「人間とは失敗する者である」 といふフレーズがあります。 これは元来は、神との対比で言はれるものでせう。 「神は全知全能で完全無欠であるのに対して、人間は知能も能力も有限である。だから神は失敗しないが、人間は頻繁に失敗する。そして、その失敗について人間は神に許しを請はねばならない」 といふやうに。 しかしそれならなぜ、完全な神が不完全な人間を創つたのでせうか。創造に失敗したのか。あるいは完全になるや...
「正しい人にならない」あるいは「正しくない人になる」。今後、これをもつと目指さうと思つてゐます。 「正しい人」といふのは、 「私は正しい」 と思つてゐる、正義の人です。 反対に「正しくない人」とは、 「私は正しくない」 と思つてゐる人ですが、かと言って不正義の人といふわけではない。 大抵の人は 「私は正しい」 と思つてゐるでせう。 誰かと喧嘩をするとき、 「私がおかしい。相手が正しい」 と思ひながら喧嘩を...
どんな人も、どんな出来事も、一切否定しない。一切裁かない。 そのやうに決めて生きたら、人生はどうなるでせうか。 私自身、「否定しない、裁かない」といふ生活態度を心がけてはゐるものの、「一切」といふレベルにはまつたく達してゐない。そのレベルは、ほとんど不可能に見えます。 しかしそもそも、どうしてそんな生活態度を目指さうとするのでせうか。そんなことに一体どういふ功徳があるのか。 私がこのブログを始めて...
この季節、鶯が山で鳴き始めてゐますね。 日本人である私には、その鳴き声が 「ホーホケキョ」 と聞こえる。 しかし、当の鶯がほんとうに「ホーホケキョ」と鳴いてゐるかといふと、さうではないでせう。多分、人間の文字でそれを正確に表すことはできない。これはどういふことか。 我々は 「耳ではなく、脳で聞いてゐる」 のです。 鳴き声ばかりではない。仮令、山で鶯が熱心に鳴いてゐたとしても、私が別の何かに没頭してゐた...
Netflixオリジナルドラマ「ナイト・エージェント」の中に、こんなセリフが出てきます。 米国副大統領の娘が大学で美術を専攻し、毎日絵の研鑽に励んでゐる。彼女の描く絵を見て、教官がこんなふうに評するのです。 「君はまだ、自分を出してゐないね。隠してゐる。世界の変化を訴へるなら、自分が見られることを恐れるな」 もう一つ、別の場面。男女2人組のプロの殺し屋がゐる。女性もプロらしく暗殺に対しては冷酷なところがあ...
カウンセラーは、悩みを抱へた人が訪ねてきたら、アドバイスをする。上司は、部下がヘマをしたら、注意をするか助言をする。父母は、子どもがおかしなことをしさうなら、忠告をしたり叱つたりもする。 カウンセラーも上司も父母も、自分の役割を弁へており、必要な場面ではそれを果たさうと思つてゐるのです。しかし、それは本当に彼らの役割だらうか。やゝ疑問に思ふところがあります。 カウンセラーとクライアントの関係を例に...
何で読んだか(あるいは聴いたか)思ひ出せないのですが、 「どんな熱心な祈りも、神に無視されることは決してない」 といふ言葉が頭に残つてゐます。 そしてもう一つ、 「神は我々が祈り求める前から、我々に何が必要であるかをご存じである」 とも聞いた記憶がある。 それとこれとを合はせ、今考へてみると、 「神は我々の祈りの内容よりも、むしろ祈りの熱心さに関心がある」 といふふうに思へます。 我々の祈りが熱心であれ...
数ある律法の中で、最も重要な律法は何ですかと問はれたとき、イエスは二つあるうちの第二として、 「自分を愛するやうに、あなたの隣人を愛しなさい」 と教へられた。 この簡潔な教示について、私は繰り返し何度も考へることがあるのですが、最近になつて、ふと思つたことがあるのです。 「そのまゝ聞けば、自分を愛することが先で(あるいは、それが前提で)、隣人を愛することがそのあとに来るやうに思はれる。しかし実は、逆...
