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2009/10/11

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  • 「幕府」と「天下」の最終章 ー日本の言語文化の破壊ー

    (1)「幕府」に何の問題もない「幕府」は日本人の言語文化に深く定着している。むしろ、この言葉を明治の日本史学者が日本史歴史用語と決めてくれたことに、我々日本人は感謝しなければならない。その根拠はすでに書いているので、くり返さないが、専門の日本史学者だけでなく、小説、テレビ、漫画などすべてのジャンルで、日常、ごく普通に使われている。「幕藩体制」「幕臣」「幕閣」「幕府洋式歩兵隊」「幕長戦争」、また「幕府が招聘したフランス軍事顧問団」などなど、上げればきりがない。また、言語上も語感(言葉の響き)も良い。この「幕府」という歴史用語に問題があると、日本史の学会で論争が起きているのを知ったのは7年前の読売新聞の記事が初めてであった。その時「え!なんで?」と思ったのが私の偽らざる心境であった。その時代に「鎌倉幕府」「室...「幕府」と「天下」の最終章ー日本の言語文化の破壊ー

  • 三好長慶は「天下人」なのか ? ー 天野忠幸『三好一族』(中公新書)を読んで ー

    この本の副題にー戦国最初の「天下人」とあるー。おそらく、東大教授が言い出した「この時代(戦国時代)は天下の意味は京とその周辺のことであったとの学説を採用した結果だと思うが、この説自体とんでもない俗説である。すでに私が「信長の天下布武について」で書いたように、漢語「天下」の意味は中国も日本も古代から現代に至るまで不変である。文字どおり「天(あめ)の下(した)」である。ーこの時代、三好長慶を「天下人」と書いている文献史料はなかったーたしかに、三好長慶は名目上の天下人である12代将軍足利義晴、13代義輝を近江に追放して京と畿内九ヶ国を支配していた。さらに、足利将軍に代って朝廷と交渉したり、実際、将軍の権限を代行したりしている事例があったことは本書に書かれていた。だからと言って、この時代の公家、武家、寺社などに残...三好長慶は「天下人」なのか?ー天野忠幸『三好一族』(中公新書)を読んでー

  • 「幕府」とは何か(東島 誠 NHK books)を読んで ーたしかに新事実はあるがー

    結論から先に言うと、日本史で使う「幕府」は明治以前と以後では意味が全く違うとの認識が欠落していると言わざるを得ない。明治の日本史学者が決めた歴史用語(日本史教科書用語でもある)を戦後世代の現代学者がいとも簡単に変えてしまうことに私(小松)は憤りさえおぼえる。明治の学者の方がずっと日本語に対する言語力があり、「幕府」との言葉を正しく認識していたと思う。現代学者の言語力はここまで劣化してしまった。(坂本龍馬が60歳の他藩の重役に「一筆啓上」を使って手紙を書いている。明治の日本史学者ならこれだけで一発アウトと判定するであろう)ー本書で知った新事実ー前に書いたように「幕府」との言葉自体は『吾妻鏡』に出ており、これは「国語辞典」や「歴史辞典」から誰でも知ることができる。ところが、本書には他にも使用例があることを書い...「幕府」とは何か(東島誠NHKbooks)を読んでーたしかに新事実はあるがー

  • 日本語の諸問題(49) またまた文化庁の日本語教師国家資格構想

    3年ほど前、この件について書いたが、昨年末、また文化庁が日本語教師国家資格構想を発表した。その新聞記事を読んでも、今ひとつその主旨がハッキリしない。おそらく、フランスのフランス語教師国家資格制度を真似た構想だと思うが、この文化庁の担当者は現在、日本語が抱えている根本的な問題についての知識が全くないと言わざるをえない。私は以前、たまたま旅行先の民宿でフランス人の若者と一緒になり、英語で話をしたことがある。その人は今、日本の外国語専門学校でフランス語の講師をしているとのことで、自分はフランス政府公認のフランス語教師の国家資格を持っていると言っていた。フランスでは外国人にフランス語を教える国家資格取得には難しい試験があるとのことだった。ー文化庁は日本語教師国家資格取得のための試験をどこに依頼するつもりなのかー日...日本語の諸問題(49)またまた文化庁の日本語教師国家資格構想

