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でんでんむしの岬めぐり https://dendenmushimushi.blog.ss-blog.jp/

自称『岬評論家』でんでんむしの日本全国津々浦々突端出っ張り先っちょコレクションの記録です。

免許もないので、電車とバス、ときどきタクシーとレンタサイクルで…という、今流行りの「エコ旅行」。これがちょっとユニーク(誰も言わないので自分で言う)。もっとも、単なる旅行記でもない(つもり)。

でんでんむし
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2010/02/16

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    自称『岬評論家』でんでんむしの日本全国津々浦々突端出っ張り訪問記録。電車とバスときどきタクシーと船自転車でってえのがミソ。これってスゴくない?

  • 番外:都道府県別リンクリストの表紙

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。近畿以東は、ほぼだいたい行っていますが、鳥取・佐賀は0、徳島・愛媛は1と西日本は行けてないところが多い。下の都道府県名をクリックすると、それぞれのページへ飛びます。 (都道府県別 Link List)表紙 北海道 青森 秋田 岩手 山形 宮城 新潟 福島 富山 栃木 石川 茨城 福井 長野 山梨 京都 滋賀 東京 ..

  • 番外:沖縄県(43)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)沖縄県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 43 沖縄県 沖縄本島周辺の慶良間列島などには行けなかったが、それを除くと、日本最西端の与那国島や有人最南端の波照間島まで含めて、沖縄県はほぼだいたいおおむね網羅(無理矢理)。沖縄本島東海岸 (国頭郡国頭村) 1224 辺戸岬=国頭郡国頭村字辺戸(沖縄県)09:45那覇空港発=15:34辺戸岬着3.. 1223 世皮崎=国頭郡国頭村字奥(沖縄県)鹿児島から続いてきた国道58号線はこ.. 1222 長瀬崎=国頭郡国頭村字奥(沖縄県)ヤンバルクイナの鳴き声も聞こえる沖縄.. 1221 赤崎=国頭郡国頭村字楚洲(沖縄県)県道70号線を走る車は飛べない鳥ヤン.. 1220 イシキナ崎=国頭郡国頭村字安田(..

  • 番外:鹿児島県(42)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)鹿児島県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 42 鹿児島県 おれんじ鉄道沿線はひと通りめぐったが、指宿枕崎線はとにかく終点まで行ったというだけで、車窓からでは岬は拾えなかった。種子島・屋久島などや薩南・奄美の島々はまったくのお手上げ。(出水市) 411 松原鼻=出水市荘(鹿児島県)初めてなのに懐かしいツル.. 412 出水崎=出水市荘(鹿児島県)岬も「憲法第25条」も薮.. 413 長万崎=出水市荘(鹿児島県)“地域活性化の切り札”と.. 414 立石鼻=出水市高尾野町江内(鹿児島県)海を見て山を見.. (阿久根市脇本) 422 焼崎鼻=阿久根市脇本(鹿児島県)閉鎖性水域の南端は漏.. 423 長崎鼻・鵜瀬鼻=阿久根市脇本(鹿児島県)道は..

  • 番外:宮崎県(41)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)宮崎県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 41 宮崎県 宮崎は南の日南周辺のごく一部のみ。いるか岬・瀬平崎・鵜戸崎・猪崎といずれも岬に隣り合う岬は無視しているケースが目立つ。しらみ潰し方針に変更の前かそれとも地理院地図に当時はなかった岬名が加わったのかどうか、微妙なところながら不明。(西都市・宮崎市) 番外:西都原古墳群=西都市(宮崎県)日本の歴史の先端は 090 戸崎鼻=宮崎市青島(宮崎県)アオシマだ〜あ! 089 いるか岬=宮崎市・日南市(宮崎県)新婚旅行宮崎行ったでしょ(へそまが.. (日南市) 087 瀬平崎=日南市富土(宮崎県)伊勢でなくとも伊勢エビはとれる.. 086 鵜戸崎・日崎=日南市鵜戸神宮(宮崎県)御崎に神宿りた..

  • 番外:大分県(40)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)大分県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 40 大分県 国東半島は南のごく一部を出張旅行の通りがかりにつまみ食いしただけ。佐賀関半島もこの当時はまだ岬をしらみ潰しに歩くという方針を固める前だったので、他の岬が眼に入らなかった。岬も多い南部の臼杵・津久見・佐伯の各市には行けていない。(国東半島) 135 黒津崎=国東市(大分県)仏の里に来て仏を見ず 136 権現鼻=杵築市(大分県)カブトガニの日々へ… 岬めぐり 137 大崎鼻=別府湾・日出町(大分県)地獄で仏? 岬めぐり (佐賀関半島) 029 関崎=大分市大字佐賀関(大分県)佐賀関といえば製錬所で覚えていたくらいで..

  • 番外:熊本県(39)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)熊本県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 39 熊本県 芦北町の一部と津奈木町の岬へは交通網とルートの関係から行けなかったので途中を飛ばしているが、天草を除く熊本の岬を拾って、北から南へ。(熊本市河内町) 262 長崎鼻=熊本市河内(熊本県)寂れてしまった温泉と消え.. 263 射崎=熊本市河内町河内・塩屋(熊本県)こんもりした岬.. 264 仏崎=熊本市河内町河内・鰐洞(熊本県)ムツゴロウはい.. (宇城市)宇土半島 265 黒崎=宇土市赤瀬(熊本県)赤い海に黒い?岬 岬めぐり 266 観音岬=宇城市三角町大口(熊本県)ヤシの並木に観音堂 267 鳥足岬=宇城市不知火町大見(熊本県)ビニールハウスに.. 268 禿の岬=宇城..

  • 番外:長崎県(38)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)長崎県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 38 長崎県 日本一岬の多い県は、長崎半島の東西海岸をなめただけで、島原半島や西彼杵半島は未着手のまま。それに加えて、対馬・壱岐・五島などの諸島にも行けていない。(平戸) 035 南竜崎=平戸市岩の上町(長崎県)ずっと鎖国政策の矛盾をみてきたであろう岬.. (西彼杵郡)大村湾南部 1027 玖島崎=大村市玖島1丁目(長崎県)日本一たくさんの岬があるこの県にいよ.. 1037 神崎=西彼杵郡時津町西時津郷(長崎県)ここが日本二十六聖人らの上陸をも.. 1036 竜崎・恵美須崎=西彼杵郡時津町西時津郷(長崎県)“七工区”もあるここはい.. 1035 崎野ノ鼻=西彼杵郡長与町斉藤郷・時津町西時津郷(長崎..

  • 番外:佐賀県(37)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)佐賀県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 37 佐賀県 佐賀県の岬は、北の玄界灘側と南の有明海側にあるが、ひとつも行けていない。ごめんね。唐津や伊万里や有田には行っているのだが…。

  • 番外:福岡県(36)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)福岡県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 36 福岡県 東の北九州市の端と西の糸島半島の端は行き残しているが、玄界灘の沿岸を東から西へ辿る。 (北九州市) 1207 北九州から福岡まで=玄界灘沿岸を飛ぶ(福岡県)2015空からの岬を眺めてみ.. 139 岳ノ鼻=新北九州空港(福岡県)ムリヤリ岬にかこつけて.. 030 潮見鼻=北九州市門司区大字門司関門海峡(福岡県)関門海峡を渡る橋の下は川.. 822 柁ヶ鼻=北九州市門司区門司(福岡県)学校の運動会もNHKの紅白もみんなこの.. 番外:関門海峡と門司港ホテル=北九州市門司区門司(福岡県)思い返してみると昔.. 番外:北九州市立松本清張記念館=小倉(福岡県)『黒皮の手帖』.. 13..

  • 番外:愛媛県(35)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)愛媛県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 35 愛媛県 佐田岬半島を197国道とその先の県道をひたすら西へ行っただけ。ついでにも他の岬をと思うべきところだが、この当時はまだ全岬を拾うという発想がなかった。なので、愛媛県はこれだけ。 037 佐田岬=西宇和郡伊方町正野(愛媛県)日本一細長い半島を延々西へ行ってその..

  • 番外:高知県(34)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)高知県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 34 高知県 室戸岬から足摺岬のその先まで、東から西へ。東も西も行けてないところもあり、歯抜け状態。東側は室戸岬以外は手つかず足つかずだが、足摺岬の周辺は一応網羅した。 (室戸市から香南市へ) 003 室戸岬=室戸市室戸岬町(高知県)電車も通わぬ超有名岬には空海ゆかりの洞.. 554 御殿ノ鼻=安芸市赤野甲(高知県)ごめんなはりiPad.. 556 手結岬=香南市夜須町手結山(高知県)人はいさ心も知ら.. 555 佛岬=香南市夜須町手結(高知県)岬と国内最古の港そし.. (高知市)桂浜 552 上竜頭岬=高知市浦戸(高知県)有名な銅像にかすんでし.. 551 下竜頭岬=高知市浦戸(高知県)そ..

  • 番外:徳島県(33)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)徳島県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 33 徳島県 徳島の岬めぐりは、詳細な計画まで立てていたのだが、実行に至らず、ほとんどが行けていないまま。しかし、高知からの案まで含めて、何度も計画をいじっているうちに自分の中ではもう行ったような気がしたりして…。 (鳴門) 1329 牛ノ鼻・瀬方鼻=鳴門市北灘町粟田・瀬戸町大島田(徳島県)徳島の岬を遠望.. 026 鳴戸岬(門崎)・孫崎=南あわじ市福良・鳴門市鳴門町土佐泊浦(兵庫県・徳島.. (蒲生田岬) 014 蒲生田岬=阿南市椿町(徳島県)紀伊水道を挟んで日ノ御碕と向かい合うここは..

  • 番外:香川県(32)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)香川県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 32 香川県 雨の小豆島はいくつかのバス路線に従ってめぐった。豊島や直島などはフェリーの航路に従ってめぐった。塩飽諸島には行けていない。四国本土の瀬戸内海沿岸は東から西へ、岬を拾って電車とバスで移動。 (小豆島町から土庄町へ・小豆島の北側海岸) 1548 金ヶ崎=小豆島町福田(香川県)まずは北東の端っこから雨の小.. 1549 藤崎=小豆島町吉田(香川県)小豆島は北東から南西へ斜めの境.. 1550 妙見崎=土庄町大部(香川県)こぼれ美島と岬を見ながら行く小豆島北.. 1551 前鼻=土庄町大部(香川県)結局バスの車窓からでははっきりとは確認でき.. 1552 屋形崎鼻=土庄町屋形崎(香川県)大阪..

