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  • 12/29 焼き芋

    あさ起きて風がなかった。焚火日和、さあ焼き芋だというと孫たちも乗ってきた。芋を入れる床を作るために枯れ枝、枯れ草を大量に燃やす。炎が大きく立ち上っている内は枯れ枝を火に放り込んで喜んでいたが、燃えが治まりかけ芋を入れるころにはもう興味が薄れ始めていた。八ヶ岳の麓でも焚火はするのでもう珍しくなくなっているのかもしれない。それでも芋が焼けるころには戻ってきて焼けた芋を頬張りおいしいと言ってくれた。だんだんこちらの期待とはズレてくるのが成長というものなのかな。12/29焼き芋

  • 12/27 孫の迎えで東京へ

    葛西臨海公園で午前中の時間をつぶした。家を朝5時過ぎに出発して東京へ向かった。孫たちが正月を我が家で過ごすためだ。朝早いのは家で一緒に暮らす娘がこの年の暮れを軽井沢で友人たちと過ごすという。それで、東京発9時過ぎに乗るためだ。やはり都内に入って混んでいた。4時間近くかかった。モンタロウたちは午前中保育園で昼過ぎに帰ってくるという。それまで娘のアパートにいるのも辛いので何か時間つぶしをと考えた。美術館は興味を惹かれるのがなかった。葛西臨海公園は妻にとってまだ未踏の地だったので提案した。埋め残した干潟を囲んで散策路がある。各地に観察小屋が設えられている。しかし、今日はその積りではなかったため、双眼鏡も望遠カメラも持ってきていない。鳴き声を聞いて、あれはヒヨドリ、アオジ、メジロだろうなどと推測するだけだ。カモ類...12/27孫の迎えで東京へ

  • 12/26『アナベル・リイ』読了

    小池真理子は多作で、図書館の彼女の書架にはたくさんの本が並んでいる。先日の『ソナチネ』は何気なく手に取ったら短編集だったので借りた。もう一冊と思って眺めているとこの本が目に付いた。「アナベル」という言葉で、大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』とアジサイの「アナベル」が思い浮かんだ。大江のアナベルは2000年台に入ってからの出版だ。その頃から大江の小説は読まなくなっている。ただ出版情報には目を付けていて大体どんな本が出たかは把握していた。アジサイのアナベルは八ヶ岳のふもとで道路脇に長く植えられている。苗も売られているが比較的高い値段がついている。何回か我が家の庭に植えたがうまくゆかなかった。数年前から活着を見るようになり今は5本ほどが花を咲かすようになった。そんな訳でこの本を借りることに...12/26『アナベル・リイ』読了

  • 12/25 滑り台修理

    滑降部に大きな穴をあけてしまったので修理した。最初小さな綻びができたら、わざとそこへ足の指を突っ込んで、穴を大きくしてしまった。この滑り台は4・5年前に段ボールで作った室内用だが、私の作った孫用のおもちゃの中で一番たくさん遊んでくれたものの一つだろう。この横に彼らの布団を敷くので、今では滑り台というより、布団への飛び込み台になっている。今朝モンタロウからTV電話があった。サンタクロースがちゃんとほしかったレゴを持ってきてくれたと大喜びだった。欲しい物の名前と絵を描いて、東京のアパートの窓に貼っておいたらしいが、クリスマスは原村だから原村に貼らなくてはと移したらしい。また、夜はちゃんと寝ていないとサンタさんが寄ってくれないからとアサトにその夜は騒がずに早く寝ないとだめだと、真剣に何度も諭していたらしい。なお...12/25滑り台修理

  • 12/24 『ソナチネ』読了

    小池真理子の上の本を読んだ。中年を超えかかった女や男の短編集だ。著者の実年齢に近いストーリーになっているものが多い。テーマの選び方、語り口どれをとっても手練れと思わせる書き手だ。とても藤田のかなう相手ではない。もう藤田のものは読まないかもしれないが、小池は他の作品が読みたくなる。幸いかなり多作なので当分は楽しめそうだ。今日は午前中暫らく振りに庭仕事をした。落ち葉やチップを積んでたい肥にしたものを肥料や土の袋の空いたものに詰めた。20袋ほど詰めたが、袋が足りなくなりコンテナ4つに詰めた。これで一か所の置き場が空いたので、今年の落ち葉をまた積むことができる。しかし納めきれないだろうから、もう一か所開けねばならないだろう。午前の疲れから、午後は転寝をした。また食後も1時間ばかり転寝をした。それで深夜眠られず、読...12/24『ソナチネ』読了

