プロフィールPROFILE

いろは丸さんのプロフィール

住所
栗原市
出身
宮城県

日本史好きの気象予報士です、天気予報の技術革新について行けず、各種の日記から幕末の天気を調べています。よろしく

ブログタイトル
幕末気象台
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/11111fumitomo
ブログ紹介文
おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。
更新頻度(1年)

8回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2009/07/13

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ハンドル名
いろは丸さん
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幕末気象台

いろは丸さんの新着記事

1件〜30件

  • 仙台カラスに 棚倉ササハ ナケリャ官軍 ネテクラス

    怠惰にしていましたところ、また広告が出てしまいました。今は、東大資料編纂所で公開しています「石母田頼至日記」からデ-タを取っております。慶応四年の仙台藩重臣も日記ですので、色々面白いことが書いてあります。その一つに、題の俗謡が書かれていました。通常には「細谷からすと十六ささげなけりゃ官軍高枕」と流布しています。細谷からすとは、言うまでもなく細谷十太夫の「からす組」で、ならず者の集団でゲリラを行い官軍を苦しめたとされています。十六ささげは、棚倉藩の十六人の勇士だとか、遊女が袖につけた鳴り物だとか言うのを聞いたことがあります。この俗謡で「十六ささげ」の意味ははっきり分かっていないようです。では「石母田頼至日記」のなかの「棚倉ササハ」とは何でしょうか。おそらく同じものを意味するのかも知れません。棚倉藩の笹葉隊や笹の旗...仙台カラスに棚倉ササハナケリャ官軍ネテクラス

  • 今日の台風15号安政三年八月二十五日の台風の進路と似ています。 江戸では高潮がありました。

    今日の台風15号の進路は、安政三年8月25~26日(西暦9月23~24日)に江戸付近を直撃した台風に進路が酷似しています。安政三年の台風の江戸での被害記録を見ますと、以下のようになります。朝より少々雨、、夜ニ入いよいよ雨強き処、戌刻過ヨリ大嵐と相成、地震後、、薄き土蔵建屋潰レ、築地御堂つふれあり処ともしれず、誠ニ高汐凡九尺余、、近在之奉、前代相起り不申、、【高木藤右衛門日記)【江戸】雨、、暮束風、雲早シ夜四ツ時前より東南風甚敷、雨も添候て四ツ時過ニは固屋震候て居難き様ニ有之、下之曽木屋根不残吹、へき瓦も吹散、前之雪隠大抵滅れ、其外御住居長屋通用門より不残濡れ、御式台大破シ大ニかたふき、其外少々之痛処不知数、世上殊之外甚しく海辺ハ津波打候て葛飾御屋敷不残白浜と成、鶴歩も御蔵米二俵三俵位湿候由、麻布は都合御上屋敷同...今日の台風15号安政三年八月二十五日の台風の進路と似ています。江戸では高潮がありました。

  • 昔の救急車は馬

    暑さも一服しましたので、ここ二三日、新潟県胎内市地本の医師井上薫廸の安政三年の日記を読んでいます。井上ドクタ-もそうですが、江戸時代の医師はほとんど訪問医療です。いつから今のように、患者さんが病院に行くようなったのでしょうか。医療機械の発達とも関係がありそうです。調べれば面白そうな課題ですが、今はわかりません。近頃は近所にも訪問医療の病院(事務所?)が出来ました。患者さんに負担がからないので、江戸時代方式も良いところあり見直されて来たのでしょうか。ところで、幕末ころは馬子なしで、馬に乗って往来を歩く人は少なかったと思われますが、救急患者に呼ばれたときは、医師は馬で駆け付けたようです。この「井上医師日記」にも、名割様から呼ばれて馬で往診したことが書いてあります。また、私の町内に若見先生と言う名医がいました。大正の...昔の救急車は馬

  • 古文書ライブラリ―への道具

    先日、隣村のパソコン相談所の後藤氏と飲みました。酒も魚も結構でしたが、話の中でスキャン機械と言うものを教えていただきました。二日酔いの翌日、機械と画像情報を整理するソフトを買ってやってみました。まず、スキャン機械で古文書を撮影してみました。一枚三秒というスピ-ドです。整理するソフトでフアイルを作成して、画像を入れてゆきます。小さい日記を撮影しても、解像度が抜群によいので、拡大してもぼやけません。老眼の私には、原文書より格段に読みやすくなりました。紙数にして30枚程の小さな日記でしたが、10分かからず、パソコンに収納できました。ずいぶんと、日記がありますので、夢だった「古文書ライブラリ-」が出来そうなきがしてきました。整理ソフトも使いやすく、場所分けや年代分けも簡単にできそうです。この頃は朝飯前に2冊くらいづつ撮...古文書ライブラリ―への道具

