私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
主の再臨は、 全ての民に遍く福音が 伝えられてからです。 福音を聴いたことがない人がいると 不公平になりますから、 選択の如何は個々人の自由ですが、 聴きた…
羊はド近眼だそうです。 ド近眼な羊たちは 仲間のお尻を一生懸命見つめて 目的地へ向かいます。 なので先頭の羊が変な方向へ行ったら 羊の群れは全滅するかもしれ…
主が再臨される時、 全ての者が 裁きを受けることになります。 自分の罪を認め キリストの贖いを受け入れた者は 罪が赦され、義とされました。 義とは、 神との…
教会の献身礼拝で良く読まれる コロサイ人への手紙3章23節で パウロは次のように奨励しています。 何をするにも、人に対してではなく、 主に対してするよう…
みことばを愛する者と みことばを利用する者との間には 大きな違いがあります。 前者は、神の御心に従い、 後者は、自分の欲望に従います。 多くのキリスト者が …
イエスを信じている者は救われる。 その通りです。 ですが、イエスを信じる者とは どのような者なのでしょうか? 口先でイエスを信じていると言えば 誰だって救…
神はあなたの救いのために 御子イエスをも犠牲にされた方です。 一番大切な息子を 犠牲にされたのですから、 あなたに本当に必要なものであれば 与えることを 躊…
神の前にへりくだれと よく聞きますが、 どうすればへりくだることになるのか 知らない人がいるようです。 そこで今日は、その辺りを ざっくりと説明します。 神…
復活されたイエスは、 40日の間、地上に留まり、 弟子たちに再度、福音を教えられた後、 天にお戻りになりました。 弟子たちはイエスのおことばに従い、 エルサ…
天においても 地においても 一切の権威が与えられている キリスト・イエスを信じることで イエスが有していた権威を キリスト者も用いることが 出来るのです。 …
見返りを求めているうちは、 みことばを生きる事が 大変に思えてくるでしょう。 しかし、キリスト者となっても 利益を求める性向は そんなに変わらないでしょう。…
この世はサタンが 不法占拠しているような状態です。 サタンは排他的で自利のみを 追求する生き方を推奨します。 お互いに仕え合い、励まし合って よりよい社会を…
人は行動の判断の連続です。 行動の選択ですから その瞬間瞬間に自分の考え得る 最高の判断を下すことで 行動を選択しています。 当たり前と言えば当たり前です。…
世の終わりまでは 神の側から森羅万象を 破滅させることは決してありません。 逆に言えば、その時まで、 この世の被造物の管理責任を 私たちはしっかりと 果たし…
キリスト・イエスが 私、そして、あなたを救うために 自らのいのちを惜しまずに 十字架で散らしてくださったように、 私たちも命懸けで 互いに愛し合い、仕え合う…
聖書は神の霊感によるものです。 霊的な書物ですから 霊的に読み解かなければなりません。 同じ文章を読んだとしても それを単なる神話や歴史書、 乃至、文学とし…
我が国が善戦むなしく 先の大戦に敗れて 77年の月日が流れました。 その間、国権の発動による戦争は 確かに回避されてきましたが、 戦時に現れた我が国の様々な…
今は恵みの時です。 全ての人に救いの道が開かれています。 私たちの罪の贖いのための イエスの代償の十字架を受け入れ、 神の救いの契約のみことばを 受け入れ…
老少善悪、民族、身分、性別、 それら一切、関係なしに キリスト者はイエスを頭として 一心同体であると聖書は教えます。 しかし、この教えが守られたことが キリ…
神はみことばです。 ですから、みことばを学ぶことで 創造主なるみことばの神、 受肉したみことばのキリスト、 みことばを生きるように促す聖霊の 三位一体の神に…
神の恵みにより 平穏な毎日を過ごせることは 有難い事であります。 しかし、その幸せを当たり前と思い、 今がおろそかになるようでは いけません。 神は、私たち…
信仰をいただいて救われたのなら みことばなる神に しっかりとお仕えすべきですね。 しかし、みことばを生きるよりかは この世での豊かな生活を 神に求めてしまっ…
神は全てご存知です。 私たちの行動だけでなく 心の中で去来する情動も 全てご存知です。 その事を忘れれずに 神に申し開きせずともよいように 悪に心を奪われな…
歴史について論ずるときに、 自らは一次資料を 一度も目にしたことが ないにもかかわらず 自らが教えられた歴史観を 永遠なる真理かのように信じ込んで、 別の歴…
キリスト者はイエスと共に 居続けることが大切です。 イエスはみことばが受肉した方なので、 イエスと共にいるとは みことばと共にいるという事です。 つまり、私…
救いは信仰による。 その通りです。 その信仰は、 神が与えてくださったものです。 そして、あなたは救われ、 次は、あなたを通して、 また誰かを救いへと導くた…
もし、神が憐れみ深い方でなければ、 間違いなく私たちの罪は赦されることなく 地獄行きが確定していたでしょう。 しかし、私たちを救うために 御子イエスを身代わ…
みことばに力があると主張し、 相手が理解できていなくても やたらめたら聖書のみことばを 一方的に宣べ伝える事を良しとする 牧師がかなりの数いました。 みこと…
