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後期高齢者のたわごと https://blog.goo.ne.jp/qhuitjanuary

介護付き老人ホームに入居中。今までの人生で感じたこと、特に人間、精神、政治、福祉について書きます。

シカゴの病院で5年、医大・医学部で35年、教育研究に従事、定年退職後老人保健施設に7年半勤務。腰痛のため退職し、介護付き老人ホームに入っている後期高齢者。米国、カナダ、西欧、東欧、中近東、インド、中国、台湾などに仕事のために出張、その間に感じたこと、考えたことについて雑然と書いていきます。

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2009/10/03

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  • 11月21日(水)のつぶやき

    HYSINOHARA@Bambufeld16:41後期期高齢者のたわごと石橋湛山と吉田松陰(6)blog.goo.ne.jp/qhuitjanuary/e…fromgooBlogproduction返信リツイートお気に入りFollow@Bambufeld11月21日(水)のつぶやき

  • 後期期高齢者のたわごと 石橋湛山と吉田松陰(6)

    大老や老中になれる人は家柄で決まっており、その家以外からは選ばれることはなかった。そんなガチガチの、動きのとれない制度で日本は激動の幕末に向かっていた。しかし歴史家はこんな背景には全く触れることなく、井伊大老は桜田門外で水戸の浪士に暗殺された、というようなことだけを衝撃的に書く。前に述べたように、大老はいつもいたわけではない。江戸時代を通じて延べ10名の大老が置かれている。「延べ」というのは1人で複数回、すなわち大老をいちど辞めた後再び大老になった人もいるからである。将軍は15人であるが、家康、秀忠の頃には大老職はない。つまり、大老の数は将軍の数よりもかなり少ない。また、任命されても大老は非常勤であり、重大事にのみ関与する。大老の意見を訊くか訊かないかは老中が決めた。井伊直弼の先祖、つまり彦根藩主の井伊家が圧倒...後期期高齢者のたわごと石橋湛山と吉田松陰(6)

  • 8月4日(土)のつぶやき

    10:54fromTweetButtonアピタル_患者の語り医療者の気づき/DIPEx_誰が決める?子宮頸がんワクチン接種aspara.asahi.com/blog/katarikiz…byBambufeldonTwitter8月4日(土)のつぶやき

  • 7月28日(木)のつぶやき

    17:37fromgoo石橋湛山と吉田松陰(3)#goo_qhuitjanuaryhttp://goo.gl/R4wejbyBambufeldonTwitter7月28日(木)のつぶやき

  • 石橋湛山と吉田松陰(3)

    後期高齢者のたわごと石橋湛山と吉田松陰(3)明治維新以後、日本を西欧列強の仲間入りするために努力した多くの「明治の元勲」がいる。その中で際立っているのは松下村塾で教えを受けた人々で、伊藤博文、山県有朋などのほか、維新前に活躍した高杉晋作などがいる。首相にはならなかったが、明治時代を動かした井上馨なども松陰門下である。直接教えを受けたことがなくても松陰を神のごとく考えている人も多い。それらの人々は日本のいくつかの場所に松陰神社を造って松陰を神とあがめている。松陰が叔父の開いた松下村塾を再開して塾生を教育したのは、たった2年余りに過ぎない。その彼が明治日本の大きな原動力となり得たのは驚くべきことである。現在、神となっている松陰に批判的な日本人は、ほとんどいない。神様は尊敬・崇拝の対象であり、批判するのは不敬の行為で...石橋湛山と吉田松陰(3)

  • 4月21日(木)のつぶやき

    16:33fromgoo世界で日本人だけが真実を知らない福島原発事故#goo_qhuitjanuaryhttp://blog.goo.ne.jp/qhuitjanuary/e/234edbff575cced238dde5621a79b280byBambufeldonTwitter4月21日(木)のつぶやき

  • 世界で日本人だけが真実を知らない福島原発事故

    後期高齢者のたわごと世界で日本人だけが真実を知らない福島原発事故前回の終わりに、吉田松陰の一生は、高山彦九郎にあやかろうとしたとしか考えられない、と書いた。前々回には「佐久間象山は開国しなければ、遅かれ早かれ日本は滅びると考えた。ところが象山の最も優れた教え子の吉田松陰は反対のことを思いつく。急いで軍備を整え、外国に打って出るべきだ。そして彼はカムチャッカから台湾、フィリピン、朝鮮、満州までを手に入れようと主張し始める。・・・・驚くことに黒船の衝撃からわすか50年にして松陰の描いた誇大妄想的青写真の大部分は、松下村塾で学んだ彼の弟子たちにより現実のものとなった。」と書いた。歴史学や政治学の専門家は山ほどいるのに、このことを指摘している人は少ない。松陰神社を造って神様として拝んでいる。批判などしたら罰(バチ)が当...世界で日本人だけが真実を知らない福島原発事故

  • 1月22日(土)のつぶやき

    15:31fromgoo皇位についた事のない数人の天皇がいる#goo_qhuitjanuaryhttp://blog.goo.ne.jp/qhuitjanuary/e/298ddda736623708360d2b090587257cbyBambufeldonTwitter1月22日(土)のつぶやき

  • 後期高齢者のたわごと(吉田松陰と皇位についた事のない天皇(1)

    吉田松陰と皇位についた事のない天皇(1)吉田松陰は1830(天保1)年8月、萩城下の松本村で藩士・杉百合之助の次男として生まれた。6歳の時に叔父で山鹿流の兵学師範である吉田大助の養子となったが、まもなく養父が死んだため、同じく叔父の玉木文之進の世話になる。玉木は1841年に松下村塾(ショウカソンジュク)を開き、松陰もそこで教育を受けた。彼は塾生の中では飛び抜けた秀才であり、その名は城下に知られるようになった。藩主の毛利慶親(ヨシチカ:後に敬親タカチカと改名)から御前講義を命ぜられ、山鹿素行「武教全書」の戦法編を講義する。その出来栄えが見事であったため藩主より特別にかわいがられるようになった。しかし、後で書くように、松陰のこの後の人生は、その藩主の期待をすべて裏切るものであった。多くの松陰の伝記はこの部分を無視し...後期高齢者のたわごと(吉田松陰と皇位についた事のない天皇(1)

  • 12月1日(水)のつぶやき

    16:34fromgoo石橋湛山と吉田松陰(1)#goo_qhuitjanuaryhttp://blog.goo.ne.jp/qhuitjanuary/e/638ff8c4af68ac9c0d7a6515af83b3babyBambufeldonTwitter12月1日(水)のつぶやき

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