  • 番外:山口県(31)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)山口県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 31 山口県 日本海・響灘の沿岸を北から南へ。周防灘沿岸を東から西へ。…といっても、つまみ食いもいいところで、大きく歯抜け状態。そのごく一部しか岬は拾えていない。 (長門市)三隅・仙崎 837 望ヶ鼻=長門市三隅中(山口県)秋吉台の西の鉱山から石.. 838 和田の鼻=長門市三隅中(山口県)村田清風記念館と香月.. 079 仙崎=北長門(山口県)朝やけ小やけだ大漁だ 835 法瀬の鼻・ささきの鼻=長門市通(山口県)この名前はな.. 836 竹の子鼻・潮場の鼻=長門市仙崎・通(山口県)「二分歩.. 834 牛崎の鼻=長門市仙崎(山口県)いつも想定外でまったく.. (長門市)油谷 080 ..

  • 番外:広島県(30)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)広島県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 30 広島県 瀬戸内海沿岸を東から西へ。広島はでんでんむしの故郷。広島県には島々も数多いが、そのほとんどは行けていない。 (福山市) 1205 福山から大竹まで=瀬戸内海の島々づたいに(広島県)2015空からの岬を眺め.. 308 竹ヶ端=福山市水呑町(広島県)芦田川の流れの端と底に.. 307 鳥ノ口岬=仙酔島(広島県)仙人が酔うほどの景色か? 306 狐崎=福山市鞆町後地(広島県)阿伏兎の東に連なって… 022 阿伏兎=福山市沼隈町大字能登原(広島県)鞆の浦周辺を回ったついでに準岬の.. 305 牛ノ首=福山市内海町(広島県)これも岬の仲間です 028 しまなみ海道=今治市上浦町甘崎・..

  • 番外:岡山県(29)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)岡山県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 29 岡山県 瀬戸内海沿岸を東から西へ。備讃諸島を香川県に取られているので、岬のある島は少ない。笠岡の沖にある島々には計画はしたけど行けていない。 (備前市) 913 真尾鼻(鵜ノ石鼻)=赤穂市福浦・備前市日生町寒河(兵庫県・岡山県)国境.. 914 掛ノ鼻=備前市日生町寒河(岡山県)品川白煉瓦工場と瀬戸の写真は撮り損ね.. 915 ツブロ鼻=備前市日生町寒河(岡山県)目をつぶろう鼻もつぶろう日生大橋は.. 916 松ヶ鼻・タタリ鼻=備前市日生町日生(岡山県)思いがけない人と地域の結び.. 917 呼子ノ鼻=備前市穂浪・日生町日生(岡山県)忘れ去られたような静かで小さ.. 921 高座ノ鼻=備前市..

  • 番外:島根県(28)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)島根県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 28 島根県 主に自動車道から把握できたところだけ、つまみ食いでお茶を濁している。島根県には隠岐諸島もあるが、これも未踏のまま。 (松江市) 001 地蔵崎=松江市美保関町美保関(島根県)美保が関灯台と関の五本松ほどには.. 番外:中国地方北西部海岸をひとまわり=(ちょっとだけ福岡県に.. 848 湯町鼻=松江市玉湯町湯町(島根県)なんとまあ銅剣・銅.. 847 鳥ヶ崎=松江市玉湯町林(島根県)宍道湖畔まできたがち.. (出雲市) 050 日御碕=出雲市大社町日御碕(島根県)ただひとり立っている出雲日御碕灯台..845 追石鼻=出雲市大社町日御碕(島根県)神も集う出雲の国.. 846 赤石..

  • 番外:鳥取県(27)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)鳥取県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 27 鳥取県 山陰側はほとんど行けていないが、なかでも鳥取県は行くには行ったが、岬とは関係のないところばかりで…。 (日本海側)申し訳にw 038 御崎=美方郡香美町香住区余部(兵庫県)この付近も改めてちゃんと行かなけ..

  • 番外:兵庫県(26)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)兵庫県 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 26 兵庫県 兵庫県は日本海側と瀬戸内海側に分かれるが、北側のほうはほとんど手付かず足つかず。そのかわり、南側は島まで含めて一応網羅。 (日本海側)申し訳に 038 御崎=美方郡香美町香住区余部(兵庫県)この付近も改めてちゃんと行かなけれ.. (神戸市) 232 和田岬=神戸(兵庫県)そして神戸…ひとつが終わり生ま.. (淡路島東海岸) 025 鵜崎=淡路市岩屋(兵庫県)明石海峡大橋の袂までは行っているのだがちょっと.. 233 鵜崎=淡路南鵜崎(兵庫県)かよふ千鳥の鳴くこえに 236 掛牛岬=洲本(兵庫県)道路と岬の関係についての一考察 237 生石鼻=洲本由良(兵庫県)遠き日は甦ることな..

  • 番外:京都府(25)

    日本全国津々浦々に点在する岬のうち、このブログで取りあげたところを、都道府県別のリンクボタンで整理しています。 (都道府県別 Link List)京都府 ↑クリックすると表紙へ戻ります。 25 京都府 舞鶴から丹後半島北端へ。京丹後市の西の岬へは行けないまま。 (舞鶴市・舞鶴湾) 594 成生岬=舞鶴市字成生(京都府)押廻鼻から北北西に視線.. 595 博奕岬=舞鶴市字瀬崎(京都府)キミの名はと…ハマヒル.. 596 松ヶ崎=舞鶴市字千歳(京都府)峠を越えて船があるとこ.. 599 三本松鼻=舞鶴市千歳(京都府)今日も暮れゆくこの岸壁.. 600 松ヶ崎=舞鶴市字泉源寺(京都府)舞鶴湾でもうひとつあ.. 601 捻松崎=舞鶴市字長浜(京都府)昔も今も軍港で海軍の基地.. 602 匂崎=舞鶴市字下安久(京都府)ニホは邇保で丹保で銅鐸.. 598 横波鼻=舞鶴市白杉(京..

  • 番外:このブログのブラウジング・ガイド(「岬めぐり」はこんなふうにしてできています)

    ■「完結」はしていないけれどここらでひと区切り 「でんでんむしの岬めぐり」は、原則として国土地理院地図にその名前の表記がある日本全国の岬(崎・鼻を含む)をめぐっていこうというブログです。 「岬めぐり」の原点となったのは10代の終わりに遭遇した潮岬と東尋坊 フツーこういう場合、マイカーやレンタカーを使えば回ること自体はそう難しいことではありません。ところが、でんでんむし(わたしのハンドルネームです)は免許も持たず車の運転ができないので、制約が多く不便な電車やバスなどの公共交通機関でめぐるしかありません。ならばそのハンデを逆手に取って楽しんでみよう…というのがミソです。 当初は、どうせ全部は行けないんだし、主だった岬だけを拾って…というつもりだったのですが、それもおもしろくないし似たようなことはやっている人も他にありそうだから、人のやらないことをやろうと、有名かどうか..

  • 1595 オカメノ鼻・タテエボシ鼻=香川郡直島町(香川県)70項におよんだ播磨灘周辺の岬めぐりはこれでおしまい

    「つつじ荘」というのは、どうやら海の家か何かの名前で、宿泊施設やカフェなどもあるらしい。そこが直島町営のマイクロバスの終点である。その浜辺から見ると、南西方向に細長く突き出た岬がある。 ここにはオカメノ鼻という名があるが、特に古文書に由緒があるわけでもない。前項および前々項で触れたように、直島にはこの地の代官などを務めたという三宅氏が代々伝えてきた『故新伝』という文書に島のあちこちについての記載があるようだが、そのなかに姫が琴を弾いて上皇を慰めたとか、姫の一人にの名は京であると伝えている。 国土地理院の地図では、つつじ荘の付近には琴反地という字名がついており、その北西側の山には京ノ山105.5と表記している。これらが古文書の伝えるところと何か関係があるのかどうかはわからない。 砂州が先端の岩島と結びついたような地形の岬の周辺には、ベネッセ関連の何かがあるようだ..

  • 1594 角崎=香川郡直島町(香川県)まちまちでバラバラな記述を総合して崇徳院と直島の関係を見直してみると…

    直島は、かつては真島と呼ばれていた。神功皇后が吉備軍と待ち合わせをしたので待島となり、これが真島になったという。崇徳院(崇徳上皇)が島に配流されたときに付従った人々が、院に対して厚く実直であったことから、真島が院によって直島と名付けられたと『故新伝』は述べている。この史料では、前項の猫ヶ鼻のほかにも、島の多くの地名や縁をたくさん並べている。 たとえば、院の船が到着した浦を「王積の浦」、院の御所が造られた場所を「泊か浦」、院の姫宮が後を慕って三宅中務大輔源重成とともに到着した浦を「姫泊か浦」、そこの山を「姫泊山」としている。そのほか、院に付き従った家臣らが滞在した場所の名に結びつけたりしていろいろあげてある。 現在の国土地理院地図に表記された名前では、本村の南側に積浦という集落があるが、どうやらそこが「王積の浦」であるらしい。その東には標高100メートルの「姫泊山」があ..

  • 1593 猫ヶ鼻=香川郡直島町(香川県)なんでネコなのかさっぱりわからんので調べてみると…

    宮浦港から東へ2.5キロ行くと、直島の東海岸に出る。そこは本村(ほんむら)という地名が残っているので、元々は直島の中心部となっていた集落なのであろう。役場や農協などもここに集まっているが、今ではベネッセアートサイトの一部として、建物や路地などを中心とした家プロジェクトの舞台ともなっているようだ。 それが目的ではないこちらは、超満員のバスに詰め込まれたまま通り過ぎるだけだったが、この付近のバス停周辺の狭い道路には多くの外国人観光客がたむろしていた。それが目当てでやってきた人たちなのだろう。何やらバスの運転手に向かって聞いているが、聞かれた運転手も会話ができるわけでもなく、答えに窮していた。 また、宮浦港を出てバスが東へ向かう途中でも、Tシャツに半ズボンにリュックといった外国人のグループが、何組もバスに乗らず道をテクテク歩いているのを追い抜いてきた。この人たちはバスがあること..