  • 日本語の諸問題(48) 「君死にたまふことなかれ」 に使われている「し」について

    これは前のー「然る」は動詞ではないーの続編に当たる。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は日露戦争時の有名な詩であるが、この詩は私の説、助動詞「し」について重要な示唆を与えてくれる。与謝野晶子は明治11年生まれで、堺の高等女学校を出ている。東京帝大の橋本進吉(明治15年生まれ)はまだ国文法なる日本語文法をつくり上げていない。つまり、与謝野晶子は幸運にも「国文法」なる意味不明の日本語文法を知らないまま、この「君死にたまふことなかれ」を書いたのである。この中の「し」について再考してみる。1)「末に生まれし君なれば」・・この「生まれし君」の「し」は国文法では過去の助動詞「き」(有りき)の連体形とされている。ところがである。現代語訳では「末に生まれた君」と訳されている。この助動詞「た」は国文法でも「たる」の「る」が落...日本語の諸問題(48)「君死にたまふことなかれ」に使われている「し」について

  • 日本語の諸問題(47) 「 然 (しか) る 」は動詞ではない -語源の取り違えー

    国文法では「然る」はラ行変格活用動詞とされている。果してそうであろうか。「然る」の意味として古語辞典には、(1)「然(さ)る」と読み、「と或る」のように漠然とした表現に使う(「さる人からの便り」「さる所で」)(2)「然(しか)る」と読み、「そうである」「その通りである」「ふさわしい」などの意味であるとある。例文として、「然るべき人に相談する」は現代語でも使う。連用形の「然り」は「それも又然り」のように、相手の言葉を受けて、「そうである」「その通り」とか「それが正しい」の意味で使う。国語学では「然り」の漢字「然」に引っ張られて「しか・る」と解釈されている。だが、「しかる」は大和言葉であり、漢字は後に当て字されたものである。我々日本人はごく普通に「歩く」「飛ぶ」「走る」などのように漢字を使っているが、実はこのような...日本語の諸問題(47)「然(しか)る」は動詞ではない-語源の取り違えー

  • 日本語の諸問題(46) 「すべからく」の語源 ーボタンのかけ違いー

    今ではあまり使われなくなったが、「すべからく」との言葉がある。例文として「学生はすべからく学業に専念すべし」などと、最後に「すべし」を伴って使うのが一般的である。「国語辞典」には「当然」「必須」「義務」などの意味であるとある。また、昨今では誤用として、「全部、全体、すべて、」などの意味にも使われるようになったともある。しかし、この説明はおかしい。「必須」「義務」などの意味を表わしているのは最後の「すべし」であって「すべからく」ではない。英語で言えば「・・すべし」はYoushoulddoitである。むしろ、誤用とされている方がより近い意味であると私は思っている。今ここでそれを明らかにしたい。-この言葉の語源を取り違えているー「すべからく」の語源はどの「国語辞典」「古語辞典」「語源辞典」を見ても「・・すべし」からき...日本語の諸問題(46)「すべからく」の語源ーボタンのかけ違いー

  • 昔は夫婦別姓だったのか? 番外編 -古代日本は北方騎馬民族に同じー

    前に-最終章-で法学部の大学教授の一文を紹介したが(毎日新聞の記事)、今度は朝日新聞が別の法学部の元女性教授の小論を掲載した(2021・7・6)。これは最高裁が「夫婦同姓」は違憲ではないとの判断を下したことを受けての反論であった。その見出しはー同姓は「伝統」と言えないーというものであった。この両者の主張はほぼ同じものであったが、この二人は憲法や法律の専門家であって、明治以前の日本の歴史についての知識はあまり無いようである。ただ、日本史学者がいとも簡単に「日本も昔は夫婦別姓であった」と言うものだから、それを信じ込んでいるようである。それは無理もない。大方の日本人がそうであるから・・・。―たしかに、夫婦同姓は日本の伝統とは言えないが、また夫婦別姓も日本の伝統とは言えない―この問題に関してすでに3回書いているのでここ...昔は夫婦別姓だったのか?番外編-古代日本は北方騎馬民族に同じー

