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照る日曇る日の日記 https://paradise041310.hatenablog.com/

日常生活を書き連ねます。オリジナルのクイズや小話なども。それから読書感想です。小説を書く修行中です。

照る日曇る日
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住所
千葉県
出身
諏訪市
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2010/02/01

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  • 絵の依頼

    画用紙の大きさは、昔し、というより大昔しに、学校の授業で使ったサイズ。 左上から右下に向かって、幅十センチくらいの帯を描く。用紙の縦の長さを四等分して、左辺の上から四分の一から始まり、右辺の下から四分の一のところで終わるまっすぐなーーといっても定規を使て描くほどのことはないーー帯。 この帯以外の部分は緑色に塗る。田植えが終わってそう日数が経過していない田んぼを、思い浮かべてもらいたい。全体としては緑なのだが、田んぼに張った水もまだ見えるし、苗もまだか細い。そんな景色を頭に浮かべて、緑を塗ってもらいたい。 両側を田んぼに囲まれて川が流れているが、川の水面は、両岸の土手道より二、三メートル低いので…

  • 火中の栗を拾う

    テレビ受像機でテレビを視ることは殆どない。ときどきパソコンでNHKプラスを視る。「芦屋小雁」が出ている、といっても役者としてではなく、芦屋小雁が役者として活動している姿を伝える番組を視た。懐かしい。生の舞台は観たことがないが、テレビの画面ではお馴染みだった。88才になるそうだ。 認知症の症状が出ているそうだが、それでも、役者として活動したい、という情熱に燃えて活動している。奥さんや周囲の人のサポートを受けてはいるが、本人にやる気がなければ、しないでもいられる。役者としての活動の中では、自分が思うようにならない、というストレスを感じる場面もたくさんあるのではないかと思う。 火中の栗を拾う、だな、…

  • カウントダウンが始まった

    期日が決まった。というわけでそれまでの日数が、一日が経過すると、ひとつ減る。期日が決まった、というか「提出期限」が決まった。それもあって一年以上書いていなかったここに書き始めた。 私小説というのは、書くことが浮かばなくなった小説家が編み出した、苦肉の小説だと思う。それに、私小説と銘打って売った方が売れるだろう、という、思惑もあったと思う。他人の生活を覗き見たい、という気持ちからその本を買う。おおいにありそうだ。 わたしも、毎日一日ずつ期限が近づくことに毎日悩んでいるのだが、何も書けないので、そのことをここに書こうと思う。

  • 卵の殻は変わったのか

    卵の殻を割って中身を器に落とすときに、割り方によって、殻の破片が器に落ちてしまうことがある。最近これがない。はっきりしないけれど、ここ数年そうなっているのは間違いないし、もっと前からかもしれない。昔は卵をこつんと調理台にぶつけるときに、力加減には気を使ったものだが、最近はあまり気にしなくなってしまった。殻の厚さは昔より薄くなっているような気がするが(これは卵の種類にもよるのだろうが)、破片となって中身と一緒に器に落ちることが少なくなった。

  • 言うに事欠いて

    「言うに事欠いて」は母親がよく口にしていた言葉だった。わたしの母はこういう「成句」のようなものを好んで使ったような気がする。先日、まさしくこれが「言うに事欠いて」だな、と思った出来事がありました。 ひ孫一と、どこかでお昼を食べようということになり、どこにしようか相談した。わたしは、長崎ちゃんぽんや皿うどんなどがある店を提案した。ひ孫一が、どんな食べ物なの、と訊くので、うどんや、硬い焼きそばの上に、あんかけの具が載っているやつ、と説明した。続いて、あんかけってどんなの、と訊くので、とろみのある垂れ、と説明した。実はわたしは、あんかけが好きなのです、そこはわたしの好みですが、ひ孫一も麺類は好きなの…

  • いちご狩り

    二十三日にいちご狩りに行こうと思いたち、調べたらなかなか難しいところがあった。「時間制限なし」というところで、いいなと思ったところは、念のため電話してみたら、九時に開園だがは八時過ぎから並び始めて、九時の時点で並んでいる人数で当日の定員に達してしまう、ということだった。連れて行きたいひ孫一の一家は、朝は早く出られない。起きるのが遅い、支度に時間がかかる、などなどで、乗り物の時間が決まっていない場合は、打ち合わせの時間の一時間半から二時間後に、来る。もう慣れた。これはわたしの愚痴。時間制限のある所にも(そういうところが普通だが)、いろいろ当たってみた。やはり予約が必要なようだ。結局、春休みの平日…

  • 「母影」尾崎世界観

    「推し、燃ゆ」よりは良い(好きだ)と思った。一度目は最後まで読み通せなかった。何故かというと、下記のような記述がつぎからつぎへと出てくるので「胃もたれ」のような感じになってしまった。 ほどけたクツヒモはお客さんの足から逃げてるみたいだった。私にはクツヒモの気持ちがよく分かった。 ガソリンスタンドのお兄さんは、いつも大きな声をだして車におこっている。でもまじめな顔で車のためを思っておこってるのがちゃんとっわかるから好きだ。 もう一度読みだした。気にしないようにしてーー無心になって、かなーー読み進んだら、読めた。よくよく考えると主人公が直に接していることがらについての表現、例えば下記のようなところ…

  • 昔話法廷「白雪姫」

    珍しく被告人の王女が全面的に犯行を否認している。 わたしは王女は無罪だと思う。りんごに王女の指紋がないことは、手袋をするなどの方法があるから決め手にはならない。 が 白雪姫は「助けられた王子とは、助けられた時が初対面だ」と言ったが、これは狩人の証言からは嘘だった。嘘をつかねばならない理由は何か。王子からも聞き取れば、よりはっきりする。 意識が薄れる中での高笑いから、王女の声だと分かるものかどうか。 リンゴ売りの風体について白雪姫は「大きなフードをすっぽりかぶって、鼻も魔女のように大きかった」と述べている。命を狙われている白雪姫ならば、じゅうぶんに警戒すべき風体ではないか。 この事件は、白雪姫と…