  • 1592 串山ノ鼻=香川郡直島町(香川県)直島の玄関口の宮浦港に向かう途中で見える瀬戸大橋

    直島航路のフェリーは、直島水道を南に向かう。このとき葛島と荒神島という二つの無人島の間から南西方向に視界が開ける。右手には、玉野市の玉付近の造船所とその南に飛び出している犬戻鼻が見えてくる。 白い大きな屋根で覆ったドックらしきものがある。この付近が蛸崎鼻ということになっているのだが、そこは造船所の構内にある岸壁になる。これらの岬については、すでに宇野港からの遠望でむりやり気味ながら項目はつくっていた。 468 蛸崎鼻・犬戻鼻=玉野市玉三丁目・深井町(岡山県)三井造船玉野事業所へ進水式を見に行きませんか 今は、その二つの岬をより近くから眺めていることになる。 そして、犬戻鼻の左手には瀬戸大橋が見えてくるが、そこまでは犬戻鼻から南西13キロもあるので、肉眼ではちょっと苦しい。ズーム写真にしてやっとはっきりそれとわかる。見えているのは瀬戸大橋の南部。 修学旅行..

  • 1591 鶴石ノ鼻=香川郡直島町(香川県)またきたよ宇野港から今度は直島航路に乗り換えて

    直島の最西端で製錬所の西はずれの施設からすぐ南にある鶴石ノ鼻と、宇野港の南の端で小さく丸く出っ張っているナキンダ鼻との間は、1.9キロしか離れていない。 宇野港には、これまでも岬めぐりで何度かきていて、港周辺のナキンダ鼻や高辺鼻については、2009(平成21)年の訪問時にそれぞれ項目をつくってあげていた。 470 ナキンダ鼻=玉野市宇野(岡山県)宇高連絡船『紫雲丸』を知っていますか? 472 高辺鼻=玉野市築港五丁目(岡山県)香川県は目の前500メートル先に この高辺鼻の項を見ると、小さな浮き桟橋越しに岬が写っているが、この小さな浮き桟橋が、その当時には直島航路の発着桟橋であった。そこはJR宇野駅からまっすぐ南へちょっと歩いたところで、小さな連絡船の利用者もまばらであったような記憶があった。 それから10年が経って、宇野港のフェリーや客船の乗り場は、大きく変化したようだ..

  • 1590 獅子渡ノ鼻=香川郡直島町(香川県)石庭でも有名な「虎の子渡し」をすぐに連想してしまうが…

    直島の早崎と獅子渡ノ鼻、その南に続く鶴石ノ鼻については、2009年の宇野訪問のときに、宇野港の岸壁にある直島行きの船が出る桟橋から眺めたところで、まとめて項目をつくっていた。 471 早崎・獅子渡ノ鼻・鶴石ノ鼻=香川郡直島町風戸(香川県)なんで直島なんかへわざわざ…? 獅子渡ノ鼻といえば、龍安寺の石庭でも有名な、「虎の子渡し」をすぐに連想してしまう。実際に同じ意味で「獅子の児渡し」と称している庭園もあるようだが、それは少数派であろう。中国の説話からきたというこの話には、さまざまな亜流があって、似たような話を読んだか聞いたかした人は多いはずである。 虎が子を3匹生むと、どういうわけかその中には必ず豹が1匹いて、そいつは隙あらば他の2匹を食おうとするので、母親の虎は川を渡る際に子を彪と2匹だけにしないよう子の運び方に苦慮するという、あの話だ。転じていろいろやりくりに苦労する意味もあるというが..

  • 1589 早崎=香川郡直島町(香川県)直島製錬所の前にある禿山で禿島の寺島の先に低い灯台がある小さな岬

    当初、豊島にすげなく断られた結果、直島に置かれることになった製錬所は、後にその豊島との浅からぬ縁が双方ともに予想もしない形で復活することになる。 豊島の産廃事件については、后飛崎のところで触れていた。 1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった このとき、残された産廃の処分にあたっては、直島の三菱マテリアルに船で運ばれて処理されたというのだ。このあたりの経緯については、当の三菱マテリアルのサイトで、以下のように記していた。 1990(平成2)年、直島に隣接する豊島で、16年間にわたり産業廃棄物が不法投棄されていたことが判明しました。直島製錬所は、香川県が行う産廃中間処理のための土地・製錬所インフラ・従業員の出向等を含む全面協力を決定。さらに、処理後の残渣を製錬原料として再利用するリサイクル事業を開始しました。 これをき..

  • 1588 重石ノ鼻=香川郡直島町(香川県)赤茶けた三菱マテリアル直島製錬所の中にある小さな岬

    いまでこそ都道府県の名前とその線引きは、確固不動のように思えるが、明治の廃藩置県の当初には、それは大きく揺れ動いていた。香川県の直島は、岡山県の目と鼻の先にあり、岡山寄りに食い込んでいるようにも見えることや、昔から境界をめぐる争いがあったこと、現在でも境界未定のところがある場所だということは、前にも触れたが、今度は直島が所属した県の変遷をみてみよう。 1868(明治元)年の廃藩置県のときには、倉敷県ということになっていた。それから3年後には丸亀県になって、その後香川県になるが、3年も経たないうちに名東県(みょうどうけん)になっている。ほとんどの人は、そんなん聞いたことがないと思うはずだが、名東という名の町はいまも徳島県にあるという。名東県は阿波と讃岐と淡路をひっくるめたような県だったらしい。 それがまた2年後には再び香川県になり、なったかと思うとまたその翌年には愛媛県になって..

  • 1587 ヘラガ崎=玉野市石島・香川郡直島町(岡山県・香川県)両県の県境が未確定のままです

    井島の山火事は、島のほぼ全域に影響が及んでいたようで、西海岸に回ってみても、その回復しきっていない焼けた山肌が痛々しい。養殖の筏が並ぶ井島の西海岸で、その先端にあるのがヘラガ崎で、ここが井島の西の端になる。 井島井島と書いてきたのは、島の南西から眺めているので、見えている部分の島はすべて井島だからだが、これは香川県側の名前で、北部3分の1を占める岡山県側の呼び名は石島。そして、この両県の県境がヘラガ崎付近を通っているはず…。 ところが、地理院地図では、105メートルのピークから、西へ下っていく県境の線が示されているが、その線は断崖の海岸に降りる前に、山の斜面の途中で消えている。 実は、ここは県境が確定していない未確定の場所として残されたままになっている。この付近では古くから境界線をめぐる経緯があったことは、前にも書いたが、その流れが影響してのものだろうか。 ..

  • 1586 荒崎ノ鼻=香川郡直島町(香川県)国立公園の第一号は備讃瀬戸を対象とした瀬戸内海国立公園だった

    岡山県と香川県の間に広がる備讃瀬戸は、日本で最初に国立公園に指定された地域である。1934(昭和9)年の国立公園第一号指定は瀬戸内海国立公園のほか雲仙と霧島の三か所で、富士も箱根も日光も入っていなかった。 現在の瀬戸内海国立公園の領域はぐんと広がっているが、最初の指定時の範囲はこの備讃瀬戸一帯のみで、それこそが瀬戸内海そのものだったわけだ。 今でこそ瀬戸大橋というわかりやすい目印もあるけれど、ただ広く広がる海とそこに点在する島々の景を、まとめて国立公園の第一号に指定したのは、なかなかの慧眼で大きな視野があってのことだったろうと思われる。ちなみに雲仙や霧島は温泉や神話伝説といったポイントがあった。 この備讃瀬戸の真ん中付近で、少し岡山寄りに集まっているのが、直島諸島と呼ばれる27もの島々である。そのうち人が住んでいるのは直島、向島、家島、牛ケ首島、屏風島の5島のみで、残..

  • 1585 トウガ鼻・帆槌ノ鼻=高松市男木町・女木町(香川県)高松港の北ふたつの島の両端にふたつの岬

    高松市の男木島と女木島は、各島の各地を結ぶたくさんの連絡船やフェリーが出入りする高松港の北側で南北に並んでいる。高松港に近い少し長めの島が女木島で、その北で狭い水道を挟んで男木島が続く。小豆島と高松を結ぶフェリーはこのふたつの島の東側を通り、豊島経由で高松へ向かう船は、男木島と女木島の間の加茂ヶ瀬戸を通り抜けて行くらしい。 男木島北端のトウガ鼻と、女木島南端の帆槌ノ鼻は、ともに灯台があって、行き交う船の拠り所になってきた。 豊島の最南端礼田崎からは3.5キロのところに男木島トウガ鼻があり、井島最南端の鞍掛ノ鼻を回り込んで西へ向かうフェリー航路からは南東6キロに位置することになる。 これまで、トウガ鼻と帆槌ノ鼻については、他の項目でついでにちょこっと名前だけあげたことがある。 1572 戸形崎=土庄町土庄(香川県)男木島北端のトウガ鼻と豊島南端の礼田崎もいっしょ..

  • 1584 礼田崎=小豆郡土庄町豊島唐櫃(香川県)縄文早期の貝塚があるという豊島最南端の岬は秘境

    東西6.3キロ、南北4.5キロの豊島は、豊島唐櫃・豊島家浦・豊島甲生と大きく3つの集落と地域に分けられるが、主なのは北海岸に面していてフェリーが寄港する唐櫃と家浦のふたつだけで、南海岸にある甲生(こう)は島を周回する道路は通ってはいるものの、フェリーも寄らないので完全に取り残されたような格好になっている。 豊島南端の礼田崎は、当然この甲生の領域だと思っていたら、ここは唐櫃だという。甲生の領域は、集落の周囲に限定されていて、豊島最高峰の壇山340メートルは家浦だし、その南にある230メートルのピークも唐櫃になっていて、そこから南に張り出して、礼田崎の大きな出っ張りも丸ごと唐櫃に所属している。 この岬は、秘境といってもいいのだろう。いちばん近いはずの甲生からは南東にわずか1.5キロしか離れていないが、そこへは道がない。いちばん近い道路まではピークを越えて1.25キロ北にな..

  • 1583 ダッダガ鼻=小豆郡土庄町豊島家浦(香川県)ダッダガ!だっだが!Daddaga Hana!

