プロフィールPROFILE

内藤 昶(あき)さんのプロフィール

住所
山口市
出身
東京都

萩藩士と徳川直参両方の血を引いて、どっちも好きな自分です。結構いい年ww 研究ブログではなくて、まったり雑記。 幕府・箱館海軍の松岡磐吉に惚れて、日本で3番目くらいに(笑)調べてます。しかし住んでるのは長州。来られる方、わかることならお答えしますので、お気軽にご質問ください。

ブログタイトル
長州に棲む日日
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/akiller_2006
ブログ紹介文
幕府・箱館海軍松岡磐吉に惚れてる、萩藩士と直参の子孫。長州在で長州ネタも。長州弁の翻訳します(笑)
更新頻度(1年)

7回 / 365日(平均0.1回/週)

ブログ村参加:2009/07/06

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ハンドル名
内藤 昶(あき)さん
ブログタイトル
長州に棲む日日
更新頻度
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長州に棲む日日

内藤 昶(あき)さんの新着記事

1件〜30件

  • 松岡磐吉の御命日でした

    7月5日は松岡磐吉の御命日でした。ツイッターで「死去ネット」へのお参りをお願いするずぶやきをしたら、こんなにいっぱいお花が供えられましたー!嬉しい!!ありがとうございます。って私が言うなだけど。最近思うんだけど…。以前は「幕府方びいき」と言うと、だいたい新選組ファンだったんですが、最近は伝習隊!衝鋒隊!額兵隊!とかのファンもたくさんおられて、交流できて嬉しいです。(別に最近増えたわけじゃなく、私が知らんかっただけかもしれませんがw)いやー、旧幕方で盛り上がれるの楽しいーーー!!で、松岡、来年は150回忌なんですよねえ(-人-)南無妙法蓮華経松岡磐吉の御命日でした

  • 厚狭 物見山招魂場

    招魂場めぐりの記事を溜めまくったため、もはや記憶が薄れてるところもあるという…えー、厚狭(あさ)にあるm厚狭神社こと物見山招魂場です。もとはこの横の山(物見山)のてっぺんにあったのを、少し下がったここへ移したもの(またこのパターンw)といっても、それでも高台でしかも開けているので、明るく気持ちのいいところでした。創建は慶応2年、毛利能登(藩家老)により、四境戦争の戦死者を祀るために作られたとのこと。こういう日当たりの良い招魂場は珍しいな―。他には桜山(下関)と朝日山(山口)くらいでは?ここはどういうわけか墓碑軍の全体も撮っておらず、印象に残ってないところです。申し訳ない。厚狭物見山招魂場

  • 友達のご先祖さんも祀られてる万倉(垰)招魂場

    慶応2年、国司家の練兵場に作られたのが、この万倉(まくら)護国神社の前身である、垰(たお)招魂場。垰とは山口弁で峠のこと。垰招魂場は今の場所よりだいぶ山の中にあったそうで、その旧社地の方には行ったことがありません。現在は、その後の戦争での戦死者もあわせて祀られたこの護国神社に、垰にあった招魂墓碑も移動されています。国司信濃の像もしっかり。幕末維新動乱での戦死者は33柱です。実は友達のご先祖さんもいらっしゃるのだー!招魂社を研究されている神職、津田勉氏の冊子によると、この神社では祭りの際に「黄泉の武士(よみのますらお)」という詩を全員で朗唱して奉納するのだそうです。あな勇ましの益良雄(ますらお)や君がみ為に身を捨てて戦に立つる旗のごと御霊(みたま)ぞ世々に仰がるるあな勇ましの益良雄や友達のご先祖さんも祀られてる万倉(垰)招魂場

  • 船木招魂場 社殿があったり消えたり建ったりw

    宇部市船木にある「船木護国神社」、旧名「鳶巣招魂場」または「厚狭船木招魂社」。慶応3年にこの近く(と思う)の鳶巣山の頂上に作られました。さすがに参拝しづらくて、現在地(国道2号線脇の平地)に移鎮されたのが、皇紀2600年ってことで昭和16年とのこと。私が最初に行った時(2013年)はわりあい大きい拝殿が建っていました。古くなって傷んでたけど。ところが、2度めに行った2017年2月にはその社殿がきれいに更地になっててびっくり。ちょうど招魂墓石の通路をきれいにならすような工事をしてる人がいたので「お宮、なくなったんですか」って言ったら「はあ守る人らが高齢じゃからね。傷んじょったから、倒れたら危ないからって、のけてしもうたんよ。会(遺族会?)も、今やりよるこの工事が最後で解散するらしい」という返事。ああ、またここでも...船木招魂場社殿があったり消えたり建ったりw