  • 昔話法廷「浦島太郎」

    検事が乙姫に「犯した罪をしっかり償ってください」と言った。執行猶予付き判決を得て、執行猶予を満了することは、罪を償ったことにならないのだろうか。そんなことはない。だから、執行猶予に対する反論にはならない。毎日書くことは叶わなかった。スタートの一月一日の記述からして、ちょっと無理があった。これからは無理せずに、極力書いていきた。

  • テレビ番組「昔話法廷」

    ひ孫一が家に泊まった翌日の朝、テレビでこれを観ていた。面白いんだよ、と言っていて、わたしも観た。「アリとキリギリス」の話だった。難しい話だな、と思った。今、パソコンで見直してみたが、やはり難しい。「それは、こう思っていたからではないですか?キリギリスが死ねばこの優越感を覆されることはなくなる、と」いう検事の質問は、アリの内心に立ち入りすぎるのではないかな、と思った、という感想は変わりなかった。アリの「わかりません」という答えは、わたしも分かる。わたしの結論は「アリを有罪にはできない」だ。仮に「キリギリスが死ねばこの優越感を覆されることはなくなる」という気持ちが内心にあったとしても、家族の分しか…

  • 『推し、燃ゆ』宇佐見りん

    主人公の「あかり」は、「推し」の関しては、勤勉、克己、合理的、学究的等の言葉で表現できる行動をとれる。「推し」について書いている文章も沈着冷静で明晰だ。「推し」に対する自分の関わり方を「あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった」と 言っている(この一節以外でも「解釈」という言葉を使っており、「解釈」が「推し」との関わりについてのキーワードになっているようだが、わたしには、ここでの「解釈」という言葉のイメージが浮かばなかった)。 こういう「あかり」だが「推し」に関すること以外では、うまく生きられていない。母や姉との関係が原因なのだろうか。その辺りーー…

  • 「スリムレッド」の話#買って良かった2020

    昨年11月に、りんごを珍しく買った。最初の値段から値下げされていたことと、小さ目は小さ目だが、六個という個数が値段の割には多いような気がしたことが買うことを決めた理由だった。 帰って袋から取りだして手に取ってみて驚いた。自然に開いた大きさの、お椀の形にした手にぴったり収まった。りんごは手から握る力を感じないし、手もりんごから押し開く力を感じない、そういった関係だった。 その大きさの感覚が手から頭に伝えられたのだろうか、丸かじりという言葉が頭に浮かんだ。本来なら袖できゅきゅっと拭いて、というところだが、そこはやはり水で洗いはしたが、すぐにかぶりついた。 自然に手を開いて作ったお椀の大きさと口の大…

  • 明けましておめでとうございます

    今年は、心機一転して、毎日書こうと思います。

  • 『わたしに無害な人』チェ・ウニョン 古川綾子・訳

    この中の「過ぎゆく夜」の中の一節 >> コンムの書いた文章を読みながら考えた。私は、私を少しも理解しようとしない人間のことを理解しろと強要されていたのだと。 大人になってからも誰かを理解しようとするたびに、実はその努力は道徳心からではなく、自分が傷つきたくなくて選択した、ただの卑怯さではないのかと自問した。どうにかして生き残るために子供のころ使っていた方法が習慣で慣性となり、今も作動を続けているのではないだろうか。思慮深いとか大人びている言葉は適当じゃなかった。理解、それはどんなことをしてでも生きてみようと選択した方法だったのだから。 << 同じく「過ぎゆく夜」の中の一節 >> 記憶に残らない…

  • 鼻毛

    コロナが流行りだしてから、鼻毛を切っていない。そんなにまめではないが、それ以前は、たまには鼻毛切りばさみで切っていた。少しは感染予防になるのでは、と思って切っていない。とはいっても、外出から帰って鼻のうがいをしているわけではないが。

  • 後姿

    三か月か半年ぶりに、その人ーーわたしと同年配の男性ーーに、いつもの場所でいつもの時間に出会った。時間は午後4時台。わたしは犬の散歩の途中で、その人は、今回もそうかどうかは分からないが、以前の立ち話で聞いた話と同じであれば、早めの夕方から開く居酒屋へ繰り出す途中だ。 立ち止まってあいさつを交わしただけだか、その人は元気そうだった。顔色は小麦色でつやつやして、目は大きく開いていてくりくりしていて、言葉も明瞭で、背筋も伸びていた。前より若返ったように感じた。別れて、すごいな偉いな、と思いながら少し歩いて、振り返った。その人の後姿はまだ見えた。あれ?と思った。足が外を回っていた。前に出る足が、後ろから…

  • 7月20日といえば

    例年、7月20日は、夏の「青春18切符」の使用期間の初日です。今年も7月20日からで、9月10日までが使用期間です。2015年から、使う切符は「JR北海道、JR東日本7日間切符」の年もありましたが、この時期に旅行をしてきました。すでに、わたしの重要な「存在意義」となっているようにも思っています。ただ、この旅行はわたしの「存在意義」の一部であり、他には「ももの散歩」もありますので、今年はこの時期の旅行は中止しようと思います。

  • 芥川賞・直木賞の候補作についての対談を読んで

    杉江松恋氏とマライ・メントライン氏の対談です。 https://qjweb.jp/feature/29973/ https://qjweb.jp/feature/29983/ マライ・メントライン氏の感想が、なかなか的確だと感じた。

  • 「赤い砂を蹴る」石原燃

    登場人物の身内の死が、いくつか(「発生」と考えて「何件」とするより、「存在」ということで「いくつ」とする方がふさわしいと感じる)出てきます。 「芥川賞のすべて のようなもの」というサイトがあり、ここで芥川賞の「選評の概要」を読んでいます。奥泉光が、選評で「たくらみ」という言葉をときどき使っています。わたしとしてはこの「たくらみ」についてなんとなくわかったつもりになっていて、そして小説には「たくらみ」が必要だ、と考えているのですが、この小説には特に「たくらみ」は感じられなかった。