    井島の南端鞍掛ノ鼻と、豊島の西端后飛崎の間の水道を、南に向かっているフェリーが、西に向きを変える頃、その後方に見えてくるのが豊島のダッダガ鼻。 この奇妙な名前の岬は、后飛崎の南東3.8キロのところで、砂浜の中にぽつんと飛び出している細長い尾根の先端部で、フェリーで海から見ると丸い小山のようになっている。 その東南側は、神子ヶ浜という小さな集落があり、西北側は豊島産廃事件の現場に続く行き止まりの一本道がある。丸い小山はふたつ見えるが、左手のは后飛崎の南の船溜りの出っ張りで、右側がダッダガ鼻になる。 そのずっと右手奥、遠くで飛び出しているのは、壇山から南に落ちてくる礼田崎。 ダッダガ鼻で検索してみても、当然のようになにも中身のある情報はまったく得られない。ところが、不思議なことにスペイン語版のWikipediaには、Daddaga Hana というページがちゃんと..

  • 1582 鞍掛ノ鼻=香川郡直島町(香川県)旧石器時代の井島遺跡が物語るものを想像してみる

    人が住んでいる北側、島の3分の1ほどは岡山県の玉野市石島になっている井島は、南北に長く山火事で焼けた山肌を晒しつつ、南に行くほど細く狭くなっている。その南端は、二つのコブをもつ出っ張りとなって飛び出している。大きめのコブのほうには灯台が立っていて、鞍掛ノ鼻という名は、南の小さいほうの出っ張りの最南端につけられている。 鞍掛ノ鼻は切り立った断崖で、その断崖の途中には、ちょうど何かを引っ掛けるのにいいような岩の出っ張りもあったので、これに鞍を掛けるのかと思ったが、そんなことはない。 鞍掛というのは、鞍を置く台のことなのだから、この二つのコブのある出っ張り全体が、その台のようだということなのだ。 フェリーはこの鞍掛ノ鼻を、深目の中華鍋のようなゆるいカーブを描きながら、東から西へと回り込んで行く。 相沢忠洋による岩宿での旧石器の発見から2年後の1951(昭和26)..

  • 1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった

    豊島(てしま)のいちばん西の端に、南北に細長い高さ20メートルほどの膨らみがぽこんとある。この丘の上には鉄塔が立っていて、その下の周囲はまだ何かの工事でも始まる前の現場のような雰囲気が漂っている。この丘の北端に、后飛崎という岬の名前がついているが、その名前がどこか使われたりすることはほとんどないようだ。 ここが、史上最悪といわれた産廃不法投棄事件の現場であったらしい。ネットに残るその豊島産業廃棄物事件の記録を拾い読みしてみても、后飛崎は出てこないが、水ヶ浦という名で呼ばれていたのが、岬から東へ続く海岸であった。 この美しい名をもつ美しい場所が、悪名高い不法投棄事件の現場になったのは、1970年代後半から80年代にかけて、悪質な業者によって不法に大量の産廃が集められ持ち込まれたためだった。島民は住民運動を起こしてこれに対抗しようとしたが、肝心の行政が札付きの業者に無策で..

  • 1580 戸尻鼻=香川郡直島町・玉野市石島(香川県・岡山県)この島のこの岬を県境が通っている

    戸尻鼻は井島の北東端に出っ張った、小さくて低い岩の塊のように、地図では見える。そこを豊島家浦港を出たフェリーから眺めているのだが、横から見ているだけなので、小さい岬のうえにその向こう側の島や陸地の景色が重なり合い折り重なって、その先端を判別するにも苦労なほどだ。 白い灯台が目立つくらいしか手がかりのない風景だが、この灯台があるのは筏島という。この島は井島の戸尻鼻からは、北西940メートルのところに浮かんでいる小さな無人島で、岡山県玉野市に属する。筏島と戸尻鼻の間を塞いでいる山と陸地も、玉野市の出崎半島付近になる。 井島は、なかなか複雑な状況に位置している。その読みは「いじま」だが、これは香川県側からみた名前で、同じ島が岡山県側からみると石島となり読みは同じく「いじま」。 南北3.2キロの痩せたサツマイモのような島は、北側3分の1が岡山県で、南側3分の2が香川県..

  • 1579 甲崎=土庄町豊島家浦(香川県)ここも「甲」が「兜」の意で用いられて混同されて定着したものか

    豊島家浦(てしまいえうら)でも豊島唐櫃(てしまからと)と同じように、集落が浜と岡に分かれている。家浦浜のほうは、港に近い付近が住宅密集地で、その周囲に人家が続いている。そこから南へ島内を周回する道路に沿って、標高10メートルから30メートルくらいにかけて、家浦岡の集落が続く。 東北の岬めぐりで、集落と港を完全に分離して、狭い海岸には民家の一部と浜小屋くらいしかおいていない、ほとんどの住宅は港から離れた高台にあるという場所も複数あったが、ここの場合はいわゆる高台移転や津波の影響を避けるためというわけではないようだ。 唐櫃の場合には浜から丘まで山坂を越えていかなければならず、若干距離も離れていたが、家浦の場合はごく自然に浜から緩い斜面の岡に上って集落が伸びていったような感じなのだろう。 甲崎は、家浦の港から1.6キロの西にある。三角形のとんがり帽子のような84メー..

  • 1578 白崎=土庄町豊島家浦(香川県)名前の由来が明らかに想像できるような白い岩の小さな岬

    豊島は、東端の宮崎から西端の后飛崎まで6.28キロ、北端の虻崎から南端の礼田崎まで4.5キロ。その島の中心に壇山340メートルがあり、海岸で開けた三つの浜に三つの集落がある。 それぞれ字地名として、北の東側には豊島唐櫃、西側には豊島家浦がありそれぞれ港を持つ。南にも豊島甲生があるが、そこには港はない。いや、港はあるのだが、定期船は寄港していない。この三つの集落を結んで壇山をぐるりと一回りする道路がある。 豊島島内を走る公共交通機関としては、豊島シャトルバスというのがあるようだ。家浦と唐櫃を日に7往復、家浦と甲生の間は3往復しているらしいが、今回の豊島の岬めぐりは、すべてフェリーから眺めるだけの横着モードで済ませることにしている。 そのシャトルバスが通る道路の北の端に、硯という字名と小さな港を持つ集落がある。その名前からして、由来のひとつくらいありそうなものだが、ど..

  • 1577 虻崎=土庄町豊島唐櫃(香川県)全国で数十人しかいないらしい虻崎さんのゆかりの地なのかどうか?

    人名と地名または地域との関わりつながりについては、おおよそのことは言えるわかる場合もあるが、個々には史料などの確かな裏付けがない場合がほとんどのようだ。 虻崎は、豊島唐櫃(てしまからと)港の西に張り出している、虻山という115.8メートルの山から北に流れ出る、幅のある尾根の北端にあたる。 どうやら、ここでは虻山が先にあって、その先っぽだから虻崎になったと考えられる。しかし、事はそれですんなりおさまるほど簡単ではなく、裏を返せば逆に虻崎がある山だから虻山になったと言えないこともない。 豊島唐櫃港に着岸したフェリーからは、一人の乗客と、テイクアウトピザ屋の車と荷台の後部に○崎組と書いてある小型トラック、二台の車両が降りていった。字が判読できなかったが、これが虻崎組だったらおもしろかったのに、なかなかそううまくはいかないようだ。 虻崎は、人名と地名(といってもこ..

  • 1576 宮崎=土庄町豊島唐櫃(香川県)「岬まわるの小さな船が」の岬もちょうどこんな岬だったろうか

    香川県小豆島の土庄港と岡山県玉野の宇野港の間は、直線距離で東西20.9キロ、その中間に豊島(てしま)がある。周辺海域には大小さまざまの島が浮かんでおり、広くは備讃諸島として括られ、この航路付近の豊島と直島を中心とした島々は、直島諸島と呼ばれることもある。 直島は香川県香川郡直島町だが、豊島は香川県小豆郡土庄町。豊島の東隣に小さく寄り添う小豊島は、土庄町伊喜末と小豆島の北西部と同じ字名をもつ。豊島の西、直島の東に位置する井島は、南側3分の2は香川県の直島町で、北側3分の1は岡山県の玉野市という、なかなか微妙な線引きがされている地域・海域に入って行く。 室崎を後にしたフェリーの前方に、小豊島と宮崎がだんだん大きくなってくる。豊島ではまず唐櫃(からと)港に入港するが、その東手前につき出ているのが宮崎。 宮崎は、いかにも内海の小さな岬の典型のように見える。山上路夫作詞..

  • 1575 室崎=土庄町伊喜末(香川県)小豆島に別れを告げる最西端の岬を右舷に見ながらフェリーは西へ

    フェリーというと、たとえば大洗=苫小牧のような外航路の大型船を想像する人も多いだろうが、瀬戸内海では中小型のフェリー航路がたくさん走っている。島と島、本土と島を結ぶ日常の生活交通運搬手段として、旅客船(高速連絡船)とともに欠かせない存在になっているのだ。 土庄港からもいくつかの航路が発着しているが、なかでもその中心となっているのは四国フェリーの土庄=高松航路で、これは所要時間1時間で日に15往復もしている。 姫路からフェリーで小豆島の福田に渡り、そこから土庄港まで島内を走ってきた国道436号線は、ここから高松港にまたフェリーでつないで、高松上陸後少しだけはこの道路が続く。 フェリー経営も楽ではないらしく、会社の吸収、経営変更などもあって複雑になっていて、小豆島フェリーという名も新旧入り乱れているうえに系列もあるが、乗ったのは四国フェリー系列で土庄に本拠を置く小豆島豊..

  • 1574 畝木崎=土庄町土庄(香川県)「世界で一番狭い海峡」の港から豊島経由宇野行きのフェリーに乗る

    土渕海峡が、「世界で一番狭い海峡」としてギネス認定されたのは、1996(平成8)年のことであった。それまでは、そこが海峡だという意識は全般的になかったか乏しかったらしく、そいう名前もなかった。土渕海峡という名前は、そのギネス申請に際して必要になったからつけた、というのが真相らしい。 ネット情報では、土渕(どふち)海峡と、ふりがなをつけてあったが、へそまがりはこういうことも気になる。普通、読むとき呼ぶとき「どふち」と発音するだろうか。頭が濁るのであれば、「どぶち」と言うほうが自然なのではなかろうかと思ったりする。 現在の住居表示では、海峡の南側が土庄町土庄で、北側は土庄町渕崎なので、字名の頭一字をくっつけてそう呼ぶことにしたというのだが…。「渕」は「ふちざき」と読むのだからというのであれば、「土」も「とのしょう」という読みに寄らなければならなくなり、どうも無理が多い..