  • 周防大島 八田山招魂場

    長州にある官祭招魂場コンプを目指してお詣りしてます・・・の件。なんかここ、めっちゃ昔に行ったのに書いてないわ。周防大島にある大島神社こと八田山(やあたやま)招魂場。慶応元年創設。四境戦争。戊辰戦争の殉難者20名と、その後の戦死者約3000名が祀られています。同じ日に行った世良修蔵の墓のインパクトが強くて、こっちの記憶があまりないっていう…スイマセン。周防大島八田山招魂場

  • 町田梅之進自刃の地

    町田梅之進自刃地です。(行ったん2015年10月なんですけど…書いてないことに今気づいた!)山の中の萩往還沿いにひっそりと小さな石がうずくまっていました。町田は、長州藩が俗論・正義派に分かれていた頃、それを調停する「鎮静会議員」として活躍した人。萩のサイトによれば「後に馬関攘夷では、藩の先鋒隊して藩主の護衛にあたり、幕府の長州征伐では、千城隊に属して広島方面に出陣した。そして、戊辰の役では、千城隊書記兼駆引役として越後の柏崎まで進撃し、胸部に戦傷を受けた。明治二年(1869)、藩命により、東京に留学してフランス兵学を学んで、同四年帰萩した」ということです。明治9年(1876年)10月、熊本の神風連、筑前の秋月の乱に連動し、前原一誠の萩の乱に加担、禁固10年を申し渡されたが、その後も新政府への不満分子と連絡を取り...町田梅之進自刃の地

  • 「流星忌」が催行されました(あたし抜きでかよ←笑)

    11月17日、東京にて、箱館戦争関係者慰霊祭「流星忌」が催行されました。場所は、松岡磐吉・柴誠一・和田春造の松岡兄弟が眠るお寺。私は松岡・柴の墓所は5年近く前に両ご子孫に教えていただいたので知っていたのですが、私が公表すべき立場ではないと思ったので、一切誰にも教えたことはありませんでした。しかし、けっこうあっさり見つけちゃったのがフェイスブックで知り合ったオジサンたち(笑)。今回の慰霊祭の発起人はその中のひとり、古写真研究家の森重和雄さんですが、古写真の謎を解明するために墓所を尋ねご子孫を探して話を聞くことを常とされているので、もーお墓探しの嗅覚ハンパないですwで、オジサンたちがお寺に通ううちに、ご住職とこのような話になったようで、維新150年でもあり、催行が決まったみたいです。「内藤さんがいなかったらそもそも...「流星忌」が催行されました(あたし抜きでかよ←笑)

  • 海軍有終会での松岡記事みっけ!

    いやー、いつ以来だ(生きてます)。新暦命日(8/20)を前に、久々に推し(松岡磐吉)の新しい記述に巡り合った!海軍有終会の「有終」から。「有終」は気になりつつ未チェックだったので大収穫!松岡がこう言った、こうした、と直接見聞した人(蟠龍乗組・横井貫一郎時庸)が書いてるから嬉しい!!たとえば・・・宮古湾海戦の帰り、回天と出会った時、回天(甲賀が戦死しているため艦長代理は荒井郁之助)に「蟠龍は速力がないから曳航する」と申し出されたにもかかわらず「曳航したがために2隻とも敵の手に落ちることがあっては、我が艦隊は全滅してしまう。もし敵に迫られたら我々は快く一戦する。貴艦は速やかに箱館に戻って善後策を講じられよ」と固辞した。その艦長の勇猛さに奮激しない者はいなかった。…なんて話が載ってて私のヨダレを誘う(おい)。また、箱...海軍有終会での松岡記事みっけ!

  • 燃える大河ドラマ、あかん大河ドラマ

    「真田丸」に夢中。もうほんとに隅から隅まで面白い!13日の放送も神回だった。いやもう全部神回かもしれんが←中でも本当に素晴らしかったのが、「向こう(敵方)にもここに至るまでの物語があるのだろうな」「聞いてみたいものです」というセリフ。これよ!このスタンスだから、真田丸は面白いんだよ!!これまで多くの大河ドラマが「主人公側は正義で、その敵方は悪」みたいな描き方をしてきた。でも勿論、事実は違う。でも視聴者の多くは、それにすごく影響されて、信じ込んでしまう。でも真田丸は違う。「敵にも物語があるがある」という歴史へのリスペクトがあるから、創作されててもなんでも納得して見れてしまう。そして、登場人物もちっとも「いい人」ばかりじゃないのに、憎めない。どころか魅力的。気味悪かった北条氏政も、狂気を感じて心底恐ろしかった秀吉も...燃える大河ドラマ、あかん大河ドラマ