  • 「アキちゃん」三木三奈

    小学五年生のわたし、十八のわたし、と出てきますが、「良い」とか「悪い」ではなく、わたし(これを書いているわたし)の考える「年相応」とは、ずれているような気がしました。 アキちゃんの苦労は小学五年生でも分かるんじゃないかな。分かるというより、目の前で見たはずでは。アキちゃんから酷く虐められていた「わたし」にも、見えるものは見えたはず。 十八の「わたし」が小学校のころの同級生のタナさんと会って、アキちゃんのことを訊ねて、タナさんが次のように答えます。 << 「だってさ、中学ってホラ、違う小学校のコも混ざるじゃん。そのコたちはさ、アキのこと知らないわけじゃん。そうするとさ、やっぱりアキだって小学校の…

  • カレンダーを進める

    昨日、座って目の前にあるカレンダーの六月を切り取ったら七月が現れた。「文月」という文字があった。手紙をたくさん書こう(「たくさん」と書くと、少しは書いていてその量を増やそう、と読めるが、本当はぜんぜん書いていない。でも一時期はかなり書いた)と思った。 七月二十四日のところに赤字で「オリンピック開会式」と書いてあった。来年の今月にはオリンピックの開会式があるだろうか。オリンピックを迎えるとしたら、新しい政権で迎えたい。百歩譲っても、新しい首相で迎えたい。 >> 百歩(ひゃっぽ)譲(ゆず)・る の解説 自説を引っ込め、相手の主張を大幅に認める。最大限に譲歩する。 「―・ってもその条件だけはのめない…

  • 続「首里の馬」高山羽根子

    資料館、主人公の仕事、迷い込んだ馬、といくつかのエピソードがあり、読み終わると、全体から何かあるものが、明瞭な形にならないまでも、浮かんでくるーーという感想を書けたら良いのですが、そうならなかった。 『如何様』の方は、読む人ごとに〈落ち方〉は異なっても、多くの人が「腑に落ちて」読み終えられたのではないだろうか。如何様と首里の馬と、合わせて一本、ということで芥川賞受賞でどうだろうか。

  • 「首里の馬」高山羽根子

    とはいっても読んでないのです。 『如何様』を読んで、良いなと思った。芥川賞の候補作にならなかった。単行本になった時期の関係で次の期の候補作になるかと思ったら、なっていなかった。「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」と同一期間で、そちらが候補作として選ばれたのかな、と思って読み比べてみた。「如何様」の方が良いと思った。 今回「首里の馬」という作品が候補作になった。というわけで「新潮三月号」を図書館にリクエストした。

  • 「不要」と「不急」はAND条件?OR条件?

    さっこん「不要不急」ということが言われていますが「不要」と「不急」というふたつの要素を結ぶのは「AND」だろうか「OR」だろうか、と考えた。きっかけは、散歩のコースにある焼肉屋の「持ち帰り焼肉弁当あります」という幟を見たこと。この焼肉屋は通常は持ち帰りはないし、店内飲食にしても「焼肉弁当」というメニューはない。コロナが収まってくれば、いずれこの「焼肉弁当の持ち帰り」は終了すると思う。この焼肉弁当をどうしても食べなければいけない、ということはない。でも、いつまでも食べられるわけでもなさそうだ。食べるなら急いだ方が良い。 というわけで、この焼肉弁当を食べることは、「不要」だが「不急」というわけでも…

  • ももは賢い

    最近、そろりそろりと歩いている。ももとの散歩でも、歩幅が狭くなりゆっくり歩いている。三、四日そういう状態が続いたら、ももはそれに合わせてくれるようになった。ときどき、どうしたのかなというように振り向いていたが、今はそれもしなくなった。賢いな、と思う。想像以上に賢いのかもしれない。 どうして、歩き方がそういう状態になったかというと、スティーブンソンの有名な作品で、『宝島』ではない方の作品名から推理してください。

  • 「反動」を楽しみに

    こういう状況になってくると、「これの反動を楽しみにするしかない」という気がする。「しかない」というのがちょっと寂しいが、「その上、これの反動も楽しみにできる」とは、あまり言えない。

  • ひとりひとりの力を足せば、できるようだ

    ひとりひとりが少しづつ余分にトイレットペーパーを買えば、日本中の店先からトイレットペーパーを消すことができる、という現象に希望を感じた。ひとりひとりが投票に行けば、簡単に政権交代もできる、ということになる。

  • カレンダーから二月分を破り取ったときに思ったこと

    何と表現したら良いのか。ハサミを使っているわけではないから「切り取った」ではないし、「千切り取る?」かな。破るわけではないが「破り取る」にしてみた。 3月1日の朝に、トイレに掛けてある、一枚ひと月のカレンダーから二月を破り取ろうとして、これをここに掛けたのはついこの間だったな、と思い、そのときには今のような事態を想像もしなかった、とも思った。

  • 話せば長いような、そうでもないような話

    冬場のモモ(犬)との散歩のときに着る、膝の丈くらいの長さのコートがある。このコートのファスナーの一番下が外れなくなってしまった。それなら、セーターと同じ要領で脱いだり着たりすれば良いのだな、と思い、頭から抜いて脱ぎ、頭から被って着ていた。しばらくそうしていた。あるときに思いついて、足から抜いてみた。ファスナーは一番下まで下がっていて、コートの前は大きく開いているので簡単に脱げた。着るときにも、足から入れてそれから手を入れて、簡単に着られた。この方法で何回か着たり脱いだりしているうちに、昔、こういう着方、脱ぎ方をしていたことがあったことを思い出した。「つなぎ」だ。つなぎ服をこのように着たり脱いだ…

  • 三十番神

    久しぶりにそこへ行った。「金毘羅宮」か何か「金毘羅」という文字が入った額が掛かっていた、という記憶があったが、鳥居には「三十番神」という額が掛かっていた。「金毘羅」の文字のあった社は、この辺りには間違いないと思うが、別の社だったかもしれない。ここは確かに「三十番神」だった。お賽銭は、閉め切られている雨戸の隙間に差し込んできた。三十番神を後にして少し歩いたところで、自転車ですれ違った婦人に見覚えがあった。この辺に畑を作っている人だったかと思う。振り返って見ると、案の定、畑の方に入って行ったが、今日は畑仕事ではなく、猫への餌やりのようで、猫が三匹ほど、一目散に婦人の方に駆け寄って行った。

