中の数か所を今回訪れた。白滝遺跡群「白滝遺跡群」の場所を見つけるのに苦労した。というのも事前に「遠軽町埋蔵文化財センター」に伺ったところ、「黒曜石の露頭は山奥深くで、とても個人ではいけませんよ」、「遺跡群の入口に看板が掲示されているだけです」と伺っていた。私はその看板のところまででも行ってみようと考えていた。それが難航した。詳しいマップもなかったので、ここと思われる所をあちこちと歩き回り、ようやく鬱蒼とした林の中に看板を見つけた。その後...道東旅物語①北海道遺産「オホーツク沿岸の古代遺跡群」              

  • 道東旅日記 第3日

    走りも走ったり!714km!当初予定ではもう一泊するつもりだったのですが、午後7時過ぎ、家に帰り着いてしまいました。本来は厚岸か、釧路で宿を探すつもりだったのですが、予定していた見学箇所をすべて終えて、厚岸に着いた時が午後2時前でした。「これは帰れるかもしれない」そう思い立ったら、もう「帰心矢の如し」です。釧路(正確には阿寒町)から高速に乗って夕張まで一気に走りました。それにしても一日に700kmオーバーとは、自分史上初ではないかと思います。自分の年齢を考慮しなかったことを反省しています。さて、課題の「北海道遺産巡り」ですが、順に言うと、斜里町の「朱円周堤墓」、これは「オホーツク沿岸の古代遺跡群」の構成遺産です。続いて「野付半島と打瀬舟」です。ただし打瀬舟の方は時期的なものですから残念ながら見ることは叶い...道東旅日記第3日

  • 道東旅日記②

    今日は非常に内容の濃い一日となりました。まず、懸案であった父母の墓参り3年ぶりに果たせたことです。心の澱が取り払われた思いです。併せてこちらに住む二人の妹家族とも再会することが出来ました。今回併せて巡っている「北海道遺産巡り」の方も数多くの箇所を訪れることが出来ました。訪れた順に書くと、「ワッカ原生花園」、「ところ遺跡の森」、「ピアソン記念館」、「モヨロ貝塚」、そして「小清水原生花園」と実に5ヶ所もカバーすることが出来ました。その中でも「ところ遺跡の森」が充実していたのには感激しました。実は「ところ遺跡の森」がある北見市常呂の栄浦地区には、「青年の家」があるので、何度も研修で訪れたり、レクで訪れていたのですが、恥ずかしながら一度も「ところ遺跡の森」を訪れたことがなかったのです。それくらい私は遺跡には無関心...道東旅日記②

  • 道東旅日記①

    道南の旅を終えたばかりなのに、今度は道東にやってきました。と言っても、今回は墓参が主たる目的の旅です。私の父と母はオホーツク管内の某町に眠っています。そこで今回は墓参でオホーツク管内まで来たので、その前後に道東の「北海道遺産巡り」を組み込んでみました。オホーツク管内は、いわば私のホームグランドでしたから、「北海道遺産」に指定されている物件もほとんど見学済みだったり、体験済みなのですが、未体験のものも含めて、日程の許すかぎり回ってみようと思っています。今日は、まず「オホーツク沿岸の古代遺跡群」の構成資産の一つである「白滝遺跡群」に寄りました。といっても「白滝遺跡群」の目玉は何と言っても「黒曜石」ですが、その路頭は山奥深くで個人では行くことができない、と言われ遺跡の入り口まで行き、あとは「遠軽町埋蔵文化財セン...道東旅日記①