  • 12/23 『射精道』読了

    図書館の新刊コーナーで見つけた。表題を見て、なんだこれは?と思い手に取った。先ず著者を見たら私が世話になっている浜松聖隷病院の泌尿器科のお医者さんだった。総合性治療科部長という肩書がついている。新渡戸稲造の『武士道』の考え方をベースにして『射精道』としたと「はじめに」で記している。武士道は、武士がその職業、および日常生活において守る道を示している。同じように陰茎を持って生まれた男子が射精を伴う性生活を送る上で守るべき道を意味する『射精道』を身に着ける必要がある、との考えから本書を執筆したとある。まともな性教育を受けることもなく大人になった世代としては、70年経って本書の教示する内容について些かの知識を身に着けることはできたが、できれば中学、高校生の頃に読んでこの知識を身につけたかった。今後、中学高校の性教...12/23『射精道』読了

  • 12/22 藤田宜永『還暦探偵』読了

    藤田の二冊目、若いころ遊んだ男や女の短編集。男たちは還暦近くなって、若干の焦りと空虚さでまたぞろ遊び心が出たり、昔の関係が立ち現れたりで揺れる。もう単なる暇つぶしの読み物だ。まさに昨日帰ってきて、何もする気のないとき軽く読める。老神温泉旅の記念写真が送られてきた。妻がこれを見て「みんなお爺ちゃんだね」と一言。12/22藤田宜永『還暦探偵』読了

  • 12/21 砧公園・世田谷美術館 祈り・藤原新也

    藤原新也は私より4歳上だ。1972年に「インド放浪」が出た時から彼の著作は読んできた。ただ、青年期を過ぎたころから、彼のあまり生産的でない、諦観的な思考表明に付いていけなくなった。それでも気には掛けていて、彼の動きについては情報を入手していた。しかし、この展覧会は引っ掛からなかった。今朝、娘の家で、そのまま帰るのもな、と思って美術館情報を探していて見つけた。場所が砧公園であることも寄ってみる気にさせた。東名で東京入りするとき、東京料金所を過ぎたあたりで、この公園の緑沿いに走る。娘が練馬に居た学生時代も、環八を通るたびに気にした。この機会に覗くことができる。「死ぬな、生きろ」は下に説明がある。世田谷当たりの道路には銀杏並木それが。それがまだ多く葉を残している。公園は存外広く、運動公園が隣接してある。皇紀二千...12/21砧公園・世田谷美術館祈り・藤原新也

  • 12/19.20 忘年会(老神温泉)

    中学生の時、前橋の叔母の家に遊びに来て、年上の従妹に連れられて登って以来の赤城山。その時の記憶はもう全くなかった。この神社も昭和45年にこの地に遷宮されたとあったので、依然見たものとは違う。宿へ行く前に、その奥にある吹割の滝を見物する。先日テレビで見た黄河の壺口の滝のミニチュア版だ。夜は老神温泉に泊まる。なぜここをと問うたら、老神という名前が引っ掛かったと答えた。旅行サイトで断られた割引が、宿直接では適用された。クーポン込みで7千円お得。夕食後部屋で飲み始めたが、はじめに摘まんだ零余子(むかご)にあったのか、ぜんそくの発作が始まった。そう云う訳で、そろりそろりとスタートした。いつの間にか焼酎、ブランデーと手を出していた。翌日は積雪の金精峠を超えて、日光へ。早速、オールシーズンタイヤが役立った。戦場ヶ原に車...12/19.20忘年会(老神温泉)

  • 12/18 最後の芋切干

    蒸し器3杯でパレット3個分できた。これで、今年収穫したベニハルカを処理し終わった。ミカン箱2個に保存用を詰めた。切干芋が8パレット分。台所用が少し。あと何年作ることができるだろうか。12/18最後の芋切干

