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エピローグ https://blog.goo.ne.jp/epilogue_001/

団塊の世代のど真ん中。折り返し地点を、遥か置いてきたエピローグの始まりを粛々と描く。

ポエムブログ / 俳句

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荒野人
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住所
練馬区
出身
甲府市
ブログ村参加

2009/06/21

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  • 引っ越します!

    今まで、ずっとgooで書き継いできました。当初に比すと・・・俳句も人に詠まれて少しは耐えられるかなと思っております。少し休んで、書き始めたのですが写真がアップ出来ないのです。有料で容量を増やしているはずなのに、どうしても駄目なのです。かつて、ペルー倶楽部として数年書いていた「FC2ブログ」に引っ越そうと思いつきました。いま、しきりにFC2の勉強をしております。タイトルは「野に在りて」としました。面倒でなかったら、そちらにお出で頂けませんか。スタイルも変えてみようと思います。写真は、最小限にして一句。短い記事にするつもりです。肩の凝らない「野に在りて」にします。なお、ハンドルネームは相変わらず「荒野人」としております。書き始めは、来週からに致します。荒野人引っ越します!

  • 二ヶ月ほどお休み!

    春めいて来ましたね。啓蟄が過ぎました。世間は、時間が動き出す頃・・・。でも、少しの時間お休みします。目の治療をしています。視力が落ちています。原因は分かっているので、問題ありません。でも、本を読んだり・・・。パソコンを開くのが辛くって・・・。少し時間を下さい。荒野人二ヶ月ほどお休み!

  • 枝の先

    枝の先が赤らんで、春の兆しを見せるのだ。冬の空から、春の空への移ろいを強く感じる刹那である。雲の汚れ無き白さが際立たせる、木の芽である。もわもわとしながら、命を感じさせる靭さがあるのだ。命が萌え出す、のだ。命の連環。そこに、人は共感するのである。「もわもわの命の靭さ木の芽かな」しばらく見入った。木のベンチの座り心地は、頗る良かった。寒波と雪害で苦しむ北陸の方たちと、この暖かさを分かち合いたいのである。今週末は雨だと云う。暖かい雨であると云う。だがしかし、雪の上に降る雨は辛い。荒野人枝の先

  • 梅一輪

    我家の鉢植の梅が咲いた。実は、もう大分前から咲いている。我家に来てから、この鉢植はそろそろ五年。毎年咲いてくれる。いとおしい梅である。四年ほど前に、一輪づつ咲くのが作法!と、詠んだ事がある。いま思うと、そんな風に作法を決めてしまっては梅が可哀想だと思う。一輪だけれど、楚として匂う。匂いおこせよ梅の花・・・。主のいない茅屋でも、梅の花は咲く。しかも、季節を違えることもない。自然の摂理を踏まえた梅の花である。「梅の花熾してならぬ匂ひかな」梅は、当分詠み込むことが出来る。そうこうしている内に、桜が咲き初む。だからこそ・・・。梅が香は、間違いなく春の到来である。風呂上がりの匂い、である。荒野人梅一輪

  • 寒椿

    寒椿は、誠に楚々としている。その印象は、花の小ささによるものかもしれない。一昔前・・・トランジスタ・グラマーなんて云う言葉があった。寒椿の花は、小さいけれどメリハリがあってキレが良い。過日の雪の中でも、咲いていた。耐えると云うより、雪を愉しむ気配であった。山茶花との違いは、花ごと落ちると云う事。山茶花は、花びらを散らす。寒椿は、花を落とすのである。だから、武家では家中に植えない。縁起が悪いからである。例えば、無花果を植えない事と同じ意味合いである。「寒椿画布は選ばず落ちてゆく」あの大雪の日、寒椿は白い画布に向かって落ち続けた。なんと云う愛おしき花、なのであろうか。ぼくの近在の公園には「薮寒椿」も数本ある。佇まい、或いは居住いがくっきりとしている。そこに、哀れとか儚さを強く感じるのは至極当然なのである。寒波は、ま...寒椿