ユリの花言葉は「威厳」なんですね。 キリスト教ではユリの花が好まれて ステンドグラスや講壇の荘厳にも ユリが用いられています。 思えば、主イエスのみことば…
キリスト者の中には 因果応報は仏教思想だとして 鬼の首を取ったかのように 否定してかかろうとする人たちがいますが、 聖書は、そのような者たちに 思い違いをし…
神は御子イエスを犠牲にしてまで 私たちを救ってくださいました。 私たちを救うために、主イエスは 喜んで、その命を捨ててくださいました。 その生き様に学び、 …
牧会者をはじめとする教役者は パウロの表現を借りれば 神の協力者であり、 信徒の皆さんは、神の畑、建物と 表現しています。 また、信徒の皆さんも 教会の外で…
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私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
教派神学に盲従するのでなく みことばを生きることで 心に平安を得て生きる親に 育てられた子どもは 親のそういう生き方を学び 長じてからは親と同じように みこ…
神の御心に適った願いは かなえられます。 御心は聖書に啓示されています。 ですから聖書に毎日親しむ事で 御心に適った生活を送ることが 出来るようになります…
アダムとエバの背信により 被造物の世界に罪と死が 入り込んできました。 サタンは罪と死を 被造物を支配するために 利用してきました。 神は全きお方であるがゆ…
天においても、地においても 一切の権威が 与えららえている主イエス。 イエスがみことばが 受肉された方であることを 思い出そう。 そうすれば、 私たちが毎日…
神の力は 私たちがみことばを生きる事で 品行方正となったから その代価として与えられるものでは ありません。 神の力はみことばを通して 自分の弱さを自覚した…
救いは全ての人に オープンとなっています。 救いと聞くとこの世の事でなく 死後の事のように考える人が 多いように思いますが、 救いは今、最も重要なのです。 …
人の真心など感じられない 荒涼とした現代社会であっても、 傷ついて壊れかけた心であっても、 神のみことばとの深い交わりを 取り戻すならば、 たちどころに癒し…
私たちが豊かな実を結ぶには イエスという幹に しっかりとつながればよいのです。 イエス様はみことばが受肉された方。 ですから、 みことばとつながれば良いので…
罪の赦しを得て、 神と深くお交わりを させていただけるように なったのですから、 信仰を賜わって 罪の赦しを得る以前の 生活習慣を見直して みことばを生きる…
聖書に書かれているみことばは 神の私たちに対する約束です。 私はカルヴァン派の牧師なので 約束より契約という単語を よく使います。 神が私たちに対して必ず果…
残念ながら人は 自分の努力のみでは 神の御心に100%そった生き方を 恒常的に選択することはできません。 どうしても自分に都合が良いことや 自分に利益を来た…
私たちは自分の弱さを認めるのを 非常に恐れます。 自分の弱さを認めるという事は 自分のそれまでの生き方を 全て間違っていたと認めるかのように 感じるからです…
イエス様はみことばが受肉して 私たちの許へと 来てくださった方です。 なのでパウロは イエス様のお語りになった福音が 万物を保っているとまで喝破しました。 …
イエス様は私たちのために いのちすら惜しまれませんでした。 イエス様はその姿勢を学ぶようにと 弟子たちに旧約の律法に代わる 新しい戒めを残されました。 その…
罪の赦しを得るためには 苦痛の果ての死です。 本来、この恐ろしい死を 私たちの全てが味合わなければ ならなかったのです。 しかし、いつくしみ深き神は その罪…
かつては罪の奴隷であった私たち。 今はイエス様を主と仰いで 生きるキリスト者となりました。 イエス様はご自身のいのちを 罪の代償として捨てることで 罪から神…
愛とは何かを 端的に表した個所として 第一ヨハネの3章16節を 挙げることが出来そうです。 アガペーの愛とは、 命懸けで兄弟姉妹に尽くす事。 私たちを救うた…
救いは彼岸のためのものでなく 此岸でこそ大切なもの。 なぜなら、救いは此岸での信仰により 決定するものだからです。 この世で救いを得て、 生きている間も神の…
イエスは天に戻られて 神の右に座し給いて 定められた再臨のその日まで 私たちを執り成してくださっています。 私たちは12弟子たちのように 直接にイエス様を拝…
イエスから目を離さないように! みことばから目を離さないように! みことばを読み込む事が イエスとの親しき交わりを意味する。 聖書を開こう! 主はあなたとの…
キリスト者のアイデンティティは 神の御心が啓示された聖書に 由来するはずです。 由来するはずと書いたのは、 聖書の教えから遠ざかった 言動や行動をする自称キ…
神の存在を露骨に否定する人は 思いのほか少ないように思す。 ロシア革命の立役者であった レーニンですら もしイエス、乃至、12使徒が 目の前に現れたら 直ぐ…
罪なきイエスが 罪人として身代わりとなって 死んでくださることで、 私たちの罪は赦され、 神との関係が回復しました。 この状態を義と言います。 罪とは神の御…
神との関係を阻害していたのは アダムの堕落以来、 全ての人間が持っている罪でした。 また、罪の代償として 死が要求されるので、 人は罪と死の存在に 戦々恐々…