プロフィールPROFILE

幽村芳春さんのプロフィール

住所
本庄市
出身
本庄市

自分の家で毎日坐禅をしています。

ブログタイトル
正法眼蔵=坐禅
ブログURL
http://honjoutarou.blog107.fc2.com/
ブログ紹介文
愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」を紹介しています。道元禅師は全巻を通して只管打坐を説いています。
更新頻度(1年)

197回 / 365日(平均3.8回/週)

ブログ村参加:2009/12/23

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ハンドル名
幽村芳春さん
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正法眼蔵=坐禅
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正法眼蔵=坐禅

幽村芳春さんの新着記事

1件〜30件

  • 正法眼蔵 梅華 6

    自分(道元)の亡くなった師匠である天童如浄禅師が法堂に上っての正式の説法の際に言われた。釈尊が目の前の事実をありのままに見るように、仏道修行者が素直に物事が見えるようになった時には、眼の前にある雪の中で梅の花が一本の枝に咲いている情景だけがある。しかしまだ冬、現にそれを取り巻いている雪も人々の迷惑の種となっている。一方、雪まじりの春の風が吹きまくる情景の中で、来るべき春のことを考えて喜ぶ余裕もある。...

  • 正法眼蔵 梅華 5

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。一般的に言うならば、この世の中におけるすべての花が開く事情というものは、今、目の前にある年を経た梅の木が開くことの恵み深い影響が他に及んで他の花が咲くという風にも感じ取れる。自然の中における花が開くという事にはすべて共通の性質があるから、梅以外の一切の花も梅の花が咲くのと同じような状態で開くという事が言える。そして梅の木も、人間世界における梅の木...

  • 正法眼蔵 梅華 4

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。梅の花が咲く、雪が降るというふうな現象というものとこの世の中があるという事とは別のことではない。花が開くことにおいて世界が現に目の前にあるという事が現れてくるのであるし、そのような時点というものが「ああ春が来たな」という事実でもある。五枚の花弁が開くことによって一つの花が咲くという事実がある。このような一つの花が開くという時点は、また三つの花が開...

  • 正法眼蔵 梅華 3

    天童如浄禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。今ここで天童如浄禅師が説法の形で述べられたところの梅の古木は、限定のない非常に大きな内容を持ったものである。梅の木は急に花を開くし、またそれから何か月か経つと梅の実を結ぶ。自然の一つの現象であるけれども、なかなか捕捉しがたいような大きな内容を具えている。冬の11月に梅の花が咲いたという事は春の様子を示しているし、また周囲の雪に閉ざされた情景というもの...

  • 正法眼蔵 梅華 2

    「梅華」の巻、本文に入ります。自分(道元)の亡くなった師匠である天童如浄禅師は、大宋国の寧波市天童寺にある景徳寺の第三十代の住職の大和尚である。法堂における正式の説法の際に次のように言われた。この天童山の冬の十一月をまず第一に表すものは、ごつごつと節くれだった梅の古木である。時節が来ると急に咲きだし、一つ、二つ、三つ、四つ、五つというように無数の花がつく。その清らかさは、敢えて誇示する必要もない淡...

  • 正法眼蔵 梅華 1

    「梅華」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。この「梅華」の巻でありますが、これも非常に難しい巻であります。ただ難しい理由というのは他の巻と少し違うという面があると思います。他の巻で難しい場合に、言葉が難しいという風な巻もあるわけであります。それから哲学的な理論が非常に難しいという風な巻もあるわけであります。ただこの「梅華」の巻の難しさはそういう言葉が難しいとか、哲学的な考え方が難しいという事より...

  • 正法眼蔵 坐禅儀 3

    「坐禅儀」の巻は続きます。坐禅の時には袈裟をかけるとよい。また坐蒲を敷くべきである。坐蒲は足を組んだその全部の下に敷くのではない。組んだ足の半分から後ろの方に坐蒲が当たるように敷くのである。重ね合わせた足の下側は敷物にあたっており、背骨の下は丸い坐蒲の上にのっているのである。このような坐禅のやり方というものが、釈尊以来代々の祖師方が坐禅の時に坐るやり方である。ある場合には半跏趺坐という足の組み方を...