原因は最初の誤りにある。神の真実に対する誤り、神を信頼しないという誤りだ。だから、神の愛を頼れない。神が条件つきであなたがたを受け入れると思う。神の愛がつねに存在すると信じられなくて、いったい誰の愛を信頼できるのか。 (『神との対話1』ニール・ドナルド・ウォルシュ) ニールに語る神によれば、我々には誤りがあるといふ。神を信頼しないといふ誤り。神が条件つきで我々を受け入れる...
万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間を経過することによって完成する。けれども、人間は原理自体の主管性や自律性だけでなく、それ自身の責任分担を全うしながら、この(成長)期間を経過して完成するように創造された。 (『原理講論』創造原理第5節) こゝで出てくる「責任」といふ概念。これの意味を辞書的に押さへると、「立場上、当然負はなければならない任務や義務」となります。 「立...
何らかの問題が起こつたとき、視点が2つあると思ふ。 一つは、その問題を「どうやつて解決するか」といふ「やること」に軸をおく視点。 そしてもう一つは、その問題を「どのやうに見、どのやうに扱ふ自分であるか」といふ「あること」に軸をおく視点です。 そして、我々は往々にして、第一の視点に主軸をおくことに慣れてゐる。 一例を挙げてみませう。 親として、我々は始終子どものことが気になるものです。学校に通ふ時期...
人間は、何人(なんびと)といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。 (『原理講論』総序) 大著の書き出しとして、いかにも力のこもつた、なかなかの名文だと思ふ。特に「もがいている」の一句は、印象が強烈です。 我々は誰でもみな、幸福になりたくて「もがいている」。水に落ちて、溺れさうになり、藁にもすがる思ひで「もがく」。「もがく」には、さういふ必死な響...
学校で出される試験問題には、必ず答へがある。それが当たり前だと思って、教育を受けてきた。ところが、現実の生活では、容易に一つの答へが出ることばかりではない。むしろ、答へが出ないことのほうが多いといふのが実感でせう。それが悩みの種になる。 評論家の小林秀雄は、「質問と答へ」について、こんなふうに言つてゐますね。 実際、質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問する...
「私の現実は、どこにあるか?」 と問へば、ふつうには、 「私の目の前にある」 と考へるでせうね。 今、私の目の前で刻々と展開されてゐる現象。それが現実である。この考へに不都合はないやうに見えますが、実はこゝに、かなり深刻な誤解があると思ふ。 それなら、現実は一体どこにあるといふのか。 「私の現実は、私の目の前ではなく、私の頭の中にある」 これがより真実に近い答へだといふ気がします。 一例を挙げて、考へ...
17世紀の哲学者デカルトは、 「われ思ふ、ゆゑにわれ在り」 といふ有名な言葉を残した。 「自分が絶対的な確実性をもつて知り得ることがあるか?」 と考へ詰めた挙句に、彼が出した答へです。 この答へはつまり、「わたし」のアイデンティティを「思考」と同一化したものです。デカルト自身は、これによつて究極の真実を発見したと考へたけれども、この答へにはある重要なことが見過ごされてゐる。それに気づいたのが、同じフラ...
我々は、一体いつになつたら身心一如になり、個性完成できるのでせうか。10年後なのか、30年後なのか。それとも、自分の人生ではそれは無理で、自分の子孫に託すしかないのか。 仏教ではすでに2500年あまりに亘つて、この境地を模索してきたものゝ、誰がそれを達成したのか、定かではない。仏教でいふところの悟りには52も段階もあり、その最高位にまで達したのは、お釈迦様ただ一人。龍樹菩薩と無著菩薩が41段階でそれに続き、か...