  • 都合に合わせて史実を変えちゃいけない

    今晩のブラタモリでチラッと言ってた、「学者としては、新たに判明した史実を公にしたかったが、それでは都合の悪い、ある人達が発表させなかった」という57年前(昭和34年)の話。すごーくよくわかる。何しろ、今でも同じようなことはたくさんあるから!57年前、発掘調査で「今の大坂城の土地は、豊臣大坂城を完全に無くして、その上に徳川が盛大に盛り土をしたものだ」とはっきり解明されたのだけど、「大阪人は豊臣びいきで、ここは太閤の城跡だと信じてるから、そんなことは発表してはいけない」と「ある人たち」に言われたんだそうです。ある人たちが誰だか知らないけど、歴史を自分の好みに合うように曲げちゃいけない!でも57年たった今でも似たようなことは山ほどあるのだ。あったことがなかったかのように、あったかどうかわからんことが事実であるかのよう...都合に合わせて史実を変えちゃいけない

  • ご先祖が真田の親戚だった件(会田さん連絡乞う)

    ご先祖さまに興味があって、ちょっと前までのご先祖様は除籍謄本などを取って調べてました。でも、「壬申戸籍の壁」(壬申戸籍-じんせんこせき-とは、身分が記載されているため閲覧禁止になっている明治5年の戸籍)で、さかのぼりが途切れていました。そこに出てきた、父の姉からの古い手紙。父は末っ子で、家のことを何も聞かずに育ってるんだけど、年の離れたお姉さんが「あんたも知ってなさい」って感じで書いてくれてたみたいです(なのに父は私に言わなかった。興味なかったんだろうなw)。その中で面白いのは、父の祖母(私の曾祖母)の家系です。「徳川の旗本の娘」ということで、ずいぶん威張ってたという話は昔から聞いてたけど、結構トンデモでしたw祖は清和天皇から出た信州小県(ちいさがた)の海野(うんの)家。海野小太郎という歴史上の人物(12世紀こ...ご先祖が真田の親戚だった件(会田さん連絡乞う)

  • 「花燃ゆ」はなぜ燃えなかったのか考えてみた

    昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」にはほんとに期待していました。37年?38年?ぶりの幕末長州ということで(そう、あの「花神」は超名作です)。でも、毎週楽しみにして見ていたのは松陰が生きてた間くらいで、だんだんお義理で見るくらいになって、禁門から後は本当にどうでもよくなってしまいました。なんといったらいいのか、脚本に不快なことが多かったんです。主人公があれにもこれにも首を突っ込む。当時の女性としてありえない。感覚も現代女性過ぎて違和感。あげくに人の功績を、代表的な登場人物の功績にすり替えてしまう脚本。しかも肝心の歴史のできごとはさらっと過ぎてしまって、見応えがなかった。脚本が悪いです。役者さんたちが気の毒でした。やっぱり「女性」にこだわって主役に据えたことに無理があったと思います。「無名の人だから自由に描ける」とか言っ...「花燃ゆ」はなぜ燃えなかったのか考えてみた

  • 五代ともちゃんは同級生である

    私しかうひょうひょしないネタ。「あさが来た」でお馴染みの五代才助(友厚・薩摩藩)、日赤作った佐野常民(佐賀藩)、アタシの(←ヤメロ)松岡磐吉(幕臣)は、みんな長崎海軍伝習所同期生(二期)である。まあ箱館戦争で松岡が沈めちゃった朝陽艦長、中牟田倉之助(佐賀藩)もそう。ちょっと面白いのは、当時は幕臣と諸藩士の間には大きな身分差があったのに、伝習所では仲良しとまではいかなくても、普通に知り合ってる。中牟田が「幕臣の榎本とか井沢とかみんな知ってたし、松岡はわしの船沈めた本人だしw、薩摩の五代も知ってた」とか言ってます。ついでに「あと甲賀(源吾)はいたかどうか記憶にないわー」とか語ってるけど甲賀は長崎の伝習所にはいません。最先端を学ぶエリート校でもあった伝習所。身分門閥じゃなく、実力がなければ船は安全には動かせない。門閥...五代ともちゃんは同級生である

  • 幕府艦船「奇捷丸」の原名は何?

    年末から、ふとした拍子に幕府艦船「奇捷丸(きしょうまる)」の原名を調べていました。伝わってるのは「タパンニョー(ta-pang-nyo)」。当時英国から買った船には、中国絡みの名前がついているのがけっこうあった。太江(ターキャン。日本では大江丸)とか仁記(ジンキー。日本では順動丸)みたいに。でも彼女たちには漢字表記が併記されているのに、奇捷丸だけはそれを見た記憶がないんです。そこでFacebookで、友達限定記事で「「こうかも」って思うのがあったら教えてください」と書いたところ、いろいろ出てきて面白かった。中でも、台湾や香港の人に聞いてみてくれたその返事が、なかなか興味深い。・「TaPangNyo」は「亜羅号(あらごう)」の名で1862年にイギリスの旗を掲揚した中国船、麻薬の売買にも使われた。ただし本当に「奇捷...幕府艦船「奇捷丸」の原名は何?

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