ハンドル名
幽村芳春さん
ブログタイトル
正法眼蔵=坐禅
ブログURL
http://honjoutarou.blog107.fc2.com/
ブログ紹介文
坐禅を始めた瞬間から釈尊と同じ境涯になる。坐禅そのものが悟りに他ならない。
自由文
自分の家で毎日坐禅をしています。
更新頻度(1年)

115回 / 170日(平均4.7回/週)

ブログ村参加:2009/12/23

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幽村芳春さんのブログ記事

  • 正法眼蔵 仏経 9

    仏教経典について道元禅師の注釈は続きます。我々の持っている握り拳や足のかかと、仏教の儀式に使う杖や払子という個々の道具が、永遠の意味を持った経典であるし、現に眼の前に存在するところの経典でもある。それらは具体的な形を持った経典でもあると同時に、無限の意味や内容を具えた経典でもある。 寺院の中で多くの僧侶と一緒に生活し仏道修行や坐禅に努力する事も、その最初の状態も正しく、その正しい最初の状態がまさに...

  • 正法眼蔵 仏経 8

    仏教経典について道元禅師の注釈は続きます。釈尊が優曇華の花を手に取って目ばたきをされ、摩訶迦葉尊者がその意味を推察されにっこり微笑されたこともまさに過去七仏以来正しく伝承されてきた永遠の意味を持った仏教経典である。太祖慧可大師が雪の深い日に腰まで雪に埋まり少林寺の達磨大師を訪ね弟子入りしたいとお願いした際、達磨大師は最初は見向きもされなかった、そこで太祖慧可大師は、自分の覚悟を示す為に腕を切って達...

  • 正法眼蔵 仏経 7

    仏教経典について道元禅師の注釈は続きます。 この様な宇宙という経典を読んでそれを理解する場合には、釈尊の持っていた智慧や作為を持たない自然の知恵や師匠に教わるのではなく本来自分が持 っている智慧というものが、人間が心で焦って得たい得たいと思っている状態よりも以前に、足を組み、手を組み、背骨を伸ばすならば直ぐ現れてくる。 ごく普通の当たり前の状況の中に、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして坐っている事が...

  • 正法眼蔵 仏経 6

    仏教経典について道元禅師の注釈は続きます。 真実を得た人々(諸仏)を教える場合にも、真実を得たいと思って一所懸命に努力している人々(菩薩)を教える場合にも、それは全大地で行われ全宇宙の中で行われている。ある場合には様々な手段を使って釈尊の教えを説き、ある場合には現在置かれた状態の中で釈尊の教えを説くと言う事が行われ、たとえ一人、半人の修行者をも半人見捨てる事なくこの世の中の本当の姿を示すのである。 この...

  • 正法眼蔵 仏経 5

    仏教経典について道元禅師の注釈は続きます。仏教経典を読む事によって、あるいは周囲の環境に浸る事によって、仏教的な立場でものを見る力が具わってきたところの仏道修行者の例もあった。仏教経典というのはあらゆる方角に広がっている宇宙そのものであり、宇宙が仏教経典そのものであり、我々の日常生活の中で仏教経典でない時点というものはないし、仏教経典でない場所というものもない。そのような仏教経典としての宇宙は仏教...

  • 正法眼蔵 仏経 4

    高徳と仏教経典との関係について道元禅師が注釈されます。徳の高い僧侶は例外なしに仏教経典を十分に理解しているものである。仏教経典の意味が解っているという事は、仏教経典が実は我々の住んでいるこの大地であり、国土であるという立場で勉強する事であり、我々の体である、我々の心であるという立場で勉強するのである。仏教経典を人々に教える際の手段とし、仏道修行と仏教経典とが同じものだという考え方で仏教経典の意味を...

  • 正法眼蔵 仏経 3

    「仏経」の巻、本文に入ります。 仏教経典の中には、菩薩(まだ仏になっていない段階の仏道修行者)を教える教えも含まれており、諸仏(すでに真実を得られた方々)を教える教えも含まれている。いずれの場合にも、この仏教経典こそは釈尊が説かれた偉大な真実を述べる上での手段(道具)となっている。 その様な手段というものが、それを使う人の事情に合わせて役立っているし、またその道具を使う人は、積極的に道具を使いこなして今日...