  • ようやく 「角田桜岳日記」 入力が終わりましたが、、

    先日、与左衛門様から、御教え頂きました「角田桜岳日記」の天気情報量が多くデ-タ入力がようやく終わりましたが、そのうちに集めている未入力日記も増えて、只今、入力中です。商工会や色々と総会も多く、いつもですと5月中に終るのですが、10連休の影響で、今もって総会が続いています。ブログ書き込みが出来ません。青い空を見ながら「あ~あ~、暇だ」と、ぼそっと呟きたい此の頃です。ようやく「角田桜岳日記」入力が終わりましたが、、

  • 長谷川貞信「浪花百景之内 松が鼻」の雪景が描かれた日

    八軒家絵巻様よりリクエスト頂きました。ご依頼内容は、「長谷川貞信が描いた「浪花百景之内松が鼻」の雪渓をとりあげております。作画時期は明治2年または3年(前後1年ぐらいの誤差はあるかも)とされておりますが、大阪管区気象台には明治15年以後の記録しか残っておらず、日付を特定しかねております。」とありました。大坂で降った雪を調べてみました。残念ながら私のデ-タベ-スに大坂の記録が少なく、天候記録もすくないため、京都の雪も含めて探しました。明治元年9月1日から明治4年12月30日までで、京大坂で雪の記録があったのは、67日でした。けっこう雪の回数は多いのですが、大坂での積雪は少ないようです。例えば明治元年12月16日の京都の日記では積雪三寸との記事もありますが、池田では曇晴、大坂では晴で、雪すらも降っていないようです。...長谷川貞信「浪花百景之内松が鼻」の雪景が描かれた日

  • 富士宮市の袖日記

    富士宮市に「袖日記」と言う日記があります。面白い記事が沢山載っています。少しご紹介します。皆さんも読んで見てください。蒸気船の海城王、下に申付、しきりに日本のコメを借りたき由を申付る時ニ、水主壱人帆柱の上ニあがり、遠目鏡を以て遥ニ安房、相模、上総の方を見渡し、王の前ニ出て申けるハ、日本ニハ米ハ御座りませぬと申。王申ニ米が有か無か、遠目鏡くらひで見究らるべきや、何故ニ左様申スと咎めける時、水主の申ニハどうあっても日本ニ米ハ無ニ違なく候、其訳ハ総房之台場其外諸大名の陣中も残らずみなアワを喰ふておりまする異船より書翰候処、其内ニ不二山と鷹と茄子と書てあり、江戸中ニ評定届ず京都へ向ひ伺ひ候処、是ハ倹約と唱へて民を苦しむる事を異国よりさみしたるなりと禁庭仰候て御歌被下それニ鷹あまり倹約茄子故ニ三国一のふじのさいなんおあと...富士宮市の袖日記

  • オ-ルコック 老中公式訪問日の江戸の天気 安政六年六月七日(1859年7月6日)

    オ-ルコック老中公式訪問日は、安政六年六月七日(西暦1859年7月6日)とのことで、天気は如何だったのでしょう。現在の平年値では、東京の梅雨入りは6月8日ごろで、梅雨明けは7月21日ごろです。おそらく、安政六年六月七日の江戸の天気は梅雨前線が関与していたと考えられます。天気分布図がうまく行かず、申し訳ありませんが、安政六年六月五日には九州四国近畿北陸を中心に雨域が分布していて、翌六月六日には、東海、関東、東北、北海道に雨域が広がり、九州、四国、近畿は晴又は曇りとなっております。雨域は低気圧と連動していると思われますので、五日から六日にかけて(梅雨前線上を)低気圧が東進したと考えられます。通常の季節ですと、低気圧一過の後は晴れ上がりそうなものですが、居座った梅雨前線の影響で全国的に天気は不安定だった模様です。梅雨...オ-ルコック老中公式訪問日の江戸の天気安政六年六月七日(1859年7月6日)

  • 牛久駅の宿屋の番頭と高杉晋作

    高杉晋作の日記「試撃行」によりますと、晋作が修行の旅で、茨木県の牛久駅の宿に泊ったのは、万延元年八月二十九日、西暦では1860年10月13日のことであります。試撃行にその夜の事が書かれています。此夜雨頻降、同宿旅人皆狼狽認雨具家奴云秋時雨至夜必催明朝放晴九月朔日、果如家奴言天晴日出同宿旅人驚訴喜予亦応其喜訳してみますと、二十九日の夜、雨が頻りに降ったので、同宿の旅人たちは、あわてて雨具を用意した、その時宿屋の番頭が、秋の夜に時雨が降れば、明日の朝は必ず晴れ渡ると言った。果たして翌九月一日の朝は番頭の言うように空は晴れ日が出た。同宿の旅人は番頭さんの言った通りになったので、驚いて言った。番頭さんの言う通りに晴れた、良かった、良かった私もまた、良かった良かったと言いました。と言う感じでしょうか。さて、家奴の秋時雨至...牛久駅の宿屋の番頭と高杉晋作