  • 『ショウコの微笑』チェ・ウニョン

    >> (前略)自分が自分であるという理由だけで自らを蔑み嫌う人たちの立場で、社会や人間を見つめる作家になりたい。その過程で私もまた、恐れることなく、ありのままの自分になれたらいいと思う << 自己否定の強い主人公の話が多く、読んでいて息苦しくなるところがあった。巻末の著者の書いた「作家の言葉」の最後に上に引用した文があった。なるほど、と思った。偉いな、と思った。

  • 苦手な音

    布団の中で寝ようとしているときに、風で鳴る雨戸のガタガタという音が気になって、眠れないことがある。めったにないのだが。眠れない、と思っているうちに眠ってしまうことの方が多いのだけれど。どうしても眠れないときには、雨戸を開けてしまう。雨戸を戸袋の中に入れてしまうと鳴らなくなることもあるので。 眠れない原因は音の大きさではなく、不規則さにある。ガタガタと鳴りっぱなしではない。風の強弱方向が変化するのに従って、鳴りやんだりまた鳴ったり、鳴る時間も鳴り止む時間も一定ではない。ガタガタと鳴って鳴り止んで、すぐにまた鳴りだすのはまだ良い。鳴り止んでいる時間がかなり続き、少しほっとしたところでまた鳴りだすの…

  • 二重連

    昨夜も足が暖まらず、湯たんぽが欲しかった。まだ11月だからなどと自制せずに、今夜は必ず入れよう、とお湯を入れるために、部屋に湯たんぽを取りに行った。なんと雨戸だけでなくガラス戸も開いていた。久しぶりの晴れなので窓を開けておいたのは正解だったが、今この時点では室温と外気温が一致しているのか、と身をすくめた。 この際、と思ってスティッチの湯たんぽと、ばね付き栓のビール瓶との、二つの湯たんぽを入れることにした。「二重連」という言葉が浮かび、布団の中にはもう何の心配も要らない、と思った。一台でも限りなく力強い機関車が二台で引っ張る「二重連」。二つの湯たんぽを入れたことに、それが譬えとして浮かんだのだか…

  • 四十万歩の男

    スマホの歩数計のアプリで毎日の歩数をカウントしている。連続して歩いた歩数のみのカウント、ではなく全ての歩数のカウントだ。今のアプリで、2017年12月から記録がある。2018年1月に月間450486歩、2018年6月に418027歩という記録があるが、それ以後は月間40万歩を超えた月はない。むしろ最近は減ってきている。先月40万歩超えるかな、というペースだったが397301歩で終わった。12月は月の最初から40万歩超えを意識して歩いて、月の半ばで20万歩を超えていた。いけそうだ、と思ったが、ここのところの雨続きで、今日現在373816歩。月間40万歩は無理そうだ。来年のお楽しみにしよう。 40…

  • オリンピックを観る

    どんな競技でも良いからオリンピックを観たい、と思う。話のタネに、か冥途の土産か、といった動機。ということで二次抽選に申し込んだ。釣ケ崎海岸のサーフィンと福島あづま球場のソフトボールを申し込んだ。当たり易さ、で選んだのではなく、東京以外、ということで選んだ。オリンピックの期間中に都内へ行くのは大変そうな気がするので。しかし今これを書いていて気が付いたが、ソフトボールもサーフィンも炎天下ではある。

  • 2019年台風15号、19号、そして2019年10月25日千葉県豪雨

    台風15号の経験から19号を迎えるときには「正常性バイアス」を吹っ切らないといけない、と思っていた。さらに夕方6時過ぎ、風も強くなってきたころ、トイレにいたら座っている便器が、がたがたと揺れた。一階でこの揺れでは、いよいよ家が倒壊することも現実になりうる、ここで大丈夫と思うのが「正常性バイアス」ということだろう、これは意識的に吹っ切らないといけない、と思い次の行動をした。後から分ったのだが、実はトイレで感じた揺れは「地震」によるものだったのだが。それはさておき、家の倒壊に備えて、外の車の中に、三つのものを移した。パソコン、位牌、図書館から借りた本、の三つ。財布、保険証、二泊三日分の下着等はリュ…

  • 2019年台風19号を待つ

    やはり来るものは来るようです。彗星が地球に向かっているというような場合ならば、彗星を破壊するためにロケットを飛ばす、なんてことで悪戦苦闘している真最中かと思いますが、こと台風については、弱めたり、進路を変更させる、というような手段はあるのでしょうか。どこかの国でたまたまミサイルの発射実験をして、そのミサイルが19号の「眼」に落下して、台風が雲散霧消した、というようなことはないでしょう。 午前11時に防災無線のメールが届きました。「本日午後四時から市内の小中学校を避難所として開放する」とのことです。家が倒壊するかしないかは運任せ、と決めてはいました。選択肢は、一階にいるべきか二階にいるべきか、で…

  • 三十分後に発表

    午後八時にノーベル文学賞の発表です。多和田葉子の受賞を期待している。

  • 読み違い

    いつも行くスーパーではないスーパーに行ったらーーといっても、ここからの話に、いつも行くスーパーではないスーパーということは関係ないので、スーパーへ行ったらで良いのだがーークレジットカードでの支払いについてのポスターが貼ってあった。 まずポスターの左半分には、うろ覚えだが「一万円以下は一回払いで」というようなことが書いてあり、右半分には、こちらははっきり覚えているが「三万円以下はサイレンスです」と書いてあった。「サイレンス」とはどういうことか考えた。お客が「クレジット払いで」と言わなくて黙ってカードを提示すれば良い、ということだろうか。あるいは店員が「何回払いにしますか?」とか訊かずに一定の処理…