  • 12/17 冬来たりなば春遠からじ

    昨日数個の花が開いているのを見つけた河津さくら。昨年はいつ頃だったろうか。今日はこの冬一番の冷え込みだったろう。昼、古文書口座へ向かうため牧之原を走っているとき車の気温計は6度だった。陽が当たっていればそれほど寒くはない。風もなかったから救われた。来週の月曜日は、忘年会で北関東へ行くが、雪が見られるかもしれない。12/17冬来たりなば春遠からじ

  • 12/16 藤田宜永『愛の領分』読了

    先日の小池真理子の連れ合いの小説だ。藤田はこの小説で2001年直木賞を受賞した。小池の95年同賞受賞から遅れること6年だ。藤田は2年若いがほぼ同世代だ。この小説の一方の主人公もほぼ同時代を生きているようだ。恋愛ものだ。することがなかったので朝から一気に読んだ。登場人物たちがかなり性的に奔放なのに少し違和感があるが、そんな連中もいるにはいた。歳の少し離れた男同士の友人が、同じ女性を間に複雑な感情と関係を持つ。テーマ、プロットとも小池のほうが上だなと思える。これが95年の直木賞に選ばれたのはその当時の時代背景がかかわるのだろう。今だったら受賞とはならないだろう。アサトの誕生日を祝って保育園で作ってくれたカード。夜彼とラインで話したとき、いくつになったの?と聞くと5歳と答える。保育園でも聞かれると同じように5歳...12/16藤田宜永『愛の領分』読了

  • 12/15 伊藤比呂美『たそがれてゆく子さん』読了

    先の父親の死後、2016年から婦人公論に連載した。今度は自分のパートナーが弱り始めて死に至り、その後をつづっている。籍は入っていなかったが3人目の夫が80歳代半ばを過ぎて、彼女は60歳を超えている。イギリス人の夫は大学教員でアーティストだった。前夫の娘二人とこの夫との娘をカリフォルニアで育て上げ、最後は二人だけで暮らしていた。初めのところでは60歳を超した自分の身体があちらこちら傷んでいるとの記述ばかりだった。60を過ぎたばかりで、大層に自慢そうに言うな、と思って読むのを止めようかと思ったが、そのうち夫の身体や二人の関係などに移っていったので読み通すことができた。偏屈そうな夫で彼女の冷めた視線で記述されている。彼が弱っていく姿を見てももうすぐ死ぬだろうなどと記述している。彼が死んでも父親の時ほどダメージは...12/15伊藤比呂美『たそがれてゆく子さん』読了

  • 12/14 伊藤比呂『父の生きる』読了

    昨日今日と妻が病院通いのため、私は家から出ずにいる。それで読書三昧となる。挙げた本は、詩人の彼女が、90歳近くなり、熊本で一人暮らしをしている父とのやり取りを日記風に記述したものだ。彼女はカリフォルニアを拠点として、家族と暮らしている。ほぼ1・2ヶ月に一度熊本にやってきて父親の面倒を見ている。彼女が来られないときは二人の娘が来ることもある。カリフォルニアにいるときは毎日1・2度電話で話し様子を見る。父親のところには訪問看護のヘルパーが毎日通ってくる。まだほとんどボケてはおらず、ただ身体が少し不自由で買い物などはできないようだ。彼女はアメリカでも文筆や講演などで忙しそうだ。日本訪問も仕事を組み込んである。父親の一日はほとんどテレビで時代劇や相撲、巨人の野球を見ることだ。電話の内容もそれらの話題。毎日電話で話...12/14伊藤比呂『父の生きる』読了

  • 12/12 保坂正康『世代の昭和史』

    これも最近よく書評を見かけた一冊だ。新刊コーナーで見つけた。著者が近現代史を研究する場合、世代論に正面から取り組めなかったという。理由は、共産主義、社会主義への共鳴度が高い、戦後の左派イデオロギー全盛時の制約があったのでは。社会の潮流に抗って別の体制を作ることを目指す共産主義は世代論では語れず、世代の中の例外こそが新たな歴史を構築するのだから世代論は俗論に過ぎない、という。以上「まえがきに代えて」で述べている。まず最初は、太平洋戦争を含め、昭和の戦争で最も多く死んだ世代が大正11、12、13年生まれであると始まる。大正生まれの男子総数1,340万人中、200万人が戦死している。同時期の戦死、戦病死の兵隊、軍属総数230万人の87%が大正生まれということになる。ほかに民間人が80万人死んでいる。昭和18年の...12/12保坂正康『世代の昭和史』