  • 1573 黒崎・門ヶ鼻=土庄町土庄(香川県)庵治半島や屋島を望みながら「島」の最南端をひと回りして…

    運転席横の最前列の座席は、通常の路線バス車両ではほとんどの場合一人がけになっている。その席を占領されてしまったということは、岬を前方から見ることができない。後ろの席からだと、斜め前か横にしか見られない。 黒崎が近づいてきても、斜め前方の端っこにかろうじて引っかかっているという感じになってしまう。どうやってみても窓ガラスの映り込みも避けられないし、構図も思うようにはならない。 千軒という字地名は、人家が多く集まっている地域を意味したものだろうか。戸形崎から南東方向に向かって伸びる長い砂浜海岸に沿って、集落が続く。その集落の先に黒崎がある。 三角点16.8と水準点17.2が並んでいる黒崎は、鋭く鋭角に突き出た三角形で、二つのこぶが目立っている。 ここから南には、庵治半島の先端に散らばる小島とともに、遠目にも特徴的な平べったい屋島が見える。黒崎からほぼまっすぐ南..

  • 1572 戸形崎=土庄町土庄(香川県)男木島北端のトウガ鼻と豊島南端の礼田崎もいっしょに望めます

    3日ぶりの青空となったこの日は、まずは小豆島の土庄(とのしょう)で残っている岬を一周りする。小豆島は小豆島町と土庄町に分かれているが、島の北西部を主にその領域に占める土庄町で、南西部に張り出している半島のような部分がある。その一帯全部が、現在の住居表示では土庄町土庄という大雑把に括られまとめた表記で表わされるが、元はもっと細かい字名がついていた。 泊まったホテルはオーキドホテルというが、それは土庄の港に面したこの所在地が大木戸という字地名だったからだ。 ホテルの前から出る、朝一番のオリーブバス西浦線の西回り始発バスに乗って、この出っ張りをぐるっと3つの岬を回って、また港まで戻る。…つもりだったのだが、ここで思わぬ競争相手が現れて、運転席横のいちばん前の座席を先に占領されてしまった。 ガラガラの車内でまさか、の事態であったが、仕方がないので後ろの座席の海側に座る..

  • 1571 ハヤ崎=土庄町滝宮(香川県)走るバスの車窓から眺めた岬を特定するのは思いのほかむずかしい

    走るバスの車窓から眺めた岬を特定するのは、思いのほかむずかしい。もちろん、疑問の余地なく簡単にわかる場合のほうが多いのだが、若干でも疑問が残ると、あれこれ迷ってしまうこともある。 たとえば、このハヤ崎の場合は、先端に岩島がくっついているという見た目に明らかな特徴があるので、それと判断することは容易にできる。まず間違いないので問題なかろう。 しかし、その背景に遠く薄く長く突き出してる岬はどこのなんという岬だっただろうか。 ハヤ崎の東にあたる岬は、屋形崎鼻のはずなのだが、この岬は緩く丸く張り出してはいるが、屋形崎集落が北端に切れるところで人家も多く、ハヤ崎から見ると、ほとんどその出っ張り具合だけでは特定できない。 ひとつには、天候と光の関係もあるけれど、もともと折り重なったようになっている岬はわかりにくい。ハヤ崎からは2.8キロの距離にあるのだが、その向こうに大きく飛..

  • 1570 蕪崎=土庄町小江(香川県)野菜とは関係なくて神功皇后伝説に由来する名前だという

    蕪崎はここでは「かぶらざき」と読むようだ。字面からは「かぶざき」と読むほうが自然のように思える。野菜の「カブ」が日本の地名になることは、あまり普通とも言えないはずなのだが、その形からいかにもカブを転がしたような岬もないわけではない。 蕪崎という同じ名前の岬が、ここから北へ11.7キロの岡山の牛窓にもあるが、そこはまさしくカブのようだった。それに比べると、ここはダイコンに近くてカブらしくはない。しかし、それは横から眺めた場合で、もし上空から眺めれば、あるいはカブのように見えたかもしれない。 確かに蕪の別名はカブラではあるけれども、それよりも可能性としてよくあるのは、「かぶら=鏑」のほうではないだろうかと思えたりする。蕪になるのは、最終的にそういう文字を当てるというケースだ。 ここではどうだろうか。ここでは野菜は関係なく、「かぐら=神楽」が「かぶら=蕪」になったものだ..

  • 1569 ナガ崎=土庄町小江(香川県)オリーブバスの四海線に乗り換えて島の北西部へ

    でんでんむしの遠い先祖の一人には、近道だと通りかかった広島倉橋島の石切場で転落事故死した人がある。子孫への訓戒とともに、その経緯を記録した香典帳が残されていたので、それがわかった。それだけが原爆で焼けなかったのは、祖父がそれらの書付が入った仏壇だけは、郊外に疎開させていたからだ。 子孫であるでんでんむしは、その教えを守って軽挙を慎み、特に高い崖の上などでは慎重に注意しているので、奇禍にも遭うことなく今日まで永らえている。 これまで、家島諸島から始まった岬めぐりでは、採石場には非常に多くの縁があったが、だから好んでそれを取りあげているというわけではなく、この地域にたまたま採石場とその痕跡が多いというだけの話だ。 ただ、採石場という場所は、危険が多い場所だということ、むやみに立ち入るような場所でないことは、忘れてはならない。採石場の跡地などを整備管理せずに、放置してお..

  • 1568 大角鼻=小豆島町坂手(香川県)どうしても行くべき岬とも思えないのでここも遠望で…

    最近、So-netブログトップの右上に広告のリンクボタンが表示されるようになった。「ぽっこりお腹になったら」だの、「お肌の漂白剤」だのを毎度見せられるのは迷惑そのものだ。せっかく有料ブログにして広告表示を一切排除しているのに、これはいったいなんだ。目障りで仕方ない。 最上部の一行は、ブログの本体ではなく、So-netのエリアだから有料ブログでもユーザーにかかわりなく好きに使っていいという考え方なのだろうか。そんな姑息な手段まで使って広告を取りたいと思うまでに追い詰められているのだろうか。 そこで、こちらも姑息な手段で対抗することにした。背景を白ではなく濃い目の色に変えれば、AD文字は見えなくなる。リンクボタン自体を消すことはできないが、少なくとも目に触れなくなるので気にはならなくなる。(「デザイン」→「テンプレート管理」→「ヘッダー」→「設定」→「現在選択中のテンプレートに合わせ..

  • 1567 崩鼻・釈迦ヶ鼻=小豆島町神浦・蒲野(香川県)遠く西からの遠望で眺めただけの岬はまとめて

    この項では別々の岬であるふたつの岬を一緒にしてまとめているが、それはどちらも実際には現地またはその近くへ行くことができず、遠く西の黒崎付近から眺めただけだからだ。 三都半島西の小豆島町崩鼻と土庄町黒崎の間は、7.8キロ離れている。かなりの遠望だが、雨の小豆島めぐりの翌日、きれいに晴れあがった早朝にオリーブバスの西浦線の西回り一番の始発に乗って一周した。このときに、土庄南の大きな出っ張りを回り込んだ黒崎付近から、土庄港へ北上して戻るところで、東の海の向こうに崩鼻・釈迦ヶ鼻がある半島の南端が見える。 釈迦ヶ鼻はその先っちょのところだろうという見当ぐらいはつくが、崩鼻に至っては、とてもここがそうだとは特定できない。ただ、白浜山という標高300メートルの形のいい山が、北西(左手)に切れるあたりがそうだろう。 ネット情報で岬・崎・鼻の情報が得られることはほとんどないと書いた..

  • 1566 権現崎=小豆島町神浦(香川県)これはもう「人の褌で相撲を取るの巻」になってしまったな

    何度か書いている通り、でんでんむしの岬めぐりは、交通宿泊関係以外の事前の調査・情報収集はいっさいなしの行き当たりばったりが基本なので、岬以外の周辺の観光ポイントなどは、原則見向きもしない。だが、それでも後から調べて思えば、事前に知っていればついでにそっちのほうにも行けたら行ったかもね、ということもままある。 この権現崎は、長者鼻と崩鼻を結ぶ「コ」の字型の入江の南の中央に、小さく突き出た小山で、一応三都港という名前のついた小さな港と神浦(こうのうら )集落にある。一見陸繋島のようでもあるが、ここでは砂州を生じるほどの強力な潮と波の動きがあるようにも思えない。 地図には史跡マーク付きで、「皇子神社社叢」との表記がある。 ネットでは、個々の岬について記述された情報は、極めて少ない。普通の場合まず調べてみても、なんらか意味のある情報に出くわすことは、ほとんどないのだが、こ..

  • 1565 長者鼻=小豆島町吉野(香川県)バスはずんぐりむっくりした岬を峠越えでは越えて行かない

    三都半島のほぼ中央部に位置する段山(だんやま)は、最高点でも220メートルほどで、これというピークはなく、全体がなだらかな高原状になっている。そこには真っ直ぐな道が何本も地図には描かれていたので、いったいここはなんだろうと思っていた。 バスのルートはこの山の北側を大きく迂回して、半島の東海岸に出るので、段山は遠望で見る長者鼻の付け根につながる山という認識しか持ち合わせないのだが、ネットで調べてみると意外にも「段山遺跡群」という文字に遭遇した。おやっと思ったが、これは実際に遺跡があるのではなく、三都半島の各所で展開されているアート活動のひとつで、架空の設定で作家が作品展示をしているというものらしい。 休耕地を活用し、材料は金網とネットなどで表現された大きなものだというが、こちらはそれを見ることはなく、段山の下をぐるりとバスで回るだけ。 その段山から、西南西方向に..

