又しても桜の木が切られた。我が散歩道は長良川の堤防である。そこには桜並木がある。2年前に右岸側の約50mが切られた。堤防の補強工事に邪魔だとされた様だ。だがお立合い!今見ると、工事には何の支障もない。何故切られたのか、未だ解らず!この事は2023/3/8
内閣総理大臣が施政方針演説を行う。これに対し与野党の代表者が質問を行う。各党が、ほぼ同じ事を聞いている。言葉の並びを変えただけで、中身は同じ。総理は楽である。答えは一つあればいいのだ。それを並び替えて、答えればそれで済んでゆく。総理の原稿は官僚が
何処かの総理は聞く力が無くなって来た。総理ばかりでなく、貴方も同じだと女房は言う。老いて総てに図々しくなったとも。図々しいとは自己中で、恥知らずの事。この期に及んで、いい子になろうなどとは思わない。ズケズケと言いたいことを言う。その方がストレスは
3年振りに90を切った。44,44,の88.この3年間は、ほぼ月一ゴルフ。月一では正直、上達はしない。練習場にもいかないのだから。月一では健康にもいいなどとも言えない。漠然とお付き合いをしているだけの感じ。アベレージは103前後をウロウロ。そろそろ道具
建設業の宿命は早い転勤である。現場勤務は工事が竣工すれば次へ・・・である。チョンガーの頃はこれが又楽しくもあった。だが所帯を持つと身軽には動けない。昭和41年新婚の新居は平塚市諏訪町。2階の1DKのアパート。風呂は近所の銭湯。1階は大家が焼き鳥の一杯飲
郡上青年会議所OB会のOB会が出来た。郡上青年会議所が創立して48年が過ぎた。卒業生は150名を越している。その内、16名が鬼籍に向かって居る。OB会は今迄、銀婚式、金婚式などをやってきた。最近は何故かやらない。原因は奥様方が、いやだと言うらしい。恥ずか
今年、鯉のぼりは長良川に泳がなかった。鮎幟がカムバックして来た。これは故・和田薫さんの発案だった。16年前、和田さんと愚生で垂井町を視察。相川公園に350匹の鯉が泳いでいた。遠くにはまだ雪の残る伊吹山連山。堤防には200本のソメイヨシノが咲き誇る。この
高校の時の読んだ記憶がある。とすれば65年以上前になる。丑松は穢多を隠した教師だった事を覚えていた。作者は島崎藤村。昨年暮れ彼の故郷・馬籠に行った。藤村記念館で再読しようと買い求めた。部落問題には関心があった。高校3年の時“部落問題に思う”を書いた
月一の楽しみが雨に壊された。図々しい奴が10人程ドタキャン。これの出来る奴はゴルフの上手い奴等に多い。俺は下手だから、そんな事とても出来ねぇ。ゴルフ場が今日は出来ませんという迄はやれ!と俺は教わった。カッパを着て、雨と戦った。雨ニモマケズ風ニモマケ
35年続けた会を退会する事にした。昭和63年(1988)白鳥町長選挙があった。現職三島氏は7期28年を目指そうとしていた。長期政権を打倒しようと我々は若い仲間を立てた。美谷添生町議、若干39歳!組織バックなしの草の根運動で挑戦!時の町会議員は全員が現職を応援
積算は土木工事ソフトの基本中の基本。材料、機械、には値段がある。この場合、人にも値段がある。技術のある者、無い者、等々。これ等は場所によっても違う。その上に経費がかかる。これ等を組み合わせて、モノを作る。道路、橋、トンネル、鉄道、団地、ダム、家、
自分史を纏め出してから先祖を追求して来た。我が家の先祖は瀬木茂右衛門である。古い戸籍に二人の茂右衛門を見た。一人は天保元年(1830)2月10日の生まれ。二人目はその父が、茂右衛門と書いてあるが、生年月日や女房は記されていない。それ以前は解らない。郡上
抜歯後、一週間目に向かった。抜いた後をどう埋めるかの相談。選択肢はいろいろとある様だ。だが、この一本だけを持たせるのは難しい。横の歯と抱き合わせる必要がある。その為には、横の歯も取る必要がある、と。又、抜くのかよ?もう勘弁してくれよ、先生。され
今年の子供の日はソフトの試合だった。地元で開催の為、グランド作りから始まる。朝の7時半からグランドに集合。ルールにのっとり、白線が引かれてゆく。この白線引きが意外と難しい。体が左右にぶれると直線にならない。白線の出来具合で、グランドが良く見える。