  • 正法眼蔵 仏経 2

    「仏経」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話は続きます。それからもう一つ道元禅師が仏教経典に関連して持っておられた立場の重要な考え方は、必ずしも紙の上に字で書かれたものだけを意味しておられないわけであります。道元禅師の立場によりますと、宇宙のすべてが仏教経典であり、宇宙にある一切のものを見たり聞いたりする事によって釈尊の教えは見る事ができ、聞く事ができると、こういう考え方を持っておられたわけであります...

  • 正法眼蔵 仏経 1

    「仏経」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。まず表題の意味ですが、この「仏経」と言う巻は文字通り仏教経典と言う意味です。「正法眼蔵」にはこの他に「仏教」と言う巻があります。この「仏経」という巻で説かれている趣旨は何かと申しますと、仏教経典を考えていく場合に昔から二つの考え方があるわけです。一つは仏教経典というものを、非常に重要なものと考えて釈尊の教えは仏教経典さえ勉強していれば一切がわかるはずだ...

  • 正法眼蔵 蜜語 17

    雪竇智鑑禅師の言葉について道元禅師の注釈のは続きます。花があり雨が降ると言う事態と、我々が世界の中に住んでいる事とは同じ事実である。ここで自分の師匠の師匠である雪竇智鑑禅師が言われている言葉は、感覚的に捉える事のできる外界は見えない様にされているが、それに伴って内からにじみ出る実体がますます鮮明になってくるという事情を伝えている。この様な内容的なものが外見として現われ、外見と言うものの中に内容が隠...

  • 正法眼蔵 蜜語 16

    自分(道元禅師)の師匠の師匠である雪竇智鑑禅師が衆僧に説示して言われた。 釈尊には言葉にならないところの神秘的な言葉があり、迦葉尊者は一切のものをさらけ出して何も隠していない。それが我々の生きている現実の世界の実情である。その様な実情を詩の形で表現するならば、「昨夜は一晩中雨が降って花を散らしてしまった、今日は街中に流れている水という水が、えも知れぬ芳香を保っている」 雪竇智鑑禅師の言葉について道元...

  • 正法眼蔵 蜜語 15

    道元禅師の「蜜語」についての注釈はまだ続きます。 一般的に言うならば、人に釈尊の教えを説法する場所においては、それを聞いて納得する時点においては、、例外なしに神秘的な何かを人に提示するのであり、神秘的な何かが聞く人にもそのまま受け入れられてわかるのである。その様な事実というものが釈尊以来代々の祖師方によって正しく継承されて来たところのものである。いま我々が生きている現在の時点と言うものは、言葉で表...

  • 正法眼蔵 蜜語 14

    道元禅師の密語についての注釈はまだ続きます。銘記せよ。仏道修行をして真実と一体になっている時点においては、声に出さなくても自分の意思は十分に相手に伝わっているし、その行いは十分に現実の場面に現れていると言える。ここで言っている「密」というのは親密と言う意味である。その事はお互いの関係が切断しない事であり、途切れが無い事であり、一切の人々が真実を得た人と同じ状態になっている事であり、一切の問題に関連...

  • 正法眼蔵 蜜語 13

    道元禅師の密語についての注釈はまだ続きます。一般論として、釈尊には音は聞こえていないが意味を伝えるような言葉があるし、人が見ていようと見ていまいと自分の真実にそった行いというものがあったし、人が知ろうと知るまいと独自の体験というものがあった。ところが愚かな人々が考えるには「密」という言葉の意味は、他の人は知らず自分だけが知っており、これを知っている人もあれば知らない人もあるところのものだと考えてい...

  • 正法眼蔵 蜜語 12

    雲居道膺禅師と官吏の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます。あらゆる仏教教団における聴衆の持っていた眼が決して明瞭さを欠いていたということも言えないし、それらの聴衆が持っていた耳がよく聞こえなかったと言う事でも決してない。 その点では心を中心とした目があり、また肉体に具わった眼もある。耳にしても、精神的な意味での耳と肉体に具わった耳と両方の意味で耳というものがある。この様に考えてくると、迦葉尊者が...