  • 1564 吉野崎=小豆島町二面(香川県)吉野にはなくて二面(ふたおもて)にあるのにその名は吉野崎

    小豆島町の二面(ふたおもて)は、三都半島の北部、ウシの前足で言えば太ももに当たる部分で、東海岸と西海岸にまたがっている。吉野崎はその西海岸の二面の南部で、その名は南隣りにある字地名からきている。つまり、この岬は吉野崎なのに、吉野にはなくて二面にある。 「ふたおもて」の名の由来もよくわからないが、半島の東西両面に面しているから、ということなのだろうか。案外に、そういうのが当たっていたりすることもある。 境界線の境になることも多い岬では、その岬をどこから見るかでその名前が決まったり変わったりする。ここでは境界線が南にずれているため、さほど大きく目立つ岬ではない吉野崎の所在は二面になっている。 その吉野崎は、二面の集落からは家々の屋根の切れ目に見えていたのだが、その写真はなかなかうまくタイミングが合わない。二面の集落では道路が海岸からは三筋も内側を通っているためで、わずかに..

  • 1563 あさぎ岬=小豆島町蒲生(香川県)国道436号線からは見えなかった岬は三都半島からの遠望で

    小人の三角帽子を逆さにしたような小さなあさぎ岬は、飛岬よりも西側にある。その岬を、飛岬からは東、三都半島に入ってその西岸を南下中の途中で、項目を割り込ませたのにも理由がある。あさぎ岬は、結局この三都半島西岸から、飛岬越しにわずかにかろうじて見えるという程度にしか、確認できなかった。 本来ならば、国道を東へ西へ向かう途中で見えてもおかしくないのだが、どうも建物などに邪魔されて、436号線を走りながらでは見えなかったのだ。 あさぎ岬は、せいぜい高度も高いところで20メートルくらいしかなく、もともとあまり目立つ岬ではないのだが、それにしても国道の位置など条件がうまく合わなかった。 そこで、止むを得ず、観音崎や吉野崎のある小豆島町二面付近を走るところの車窓から、北西側を見渡したところで、これを捉える。二面の道路から弁天島、飛岬、そしてあさぎ岬が一直線に並ぶ。 あさ..

  • 1562 観音崎=小豆島町室生(香川県)例えていうウシの前足に当たるところが三都半島なんです

    小豆島の形を何かに例えていうなら何だろう、三本足の鼎かなあ、いや四つ足の動物を横から見たようにも見えたりする。すると、ネット情報ではどうやらウシの形に例えるという記述がいくつかあることがわかった。ウシだとすると、向こう側の足は胴体に隠れていて見えないことになるが、その前足の部分に当たるのが、三都(みと)半島に当たる。 三都半島と言われても、知らない、ピンとこないという人のほうが多いはずで、地図にも通常表記されていない。ただ、バスの終点の神浦の港には、地理院地図では「三都港」と明記されている。これだけが唯一の「三都」表記だった。 ところが、「三都半島」で検索すると、実にたくさんのページがリストアップされる。そして、そのほとんどは「アートプロジェクト」に絡むものであった。 三都半島アートプロジェクトというのは、小豆島町がここ毎年力を入れているイベントで、全国からアーティス..

  • 1561 沖の鼻=小豆島町室生(香川県)大規模な総合レジャー施設小豆島ふるさと村が付近に展開している岬

    池田湾は、土庄町の最南端である黒崎と、小豆島町の中央付近に突き出た釈迦ヶ鼻の間で、大きく開けた湾だが、その北東奥にある。港は西の飛岬と東の沖の鼻の間に挟まれていて、小豆島の主要港の一角を担っている。 小豆島の港ではやはり土庄港がいちばんの中心には違いないのだろうが、高松との間の往復便数でいうと、池田港の一日8往復というのは、土庄=高松便の半分強を占めている。 池田=高松航路を運行しているのは国際フェリーで、想像してみるに関西地方から高松に行こうとする車両では、この池田港経由が関西方面からはほぼ斜めにまっすぐのルートになる。姫路港から福田港へ上陸し、国道436号線で池田まで陸走できて、池田からまたフェリーで高松へ、というルートが最短距離であるような気がする。料金的にも瀬戸大橋を迂回して戻るよりは、安くつきそうに思えるが、でんでんむしは車族ではないので確かなことは知らない..

  • 1560 飛岬=小豆島町蒲生(香川県)ひとまわり小ぶりな赤い町営バスで三都半島を南へ向かうところで反対側に見える岬

    池田港からは、フェリーが毎日8往復、60分で高松との間を結んでいる。そのターミナルで映画村からの帰途のバスを降り、ここから三都西線(みとにしせん)に乗り換えて、神浦西まで行く。小豆島の南側中央に大きく張り出している半島は、地図にはないけれどどうやら三都半島という名前があるらしい。 その半島の名をとって、三都西線と三都東線のバスが走っている。この路線だけは、小豆島オリーブバスではなく小豆島町の町営バスとなっているが、小豆島のバスもなかなか複雑なようだ。 小豆島オリーブバスは、2009(平成21)年に地元出資のバス会社として設立され、その翌年からはそれまで小豆島内で路線バスを運行していた小豆島バスから路線バス路線の運行業務の移管を受けて運行を開始している。経営悪化による小豆島バスの一般路線バス事業からの撤退に伴なうものだったわけだが、そのなかでもこの三都半島を走る三都線だけが..

  • 1559 大手城ノ鼻(雨倉鼻)=小豆島町坂手(香川県)大手城ノ鼻は眺められたが雨倉鼻は陰に隠れて見えない

    田ノ浦映画村線のバスは、帰りも同じルートを通って映画村から土庄港まで行くのだが、もう一つ西の半島も回らなければならないので、途中の池田港ターミナルで降りる予定だ。その前に、古江まで戻ったところで、バスは東に寄り道をする。坂手港をぐるっと回って、また古江に戻り、そこから醤油とオリーブを経て池田港に行く。 塩谷鼻を見るところでは、砂浜の海岸に出ることができず、墓地の上に上がってしまったので見えなかった雨倉鼻と大手城ノ鼻というふたつの岬が坂手にはある。しかし、もしたとえ映画村をすり抜けて海岸に出ることができたとしても、そのふたつの岬が、ちゃんと視認できたかどうかはかなり疑わしくもある。 その海岸からは、北東へ2.8キロの距離があること、またその岬の位置からして、正面から見ることになる。岬というのは、正面から見たのではそれが出っ張っているのかどうかさえもよくわからず、特定..

  • 1558 塩谷鼻=小豆島町田浦(香川県)やれやれでんでんむしはいったいナニやってんだろうね

    塩谷鼻は北西の權現鼻に対して、出っ張りの南に向かって飛び出している。權現鼻もウン崎も飛び地で、その所在は古江だったので、塩谷鼻がはじめて田浦所在の岬となる。 「岬の分教場」とか「岬の村」というときの「岬」は、どの岬のことを指しているのだろうか。どうやら、それはウン崎でも權現鼻でもなければ、この塩谷鼻でもないらしい。分教場からはほぼ正面に見えるだろう權現鼻が、そうだろうとみる見方が不可能なわけでもない。しかし、どうもそれは個別の特定の岬を指しているのではなく、古江と坂手から大きく西へ張り出して、海を内海湾と坂手湾の南北に二分している、ちょっと曲がりながらでこぼこしながら伸びている、この半島全体のことを言っているのだろう。原作の「細長い岬」は、そう考えるほうが無理がなさそうだ。 權現鼻や対岸の飯神山が見えるところから、岬のくびれ部分を越えて反対側の海岸へ出る道が、どこかに..

  • 1557 權現鼻=小豆島町古江(香川県)「二十四の瞳」の映画に写った岬として有名?なわけはない…か

    映画の舞台となった場所やロケ地が「聖地」などと称されて、わざわざそこを訪ねて行ったりすることが流行り始めたのは、いつ頃のことからなのだろうか。でんでんむしも一度、岬めぐりで訪れた人の気配もない片田舎の海岸で、どうやら日本人ではないらしいリュックを背負った青年が、一人でウロウロしているのを見かけたことがある。そこは「セカチュウ」のロケがあったという場所だった。最近では呉の「すずさんの家」なども、訪ねて行く人があるけれど、地元では当初住民は困惑しているなどと報じられていたが、その後はなんらかの態勢も考えられているのだろうか。 名作の舞台がビジネスや地域おこしのネタになることは、今や誰もが知っていて、鵜の目鷹の目で狙っているむきもあるのだろうが、人を寄せて商売ができる条件が揃うケースは、やはり限られているのだろう。 「二十四の瞳映画村」というのが、成功しているのかどうかはよ..

  • 1556 ウン崎=小豆島町古江(香川県)大石先生の家の三条件を満たす場所は現実にはどこにもない

    木下恵介監督が、最初に壺井栄の「二十四の瞳」を映画化するにあたって、初めてこの物語の舞台を小豆島に設定し、ロケも行なったわけで、これは原作を元に映像化を試みようとする場合、どうしても必要なことだったろう。 そこで、原作にいう「農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村」として、原作者の出身地である小豆島にまず焦点を絞ったのだろう。そして、原作のイメージから「湖のような入り江の向こう岸」が見えるような場所と、岬の分教場がある場所として、この内海湾の沿岸一帯を、物語の舞台に設定しなおしてイメージを確定したことになる。 それは、まことに当を得たもので、多くのことが原作の記述とを彷彿とさせる。小豆島の島内の他のどこを探してみても、ここに代わる場所はないだろう。そしてそこに映画化の脚色を加えているわけで、ここから原作と映像化された作品が別のものとして誕生する。 明..

  • 1555 丸山鼻=小豆島町古江(香川県)大石先生の自転車通勤経路も赤鼻・丸山鼻・ウン崎と岬めぐりだが…

    1952(昭和27)年に発表された壺井栄の「二十四の瞳」は、その2年後の木下恵介監督作品をはじめとして、何度も映画化・映像化されていて、今や小豆島といえば「二十四の瞳」というくらい有名になって定着している。ところが、Wikipediaをみると、こう書いている。小説の舞台は、壺井栄が、その冒頭で「瀬戸内海べりの一寒村」としている。そして、全ページを通じて、一切、舞台の具体的な地名は出てこない。しかし、映画・テレビをあわせて9回映像化された際、原作者壺井栄の故郷が香川県小豆島であることから、これら映像作品では、物語の舞台を「小豆島」と設定した。これにより、「二十四の瞳」と、原作にはない「小豆島」の2つが結びついて広く認識されるようになった。 なるほど、そうだったのだ。と、でんでんむしがこれを読んで納得がいったのは、ネット情報に多くある「大石先生の家」から「岬の分教場」まで..

