僕が「うつ」になりはじめてのが2008年4月頃、そして改善に向かったのが2008年10月、約7か月の苦しい日々に終止符を打った。「うつ」ってほんとうに苦しく、ひとごとではないもの。いつどんな時に訪れるかわからない、これが本当にこわい。一度「うつ」になれば、改善される
僕が、この記事で掲載することも残り少なくなってきた。その中で「うつ」後の改善された自分に関して少し掲載していく。海外での生活。不安とは裏腹に徐々に明るい兆しも見え始めた。本当なら、僕が「うつ」で素直に受け入れてくれないと感じていたため、不安が重なるのが当
僕が、この記事で掲載することも残り少なくなってきた。その中で「うつ」後の改善された自分に関して少し掲載していく。海外での生活。不安とは裏腹に徐々に明るい兆しも見え始めた。本当なら、僕が「うつ」で素直に受け入れてくれないと感じていたため、不安が重なるのが当
僕が、この記事で掲載することも残り少なくなってきた。その中で「うつ」後の改善された自分に関して少し掲載していく。海外での生活。不安とは裏腹に徐々に明るい兆しも見え始めた。本当なら、僕が「うつ」で素直に受け入れてくれないと感じていたため、不安が重なるのが当
2008年10月後半。早朝の出発ということもあり早く目が覚め、不安を抱いていた。一番は本当に受け入れられるか、そして、仕事についていけるのか、他の社員に迷惑をかけては、真っ先に帰されるだろう。コミュニケーションができなければ、村八分にされるだろう?そんな気持ち
「僕が海外勤務?」そう言われても・・・即決断、一週間後に出発。「そんな短時間でどうして決断ができようか?」そう思いながら、とぼとぼと家に帰る。「家内になんて言ったらいいのか」「言ったら複雑な顔をするだろうな。」なかなか言い出せないでいたが、明日には決断を
身内が亡くなり、絶望の淵に立たされた中、自分の運命が正直見失いかけていた・・・・・仕事はほとんどフヌケ状態で、いつクビを切られてもおかしくない状態。もう自分に声をかけてくれる人もいなくなった。ほんとそうなると自分の居場所もなく、アイデンティテーさえ見失っ
2008年8月。少し体調が良くなってきた気がする。気がするだけで、本当のところはわからない。以前より、「死」に関する気持ちは穏やかになったような気がする。毎日、毎日、いや一時、一時、死について考えてたことを考えると、少し精神は落ち着いたのかもしれない。それより
ほぼ、プロジェクトも完成させ、といっても僕が考えていたことと程遠いものであるが、会社をつぶさずに済んだということは今考えるとよかったのではないか。ほんと、業者とのやり取りの中、その担当者の声を聞くのがすごく精神的にきつく、何か暗示に掛けれたような気持ちに
とうとう7月に突入。プロジェクトの成果が問われるとき。果たして・・・・プロジェクトの話だが、6月末までにものを完成させ、次のステップで7月末までにその見極めをしなければならない。詳細を話せば、自分が誰なのかこのブログを見た人はわかるので細かなところは避けたい
6月20日を過ぎた。自分の命のタイムリミット。そう、6月を過ぎたころから考えていたが、まだしぶとく生きている。でも、身体はボロボロ、精神はボロボロ。まだ、ずーと眠れない日々が続くし、歩くこともままならない。まだ、神様が6月末のプロジェクトの期限まで頑張れって言
家族ってなんだろう?「うつ」を理解してくれる人っているのだろうか?ぼくが苦しんでいるときにだれか理解してくれた人がいたのだろうか?その時は、ほんと誰も理解なんてしてくれていないと思っていた。今となっても、まだわからないことが多々ある。ぼくは、自分の悩みと
仕事での辛さも、もう限界。家に帰っても居場所がない。「どうもこうもないよな」「うつ」になったらほんと死について考えるようになっていく。どれくらいのレベルで死について考えるのか?軽度な「うつ」からなのか、重度の「うつ」なのか?自分で自分の体を傷つけたりはし
「うつ」と薄々気づいた時から2か月が経過し6月の中頃になろうとしていた。このときの僕の「うつ度」といえば、90%。まだ、根性だけで生きることがなんとかできていた。そんな状態。人それぞれ「うつ度」は測れないものだが(かってに自分で「うつ度」とつけただけ)、こ
前回述べたような症状をどんな状態になっていったのか?6月に入り、かなり深刻な状態になってきた。仕事は相も変わらずなのだが、自分の「脳」がおかしくなっていることに気づく。ある時、上司からも「〇〇と〇〇はどうなの?意見聞かして・・」こんな話が多々あったのだが「
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