  • 63円はがきもヤマユリ

    62円はがきを買ったときのレシートを見て、スタンプ部分の花が「ヤマユリ」だと知った。63円では、そこは別の何かに変わると思った。それで一句作った。 〇ヤマユリの はがき散りゆく 九月末 我ながら傑作だと思い、市の広報の川柳コーナーに応募した。さらに昨日書いた知り合いへのはがきにも、書いて自慢した。 何の図柄になったのか気になってさっき調べたら、なんと、63円のはがきもあそこの図柄はヤマユリだった。恥ずかしや。まさかとは思うが、選者もわたしとおなじ勘違いをしていて、これは良い、と掲載されたりしたらどうしよう。もしそうなればそれも一興か。

  • さらば62円はがき

    62円のはがきを5通、ポストに入れて来ました。取集時刻ーーポストにこう書いてありました。音で「しゅうしゅう」で漢字は「収集」だと思っていました。それは別として、そのポストの次の取集時刻は明日の昼の12時ですが、やはり62円はがきは日付が変わる前に出すというのが「筋」かと思い、投函してきました。わたしの場合、小さなことの筋はとおせると思いますが、大きなことで筋をとおせるかというと、そこは危ないです。

  • ある記事の見出しが胸につかえていたが、おりた

    今朝のネットの記事の見出し 「なぜいま?「反移民」に対し立ち上がった日系アメリカ人」 を見て、胸のつかえがおりた。この記事は「NHK NEWS WEB」の「2019年9月13日 11時48分付」の特集記事。 この記事の見出しは当初 「なぜいま?「反移民」に立ち上がった日系アメリカ人」 となっていたのです。「日系アメリカ人が反移民」とはいったいどういうことだろう、反移民が、ついにそういうところまで広がったのか、とがっかりして中身を読めば、「反移民に反対して立ち上がった」ということでした。本文中にも書かれているような「日系アメリカ人」についての歴史を知っていれば誤解される余地はない、とまでは言いき…

  • スーツケースに目が釘付け

    5月に予約していた市の健診の日、9月3日がついにきてしまって、朝7時50分に病院に行った。受付けを終わって待合室のソファに座ったところでテレビでNHKの朝のドラマが始まった。母と娘のようなふたりが野原を歩いて来るシーンから始まった。テレビは見ていないのでストーリーは分らない。女の子が着ている服の赤が鮮やかだ。これが4Kだろうか。母親は手にスーツケースを提げている。車輪が付いていない手で提げるタイプで、昔はみんなそんな形だった。時代考証の結果選ばれたスーツケースなのだろう。わたしの目が釘付けになったのは、母親の提げているスーツケースだった。腕の延長上にスーツケースがある、という風に見えた。もしス…

  • 『刑罰』フェルディナント・フォン・シーラッハの中の「リュディア」という作品中の一節

    法廷での精神科医の証言です。 >>「愛し合うというのは非常に複雑な過程を経るものです。はじめはパートナー本人を愛するわけではありません。そのパートナーから作りあげたイメージを愛するのです。ふたりの関係に危機が訪れるのは、現実が見えてしまったときです。つまり相手がじつはまったくちがう人間だと気づいたときなのです。アメリカ合衆国では、ごく普通の自立した女性と受刑者のあいだで結婚が成立するケースが多く見られます。その女性たちはたいてい新聞の結婚募集広告で知り合います。ですから相手と一生いっしょに暮らせないかもしれないことを承知しています。それでもその関係は強固です。被告人の場合とおなじ現象です。女性…

  • 「聴く」と「聞く」

    ある政党のポスターの「小さな声を聴く力」という言葉を見て「聴く」は「聞く」の方が良いのではないか、と思った。「聴く」から「垂簾聴政」という言葉を思い浮かべたせいか「聴いてあげる」という感じを受けた。そのことを書こうと思ったのだが、書く前に調べた。 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/151.html >> =聞〔一般用語〕うわさを聞く、聞き捨て、聞き流す、聞く耳持たぬ、話し声を聞く、物音を聞く =聴〔特殊用語。身を入れてきく〕聴く(音楽・講義・国民の声などを-) << 「聴く」に「聴いてあげる」という意味は付いていない。しかも、使…

  • ある日の夢と別の日の夢とが繋がるか?

    先日夢を見た。停留所でバスを待っていたら、乗ろうと待っていたバスが止まらずに通り過ぎてしまった。あーっ、と思ったら、しばらく行き過ぎたところで止まった。止まったバスに向かって走りながら、この間も、待っていたバスが停留所で止まらずに行ってしまったけれど、同じことが続くものだ、と思いながら走った。 これが夢です。実際にこの夢のようなことは起きていません。停留所で待つことはありますが、置いていかれたことはついぞありあせん。ただ、この夢を見た日より数日前に、停留所で待っていたら待っていたバスが止まらずに通過してしまった、という夢を見ました。この夢のことが数日後の夢の中で現実として思い出されている、とい…

  • 「なに」尽くし

    なにはともあれ72 なには無くとも72 なにも知らない72 なにくそ頑張る72 名にしおう難関72 はが抜けて花になれない72 難波に縁なし72 なにも言わずに72

  • ばらを見ながら

    もうおおむね終わったけれど、しばらく前はあちこちの家の庭にばらが咲いていて、たんぼの方へ行かない散歩コースのときには、それを見ながら歩いた。その中に、黄色いばらがあった。とげのない、花が小さい黄色のばらではなく、直径は10センチくらいあった。その花が一番気に入っていた。カスタードクリームよりは少し濃い色だったが、輪郭がかちっとしていないで、花が周囲に滲み出すように見えた。その「滲み出す」ような感じが好きだった。その花に「夢幻」という名前をつけた。その花が散って二週間くらいになるが、その間ずっとこのことを書こうと思っていて、今書いているのだが、「夢幻」は花が咲いているときに浮かんだ名前だが、今書…

  • 1989年1月8日

    1989年1月8日は平成の始まった日です。年末か年始のどちらかだと思っていましたが年始でした。平成三年に亡くなった父が「オレも、昭和が終わるまで生きたか」と、ひとこと言った記憶があります。あるいは「オレも、天皇より長生きしたか」だったかな。このとき「歌舞音曲の停止」という言葉が氾濫しました。「停止」は、「ていし」と読んでいましたが、調べてみたら「ちょうじ」なのですね。 どちらかというと、目出度い改元の方が良いですね。