  • またまた NHK のトンデモ番組 ― 「 邪馬台国は大和で~す 」 ―

    かの小保方晴子の「STAP細胞はありま~す」との発言はいまだ耳新しいが、先月27日、またまたNHKがトンデモ番組を放送した。「古代王権の謎」と銘打って邪馬台国=大和説の学者が次々と登場し、あたかも邪馬台国は大和であることは自明のことであるかのように自説を展開した。これは学問論争ではなく、学者政治屋のプロパガンダもしくはアジ演説と変わりない。私がこれまで繰り返し述べてきたように、近年の中国での発掘調査の結果、邪馬台国論争は決着がついたのに。なぜいまだに大和説にこだわり続けるのか・・。その理由を明らかにしたい。ー炭素14年代測定はピンポイントでは特定できないーこの番組で箸墓古墳の近くから出土した土器に付着した炭化物の14年代測定の結果、西暦240~260年(卑弥呼の時代)の数値が出たという。だが、別の学者から炭化物...またまたNHKのトンデモ番組―「邪馬台国は大和で~す」―

  • 日本語の諸問題(45) 動詞形成の接尾語 「る」 と 「す」 について

    前に「お墓の語源」のところで書いたが、日本語にはアルタイ語文法を持つ証拠の一つとして、名詞を動詞化する接尾語がある。世界の多くの言語は動詞化として、外来語に「する」を使う用法は普通にある。ペルシャ語、ウズベク語、朝鮮語、日本語にもある。例えば、「研究する」の場合、朝鮮語は「研究ha-da」、ウウズベク語も、「tadqiqat(研究)qilmoq(する)」と言う。(このtadqiqatはアラビア語起源)。ところが、ウズベク語ではtadqiqat-la-moq(研究する)とのもう一つの言い方があり、この場合LA(ラ)が動詞形成の接尾辞である。日本語のRU(る)に当たる。(例、図る、計る)日本語は外にも「ゆらぐ(ユラユラ)」「ころぶ(コロコロ)」「「はらむ(腹)」など、他のアルタイ諸語と比べても豊富である。例えば、「...日本語の諸問題(45)動詞形成の接尾語「る」と「す」について

  • 文禄・慶長の役の降倭、「 沙也可 」の正体

    韓国南部、大邱近くに秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮側に投降した日本人(降倭)の末裔が住んできたとの言い伝えがある友鹿里(ウロンリ)という小さな村がある。何十年か前、新聞やテレビで大きく取り上げられ、日本から観光客も多く訪れている。そこにある村の学問所、鹿洞書院にその降倭の将軍、金忠善(日本名「沙也可」)の位牌が祀られている。「金忠善」という朝鮮名は、日本、後金、清朝などとの戦いで勲功があったので、朝鮮王から将軍位と一緒に授けられたものである。これらのことはこの書院に伝わる古文書「慕夏堂文集」に詳しく書かれている。実は、戦前からすでにこの村の存在は知られており、当時の朝鮮総督府は朝鮮軍に投降する日本人がいるわけがないと、そんな古文書はニセモノだと一蹴してきた。ところが、1933年、同じ総督府で「朝鮮史」の編纂を担当してい...文禄・慶長の役の降倭、「沙也可」の正体

  • 閑話休題 -日韓問題に思うー 続編 ・ 日本の左翼はレイシスト

    近年、多くの自治体で反韓・嫌韓のヘイトスピーチ禁止条例が可決されている。私もテレビでその集団のデモを見たことがあるが、その周囲に「レイシスト」とか「人種差別主義者」との罵声を浴びせる一団がいた。しかし、この一団こそ真のレイシスト集団である。今、その理由を明らかにしたい。ードイツのメルケル首相は隠れネオ・ナチ?-ごく最近、ポーランドとギリシャの首脳が、今次大戦で自国が受けた被害は数十兆円にのぼるとの声明を出した。これに対してメルケル首相は完全ネグレクト(無視)した。当然、ドイツの極右ネオ・ナチはメルケルを称賛したであろう、メルケルは我々の仲間だと・・。ところが、メルケル首相はネオ・ナチとは正反対で、中東・シリア難民をすでに数十万人受け入れており、今後も増えていくであろう。メルケルはこれら難民を全EU諸国に割り振ろ...閑話休題-日韓問題に思うー続編・日本の左翼はレイシスト