  • 正法眼蔵 坐禅儀 2

    「坐禅儀」の巻、本文に入ります。心身の調和した状態、あるいは均衡のとれた状態に入るためには「坐禅」という修行法が一番適している。坐禅をやるには静かな場所がいい。足の痛いのを我慢して板敷に無理に坐る必要はなく敷物を厚く敷いたほうがいい。坐禅をしている部屋には風があまり吹き込んでこないほうがいい。また煙のようなものが入ってきて坐禅をしている人の邪魔になるという事は避けた方がいい。雨や露が部屋に入ってき...

  • 正法眼蔵 坐禅儀 1

    「坐禅儀」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。「正法眼蔵」九十五巻本の中には坐禅を取り上げた巻がたくさんあるわけでありますが、その中でも特に坐禅だけを取り上げた巻としては四つを上げることができるかと思います。この四つの巻も、苦・集・滅・道という四諦(四段階の考え方)で配列していきますと、それぞれの役割というものがある程度理解できようかと思うわけです。1・苦諦「弁道話」坐禅というものを理論的にどう...

  • 正法眼蔵 面授 22

    承古禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。仏国禅師と呼ばれる法雲惟白禅師は、釈尊以来代々の祖師方によって受け継がれてきた「法」を継ぐという事態を十分に理解していなかったところから、承古禅師を雲門禅師の法の上の後継者だという名前を書き連ねた。これは誤りであろう。後々の時代に仏道を勉強する者がその実体というものがわからずに、承古禅師も仏道を勉強したと言うふうに考えてはならない。もし仏国禅師のよう...

  • 正法眼蔵 面授 21

    承古禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。さてそこで自分(道元)は汝(承古禅師)の迷いを救ってやろう。とりあえず仏教界において昔から伝わっている説話を取りあげて勉強してみよう。百丈禅師が黄檗禅師に対して「お前はこれから馬祖道一禅師の法を継ぐことがないかどうか」と言われた言葉の意味は、汝は馬祖道一禅師の法を継ぐべきだと言われたわけではない。とりあえず汝は「獅子奮迅」の説話を学ぶべきである。 獅...

  • 正法眼蔵 面授 20

    承古禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。汝(承古禅師)は黄檗禅師のことを批評して、馬祖道一禅師が亡くなってからまだ五年しか経っていないのに、馬祖道一禅師の法を継ぐことが出来なかったと言って黄檗禅師の境地を批判したけれども、その様な汝の批判というものが、実に滑稽で笑うだけの価値もない。仏教界の実情から言うならば、仮に釈尊の法を継ぐだけの力量を得た場合には、その先輩が亡くなってから無限の長い時...

  • 正法眼蔵 面授 19

    承古禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。黄檗禅師は時代を超えて真実を得た方と言う事が出来る。仏教界において法を継ぐという事が、一体どういう内容のものかという事を十分承知しておられる。しかしながら汝(承古禅師)は仏教界において、法を継ぐという事の基本的な原則がどのようなものであるかという事を、いまだかつて夢にさえも見たり聞いたり学んだりすることがないように見受けられる。黄檗禅師はその師匠であ...

  • 正法眼蔵 面授 18

    承古禅師の説法について道元禅師が注釈されます。汝(承古禅師)が現に雲門禅師を承知している、あるいは雲門禅師と出会ったと言っていることを仮に許したとしても、雲門禅師が直接に汝を見たという事が言えるかどうか。もし仮に雲門禅師が汝の事を見る事がなかったならば、汝自身が雲門禅師の法を継ぐ事は不可能であったであろう。そして雲門禅師は決して汝に認可を与えるという事を言っておられるわけではないから、汝は「雲門禅...

  • 正法眼蔵 面授 17

    前回で「面授」の巻は終わったわけですが、道元禅師はその後、補足的な文章を付け加えました。釈尊の説かれた教えにおける一対一の伝授とは、この「面授」の巻で述べた通りである。この様な基礎理論を未だかつて見聞きしたことがなく学んだ事もない人々の中に、薦福寺の住職をしていた承古禅師という人がいた。その承古禅師が法堂における正式な説法の際に次のように言われた。雲門禅師は死後約百年を経た今日においても、現に我々...