敦賀へ法要に行ってきた。白鳥から大野市旧和泉村までは旧道。距離は15.5㎞、所要時間は約30分。そこに、中部縦貫道九頭竜ICが完成した。令和8年(2026)春には白鳥まで完成する。時間は半分位(15分)短縮されるだろう。九頭竜ICから中部縦貫道で福井北IC。そこか
孫が栃木に就職するので随行。女房の実家が茨城なので立ち寄った。久々に故郷の親族と会食、話は弾んだ。その中で“長久保赤水”の資料と本を渡された。俺が建設業で地図に詳しいからだと言う事で。この時始めて“長久保赤水”なる人物を知った。江戸中期の地理学者
桜も終わり新緑の候。補欠選挙全敗、ご愁傷さまです。その傷も癒えない内に外遊されます。閣僚関係者含めて31人。推定費用12,6億円とか。何しに行かれるのですか?今回、奥様は行かれないのですか?日本は今、物価高で苦しんでおります。能登の皆さんも途方に
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又しても桜の木が切られた。我が散歩道は長良川の堤防である。そこには桜並木がある。2年前に右岸側の約50mが切られた。堤防の補強工事に邪魔だとされた様だ。だがお立合い!今見ると、工事には何の支障もない。何故切られたのか、未だ解らず!この事は2023/3/8
八十路坂を越えると早い!急速に冥土が見えてくる感じ?同世代が黄泉へ向かうせいもある・・・。でも俺だけは・・・と身勝手に思う。思えども、体のそこかしこは老いてゆく。老いに、少しは遠慮しろ!と言えども無視される。 年に一度の検診に大垣徳洲会病院へ。家
最初の与七は3年前だった。女房が胆のうの手術をして退院の日。大和道の駅でウチョウランの展示会を見た。そこに、親戚の人が出展していた。退院の記念だと言って一鉢頂いた。小さな鉢には“与七”の名札が差してあった。 愚性の親父・正三は野々村家からの養子で
痛恨の極み!我がチームの名ショート・鷲見保 77歳。陽気で気さくな男だった。俺がセカンドで二遊間を守った。彼との二遊間は息があった。打順も1番、2番の切り込み隊だった。初回に俺達が塁に出るとほとんど勝ちパターン。今の俺の姿からは想像も出来ないだろうが
漂流ポストの事を仏教小冊子“御堂”で知った。高齢ドクター鎌田実氏の記事にあった。東日本大震災で亡くなった人に手紙を書く。それをこのポストに投函する。相手に読まれることのない返事も来ない、でも書いて投函するのだ。やりきれない思いを便箋にぶつけるのだ
拝啓 今冬は稀にみる大雪でした。近年は雪のない冬が続き、雪囲いはしなくなりました。油断大敵、災害は忘れた頃にやって来る。大雪は庭木等をしっかり虐めました。少々の雪の重みは、木を丈夫にするから、雪囲いはしないのだと、怠け者の弁。毎朝、庭木の雪を払いまし
女 房の温習会の出演は3回目である。前の名簿から見ると会員の減少が目立つ。師匠格では16人が8人に。白鳥だけの会員は10数名が2人の激減。何故だろう?でも我が家の大奥は生き残ってきた。弟子の孫もへこたれなかった。バーバはこれが最後だろうと老体にムチ打った
10年ぶりに開催された。この一か月、我が家は大騒動だった。門下の子供たちとバーバの踊り練習で。俺様だけ、蚊帳の外。畑の雑草も伸び放題、ジャガイモ収穫も忘れられていた。ソフトの試合を休んで、舞台を見に行った。下の孫の美夜は第二部の五番目に登場。樋口一
寅次郎の妹・さくら。男はつらいよの元題は“愚兄賢妹”だった由。絶妙の兄妹である。そのさくら・千恵子が綴った。倍賞自体はモノを残さない主義とか。モノが残ると次に進まないという。彼女は俺より一つ若い?84歳。晩年になり人生を振り返る事も大事かと思い直し
平家物語の白川天皇のたまう。予には三つのままならぬものがある。“賀茂川の水と賽の目と比叡山の僧兵だ”時の大権力者でも、この三つが思い通りに出来なかった。 寅にもままならぬものがある。一つは八十路越えのカカ殿。連れ添ってやがて60年になろうか?最初は
リモート同窓会、レター同窓会とも言う。コロナの副産物である。5年前に一度開催したことがある。その時の最後のセリフは“コロナが治まったら、この世の見納めに、最後の同窓会をやろうぜ!” だった。世界を震撼させたコロナ菌騒動も収まった。愚性も二回ほどコ
