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心と日常 https://blog.goo.ne.jp/odada_1985

精神障害、統合失調症の症状を体験した自分の放浪記。

 精神的にいろいろありましたが、今も不眠症とたまに闘いながらですが、その時々の日常や自分のスキーマなどを客観的に見ることができればと思います。  23だけど青春謳歌するぞ!おう!(笑)

odada
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埼玉県
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2009/06/17

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  • 小さな憧れ

    昔から、何か一つに逃避する傾向が強い。全体的に広く自分を見つめるということができていないと感じる。小さな憧れ…恋愛がしたいということ。そう、今までそういう経験はしないでやり過ごしていた。23にもなり自信がますます減ってきている。はたしてこの先できるのだろうか?それでも突っ走りたくはない。あまりいいことに繋がらないので。お互いに自分を持っている、依存ではない関係。それでいて楽しいことや驚きを互いに共感する。僕の小さな憧れ。theHIATUS「GhostInTheRain」小さな憧れ

  • ここら辺でもう一度

    生活を立て直すことが今、最優先だなぁと感じている。少しばかり思考回路がパンク寸前で生活が崩れてきた。2009年前半戦とここまでを割り切って、後半戦にその時々のやるべきことをしっかりこなして行きたい。周りに馴染もうと、もがくのも良し、ある程度、問題を先延ばしにしても良し。自己と向き合おうとするのにもタイミングがあるのかも知れないと思う。過去を考え、取り戻したいという思いばかり先行して一人歩きしていたのかも知れない。大切なのは毎日を確かに歩くこと。でも、こうやって自分に言い聞かすメッセージの効力はせいぜい1週間だなと細々と感じる…Mr.children「HANABI」ここら辺でもう一度

  • ピアスタッフ

    最近、ピアスタッフについて考えることがある。というより、夏に行われる某大会でこのテーマについての分科会を担当することになったからだ。自分も現在はピアスタッフとして働かせてもらっているし、今後もいろんなところで増えていくんだと思う。ピアという言葉だけで取れば、「対等・平等」であり、精神障害分野でみると当事者スタッフという考え方になる。障害を持っていてもノーマルな支援者はそこそこいると思う。ピアスタッフとして就労する場合、これをオープンにして働くということになる。自然と役割は同じ障害を持つ目線でということになるが、ここでいろいろな葛藤が生まれることにもなる。そこには職員としての受け答えも必要で、当事者として共感する部分も必要だったりする。どっちつかずの狭間にいる感覚が芽生えてくる。でも、そのあたりは採用してくれる施...ピアスタッフ

  • 結局・・・自分って

    今…というよりは今日、自分はぎりぎりのところに居て、その張り詰めた何かがちょっとした衝撃で簡単に崩れてしまうことを実感した。まだ、崩れきってはいないが、すごく不安になっている。2009年、いろいろと新しいチャレンジを迎えた。大学にもう一度戻ることに固執していた日々よりもある意味楽になれた。実際に戻ってみると様々な壁にぶち当たる。いままで、自分の視野はすごく限られたところだけに広がっていた。それが外に向いたことによって、刺激が増えた。いい意味でも悪い意味でも。少しずつ当初の目的とはズレていくことを実感し、「劣っているなぁ」などと劣等感やコンプレックスと葛藤しだす。「そうか。」あの頃と変わったと思っていた自分は、いろんな装飾品を付け、いかにも変わったかのように振舞っていたけど、すこし遠くから見るとやっぱりあの頃のま...結局・・・自分って

  • 理想に近づきたくて…

    何年も前、精神科の初診の際に自分にはきちんとした男性モデルがないと言われた。普通は男性モデルというのは父親から自然に受け取るものだという。これは極端に自己評価が低く、ある面においては過度にナルシスティックということに繋がるという。ありのままで対人関係をやり過ごせないこと。変に良く見られたい一面。結果、自分に無理が生じてひきこもった。あれから、3年経ったけど、いろいろ歩いてきたけど、たまに簡単に元に戻ってしまいそうで落胆する。そんなときは、目いっぱい運動してみる。汗をかく。カフェに行く。まだまだ成長段階であると実感し、ゆっくりやっていこうと言い聞かせる。理想の自分とは、根拠のある自信を持っている自分。そんなカッコイイ自分になってみたい。Mr.children「口笛」理想に近づきたくて…

