古九谷の謎を芭蕉の「奥の細道」からたどってみました。
隠密・芭蕉と曾良が古九谷の謎を解き明かしていきます。酒井田柿右衛門は加賀藩が送り込んだ隠密でした。
九谷古窯群(1号・2号窯・吉田屋窯)の在る「九谷A遺跡」から真砂に向かって進む、渓谷が二手に分かれ 左手を遡る。谷を覗きながら30分程歩く、途中見上げ...
13-6 「去れど、父権左右衛門も、京・加賀・江戸・肥前と体が幾つ在っても足りませぬ故、下絵は狩野派の絵師に。」 「左様か、利常公の肝煎りともなれ...
「古九谷」余滴 ⑩一② 伝承に見る 「古九谷」 たとえば、”才次郎が吸坂の陶土を九谷の窯で焼いた”では...
「古九谷」余滴 ⑩一① 伝承に見る「古九谷」 最近『九谷焼濫觴大尾』なるものが民間で発見された。江戸期を通じて伝え...
「古九谷」余滴 ⑨ー③ 私の「古九谷」 いわば「古九谷」は、こうした流れの集大成であります。それは「伊万里」の様式化したものでも...
古九谷余滴 ⑨―② 私の「古九谷」 造形美に対する感じ方は個々人みな異なっています。しかし、例えば山に登ることによっ...
古九谷余滴 ⑨―① 私の「古九谷」 二十数年前に書いた原稿が出てきたので、恥ずかしながら載せました。 「古...
かって、山中温泉で毎年行われている”古九谷修古祭”でも公演されておられる岡本太郎氏は、著書の『今日の芸術』で、芸術は創造です。だから新しいということは、...
中国には完璧な陶磁器の歴史があり、日本には「古伊万里」という優れた磁器があるにもかかわらず、何故に「古九谷」は評価されてきたのか、何処が評価に値されたの...
ちなみに、後藤宗家では、七代顕乗は (1586~1663) 大聖寺藩の弥三右衛門は (1584~1665) 酒井田柿右...
― 立乗・七郎兵衛 (1630年没) ― 益乗・七郎兵衛 (1662年没) (*)右兵衛・兵庫頭・清永・清重 (*)市右...
― 六代栄乗・四郎兵衛(1577~1617) ― 八代即乗 秀...
『後藤家十七代の刀装具』に記載の本家系図に符合する、加賀で名を残す関係者(*)です。 後藤家は、初代祐乗・二代宗乗・三代乗真と続き、四代光乗の時代に...
”伊万里論者”の中にも、加賀藩なくしては「古九谷」はできなかったのでは?と思われる人は沢山おられると思います。それでは、誰が「古九谷」を造ったかでありま...
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