和田政宗参議院議員に初めて会った。藤井孝男議員の秘書だった浜崎氏はその後、縁あって、和田議員の秘書になった。その関係で、逢う機会が出来た。7月に参議院の選挙があり和田議員は改選期である。寸暇を割いて郡上に来られた。藤井後援会・藤政会の残党と面通し
今年は週末に天気がよく崩れる。今日までに13試合予定されていた。そのうち7試合が雨の野郎が邪魔した。梅雨前にこんなことは異例である。何故だろう?トランプのせいだろうか?中日が勝てないからだろうか?7月5日に大災害が起きると予言されている。その前兆なの
日本のトイレは世界で一番快適と言われる。ウオシュレットが行き届いている。数年前に中国の五つ星のホテルに泊まった。そこですらウオシュレットは手動である。脱臭装置も優れている。でも、臭いは完全とは言えない。先日、ある冊子を読んだ。トイレ研究家・白倉正
この時期、我が堤防道路は真っ黄色である。と言うのは去年までの話。今年は、真っ茶色である。何とも汚れた風景になってしまった。除草剤を撒いたのである。清流に除草剤を撒いていいのかねぇ?一面黄色のイエローロード。阪神ロードだとも思っていた。一転一面枯
50年前の事。小生35歳、江戸からUターンしてきたばかり。郡上に青年会議所をつくる話が聞こえてきた。そして誘いが来た。青年会議所って何もんだ?俺は正直、知らなかった。創立準備会に時の町長も呼んだ。商工会議所青年部の親戚かい?どうせ数年で消えるだろう
1936年(昭和11年)生まれ。1958年、立教大学から巨人に入団。1974年、38歳で現役引退。巨人軍は永久に不滅だと語る。2004年、68歳で脳梗塞で倒れる。2007年、妻・亜希子64歳で逝去。2025年、6月3日、89歳で旅立った。巨人は嫌いだが長嶋は憎めなかった。小生、ある
住民健診はおおむね良好だったが、血液検査から2点、指摘された。その1は、糖尿病予備候補生だと言う。今までは、その気配は全くなかった。甘いものを沢山食べていませんかと聞かれた。そう言われれば以前より少し多いかな?最近、孫と競って食べているから。競っ
今年の大雪はいろいろ被害を出した。このところ暖冬気味で雪が少ない年が続いた。それをいいことに庭木の雪囲いはさぼった。今年の雪は半端じゃなかった。量的にはそれ程とは思わなかったが重かった。毎朝、庭木に積もった雪は取り払った。でも枝はかなり折れた。近
4人目の孫娘が小学5年生になった。今年になり、急速に身長が伸びてきた。ついに165㎝に届いてきた。じーじはあっさり追い抜かれた。天真爛漫でよく遊ぶ!よく食べる!好き嫌いはない!量からするとじーじの倍は食べる。休みの日には間食も半端でない。それで太ら
人生は“生老病死”と言われる。生まれて生きる、老いる、病む、死ぬ。この4つの苦しみの事とか。苦しむと言う事は、自分の思う様にならない事。生きてる限りは避けられねぇ苦悩らしい。仏教用語の四苦八苦の、四苦を指す様だ。人生は苦しみの連続なんかい?仏教は
白鳥神社、宮の森の下草刈り。例年、7月中旬に行われる。総代衆が草刈り機を唸らせて、刈り込む。今年は時折小雨の降る中だったが頑張った。合羽は外の雨と中の汗で、グショグショ!終わって社務所前で暑気払いのビール。この時、十数名の参拝客が来られた。刈り込
毎年7月に診察を受けている。大垣徳洲会病院まで片道90kmを走って。そこには昔お世話になった吉村先生が居られる。頸動脈狭窄症で首にステントを入れて頂いた。今年で16年経過した。その後の経過観察であるが、良好である。愚生も齢84になるそろそろ免許返納が叫ば
老いが随所に現れてくる。今年に入り、歯の工事が増えてきた。虫歯ではない。ポンコツの歯なんぞは、虫も食わねぇ。まずいから・・・。歯の老朽化である。歯が擦り減って来る、欠けてくる、割れてくる等。もう10年も20年ももたなくていい。適当に治して下さいとお
網走番外地、唐獅子牡丹・・・。女房との恋が始まる頃、流行り出した。女房のアパートの隣がヤクザ屋さんだった。彼女をヤクザ屋さんから守らにゃならん?高倉健さんを見習ったのでございます?お陰様で無事でした。てなわけで当時、健さんを兄貴と慕いました。晩年
6月23日は沖縄慰霊の日。日本人が忘れてはいけない日の一つである。6月のこの頃は、我が家にも因縁深い月である。母・故花子は6月26日生まれ。長女・美夏は6月27日生まれ。美夏の夫・秀人は6月24日生まれ。そしてわが弟・故健司は6月24日生まれ。彼は昭和17年、岐