  • 1554 赤鼻=小豆島町古江(香川県)小豆島の醤油も大阪城の採石に関係があったとは…

    田ノ浦映画村線のバスは、オリーブの丘と鬼ヶ崎を過ぎてなおも東へ進み、内海町の街に入ると、国道から分かれて南へ進路を変える。苗羽(のうま)、芦ノ浦付近には、道路の両側に古い倉庫のような工場のような大きな建物が続く。この辺りには、オリーブと並ぶ小豆島の名産である醤油や佃煮などの会社が軒を連ねている。 香川県の醤油の生産量は、全国では5番目に多く、そのうちの約半分近くは小豆島の産だという。そういえば、こどもの頃、広島の家ではずっと醤油はマルキン醤油と決まっていた。道路脇にその「マルキン」の名を見て、妙な懐かしさが蘇ってくる。その名前とマークは同じ香川県の、讃岐の金毘羅さんにあやかっている。 マルキン醤油も記念館など見学施設をつくって、それらが観光ポイントになっているらしく、雨の中にもかかわらず、中国人観光客らしきグループが、あちこちたむろっている。 現在もなお木桶仕..

  • 1555 鬼ヶ崎=小豆島町西村(香川県)オリーブの丘を降りて名前と風景がなんとなくミスマッチの岬へ

    小豆島オリーブバスの北廻り福田線は、島の北部中央付近より西寄りの屋形崎から南に向かって山越えをする。峠を越えて下りきったところはまだ土庄町だが、そこからまた国道436号線を東へ向かって走る。すると、すぐに小豆島町に入る。ざんざん降りの雨の中、池田港前のバス停で降りると、そこで今度は田ノ浦映画村線のバスを待って乗り換える。幸い、ここでの待ち時間は数分で済んだ。 前にも書いたが、何も好んで雨の中を走り回っているわけではない。計画にあたっては、できる限り長期予報・週間予報なども参考にしながら、好天の日を選んで行くのだが、今回の場合は、小雨と言っていた予報が出発直前になって本降りの雨に昇格してしまい、しかも2日連続で雨の日になった。そのため、こんな仕儀とあいなっている。 田ノ浦映画村線のバスは、池田の街を通り抜け、小豆島南部の中央で大きく南に張り出している半島の付け根を横断して、..

  • 1552 屋形崎鼻=土庄町屋形崎(香川県)大阪城残石記念公園のざんねんな石たちも眺めているだろう岬

    大阪城の石垣の石を、小豆島から切り出したということは知っていたけど、なんとなくそれは築城時のことだとろうと思っていた。ところがそうではなかった。築城時には周辺の石を集めていて、ここ小豆島の石は、冬の陣・夏の陣のあとの大坂城を修復する時に切り出されたのだ。徳川期に細川家の担当であったようだ。 次のバス停である「大阪城残石記念公園」は、小海の集落の小島という無人島の向かいにある道の駅などと一体となっているらしい。「残石」というのがちょっとおもしろい名前で、結局大阪城には行けなかった、大阪城の石垣になり損ねたざんねんな石たちが40個ほど残っている。丁場と呼ばれた採石場から切り出され、海辺まで運ばれたものの、使われることなく放置された、それが残石なのだ。 「大阪城石垣石切り飛びこし丁場跡及び小海残石群」という長ったらしい名前で香川県史跡になっている。飛びこしというのは場所..

  • 1551 前鼻=土庄町大部(香川県)結局バスの車窓からでははっきりとは確認できなかった失敗の岬

    残念ながらこの岬は、完全な失敗岬になってしまった。妙見崎のある丸い出っ張りの付け根を東から西へ横断する県道を行くと、琴塚という集落がある。その琴塚の集落と港を北側で守っているのが、この前鼻なのだが、結局バスの車窓からでははっきりとは確認できなかった。 それらしきところがぼんやりと雨と霧の中にあったが、県道からの展望がほとんどなく、あっという間に琴塚は通り過ぎてしまった。 地図で見ると、十分道路から見えるようにも思えるのだが、それが実際に現地へ行ってみるとそういうわけにいかないとわかる。そういうケースもたまにあり、前前項の藤崎もそうだった。 でんでんむしの岬めぐりでは、岬に上下の差別なしで、どれもみな平等に扱うことを原則にしている。だから、重要な岬というのも変なのだが、ここはどうしてもちゃんとしておきたいという場合には、次の停留所で降りてちゃんと探しに行くことも..

  • 1550 妙見崎=土庄町大部(香川県)こぼれ美島と岬を見ながら行く小豆島北側の県道でもまた採石場と遭遇

    小豆島の北側を走る県道26号線を西へ、小豆島町から土庄町へ入ると、灘山というバス停名が、バス前方の行先運賃を示すモニターに表われた。この付近からは採石場のような場所や、赤みを帯びた岩の崖があったりする。 灘山地区というのは、採石場や石材の加工工場などが多くあるところらしい。瀬戸内海の島の旅は、採石とはあちこちで縁があるようだ。小豆島もまた、採石の歴史は古く、大阪城の石垣の石を切り出したのも、この島の北部からだったはずという記憶がある。 相変わらずの雨の中、西へ走るバスの前方の海には、小さな島影もチラチラするようになる。そこらへんが大部港(おおべこう)の沖合の海になるはずだろう。 道路脇を整備して、展望台の施設ができているところがあった。ちゃんと名前もあって「こぼれ美島展望台」という。大島、中の島、弁天島と名前は3つしかないが7〜8の島が散らばっている。それ..

  • 1549 藤崎=小豆島町吉田(香川県)小豆島は北東から南西へ斜めの境界線で二つの町に二分されている

    北回り福田線のバスに乗るとすぐ、運転手さんに言ってフリー乗車券の一日券を買う。1000円也で、今日一日中どこでも乗り降り自由なので、岬めぐりには便利でありがたい。 次の岬は藤崎で、進行方向右手に見えるはずだったのだが、これがなかなかうまく見えない。邪魔になる建物は少ないのだが、樹木の影が多くて、道路からの展望がほとんど効かないのだ。 福田の北側、金ヶ崎の陸繋島の付け根を越えると、見えるはずという思い込みは、見事に裏切られた。吉田という小湾奥の集落を過ぎると、道路は藤崎のある尾根の中腹を巻いて、今度は西へ向かうが、その途中でもさっぱり見えない。 わずかに、右車窓にちらっとそれらしきところがあるにはあったがそれだけで、それも雨の中に霞んでしまっている。 仕方がないので、ここでは東海上のフェリーから、金ヶ崎と藤崎の2ショットをもうひとつ掲げておくことにしよう..

  • 1548 金ヶ崎=小豆島町福田(香川県)まずは北東の端っこから雨の小豆島の岬めぐりはスタート

    目には見えない海の上の県境に近づき、それを越えようかという頃になると、フェリーの前方右手に島のような影が浮かび上がってくる。その島影は大小濃淡の違いがあるように見えているが、これは香川県小豆島の北東の端っこで出っ張っている部分になる。 向かって左側の濃い方が金ヶ崎で、右側の薄い方がそれよりちょっと引っ込んでいる藤崎になる。金ヶ崎の出っ張りは、細長い半島のように飛び出しているので、まだ小豆島本体の姿が見えないうちは、小さな島が現れたようにしか見えない。 フェリーは金ヶ崎の南に広がる、湾というにはあまりはっきりしない凹み部分に入って行く。金ヶ崎はどうやら陸繋島の先端のようで、付け根部分が小豆島本体から突き出たところと低く細くかろうじて繋がっている。陸繋島のほうには道路も人家もないようだ。 金ヶ崎の反対側には、3つの小山を並べたような小島という島がある。この島は地形..

  • 1547 ヒラレノ鼻・材木ノ鼻=姫路市家島町坊勢:松島(兵庫県)国道436号線の海上区間をフェリーは走る

    姫路港と小豆島の福田港を結ぶフェリー第五おりいぶ丸は、四国フェリー系列の小豆島フェリーが運行している。2014年進水・就航しているこの船は、1326総トンで、旅客定員は490名、車両積載数は乗用車56台だという。 それより2年早く進水していた姉妹船の第三おりいぶ丸も、同様の積載量だが、この二隻で姫路・小豆島航路は、1日に7往復している。所要時間は100分で、距離は41キロある。 オツヅノ鼻を過ぎ、小さな無人島を過ぎるあたりから、南にいくつかの島影が見えてくる。と、向こう側の反対航路をこちらに向かってやってくる船があった。 これが、福田港を出て姫路に向かう途中の第三おりいぶ丸だった。 すれ違って行く第三おりいぶ丸。その向こうには、平たい島が見えるが、これが桂島だろう。松島からは1.5キロくらい離れている北東側の海上には、この桂島をはじめとして、小フツラ島..

  • 1546 オツヅノ鼻=姫路市家島町真浦:西島(兵庫県)西島の最南端にあたる岬でも採石は始まっているか

    地理院地図に描かれている航路を示す破線は、室崎の沖合を大きく迂回して、院下島の西を南南西に向かうように引かれている。だが、小豆島フェリーの第五おりいぶ丸は、西島と院下島の間を南下して行く。 院下島は、周囲を断崖に囲まれた無人島だが、灯台とそこへ登る道だけはあるように、地図では記されている。この島を右舷に見ながら手繰干崎を過ぎると、オツヅノ鼻が見えてくる。 オツヅノ鼻は、西島の最南端にあたる。その周辺は緑の植生に覆われているらしい斜面が、100メートル以上も続いている。その上の200メートルくらいのところでは、大規模な採石が行なわれている。 写真で見ると、地理院地図には描かれていない斜面に刻まれた道や切り開いたような跡が写っているので、この岬の斜面でもぼつぼつ本格的な採石が始まっているのだろうか。どうも地理院地図の地形情報よりも現実の変化のほうが進んでいるよ..