オペラ「フィガロの結婚」の中で、「恋とはどんなものかしら」と題して、こんなふうに歌はれます。 あなた方は知ってますよね、 愛とは何か。 女性の方たち、確かめて下さい 僕の心を。 愛情を感じつつ、 欲望に満ちているのです。 今は、喜びであり、 同時に苦しみでもあります。 「知ってますよね」とは歌ふものゝ、女性たちは本当のところ、「愛とは何か」を知らないでせう。知つ...
我々の人生には、大小さまざまな苦痛が起こる。その苦痛をどう受け止め、どう対処するかといふことが、我々の人生そのものだと言つても過言ではないやうにも思へるほどです。 苦痛の対処法について『原理講論』が具体的に触れてゐる箇所があります。 苦痛の由来を 「悪霊の再臨現象」 と見ます。 私に対する神の恩恵を拡大するために、神は一つの摂理を計画する。悪霊を私に送つて、苦痛を与へるのです。そしてそのとき、私がそ...
私自身、日々の生活の中で、「何か失敗したな」と感じるとき、あるいは誰かとの関係がこじれたりするやうなときがある。さういふときは、「概念」の力が「良心」の力よりも強く、「概念」優先で動いたときだなと思ふのです。 この厄介な「概念」といふもの。これについて、少し考へてみます。 大きめの概念から考へてみますと、例へば、 「国があり、民族がある」 といふ、かなり強い概念があります。 国境線とか、特定の民族グ...
サタンについて考へるのは、誰にとつてもあまり気が進むことではないでせう。そこで、考へなくてもいゝ、あるいはむしろ考へないほうがいゝ、といふことについて考へてみようと思ひます。サタンは実在するのか、と言へば、実在するとは思ふ。長い間、私はづつとさう信じてきました。聖書の冒頭、エデンの園の物語で登場して以降、ヨブの物語にも姿を現すし、イエスが40日間の断食を終へた直後にも、試みるために現れる。『原理講論...
イタリアの理論物理学者、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』は、ありがたいことに、数式がほぼ出てこない。お蔭で私にも何とか歯が立つが、それでもややこしいところは随時出てきて、さういふところは適当に流し読む。 内容は、非常にそゝられる。ミリオンセラーだけのことはある。中でも特に面白いのは、かういふ部分です。 事物は「存在しない」。それは「起きる」。世界とは「変...
神に祈らなくていゝ、むしろ祈らないほうがいゝ、といふことを考へてみます。 時代はすでに、祈る時代から報告する時代に移行してゐます。「祈る」と「報告する」とは、どう違ふのでせうか。 祈り方の一般的ガイドラインは、 ① より広く、次元の高いこと(世界のこと、国家のことなど)から祈り始め、 ② 次第に範囲を狭めて(氏族や家庭)、最後に自分のことを祈る といふものです。 ①はとても良いことのやうに思へますが、往...
これから自分が書きたいと思ひつくことを、いくつか箇条書きにしてみます。 神に祈らない サタンと戦はない 人を愛さず、自分だけを愛する 正邪を決めない 幸福を求めると幸福になれない 責任分担とは自分が変はり成長することである 過去のことは考へず、今にだけ生きる(後悔しない) どんな人をも裁かない(自分も含めて) 今起こるすべてのことに感謝する 良いことがあつても喜ばな...
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「人間とは失敗する者である」 といふフレーズがあります。 これは元来は、神との対比で言はれるものでせう。 「神は全知全能で完全無欠であるのに対して、人間は知能も能力も有限である。だから神は失敗しないが、人間は頻繁に失敗する。そして、その失敗について人間は神に許しを請はねばならない」 といふやうに。 しかしそれならなぜ、完全な神が不完全な人間を創つたのでせうか。創造に失敗したのか。あるいは完全になるや...
正しいことをしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。(創世記4:7) アダムの2人の息子、カインとアベルが神に供へ物を捧げたとき、長男カインのものだけ受け取られなかつた。彼がひどく煩悶してゐると、冒頭のやうな神の声が臨んだといふ記述です。 神の声と言つても、音波として彼の耳に聞こえたわけではあるまい。もし何らかの...
夢はいつも、思ひがけない。しかし、少し意識の深層を探れば、何らかのつながりがありさうにも思へる。 今朝の夢はちよつとおかしくて、うら若い、か細い女性が、私を肩車してくれるのです。女性だし、か細いのだから、私を肩に乗せたとき、うまく重心が取れずに足元がふらついて、よろよろする。肩に乗つてゐる私も、倒れやしないかとひやひやする。 しかし間もなく重心を得て、彼女は安定してくる。か細いのに結構しつかりして...
人類はこれまで、助力を、力添えを必要としながら、他者を認識する記憶を夢中になって蓄積してきました。ホ・オポノポノは、そういう記憶を我々の潜在意識から解き放つことなのです。問題が ”内” ではなく、「ほら、そこにある」と口にする概念を繰り返す意識下の記憶を捨てることなのです。(『ハワイの秘宝』ジョー・ビターリ) この言葉は著者ビターリの言葉ではない。彼が風の噂にホ・オポノポノのこ...
たとへば、私が課長で、部下の仕事ぶりを見るとします。彼の営業成績が今ひとつ振るはない。その理由を、私は「仕事の段取りが悪い」からだと考へる。ところが課長代理は「上司への報告がいゝ加減」だからではないかと疑つてゐる。さらに社内カウンセラーは「過去のトラウマが精神を不安定にしてゐる」といふ見立てをする。 どの見立てが当たつてゐるのか。あるいは、どれもみな部分的には正しく、部分的には間違つてゐるのか。そ...
今朝方、うつらうつらしてゐるとき、「摂理はすること。み旨はある(なる)こと」 といふフレーズを得ました。 やゝ単純化されすぎかとも思ひますが、これを少し掘り下げてみたいと思ひます。 まづ想起するのは、『原理講論』の堕落論にある一節です。 では、完成するそのときを仰ぎ見ながら成長していた未完成のアダムの願いであった生命の木とは、いったい何であったろうか。それは、彼が堕落せず...
一人の女性を参院選の公認候補にしようとしたことで、それまで昇龍の勢ひにあつたその党は一気に奈落へ落ち込んだ。 その女性は有能で、8年前まで国会議員として将来を嘱望された人だつたが、不倫の噂が立ち、不倫相手の妻が自ら命を絶つた。彼女に釈明と謝罪を要求する世論が一気に盛り上がり、遂には政界から身を引かざるを得なくなつた。その彼女が雌伏8年、今度は別の党から国会に復帰するといふ動きを察知した世論は、再び彼...
前回の記事「『在る』女性」を書くために、久しぶりにヒューレン博士の本を読み返した。分かつてゐたつもりでも、読み返すと、何かしら新しい発見があるものです。 ホ・オポノポノでは 「体験する出来事のすべては、記憶の再生である」 と言ふ。 それは、 「自分の外で起きてゐることは何もない。すべては自分の中で起きてゐる」 といふ認識が前提となつてゐるのです。 そこでまづ、この前提認識について確認してみます。 たと...
昨日(6月19日)の明け方、自分が死ぬといふ夢を見ました。自分が間もなく死ぬといふことが分かって、周りの人たちにそのことを知らせてゐる。そして、自分の心の中では、子どもたちが可哀さうだなと、つらい気持ちになつてゐるのです。 子どもたちにとつてはずいぶん昔に母親を亡くしたうえに、今度は父親までも失つてしまふ。子どもたちを残して父母がこんなに早くゐなくなるといふのが、あまりに不憫に感じてゐるのです。 た...