  • 12/10 芋切干つくりスタート

    いよいよ芋切干の製造をスタートした。台所用の蒸し器で5杯作った。一杯で写真の上の簀の子が塞がる。去年は、生の時皮をむいてから蒸したが、味が薄くなると文句を言われたので皮つきで蒸した。皮をむくときに熱さを我慢しなくてはならない。天気が続けば4・5日で完成するだろう。そうしたら第二弾を作る。モンタロウ、アサトは葛西臨海公園。12/10芋切干つくりスタート

  • 12/9 探鳥

    妻が朝刊で、鶴ヶ池に白鳥飛来の記事を見つけた。それで朝の仕事を終えた後出かけた。鶴ヶ池は桶ヶ谷沼から東に谷一つ隔てたところにある。少し小ぶりな池だ。駐車場は昼休みを過ごす車が多く停まっていた。池の端には白鳥目当てと思われる観察者も来ている。残念ながら白鳥の姿は見えない。周りでの情報交換を聞いていると、桶ヶ谷沼や藤枝の蓮華寺池、浜名湖なども聞こえてくる。皆さん各地の情報を集めているようだ。中には、数日前に静岡の麻機沼に3羽と6羽の2家族が飛来しそのうちの6羽の家族がここへ来たなどと相当細かな情報を得ている人もいた。池の周りの周遊路を回ってみた。妻のカメラに収まったのはカモやシラサギの他はホオジロのみだった。次に桶ヶ谷沼へも寄った。桶ヶ谷沼は一回り大きい。ここも一周回ってみた。窪地にはセンリョウの群落があちら...12/9探鳥

  • 12/8 小池真理子『死の島』読了

    昨日、夕刊を読んでいる妻が問いかけてきた。「小池真理子って作家知っている?」「読んだことはないなあ」と答えた。今日昼前、図書館へ本の交換に行った。新刊コーナーにはほとんど本がなくて、日本の作家の書架を巡った。その時この名前が目に入った。帯の釣り書きを読んで借りる気になった。古希を前にして末期がんに侵されている男の話だ。元出版社の編集者で退職後カルチャーセンターで小説講座の講師をしている。いよいよ身体が辛くなり、講師を辞めその後の身の振り方を考え始めている。若い女性受講生が出てきて、恋愛ものかと思ったが単純な恋愛ものではない。若いころ恋愛関係にあり彼が家族から捨てられる原因にもなった女性が分かれて15年ぐらい後にがんで死亡していることをその妹から知らされる。彼女は一人で、在宅治療を受けながら最後を迎えた。末...12/8小池真理子『死の島』読了

  • 12/7 玉ねぎ苗追加

    田んぼ際の電柱にノスリを見つけ、妻が撮影に成功した。午前中買い物のついでに先日川の土手で休んでいるノスリらしい姿を見た田んぼを回ってみた。車の中から、電柱の上のノスリを妻が見つけた。まさに今朝妻が贔屓のブログで見かけたノスリの写真と同じ電柱の上だ。妻もあの写真を見なければ電柱の上までは注意が回らなかったと喜んでいる。玉ねぎ苗は、先日彼方此方回った時に、はじめって行った苗屋で見つけ買ったものだ。50本550円で購入した。次に志太フラワーへ回ったら、もっと良い苗が100本750円で売られていた。前回植えてまだ残っていたマルチに大方植えることができた。マグネットシェードを追加で購入した。朝だけでなく日中も陽が当たると熱くなるので、右側の2列をネットで購入。12/7玉ねぎ苗追加