  • 江田船山古墳の築造年代 -通説に疑問ー

    江田船山古墳は熊本県玉名郡和水町に所在する前方後円墳である。築造年代は五世紀末から六世紀初頭とされているが疑問が残る。それはこの古墳と同じ型式を持つ福岡県八女市にある岩戸山古墳と石人山古墳の存在である。これら古墳の周りには短甲を着けた武人の石人と石馬が置かれている。このような古墳の周りに石人、石馬を配置するという独特の型式はこの地域特有のもので、その後、日本では見られない。この岩戸山古墳が527~8年に大和政権(継体朝)に反抗して敗北した筑紫の君・磐井(いわい)の墓であるとされているからである。「記紀」の年代表記にはかなり違いがあるが、六世紀以後であることは確実である。この三つの石人古墳はワンセットで考えるべきであり、江田船山古墳も六世紀初頭から中期とすべきであろう。ー出土した鉄刀銘文の読みー「治天下獲□□□鹵...江田船山古墳の築造年代-通説に疑問ー

  • 「六波羅幕府」や「安土幕府」は成立するのか -続編ー

    6年前に読売新聞記事を元にこのテーマで論考を書いたが、またまた、朝日新聞が同じようなトンデモ記事を掲載した(2020・5・18)。今度の記事は「幕府」の呼称問題のほかに、「天下」についてもが書かれていた。その見出しは「幕府・天下もともとは」であった。繰り返すことになるが、今一度、述べておきたい。ー「幕府」と「藩」は明治時代に決められた歴史用語ーもともと、漢語「幕府」は中国・皇帝(日本では天皇)の命により政治・軍事の全権を委任され、派遣された夷狄討伐軍の本営(将軍府)のことである。日本史ではこの「幕府」という漢語を日本式に変容させて使っているのである。一つの政治体制の意味として。つまり、古代律令制度に代わる武家による全国一円支配体制、その端緒を切り開いたのが他ならぬ、源頼朝の鎌倉武家政権であった。たしかに、「幕府...「六波羅幕府」や「安土幕府」は成立するのか-続編ー

  • またまた 「六波羅幕府」 や 「安土幕府」 の出現

    6年前、読売新聞の記事を元に「六波羅幕府」や「安土幕府」は成立しないとの論考を書いたが、今度は朝日新聞が同じような特集記事を載せた(2020年5月18日朝刊)。その見出しは「幕府・天下もともとは」であり、幕府も天下も、その当時は今と意味が違うとのことだった。「幕府」は政権ではなく、将軍の居る場所のことであり、「天下」もその時代(戦国時代)は京と五畿内の意味だったとのこと(本郷和人説)。とんでもない学説である。これは歴史論争というより言語論争の部類に属する。-「幕府」も「藩」も明治時代に歴史用語として決められたものーその時代には「鎌倉幕府」「室町(足利)幕府」「江戸(徳川)幕府」などの言葉はなかった。勿論、「阿波徳島藩」などの名称も無かった。この二つの言葉は幕末頃に尊攘志士が使い始めたようである。「幕府」は中国で...またまた「六波羅幕府」や「安土幕府」の出現