  • 正法眼蔵 蜜語 11

    雲居道膺禅師と役人の問答に関連して(仏教の教えは言葉で表すことの出来ない教えであるから、ただ黙っている事の中に釈尊の教えがあると言う理解の仕方もありますが、その理解の仕方は誤りだと言う)道元禅師の注釈は続きます。霊鷲山において釈尊の説法を聞いていた百万人の聴衆も、釈尊が優曇華の花を手に持ち瞬きをされた事実は、はっきりと見聞きしていたと言う事が出来る。その様な事実を現に見ていた百万人の聴衆は、迦葉尊者...

  • 正法眼蔵 蜜語 10

    雲居道膺禅師と役人の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます。釈尊の説かれた教えがすたれてしまっている事は、本来この様な誤った教えの説かれているところから起こった事であってたいへん哀れなたいへん話である。明晰な眼力を持っている人ならば、まさにこの誤った教えを一つ一つ論じてその誤りを打ち破る事をするべきである。 仮にも釈尊の言葉による説法を浅薄であると言うならば、優曇華の花を手に持って瞬きをされた事も...

  • 正法眼蔵 蜜語 9

    雲居道膺禅師と役人の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます。 正しい師匠の教えを聞いていない人々は、仏教の説法をする場所に上がって釈尊の教えを説く事があったとても、夢においてさえ、先に述べたような基本的な考え方を見るという事がないのである。そして彼らがむやみに主張するところは、釈尊には言葉に表現されていないところの神秘的な言葉あるという事は、霊鷲山の教団において百万人の聴衆を前にして釈尊が優曇華の...

  • 正法眼蔵 蜜語 8

    雲居道膺禅師と役人の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます。 雲居道膺禅師が尚書という役人に対して、お前がもし理解しているならば、その状態が「迦葉不覆蔵」だと言われたけれども、その言葉の意味は、頭の中で理解できた状態が「迦葉不覆蔵」だ、と言っているわけではない。理解を超越した立場で何ものも隠すところなくすべてを現しているという状態も有り得るのである。不覆蔵(何ものも隠していない)と言う言葉についても...

  • 正法眼蔵 蜜語 7

    雲居道膺禅師と官吏の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます。 雲居道膺禅師がそのとき尚書と言う役人に教えて言うには「お前が私の言った言葉の意味がわからないならば、そのわからないという事態の中に世尊の密語(釈尊には音は聞こえていないが意味を伝えるような言葉)の実体が隠されてるのであるし、またお前が私の言っている言葉の意味がわかるならば、迦葉不覆蔵(摩訶迦葉尊者がその本質をありのままにさらけ出しておられた...

  • 正法眼蔵 蜜語 6

    雲居道膺禅師と官吏の問答に関連して道元禅師の注釈は続きます。世尊の密語(釈尊には音は聞こえていないが意味を伝えるような言葉)と迦葉不覆蔵(ありのままをすべて現していて隠しているものは何もない)と言う事態とは、一つのものの裏表であって「世尊の密語」があるところには必ず「迦葉不覆蔵」という事態がある。百人、千人の釈尊と同じような人格を持った人々がこの世に存在するならば、百人、 千人の摩訶迦葉尊者も同じ様に...

  • 正法眼蔵 蜜語 5

    雲居道膺禅師と役人の問答に関連して道元禅師が注釈されます。雲居道膺禅師は青原行思禅師から五代後の正統な後継者としてこの世に現れた師匠であり、あらゆる方角に広がるこの宇宙の中における偉大な高徳の僧侶であった。人間を教化するばかりでなく、草や木や石などにまで教化を及ぼした。過去七仏以来代々の祖師方を数えてくると、雲居道膺禅師は四十六代目の正統な仏教教団の指導者であり、仏道の真実を得た人々のためにさらに...