「思考の世界」と「体験の世界」といふ2つの世界があると想定してみます。世界があると言つても、あそことこゝに別々に存在するといふわけではありません。謂はば、私の意識の中にある世界です。 私の意識が「思考」に惹かれれば、私は「思考の世界」の住人となり、「体験」にゆだねれば「体験の世界」の住人となる。さういふふうに、この2つの世界は存在します。 目の前の出来事(現象)はひとつです。それなのに、2つの世界そ...
井筒俊彦といふ哲学者。最近まで名前も聞いたことがなかつた。その哲学はかじつてみたばかりで、中身はまだあまり分かつてはゐないが、あの西田幾多郎と比較研究する人もゐるほどのレベルのやうです。 数千年にわたつて東洋が蓄積してきた思想の豊穣を、いかに言語化するか。そのことに腐心し、イスラムの神秘主義も含めて、西洋哲学の手法を利用しながら、独自の哲学世界を作り上げた。 少年の頃、禅に造詣の深い父親から、禅を...
仏教には、 「苦しみの中に仏がゐる」 といふ考へ(あるいは悟り、体験)がある。 その意味を、私なりに考へてみようと思ひます。 最近、村上和雄さんの『SWITCH(スウィッチ)』を読んでゐます。村上さんと言へば、30年以上前から「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」といふ表現で、この世の神秘的な仕組みを遺伝子学の見地から発信し続けてゐるかたです。 本書でもその主張は一貫してゐるが、特に「遺伝子のスイッチ...
『人間の建設』といふ対談本の中で、数学者の岡潔が、数学4000年以上の歴史上、最近初めて分かつたことがあるとして、対談相手の評論家、小林秀雄に説明してゐます。(最近と言っても、60年前の対談ですが) そんな大発見とは、一体何か。数学は抽象的な数字を扱ふ。それゆゑ、知性の世界だけに存在し得ると考へられてきたのに、さうではなかつたといふのです。 専門的な難しいことは分からないが、結論だけ言へば、二つの仮定を...
私の暮らす田舎では、毎年春と秋の2回、住民総出の川の草刈り作業があります。地域には自治会があり、その下により小さな組(くみ)組織がある。今年は我が家が組長の当番で、かういふ作業の段取りを担当する役回りなのです。 ところが、この「段取り」といふものほど、私の苦手なものはない。草刈りといふ作業、一般の参加者にとつてはその当日だけのものですが、組長は事前の準備から作業後の後始末まで、お金の問題や差し入れ...
我々が日常的に受け取る情報を大きく分けると、ひとつは「外からの情報」、もうひとつは「内からの情報」といふことになるでせう。 どちらの情報が多いかと考へれば、それは圧倒的に外からの情報のやうに思へる。身近な情報は五官を通して、絶えず入つてくる。遠い情報も、インターネットにつながれば、瞬時に世界中から膨大な量が入つてくる。 しかもそれらの情報には色もあれば音声もあり、動きまである。とても刺激的で、魅力...
さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。(へブル人への手紙11:1~2) これは、聖書による「信仰」の定義として有名な箇所ですね。 「望んでいる」も「まだ見ていない」も、文字通りまだ目の前に現れてゐない。どれだけ先のことかは分からないが、未来のことです。それを「確信」し、「確認」する。それが信仰であるとい...
4月初旬に桜が満開になり、あつといふ間に散り去つたあと、次の主人公としてツツジが一斉に咲き始める。そして今、そのツツジもほゞ終はる季節を迎へつゝあります。 残り少なくなつたピンクのツツジの花を眺めながら、ふとひとつの疑問が生じた。 「桜もツツジも毎年春になれば同じ木から花が咲くから、種子を残す必要もなささうなのに、どうして毎年あんなにたくさんな花を咲かせるのだらう」 小学生のやうな疑問だとは思ひな...
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人たちが尋ねたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形で来るものではない。『見よ、こゝにある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。(ルカ福音書 17:20-21) 古来有名な、イエス様の「神の国論」の一節です。あるとき、この答へには裏があるのではないかと思つたことがある。 つまり、「悪の帝国...