  • 昔は夫婦別姓だったのか ? 最終章 - 蔓延する常識の噓 (俗説) ー

    先日、「選択的夫婦別姓」を推進するため、超党派国会議員の会合があったことが夜のニュースで報道された。翌日の新聞各紙も大きく取り上げていた。その時、ある全国紙がその記事に合わせて、大学教授の一文を載せていた。そこには驚きの内容が書かれていた。要約すると、「日本では古代から江戸時代まで夫婦別姓もしくは夫婦別氏であった。明治新政府が近代的民法導入のため、フランスから法学者・ボアソナードを招聘して民法作成に取り掛かり、最終的に君主制のあるドイツ民法も取り入れて、明治憲法下における新民法が成立した。そこで、夫婦同姓(原則的に妻は夫の姓を名乗る)が決められ、明治31年に正式に公布された。日本の夫婦同姓は明治政府の欧化政策によって生まれたものだ・・」とのこと。つまり、西洋を真似た結果だとの論旨であった。この説は一般的に流布し...昔は夫婦別姓だったのか?最終章-蔓延する常識の噓(俗説)ー

  • 天皇家にはなぜ姓がないのか? -続編ー

    この問いに対する答えはすでに書いた。ところが、日本史の大学教授のある本に「姓を与えることは天皇の権限であり、姓を名乗ることは天皇支配を受け入れることを意味する」とあった。これは常識の噓(俗説)である。たしかに、『日本書紀』に天智天皇が中臣鎌足に「藤原」姓を与えたとあり、これが根拠とされているようだが、これは後世の「源氏」「平氏」「豊臣」などの姓を朝廷(天皇)が下賜した例との混同である。この説を受けてインターネットなどに天皇下賜説が当たり前のように書かれている。今一度、私見を述べたい。ー東夷、南蛮、西戎、北狄には個人の姓はなかったー古代の東アジアで姓を持っていたのは中国だけである。その周辺の諸民族は中華文明の影響を受けて、姓を名乗るようになった。至極、単純なことである。ただ、国家・民族によってその姓を持つ文化を受...天皇家にはなぜ姓がないのか?-続編ー

  • 日本語の諸問題 (44) ―文化庁の日本語教師国家資格構想―

    少し前、文化庁が日本語教師に国家資格を与える構想があることを新聞で見た。フランス(国家資格制度がある)など諸外国並みに日本語教育を充実したいとの意図であると思うが、これには根本的な問題がある。われわれ日本人が外国語を学ぶとき、書店や図書館に行けば、どの言語であれ、「フランス語文法入門」とか「ロシア語四週間」などの文法書を簡単に手にすることができる。翻って、日本語はどうか。図書館の国語・日本語コーナーには数多くの外国人向けの日本語教育の本が並んでいるが、私はこれまで、日本語の文法書を見たことがない。では、文化庁は国文法(学校文法)を英語で外国人に教えられる人材育成を念頭に置いているのだろうか・・。つまるところ、日本には文部科学省認定の正式な日本語文法書は無いということである。ーある日本語教育書についてーたまたま図...日本語の諸問題(44)―文化庁の日本語教師国家資格構想―

  • 邪馬台国=大和説に引導(いんろう) ― 曹操の墓から鉄鏡出土 ―

    朝日新聞(2019年9月6日)に邪馬台国=九州説を裏付ける決定的な物証発見の記事が掲載された。それは戦前、京都大学の考古学者であった梅原末治が美術商から手に入れた金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)という名称の鉄鏡と、ほゞ同じものが、なんと2008年発見された魏の開祖・曹操の墓からも出土していたとの記事であった。梅原はその美術商の話から出土地の大分県日田市に行き、実際、発掘に立ち会ったという地元の人の話を聞いて調査し、その遺跡を「ダンワラ古墳」と名付けたが、梅原が直接発掘したわけでないので本当にこの古墳かどうかは不明である。がしかし、わざわざ、京都から日田市まで行き、発見されたとき現場にいた人の話を聞いているので、この周辺であることは間違いないであろう。その後、昭和38年、美術研究誌「...邪馬台国=大和説に引導(いんろう)―曹操の墓から鉄鏡出土―