  • 1545 手繰干崎=姫路市家島町真浦:西島(兵庫県)ちょこんと出っ張っている頂ノ岩もかろうじてわかる

    室崎を大きく回り込んだフェリーは、南に進路をとって西島を左舷に見ながら南下して行く。小ヤケ島という小さな丸い島があり、その背景にも採石場またはその跡らしいところが続いているが、視界が効かずよくわからない。 山のピークが二つ三つあり、その山が切れるところから少しばかり飛び出した帽子をかぶっているようなところが、手繰干崎という名前のある岬になる。 岬に続く山は結構大きく高いようにも見受けられるが、地図でみるとその周辺も採石場ばかりのようだ。いちばん高く見えるところが250メートルくらいで、その手前の少し低いところで200メートル足らず、といったところだろう。 高いほうにはなんの記名もないが、その北側には頂ノ岩と記されて187メートルの三角点の記号とその脇に露岩がひとかたまり示されている。つまり、高いほうには三角点がなくて、低いほうにある。 その様子は、フェ..

  • 1544 室崎=姫路市家島町真浦:西島(兵庫県)大きな時代の流れとはどういうもんかのう

    先日、NHK-BSが山田洋次監督の“民子三部作”を放送していたので、また観てしまった。その二作目にあたる「故郷」は、石つながりでここに無理やり引っ張ってきた。 1972(昭和47)年のこの映画では、広島倉橋島の採石場から埋め立て現場へ石を運ぶ小さな木造の石船を走らせる夫婦(船長と機関長)が主人公で、老朽化する船とその仕事と故郷を諦めて、尾道の造船所勤めを決断し島を出て行くまでがその話だった。 平らで手摺も柵もない甲板いっぱいに、海面ぎりぎりまで石を積み込み、埋め立て現場に着くと、そこで網に石を入れたクレーンを反動をつけて振り、船全体を傾けて石を投棄するのが印象的だった。 もうひとつ印象に残るのは、鋼鉄船の時代になって小さな木造船の修理もできず、このまま石船の継続が絶望的とわかった船長の夫が、船を走らせながら独り言のように言う「時代の流れとか、大きなもんには勝てんと..

  • 1543 桐ノ木ノ鼻=姫路市家島町真浦:西島(兵庫県)小豆島フェリーから西島の岬をチェックしたいと思ったが…

    雨の1日がやっと終わったと思ったら、翌日もまた雨だった。雨の岬めぐり、それも海の島のとあっては、さえないことおびただしい。晴れていれば、小豆島まで見えるはずの播磨灘の展望もさっぱりだし、すぐ近くのはずの島の風景もぼんやりと霞んでいてかろうじて形がわかる程度でしかない。 家島諸島の男鹿島、家島、坊勢島の岬めぐりを曲がりなりにも終えた翌日は、早朝の姫路港から小豆島フェリーで小豆島の福田港へ渡る。香川県の小豆島へ渡るルートにはいくつかあるが、今回の計画では東からの姫路港からの1時間40分の船旅を選択することになった。 「第五おりいぶ丸」というのが小豆島福田港行きのフェリーの名前で、その船名の下には「高松」と書いてある。小豆島フェリーも高松が本拠の四国汽船の系列になっているのだろう。車がない場合は予約もいらないので、1,520円也の乗船券を買って乗り込む。船内はきれいで広々とし..

  • 1542 保崎=姫路市家島町真浦:家島(兵庫県)西端の岬についてはなにも書く材料がないので困った

    家島の岬は、北の尾崎鼻、東の天神鼻、南の堂崎についで、4つ目になる最後がこの西の保崎。島の最高点が、堂崎付近の134メートルなので、比較的背の低いでこぼこからなっている。特に真浦や宮の集落や港のある島の北部では、標高100メートル足らずの丘が連なり、真浦の真裏にあたる西の保崎に向かって、細く長く低く飛び出している。 しかし、保崎を周回する道も、そこへ降りて行く道もない。 その丘の上を道が一本曲がりくねりながら回っていて、枝分かれした道の先の海を見下ろす高台の上には、四角い大き目の建物がある、と地図には示されている。ポツンと一軒家…という個人の住宅ではなさそうで、前に淡路島のところでも触れたような会社の施設かなにかか、あるいは人里からは離れているので処理場のようなものなのだろう。 もちろん、船からではなにもわからないので、地理院地図の衛星写真でみると、建物の周辺..

  • 1541 坊崎=姫路市家島町坊勢:坊勢島(兵庫県)連絡船「ぼうぜ2」号でやってきたこの島の伝説など

    「坊勢」と書いて「ぼうぜ」と読むこの島は、名前の通り坊主に由来する言い伝えがあるという。883(元慶7)年に、覚円という僧侶が比叡山からこの島に配流されてきたが、弟子たちが師を慕って数十名も一緒に移り住んできた。それが島の名の起こりなのだそうだ。だが、坊主が大勢やってきても、“いわゆる生産性”は低かっただろうから、それが島の基盤づくりになったわけではない。 島の名には、もうひとつ別の伝説もある。それは百済王子の子孫が坊勢法師と名乗って海軍の長となってこの島にいたとするものだ。これなどは、海賊の根拠地説を彷彿とさせる。 いずれも、坊勢漁業協同組合のサイトにある情報なのだが、古いのは百済のほうが古そうだし、坊主が大勢というのもおもしろい。が、真偽のほどはどちらとも言いがたい。ほんとうに名前というのは、不思議なものだ。 この島の北端に、低い丘で突き出しているのが坊崎で、..

  • 1540 黒崎・マブノ鼻=姫路市家島町坊勢:坊勢島・高島(兵庫県)漁業の島の南端を遠く望めば

    坊勢(ぼうぜ)島は、家島諸島の人が住む4島のうちではいちばん小さくて狭い。坊勢の本島は、形が崩れて失敗したクロワッサンのような形をしていて、その凹んだ部分が坊勢漁港となっている。漁港は島の北側奈座にも分かれてあり、こちらのほうには連絡線の桟橋もあるので、西の海に向かって開けている漁港のほうを西ノ浦とも称している。が、漁港としての規模は西ノ浦のほうが大きいように見える。 坊勢漁業協同組合のサイトによると、「瀬戸内海で唯一人口が増え続け、所属する漁師さんたちの平均年齢が日本一若い島」「漁業の後継者不足とは無縁の島」、それが坊勢なのだそうだ。組合員の平均年齢は51.2才(平成26年3月現在)、過疎に悩む他の島々とは違って、坊勢のこの平均年齢は自慢できるほど若いらしい。 組合に所属する漁船数は約930隻、漁協組合員は512人で、兵庫県でも有数の漁獲高を誇る漁業の島では、島の約..

  • 1539 堂崎=姫路市家島町宮:家島(兵庫県)観音崎の名も観音堂も道も消えてなく変わらぬものは月ばかり

    塩崎とヒシノ鼻を後にした坊勢航路の船は、一路南西へ向かい家島の最南端である堂崎を回り込もうとしている。その堂崎を目指してまっすぐ進んでいるので、男鹿島の最南端である大崎や、さらにその南にある加島のボンノ鼻にはさらに近寄ることなく、だんだん離れていっている。 どんどん近寄ってくる家島には、堂崎の北側でもなんだか採石場のように山を削った崖が目立つ場所がある。現役の採石場なのか、それともすでにそれを放棄された跡なのかもよくわからないが、家島で採石場のような崖が目立つところはほかにはなく、ここだけだ。家島と坊勢島のさらに西にある西島では、やはり採石は盛んに行なわれているようだ。 堂崎がかつては家島十景に「観音崎月」として数えられていたところからすると、古くは月の名所でもあったのだろう。しかし、その観音崎の由来となった観音堂がどこにあるのか、あったのか、それを示すものはなに..

  • 1538 ボンノ鼻=姫路市家島町宮:加島(兵庫県)岬の名前には由来のはっきりしないのが多いが…

    大崎からは南東1キロのところから細長く始まる加島は、不思議な形をしている。遠目には大中小と3つの島が並んでいるように見えているが、これが全部でひとつの島。それぞれ中間部が細くなった砂洲でつながっている。 南北にちょっと斜めに長さ890メートルほどにつながっていて、北側のジョイントの部分は二本の砂洲の間に窪みがあって、海水を取り込んで湛えているように地理院地図では描かれている。念のためにMapionを見ると、そんなものはなくただのっぺりとした陸地のように描かれている。地形図としてははなはだイイカゲンでまったく話にならないMapionはここでは無視して、地理院地図のほうでイメージを膨らませてみよう。 3つの山のうち、南の山が標高55メートルといちばん高く、北寄りの2つは船から見えているその南西側が、何らかの大きな地殻的変動によって、すっぱりと断ち切られたような崖になってい..

  • 1537 大崎・岩津ノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)なくなった山の上と見えない岬にも…

    男鹿島の最南端にあたるのがこの大崎。ヒシノ鼻からは南東2.4キロのところに位置するこの岬は、40メートルくらいの段丘状になっていて、その南西側は崖が続いている。崖の上はやはり採石場になっているようだが、ここを周回することはできないらしい。 ヒシノ鼻から続いている広い採石場は、段丘の崖にまで達している。 大崎の東側は丸い小湾になっていて、その海岸には2〜3の突起のように小さな桟橋が、地図には描かれている。建物も固まっていて、そこには田ノ浜という名がつけられている。 島の南端に近いそこらあたりが、元は男鹿島では、いちばん人口が多く集まる地域だったようで、かつてはそこに小学校もあったという。では、姫路港からはいちばん遠い田ノ浜が、島の中心集落だったのはどうしてだろうか。それは情報もなく、想像しようとしてみても見当がつかないが、おそらくは水の便か港の地形的条件なのだろう。..

  • 1536 ヒシノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)通りすがりながら採石場を眺めながらの想いも広がる

    男鹿島の地図を眺めて特徴的なことは、採石場の石切のために無数の崖があることと、いわゆる通常の道路にあたるものの表記がどこにもないことだろう。全島が私有地で、公道にあたるものがまったくない、というのがその理由ではないかと想像できる。 島内にあるのは、二本の破線で描かれた道ばかりで、これは地理院地図の記号では「庭園路」を示している。いわば、庭の中にある道と同じというわけだ。公道ではないから、島内にある自動車にはすべてナンバープレートもついていないという情報もあった。ということは、免許なしでも走れるのかな。この辺は、車にも免許にも縁がないでんでんむしにはよくわからない。 でんでんむしのように、雨の中を走ってきた船に乗ってちょっと桟橋に寄っただけですぐまた島を離れて行くような、文字通りのほんの通りすがりではなく、実際にこの島に上陸して歩き回っている人たちが残している記録も結構..

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