  • 正法眼蔵 面授 16

    面授について道元禅師の注釈は続きます。一般的に言うならば、仏道の真実を体得された方々の説かれた偉大な教えの中においては、ただ顔と顔とを合わせて一対一で師匠が授け弟子が受け取ると言うものであり、それ以外に他のものがあるという事でもないし、顔と顔とを突き合わせるというだけの事実の中に何か欠けたものがあるという事は決してない。このように師匠と弟子とが顔と顔とを合わせて行う伝授の事態に、現に出会う事の出来...

  • 正法眼蔵 面授 15

    面授について道元禅師の注釈は続きます。釈尊が恐れ多いことではあるけれども摩訶迦葉尊者に対して法を面授の形で伝えられた際に「自分には正法眼蔵(正しい教えの眼目の所在)というものがあり、それを摩訶迦葉尊者に伝える」と言われた。また達磨大師が住んでおられた嵩山における少林寺の教団においては、菩提達磨大師がまさにその法を中国の二祖である太祖慧可大師に伝えるにあたって「お前は私の真髄を得た」と言われた。この...

  • 正法眼蔵 面授 14

    面授について道元禅師の注釈は続きます。現に釈尊の説かれた教えを学ぶ者として、様々な煩わしいものを超越し生き生きとした行動の世界で実際に仏道修行をしていく場合には、煩わしさのない静かな日常生活の中で問題をよくよく考えてみるべきである。そして心から喜びを感ずるべきである。すなわち、わが日本国は他の国よりも優れているという面もあるし、自分(道元)が中国に渡って日本にもたらした教えというものは、唯一最高の...

  • 正法眼蔵 面授 13

    面授について道元禅師の注釈は続きます。そしてそれと同じように四念処・四正断・四神足・五根・五力・七等覚支・八正道支という三十七種類の教えを現に修行しようとする場合に、仮に様々な煩わしいものが現れて邪魔をしたり、惑による障害があったとしても、それらを乗り越えて現に仏道修行をしていく際には、その仏道修行によって得られる力は、今日でも非常に顕著な姿を示している。釈尊の説かれた教えの意味とは、そのように優...

  • 正法眼蔵 面授 12

    面授について道元禅師の注釈は続きます。インドにおいてこの様な形で八か所に塔が建てられ、それを礼拝することが行われたけれども、西方のインドの国においては全国的に誰でもが務めるところの修行として、在家人も出家人も先を争うようにして礼拝し供物を捧げることが行われてきたのである。この様な形で八か所に塔が建てられ、人々がそれを礼拝している情景そのものが仏教経典に相当し、仏教における経典とはこの様な行いを言う...

  • 正法眼蔵 面授 11

    面授について道元禅師の注釈は続きます。仏教の中における教えとして正しく伝えられたところによるならば、釈尊が亡くなったときにその遺骨を八つに分けてインドの各地に八か所を選んで、そこに塔を立てて釈尊の遺骨を祀ったといわれている。その八つの塔を拝する人は、過去における罪によって得ているところの生涯というものから抜け出し、真実を求めた成果というものが現れるといわれている。そのように八塔を礼拝するという事は...

  • 正法眼蔵 面授 10

    面授について道元禅師の注釈は続きます。そのような形で真実を得られた方々の持っている智慧を顔の皮として師匠が持ち、弟子が持っているという事が実情であるから、師匠と弟子との情景というものは、内と外とに問題を区別して、内側に傷があるとか、外側に陰りがあるとか、外側に傷があるとか、内側に陰りがあるというふうな問題ではない。釈尊の説かれた智慧を譬えたところの大円鏡というものが、師匠と弟子との間でお互いに見合...

  • 正法眼蔵 面授 9

    面授について道元禅師の注釈は続きます。このように師匠と弟子との間で同じ姿を具現したということは、釈尊、摩訶迦葉尊者、以下五十一人の祖師方、過去七仏などの姿がそのまま現実のものとなったことであり、これらの祖師方と同じ輝かしさが現実のものとなり、肉体が現実のものとなり、心が現実のものとなり、それはさらに具体的に言うならば、過去における祖師方がもっていた足の先から鼻先まで現に我々を通して具現化されている...

