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kitasendo
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2009/10/24

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  • 正しくない人になる

    「正しい人にならない」あるいは「正しくない人になる」。今後、これをもつと目指さうと思つてゐます。 「正しい人」といふのは、 「私は正しい」 と思つてゐる、正義の人です。 反対に「正しくない人」とは、 「私は正しくない」 と思つてゐる人ですが、かと言って不正義の人といふわけではない。 大抵の人は 「私は正しい」 と思つてゐるでせう。 誰かと喧嘩をするとき、 「私がおかしい。相手が正しい」 と思ひながら喧嘩を...

  • 否定も肯定もしない

    どんな人も、どんな出来事も、一切否定しない。一切裁かない。 そのやうに決めて生きたら、人生はどうなるでせうか。 私自身、「否定しない、裁かない」といふ生活態度を心がけてはゐるものの、「一切」といふレベルにはまつたく達してゐない。そのレベルは、ほとんど不可能に見えます。 しかしそもそも、どうしてそんな生活態度を目指さうとするのでせうか。そんなことに一体どういふ功徳があるのか。 私がこのブログを始めて...

  • 脳で見、脳で聞く

    この季節、鶯が山で鳴き始めてゐますね。 日本人である私には、その鳴き声が 「ホーホケキョ」 と聞こえる。 しかし、当の鶯がほんとうに「ホーホケキョ」と鳴いてゐるかといふと、さうではないでせう。多分、人間の文字でそれを正確に表すことはできない。これはどういふことか。 我々は 「耳ではなく、脳で聞いてゐる」 のです。 鳴き声ばかりではない。仮令、山で鶯が熱心に鳴いてゐたとしても、私が別の何かに没頭してゐた...

  • 君はまだ、自分を出してゐない

    Netflixオリジナルドラマ「ナイト・エージェント」の中に、こんなセリフが出てきます。 米国副大統領の娘が大学で美術を専攻し、毎日絵の研鑽に励んでゐる。彼女の描く絵を見て、教官がこんなふうに評するのです。 「君はまだ、自分を出してゐないね。隠してゐる。世界の変化を訴へるなら、自分が見られることを恐れるな」 もう一つ、別の場面。男女2人組のプロの殺し屋がゐる。女性もプロらしく暗殺に対しては冷酷なところがあ...

  • その問題の原因は私の中にある

    カウンセラーは、悩みを抱へた人が訪ねてきたら、アドバイスをする。上司は、部下がヘマをしたら、注意をするか助言をする。父母は、子どもがおかしなことをしさうなら、忠告をしたり叱つたりもする。 カウンセラーも上司も父母も、自分の役割を弁へており、必要な場面ではそれを果たさうと思つてゐるのです。しかし、それは本当に彼らの役割だらうか。やゝ疑問に思ふところがあります。 カウンセラーとクライアントの関係を例に...

  • 求めれば、神は何をくださるか

    何で読んだか(あるいは聴いたか)思ひ出せないのですが、 「どんな熱心な祈りも、神に無視されることは決してない」 といふ言葉が頭に残つてゐます。 そしてもう一つ、 「神は我々が祈り求める前から、我々に何が必要であるかをご存じである」 とも聞いた記憶がある。 それとこれとを合はせ、今考へてみると、 「神は我々の祈りの内容よりも、むしろ祈りの熱心さに関心がある」 といふふうに思へます。 我々の祈りが熱心であれ...

  • 隣人を愛するほど、自分を愛せる

    数ある律法の中で、最も重要な律法は何ですかと問はれたとき、イエスは二つあるうちの第二として、 「自分を愛するやうに、あなたの隣人を愛しなさい」 と教へられた。 この簡潔な教示について、私は繰り返し何度も考へることがあるのですが、最近になつて、ふと思つたことがあるのです。 「そのまゝ聞けば、自分を愛することが先で(あるいは、それが前提で)、隣人を愛することがそのあとに来るやうに思はれる。しかし実は、逆...

  • 神の真実に対する誤り

    原因は最初の誤りにある。神の真実に対する誤り、神を信頼しないという誤りだ。だから、神の愛を頼れない。神が条件つきであなたがたを受け入れると思う。神の愛がつねに存在すると信じられなくて、いったい誰の愛を信頼できるのか。 (『神との対話1』ニール・ドナルド・ウォルシュ) ニールに語る神によれば、我々には誤りがあるといふ。神を信頼しないといふ誤り。神が条件つきで我々を受け入れる...

  • 自己完成の責任

    万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間を経過することによって完成する。けれども、人間は原理自体の主管性や自律性だけでなく、それ自身の責任分担を全うしながら、この(成長)期間を経過して完成するように創造された。 (『原理講論』創造原理第5節) こゝで出てくる「責任」といふ概念。これの意味を辞書的に押さへると、「立場上、当然負はなければならない任務や義務」となります。 「立...

  • 「あること」に軸をおく視点

    何らかの問題が起こつたとき、視点が2つあると思ふ。 一つは、その問題を「どうやつて解決するか」といふ「やること」に軸をおく視点。 そしてもう一つは、その問題を「どのやうに見、どのやうに扱ふ自分であるか」といふ「あること」に軸をおく視点です。 そして、我々は往々にして、第一の視点に主軸をおくことに慣れてゐる。 一例を挙げてみませう。 親として、我々は始終子どものことが気になるものです。学校に通ふ時期...

  • 幸福でゐる方法

    人間は、何人(なんびと)といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。 (『原理講論』総序) 大著の書き出しとして、いかにも力のこもつた、なかなかの名文だと思ふ。特に「もがいている」の一句は、印象が強烈です。 我々は誰でもみな、幸福になりたくて「もがいている」。水に落ちて、溺れさうになり、藁にもすがる思ひで「もがく」。「もがく」には、さういふ必死な響...