  • トークイベント 北の縄文人の素顔

    トークイベントに登場したお二人は、今回世界遺産に登録された縄文遺跡だけではなく道内のさまざまな遺跡発掘に携わった方である。遺跡発掘にまつわるあれこれを楽しく語ってくれた。8月6日(土)午後、紀伊国屋札幌本店1Fインナーガーデンにおいてトークイベントが開催されたので参加した。トークイベントのテーマは「北の縄文人の素顔~遺跡から読み解く、縄文の人々の暮らし~」と題して、札幌国際大学縄文世界遺産研究室長の越田賢一郎教授と、元北海道埋蔵文化センター第2調査部長の三浦正人氏が登壇して語り合った。越田氏は今回の世界遺産登録について、元々は今から14年前に北海道と北東北の縄文遺跡群を関係者間で「縄文回廊を作ろう!」と起ち上げたのが始まりだったという。それから苦節14年、地元の方々の熱意で世界遺産に登録されたことは関係し...トークイベント北の縄文人の素顔

  • 道南旅物語⑥ 函館アラカルト

    箱館の繁栄に大きく寄与した高田屋喜兵衛、日本最古の観覧車、北海道最古の博物館、等々…。そして函館の特有の食など、これまで触れることにできなかった函館のアラカルトをレポし、このシリーズに終止符を打ちたい。道南の旅最終日の8月4日(木)は、旅日記で記したように事前に計画したところは全て巡り終えていたので、箱館繁栄の礎を築いた実業家・高田屋喜兵衛の足跡を巡ることと、函館で最も早く造成された都市公園の「函館公園」を巡ることとした。これらを巡るにあたっては、例によって「函館まちあるきマップ」を頼りにした。今回参考にしたのは№24の「近代の函館を思う~谷地頭から函館公園まで~」と№9の「北の豪商高田屋嘉兵衛物語~箱館の繁栄の基礎を築いた高田屋嘉兵衛の足跡を辿る~」の二つのマップだった。まず「函館公園」である。市電の終...道南旅物語⑥函館アラカルト

  • 道南旅物語⑤ 北海道遺産「五稜郭と箱館戦争の遺構」

    「五稜郭」は江戸幕府が幕府直轄の機関として築いた「箱館奉行所」を守るために築いたものであるが、榎本武揚率いる旧幕府軍がその拠点として「五稜郭」に本陣を置き、新政府軍に対抗した「箱館戦争」を起こし、激戦の末「五稜郭」を明け渡すことになった史実が「五稜郭」の名を一段と高めることになったといって良いだろう。8月3日、私は「函館山と砲台跡」、「函館西部地区の街並み」を巡り終えた後、電車で市内を横断し、五稜郭地区へ移動した。そして「五稜郭と箱館戦争の遺構」の関係個所を巡り歩いた。その際頼りにしたのが「函館まちあるきマップ」の№15の「真説・五稜郭物語~箱館奉行所“今時代を超えてよみがえる~」と、№16の「幕末の志士達が駆け抜けた箱館~土方歳三散華の道~」である。市電停留所「五稜郭公園前」から徒歩で15分ほど行くと五...道南旅物語⑤北海道遺産「五稜郭と箱館戦争の遺構」

  • 道南旅物語④ 北海道遺産「函館西部地区の街並み」

    幕末に国際貿易港となった「箱館」の歴史を色濃くとどめる西部地区は坂のマチであり、丘の上には歴史ある洋風建築や教会が建ち、独特の異国情緒を漂わせている。観光客にも人気のエリアを訪ね歩いた。函館山の砲台跡を見た後、その函館山の下に広がる北海道遺産「函館西部地区の街並み」を訪ね歩いた。頼りにしたのは「函館まちあるきマップ」の№1の「これぞ王道!函館の魅力凝縮コース~はるばる来ました函館へ~」と№2の「てくてく坂道大三坂・八幡坂編~坂が織りなす異文化のタペストリー~」の二つのマップだった。※両方のマップの赤い点線のところをほぼ正確に歩きました。◇国際貿易港として開港函館はアメリカ海軍マシュー・ペリー提督の来航を気に、日米和親条約が結ばれ、嘉永7(1854)年に「下田」と「箱館」が開港したことに始まる。そのことにち...道南旅物語④北海道遺産「函館西部地区の街並み」

