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おじいちゃんの戦争の記録 「大東亜戦争参戦記」 http://blog.livedoor.jp/apolo2525/

おじいちゃんの戦争の記憶 〜戦地での想いを綴った日記〜

昭和18年3月から、終戦の翌年昭和21年2月  おじいちゃんは、29歳から32歳の3年間のほとんどを、 太平洋戦争下の南の島で過ごした。 何度も何度も聞かされた戦争の話。 戦争映画やドラマのような、戦いの記録というよりも、 生きることの記録、思い出、ただ、それが戦地であること。

おきな
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住所
相模原市
出身
相模原市
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2009/08/27

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  • 第五編 その27 諸君

    終戦の勅旨を聞いてから半ヶ月が過ぎて、九月一日の朝。二度目の隊長宿舎集合が掛かった。小隊長以下、全員が整列。小隊長は珍しく軍装で、丸腰のまま出て来た。週番士官の号令でいつもの儀礼が澄むと、小隊長は、「さて諸君!」みんな驚愕した。「諸君とは・・・」「今まで良

  • 第五編 その26 通信勤務

    その後も相変わらず、通信勤務と、ヤットウ、現地物資採集、開墾作業とに分かれて、小隊勤務は続いた。六日目に廻って来る通信所も、戦前タロキナ地区ムグワイの出先無線班からの電報は、一日二通程で暇な勤務が続いた。空襲のない毎日は、習慣的な重大な日課の一つが欠け

  • 第五編 その25 昇任

    内務勤では、相変わらずの勤務が続き、幾日かが過ぎた。その間、日暮上等兵が動けなくなり、病院に送られたが次の日に死んだ。 そして、十九年八月二十日、突然、隊長宿舎に全員集合の命令が出た。何事かと思い、みな緊張して各班ごとに整列した。一応の敬礼儀式が済んで

  • 第五編 その24 待つ事

    帰ってみると、登坂上等兵が発熱していた。自分はまだ夕食まで大分時間があるので、空飯盒を持って蜥蜴取りに出掛けた。海岸に来てみると、砂場は焦げ付くような暑さだった。空襲のないこの海岸の風景は、とても戦場とは思えない。日向は暑いので、体だけ日陰にいるように

  • 第五編 その23 隊長の言葉

    隊長当番の鈴木が、「隊長殿昼食です。」といって、丸藷を三個と、飯盒に芋の葉を茹でたのをいっぱい入れて持ってきた。隊長は、差し休め、「よう、飯だ。お前も一緒に食え。」と言いなから、藷を当分に手で切り、自分も一個半取り、「さあ食え!」と押し出した。自分も丸

  • 第五編 その22 将棋

    横になっていた下番兵は、食事を知らせる声に一斉に炊事場めがけて駆けだした。自分も後から駆けていって、何時もと同じ朝食を済ませ、今日一日は休養のため、半日は寝ようと思い便所に向かった。便所と言っても、ジャングルの中に、巾六尺、長さ三間、深さ六尺ほどの穴を

  • 第五編 その21 蜥蜴取り

    鹿田に向かって「それこうして土を掘って見ろ。」と言いながら蜥蜴の歩いている砂混じりの土を、溝型に長さ三尺ほど、深さ六尺、幅も六尺程に溝を掘り、小枝の付いている木を切って、適当な団扇のような形にしてそれを振り上げて蜥蜴が来るのを待った。五寸ほどの蜥蜴がチ

  • 第五編 その20 身の上

    そんなことが続いていたある日、相変わらず大木の根元で計算尺を動かしている彼に、「おい鹿田、お前、馬鹿の真似をしているが、今まで黙っていたのは、お前にはその方がよいと思ったからで、俺の目は誤魔化せないぞ。貴様が正気であることは、とうに承知していた。どうだ

  • 第五編 その19 椰子の実

    いつものように物資を獲りに出掛けると、鹿田も後から付いてきた。一時間もジャングルを歩き回ったが、獲物にも出会わなかったので海岸に向かい、まだ空襲はないだろうと、二十米もある椰子の木に登った。ところが、途中で空襲に出会ってしまった。死に物狂いで一気に葉の

  • 第五編 その18 鹿田一等兵

    通信勤務が開けて、今日一日下番兵は休養できるので、兵隊は皆横になって眠りこけていた。自分も朝食まで一眠りしようと思い、横になったとき、マラリヤで発熱し休養中の水越上等兵が自分の傍に来て、「兵長殿、鹿田が死にました。」と、一言告げて来た。自分は別に驚きは

  • 第五編 その17 土産

    途中、黙々と歩いていたが、神戸上等兵が小声で歩調を合わせ「勝って来るぞと勇ましく!」と唄い出した。すると、みんな待ってましたとばかり、忽ち大合唱となり、中村が音頭を取り終わると、次は吉田が音頭をとり、次々と交代で軍歌の合唱が続いた。小隊が近づいたところ

  • 第五編 その16 交代

    朝飯は、小隊に返って食うことになっているので、夜の残りの藷を適当に分配させて「よいか、みんな聞いてくれ、藷泥は最初で最後だぞ、絶対にやってはいかんぞ。彼等が藷泥に気付いてどんな手を打つかわからん。それら残った藷は戦友にもやってはならん。ばれるからな。自

  • 第五編 その15 大蜥蜴

    三時三十分を過ぎたときだった。夜明方電報が一通連隊本部増田閣下宛に来た。中村が、電報を持って掛け出していった。「自分は、口の回りがまだ真っ黒な中村に、「中村、口の回りが真っ黒だぞ。拭いて於け。」と後を追いかけるように注意しながら、小便に壕外に出た。 壕

  • 第五編 その14 藷

    自分は物も言わず片手に二株づつ提げて、ジャングルを肩で押し分けるようにしながら、大木の所まで来て腰を下ろした。見ると彼等は同じようにぼろぼろな略帽に、藷を差し込むようにして五、六個入れて抱きかかえていた。自分は、目の前の藷をちぎり取り、三つに叩き割り、

  • 第五編 その13 藷泥

    別れている小路を左に折れていくと、目的の畑まで僅かの筈だった。自分は、「おい。畑はもうすぐだよ。周囲に注意して進め。」と言いながら、暗いジャングルを這うように進んだ。夜目にもジャングルの向こうが開けてきた。「おい、来たぞ。静かに続け。」と囁く様に命じて、

  • 第五編 その12 腹いせ

    何故、自分が藷泥を思い立ったか。先ず、十九年八月南海方面の制室制海はまったく敵の手に陥ち、敵軍の飛躍に委かせるままとなり、ソロモン群島は孤立した浮島と化した。食糧、弾薬等の補給は途絶えてしまった。生きるためには食わねばならない。その食糧が途絶えたのだ。

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