  • 閑話休題 ―日韓問題に思う―

    日韓関係は戦後最悪との論調がマスコミを賑わしているが、現在、第二次大戦以前の歴史問題を持ち出す国は韓国以外見当たらない。なぜ韓国だけが国連やユネスコなど世界中に持ち出すのか。そこに韓国人の異常なカルト性がある。韓国人にとっては、日本の植民地支配は世界史の大事件であり、人類史上の最大の犯罪なのである。世界中の人たちは当然、このことに深い関心があるとの自己中心のカルト宗教なのである。ところが、意に反して、世界中の大半の人は韓国が地理上どこにあるかも知らないし、韓国なんぞに何の興味も関心もない。むしろ、第二次大戦以前のことを持ち出す韓国に不快感を抱いているのが現実である。一方、それを当然と韓国サイドに立って韓国を擁護する一団が日本にいる。この人たちは決して左翼でも何でもなく、日本に嫌悪感を持つただの幼児にすぎない。-...閑話休題―日韓問題に思う―

  • 邪馬台国をなぜ「ヤマタイ」国と読むようになったのか -皇国史観の呪縛ー

    これは先の私のブログ「ヤマタイ」国はなかった、の続編に当たる。どう考えても「ヤマト」国としか読めない「邪馬台国」を無理やり「ヤマタイ」国と読ませるようになったのはなぜか。その理由を書く。-「日本書紀」の編者は「ヤマト」国と読んでいたー日本で「魏志倭人伝」の記事が最初に出現するのは『日本書紀』の「神功皇后紀」である。そこに2か所「倭人伝」の本文(倭女王の魏への遣使部分)をそのまま筆写して載せている。それには「魏志云、明帝景初三年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献・・・」とある(倭人伝と多少の違いはあるが)。これは何を意味しているのか。「書紀」の史官たちは目の前にある「魏志倭人伝」にある「邪馬台国」を「邪馬台(ヤマト)」国と正確に読んでいたからである。つまり、「ヤマト」国である以上、それは大和朝廷にほかな...邪馬台国をなぜ「ヤマタイ」国と読むようになったのか-皇国史観の呪縛ー

  • 天皇家にはなぜ姓がないのか?

    天皇家には姓がない。なぜだろうか・・・。この問いに対する答えは簡単明瞭である。古代の倭人には姓(苗字)がなかったからである。天皇は日本史の生きた化石なのである。姓を持たないということは、人類史上格別珍しいことではない。世界の諸民族はほとんど姓を持たなかった。唯一、中国を除いては。日本、朝鮮、満州、モンゴル、トルコ、などアルタイ系諸民族も無論、姓がなかった。あるのは個人を特定する名前(テムジンとかチムールなど)とその個人が所属する部族や氏族の名称だけである。古代日本では、大伴、物部、額田、佐伯などがそれに当たる。佐伯部、額田部、久米部のように、氏族集団を「部」で表す。その属民は「部曲(かきべ)」という。後に、大伴氏とか蘇我氏のように氏族名が中国風の姓となってゆく。(1)『宋書』倭国伝の記事五世紀の『宋書』倭国伝に...天皇家にはなぜ姓がないのか?

  • NHKの 「歴史秘話・ヒストリア」 を見て(2019・2・6)

    今回は古代日本の最大の謎「銅鐸」についてであった。この番組の前半は非常に科学的で、銅鐸を再現するものであった。さすが、NHKでなければこれほどの資金を注ぎ込んで出来なかったであろう。石製の銅鐸の鋳型断片が出土していることから、その石と同じもので鋳型を作ることから始め、銅職人に依頼してその時代の工法でやってみたが、うまく行かず試行錯誤のすえに完成した。私もここまでは非常によくできた番組と見ていたが、最後にとんでもないドンデン返しがあった。NHKはいつもそうであるが、邪馬台国・大和説に国民を誘導するものであった。最後に大和説の学者が出てきて、銅鐸が地中に埋められたり、破壊されたのは女王・卑弥呼の時代であり、その後、邪馬台国は銅鐸に代わって銅鏡を祀るようになったとの説明であった。突然、科学から漫画の世界に引き戻された...NHKの「歴史秘話・ヒストリア」を見て(2019・2・6)

