chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
tammy
フォロー
住所
北区
出身
山科区
ブログ村参加

2010/02/19

arrow_drop_down
  • 俳句を読もう。俳句と遊ぼ。

    今日のいちばん 母に隠し事あり浅蜊が砂を吐く きむらけんじ「隠し事」と「砂を吐く」が対比になっている。さて、「母の隠し事」とは?ここで大いに想像してしまう。そこんとこを自由に楽しんで、というわけ。この作者は自由律俳句にこだわっている。筆者は「言葉遊び派」の「リズム派」。で、気になる。「あり」と「が」が必要か?つまり、「母に隠しごと浅蜊砂を吐く」ではダメなのか。自由律の俳句でこんな例にかなり出会う。省...

  • 俳句を読もう。俳句と遊ぼ。

    今日のいちばん 謝りに行く道の木蓮匂いすぎ きむらけんじ心の中の複雑さがよく出ている。謝りの言葉をあれこれ考えていてアタマは精いっぱい。そんな道に突然、木蓮の花。綺麗だと花を楽しむ気分ではない。しかし、この花、こんなに匂った?気になってきた。ああ、どうやって言い訳するか考えていたのに。ということで、堂々めぐり。笑いやペーソスはないが、作者のぐちゃぐちゃ感が伝わってくる。...

  • 俳句を読もう。俳句と遊ぼ。

    今日のいちばん 通帳にらんで女動かぬ道の端 きむらけんじなぜ、この「女」は動かないのか。にらんでいるのは預金通帳?とすると、とんでもなく妄想がしやすい。「道の端」とあるから、よくないことがきっと起きているのだ。そこでまた妄想が広がる。「女」はどんな服を着ていて、歳は?若い?働いてる風?少しズームアウトして「女」を見るとなんとなく寂しい。どんな「道の端」?国道のクルマがビュンビュン走る道端?それと...

  • 俳句を読もう。俳句と遊ぼ。

    今日のいちばん 妻よ南瓜はこの世に必要なのか きむらけんじユーモアを過ぎて、ペーソスを感じる。ユーモアは哀愁に繋がる。それが狙いであろう。南瓜が毎日、食卓に並ぶ。それはそれで嬉しい?のだがあまり続くと、イヤな気分になる。でも、決して妻にイヤとは言えぬ。で、この一句。妻にはっきり言えない。でも、気持ちは伝えたい。苦肉のひと言。「この世に必要か」。哀愁いっぱいである。...

  • 俳句を読もう。俳句と遊ぼ。俳句と遊ぼ。

    今日のいちばん 国会中継延々葱買いに行かねば きむらけんじ国会中継をたまに観ることがある。「延々」なのだけれど禅問答というか、中身のない質疑応答の連続にうんざりする。質疑応答と書いたが、実際は答にならないはぐらかしの答が「延々」と続く場合が多い。それでも、なにか起きるのではと思うから、その場が離れない。やっぱり、ドラマが起きることはなく空しいままに「葱を買い」に行くことになる。なんとなく「私」の...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、tammyさんをフォローしませんか?

ハンドル名
tammyさん
ブログタイトル
象と空
フォロー
象と空

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用