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国鉄があった時代blog版 https://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat

日本国有鉄道にこだわったblogです。 国鉄の歴史その他鉄道の話題で盛りだくさんです。

国鉄というかって存在した組織を徹底的に多方面の角度から検討するサイトです。 姉妹サイトとして、「国鉄があった時代」というサイトも運営しております。 http://freett.com/blackcat_kat/index.html

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2009/06/20

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  • 知鉄話 117系電車のお話し 117系誕生までを振り返る。

    知鉄話117系電車のお話し117系誕生までを振り返る。117系は阪急6300系、京阪3000系を強く意識して製造された?そんなお話しをさせていただこうと思います。大阪鉄道管理局の執念が117系を誕生させたのかも知れません。知鉄話117系電車のお話し117系誕生までを振り返る。

  • 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第2話

    今回も、引き続き昭和33年10月7日開催の、社会労働委員会のは無しから抜粋させていただきます。にほんブログ村にほんブログ村応援よろしくお願いします。今回も、国鉄関係の話が出てこないのですが、一連の流れの中で官公労と呼ばれた郵政の問題を取り上げていますので、広い意味での労働運動という視点でご覧いただきたいと思います。全逓による「物溜め闘争」と国民生活(はじめに)私も郵便局・郵政局に身を置いたものとして、現場並びに地方分部局から見た郵便局と言うことで両方の経験をさせていたノで、最初の少しだけ見解を述べさせていただきます。郵便局では、郵便物のことを「ブツ」という言い方をして、それを滞留させることを「溜め」という言葉を使っていました、正式には郵便物が溜まることは「滞留」というのですが、現場では一般的に「物溜め」と...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第2話

  • 阪和線紀伊中ノ島駅ってどんな駅だったの?知って納得。国鉄時代

    阪和線紀伊中ノ島駅ってどんな駅だったの?知って納得。国鉄時代阪和線の紀伊中ノ島駅についてお話しをさせていただきました。元私鉄の阪和線ですが。私鉄の駅でありながら国鉄と一体化している駅というのも中々珍しいのではないでしょうか。実は、阪和線の紀伊中ノ島駅は元々別の所に駅があったのですが、国鉄が駅を設置したとき、阪和電鉄のホームを移設当初は、駅舎は別だったらしいのですが、翌年には共同使用駅として私鉄と国鉄が同居する形となりその後現在に至るようです。現在の紀伊中ノ島駅舎は、開業当時のままでありまもなく築90年になるのではないでしょうか。#ゆっくり解説#阪和線#JR西日本#国鉄#鉄道#和歌山市#紀伊中ノ島#阪和電鉄#昭和レトロ#歴史#和歌山線阪和線紀伊中ノ島駅ってどんな駅だったの?知って納得。国鉄時代

  • 新幹線建設と国鉄 第2話 新幹線計画概要と建設基準

    新幹線建設と国鉄第2話新幹線計画概要と建設基準東海道新幹線に関するお話し第2話になります。新幹線建設に際しては、いくつかの技術開発が行われました。そして、それと同時に車両限界などを含めて多くの事項が決定されていきました。特に新規に計画された事に伴う建築限界を大きくとったことで、東日本のMax(E1系・E4系)を誕生させる事が出来ました。又、当時の資料では公式に貨物輸送も考えられる(大型トラックをそのまま載せても問題ない車両限界)ので、それを意識して限界を定めたとして、極めて大きな車両限界となっており、その結果二階建て新幹線を実現させることが出来ました。にほんブログ村にほんブログ村応援よろしくお願いします。新幹線建設と国鉄第2話新幹線計画概要と建設基準

  • 昭和33年10月7日 第30回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号から抜粋 第1話

    現在、以下のサイトで、新潟闘争に関する記事を連載しているのですが、それと連動して当時の衆議院社会労働委員会の議事録を抜粋して解説を加えていきたいと思います。国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前)-日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】なお、議事録自体は非常に長いので、複数回に分けてアップさせていただきます。特に社会労働委員会ですので、国鉄以外(郵政省)などとの比較も含めてのお話になることを最初にお断りしておきます。にほんブログ村にほんブログ村応援よろしくお願いします。議事録【抜粋】衆議院社会労働委員会昭和三十三年十月七日(火曜日)午前十一時六分開議出席委員委員長園田直君理事大石武一君理事大坪保雄君理事田中正巳君理事八田貞義君理事小林進君理事五島虎雄君理事滝井義高君加藤鐐五郎君川崎秀二君河野孝子君齋藤邦吉...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第1話

  • 鉄道技術昔話 北海道専用 交流電車 711系

    鉄道技術昔話北海道専用交流電車711系国鉄では昭和43年の、小樽~滝川間の交流電化に際して711系電車を開発することとなり、昭和41年から設計が開始され、昭和42年に試作車4両【2両編成×2)が導入されました。日立と汽車会社がそれぞれ1編成ずつ担当し。日立が製造した車両は901は、ユニット窓で下段固定、上段下降式の窓で、汽車会社製は比較のために従来通りの2重窓を装備していました。比較の結果は、従来の二重窓方式での増備となり、特徴的な4枚折り戸とも採用されることはありませんでした。電車として特徴的だったのは、1M方式を採用したこと、サイリスタ位相制御による唯一の形式となります。鉄道技術昔話北海道専用交流電車711系

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