  • 大石内蔵助の「暇 (いとま) 乞い状」 出現

    大石内蔵助の書状(元禄15年12月13日付)今、徳島市立徳島城博物館で、「討入りとその周辺」と銘打って赤穂義士と阿波徳島藩との関係の特別展が開催されている。ここでの最大の目玉展示は大石内蔵助が討ち入り前日(12月13日付)に、徳島藩の中老・三尾豁悟(みおかつご)に書き送った「暇乞い状(遺書)」である。これまで内蔵助の遺言状は同じ日付で、赤穂・浅野家の菩提寺である花岳寺あての一通が現存しているが、これで二通となった。実は、この遺言状は昭和30年頃、東京や大阪で何度か展示公開されたが、その後、所在不明になっていた。ところが、やはり手紙の宛先の三尾家の御子孫宅にあったことが分かり、この度、ゆかりの徳島城博物館に寄託され特別展が催されたのである。この手紙には数々の興味ある事実が書かれている。-徳島藩士、三尾豁悟(みおか...大石内蔵助の「暇(いとま)乞い状」出現

  • 信長の「天下布武」についての再論 - 天下は天下 (あめのした) ー

    信長の「天下布武」の印章について、この場合、信長のいう「天下」とは京を中心とした畿内の意味であるとの説が出た(金子拓著『織田信長<天下人>の実像』)。この説を立てた人はすでにいることが同書の中で紹介されている。金子氏はそれを受けてより詳しく発展させたにすぎない。その人とは、神田千里氏と池上裕子氏である。この両氏の言わんとするところは、「天下布武」とは足利将軍・義昭を伴って入京し、畿内を平定して、将軍を中心とする畿内の秩序が回復することであり、それは永禄11年に信長が上洛することで実現したとの主旨である。この説には根本的な錯誤(思い違い)がある。-言語の意味を誰であれ勝手に変えられない-分かり易いたとえ話をしよう。ある小さな町のラーメン店が「天下一のラーメン」と書いた看板を掲げたとしよう。では、この店の店主は「こ...信長の「天下布武」についての再論-天下は天下(あめのした)ー

  • 日本語の諸問題(43) 文語形容詞語尾 「し」 について再論

    これまで繰り返し述べてきた文語形容詞活用語尾「し」は矛盾だらけである。「波高し」とか「大和しうるわし」の「し」は文語形容詞の終止形とされている。ところが、形容詞「正しい」は語幹「ただ」を動詞化して「正す」、その名詞形「正し」から「正しい」「正しく」が生まれている。この場合「正し」の「し」は明らかに国文法では動詞「する」の連用形のはずである(例、姿勢を正します)。また、古語辞典には「しく活用」として「まさし」があり、本当、現実などの意味として古文には数多く使われており、「まさしく」「まさしき」などと活用することになている。この「ただ」も「まさ」も語幹に当たる。(「まさす」との動詞はない)この語幹「ただ」から「只今(ただいま)」「ただちに」「ただただ恐れ入る」とかの言葉が生まれ、同じく「まさ」から「まさし」「まさし...日本語の諸問題(43)文語形容詞語尾「し」について再論

  • またまた龍馬のニセモノ出現

    8月24日(2018年)の朝日新聞に「龍馬のサインで候」との見出しで、坂本龍馬の花押付きの手紙(8年前に雑誌で写真が紹介されていた)が、この度、専門家の鑑定で龍馬直筆と認定され、福井県立博物館の幕末維新の特別展で展示されるとの記事が出た。私はこの新聞の花押の写真を見てすぐにニセモノと判断した。その理由は・・まず、本物と判断した専門家は花押についての基礎知識さえないと思わざるをえない。戦国時代の足利将軍とか有名な武将の花押付きの書状は数多く残されている。花押とはその人の権威の象徴であり、ヒラの家臣が気軽に使えるものではない。ウイキペディアで調べても、江戸時代以降あまり使われなくなり、農村の庄屋階級は花押に代わって印鑑を使うようになったとある。たしかに、幕末の著名な人の書状でも、花押形式の署名などほとんど見かけない...またまた龍馬のニセモノ出現