  • 部首「𠆢(ひとがしら(人頭)、ひとやね(人屋根))」

    「令和」の「令」の字の部首は「ひとがしら(人頭)」とか「ひとやね(人屋根)」というらしい。この部分で文字の印象が変わる。新元号発表のときに提示された「令和」の「令」の字は、見直してみても大きな屋根だ。下の部分をほぼ覆っている。新しい元号は何だろう、と息を詰めて見ていたその息が、新しい元号の文字をみたとたんに、ふーっ、とならずに、しばらく詰まったままだったのは、あの大きな屋根の圧迫感が原因だったのかもしれない。わたしはどちらかというと、小さくて勾配が緩やかな「𠆢」が好みだ。

  • 市長選挙

    先日の市長選挙では応援したい候補がいたので「投票依頼」をした。自宅を訪問したり職場を訪問したり、はしなかった。違反だから。メールやショートメールでの投票依頼を、しなかった。違反だから。 道路やスーパーでばったり会って依頼をした人、10人。 電話で依頼をした人、4人(うち1人は留守電)。 ラインのトークで依頼した人、3人。 すでに投票済みだった人、2人。 体調不良で投票に行けそうもないという人、1人。 24420、23230、16515、5151という4人の得票だったが、応援した候補は16515票だった。残念。惜しいのか大差んあのかは分かりませんが、投票率が上がれば別の結果もあったかもしれない、…

  • カレンダー

    洗面所にカレンダーが掛けてある。一行が一週間、日曜から土曜までで、一か月一枚。一日分の桝にはちょっとした予定が書き込める。四月一日だったか、一緒に歯磨きをした後で、ここから学校だね、と五日を指したら、書きたい書きたい、と言って壁にカレンダーを留めてある画鋲に紐でぶら下げてあるボールペンで、カレンダーに書き込んだ。「学校」と横書きしてその下に「(りんの)」と書いた。名前をかっこで囲んであったのは、後から見直したときに気がついたのだが、感心した。ただ「りんの」でもそれはそれで良いけれど、そこは、かっこで囲むのがよりふさわしいと思い、そういう感覚が身に付いたことに感心した。四月六日のところには「すい…

  • 風には負けた

    26日と27日で、気温が高い27日を選んだのだが、風速には気がまわらなかった。浜に着いたときにはシートを広げて弁当を食べるどころではなかった。砂浜には10分も居られなかった。あとから調べたら5から6メートルの風で、散歩のコースでもちょくちょくある風の強さだが、浜の風は格別というか、別格だった。 こういう風の日に、砂浜を海に沿って何時間か歩き、適当なところで引き返して来る、そういう散歩ができるようなら二人の愛は本物ではないか、というような考えが浮かぶような、試練の風だった。そういう二人は見当たらなかったが。 というわけで、日ごろ愛読しているブログにちょくちょく登場するので、九十九里に行こうと思い…

  • 墓参り

    墓参りに孫一を誘うことが多かった。孫一も気軽に一緒に行ってくれた。今でも誘えば一緒に行ってくれると思う。でも、最近少し躊躇する。一緒に行くとなるとひ孫一も一緒なわけで、もう八才なので、「死」というものがあるらしいこは分かっているだろうから、お墓参りとなれば改めて、死とはどういうものだろう、と考えると思う。何だか怖い、と考えると思う。ひ孫一が最後に参列した葬儀は2014年6月のわたしの義父の葬儀だから、ひ孫一は三才。火葬場にも一緒に行って、お骨を拾うところも見たはずだが、三才では、見ただけで終わっていると思うのだが。その後の葬儀、義理の妹と義母の葬儀には参列していない。

  • 砂糖醤油

    餅は砂糖醤油で食べることが一番多かった。好きでもある。きな粉や海苔でも食べたが、そちらは多少改まった感じだった。醤油が滲みているが、醤油に溶けてしまうのではなく、砂糖として固まっている状態の、そこを餅で掬って食べていた。甘さが魅力だったのだろうと思う。手っ取り早さも抜群。

  • 鳥、とは限らないようです

    何年も通っている散歩のコースだが、最初に行ったときには、勇気が要った。人里離れた、というわけではないが、歩く人は散歩の人だけ。田んぼの季節には作業の人も見かけるが、広い田んぼの中にぽつんとひとり、ときどき見かける、という程度だ。道路は舗装されているが幅は車一台分で、抜け道にもなっていないから、ほぼ通らない。 道路わきが、雑木林の斜面になっているところがある。そういうところを歩いているときに、斜面の裾の藪ーー歩いているすぐ横になるーーの中、斜面の少し上の辺り、そういうところで、ガサガサという音がすることがある。そのたびにびくっとして、何が出て来るか、と身構えた。ももも身構える。地面の上にいる動物…

  • 春が小走りで

    こちらの存在を認めてもしばらく近くにいて、小走りに走り回っていた。ももに興味があったのか。大きな鳥だな、とでも思ったか。まだ子供かな。

  • 「一年のうちいちにちだけ」

    2002年1月29日生まれと2003年1月28日生まれの孫ーー二人は従兄弟ーーが、武家屋敷の庭でチャンバラの真似をしている写真(フイルム写真)を、つい最近二、三か月以内だと思うが、引き出しの中にアルバムではなく一枚だけあるのを見つけて、こんなところにあったのか、と思った。その写真を昨日から探している。元見つけた場所にない。しっかり保管しておこう、と別の場所に移した、という可能性も大きいが、別の場所とはどこか。それらしきところを探したけれど見当たらない。これを書いた後でもう一度探すつもりだけれど、今までの探す作業で、不要なものをかなり処分できた。 この二人の孫は、「一年のうちいちにちだけ」同い年…