  • 道南旅物語③ 北海道遺産「函館山と砲台跡」

    函館山は函館市を代表する観光名所の一つである。しかし、その函館山一帯は、明治期から太平洋戦争時にかけて長らく軍事要塞として使われてきたという。山頂付近にはその当時の遺物があちらこちらに遺されていた。この日(8月3日)函館市は夜半からの雨が続き、午前7時過ぎになってようやく雨が上がるといった天気だった。※この「まちあるきマップ」が「北海道遺産」巡りの指南書になりました。私はこの「函館山と砲台跡」を巡るために、「函館まちあるきマップ」の№19「もう一つの函館山~閉ざされた要塞の秘密~」を参考にすることにした。このマップではロープウェイで函館山々頂に上って、山頂から下山しながら砲台跡を巡るコースとなっていた。ところがロープウェイの運行は午前10時からと遅いため、私は反対に登山をしながら砲台跡を巡り、下山にロープ...道南旅物語③北海道遺産「函館山と砲台跡」

  • 内容が充実していた!札幌市平和のつどい

    クラシックアンサンブルあり、合唱あり、音楽劇ありとバラエティーに富んだ集いは内容の濃いものだった。もちろんそれら以外の平和に関する催しもあった。時が時だけに、平和の尊さについても考えることができた「平和のつどい」だった。「道南旅物語」を一時休止して、話題が古くならないうちに投稿しておこうと考えた。道南の旅から帰った翌日の5日(金)午後、札幌市教育文化会館で開催された札幌市の「平和のつどい」に参加した。「平和のつどい」の内容は次のような構成になっていた。◇弦楽四重奏団「クァルテット・ポッポ」のオープニングコンサート◇「平和都市宣言30周年記念ロゴ」優秀賞表彰◇「平和へのメッセージ」優秀賞表彰◇ミュンヘン賞紹介◇「平和大橋タイムカプセル」開封・お披露目◇札幌市平和都市宣言◇HBC少年少女合唱団ミニコンサート◇...内容が充実していた!札幌市平和のつどい

  • 道南旅物語② 北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈6〉 垣ノ島遺跡(函館市)

    垣ノ島遺跡は国内最大級の「盛り土遺構」が有名であるが、にわか遺跡ファンとしては、遺構全体が芝生に覆われていることでその素晴らしさを今一つ実感できなかった。しかし、遺跡の傍に立つ「函館市縄文文化交流センター」の展示は見どころ十分だった…。※「垣ノ島遺跡」のエントランスを入ると遺跡全体を見渡せる展望デッキがあり、そこから遺跡全体を写したものです。太平洋も望めました。※「垣の島遺跡」の全体図です。遺跡域は右側半分だと思われます。※この遺跡の標柱に付くマークは、全体で縄文土器を表し、上部は北海道、下部は北東北を表し、その間に津軽海峡を表しているそうです。全体の朱色は当時から漆が使われていたことを表しています。「垣ノ島遺跡」は「大船遺跡」と同じ旧南茅部町の臼尻地区にあり、「大船遺跡」とはそれほど離れていない、やはり...道南旅物語②北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈6〉垣ノ島遺跡(函館市)

  • 道南旅物語① 北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈5〉 大船遺跡(函館市)

    ※2泊3日の短い旅だったが、私にとっては収穫の多い旅でもあった。これから何日間かに分けて「道南旅物語」と題してレポートしてみたい。大船遺跡は海岸段丘の上に展開されていた。そこに遺されていた竪穴住居跡は想像していたよりはるかに大きく、深いものだった。大船遺跡の特徴は、竪穴住居の完全復元、骨組復元、竪穴復元と多様な形で展示されていることだった。※「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産では必ずこのような標柱が掲示されているそうです。「大船遺跡」は鹿部町から函館市に向かう途中、海岸沿いの大船地区の海岸段丘上に展開していた。大船地区は、現在は合併して函館市の一部となっているが、元南茅部町の集落の一つに存在する遺跡である。※「大船遺跡」の「縄文の庭」部分の全景です。※「大船遺跡」の全体図は右図ですが、私が主として見...道南旅物語①北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈5〉大船遺跡(函館市)