  • 日本語の諸問題(42) -飲んだら乗るな、 乗るなら飲むなー

    これは日常よく耳にする交通安全標語である。日本人なら誰でもその意味は分かるが、日本語の文法構造上ではどうなっているのか説明できる人は国語の教師でもほとんどいないであろう。「飲んだら」は「飲み・たら」からきたものであるが、この「たら」は国文法では過去・完了・確認などの意味を持つ助動詞「た(だ)」の仮定形ということになっている(中学国文法教科書ではそうなっている)。しかし、これはおかしい。例えば、「地震が起きたら、すぐ逃げよう」ではたしかに仮定でいいが、「朝、起きたらもう8時だった」とか「行って見たら、もう桜は散っていた」は仮定ではなく完了の意味である。「たら」は「た(だ)」の活用表などには入れず、文語から生まれた完了や仮定の意味を持つ独立した助動詞(接尾語)とすべきである。勿論、「たら」は文語助動詞「たる」の未然...日本語の諸問題(42)-飲んだら乗るな、乗るなら飲むなー

  • 閑話休題 -ザギトワ選手の愛犬 「マサル」-

    平昌五輪金メダリスト、ロシアのザギトワが秋田県から秋田犬を贈られ、その贈呈式がテレビで報道されていた。その犬の名前は「マサル」、日本語で「勝つ」意味なのでザギトワ自身が名付けたとのこと。日本語を知らないザギトワに誰が教えたのかは知らないが、正確には「まさる」に「勝つ」との意味はない。すでに書いたように、「まさる」の語幹「まさ」に動詞形成の接尾語「る」が付いたものであり、「(人より)すぐれている、上回る」などの意味である。(例、健康にまさるものなし、男まさりの女)。「まさる」に漢字「勝」を当て字したため(勝る、優る)、「勝つ」との意味があると誤解した人が教えたのだと思うが、ザギトワが「マサル」の正しい意味を知ったら、かえって喜ぶであろう。「マサル」とは「人よりすぐれていて、上に立つのであるから、私にもっともふさわ...閑話休題-ザギトワ選手の愛犬「マサル」-

  • 木戸から龍馬あての手紙出現 - これもニセモノ -

    今日、4月13日(2018年)、朝日や読売などの朝刊に、木戸(桂小五郎)から龍馬あての手紙の原本が新発見されたとの記事が出た(この手紙の写しの存在は知られていた)。日付は慶応3年(1867)9月4日、大政奉還の40日ほど前である。この記事を読んで、早速、『和英語林集成』を見たが、すぐに完全なニセモノであると判断した。その理由は二つある。なお、手紙の写しがあるからといって原本が本物とは限らない。ニセモノのニセモノである。理由その1)手紙の中で、土佐藩兵の上京を要請して、「場合に後れてハ・・・大舞台は其れきりと奉存申候」とあることである。この「大舞台」は「語林集成」第3版(明治19年)にも無い。勿論、「舞台」はあるが、現代風に「甲子園の大舞台に立つ」などの表現は明治以後の用語である。一方、「大舟(おおぶね)」はすで...木戸から龍馬あての手紙出現-これもニセモノ-

  • 幕末史に激震 ! -「新政府綱領八策」はやはり捏造 ー

    幕末安政6年(1859)来日したアメリカの宣教医であったヘボン博士(本名はHepburn日本式に「ヘボン」を名乗った。ヘボン式ローマ字の考案者として有名)が、慶応3年(1867)に中国・上海で印刷し、横浜で発行した和英辞典、『和英語林集成』という本がある。この本は第2版(明治5年)と第3版(明治19年)の三部作として現存している。今、これらの本は博士が創立に尽力した明治学院大学図書館デジタルアーカイブスで検索して誰でも閲覧できる。また、初版本は大阪府立図書館にも所蔵されており、私はそこで直接手に取って見たが劣化がひどく、デジタル化されて本当に良かったと思っている。さてその結果は・・・-「新政府綱領八策」にある「顧問」も「大典」も「部下」も初版本(慶応3年)には無かったー慶応3年はまさに龍馬が書いて処々に配ったと...幕末史に激震!-「新政府綱領八策」はやはり捏造ー

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小松格の『日本史の謎』に迫る
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