前の記事で文豪漱石を読んだので、この際、文豪つながりで、同時代のもう一人の文豪、鷗外についても少しふれてみようと思ひます。 山に登らうとする所に沼がある。汀(みぎわ)には去年見た時のやうに、枯葦が縦横に乱れてゐるが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔(ほとり)から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を...
「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」 「別な人にはなりませんわ。貴方は?」 「僕も同じ事です」 三千代は其時、少し窘(たしな)める様な調子で、 「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、 「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。 三千代は忽ち視線...
虫歯が悪化したりするとお世話になる、行きつけの歯科医院があります。治療室には治療用の椅子が横に5つ並んでゐる。 先日久しぶりに行つたら、1回目に座らされた椅子の肘置きはもうかなり擦り切れてゐて、「随分年季が入つてるな」と思つた。ところが2回目のときは別の椅子に案内され、座つてみるととても真新しい。 院長先生が得意満面で、 「どうです。きれいでせう?」 と話しかける。 「最近、新しいものに入れ替へたんで...
南米アマゾンの奥地に「ピダハン」といふ先住部族が暮らしてゐるさうです。現在の規模はおよそ400人ほど。小さな村程度の規模です。 彼らを詳しく紹介したのは、言語学者にしてキリスト教宣教師のダニエル・エヴェレット。彼は実に30年間にわたつて彼らと生活を共にしながら、その生活、言葉、思考を調査した。そして、驚くべきことを発見したのです。 まづ、彼らの言葉には未来形も過去形もない。つまり、「昔こんなことがあつ...
ビューと風を切る音が聞こえ、銃弾が皮膚を裂くのを感じたことで、すぐに何かがおかしいと気づいた。 衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。米国ペンシルバニア州バトラーで演説中に、共和党のトランプ大統領候補が銃撃を受けた。弾丸のひとつがトランプ氏の右耳を掠めて(一説には貫通したとも)流血はあつたものゝ、奇跡的に軽症ですみ、暗殺未遂に終はつた。 1981年のレーガン大統領暗殺未遂以来で、43年ぶ...
東京都知事選が終はつてみると、現職の候補者にこそ敵はなかつたものゝ、トップ挑戦者と見なされてゐた蓮舫候補者をかなり引き離して、驚きの2位当選した石丸伸二といふ男。選挙期間中からその認知度は急速に上がつたが、選挙が終はつてからも「石丸構文」などといふフレーズがネットを賑はすなど、引き続き注目度の高さを見せてゐます。 これを 「石丸現象」 と呼んでみませう。 この現象についてはすでに、多くの人が分析をし...
私たちが、何かが分かる、あるいは誰かの正体が分かるといふのは、一体どういふことでせうか。ふだん当たり前のやうに思つてゐるこのことを、改めて考へてみます。 たとへば、目の前に一輪の花があるとします。 その花を見て、 「あゝ、これは百合だな」 と即座に思ふ。 ところが、さう言つたとたん、私はその花の正体が分からなくなるのではないか。そんな気がするのです。 昔からその花の種類には「百合」といふ名前をつけて...
今からおよそ100年前、当代物理学のヒーロー、アインシュタインと、哲学の泰斗ベルグソンとの間で、「時間」を巡る大論争が巻き起こつたことがあります。 ご存じのやうに、アインシュタインはその一般相対性理論によつて、時間は空間とともに歪み、観測者の移動速度や重力場によつて伸びたり縮んだりすることを論証しました。 それに対してベルグソンは、アインシュタインが時間を実質的に空間の一部として捉へ、直感的な時間の...