  • 道南旅日記 第3日

    計画した全ての日程を消化した上、本日は予定になかった明治期の函館の豪商で、函館の礎を築いた「高田屋嘉兵衛」の足跡を訪ねて歩き、さらには箱館戦争において旧幕府軍(榎本軍)の一員として箱館の地に散った兵士たちを祀った「碧血碑」(へっけつ)も訪ねことができました。そして午前11時過ぎに函館を発ち、午後4時過ぎに無事帰宅しました。今回の走行距離は597kmでした。今回、函館の街を効率的に巡り歩くことができたのは、実は函館市観光部の助力があったおかげなのです。今回の旅に出る前に、「函館まちあるきマップ」の存在を知りました。そこで函館市観光部にそのマップを取り寄せることを依頼したところ快く依頼に応じてくれたのです。日を置かずして25コースある「函館まちあるきマップ」とその他の観光資料を我が家に届けてくれ、それを参考に...道南旅日記第3日

  • 道南旅日記 第2日

    今日は朝から一日中函館市内を歩き回りました。午前中は函館山々中を彷徨し、函館山に構築された明治陸軍の戦闘司令所跡や砲台跡を探して歩き回りました。函館山を2度くらい登った気分でした。山頂にも立ったのですが、私はどうやら函館山に嫌われているようです。前回もそうでしたが、今回も山頂は霧に覆われてまったく函館の街並みを眺めることが出来ませんでした。午後は函館の景観を一層際立たせている「函館西部地区の街並み」を見て回りました。写真映えがして、若い女性たちから人気があるのも頷けます。その後、市電で移動して五稜郭に向かいました。五稜郭そのものは私は3度目なのですが、その後「箱館戦争の遺構」を見て回りました。詳しくは帰宅してから投稿しますが、最後に「土方歳三最期の地」碑を探して五稜郭から函館駅まで歩かされたのに見つけるこ...道南旅日記第2日

  • 道南旅日記 第1日

    函館市の南茅部地区に来ています。当初の計画では、本日は「大船遺跡」を見学し、明日「垣ノ島遺跡」を見学する予定でした。ところが、本朝予定より1時間早い午前5時に自宅を発ったものですから、「大船遺跡」の午前10時の遺跡説明会に間に合いました。そのため、明日に予定していた「垣ノ島遺跡」の午後1時からの説明会にも間に合い、今回予定していた「北海道・北東北の縄文遺跡群」の見学予定を本日終了してしまいました。「大船遺跡」は、竪穴住居跡もはっきりと残っている上、復元住居も建てられていて、興味深いものでした。(下の写真です)それに対して「垣ノ島遺跡」の方は、〇〇跡とか、〇〇遺構とはいうのですが、それらの跡がなんとなく分かる程度のもので、訪れた者としては若干残念な思いになったのも否めません。ただ、「垣ノ島遺跡」のところに併...道南旅日記第1日

  • 北海道・北東北の縄文遺跡群シンポジウム

    遺跡という地味な文化遺産、その上広域に渡っていることから、観光面でも、地域づくりの面でも難しさを抱える世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」をどう生かしていくか、という課題について考えるシンポジウムに参加した。昨日(7月31日)午後、札幌グランドホテルを会場に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の「世界遺産登録1周年記念シンポジウム」に参加した。シンポジウムは4時間という長丁場だったが盛りだくさんの内容が詰め込まれたシンポジウムだった。その内容とは…、※開会前の会場の様子です。◆基調講演「世界遺産と縄文遺跡群の役割」講師:北海道環境生活部文化局文化振興課縄文世界遺産推進室特別研究員阿部千春氏◆1周年記念イベント「各地の喜びのメッセージ」◆パネルディスカッション「縄文世界遺産これからのまちづくりと文化振興を考える...北海道・北東北の縄文遺跡群シンポジウム

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