  • つうじる

    ひ孫一と歩き始める。歩き始めながらひ孫一のいる側の手を下ろす。一秒か一秒半後に、ひ孫一の手がわたしの手を掴む。それ以上待つ事もないし、逆にわたしの手が降りて行ったときそこにひ孫一の手があることもない。必ず、わたしの手が降りるとひ孫一が手を掴む。わたしもひ孫一も相手の手を見てそれにあわせて自分の手を動かしているわけではない。歩道を並んで歩くときは車の通る側をわたしが歩くから、道路を横断して反対側の歩道に移ったりすると、ひ孫一が反対側に廻ることになる。一緒に歩いている間に何回かそういうことがあるが、「わたしが手を下ろす。一秒か一秒半後に、ひ孫一がわたしの手を掴む」というふうにして手を繋いで歩き始め…

  • 年男

    明けましておめでとうございます。 ずっと「六回目」と考えていました。貰った年賀状のうち、年男についての言及があたのは二通でしたが、「六回目の亥年を迎え七回目まで行けるか?」「お互いに六度目の年男」と、どちらも今年を六回目とした記述でした。わたしも「六回目」と考えた記述で出しました。どこかで、生まれた年も亥年だったのだからそこが一回目の年男なのかな、という考えが浮かびました。ここまでは本当です。 それで、六回目か七回目か考えているうちに日が経過して最初のブログが今日になりました、というのは嘘です。一月二日に撮った写真を二枚。

  • なるほどこれが「加速度的」か、と小さくなった白菜を見て思う

    大きな白菜だった。縦が50センチ、胴の部分の直径が30センチくらいだったか。先日、一回目の塩漬けを作った白菜だ。そのときは使ったあとも、あまり小さくなったようには見えなかった。この分だと年を越して一月の半ばまでもつかな、といった感じだった。今日二回目を作った。同じレジ袋を再度使った。前回と同様に袋が一杯になる量の白菜をむしった。前回もそうだが、外側から葉をむしって使っていっている。今回むしり終わったあとの白菜を見ると、ずいぶん小さくなっている。前回と同じ量を使ったと思うが、使った後の白菜は、ずいぶん小さくなった。なるほどこの小さくなり方が「加速度的」ということなのだろう、と思った。

  • 「言葉・青菜に塩」の誕生について考えた

    白菜の塩漬けを作った。中くらいの大きさのレジ袋に葉っぱーー十枚ほどだったかーーを切って入れて、ほぼ一杯になりましたが、そこに塩を入れ、酢も少々加えて、レジ袋の取っ手の部分を使ってぎりぎりと縛り、水が出て来るから、その袋をタッパーに入れて冷蔵庫にしまった。キャベツで、この方法を教えて貰って、キャベツでは何回か作っている。漬かれば量が減るとは思っていたが、白菜の減り方はキャベツより大幅だった。大幅に減った。「青菜に塩」という言葉が頭に浮かんだ。そこで考えたが、もし「青菜に塩」が「漬物を作る過程」で思いつかれた言葉だとすると、思いついた人は漬物を漬ける人、あるいはそういう作業を見たことのある人、とい…

  • 泉大津

    しばらく前からNHKの朝のドラマの舞台が泉大津に移ったが、移る少し前の時期に乗ったフェリーの着いた先が「泉大津港」だった。朝のドラマの舞台を訪ねた、ということではなく、神戸よりは関西空港に近いということで、同じ新門司港発の泉大津着の航路を選んだ。港へ着いてからすぐには下船せずに一時間くらい船内に留まったーーこの間に食事や入浴ができるーー客の、相乗りのタクシーで南海電鉄の「泉大津駅」に直行した。それだけの縁だったが。 午後の飛行機の時間までの訪問先として、「道頓堀」と「みさき公園」を旅の前に考えたが、大阪まで行って遊園地ということもないだろう、小学二年生でも「道頓堀」を歩けば楽しいこともあるだろ…

  • ふたご座流星群

    あれが「ふたご座流星群」ならば、「流星群」と名の付くものは初めて見た。尾は引いていなかった。丸い球が、見える範囲では五から六個、ゆっくりと同じ速度で同じ方向に動いていた。月と反対の方角で東の方だった。空を見ながら、散歩でとおる小学校の校庭までところで、ちょうど見えた。「見えた、見えた」という声も聞こえてこなかった。誰もいないようだった。繰り返しになるが、「流星群」と名の付くものは初めてみた。見たい、という気持ちは強くはなかったけれど、寒い中を家を出たのは流星群の名前が「ふたご座」だったことを、何かの縁、と思ったためだと思う。 というわけで、来年はイノシシの肉を食べようと思う。

  • 写真を載せてみます

    昨日の写真 坂を撮った。モモは何を見ているのか上の方を見ている。 本日の写真。田んぼの方ではこの花が何となく目に入る。 次はもっと鮮明に撮ってきます。

  • 気温

    「12月」が逆立ちして「21度」という気温がでたのが4日だった。それは別としても、まだ暖房を使っていない。やはり今年は暖かい。もうひとつ、11月半ばから家の中での居場所を一階から二階にした。太陽が出た日は二階は暖まる。それでストーブなしで居られる。ひざ掛けをかけたりはするが。とはいっても、室内にテントを張ろうと真剣に考えた部屋で、冷えるときは冷えるから、いつまでストーブなしで居られるか。12月いっぱい頑張ろうかと思うが。

  • 明日は休館日

    今日は月曜日だから休館日。五日が返却期限の借りた本があるし、リクエストした本もきているから、明日は図書館に行こうと思う、ということで明日行くと、図書館は休みだ。第一火曜日だから。祭日等なら別だが。ももを隣の公園の土手の灌木につないで、図書館の扉の前まで行って、おっとそうだった、と気がつく。でも本の返却はできる。 扉の脇の、高さでは大人の胸の高さくらいの位置に、本の入る大きさの穴が開いていてそこから本を投入できる。独立した本の投入箱(「返却ポスト」)ではない。館内に直接投入される。ということは、穴から入れられた本は下の床に落ちるのかな、本が傷むのではないかな、とみなさん思うと思う。わたしも初めて…