  • 「精神」

    昨日都内で「精神」という映画を観た。この映画の監督は前回、「選挙」というドキュメンタリー映画を製作しており、そのドキュメンタリー映画の第二弾ということだった。ナレーションがいっさいない。ありのままの精神障害者をフィルムに収めてある。全体を通して、ストーリー性がほとんどないと感じた。でも一つわかったこと、この監督は福祉に従事しているのでもなければ、そういった理念で動いているわけでもないこと。けして悪い意味ではない。公平な位置においてひたすら撮り続けている。苦しさだけを強調しているわけでもなく、マスメディアのような追求姿勢でもない。観る人にそれぞれ違うメッセージを送るという意味では大成功の作品ではないか。何を受け取るというのは別にして。「障害者と健常者との間にあるカーテンを開きたい。」唯一、監督が観る者に発した言葉...「精神」

  • 10年先も、20年先も

    シンプルに考え、受け取ること。「単純」ということは少し意味合いが違う気がする。時には深く考えこむことも必要ではあると思う。今までいろんな神経を使い、怯え、落ち込む。この循環はあまりいい意味をもたらさないのではないか…といつしか思うようになった。しかし実際には敏感で極端な受け取り方をすることはなかなか変わってはくれない。そうだよな、10数年もそのスタイルで暮らしてきたんだよなぁと実感する。ある意味自分という人間を守ってきたスタイルでもある。お疲れ様。否定することは出来ないなら共にいこう。このままの形だと今後の重荷にも成りかねないので、少し修正を加えて。具体的にはその場で被害的に受け取ってしまったことをいったん持ち帰るということをあえてする。感じることは感じるのでそこは変えようがない。では、せめて一日の終わりにセル...10年先も、20年先も

  • 大学において重きを置いていること

    自分の場合、大学において重きを置いていることはたくさんの人と交流すること。楽しいことやいろんなことを体験すること。と胸を張って言いたいところだが、現実はしっかり勉強して次のステップへ繋げないといけない。午前の授業は寝過ごしてしまうのはなぜだろう?職場には遅刻したことないのになぁ。そこが自分の中の位置付けの低さなのか。しっかし前期はそうとう単位数が少ない気がする。まぁ後期、三年となると臨床心理の専門科目がどっと増えるので、そこの自分のモチベーションに期待しよう。ポジティブに変換していかないとピンチだな。今日思い切って、何かサークルでも見学しようと思っている。いままで意識的に距離を置いてきたけど、この頃気になっている。レミオロメン「スタンド・バイ・ミー」大学において重きを置いていること

  • グループワークとカフェ

    時間があるときに都内某所で開かれているグループワークセミナーに参加している。ある心理相談研究所が開催しているセミナーで、問題を抱えた当事者やその家族が主に参加するミーティング形式のものだ。講師というか責任者は有名な精神科医が行っている。もちろん僕も問題を抱えた一当事者として参加している。そのワークでは自分の問題を全体に取り上げてもらうこともできるが、とくに発言しないで相談者と精神科医のやり取りを聞いていることもできる。いわゆるオープン形式なのでさまざまな問題と直面した人達の考え方を耳にする。専門医の解決への導き方がおもしろい。解決というか問題をよりはっきりとさせる、設定し直すということをするのだが、そこへの持って行き方がなんとも独自の視点から的を得ているような感じを受ける。直接相談を取り上げてもらわなくても共通...グループワークとカフェ

  • カウンセリングについて

    自分には約2年間、カウンセリングを受けた経験がある。イメージ的にはすごく効果のある療法と思われるかもしれない。僕も実際そうだった。そして今もすごく効果があるというイメージは変わっていない。ただ、精神障害の当事者にはそれほど一般的ではないように感じる。なによりも自己に対して深く洞察するということが、本人の病状を悪化させるという懸念がされているようだ。たしかに当事者の人によってはそう思う場合もある。ただ早期に治療を開始した人は積極的に受けていったほうがいいとも思う。僕の場合カウンセリングで得たことは直接の問題解決には結ばれなかったが、すごく有意義な時間になったと思う。ある程度客観的に自分を見る訓練にもなったし、抱えている問題との距離を置くベースにもなった。ただ、その効率は毎日をそれなりに送る中で生まれたのだと感じる...カウンセリングについて

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