  • 答へを求めない

    学校で出される試験問題には、必ず答へがある。それが当たり前だと思って、教育を受けてきた。ところが、現実の生活では、容易に一つの答へが出ることばかりではない。むしろ、答へが出ないことのほうが多いといふのが実感でせう。それが悩みの種になる。 評論家の小林秀雄は、「質問と答へ」について、こんなふうに言つてゐますね。 実際、質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問する...

  • 私の現実は、どこにあるか

    「私の現実は、どこにあるか?」 と問へば、ふつうには、 「私の目の前にある」 と考へるでせうね。 今、私の目の前で刻々と展開されてゐる現象。それが現実である。この考へに不都合はないやうに見えますが、実はこゝに、かなり深刻な誤解があると思ふ。 それなら、現実は一体どこにあるといふのか。 「私の現実は、私の目の前ではなく、私の頭の中にある」 これがより真実に近い答へだといふ気がします。 一例を挙げて、考へ...

  • われ、思はせられる

    17世紀の哲学者デカルトは、 「われ思ふ、ゆゑにわれ在り」 といふ有名な言葉を残した。 「自分が絶対的な確実性をもつて知り得ることがあるか?」 と考へ詰めた挙句に、彼が出した答へです。 この答へはつまり、「わたし」のアイデンティティを「思考」と同一化したものです。デカルト自身は、これによつて究極の真実を発見したと考へたけれども、この答へにはある重要なことが見過ごされてゐる。それに気づいたのが、同じフラ...

  • 私の願ひはすでに叶つてゐる

    我々は、一体いつになつたら身心一如になり、個性完成できるのでせうか。10年後なのか、30年後なのか。それとも、自分の人生ではそれは無理で、自分の子孫に託すしかないのか。 仏教ではすでに2500年あまりに亘つて、この境地を模索してきたものゝ、誰がそれを達成したのか、定かではない。仏教でいふところの悟りには52も段階もあり、その最高位にまで達したのは、お釈迦様ただ一人。龍樹菩薩と無著菩薩が41段階でそれに続き、か...

  • いかにして、灯る電灯になるか

    オペラ「フィガロの結婚」の中で、「恋とはどんなものかしら」と題して、こんなふうに歌はれます。 あなた方は知ってますよね、 愛とは何か。 女性の方たち、確かめて下さい 僕の心を。 愛情を感じつつ、 欲望に満ちているのです。 今は、喜びであり、 同時に苦しみでもあります。 「知ってますよね」とは歌ふものゝ、女性たちは本当のところ、「愛とは何か」を知らないでせう。知つ...

  • 許可を出したのは私である

    我々の人生には、大小さまざまな苦痛が起こる。その苦痛をどう受け止め、どう対処するかといふことが、我々の人生そのものだと言つても過言ではないやうにも思へるほどです。 苦痛の対処法について『原理講論』が具体的に触れてゐる箇所があります。 苦痛の由来を 「悪霊の再臨現象」 と見ます。 私に対する神の恩恵を拡大するために、神は一つの摂理を計画する。悪霊を私に送つて、苦痛を与へるのです。そしてそのとき、私がそ...

  • 概念で生きない

    私自身、日々の生活の中で、「何か失敗したな」と感じるとき、あるいは誰かとの関係がこじれたりするやうなときがある。さういふときは、「概念」の力が「良心」の力よりも強く、「概念」優先で動いたときだなと思ふのです。 この厄介な「概念」といふもの。これについて、少し考へてみます。 大きめの概念から考へてみますと、例へば、 「国があり、民族がある」 といふ、かなり強い概念があります。 国境線とか、特定の民族グ...

  • サタンと戦はない

    サタンについて考へるのは、誰にとつてもあまり気が進むことではないでせう。そこで、考へなくてもいゝ、あるいはむしろ考へないほうがいゝ、といふことについて考へてみようと思ひます。サタンは実在するのか、と言へば、実在するとは思ふ。長い間、私はづつとさう信じてきました。聖書の冒頭、エデンの園の物語で登場して以降、ヨブの物語にも姿を現すし、イエスが40日間の断食を終へた直後にも、試みるために現れる。『原理講論...

  • 世界とは「変化」である

      イタリアの理論物理学者、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』は、ありがたいことに、数式がほぼ出てこない。お蔭で私にも何とか歯が立つが、それでもややこしいところは随時出てきて、さういふところは適当に流し読む。 内容は、非常にそゝられる。ミリオンセラーだけのことはある。中でも特に面白いのは、かういふ部分です。 事物は「存在しない」。それは「起きる」。世界とは「変...

  • 神に祈らない

    神に祈らなくていゝ、むしろ祈らないほうがいゝ、といふことを考へてみます。 時代はすでに、祈る時代から報告する時代に移行してゐます。「祈る」と「報告する」とは、どう違ふのでせうか。 祈り方の一般的ガイドラインは、 ① より広く、次元の高いこと(世界のこと、国家のことなど)から祈り始め、 ② 次第に範囲を狭めて(氏族や家庭)、最後に自分のことを祈る といふものです。 ①はとても良いことのやうに思へますが、往...

  • これから書きたいこと

    これから自分が書きたいと思ひつくことを、いくつか箇条書きにしてみます。 神に祈らない サタンと戦はない 人を愛さず、自分だけを愛する 正邪を決めない 幸福を求めると幸福になれない 責任分担とは自分が変はり成長することである 過去のことは考へず、今にだけ生きる(後悔しない) どんな人をも裁かない(自分も含めて) 今起こるすべてのことに感謝する 良いことがあつても喜ばな...

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