白鳥小学校の校庭隅に飾ってある。全校生徒が書いた短冊が揺れている。子供達が何を願っているのか?短冊を覗いてみた。6年生の子は世界の事を考えている。“どの国も平和で笑顔で戦争のない事を願う”“貧しい国を無くしたい、その為に募金するよ”“こまっている
会社で使っているPCがストライキ!出勤したら、画面が真っ暗!左上に小さな英文字が並んでいる。訳してみたら、ハードデスクに不都合!トーシロには手に負えそうもない。パソコン110番にTel。救急車を呼んだ。早速デスクトップをひっくり返して開腹手術。人
今年前半の収穫を終えた。イチゴは今迄で最低の出来だった。連作がダメだったのか?甘味は十分だったが量が採れなかった。玉ねぎも育ちが悪かった。昨年は豊作だったが・・・。ニンニクもジャガイモも小粒。植えた位置が悪かったか?畑の南側に大きなクルミの木が
小4の孫、女の子。ジジババが東京に行くと聞いたらみやげをと言う。何がいいの?可愛い猫柄のリュック!東京駅にあると言う。スマホで調べたと言う。どうやって調べたの?猫グッヅ+東京駅 と打ち込んだら出たらしい。行けば解るだろうと詳しくは聞かずに出かけた
表があれば裏があるのが世の常。表になれなかったモノたち・・・。二番目ではない。“人の行く 裏に道あり 花の山”裏の道の方が、味があるとも人は言う。第1集、尊敬する柴又の寅さんとのツーショット。(67歳)第2集、尊敬する寅さんの格言。(68)“それを言っちゃ
第5集は孫3人、泣き叫ぶ凌太郎に成長を見る。大河7歳、優3歳、凌太郎1歳。第6集は新穂高ロープウエー展望台。古希を迎えた愚妻と脳胞手術退院祝いで新穂高へ。槍、穂高等、3,000m級の山々に俗界を忘れる。第7集は成長した孫3人。この年に愚妻は喫茶店稼業卒業、孫の守
単なる自己満足を続けている。ブログも今年で第18集になる。表紙も18枚になった。第1集からベースは変えて居ない。中心に描くモノだけ変えてきた。それは、その年の象徴的な出来事にした。第1集は2006年にスタート。カテゴリーは決めず、徒然なるがままに。頭
“土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよし”土建屋と致しましては、雨は天敵。仕事がやりずらい、進まない、出来ない・・・。休みになる、日当が出ない。パチンコに行く・・・負ける?踏んだり蹴ったり・・・雨、あめ、アメ。アウトドアー派には嫌われる、
夏になると深いラフに虐められます。ゴルファーなら“ラフ”は先刻ご承知。ゴルフの嫌な人も“裸婦”はご存じ? 得意?暇なのでラフと裸婦についてほじくってみました。カタカナと漢字ですが共通点がある、アル、有る。拙者のゴルフは仕事の接待から始まりました。
家の前の草むらに雀が沢山来る。何故だろう?そこには古いコメが捨てられていた。捨てたのは小生である。お米を捨てるとは、バチ当たりな奴だ。母が身罷って早や9年が過ぎた。母の住んだ隠居所はそのままにして来た。何時までも放置はできないと整理にかかった。そ
母が身罷って9年が過ぎた。母は晩年を気楽に過ごす事を望んだ。家の斜め向かいに隠居部屋を建てた。バストイレ完備の2DK。夫に先立たれ、還暦を過ぎた頃だった。以来、30年余を一人暮らしだった。大正琴、詩吟、宗教と気ままに楽しんだ。多くの友達が集まり、賑や
552ページある分厚い本。中々読む気が起きなかった。読み始めたら、止まらなくなって来た。そこには穴太積みが出て来たからだ。仕事柄、石積工事は土木につきもの。穴太積みを知ったのは10年前だった。仲間の新幹線会の旅で但馬の竹田城に行った。雲上の城が有名で
拝啓 今年に入り、二月が暖冬と言われたら、三月は急に冷え込みました。雪が命の我がスキー場群も、雪がなく、早々に店じまい。 同じく雪が金を産む、除雪作業も上がったり。 この地は雪が財布の紐を左右します。雪が早く消え、桜が早く咲くのかと花見に行けば、彼女
6月は衣変えの時期。最近は気候変動が激しくて暦が合わない。5月に真夏日が現れるトンチンカン。かと思えば梅雨入りを忘れている。梅雨って、いつ来るんだっけ?お互いにボケてりゃ世の中平和だ。 ソフトの試合が雨天の予報で中止になった。ところが予報が外れ雨