  • 錯覚

    スーパーで氷の浮いた水槽の中にあるサンマをトングで挟んで透明なビニール袋に入れて口を縛る。袋に入れるときは、ビニールの外側にサンマが触れないように慎重に袋の中に落とし込む。ビニールの外側にサンマに付いていた水が付くと、ビニールの口を縛るときに、その水が手に付いて、手に魚の生臭さが付いてしまう。 慎重に慎重にビニール袋の口を大きく広げてサンマを落して、よし大丈夫、とビニールの口を縛ろうとするときに、手の指先に水を感じた。そんなはずはない。納得できない。念のために指先を目の前に持ってきて、さらにこすり合わせてみた。濡れていない。サンマにビニールの外側から触れたときのヒヤッとする感覚で、濡れた、と思…

  • はてなブログに移行しました

    はてなブログに移行しました。

  • ふたり旅ーーここは待たせる側の誠意の見せ所

    ふたり旅の間に、わたしがトイレ(個室の方)に行く回数が多くて、ひ孫一には迷惑をかけた。待っててね、と言ってはくるが、時間が経過すると、まだ小さいから、じいじまだー、じいじいるのー、と訊いてくる。個室のすぐ外ではなく男子トイレの外からだけれど、ひ孫一は良く透る声をしているので−−授業参観のときに、大きな声でないのに教室の後ろの方まで明瞭に聞こえたのに感心した−−通常の大きさの男子トイレだったら、中まで聞こえてくる。困ったな、と最初のときにはちょっとだけ迷ったけれど、待たせる側としてはここで黙っているわけにはいかない、とすぐに決心がついた。凛ちゃんちょっと待っててねもうすぐだからね、と外まで聞こえ…

  • こだわり

    明日オープンの「コメダ珈琲店」と隣の「ブックオフ」の境界には、ブックオフ側に看板−−塀も兼ねているのだろうが−−が立っており、「BOOK OFF HARD OFF」と店名が書いてある。コメダ側からはその看板の裏が見える。今月の始め、その看板のコメダ側に足場が組まれた。本体の建物はほぼ完成した後だったので、急遽コメダ側にも看板を立てることに決まったのか、と思っていた。数日後には足場が取れたが新しい看板は立っていなかった。良く見たらブックオフ側の看板の裏側が塗られていた。「コメダカラー」とでもいうのか、建物と同じ色調に塗られていた。全体は焦げ茶色で、四、五本ある丸い支柱は濃い目のオレンジ、といった…

  • 運動会

    22日予定の運動会は、雨で24日に行われました。「プログラムNO.16野菜を育てたよ(創作レース)」という競技で一着になりました。「三つ葉、四つ葉、五つ葉、クローバー三種セット」の神通力でした。ありがとうございます。 ピストルの合図でスタートします。スタートとゴールの中間地点にダンボールの箱が競技者分だけ置いてあります。どの箱にも、野菜の絵を書いたカード(といっても30×40センチくらいの大きさ)が、おそらく五枚くらい入っています。カードには種類の異なる野菜の絵が描いてある。競技者はダンボール箱の中から一枚とってそれを頭の上に掲げる。全員が掲げたところで(だから、中間地点までは速さを競うわけで…

  • こんな手紙が書けるようになりました

    こんな手紙が書けるようになりました - 照る日曇る日の日記

  • 並んだ四角の窓のすべてに円が

    横断歩道の前でモモと信号が青になるのを待っていたとき、向かい側の車線を幼稚園のバスが通過した。マイクロバスなので窓の数は十二、三だったと思うが、すべての窓の中に「円」があった。園児の制帽が麦わら帽子のような帽子で、その帽子が円に見えた。円に見える、ということは、こちらを向いていた(室内を向いていた可能性もあるが、記憶では円の中に子供の顔が見えたような気がする)ということになる。ひとつふたつではなく、全部の窓に円が見えた。まだまだ、窓の外に興味があるのだな、と思った。モモを見ていたのかな。

  • JR各社

    7月24日から30日の間に、9月1日の写真の切符で乗れないJRの区間も通った。「糸魚川」から「南小谷」の間が「JR西日本」、「辰野」から「伊那北」の間が「JR東海」だった。

  • 二倍濃縮の討死

    三分の一くらい減った麺つゆだから封を開けてからそんなに日数は経過していないはずだが、あれ?すっぱいかな、と感じて慌てて冷蔵庫で保管することにした。それが半月ほど前かも知れない。その後、微かなすっぱさ−−人によっては何これ!ということで捨ててしまう人もいるかもしれない−−は、進行もしないが、無くなりもせず、使い続けている。蕎麦を食べるときテーブルの上に出したそのボトルを見ると「二倍濃縮」と書いてある。この夏は二倍濃縮では、生き残れなかったようだ。2018年は暑い夏だった。

  • 九月になりました

    七月六日が前回ですから、ほぼ二か月間、書かなかった。入院してました、というわけでもなく、変わらぬ生活をしていました。今日は七月の旅行の切符の写真でお茶を濁させて貰います。

  • 七夕の願い事

    スーパーに、作り物だけれど笹があって、願い事を書いた短冊が下がっていた。横のテーブルの上に、何も書いてない五色の短冊とサインペンが置いてあった。書いてみようか、と言うとうん、と言って書き始めた。考えるのに時間がかかるだろうと思っていたら、ささっと書いたので少し驚いたが、書いた内容を読んで、内容にも驚いた。願いとしてはおかしくないのだが。ちょっと見ただけで笹にさげてきたので、次の日にもういちど正確には何と書いてあったか、そのスーパーにひ孫一の書いた短冊を見に行った。わたしがぶら下げたからおおよその場所は覚えていたが、なかなか見つからず、あきらめようかな、と思い始めた頃に見つけた。次のように書いて…

  • 落ちた木の実の影

    公園の中の遊歩道のなだらかの上り勾配のところに木の実がたくさん落ちている。その木の実に影ができている。こんな小さいものにも影ができるのか、と驚く。太陽の方に向かって上っている道路の傾きと、日の出間もない太陽の光の角度がかなり近い角度になっているせいかと思うが、自分の直径よりも長い影ができている。「一寸の虫にも五分の魂」というけれど「五分の木の実にも一寸の影」。

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