  • 正法眼蔵 面授 8

    経典(大梵天王問仏決疑経)の文章について道元禅師の注釈は続きます。釈尊の持っておられた顔というものを拝見する際に、自分の代まで五十一代の祖師方が連なっているし、釈尊の先には過去七仏もおられるのであるけれども、それらの方々が時代の経過とともに縦に並んでいるということではなくて、それらのすべての方々が全く同じ時点において教えを伝えるということがあるのである。※西嶋先生解説歴史的にみるならば、代々の祖師...

  • 正法眼蔵 面授 7

    経典(大梵天王問仏決疑経)の文章について道元禅師の注釈は続きます。伝統を通じて釈尊と同じ顔を持ち釈尊と同じ目を持っておられる祖師方に直接お目にかかるということは、釈尊や過去七仏と呼ばれる方々にお会いする事と同じである。釈尊ご自身が直接我々と顔と顔を見合わせて教えを授けるまさにその瞬間ということが言えるのであって、釈尊の教えを直接伝えられた仏と、直接釈尊の教えを伝えられた弟子とがお互いに顔と顔とを見...

  • 正法眼蔵 面授 6

    経典(大梵天王問仏決疑経)の文章について道元禅師の注釈は続きます。この様なところから、仏道を勉強する人はいずれも、釈尊ご自身を直接目の前に見るという形で一生の間、昼となく夜となく仏道修行をした。仏道修行をすることによって師匠を見ることが釈尊の顔を拝見することでもあるし、釈尊によって直接見られていることでもあって一生の間、昼となく夜となく仏道修行を積み重ねてきた。この様な仏道修行が一体どの位行われた...

  • 正法眼蔵 面授 5

    経典(大梵天王問仏決疑経)の文章について道元禅師の注釈は続きます。阿難尊者は摩訶迦葉尊者と顔と顔とを合わせて伝えられた教えを自分自身で保持し、それを弟子である商邦和修尊者に直接顔と顔とを合わせる形で伝えられた。そして商邦和修尊者も師匠である阿難尊者にお仕えした際にも、直接顔と顔とを会わせて教えを受け取った。この様に代々の正統な後継者である祖師方がいずれも、弟子は師匠と直接お会いし師匠は弟子を直接見...

  • 正法眼蔵 面授 4

    経典(大梵天王問仏決疑経)の文章について道元禅師の注釈は続きます。このように顔と顔を合わせて一対一で教えを授ける、授かるという基本的な原則というものは、釈尊ご自身が迦葉仏の教団において、迦葉仏と一対一で対面したうえで教えを受け、それを保持してきたところであるから、仏教界において真実を得られた方々のいずれにも具わるところの同じような顔であるということが言える。※迦葉仏という方は摩訶迦葉尊者とは別の方...

  • 正法眼蔵 面授 3

    経典(大梵天王問仏決疑経)の文章について道元禅師の注釈は続きます。それがさらに達磨大師から太祖慧可大師に伝えられ、代々の祖師方を経て五回の伝承が行われて、中国の六祖である曹谿山の大鑑慧能禅師に到達した。そしてその教えが大鑑慧能禅師からさらに十七回伝承されて、自分(道元)の亡くなった師匠である偉大な宋の国の大白名山と呼ばれる天童山の天童如浄禅師に到達した。偉大な宋の国の宝慶元年五月一日に、自分道元は...

  • 正法眼蔵 面授 2

    「大梵天王問仏決疑経」に言う。           時に釈尊は西方のインドの国の霊鷲山における教団にあって、百万の人々と一緒にいたが、たまたま優曇華の花を取り上げて目ばたきをされた。その時、釈尊の第一の弟子と言われている摩訶迦葉尊者が、釈尊の暗示されたところを理解してにっこりと微笑された。そこで釈尊が「自分は正法眼蔵(正しい教えの眼目の所在)、涅槃妙心(非常に静かな素晴らしい心境)というものを持っ...

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