「因果律」といふ概念は、宗教にも科学にもあります。そもそも、私たちの頭の認識形式そのものの基本に「因果律」があるのでせう。だから、日常の判断のほとんども、この「因果律」から無縁ではない。 簡単な例で考へてみませう。 「2倍の力で投げたら、2倍の距離飛んだ」 これは分かりやすいですね。「2倍の力で投げる」といふ原因が「2倍の距離飛ぶ」といふ結果を生み出す。科学的原則に則つてゐる感じがするので、何ら抵抗な...
共産主義思想の生みの親はカール・マルクス(1818~1883)です。彼についても彼の思想についても、私は聞きかじり程の知識しかないので、AIに尋ねてみたところ、その回答が以下です。 「マルクスが共産主義思想を生み出した動機は何ですか?」1.社会的不平等への批判2.資本主義の矛盾の指摘3.労働者の団結と解放4.共産主義社会の理想 至極まつとうな回答ですね。...
礼拝に対するアンケートを行なつてみた。その動機と所感について、書いてみようと思います。取り留めのない散文になることをお断はりしておきます。 まづ、動機。 日曜礼拝は長いキリスト教から続く伝統の中心と言つていゝでせう。だから教会に所属する者にとつて、礼拝に参加(あるいは礼拝を捧げる)ことは、言はゞ有無を言はさない当然のこと(信仰的な義務のやうなもの)と受け止められてゐる。 にも拘らず、これが意外に有...
教会で熱心に信仰する男性が神様の家を訪ねて行つたときの話があります。 家を訪ねて玄関のベルを鳴らすと、しばらくしてドアの小窓があき、その窓越しに神様が顔を出して尋ねられた。 「久しぶりによく来たね。ところで、君には息子がゐたと思ふが、今日は一緒ではないのかね?」 男性は少し躊躇して答へた。 「息子はゐるのですが、最近彼は教会にあまり行きたがりません。今日も誘つてはみたのですが、やつぱり首を縦に振り...
五感の中でも触覚といふものがあります。何のためにこの感覚があるのでせうか。 ふつうには、ものに触つて、その形や大きさを確かめ、ザラザラやスベスベなどの質感を感知するのが触覚の働きと考へる。確かにそれはあるでせう。 たとへば、赤ん坊が手元のボールに触つてみる。そのときの感触が「丸い」といふ概念のもとになります。それ以外にも、針の先は痛い。沸騰したお湯は熱い。鉄は冷たくて重い。さういふことはすべて触覚...
『ラストマン 全盲の捜査官』(AmazonPrime)は福山雅治、大泉洋のダブルフィーチャーによる刑事ものドラマ。福山演じる皆実広見(みなみひろみ)は日本人でありながら、米国FBIの捜査官となつて、トップクラスの検挙実績を出し、日米捜査官の交流の一環として来日する。ただ、皆実は全盲です。彼の目になつて常に同行するバディ(buddy=パートナー)として、大泉演ずる護道(ごどう)が選ばれるのです。 ドラマの筋書きや見どこ...
私の妻は2人の子どもを生んだのですが、下の子が5歳になる前に他界した。それで子どもの養育には母の手を随分借りた。 もし妻が生きてゐたら、どんなふうに子育てをしただらうかと、ときどき考へます。母親がゐないせいで、平均的な父親よりはいくらか、子どもたちと関はる時間が多かつたかなとも思ふ。しかし、どんなに頑張つても、母親のやうには子どもを愛せないとも思ふ。 母親は子どもに対してどんな愛を持つのでせうか。 ...
母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
気の置けない者同士が数人集まつて思ひのまゝに話してゐるときでも、急に正論を述べ始める人が、ときどきゐるものです。 「さういふ考へはもう古いよ。こんなふうに変へたほうがいゝと思ふ」 たとへば、こんな正論が出てくると、話してゐる人はとたんに話の腰が折られたやうで、二の句が継げなくなる。それ以上、自分の素直な気持ちを話したいといふ思ひが萎えてしまふ。 正論を述べる人には、たいてい悪気はないのです。相手の...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...