  • 正法眼蔵 蜜語 4

    ある時雲居道膺禅師に役人が供物を捧げて質問した。役人:仏教経典の中に世尊の蜜語(釈尊は音は聞こえていないが意味を伝えるような言葉)を持ってたと言われているし、また釈尊の弟子の摩訶迦葉尊者は迦葉不覆蔵(ありのままをすべて現していて隠しているものは何もない)と言われています。釈尊が持っておられた蜜語とはどういうものでありましょうか。雲居道膺禅師:尚書(役人の名前)と呼んだ。役人:はい 。雲居道膺禅師:わか...

  • 正法眼蔵 蜜語 3

    密語の巻、本文に入ります。諸仏(真実を得られた方々)が長期にわたって念願し続けている偉大な真実を、この現実の世界 において実現するにあたり、各人が自ら最善の努力によって仏道修行の実体をしっかり保持しながら、大鑑慧能禅師や南嶽懐譲禅師が言われたと同じ様な状態で、今日においても釈尊と同じような境地を体験している。 ※西嶋先生解説大鑑慧能禅師や南嶽懐譲禅師と同じ様な状態とは・・・下記の問答参照。 大鑑慧能禅師...

  • 正法眼蔵 蜜語 2

    「密語」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話は続きます。仏教はどういう考え方をしたかと言うと、我々の生きている世界が真実そのものだという捉え方をしたわけであります。真実そのものという捉え方は、空気を動かして実際に響いてくる音以外に何らかのものを教えてくれるような様々な動きがこの世の中にはあると、こういう事を主張するわけです。ですから、この世の中が物を基礎にした世界であるけれども、その物によって表わされ...

  • 正法眼蔵 蜜語 1

    「密語」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。「密語」と言う言葉の説明から入っていきますと、「密」というのは密やかと言う意味でありまして、人には見えないとか聞こえないとか、そういうふうな意味を持っています。「語」というのは言葉でありますから、「密語」というのは人に聞こえない言葉、こう言う事が文字から来る意味であります。この「密語」と言う言葉でどいう事を道元禅師が表現しようとされたかと言う問題を考え...

  • 正法眼蔵 諸法実相 33

    玄沙師備禅師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。そこでとりあえずこの問答の意味を探求してみよう。玄沙師備禅師の略式の説法が行われた。子燕の鳴き声を聞くという事実があった。 そこで玄沙師備禅師が「子燕の鳴き声が深くこの世の真実を語っているし、釈尊の説かれた教えの要点を説いている」と言われ説法の坐を下りられた。それから直ぐに一人の僧侶がさらに説法をお願いして「自分にはどうにもわかりません」と言...

  • 正法眼蔵 諸法実相 32

    玄沙師備禅師が説法している時に子燕が鳴いた。その子燕の鳴き声を聞いて玄沙師備禅師言う:子燕の鳴き声がこの世の中の真実とは何かという事を語っているし、釈尊が説かれた教えの一番中心のところを説いている。 玄沙師備禅師はこの様に言ってから説法の席を下りた。するとその後である僧がさらに説法をお願いして言う:和尚さんの言われた事がどうも自分では納得がいきません。 玄沙師備禅師言う:立ち去れ。たとえお前がわかり...

  • 正法眼蔵 諸法実相 31

    天童如浄禅師が自室で略式の説法された時の様子について道元禅師の話は続きます。住職の個人の部屋に行って質問を許すと言うやり方は、他の地方における寺院ではまだ行われていないところであって、ただ自分(道元禅師)の師匠であった天童如浄禅師だけがこの様なやり方をしておられた。そして質問の前の略式の説法の時点では、坐っておられる椅子の周りを屏風で囲い、その周囲に沢山の僧侶が立っている状況であった。その周囲に立っ...

  • 正法眼蔵 諸法実相 30

    天童如浄禅師が自室で略式の説法された時の様子について道元禅師の話は続きます。一段高くなった天童如浄禅師のおられる所を覗いて見ると、東の端とか西の端の区別がないほど沢山の僧侶が立ち重なっていた。その時に天童如浄禅師の略式の説法が行われたので、自分(道元禅師)は目立たぬ様きに僧侶の後ろに入り立ったままで説法を聞いた。その説法では大梅山法常禅師が山中で生活をしていた時の話しを取り挙げられた。 法常禅師は山...