  • 月窓庵海松の【俳諧日記】

    ご無沙汰しております。古文書からの気象情報の収集が一息つきました。今回はとくに、写真の月窓庵海松の【俳諧日記】に時間がかかりました。少し紹介いたしましょう。日記の作者海松は本名佐々木龍海と言い、三重県川越町豊田の長息坊から80歳近くになって京都元誓寺通りの興徳寺の住職になった僧侶です。日記には、簡単な自分の履歴が書かれています。于時文政□年發月十五日勢州朝明郡豊田村長息坊道場也、住居是ハ同国三重郡山之一色村道場住、安藤茂規仲人ニ而此地ニ住居、五拾二歳之朋也、尓ル所明治九年子八月御法主殿より西京元誓寺通り寺今町興徳寺無住ニ付轉住被仰付、御受申上候、九月八日豊田邑長息坊退寺、、十三日午後二時興徳寺え着とあります。一冊めは、嘉永六年、安政元年、二年、二冊めは安政三年、四年三冊は安政五年、六年四冊欠五冊は文久二年、六冊...月窓庵海松の【俳諧日記】

  • ご無沙汰しております

    ご無沙汰しております。手元に、未読文書が多数集まり、気象情報を入力中です。どの文書も気象情報満載でこんな感じです。古文書たちが「もたもたするな!」と言っておりますが、入力には大分時間がかかりそうです。当分古文書と楽しみますので、ブログの書き込みは少しサボらせて頂きます。2ケ月書き込まないので、広告が出てしまいましたので、書き足して出ないようにしました。お盆ちかくになり、ようやく六割ぐらいおわりました。ご無沙汰しております

  • 天保十一年の雪(続三方領地替え)

    三方領地替が言い渡された庄内藩は豪雪地帯であります。次第に、庄内藩御百姓による三方領地替えへの反対闘争は、庄内藩農民幕府の様相を呈してきます。幕府のある江戸に行くには、船を利用しなければ、山越えは必須です。実際、幕府への越訴や有力諸藩の嘆願には、山越えの路を利用しています。奥羽山脈や鳥海山、月山、吾妻山の積雪が気になるところです。そこで、今回は天保十一年の積雪を調べてみたいと思います。手元の史料で、天保十一年の雪の記事があるのは、天保十一年六月十九日(1840年7月17日)の南アルプス市の日記です。「上天気、八ツ時より夕立、始メ此辺ハ雨少しふり、川東甲府在ハひうかふり、鏡中条辺ハ大夕立有之候、富士山ハ候(降?)雪か八合目頃迄雪ふり」とありまして、富士山には新暦の7月17日八合目まで冠雪があったようです。初冠雪か...天保十一年の雪(続三方領地替え)

  • 天保十一年十一月一日(西暦1840年11月24日)、江戸城黒書院の天気

    天保十一年十一月一日、酒井忠発が、江戸城黒書院で、三方領地替を言い渡されました。忠発と庄内藩にとりましては、まさに「青天の霹靂」でありました。ところで、当日の江戸の天気はどうだったでしょうか。江戸九段下の【井関隆子日記】によりますと、「時雨の雲も昨日に尽ぬるにか、日影花やかに晴わたりぬ」となりまして、前日までのぐずついた天気がようやく晴渡ったようです。全国の天気分布図を見ますと、となっており、日本海側の一部を除き日本列島は概ね晴になっております。忠発の言い渡された時間は正午前後と考えられますので、午正晴、55度、29寸7分【霊憲候簿】言い渡された時の江戸城黒書院での天気は晴、気温は摂氏12,8度前後で、暮れも程近い、新暦11月24日としては穏やかな天気でしたが、天気とは裏腹に「神田大黒」の庄内藩江戸屋敷は暗雲の...天保十一年十一月一日(西暦1840年11月24日)、江戸城黒書院の天気

  • 三方領地替

    天保十一年の三方領地替の時の天気状況を、リクエスト頂きました。早速、藤沢周平のドキュメンタリ-ぽい小説「義民が駆ける」を読んでみました。三方領地替えとは、三か所の大名が領地を替えることで、この時は、川越の松平大和守→庄内の酒井左衛門尉→長岡の牧野備前守→川越の松平大和守と国替えを行うと言う幕府の命令でした。当然、損得があり、この領地替えでは、庄内の酒井左衛門尉が損をします。そこで、移封反対運動をしたり、添地を願い出たり手を尽くしました。結局、幕府は三方領地替を撤回しますが、決め手となったのは、百姓による移封反対運動でした。民衆が台命を撤回させる事は驚くべきことであり、封建制度の終末を示唆する事件であったと思われます。日付と事件を列記しますと、天保十一年十一月一日、酒井忠発、江戸城黒書院で三方、三方領地替を言い渡...三方領地替

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