  • 11/6 探鳥

    妻がキクガワの知り合いに、育てた花苗を届けるというので付いていった。住宅地の真ん中でそれほど大きくない庭だが、バラや花が沢山育てられている。妻が話している間、団地の西側の川や公園を歩いてみた。どの家も敷地は百坪以上あるようで、いくらかゆとりが感じられる。妻は彼女から、挿し木で増やしたバラの苗やアジサイの苗を手に入れている。今回は真紅の花で緑の葉が輝くようなゼラニュウムを頂いて帰った。帰りに横地城址に登った。ここも野鳥が多くみられるところだが、ヒヨドリやウグイスの鳴き声は聞こえるが他の鳥の姿は見えなかった。山上の城郭跡はササや草がきれいに刈り取られていた。妻が言うには、地元の有志で『守る会』が組織されていて、その人たちの仕事ではという。全域のかなり広い範囲がきれいになっているので、年寄りの有志では相当大変だ...11/6探鳥

  • 12/5 キヌサヤ植付

    サトウエンドウ5株を植えた。最近は連作障害が出るのかあまり良い収穫がない。昨シーズンは絶対大丈夫だと思う端っこに植えたが育ちが悪かった。今年の場所は過去使ったことのない場所だと思うが影響が及ばないことを願う。玉ねぎをもっと作付けしようと思っていたがもう苗の販売が終わっていた。サツマイモの後は年明けにジャガイモにしよう。畑の半分が花壇になってしまった。午後は、育てた苗が大きくなったのでプランタ―の土を準備した。使った土を振るい、堆肥や新たに赤玉土をまぜて再生して使う。マガンプなどの元肥も入れる。妻はあまり鉢は増やしたくないというが、10鉢ほどになった。花壇もあまり植えるところはないので、皆さんに配らねばならない。12/5キヌサヤ植付

  • 12/4 冬の花が咲きだし。

    いつの間にか水仙も山茶花も咲き出している。この玄関への道の山茶花は大きくなりすぎたので剪定して詰めようと毎年花が咲き始めると思っている。花が終わる年明け2月ごろが適期だと考える。しかし、その時期になると忘れてしまう。一度、どれほど切ったら良いのだろうかと恐々一本だけ半分ほどに詰めたことがあった。葉が無くなる程で心配したが、ちゃんと新芽を出し枯れなかった。これで大体見当はついたと納得し、来年は他の株を剪定しようと思ってからもう十年以上過ぎた。その時剪定した株も今では他の剪定していない株と同じぐらいに茂っている。正に私の人生はこのやり方で過ごしてきた。12/4冬の花が咲きだし。

  • 12/3 イチョウの落葉

    妻が花苗を買いに行くが同行するか?と遅い朝食を取っているとき聞いてきた。まだ食事中だったし、行かないと応えた。すると、残念そうな態度だったので、「行ってやるよ」と応えを変えた。向う途中で、先日TVで放映されていたイチョウの林を見て行こうというので少し回り道をした。場所は菊川掛川両市の間で、こんなところにこんな田舎がというようなところだった。これらのイチョウはギンナンを取るために畑に植えられたものだ。もう葉はあらかた落ちてしまっていたが、根本は黄色の絨毯を敷き詰めたようだった。12/3イチョウの落葉

  • 12/2 温又柔編『李良枝(イ・ヤンジ)セレクション』読了

    読み終わるのに暫くかかった。これも最近いくつかの書評で取り上げられていた。新刊コーナーで見つけた。温又柔は台湾の本省人の両親のもとに1980年生まれ、親に連れられて3歳の時に日本に移住した。以降日本人の中で日本語で教育を受けて育った。大学ではリービ英雄(1950年生まれ)の指導の下、卒論で李良枝を選んだ。リービ英雄は外交官である父親に連れられて台湾香港日本で暮らす。英雄はアメリカで敵性国人とされていた日本人に因んで名づけられた本名だ。彼は日本文学を専攻し、日本語で小説を書いている。最近は『模範郷』『天路』などを読んだ。台湾と中国大陸の話しだ。彼が小説を書き始めたきっかけは中上健次に書いてみたらと言われたからだという。温又柔も日本語で小説を書いている。李良枝は済州島出身の両親のもとに1955年山梨県で生まれ...12/2温又柔編『李良枝(イ・ヤンジ)セレクション』読了

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