  • マンサク

    まんず咲く!だからマンサク、と云うのだとか・・・。冬枯れの林の一隅で、密やかに目立たぬように咲いている。マンサクは、山の中でも先ず最初に咲く。春の到来を告げるのである。木によっては、葉を落としきってから咲く。このマンサクは、葉をたっぷりと残している。シナマンサク、である。秩父の蠟梅園の西園が満開だそうである。東園は、3〜4分先と云う。その蠟梅園の入口にあるマンサクは、満開であるらしい。日本列島は大寒波に見舞われているけれど、植物たちは春を感じている。彼らは敏感、であるのだ。「マンサクの葉の落ち残る日向かな」季節が大きく変わる候、である。健康に留意しなければなるまい。荒野人マンサク

  • スノードロップ

    スノードロップは「スプリング・エフェメラル」である。春の妖精、といった印象が確かにある。何より、他の花に魁て咲いてくれる。可憐にして純情な色。白、である。白と云ってしまえば、それだけで終わりだけれど・・・。「生白き牝鹿」の花である。この花は歳時記にも載っているのだけれど、例句は少ない。厄介な語数、意味合、更には在来種にない洋装で存在する事であろうか。「生白きスノードロップ生きる事」ぼくは、この花を見ると昭和記念公園に出かけたくなる。砂川口から入って、池に出る。その池への突き当たりを右折して、暫く進む。木陰に、この花がしっかりと咲いているのである。その場所の右側には梅林があって、梅の木の下には福寿草が微笑んでいる。春。生きる事を謳歌する季節の到来、である。荒野人スノードロップ

  • ざらめ雪

    雪は磨かれて「ざらめ」となるのである。あの大雪から、ほぼ二週間。溶けやらぬ雪の面は、ざらめとなっている。だがしかし、目の端にそっと忍び込む気配が奥床しい。それだけに、哀しさが増してくる。このところの寒波の繰り返す襲来によって、溶けきるのは先の事であろう。「ざらめ雪乱反射する光かな」今日は立春。リュックの中の歳時記は、冬と春の二冊になった。そんなリュックを負いながら歩いた。ちいさなプランターに、スノードロップが咲いていた。雪の冷たさを撥ね返していたのであろう。その反動としての、数輪であった。荒野人ざらめ雪

  • 映画「デトロイト」

    まだ小雪のちらつく道を駅に向かった。こんな日は映画鑑賞に限る!と思いついたのである。誠に、良いアイデアである、と独り合点しつつ泥濘の道を注意深く歩いたのであった。映画『デトロイト』日本版予告編アメリカ社会の抱える、社会的差別。就中、人種差別の根深さを描いて出色の映画であった。デトロイト暴動を描いているのだが、こうして白日の下に晒すアメリカ社会の奥深さも又感じ入った。「溶けやらぬ雪に積み上ぐ人の影」まだ観ておられない方には、お薦めである。ぼくは、このブログをアップしながらまだ余韻に浸っている。エンドロールを、最後まで見ていたのであった。雪をおして出かけたことが正解であった。明日は、繪硝子の同人勉強会である。場所は、浅草の台東区民館。足下の確かならんことを祈る、ばかりである。今NHKが、このデトロイト暴動の特番を放...映画「デトロイト」

  • 間もなく立春

    それなのに、大雪に見舞われた太平洋側。西高東低の冬型気圧配置、であるというのに南岸低気圧の接近の結果である。雪は降りしきり、降り積もる。太郎の家にも、次郎の家にも屋根を覆うほど降りしきった。団地の風景も一変した。山茶花は、凍えた。三年ぶりの大雪である。ブログの更新を・・・さぼっている内に。いつしか、季節は春隣となっている。前回の更新から、丁度十日である。明後日あたりには、再びの雪だと予報されている。今日、浅草界隈を歩いたのである。3日に開催される、同人勉強会の会場の確認のためである。雪の残滓が溶けぬうちに、再び降り積むと云うのか?枝垂雪が終って、街を歩き易くなったと云うのにである。この舗道も、再び埋もれるのか?雪に弱い首都圏、である。「光あれ熱あれと舞ふ雪女郎」寒い・・・。とにかく寒い。2月4日は、立春。そうい...間もなく立春

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